第7話 特別授業

  時刻は夕方、私は部屋のロビーにあった椅子を二つ奥の物置部屋に持っていき、向かい合う形で置く。もちろん、そこに座るのは私と少年だ。簡易的な取調室ができたところで、早速質問しようと思ったのだが。

 少年が、全く視線を合わせてくれない。何だろう、急激に私のことが嫌いになってしまったのだろうか。それとも何かを恐れているのか……まあ十中八九そんなもんだろう。


「あー、じゃあ、始めようか」

「……」


 なぜだろう。無性むしょうに辛い。何か悪い事でもしてしまったかのような空気だ。


「まずは、ここにいるときに関する注意事項なようなものだ。よく聞いておいてほしい」


 とはいっても、注意事項は多くはない。部屋の外には出ない事、誰かが来たらまずは隠れる事。以上の二点くらいだ。

 これは、誰かにヒューマンがいることが知れてしまえば混乱になるだろうという理由からに他ならない。元々そうするつもりではあったし、リノア様からもそうするように言われている。


「それと、夜は誰か一人ここに残って君の見張り……というより、誰か入ってこないかどうかの見張りをすることになっている。何か希望とかはあったりするか?」

「トロア、さん以外、なら…」

「…ああ、わかった。絶対にそうしよう」


 どうやら距離を縮めたキュリアとは反対に、トロアとは壁を作ったらしい。当然と言えば当然だが、少し可哀想な気も……しないか。


「さて……質問を始めても、いいかな?」

「………ダメ、です…」

「そういうわけにも行かなくてなあ。答えられなければ黙っていてくれて構わないから、できる限り答えてくれ」

「………」


 私にも義務があるもんだから、こればっかりはしょうがない。メモ帳を取り出して、質疑応答を始めることにした。



   ▼



「———よし、これで終わりだ。長くなってしまって、すまなかったな」

「ん…」


 一時間くらい経っただろうか、いくつかある質問を全て聞き、質疑応答がようやく終わる。メモ帳をしまう前にチラリと中身を見ると、それなりに埋まっているのが分かる。思ったよりも質問に答えてくれたことには驚いだが、肝心な部分は軒並みダメだったな。


「じゃあ、外に出ようか。いつまでもこの部屋にいる事はないだろう」


 立ち上がり、物置のドアを開ける。


「あ、この椅子は、どう、するの…?」

「ああ、そこに放置してくれていていい。あとでトロアにでも片付けさせよう」

「りょーかい…」


 そうして私と少年が二人揃って大広間に戻ると、そこには本を読んでいるキュリアと息を吹き返したらしいトロアがソファに座っていた。ちなみに、トロアは靴が氷で床とくっついてしまっているせいで動けないらしい。


「あ、隊長。お疲れ様です」

「ああ。誰か来たりはしていなかったか?」

「ええ、誰も」


 本を机に置きそう答えるキュリア。そう言えば、今のキュリアはさっきまでの戦闘服のようなものではなく、部屋着を着ている。薄いベージュが多く取り入れられたワンピースで、さっきまでとは雰囲気がガラリと変わったような感じだ。

 どこかで部屋着姿のキュリアを見たやつが「ギャップ萌え」とかなんとか言っていたが、まあ分からなくもないだろうか。それほどまでに、見た目の雰囲気が柔らかくなっている。

 ……私もそろそろ、そういう、ファッションだとかに目を向けてもいいのだろうか。


「エリーザさん、これを見てくれッス。酷くないッスか!? これ魔法だから全然解けないし!」

「砕けばいいんじゃないのか? いくらお前でもそれぐらいできるだろう」

「そうするたびにまた魔法で凍らせに来るんスよこの人!」

「そうか、よくやったキュリア。しばらくそのままでいいぞ」

「わかりました」

「うわーん!」


 足をグネグネさせたり氷をさすってみたりと忙しそうなトロア。こいつ、わざとそうしてるのだろうか。流石にそこまで馬鹿じゃないと願いたいが。


「それ……靴を脱げば、いいんじゃ…」

「え?」


 動きがピタリと止まるトロア。そして、ゆっくりと足を靴から抜く。当たり前だが、すんなりと靴は脱げトロアは自由の身になった。


「シュウ君、君は俺の命の恩人ッスね」

「え、ああ、うん…?」


 馬鹿だったか。まあ、知っていたが。

 これで私たちの仕事は大体が終了した。私はあとで個人的に調べたいことがあるのだが。夕食や就寝時間までには、まだまだ時間はある。


「君、まだまだ夕食までには時間がある。それまでずっとここにいるのは暇だろう。やりたいことや、欲しいものはあるか? 許容範囲内なら、ある程度は用意できるが」

「あ、じゃあ、ちょっと待って…」


 そう言うと少年は、窓の近くまで駆け寄る。そして、窓を開けた少年は手を開き、それを外へ放った。


「おねがい…」


 それとは、それなりの大きさがある羽蟲だ。どこかに隠し持っていたのだろうか、全く気がつかなかった。

 その羽蟲は、何かを了解したのか外に飛んでいく。瞬く間に羽蟲は小さい黒点となり、どこに行ったのか見えなくなってしまう。


「……何をしたんだ?」

「友達に…ちょっとした、連絡。僕は、だいじょーぶ、だよって…」


 どうやら、安否確認のようなものらしい。無抵抗かつ無防備なポヤポヤした人物だと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。


「そーいえば、シュウ君って蟲たちと友達だー、なんて言ってたッスっけ。どーやって友達になったんスか?」

「んー……秘密…」

「私も同じ質問をしたが、秘密にされたな。何でも、名誉毀損めいよきそんに当たるらしい」

「なんスかそれ…」


 私もさっぱり分からないが、何か特別な事情があるのだろう。今は、深く聞かないことにした。

 とはいえ、少年のいうにも不可解なことが多い。先ほど聞いた話では、迷いの森に住む蟲たちであれば、ある程度の意思疎通が可能。それも、危険度Sクラスの獰猛どうもうかつ凶暴な蟲とも友好関係を結んでいるらしい。

 ヒューマンにはしゅと意思疎通ができる特殊能力があるのか、とも考えたが、少年はたまに野生の魔獣に襲われることもあるらしいので違うだろう。それに蟲以外の種との会話は無理だという。何を当たり前なことを、みたいな表情をされたから多分嘘ではない。

 というより、言えないことは言えないと、しっかり言ってくれているので、おそらく嘘は付いていないとは思うが。


「私にも分からないが、仕方ないだろう」

「隊長、そのメモを少し見せてはいただけませんか? 少しならわかることもあるかもしれません」

「ダメだ。これはまずリノア様に提出しなければならない。それまでは誰にも見せるなと言われている。トロア、行くぞ。さっさと靴を履いてついてこい」

「やっぱり扱いひどくないッスか〜!?」


 こうして再び私たちはキュリアと少年を残して部屋を後にした。本部よりも距離が短いから、早く着くことができそうだ。一瞬だが、もうあの部屋のままでいいんじゃないかな、と思ったのは別に悪いことではないだろう。



   ▼



 いつも、こんな感じで一日の仕事が終わっている。任務をこなし、その結果を隊長がリノア様に報告しにいく。その間、私とガネッシュは本部で待機をしている。

 今は特殊な事情のためガネッシュはいないが、全く問題ない。帰ってくるまでの間、紅茶でも飲みながら読書をすることが、私の日課だ。そうしていると、いつもガネッシュが私の邪魔をしてくるもんだが、今はいないため心置き無く読書ができる。


「………」

「………」


 だが、今は違う問題を抱えていた。何やら、後ろからエクリアにすごい見られている。「何読んでるんスかー?」とか「お話ししようッスー」とかやかましくないだけ数百倍もマシではあるが、こうも気配をダダ漏れにして背後に立たれると何かと気になってしまう。

 私は堪らず、本を伏せてエクリアに話しかける。


「何か用があるのか?」

「え…あ、えっと……邪魔、だった…?」

「いや、そういうわけじゃないが……」


 どうやら、私の持つ本に興味を持ったらしい。チラチラとエクリアの視線が本に向けられている。


「なんだ、魔法に興味があるのか?」

「魔法…?」

「この本は魔法に関する本みたいなものだ。だが、魔法学書はまだお前には早いと思うが」


 私が読んでいた本、『ヨチヤ魔法学理論』は魔法学書の中でも特に難しいものとされている本だ。多くの研究者の共同研究によって編集された本は、言うまでもないが初心者が読んでも何もわからないぐらいのレベルで書かれているものだ。

 ちなみに、我がサーヴィス家も深く関わっている。この本には私自身は関わっていないが、私の持つ魔法論と似ているところがあるのはそのせいだろう。


「魔法……ちょっとなら、知ってる…」

「そうか、五属性や特異属性については知っているか?」

「特異属性は、よく知らない…」


 特異属性は希少ゆえに知らないという人はエルフの中にも当然いる。確か、ヒューマンには魔力がないから魔法も使えない種族だったな。

 待てよ、ならなんでエクリアは魔法についての知識があるのだ? もちろん、普通に知っている可能性に十二分にあるが…。もしや、エクリアが言う待ち合わせ相手が関わっているのでは——


 いけないいけない。「疑わない」と言って舌の根も乾かないうちに、エクリアの事を勘ぐってしまう。仕方ないといえばそうなのだが、悪い癖だ。すんなりと信じることが私にはもうできなくなってしまっている。

 特異属性のことをよく知らないとなると、やはりすすめるべきは、魔法の道に進む者は必ず手にするだろう『魔法学入門書』だろうか。それを私の書庫から持ってきてエクリアに貸してやっても問題ないが………

 ふむ、そうだな。こうしよう。


「せっかくだ、私がお前に教えてやろう」

「え…?」

「明日まで暇だろう。それなら、私が話し相手になってやるさ。それとも、迷惑だったか?」

「ううん…! でも、いい、の…?」

「ああ、もちろんさ。だが、感謝しろよ? 私が教鞭きょうべんを振るうなんてことは滅多にあることじゃないからな」


 表情の起伏きふくが薄いエクリアも、わかりやすく顔を明るくさせたように見えた。事実、私自身は誰かに魔法について教えるなんて経験は一度や二度くらいしかない。だが、こうも嬉しそうにされると私とはいえ、何かこう、アガるものがある。

 部屋に備え付けられている紙とペンを取り出し、エクリアを私の隣に座らせる。そうすれば、簡易的な教室の出来上がりだ。どちらかと言うと、家庭教師に近いのかもしれないが。


「特異属性について説明するには……そうだな、五属性について知ってもらうのがいいだろう。五属性が発現するメカニズムは知っているか?」

「ええと……火と、氷と、風と、光と…なん、だっけ…?」

「雷だ。じゃあ、まずはそこからだな」


 五属性は、魔法の基礎きそであり基盤きばんだ。あらゆる魔法学の理論は、突き詰めていけば全て五属性に戻ってくることになる。算数で言うところの四則演算しそくえんざんのようなものだ。それは、特異属性という例外にも若干ではあるが適応されている。


「お前のようなヒューマンにはないらしいが、通常では私たちの中には魔力というエネルギーをめるための器官が存在する。それを放出することが、魔法の第一歩だ。だが、それではまだ不十分なんだ。なぜだかわかるか?」

「んーと……あ、属性が、ないから…?」

「そうだ、よくわかったな。魔力はそのまま出すと『無属性魔法』となる。だが、一気に放出できる魔力の量は少ない…そこで、影響を与えることで属性を与えることができる」

「面倒、だね…」

「最初のうちはな。慣れると楽だぞ。それに、影響を与えることをマスターすれば、相手が放出した魔力を利用することも可能だ。だが、そんな芸当ができる者はそういない」


 魔力に差分は存在していない。そもそも魔力という物は自然界にも存在しており、魔力を生まれつき持っている生物も元を辿れば自然界から生まれたものだ。


 口で説明しながら、メモには図を書き込んでいく。視覚的にわかりやすくするというのは、何かを学習する上では重要なことだ。

 文だけでは全ては伝わりにくい。感覚に教えるようにすれば、文字通り身にしみて理解できる。私が幼かった頃も、同じように教えてもらっていた。


「そうして生み出した属性を持つ魔法は、通常とは違う点がある。私の戦闘を聞いていたお前になら、わかるんじゃないか?」

「確か…氷とかも、溶けない、んだっけ…」

「いい線いっているな、やはりお前はカンがいい。正確にいうのなら、んだ。例えば、氷は火に弱いだとかだな」


 魔力で生み出したものは、通常のものとはまるで違う。普通の氷は酸素と水素の塊だが、魔法で生み出した氷は魔力の塊だ。構造がまるで違うため、同然氷が溶ける要因も違う。


「魔法に込めた魔力が尽きない限り、火も消えないし氷も溶けない。ここは、よく新人が勘違いする場所だ。それと、三度質問するが、なぜ魔力に影響できる属性が五つしかないと思う?」

「んー…?」


 ここまで意外にも全問正解していたエクリアが、初めて答えに詰まる。首をひねって考えるも、やはり分からなかったらしい。


流石さすがに難しいな。まあ無理もない、この問題についての結論は未だはっきりしていないからな」

「ええ…」

「諸説はあるがな。一番有名なのが、影響の与え方が単純だから、という説だな」


 高温にすれば炎、低温にすれば氷、流動性を与えれば雷、高速移動させれば風、発光させれば光。その中でも雷については議論が続けられていて、なぜ水などではないのか、という答えは全く出ていない。


「これら以外の影響の与え方をしても、魔法としては発現できないのが原則だ。これが、五属性の、まあ大雑把おおざっぱな説明だな。ここまでは大丈夫か?」

「だい、じょーぶ…」

「よし。問題はここからだ。こういった原則から外れた魔法がある。それこそが…」

「特異、属性…?」

「そういうことだ。特異属性には五属性には全く当てはまらない属性が見受けられている。エトラスの鉄も、その最たる例だな。だが、数は圧倒的に少ない」


 ちなみに、特異属性の存在は五属性に関する謎を深めている大きな原因の一つだ。特異属性についてだって、研究者によって意見が全く違っている。中には、「完全に理解することは不可能だが、近づくことならできる」というコメントを残すものも現れているほどだ。


「キュリアさんは、使えない、の…?」

「私には発現しなかったな。幼い頃の私もそれに期待して色々やってはみたが…ま、反応なしだったな。酷く落ち込んだことを、よく覚えているよ」


 幼い頃の私は「特異属性よ、でろー!」なんて言いながら走り回っていたという。結局発現することはなく、三日間落ち込んでいたらしい。一応黒歴史だが、幼い頃なら誰でも経験することと割り切っているつもりではある。秘密ではあるが。


「よし、ではもう少し踏み込んだ話をしよう。少し難しいが、魔法理論学では大事なことだから、少し頑張ってくれ。そもそも魔法には——」


 出来の良い生徒を相手にしているからだろうか、私はエクリアに基礎だけではあるが、長い時間話し込んでしまったようで。なぜか隊長だけが帰ってきていたり、窓から入り込む日光が赤く染まり始め遂には日光が入り込まなくなったりしても、休みを挟みつつではあるが続けられた。

 優秀な生徒を持つ先生というのは、こんな気持ちで講義をしているのかとちらりと考えつつ私はペンを走らせていた。


 結局私の特別授業は、夕食の直前までたっぷりと行われることとなった。

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