第14話 精霊使い

 精霊術は、そう見られるものではない。


 まず精霊の主食は魔力なのだ。そして、性格は総じて気まぐれ。精霊たちを手懐けることが、まず難しい。

 そして何より精霊術の希少価値を上げている事実が、、ということだ。精霊は、精霊が気に入った人にしか姿を見せない。それ以外の人からは精霊は透明に見えるので、目と鼻の先にいる精霊にすら気付けない。


 精霊術の大きな特徴は、属性付与エンチャントすることができるという点だ。そして、付与できる属性は炎・風・土の三種類。それぞれの属性をつかさどる精霊と仲良くなって初めて、属性付与エンチャントする事ができる。


 炎の精霊、サラマンダーは火炎を与える。

 風の精霊、シルフは加速力を与える。

 土の精霊、ノームは力を与える。


 何度も言うが、精霊術を使える存在なんてそうそういない。精霊に気に入られる、それはつまり自然そのものに気に入られるという事に他ならない。



   ▼



「さよならね、トロア=ガネッシュ」


 そして、俺は押された。床に倒れてしまい、ヴィールさんの影箱ブラックボックスに飲み込まれてしまう。もう、これを回避する術など俺にはない。

 俺は何も出来ないまま、床に当たってしまった。ズブズブと顔から床に飲み込まれていく。一瞬で飲み込まないのは、勝利を確信しているからだろうな。

 その瞬間。


「きゃああああっ!?」


 ヴィールさんの手が突然、発火した。


(………


 俺は飲まれていく感覚の中、勝利を確信してほくそ笑む。


「ヴィールさんも、さっき言ってたッスよね? 精霊術は魔法とは違って、属性付与エンチャントができるって」

「…あなた………まさか……!」

「俺の服に炎霊サラマンダーの力を付与したんスよ。俺が氷の溶けた床のすぐそばで動かなかったら、俺の動きを止めた上で直接トドメを刺しにくることは、分かりきってたッスからね」

「うああ、ぁぁぁ………」


 ヴィールさんの体が一気に燃え上がる。それと同時に、俺は飲み込まれかけていた一気に体が浮上。どうやらヴィールさんも、影の能力を行使する余裕がなくなったようだ。


「ふーっ、なんとか勝てたッスねぇ」


 俺は立ち上がり、燃えているヴィールさんを見下ろし、言う。

 実は、ヴィールさんが影を使い、俺の方に向かって移動していたのは分かりきっていた。周囲の炎が屋敷全体を照らし、そのおかげで俺の方に向かってくるがぼんやりとだが、はっきりと見えたからだ。きっと自分の影をたくみに利用した、影箱ブラックボックスの応用だろう。

 それに気がつかなければ、俺は今頃負けていた。本当に危ないところだった。


「冷たっ! ……?」


 その時、俺の鼻先に冷たい感触がする。

 何か降ってきたのか……? そのまま上を向くと、屋敷の中で雨雲が出来つつあった。ああなるほど、俺の鼻先に当たったのは雨水だったわけか。

 ………って、ハァ!?


(室内ッスよ!? 流石にこんな事、あり得るわけが………! あっ!)


 そうか、もう1人の仲間か! 確か、だったはずだ。そいつの能力は既に判明している。

 このままじゃ雨でヴィールさんにせっかく点けた炎が消化される! 精霊術は魔法とは違って、魔力で炎を作っている訳じゃないから雨水でも消えてしまう。


 続け様に玄関の扉が派手に破られる。気配と影から察するに、大きな獣のような、有翼ゆうよくの動物がいきなり屋敷の中に入ってきたようだ。

 精霊たちも慌て怯えている。パニックに陥っている精霊たち俺の友達を無理やり働かせることなんて、俺にはできるわけがない。

 精霊術でなんとかする暇はないか、自力で避けるしかない!


(くう…!)


 横に跳躍して避ける。勢い余って、中途半端に氷の溶けた床の上を滑って壁に激突する。俺はなんとか、獣の翼が腕をかすめるだけで済んだが、その獣はヴィールさんをがっしりと掴み、屋敷の天井を破壊していく。

 そしてヴィールさんを連れて、そのまま何処かへ飛んで行ってしまった。


「あ〜………また、逃げられちゃったッスねぇ…」


 雨はもう、すっかり止んでいた。

 逃してしまった事、キュリアさんに怒られないといいなあ……。



   ▼



「………なるほど、大体の流れはわかった」


 影箱ブラックボックスとやらに囚われていたらしい私たちは、驚くべきことに、この状況を打破したと言うトロアから事の説明をざっくりと受けた。

 まさか、この危機管理能力の欠如した馬鹿者認定していたトロアが、あの使だったなんて。


 精霊使いは、私のように魔法が使えない存在や特異属性を使うことができる存在に比べれば、それほど物珍しいものではない。とはいえ、決して数が多いわけではなく、最近では中々新しい精霊使いが現れていなかった。


 精霊術の最大の特徴は、物体に『属性付与エンチャント』ができるという点だ。普通の魔法は、魔力そのものに影響を及ぼし性質変化させて操ることが基本になっている。そのおかげで、通常の炎や電撃ではできないことも可能とはなっているが、物に影響を及ぼすといったことはできない。そんなことができるとしたら、魔道具アーティファクトくらいのものだろう。

 それとは異なり、精霊術はというメカニズムになっているらしい。そもそも精霊は、精霊に好かれた者だけがその姿を見ることができる。だから詳しいことは精霊使いにしかわからない。一応、本や資料には記されてはいるが。


「というかトロア。いつから精霊が見えるようになったんだ?」

「あー、えっと、幼少期にちょーっとしたことがあったんスよ」

「そうか……キュリアは、このことを知っていたのか?」

「………はい、一応は知っていました。というより知ってなかったら、すでにリノア様に直談判じかだんぱんしに行っています」

「なるほどな」

「………なぜでしょう、俺の心は沈んでいくばかりッス」


 持ってきていたアイテムを確認する。回復薬ポーションは全滅、か。トロアの自慢話によると、エリジェント=ヴィールとかいう相手を倒すための作戦で使ったらしい。なんでも、相手の油断を誘うには仕方がなかったという。

 だが、回復薬ポーション以外のアイテムは1つも欠けていなかった。まあ回復薬ポーション以外のアイテムなんて、私が持っている魔力薬マジックポーションだけなのだが。


「そういや、なんでエリーザさんはそんな物持ってきてるんスか?」

「……そんな物?」

魔力薬マジックポーションの事ッスよ。俺たちエルフには、割と無縁な物じゃないッスか」


 魔力薬マジックポーションの効果は分かりやすく簡潔に言うと、飲んだ者の魔力量と魔力保有量キャパシティを増幅させるものだ。主に魔力枯渇ショックや魔力酔いになってしまった者に対して使われている。

 しかし、エルフの特殊技能は多量魔力保有オーバーマジックだ。エルフが魔力枯渇ショックや魔力酔いを起こすとすれば、相当無理して長い時間で魔力を放出し続けなければならない。よって、エルフにとって魔力薬マジックポーションは宝の持ち腐れなのだ。


「あー……」

「というよりエリーザさん。なんか大変そうな任務に限って、いつもソレ持ってきてないッスか?」

「まあ、護身用だ。持ってて損はないだろうさ」

「……ふーん、そうッスか」


 トロアは「全然納得してません」と言う表情をしながら引き下がってくれる。妙な事ばかりに気がつく奴ではあるけど……まあ、いいか。


 そんなことよりも、だ。

 私たちは今、すんごく、とっても、非常にマズい状況下にいることを意識的に意識しなかったが……流石に現実を受け入れるべきだろう。私たちは同時に一点を見つめる。


「………(じー)」

「「「………………………」」」


 少年がジト目で私たちを見つめている………気がする。相変わらず無表情で、何を考えているのか分からない少年だが、なんとなく怒っているような気がする。何も言わずに、ただジッと見つめられている私の心境は、気まずさの極地の向こう側みたいな感じだ。こんな表現、産まれて初めてした。

 さらにこれは、『少年を尾行する』という任務にも失敗したことにもなる。状況が状況だった、という言い訳もできないこともないが、失敗は失敗だ。リノア様になんて報告しよう。……ありのまま話すしかなさそうだな。


 トロアが少年に向かって言い訳を開始する。少年が「またね」と言ってから1日どころか2時間も経たないうちに再会してしまったのだから、私たちの心境は……これはもういいか。虚しくなる。


「あー……そのッスねぇ……」

「………」

「まあ、その……深い事情があるんスよ!」

「………………」

「だから、えーと……」

「………………………」

「———エリーザさん、後は任せたッス」

「おいおい!?」


 少年の刺さるような沈黙の視線に耐えきれなくなったトロアが、私に責任を分かりやすく押し付けにきた。なんて奴だ、私だってどうすればいいのか分かっていないというのに。


「まあ……その、なんだ。リノア様から任務を言い渡されてな」

「………………………………」

「任務の内容はだな…『君を尾行する』というものだったんだ」

「……え…」


 少年の表情が一変し、鳩が豆鉄砲でも食らったかのような顔をする。


「それ、本当…?」

「え? あ、ああ。本当だ。その……悪かった、な」

「えっと、実はね…僕も、リノアさんにお願い、されてたんだ…」

「お願い?」


 リノア様が、私の知らないところで少年と接触していた? そんな暇、リノア様にはないはずなのだが……またしてもリベリアさん側近の方の監視の目をくぐって脱走してしまったのだろうか。本当に、今回の件に限ってリノア様はよく動くようだ。

 ……そして。全員が知っての通り、リノア様がよく動くときは、嫌な予感がするまでがデフォルトだ。


「うん…。エリーザさんたちを、アノ人に…会わせて欲しい、って…」

「………はぁ」


 なるほど、と思った。道理で私の思った以上にリノア様が動き回る訳である。思わずため息をついてしまうが、今回ばかりは許されるだろう。


「って、まさか……シュウ君は、俺たちが尾行してたの知ってたんスか!?」

「あ、うん…」

「えぇ……」


 要するに私たち3人は、リノア様に遊ばれてたのだろう。私たち『リーフ』には少年の尾行を命じていながら、少年にはそのことを前もって伝えられていたなんて。

 今頃、リノア様はご自分の部屋で爆笑しておられることだろう。ため息しか出てこないが、今はそれよりも気にするべきことがある。


「なあ、少年」

「ん…?」

「結局、私たちは君の言う『アノ人』に会えるのか?」

「普通は、だめ…」


 話をもう少し聞いて知ったことだが、リノア様には「『リーフ』の尾行を振り切ってもいい。ただし、できるものならな」と言われていたらしい。やっぱり、ものすごく楽しんでいらっしゃるな……。

 少年としては、それを聞かされた瞬間に私たちを撒くことを諦めたらしいが、なんとかして撒けないものか色々と試していたらしい。やはり、本当は『アノ人』に会うことはいけないことなのだろう。


「でも…一応、聞いてみる…つもり…」

「聞いてみるって、どうやって——」


 その時、ブゥーン、という羽音が聞こえた。私はそれが気になり、音がなる方に目を向けてみる。そこには、まあまあ大きめの蟲が何かを持ってこっちに来ているのが見えた。「ひっ」と情けない男の声も聞こえるが、突っ込んでたらキリがないのでスルーする。


「木の実……?」

「これを、使うの…」


 その蟲は少年の肩の上にとまり、赤い木の実を手の平に落とした。それにしても、本当に賢い蟲だと思う。

 少年が操っているわけではなく、あくまで蟲本人の意思で動いているというのだから、驚きだ。エルフの自然学者が聞いたら、果たしてどう思うのだろうか。腰を抜かして椅子から転げ落ちるんじゃなかろうか。


「ありがと、ね……」

『キュー♡』


 少年がその蟲を人差し指で撫でながら、おもむろに受け取った赤い木の実を耳の中に入れた。


「この木の実、はね……『通信木つうしんき』の実、なんだ…」

「通信木…?」

「うん……この木の実を、耳に当てるとね…アノ人と、話せるんだ…」

「そんな木の実があるのか…」


 キュリアが驚いているのも無理はない。遠距離通話ができる木の実どころか、そういうような魔道具アーティファクトまがいの物が自然界にあること自体、前代未聞なのだから。

 そんな私たちを置いてけぼりにして、少年が一人で喋り始める。どうやら本当に、誰かと通話が成立しているようだ。向こうにいる人物の声は私たちには聞こえない。きっと、その赤い木の実から聞こえるのだろう。


『—————』

「……うん、でね——」

『—————』

「え、いや……うん…」

『—————』

「……ごめん、なさい…」

「なんか、すごいシュール ッスね。この光景」


 少しして通話が終わったのか、少年が木の実を耳から外して口に投げ入れる。おそらく、いつもそうやって証拠隠滅をしてきていたのだろう。


「それで……どうだった?」

「えっと、ね………エリーザさんだけ、ならいい、って…」

「わ、私だけ?」

「えー何それ! ズルいッス、エリーザさん俺と代わって——」


 トロアがキュリアを押しのけて大声を張り上げた。学習能力のない男だ、そういう事をするとまたキュリアに———


「ええいうるさいぞガネッシュ!」

「痛———ッ!?」

「耳元でギャンギャン騒ぐんじゃない!」

「もっと……優しく……………してください、ッス………」


 前略、トロアは死んだ。いや冗談だが。起き上がらないところを見ると、相当強く叩い………いや、殴ったらしい。一応、トロアは功労者ではあるのだが、キュリアにとっては関係ないみたいだ。

 コホン、気を取り直して。


「ええと、なんで私だけなんだ?」

「なんで……だろ、ね…?」

「それは分からないのか……」


 だが相手が私だけならいいと言ってくれている以上は、素直に条件に従うのがいいだろう。私としても、少年の事を知っておきたい所ではあるし。

 ……昨晩思ったことだが、私は少年の事を思った以上に知らない。もしかしたら、これは少年のことを詳しく知ることができる唯一無二の機会になるかもしれない。


「まあ、とりあえず向かってみよう。少年、案内してくれるか?」

「おっ、けー…」


 そうして、私たちは再び歩き出す。まさか、また少年と森の中を歩くことになるなんて思ってもみなかったが。これも、ある意味では必然の出来事だったのかもしれない。

 それに少年と歩く迷いの森は、何と言うか平和だった。魔物が襲ってくるわけでもなく、トロアも少年との会話がいつもより弾んでいる。その度にキュリアが大騒ぎにならないように、間に入ってはくれているが。

 思えば、これも最初の頃とは大きく違う。初めて会った時のキュリアはトロアと少年をただジト目で見ていただけだったのだが…。あの疑い深いキュリアが、たった一晩で少年のことを認めるとは。


『GRRRRRRRRR……』

「……!」


 その時、私の耳に獣の唸り声のようなものが届いた。ずいぶん小さい声だが、魔物が確かに近くにいるようだ。息を潜めているのだろう、だが私にとってはその程度どうってことはない。

 ゆっくりと剣の柄を掴み、奇襲に備える。いつも通りの動きではあるが、油断は禁物。私は精神を研ぎ澄まし、呼吸を整えた。よし、これでいつでも——


 突然、少年の服が不自然に膨らみ始める。そして次には大量の蟲たちが、服の中から飛び出した。


「うっひゃあ!? 何スか一体!?」


 よほどびっくりしたのか、トロアが尻餅をつく。そんなことは御構い無しに蟲たちは全て同じ方向に真っ直ぐ飛んでいった。


(その方向は…!)

『GR!?』


 潜んでいた犬型の魔物が蟲たちの総攻撃をくらい、草むらから飛び出す。そしてそのまま、魔物は逃げ出すように遠くへ走り去っていった。結局、私の出番が来ることは無かったみたいだ。

 蟲たちは少年の元へ舞い戻り、少年の服の中へ潜っていく。トロアは先ほどより、少年との距離を少し多めにとった。ああ情けない。


「エクリア、お前が迷いの森に住めた理由の1つが分かったよ」

「うん……この子たちには、感謝…」

「やっぱ只者じゃないッスね……その蟲たち」


 でも、本当に少年は蟲たちだけのおかげでここに住めていたのだろうか。ここは迷いの森、別称『』だ。普通の隊員では太刀打ちできない魔物も、多くはないが確実に存在している。

 蟲たちではどうすることもできない強力な魔物に出会ってしまった時、少年はどうやって身を守るだろうか。それとも、そもそも強力な魔物とは出会わないようにしているのだろうか。


「じゃあ……行こ、っか…」

「あ、ああ。案内、よろしくな。少年」

「まか、せとけー…」


 『アノ人』に会えたのなら、それも私は知ることができるのだろうか。

 今の私には……まだ、分からない。

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