第13話 トロア=ガネッシュ

「少年ッ!?」


 私は突如として閉まった屋敷の扉を開け放つ。そこには、館の外装とよく似た薄暗い色の内装の大広間が広がっていた。そこに、少年の姿はない。


 私たちは、少年からは私たちが見えないような方法——つまり、草むらや土に残る足跡を追跡することで少年を尾行していた。すると突然、夕立のように突発的で強力な通り雨が降ってきたのだ。

 そのことによって先ほどの手法が取れなくなってしまい、私たちは急いで少年との距離を詰めることにした。見つけた時には、少年は不気味な屋敷の玄関扉を開け放したままにして、大広間の真ん中で大の字で寝転がっていたはずだった。


 しかし、次の瞬間。少年の体は、まるで床が抜けたかのように、床をすり抜け落下していった。そして、扉がバタンと閉まる。

 これが、事のあらましだ。まだ分からない部分は多いが、確信していることはある。


「まずい、『スコーク』だ! 周囲を警戒しろ!」


 今少年を同行しようと考えている人物など、『スコーク』しかいない。少年は『スコーク』によって、この屋敷の中に捕らわれてしまったという事だ。

 私とキュリアは屋敷内部を、トロアは屋敷周辺を警戒する。敵はまだ姿を現さないということは、どこかに隠れているのだろうか。正体がわかるまで、迂闊うかつな行動はできないだろう。

 内装の色合いも相まって、大広間はとても暗く見えて余計に視界が悪い。このまま無計画に突入してしまったなら、先ほどの少年のようにアッサリ飲み込まれてしまうのは目に見えている。ともかく、まずは明かりだ。


「キュリア、灯してくれ」

「はい……【光球フラッシュ】」


 キュリアの手の平から強い光を放つ小さな玉が放たれ、大広間全体を明るく照らした。見た感じ、誰もいないようだ。というより、この大広間には玄関扉以外の扉がない。


(この屋敷……!)


 これなら突貫工事でもこの規模の屋敷は作れるだろう。種族によっては、1時間で完成させる事だって可能だ。つまり、敵は罠を張っていたのだ。少年を確実に捉えるために。

 つまりは、この突然の豪雨も……


「中に入るぞ、外にいれば確実にやられてしまう!」

「ですが、この中に入るのは危険です! 床に吸い込まれるだけです!」


 分かっている。恐らく、吸い込まれる床罠フロアトラップはこの屋敷の大広間全体に設置されているはず。そして好きなタイミングで発動可能ときた。

 ならば———


「凍らせろ、キュリア。朝と同じように」

「……なるほど」


 瞬時に大広間が氷で覆われる。少々行動しづらいが、床罠フロアトラップは封じられたはずだ。もちろん絶対ではないから油断はできないが、氷は壁にもしっかりと張り付き固定させているから、私たちが優先的に飲み込まれることはない。


「ちょ、マジで入るんスか!?」


 喚くトロアを置いて、私たちは慎重に大広間に入る。それにしても、依然として敵の姿が見えないのは一体どういうことだろうか。天井に張り付いているわけでもないし……敵はどこに———


「おっとと」


 氷の床に足を滑らせ、思わず壁に手をついてしまう。こんなミス、普段ならしないはずなのだが……

 その時、突然


「!?」


 違う、壁が抜けているんじゃない。

 私は壁についた手を見て、全てを理解した。。今やもう肘の部分まで壁に飲み込まれてしまっていた。


「キュリ……ッ!」


 キュリアに危機を伝えようとするも、遅かったようだ。キュリアは既に体の半分が壁に飲み込まれてしまった。今私も飲み込まれつつあるから分かる。これに捕まってしまえば最後、抜け出すことはもうできない!


(床を……傾かせたのか!)


 チラリと私とキュリアが立っていた床を確認すると、わずかだが床のタイルが外され傾いている。そうして傾かせることで、私たちのバランスを崩したんだ。そしてここは壁に近い。床を凍らせたことを、逆に利用された!

 私たちは、まんまと敵の罠にかかってしまっていた。こうなってしまったら私たちは何もすることができない。ならば……望みをたくすしか、ない。


「トロア! 敵は吸血鬼ヴァンプだッ!」

「え……!?」

だッ!影に気をつけ……ムグッ…」


 そして、私は壁に飲み込まれ……何もわからなくなってしまった。



   ▼



 目の前でエリーザさんが……壁に飲み込まれ、消えた。

 残るは、俺だけ。


「………マジ…ッスか…?」


 この状況をなんとかできるのは、俺だけだ。

 幸い、この豪雨のおかげで頭は十分に冷えている。素早く状況を整理することが先決だ。

 敵はヴァンプ。特徴は、ということだ。敵は屋敷全体の内部の影を利用することで、屋敷内部の壁と床に罠を張った。どういうわけか、キュリアさんが作り出した氷の床の上は安全のようだ。

 が………わざわざ屋敷に入ってやることもない。屋敷の中から攻撃していくのが安全策かつ最適策だな。俺は一歩、屋敷から離れ……


 ピッシャァッ!!


 その瞬間、俺がついさっきまでいた、まさにその場所に雷が落ちた。そのまま同じ位置に俺がそのままいたなら、雷に打たれ死んでいた。

 クソ、外からやたらめったらに攻撃しようかと思っていたが、そうもいかない

か。雷の速さを捉えられることなんて俺にはできない。避けるなんて、不可能だ。なら……!


「チクショウ! 中に入っていくしかないみたいッスね!」


 転がりながら屋敷の中に突っ込む。後ろで地面が砕ける音がする。雷がまだ落ちてきたみたいだ。俺の体は氷の上を滑っていく。


(まずい、勢いをつけすぎた! 氷で滑って、壁にぶち当たる!)


 とっさに、俺は身につけていた物をとっさに手に取る。そして、壁に当たるその瞬間、それを思いっきり壁に向かって投げつけた。そしてそのまま、俺は壁と激突してしまう。

 だが俺の体は、うまい具合にバウンドしてくれた。投げたは壁に吸い込まれてしまったようだけども。


「さて……どうするッスかねえ…」


 結局、屋敷の中に入っちまった。状況は悪くなっていくばかりだ、このままでは俺も影に飲み込まれて、それで終わり……終わってしまう。

 だが、良いところが全くないわけじゃない。


「頼むッス!」


 転がった時に拾っておいた、ただの石ころを天井に投げつける。俺の推測が正しければ、敵は天井裏にいる!


 俺の放った普通の石ころは、弓矢のように。相手はこんなこと、予想すらしていないはず。ぶっちゃけ、これで倒せればいいのだが…

 その時、天井から何かが落ちてきた。いや、が落ちてきた。一体誰だ……決まっている、敵だ。やはり、天井裏に潜んでいたようだ。


「……お見事、ね。どうやって分かったのか、聞かせてくれないかしら」


 現れたのは、綺麗な女性だった。間違いない、ヴァンプだ。喋った時に見えた、鋭く尖った一対の牙がその証明。

 今慌てて攻撃しても簡単に防がれてしまう可能性があるし、うっかり壁に触れでもすればそれこそ最悪だ。話をして様子を見るのが、一番か。


「一歩引いて見たときの屋敷の高さと、中から見たときの天井までの高さ……明らかに違うんスよ。だったら、考えられる隠れることができるスペースは屋根裏しかないって事ッス」

「へえ……見かけによらず、意外と頭が回るのね」


 まあ、気付けたのは偶然だったけどな。一歩引いていなければ、さすがの俺でも分からなかった。

 だが、まだまだ敵の隙は見えない。攻撃のモーションを見せる暇が全くない。仕方ない、もう少し話を引き出して隙を伺うしかない。


「俺はトロア=ガネッシュ。あんたの名前を教えて欲しいんスけどねえ」

「あら、自分から先に名乗るなんて。礼儀がなってるじゃない」

「うーん、やっぱり俺に名前を教えるなんて嫌ッスか?」

「……いいわ、教えてあげる。エリジェント=ヴィール、それが私の名前。知っての通り、ヴァンプよ」

「なーんか、まさしくヴァンプって感じの名前ッスねぇ…」

「いいじゃない、別にそんなこと」

「それより、お仲間さんはどこにいるんスか? いるんッスよね?」

「いいえ、私は1人よ。うふふ…」

「……」

「……」


 俺の一番嫌いな静寂せいじゃくが訪れる。俺は言葉遊びが苦手だ、ヴィールさんには言葉では敵いそうにない。

 面倒臭くなってきた。こうなったら、取る行動は一つ。


「先手必勝!」


 わざと残していた、たった1つの石ころを投げつける。敵の意表は全くもってつけていない。避けられるだろう、間違いなく。

 そこでヴィールさんが避けたところで、俺の持っている唯一の武器であるこの短剣を投げつける。俺は振り抜いたモーションと繋げるように、腰のたずさえている短剣に触れる。


「あら、物騒ね」


 石ころはわざと中心から僅かに左に逸らして投げつけておいた。とすると、ヴィールさんが避けるとしたら右。そこを狙って短剣を投げつけた。


「【影手ブラックハンド】」

「………えぇ…」


 俺の放った渾身こんしんの石ころは、ヴィールさんの影によってはじかれてしまった。それを予想していなかった俺の短剣は、意味もなく放たれ空振りに終わる。

 何だあれは。ヴィールさんの影が手の形に変形し、浮き上がっている……それだけじゃない、明らかに具現化している!


「そんなこともできるんスね…」

「うふふ……便利よ、これは」


 見抜かれていた…。俺の作戦を完璧に見抜いたからこそ回避をせず、威力が高いと分かっている攻撃をわざわざ弾いたんだ。俺の張っていた伏線は、あっさりと見破られてしまっていた。 


「この氷のせいで【影箱ブラックボックス】が上手く機能しないけど……あなたになら、なんとか勝てそうね。エルフの代名詞の魔法も使ってこないし」

「……俺は魔法を勉強してないッスからね。使えないことはないッスけど、不確かな戦力を本番で使うことは、よっぽどのことがない限り使わないッスよ」

「なるほどね……それじゃあ、あなたの得意な攻撃って何かしら」

「そのうち分かるッスよ」

「そう……なら、次は私の番ね」


 来る…! きっと、影を使った攻撃が来る!

 俺の記憶が正しければ、生物の影を自在に操るには、その影に直接触れなければならなかったはず。近づかれて触られたらアウトだ、なんて厳しい状況なんだ。


「【影針ブラックスティング】」

「これまたキツいッスね…!」


 ヴィールさんの影が、細かい針のような形に変化する。それが、もある! この攻撃を屋敷の中だけで避け続ける…? 冗談。

 そんなの……無理だ。避けることは諦めるしか、ない。


 そして、俺は刺された。痛い、痛すぎる。

 影に刺されるなんて、そんな体験ができるなんて思いもしてなかった。

 俺の体を、赤い液体が滴って落ちる。


「あなた……!」

「……へ、へへへ…」


 ヴィールさんは驚いている。そら、そうだろう。俺が避けないなんて、そんな事は普通ありえないのだから。

 だが。避けないのは、むしろ当たり前だ。

 のだから。


「それは……!」

「気付いた……ッスか…?」

「あなた……を……!」

「荷物持ちは……この俺ッスよ…!」


 俺の体を滴っている、回復薬ポーションが全身を癒していく。痛すぎるが、体へのダメージは無いに等しい。

 荷物袋を投げつけた事で、回復薬ポーションを持っていないと錯覚させることには成功した。そして厳しい賭けだったが、そもそも避けると予想していた攻撃が、俺の急所に当たるはずもないことは予測できる。そして……!


「ヴィールさん……あんたは俺に意識を向けたッス! 俺の勝ちッスよ!」

「どういう———」

「落下物にご注意を、って事ッス」


 突然、天井が。火種がちっぽけな石ころだったものだから、炎が大きくなるまで時間がかかってしまったが……結果的には、グッドタイミングだったな。

 ヴィールさんの真上の天井が焼け落ちる。これで俺の勝ち…!


「【影球ブラックボール】!!」


 突如、影がヴィールさんを守るように包み込み始める。真っ黒な影の大玉におおわれたヴィールさんは、天井に押しつぶされる事もなく。結果、あっちこっちに火が放たれるだけになった。

 俺に突き刺さっていた影針ブラックスティングもいつの間にか消えてしまっている。攻撃の手を消した、完全防御ってやつか…!


「危なかったわ……そして分かった。トロア=ガネッシュ、あなたは———」

「………」

使……よね?」

「………くくく…」


 なるほど、なるほど。

 まあ、そりゃあそう判断するよねえ。

 そうとしか思えないもんねえ。

 ………。


、ヴィールさん。魔法は魔力から色々なものを創り出すもの。それと違って精霊術は———」

「物体に性質を与える、『属性付与エンチャント』ができる……でしたわよね? あなたのセリフも、いいヒントになったわ」

「俺のセリフ、ッスか…?」


 はて、なんか言っちゃったかな? 俺はゆっくりと思い出してみる。最初の攻撃の時のセリフは確か……


———頼むッス!


 あ゛。

 精霊の土霊ノームちゃんに力を貸してもらう為に言ったセリフだ。うっかり口走ってしまっていた。

 ………キュリアさんがいなくてマジに良かった。隣にいたら叩かれていたに違いない。もちろん、グーを超えた何かで。


「あー……」

「まさか、精霊術使いに会えるなんてね……でも、これでもう私は攻撃を受けない。また同じ攻撃をしてあげる、果たして避けられるかしら?」

「いや、無理ッスね。絶対」

「あらあら……もう諦めちゃうの?」

「諦める? 俺がッスか?」


 黒い球体がうごめき始める。影針ブラックスティングがまた来てしまう。そうなれば回復薬を無駄に使い切った俺は100%、今度こそ死んでしまう。

 だが、そんなことは起こらない。


「足元をよく見てくださいッス」

「足……? ッ!?」

「ははは! これは、風霊シルフちゃんの手柄ッスよ!」


 爆発音。

 が、炎霊サラマンダーちゃんの力で爆発した音だ。風霊シルフちゃんの力を使って転がしてヴィールさんの足元に移動させておいたのに、気づかないなんてね。


「さぁ〜って、もうさすがにやっつけたッスよね」


 黒い球体を土霊ノームの力を借りて叩き割る。土霊ノームの力は、威力増加だ。こんな装甲、簡単に打ち破れる。

 そうして割った球体の中には、倒れたヴィールさんが——


「いないッ!?」


 どういうことだ!? 意味がわからない!

 俺は、激しく動揺してしまう。落ち着かなければならないのは理解している。だが、どうしてもそれができない。

 今のは、俺ができる最後の作戦だった。これで倒せなかったのなら、俺はまるで丸裸。無防備に近い!


(どこだ……!)


 俺は球体から距離をとり、屋敷の中心に移動する。今度こそ、完全に見失ってしまった。

 つまりは、振り出しに戻ってしまったということ。状況は一転して、良くない空気が立ち込める。俺は意味もなくキョロキョロと部屋を見渡す。そして、最悪を超えた状況を理解してしまった。


(氷が………溶け出している!)


 なぜ? 魔法で作った氷は、炎なんかでは解けないはず。なのに、俺が天井に点けた炎によって、確かに氷の床が溶け出している。


(まさか!)


 そういうことか、考えていなかった! 

 キュリアさんの魔力の供給が切れてしまっているのか。だから氷が溶けていく、俺がつけた炎によって解凍されてしまっている!


 さらに、出口ですら炎でふさがってしまっている。360度、炎に囲まれてしまっているみたいだ。天井の炎が、壁に引火してしまったか。


(逃げ場なし、氷も溶ける、敵の位置すらわからない……)


 俺は引き続き目を凝らし続け、はっきりと理解した。

 もう、俺から何かできることはない。その時を、待つしかない。ただじっとこらえて、待ち続けるしかない。


「諦めたのかしら?」

「……動けないッス。俺の影から、離れてくれないッスかね」


 そして、その時が来てしまった。


「それは出来ないわね。やっと手に入れた、あなたの生殺与奪の権利だもの。簡単に手放すなんて出来ないわ」

「ふうん……ところで、どうやってここまで来たんスか?」

「教える必要はないわね」


 動けない。俺のすぐ隣の氷は、もう溶けてしまって、床板がむき出しになっていた。それに触れてしまえば、俺の負けが確定する。


「あなたを少しでも押せば、私の影箱ブラックボックスに案内できるもの。私の勝ちよ」

「……そうッスか」


 直接俺の影に触れられてしまった時点で、もう俺からできることは何もない。

 精霊術は属性付与エンチャントができる代わりに、魔法として使えばかなり微量になってしまうデメリットがある。風霊シルフの力を単なる魔法として使えば、石ころを転がすのがやっとだ。

 炎霊サラマンダーだと軽い火傷程度だし、土霊ノームはそもそも魔法として使えない。そして精霊はこの3種類だけ。現時点で俺から反撃する方法なんて、ない。


「さよならね、トロア=ガネッシュ」


 そして、俺は押された。

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