第17話 ちょっと昔のお話
夏。
それは、我にとっては一番のびのびとできる季節だ。我はもう長いことアルラウネをやっておるが、やはりというか何と言うべきか、結界の中へと侵入するものは誰もおらぬ。
それもそのはず。今やこの結界は我の支配下にある故に、我が認めた者でないと結界の中には入ることはできず弾かれてしまう。
「あー……暇じゃ」
だから我はこんなにも退屈しておるのじゃろうなあ。
そう考えながら、我の本体である大樹から出て日光を体全体で受け止めた。すっごく気持ちがいいのは良いのじゃが……無駄に長生きすると、やる事も無くなって暇でしょうがなくなるもんだの。
何回か外に出ようかとも思っとった時期もあるが、我は戦闘に関してはあまり自信は無い。偶然、結界の中でぬくぬくと温室育ちをしたもんで、荒事はさっぱりじゃ。
結界の外に飛び出して、もし何かに襲われようものなら、あっちゅうまにやられてしまうじゃろうな。それに、アルラウネはどうも本体から離れるほど弱くなっていくみたいだしの。
「ま、我にはそんな事関係ないのじゃがな」
だって結界の外には結局でないんだからの、とボソリと呟いてみたは良いが、これもただ虚しくなってくるだけじゃな……。でも、言わなきゃやってられんし。
あー暇じゃー暇ー。
「…………んむ?」
突然、我の情報網から連絡が入る。「連絡」という表現は、正しくは丸っきり違うのじゃが……意図して入ってくる情報ではないわけじゃし、しっくりくるからこういう表現をしておる。
それはそれとして。今しがた入ってきた情報は、我の興味を引くほどの内容であった。
「……ほう、ヒューマンが森を訪れてきたか…」
確か、ヒューマンは全てが謎に包まれた種族だったはず。しかも、このヒューマンはかなり幼いようだ。種族において、見た目と実年齢はアテにならんと言うから確実とは言えぬが……。
ヒューマンは、まっすぐこちらに向かって歩いている。このままでは我のところまで一直線だろう。
その前に結界によって、どこかに移動されてしまうのじゃが……ふむ、暇つぶしには持ってこいかもしれんの。
(そうとなれば、結界を少し弄って……これでいいかの)
少年の進行方向に合わせて、結界の一部分をほんの少しだけ弄る。初めて結界を操作するもので、少々手こずってしまったが間に合ったようじゃな。
少年は結界を通過して、そのまま我の所へ歩いてくる。もてなしの準備は……いや、今から慌てて準備したところで間に合いそうにないかの。
(……来たようじゃな)
草むらの中から、ヒューマンが姿を現した。
我が結界の中で育った箱入り娘だとは言っても、常識がないわけではない。種族のことも、魔力や魔法のことも、ある程度のことは網羅しているつもりでおる。我がいかに非常なるアルラウネであるかも、当然じゃ。
このヒューマンも、我を見てさぞ驚くことだろう。それを期待しつつ、少年の前に立ちふさがった。すると少年は……
「…………」
「………ぬ?」
我の横をすり抜けて行ってしまったではないか。
(……………)
再び、少年の目の前に立ちふさがってみる。
「…………」
「………ぬう?」
またすり抜けてしまった。
再々度、少年の目の前に立ちふさがる。今回は、我の本体である大樹の根も添えてじゃ。もし少年がフォルテルの騎士であったなら、戦闘が始まること待った無しじゃろう。もちろん、負けるのはこの我じゃ。
これでこのヒューマンも我を無視するわけには……
「…………」
「ちょっと待てぇーーいッ!!」
またまた我を無視して横をすり抜けようとしたヒューマンの肩を、我はそれはもう勢いよく掴んだ。我の常識が本当にあっているのであれば、これはわりかし正しい反応なはずじゃ。
「なんじゃお主は! そこまで我が嫌いか!? アルラウネじゃぞ! 大樹の、アルラウネじゃぞ! 分かっておるのかぁ!」
「………?」
ヒューマンは無表情のまま我を見つめる。だが、雰囲気は「分かりません」と言っているのが明確にわかった気がする。これが歳の力なのかの…。
はあ、と溜息をついてしまう。これは、我が想像している以上に
「まあ、良い…。我の名はアインズ、見ての通りアルラウネじゃ。して、お主の名はなんと言う?」
「………な…?」
「名前じゃ、なまえ。お主ら種族というのは、それぞれの個体に名前をつけるのじゃろ?」
「……なま、え…」
ヒューマンは依然として無表情のまま黙ってしまった。もしかして、ヒューマンというのはこのような面倒い種族なのか…?
「……知ら、ない…」
「面倒いのう、ヒューマンは。まったく…」
面倒い種族のようだの。
そう結論づけた我は、さてこのヒューマンをどうするかと考える。このまま野に放しても別に良いのだが……せっかく拾った退屈
「お主、こっちへ来い」
「………?」
「案内してやるからの、我の家じゃ。お主らヒューマンにも、家くらいあるじゃろ?」
「………?」
「ったく、本に面倒い種族じゃのう」
我はヒューマンの手を引き、家の中へと招き入れる。
そうして握ったヒューマンの腕は、我の腕よりも細かった。
▼
「なあ、確かに我は『くつろいでも良い』と言ったのだがな?」
ヒューマンを家を招待し、飲み物とコップを用意する、ほんの
確かに、我はアルラウネであり魔物ではある。それも、とびきり異常———先ほどの件で少し自信がなくなりつつあるが———であるはずじゃ。「恐れるな」という方が無理な話ではあると思うが……
「
「………?」
なんておかしな種族だと思うのも、これで何度目になるのかの。
このヒューマンは本当に表情が変わらない。超希少種族と言われているだけのことはある、ということで良いのかのう……?
「それで、お主。本当に名前がないのか?」
「ん…」
「そうか………」
となれば…
「よし、お主に名前をつけてやろうかの」
「名前…?」
「そうじゃ。これからお主は1ヶ月ここにおるんじゃぞ。呼び名くらいはあったほうが良いじゃろ」
「ん…」
ヒューマンも快諾してくれたようだし、早速考えていく。
ふむ……
(そういや我、名付け経験がないの)
我の名前であるアインズも、どっかのエルフの名前をほんの少しいじっただけじゃなからの。一から名前を考えるなぞ、我には到底無理な所業じゃな。
となれば……このヒューマンについて、よく知る必要がありそうじゃ。
「お主、好きなものは何じゃ?」
「………」
「…では、得意なことは」
「………」
「……嫌いなもの」
「………」
「ええい、では欲しいものはっ!」
「………」
「ホントなんなんじゃお主」
ダメじゃ、埒が明かぬ。このヒューマンは感情というものが無いのか。
仕方あるまい。ここは保留しておくとしよう。短い時間ではあるが、一応1ヶ月はあるのじゃ、そう事を急ぐ必要もなかろう。
「お主、名前については少し保留じゃ」
「ん…」
「ただし!」
我は、ずいっとヒューマンの顔に顔を近づける。そして、そのまま視線を下に落とした。
「……飯はちゃんと食えよ?」
「………ん…」
ヒューマンの背中にくっついてしまいそうな腹を見て、一体どれだけ食わせてやれば吐き出してしまうだろうかと思いを
ヒューマンが食えそうな物もこれから作らなければならなくなるかの。我、料理経験あんましないのじゃが…。
まあ、これもまた暇つぶし。良い一興、という事じゃな。
結局、ヒューマンはそれなりに食べたが吐きはしなかった。つまらん奴め。
▼
あれから一週間が経った。
未だ名前が決まっていないこのヒューマンも、ここでの暮らしに慣れてきたようだ………と言いたかったんじゃがなぁ……
「まーた部屋の隅におるのか? そろそろ我も飽きてきたんじゃが…」
「………」
「まったく……かなわんのう」
何も進展せぬまま、無駄に一週間が過ぎ去っただけじゃった。
別に病弱というわけでも体が弱いわけでもないのに、なぜかこのヒューマンは部屋の隅から動こうとせん。
与えた飯はしっかり全部食べるし、不健康な様子もない。いや、全く動かんのは不健康だと思うのじゃがな。
困ったやつじゃ、こやつは。
「のう、お主。少しこっちへ来い」
「ん…」
ヒューマンはすっと立ち上がり、我の近くまで歩いてくる。
最初から分かっておったが、動けないわけじゃないようじゃな。一安心といったところかの。
「良いか? 我は今暇なのじゃ。というわけで、お話をしようと思うのじゃが、構わんかの?」
「ん…」
「そうかそうか。では、我の膝の上に座るといい」
「ん…」
「素直じゃの〜。いいぞ、心の距離を詰めるには体の距離から、じゃ」
まあ、これはどこぞのエルフの受け売りの
……む。このヒューマン、随分と軽いの。普段からちゃんと食べているのか心配になってくるではないか。思い返してみれば、一週間前にヒューマンの腕を掴んだ時、かなり痩せ細っていたような気もするが……
(うむ、生まれつきかの)
腕を掴んでみると、一週間前と同じ太さのように感じた。最近は我がしっかりと飯を用意しておるから、今痩せ細っている訳が無い。心配して損したの。
というより、いきなり腕を鷲掴みにされてもピクリともしないとは……危機管理能力までなっとらんのか、このヒューマンは。
「お主、アルラウネを知っておるかの?」
「んん…」
「び、微妙に分かりづらいの……。首を横に振っておらんかったら聞き返しておったところじゃぞ」
「………」
「まあ、良い。それじゃあ、そもそも魔物が何か知っとるか?」
「んん…」
「知らんとは、珍しいやつもおるもんよのう。よもや魔物を知らんとは」
なるほど、それじゃあ大樹のアルラウネである我を見ても驚くわけないの。我の常識がおかしいのかと、ヒヤヒヤしてたわ。
人をあせらせるのが上手いヒューマンじゃのう。
「そういえば、ヒューマンには魔力が無いらしいの。というより、それしか分かっておらんらしいが……」
「………」
「お主、魔力とは何か知っておるか?」
「んん…」
「じゃろうなあ。これは多くの種族が勘違いしておることだからの」
我は、誰かに何かを教えるなんてことはしたことは当然無い。なにせ、ずっと結界の中で一人じゃったんだから、そもそも教える相手がおらんしの。
「魔力はな、そもそも自然から発生するものなのじゃ」
「………」
「生物も元々は自然。その生物の中で、魔力を持って産まれてくるのがお主ら『種族』。魔力が寄せ集まって生まれる生物が我ら『魔物』じゃ」
「………」
このヒューマン、本当に話を聞いておるのかの……? そう思ってしまうくらいヒューマンは表情どころか挙動が変わらない。
だが、これでめげてはならんと我はこの一週間で学んだのじゃ。ヒューマンはちゃんと聞いていると思いながら、我は話を続ける。
「実はの、この森はすこーし特殊なのじゃ」
「………」
「この森はの、他と比べて多くの魔力が常に放出されておる。お主が迷い込んだこの結界も、それの影響じゃ。故に結界自体が感知されにくい」
「………」
「じゃから、この森には魔力が体の大部分を占める『魔物』も他と比べて強力になっておるじゃろうな」
まあ、これに関しては真偽は分からないがの。我はこの森どころかこの結界の外を知らぬから、はっきりとは言えぬ。
これは全て、森の中に国を創り上げたエルフの、まだなって日の浅いリノアとかいう女王からの情報じゃからの。まあ、無駄な嘘はつかん奴と分かっておるから、ガセネタというわけでは無いと思っとるが。
「エルフたちは森のことを『迷いの森』だの『死の森』だの言っておるようじゃが……それは森の本質ではないの」
「………」
「我は、この森を『
「………」
「すまぬ、流石に聞きたくなってきた……。お主、聞いとるかの?」
「ん…」
不安じゃのう……。我が暇つぶしをしたいというだけじゃから、別に聞いていなくたって構わないんじゃが。
「魔物、魔力、
「なんじゃ、ちゃんと聞いておるじゃないか。だったら、少しは反応を示してくれんか?」
我は、本当に暇じゃったんだろう。
話し相手がいる事。我の話を聞いていてくれている事。
それが我にとっては、無性に嬉しく楽しい事であったことは間違いないじゃろうな。この時間がずっと続けばいい……そう思ったのも確かじゃ。
結局、我は晩飯の支度を忘れてしまうほどに話し込んでしまっておった。
確かに我は、その時に初めて『幸せ』の
▼
「おお、上手いもんじゃのう」
「ん…やって、みる…?」
「いやあ、我にはちと難しいの」
ヒューマンを拾ってからもうかれこれ2ヶ月になった。
当初は1ヶ月にしようと思っとったのじゃが、時が経つのは早いもので。1ヶ月なんて短い期間は『
その一因はやはり、このヒューマンが我に心を開いてくれたことじゃろう。出会ってから3週間は「ん…」と「んん…」しか聞いておらんかったのが、ある日唐突に話しかけてくれるようになってくれた。
———いっしょに、ねよ…?
我への初めてかけた言葉がこれじゃ。もう、たまげた。たまげすぎて「うぉおう!?」なんて普段は出さん声を出してしもうた。
性別はオスじゃと、そんなもの見りゃ分かるが……不覚にも我は思わず「可愛い…」と思ってしもうた。口に出したかどうかはよく覚えておらんがの。出してないと祈るほかあるまい。
「そう…?」
「うむ、それはお主の特技じゃ。誇りにせい」
「うん…」
嬉しくて嬉しくて、ヒューマンをここに留め続けて2ヶ月。今はこうしてヒューマンとの的当て遊びに
こんな日が来るとは、思ってはおらんかったがの。
「ほら、もう一回見せてみい」
「ん…!」
ヒューマンが石を握り、そして投げる。ヒューマンの手から放たれた石弾はまっすぐに標的である木の板に向かっていき、パコーンッと気持ちの良い音とともに命中する。
いや、これはすごいの。まるで百発百中。
弓矢を
「おお、また当てたのう。本にお主は大した奴じゃ」
「あり、がと…」
ヒューマンは照れ臭そうにしている。相変わらず表情はまるで変わっとらんが、2ヶ月も一緒に暮らしておったんじゃ、表情など顔を見なくても分かる。
すると、突然ヒューマンが左
む…!?
「どうしたのじゃ! よもや、怪我をしたのではあるまいな!」
「え、いや、その…」
「見せてみい! ……赤くなっておるじゃないか!」
「さっき、投げる時に、ぶつけただけ…」
「なんと! 早く家に戻って手当を……!」
「だい、じょーぶ…だよ…」
「ならん! いいからはよ来い!」
「うわわ…!」
家に戻り、打撲に効く薬草をありったけヒューマンに塗りつける。
時折、「やりすぎ…」という声が聞こえてくるが、そんなことはない。ヒューマンがどのくらいの衝撃で死んでしまうのか分からない以上、神経質になるのか当然のこと。そもそも、これは神経質には入らぬ。
ある程度の処置を終え、一安心した頃。我はふと思い出した。
危ない危ない、このような大事な話を先の一件で忘れるところじゃった。
「のう、お主。実は今日な、我からプレゼントがあるんじゃ」
「プレゼン、ト…?」
「名前じゃよ。名前」
長いこと決めていなかった、ヒューマンの名前。実は1ヶ月前から唸りつつ考えておったのじゃ。
「名前…」
「良いかの? では、発表しよう!」
きっと気に入ってくれる。そう思って決めた名じゃ。ならば、今更何も
「お主の名は、『シュウ』じゃ!」
「シュウ…?」
「そうじゃ。良い名じゃろう!」
シュウ。この名前の語源は、エルフの古い言葉の『
「友達じゃ」
「友達…?」
「うむ、シュウという名に込められた意味は『
まあ、我の名前と同じように元の言葉を弄っただけなのじゃが……これも、無駄に弄らぬ方がしっかりした名前になるという判断の下にある苦肉の策じゃ。
実際、『シュウ』と『シュライ』で2週間悩んでおった。
「シュウ……シュウ…」
「ど、どうかの……?」
しきりにシュウと呟くヒューマンを見て、若干不安になってくる。もう我の心臓はバクバクじゃ。心臓、
ヒューマンが、突然我を見つめた。よもや、気に入らんかったのか……!?
「あり、がと…」
「んえ?」
「僕は、シュウ…」
「お……おお! 気に入ってくれたか! 良かった、良かった!」
「むぐっ……苦、しい…」
我は、あまりの嬉しさにシュウを抱きしめる。これはもう、『嬉しい』とかいうレベルじゃなく、我は『幸せ』に違いなかった。
それからも、しばらくはシュウと我と共に暮らしていた。
ざっと……2年くらいかの。いつもは短いはずの期間じゃったが、この2年間は特別長く、短く、濃い2年間じゃった。
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