第21話 その時が来るまでは

「いたた……」

「おっと、強く縛りすぎたかの」


 インビジブル戦が終わってから、10分くらいは過ぎただろうか。

 私は今、アインズが持つ薬草で治療を施されている。


 インビジブルが最後に発動させた自爆技は、半径15mにも及ぶほどの大爆発だった。もしアインズが蔦を使って私を引っ張ってくれなかったとしたら、私など塵すらも残っていなかっただろう。


 しかし被害はそれだけではない。この大爆発はアインズにも多大なダメージを与えていた。

 アインズの本体とも呼べる大樹の根は、魔の森マナ・フォレストの全域に広がっているという。つまり、当然その根はこの結界の中にも張り巡らされている。

 しかし、インビジブルの爆発が地中にあるアインズの根を破壊したために、それに繋がっているが一部切断されてしまった。


 さらに言えば、私たちは結局インビジブルの正体も目的も、何もかも分からずじまいなのだ。何か手がかりを掴もうと、少年がインビジブルの欠片でも見つかればと向かってくれたが、やはり何も見つからなかったらしい。

 しょんぼりしながら少年が帰ってきたのが印象的だったか……表情が変わらないとはいえ、あそこまで分かりやすいとは。

 案の定、アインズは「元気出すのじゃシュウよ!」と必死にフォローを入れていた。これじゃ友達というよりは母親だな。


 ちなみに少年は今、台所———でいいのだろうか———で飲み物の準備をしている。手持ち無沙汰だったのか、そわそわしていると思っていたら突然立ち上がってパタパタと台所へと消えていった。


「そういえば、この薬草は……」

「ん? お主に使っている、コレかの?」

「はい。私はこの森にずっと居るのですが、そのような薬草は初めて見ます」

「これはの、魔の森マナ・フォレストの西側のあたりに生えておる薬草たちじゃよ。お主らが知らなくて当然じゃな」


 私がインビジブルの空斬乱撃から受けた時の傷は、私が当初に考えていたよりも酷いものだった。空気を圧縮して生成された空気の刃は、私の肉を深く切り裂き、刃がもう少し深く切り込んでいたなら、骨すらも切断されていたかもしれない箇所があるほどだ。

 傷口の数も5個もあり、通常ならば怪我の回復に一ヶ月も要するような状態だったのだ。当然、今日は安静にしておかなければならなくなるだろう。結界の外で待機してもらっているトロアとキュリアには先にフォルテルに帰還してもらって———


 と、そう考えていたのだが。

 なのに今の私の状態といえば、もう歩き回っても問題ないくらいには回復していた。さすがに走ったり跳ねたりといった過激な動きをすれば傷が再び開いてしまうらしいが、いくら何でも治りが早すぎる。

 その理由が私のそれぞれの傷口に巻かれている、この見たことのない形と色をしている薬草だ。


「これはシュウが持っておるものでな。お主らがやっこさんと戦っておった時に、シュウが蟲たちにお願いして持ってきてもらったらしいの」

「少年が……?」

「おま、たせ…」


 台所から少年が出てくる。その手には、4人分のコップが乗っている盆が握られていた。

 ………ん? 4人分?


「もう1人、他に誰かいるのか?」

「んん……これ、は、みんなので…」


 そういって、少年は同じ色をした飲み物が入っているコップを全員に配っていく。匂いから察するに、何かの果汁ジュースのようなものだろうか。コップからかんばしい果物の香りがする。


「で……これが、エリーザさんの、分…」

「……?」


 そして私に渡された二つ目のコップの中には、何やら薄い紫色をした液体が入っていた。

 匂いは……甘い感じがするな。甘すぎる気もしないでもない。しかし、先ほどのとは打って変わって何の飲み物なのかさっぱりわからない。


「なあ、少年。この飲み物は、何なんだ?」

…」

「ば、万能薬……?」

「はっはっは! これシュウよ、エリーザが困っておるではないか。ちゃんと説明した方がよかろうて」


 首をかしげる私がそんなに面白いのか、アインズは大笑いする。少年は少年でどう説明しようかと迷っているようだ。

 それを見かねたアインズは、なおもクククと笑いながら説明してくれる。


「それはの、お主らで言うとこの回復薬ポーションじゃよ」

「これが……?」

「この魔の森マナ・フォレストの西側にはの、毒の魔力が充満してるじゃろ? そのせいで、あの一帯には——」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 今、アインズは何と言った!? 毒の瘴気ではなく、と、そう言ったのか?

 あの一帯は、毒キノコによる瘴気が蔓延しているはずでは———


「ん? なんじゃ、何か気になることでもあったかの?」

「西側は、魔力が充満してるんですか!?」

「………? そうじゃが?」


 少年をチラリと見ると、コクリと頷いた。どうやら、本当のことらしい。


 そうか……そういうことだったのか。

 今思えば、初めて少年と出会った時に起こった出来事。少年や蟲たちが、デーモンの毒の特異魔法が効かなかったことは不思議なことだったのだ。

 いくら毒に耐性を持っているとはいえ、毒の種類が違えば効果は薄い。もし少年が耐性をつけているのが瘴気の方だとすれば、魔力で生成された毒に対しての耐性はほぼゼロに等しいだろう。

 なのに、少年にはデーモンの男の毒魔法で倒れなかった。つまり少年が耐性を持っている毒の種類が、毒の魔力だったということになる。


 アインズの話によれば、ここは他の地域よりも魔力が多く放出されている魔の森マナ・フォレストだ。考えてみれば、瘴気の正体が毒性の魔力だったとしても不思議ではない。

 ということは、毒キノコによる瘴気が毒性があるというのは正しい認識ではなく、実は毒の魔力が放出されているせいで毒キノコが多いということになる。


「そういう事だったのか……」

「んん? 何に納得したのかは知らんが、話を進めるぞ? 西の一帯は毒の魔力のおかげで、生命力の高い植物がほとんどでの。その影響で質のいい薬草が取れることもあるんじゃ」

「じゃあ……この飲み物って……」

「察しがいいの。それは回復薬ポーションじゃよ。ただし、お主らの持ってる物と比べるとその効果は絶大じゃ。言うなれば、上等回復薬ハイポーションってところじゃな」

「そうなのか……すごいな、君は」

「ぶい…」


 少年は片手でVサインを作り自慢げだ。実は回復薬ポーションを作るということ自体、誇ってもいいことだったりする。

 回復薬ポーションを作るのには、それ相応の技術が必要になる。私も制作するのに必要な知識はあるが、道具や材料が揃ったとして作れるかどうかは分からない。こういう物はその道の専門家が作るから、基本的に私たちのような戦士や兵隊は回復薬ポーション魔力薬マジックポーションを作れない。


 だというのに、回復薬ポーションどころではなく上等回復薬ハイポーションとは……さすが少年といったところなのだろうか。


「効果は我が保証しよう。ほれ、グイッと飲むがよい」

「はい。……いただきます」


 私は一気に容器を傾けて薄紫色の上等回復薬ハイポーションを飲み干そうとする。………が、残念ながらその行為は半分ほど飲んだところで止まってしまった。


(まず———ッ!?)


 上等回復薬ハイポーションの味は、私たちが持ってきていた———トロアが使い切ってしまったが———回復薬ポーションと比べると、かなり苦かった。エグ味もキツいようだ、喉に流し込んだ時の感触が付きまとっている感じがする。

 甘い香りとは裏腹に、とても回復薬ポーションとは思えない味に大きく咽せ、我慢をしようと思っても眉間みけんにしわを寄せてしまう。それを見たアインズが、見たいものが見れたと言いたげに大笑いする。


「はっはっは! お味の方はどうかな? かなり喉にクるじゃろう」

「ゴホッ…! は、はい……かなり」

「毒の魔力が充満する地域で育った植物から作った飲み物じゃ。有毒成分は抜けても、苦味は抜けないのう」

「それでも、頑張って、マシにし、た…」

「そう、なのか」

「でも……ダメなのは、やっぱり、ダメ…」

「ああ、うん……」


 この酷く甘い香りは、きっとその努力の証だろう。甘くすることで、苦さを和らげようとしたのか。

 むしろそれが裏目に出てなくもない気はするが。


「何を言っておるのじゃシュウよ! なんとか飲めるくらいにしただけでも立派な事じゃぞ。ほおれ、撫でてやる!」

「ん…」


 やはりこのアルラウネ、母親じみていないだろうか。確かに、少年には母性本能をくすぐられない事もないが……しかしアインズは長年独りだったらしいから、当然の成り行きではあるのかもしれない。

 さて。この上等回復薬ハイポーション、一度あの味を知ってしまったが最後。次の一口にそれなりの勇気が必要だ。

 しかし、少年がせっかく私のことを思って作ってくれたもの。無駄にするわけには……


(………ええい、ままよ!)


 目をギュッと閉じて一気に飲み干す。喉に液体が流れ込む度に纏わりつくような不快感が口の中全体のみならず喉や胃を襲う。

 しかし、私は『リーフ』の隊長。この程度のことに屈するわけにはいかない!

 結局、最後の一口が終わった頃には逆に体力が減っているような錯覚を覚えていた。


「はあ……はあ………」

「おお、全部飲みよった。よく飲み干せたのう」

「すごー、い…」

「え…?」

「いや、あまりにも飲みづらいからの。お主の気力が持つように、シュウが余分に入れておったのじゃが……やるのう、お主」

「……………ええ……」


 できれば早めに言って欲しかったな……。

 私の知らないところで少年の配慮があったなんて。


「あ……言って、なかった…」

「いや……大丈夫だ、うん」

「まあ、そう落ち込むでない。ほれ、お主も身構えておれ。そろそろ始まるぞ」

「始まる? ———うっ!?」


 なんだ、この感覚は。まるで体の内側で炎が燃え盛っているようだ!

 体の内側がけている。私は足に力を込めて踏ん張るが床に倒れてしまい体をよじってしまう。


「うがぁ……!?」

「がんばっ、て…!」

「もう少しじゃ、気をしっかり持てい!」

「うう、ううう………!」


 体の内にある炎が、徐々に小さく弱くなっていく。うるさく暴れまわっていた心臓の鼓動も、落ち着いてきたようだ。

 しかし、身をよじりすぎて傷が開いてしまったかもしれない。せっかく薬草で癒していた傷の痛みが………

 痛み、が……?


「あ、れ………痛く、なくなっている……?」

「よく頑張ったのう。ほれ、薬草を解いてみい」


 言われるがままに、巻いたばっかりの薬草を慎重に解いていく。すると驚いたことに、インビジブルから受けた全ての傷が綺麗さっぱり消え去っていた。

 回復薬ポーションでもここまで綺麗に傷跡が消えることはないのに。上等回復薬ハイポーション、なんという回復力だ。


(それに……妙に体が、軽い……?)


 いや、体が軽すぎる。今なら最高の動きを見せられる気がする。

 そうか。ひょっとすると、この上等回復薬ハイポーションの本当の効果はここにあるのかもしれない。


「どうじゃ? 今までないほど最高潮じゃろ?」

「ええ……これが、上等回復薬ハイポーションなのですか?」

「うん…体の、細胞が…パワー、アップする…」

「ただし、効果は一時的じゃ。10分もすれば細胞も落ち着きを取り戻すからの。それに、上等回復薬ハイポーションは状態異常も完治させてくれる優れものじゃ。使い時は、今みたいな安全な状況しかないだろうがの」


 使用時に大変なリスクのある上等回復薬ハイポーション………正直、欲しいと思ったのは事実だ。だが、それはまたの機会だろう。

 少年特製の果汁ジュースで口直しをしつつ、これからのことをアインズに相談することにした。


「アインズさんは、これからどうしますか? また今回のようなことがあった場合………」

「ああ、間違いなくやられるじゃろうな。勝てる気がせんわい」

「なら、私がここにとどまりましょうか? そのほうが———」

「いや、我の護衛はシュウがおるよ。お主は一旦フォルテルに戻り、リノアにこの事を報告せよ。特に今回の襲撃は、謎だらけじゃからの」

「……わかりました。ちなみに、インビジブルについて何か知っていますか?」


 機械人形アンドロイドという存在があること自体が今まで知られていなかったのだ。何か知っていることがあるとすれば、魔の森マナ・フォレストのことをよく見ているアインズだろう。


「……分からん。ただ、一つだけわかることがあるの」

「教えていただけませんか?」

「今の襲撃、『スコーク』の仕業ではなさそうじゃ。それぐらいだの」

「…!」


 『スコーク』ではない、何かが襲ってきた……? つまり、私たち『リーフ』を狙うものが他にもいるという事だろうか。いや、今回は目的が私たちだったことすら定かではない。

 結局、何も分からないことが分かっただけだった。なら、ここで悩んでいても仕方がないだろう。


「我はこれから、破損した根を修復せにゃならん。このままじゃと、我の視界に死角ができてしまうからの。そのことも合わせて報告しておけ。頼んだぞ?」

「分かりました。では……」

「ん…?」


 これは、今朝のような偽の別れではない。が、今生の別れではないはずだ。

 果汁ジュースを両手で飲んでいる少年の側まで行き、目線の高さを合わせる。


、少年。アインズさんの事をしっかり守るんだぞ?」

「ん…! まか、せろー…」

「ふふ…頼もしいな、君は」

「んん…」


 私も、アインズにならって少年の頭を撫で回す。心地いい手触りだ、ずっと撫でてやりたくなってしまう。

 もう陽も落ちてきたか。そろそろフォルテルに戻らなくてはな。


「では、ありがとうございました。色々と」

「うむ。また会おうぞ、エリーザ=セルシアよ」

「また、ねー…」


 そうして、私は部屋を出て結界の外に出る。

 この二日間、本当に色々なことがあった。少年と出会ってから、実に忙しい時間を過ごした。それと同時に、まあ、楽しくもあったと口角を上げながら、ほんのりと思い出していた。


 考え事をしながら歩くと、想像より早く目的地についてしまうものだ。私はいつの間にか、結界の一番端に着いていた。

 退屈そうにしているトロアと、真面目に周囲を警戒しつつ律儀に立って待ってくれているキュリアが見える。結界を挟んでいるから、私のことは見えていないらしいが。


「……それじゃあ、な」


 振り向いて、大樹を見上げながらポツリと呟く。まるで返事をしてくれたかのように大樹の枝が揺れる。

 そして私は、結界の外に出た。振り返っても大樹が見えることはない。


「あ! やっと帰ってきたッスね!」

「ああ、待たせたな」

「お疲れ様です。どうでしたか? 隊長」

「そうだな……色々あった。フォルテルに戻りながら話そう」

「待ちくたびれたッスよ〜! 何してたんスか〜!」

「だから、これからそれを話すと言っているだろう。少しも待てないのか」

「待ってないッス! ささ、早く教えて——メギャ!?」

「ふう……毎回叩く私の身にもなれ、ガネッシュ」

「パーに戻してくださいッス………痛いッス……」


 いつもの見慣れたやりとり。これを聞いていると、帰ってこれたのだという実感が湧いてくるようだ。

 立場もわきまえずはしゃぐトロアに、それを実力行使で止めるキュリア。

 一時は死すらも覚悟したが……本当に、帰ってこれたな。


「さ……戻るか、フォルテルに」

「あれ? シュウ君はどうしたんスか?」

「ああ、少年とは少しの間お別れだ。結界の中に残っている」

「そうですか……」

「ん? どうした、キュリア」

「いえ、なんでもありません」

「あれあれ〜〜!? もしかしてキュリアさん、寂しいんスか!? ねえねえねえ、その辺どうなんス———グベボァ!?」

「……キュリア。今、なんの魔力を込めたんだ?」

「雷です」

「…………」


 ……まあ、うん。

 帰ってこれたなあ、本当に。



   ▼



 無事に、エリーザは結界を抜けられたようじゃの。

 彼女の仲間も……随分と、面白そうな奴らじゃ。今度来た時は、全員招待してやろうかのう…?


「行ってしまったのう」

「うん…」

「なんじゃ、寂しいのか?」

「……うん…」


 シュウは、見るからにしょんぼりしている。

 蟲たちも、シュウを励まそうとしているようだの。


「そうか、そうか」

「嬉しそう、だね…?」

「当然じゃよ。ほれ、我の胸に飛び込むが良い! 慰めてやるぞ!」

「ん…」

「よーしよしよし。大丈夫じゃよ、またすぐに会えるからの」


 シュウに友達が増えるのは、実に喜ばしいことじゃからのう。

 まあ、少し嫉妬してしまうが……嬉しさの方が断然上回っておる。


 とと、そうじゃそうじゃ。大切なことを言わにゃならんのじゃった。うっかり忘れるところだったの。


「のう、シュウよ。少し頼まれてくれぬか?」

「ん…?」

「———を作って欲しいのじゃ。できるかの?」


 シュウは可愛らしく頭をひねって考える。

 我も、無茶なことを頼んでいる自覚はあるが………こういう仕草を見るの、やっぱり好きじゃのう。


「頑張る…」

「そうか! ありがとうなあ、ほれもっと撫でてやろう!」

「んん…」


 シュウの髪は本当に撫でていて気持ちがいいのう。まるで撫でられるために生まれたかのようじゃ。ああ、極楽。


「これから、大変なことになりそうじゃの」

「ん…?」

「いいや、なんでもない。ほれ、よしよし〜!」


 これから魔の森マナ・フォレストがどうなっていくのかは、全くもって見当もつかん。きっと我が生きてきた中で一番忙しい、大事件だって起こるかもしれぬ。

 じゃが……きっと、大丈夫じゃろう。我にはシュウが、シュウには我らがおる。心配することなど、何もないはずじゃ。


 だから、その時が来るまでは……あくびが出るほどに平穏すぎて、笑ってしまうほどに幸せすぎる日々を。

 いつも通りの、静かな暮らしを。





『フォレスト・サイド』

第1部「出会いと別れの二日間」………了

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