第15話 『アノ人』

 少年の後を追って、迷いの森の南側に向かって歩いていく。時折、魔物が私たちを襲撃してきたが、私と蟲たちが即撃退するので危険とかは全くもってなく。

 私たちはただ淡々と、南に向かって歩いていた。


 私の記憶によれば、もうすぐ迷いの森の外に出てしまうのだが……一体、少年はどこに向かって歩いているのだろう? 少年はずっと、ここが『迷いの森』であるにも関わらず一切の迷いもなく前に進んでいく。

 3年もこの地域で生活していたのだから、この森の構造は熟知しているのだろうが……。コンパスも地図も無しに攻略できるほど、この森は甘くはないはずだ。


「シュ、シュウ君……これ、迷ってないッスか?」

「んーん……合ってるから、だいじょー、ぶ…」

「そ、そスか……」


 迷っていないと少年は言うが、もうすぐ森を抜けてしまうのは確かなはずだ。少年の言う『アノ人』は森の外にいるのだろうか。では、『アノ人』の正体って一体何なのだろうか。

 私がそこまで思考を巡らせていると、少年がふと立ち止まった。


「着い、た…」

「……え?」


 少年が立ち止まったのは迷いの森の中の、なんとも中途半端な場所だった。この場所から見えるものといえば、生茂る木々くらいしかない。

 ここが、目的地…? しかし、辺りを見渡しても人影どこか、人工物すらも見当たらない。『アノ人』はどこにいるんだ? ここで待ち合わせをしていたのでは———


「エリーザ、さん…」

「ん? なんだ?」

「ん…」


 少年が、右手を私に差し出した。私はその意味が分からず、硬直してしまう。


「えーと……?」

「僕の手、握って…」

「えーと……手を、か?」

「うん…」


 言われるがままに、私は少年の手を握る。後ろの二人の視線が若干痛いような気がする。握った少年の手はとても小さく、そして暖かかった。


「それじゃ、行こっか…」

「い、行くってどこに——」


 少年が私の手を引っ張って歩き始める。私は引っ張ってもらいながら、少年についていく。

 そして、私は違和感を感じた。


(なんだ……? 景色が、変わった気が…)


 森の中にいるのは変わっていないが、何か景色に違和感を感じる。

 これは一体なんだ……?


「あっれーーーー!?」


 突然、後ろからトロアの叫び声が上がる。馬鹿、この森で大きな音を出したら魔物が来ると知っているはずなのに。私は脊髄反射にも似た何かで、トロアに注意をする。


「うるさいぞっ。大声をあげるなっ」


 しかし、次にトロアは信じられないことを口走った。


「エリーザさんが……ッスよー!? どーなってんスかこれ!?」

「な……!?」

「エクリア、隊長! どこにいるんですか!?」


 トロアだけじゃない。キュリアまで、一体何を言っているんだ。いや、これはまさか……この二人、私が見えていない!?

 それにきっと私だけじゃない、少年のことも見えていない!


(どういうことだ…!?)


 私は思わず、二人の元に駆け寄った。すると、今度は——


「うおっ! エリーザさん、どこ行ってたんスか!?」

「隊長!」


 今度は、私のことが見えるようになったのか?

 さっぱりわけがわからない。私は少年に、一体どういうことなのか聞こうと振り返った。


「少年、これは一体——ッ!?」


 しかし、そこに少年はいなかった。木々が立ち並ぶだけで、人影ひとつない。

 待てよ、これって……


「まさか………?」

「ぴん、ぽーん…」


 突然、少年が何もない空間から現れる。私たちの目からは、突然少年が出現したように見えた。

 ひょっとして私が2人に駆け寄った時も、こんな風に見えていたのか…?


「エクリア、本当にここに結界があるのか!?」

「うん……そう、だよ…」


 キュリアが「信じられない」と呟いた。キュリアすら気づくことができない結界が存在していたとは……ますます訳が分からない。

 だが、結界は確かにあるだろう。というより、そうとしか考えられない。


、なのか……?」

「んー……そう、かも…?」

「ど、どういうことッスかエリーザさん!」


 おそらく、この結界は少年の『アノ人』が作った結界なのだろう。『アノ人』が不審者を自分の側に近づけさせない為のもの。

 キュリアもこれまでの流れで大方察しがついたのか、私の代わりに説明してくれた。


「恐らく……これは結界の中に入ろうとする者を、結界の外のどこかに転移させるもの。そういうことですかね?」

「ああ、恐らくな」

「うん…入っても、いーよって人しか、入れない…」


 少年は続けて説明してくれる。


「森の南には、ね……こんな結界が、たくさんある、の…」

「なんスって………」

「その中の一つに、アノ人がいる、んだけど…」

「君に触れてなきゃ、私たちは結界の中には入れないということか」

「そゆこと…びっくり、した…?」


 どうやら少年は、わざと説明をしていなかったらしい。少年の表情は変わっていないが、どこか満足げだ。

 リノア様の入れ知恵なのかは分からないが、リノア様がこの結界のことを知っている可能性はある。少年のことをよく知っているみたいだったし。


「ああ……すごくな」

「むふー…」

「俺にも分かるッスよ、この満足げな感じ」


 となると、トロアとキュリアはここに取り残されることになる。それは、大丈夫なのだろうか。いざという時のための回復薬ポーションもない訳だし……。

 ………いや、大丈夫だろう。トロアだけならまだしも、今はキュリアもいる。『スコーク』も気になるが、先ほど撃退したばかりだし、しばらくは襲ってくることもないこともありうる。もし来たとしても、問題はないだろうしな。


「二人はここで待機していてくれ。私が戻るまで、大きく動くなよ」

「はいッス」「わかりました」

「それじゃあ……行ってくる」


 私は少年の手を握り、結界の中に入った。

 『アノ人』についてはまだ全くわかっていないが……大丈夫だろう。すぐにでも、分かるのだから。



   ▼



 初めてここの風景を見た人は、口を揃えてこう言うだろう。「ここが迷いの森だとは、到底思えない」と。事実、私もそうだ。

 あたり一面には、見たことのない花や植物や木々。中央には、他よりも圧倒的な存在感を見せつけるとびきり大きい樹木がそびえ立ち、結界内のどこからでもそれを確認することができる。まるで、どこか全く違う世界に飛ばされてきたかのようだ。


 でも少年にとって、この光景は見慣れたものなのだろう。私みたいに周りをキョロキョロと警戒することはなく、目的地をまっすぐ見つめて迷いのない足取りで歩いている。

 しばらくして。私たちは、ついにあの大樹のふもとにたどり着いた。やはり、ここが目的地だったようだ。しかし、相変わらず人影はどこにもない。


 すると少年は息を大きく吸い込み、珍しく……というより、初めて大きな声をあげた。


「おーーーい! 来たよーー!」

『おお! 待ちくたびれたぞ、シュウ!』


 少年の呼びかけに反応して、若い女性のような声が鳴り響く。近くにいるのだろうか、声はかなり近いのに姿は全く見えない。私は周りの木の陰などを、注意深く見渡した。



 突然、中央の大樹の一部分が膨らみ、それはだんだんと人の形になっていく。そして、出てきたのは……女性だった。

 深い緑色の葉っぱの髪飾り、大樹の幹と同じ色の服、黄緑色の髪と目をした、美しい女性だ。その女性は、ゆっくりと地面に足をつくやいなや、唐突に少年を抱きしめた。


「むぐっ」

「『スコーク』に狙われていると言うから心配しておったが……よく我の所に来てくれたのお!」

「むぐ、ぐ………くる、し…」


 少年は逃れようとジタバタするが、一向に離れそうな気配はない。というよりその女性は、まるで地面に根を張った強固な木のようにびくともしていない。

 もしや、この女性が少年の言う、『アノ人』なのか…?


「まったく、お主は目を離すと直ぐにピンチになっとるんじゃから!」

「ね……聞い、て…」

「近くで不審物があると報告もあったから、我は心配だったんじゃぞ! 分かっておるのか、この、このっ!」

「死………じゃ……う…」


 少年の抵抗がどんどん弱くなっていく。少年の近くにいる蟲たちは、それを黙って見ているだけだ。私も蟲たちの言葉がわかるようになったのだろうか、「やれやれ」みたい感じが伝わってくる。

 だが、そろそろ止めた方がいいだろう。私は、その女性に声をかけた。


「あの、よろしいでしょうか!」

「うむ? おお、お主がエリーザか? 初めましてじゃな」

「初めまして。失礼ながら、そろそろ少年を離してあげた方がよろしいかと思いますが……」

「む?」


 女性が少年の方に目を向けると、そこにはぐったりと脱力しきった少年が青くなって気を失っていた。


「あー……そうじゃな。ほれ、お前達。寝床に運んでやってくれんか?」


 蟲たちが一斉に動き出し、自分たちの背中に少年を乗せた。そして、蟲たちは少年を乗せてどこかへと去っていく。蟲たちとはいえど、その足は速く、あっという間に大樹の後ろに引っ込んでしまった。

 蟲たちがこの女性の言うことを聞くということは……やはり。


「改めまして、初めまして。私はエリーザ=セルシアと——」

「良い、良い。お主のことはリノアから聞いておる。自己紹介は不要じゃ」

「そう、ですか……」

「にしても、リノアのやつめ。連絡もせず『リーフ』の小娘を、我の所に寄越すなど……。ふん、どーせまた変なことを考えておるのじゃろう」


 私は、女性の性格をあらかた察する。

 見た目は若いが、恐らくそれなりの年月を生きてきたのだろう。リノア様とも面識があるということは、きっと通信木の実で連絡を取っていたはずだ。


「ああ、そうじゃった。我の自己紹介をしておらんかったの」


 それにこの感じ。

 きっと、この女性は……だ。


「我の名はアインズ。ほんの少しだけ長生きしとる、ただのじゃよ」


 アルラウネ。それはポピュラーといってもいいほど、認知度の高い魔物の1つだ。アルラウネは植物の魔物で、その個体が持つつたなどで攻撃してくる。個体差もなるが、決して強すぎる魔物というわけではない。しかし、目の前にいる女性、アインズは……明らかに異質だった。

 恐らく、きっと、アインズは……!


(大樹の……アルラウネ……!)


 この、ゆうに50mはありそうなこの大樹そのものが……アインズの本体。このようなアルラウネ、前例があるわけない…!


「驚いておるなぁ。まあ、それもそれじゃろうて。我のようなアルラウネ、見たことないという感じかの?」

「え、ええ……そうですね」

「そう複雑な話ではないんじゃ。結界の中で隠居しておったら、ここまで育ったってだけじゃからのう。終始安泰あんたい、というわけではなかったがの」


 はははと笑うアインズだが、その目は鋭く私のことを見ている。

 この感じは、よく体験している。彼女もまたリノア様と同様、一筋縄ではいかない人物であるようだ。


「ところで、先ほど近くに不審物があると報告があったのじゃが……お主は何か知らんか?」

「不審物……ここにくる前、『スコーク』に襲われはしましたが……」

「……それは本当か?」

「は、はい。なんとか撃退はしましたが……。不審物は恐らく、建物の残骸かと思われます」

「建物?」


 アインズが「ふむ…」といって考え込む。そして、私に再び質問した。


「なるほどのう……他に、何か知ってることはあるか?」

「他、ですか…?」

「まあ、お主が他に知らぬのなら良い。それより、ここで立ち話もなんじゃ。付いて来い、案内してやるからの」

「はい。ありがとうございます」


 そして私は、アインズによってどこかに案内される。

 ここで私は、何を知ることになるのだろうか。一抹の不安と期待を込め、アインズの後を追ったのだった。



   ▼



 僕たちは今、空中にいる。

 僕は翼を目一杯動かして、できるだけ速くみんなの元に帰ろうと頑張っている最中だ。


「……迷惑、かけるわね………ミルタ君…」


 突然、が僕の名前を誰かが呼んだ。

 姉さんの体はボロボロで、特に全身の火傷の痕がひどい。速く彼に診てもらわないと。


『喋らないでください、ヴィール姉さん。僕に任せて、今は寝ててください』

「ふふふ……そう、ね…………」

『……ごめんなさい。僕がすぐに駆けつけていたら、こんなことには——』

「やめなさい。これは、私のミスよ………変に罪意識を持たないで。いつも……言ってるで、しょう?」

『……うん』


 姉さんは、トロアとの戦いのせいで瀕死直前までに追い詰められている。

 確か吸血鬼ヴァンプの特殊技能は、吸血過剰強化レッドドレインだと姉さんから教えてもらったことがある。血を吸うと、身体能力とかがすっごく強くなるらしい。

 だから、いつもなら僕の血を吸わせれば良いのだけれど、今の姉さんには血を吸うほどの元気も体力もない。だから、一刻も早く姉さんを拠点まで連れて行かないと。


「でも……そう、ね……今は、君に任せるわ……」

『…はい』

「それじゃあ、少し、寝る……わね…………」


 背中にいる姉さんが、寝息を立てているのが分かる。あとは、僕がみんなの元に送り届ければ、コレーラさんが治してくれ———


(……? なんだ、今の感触……何かが僕に——)


 その瞬間だった。

 突然の浮遊感。景色がどのどん上に流れていく。


「—————えっ?」


 僕のが解けて、人型に戻ってしまっていた。

 翼を失い、僕は姉さんと一緒に落下していく。


「うわっ! なんでーっ!?」


 姉さんは眠っているままだ。相当のダメージがあったんだろう、落下していることにも気付かず、目を開ける気配がない。


(こうなったら……!)


 僕は姉さんを抱きかかえて、体制を調節する。このまま落下していけば、ちょうど僕が姉さんのクッションになる形だ。僕の種族は龍族ドラグーンで、たとえ龍化していなくても防御力は変わらない。


(ぶつかる……!)


 目をつむって、これから僕に襲いかかる衝撃に身構える。大した怪我にはならないはずだとは分かっているけど、やっぱり怖いものは怖い。

 そして、墜落。激しい音を立てて、地面に思いっきり叩きつけられる。


「痛ってて……よ、良かったぁ」


 僕の人型は、ぱっと見だと幼い男の子にしか見えないほど体格が小さい。だから、姉さんを上手くガードしきれるか不安だったんだけど……なんとか、姉さんを守ることに成功したみたいだ。本当に良かったぁ。

 でも、なんで急に人型に戻ってしまったしまったんだろう。姉さんをゆっくりとどかして体を動かすと、僕のあしに電流ような激痛が走った。


「痛っ………何これ!?」


 痛みの元をよく見ると、太ももに何かが打ち込まれたような傷跡があった。血がたくさん出ている。

 なんで……まさか、あの時に打ち込まれた!? でも一体、誰に……?


『GWOOOOOOOOOOO!!!!』


 鳴り響く。地面が震えるほどの声が、僕自身をも震えさせた。

 そして現れたのは……。岩の、巨人だ。


「ゴー……レム……!?」


 なんで、どうしてこんな所に!?

 ゴーレムは自然界には存在しない、完全な人工物のはずだ。

 なんでそれが、こんなところで動いているんだ!? 野生のゴーレムなんて、存在しているわけがない。

 でも、分かったこともある。


(打ち込まれたのは……魔道具アーティファクトだ!)


 前に、姉さんに教えてもらったことがある。

 無機物を形にして動かすには、まずはその無機物同士の位置関係を固定しなればならない。だから、ゴーレムには『固定石ロック』という魔道具アーティファクトが必要だ。

 だから、ゴーレムが自然にできることなんてあるわけがないんだ。


 僕が打ち込まれたのは、その固定石ロックだ。

 固定石ロックには姿や形を固定するという性質から、副作用としてことも可能な魔道具アーティファクトになっている。だから、固定石ロックを打ち込まれた僕は、龍化を解かれてしまったんだ。


 でも……ゴーレムが、自分の核を飛ばしてくるなんて!


『GWOOOOOOOOO!!』

「うぅ……!」


 思わず耳をふさいでしまうほどの、大きな咆哮ほうこう。ダメだ、このゴーレムに知性は感じない。ひたすら本気で僕を殺す気だ!

 僕ができる事といえば、天候をほんの少し弄れるだけ。雷を狙った所に落とすこともできるけど、見た感じこのゴーレムは岩でできている。岩に雷をあてて、ゴーレムの心臓代わりである固定石ロックまで電撃が届くのだろうか?


「ヴィール姉さん、起きてくだ——ッ!」


 急いで姉さんを起こそうと、僕は振り向く。


(…………………………ちくちょう!)


 しかし、僕はそれを止めてゴーレムと向かい直った。

 岩の巨人が、僕らを……僕を見下ろしている。


(重症のヴィール姉さんを、起こすわけにはいかない!)


 トロアと姉さんが戦っていた時、僕がしたことは、あくまでちょっとした手伝いにしか過ぎない。僕は、戦闘向きな性格ではない。臆病だから。

 に『スコーク』に拾われてからも、誰かを殺したことは一度もない。

 でも……!


「ここで僕が……このゴーレムを、倒すしかない!」


 ここだけ……! この場だけでも、勇気を振り絞るんだ!

 そうして僕にとって、初めてのたった1人での戦闘が始まった。

 姉さんを、守る為の戦いが。

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