第2部

第22話 黒色の雲行き

 時はまだ、空が綺麗な闇に染まっている早朝。

 私、エリーザ=セルシアは『リーフ』の隊長としての務めである早朝稽古に繰り出していた。今朝の天気は、どうもあまりよろしくないようだ。パラパラと、気にはならない程度ではあるが雨が降っている。

 しかし私はこの早朝稽古を、たとえ嵐が来ていようとも欠かしたことはない。いつものように庭園についたところで鎧などを身につけ始める。


(………雨、か)


 3日前の夕方のことだ。私たちはヒューマンの少年シュウと大樹のアルラウネのアインズに一時の別れを告げた。

 あの時も、フォルテルに帰還した直後には雨が降り出していた。トロアは「大丈夫ッスかね〜、シュウ君たち」と心配そうにしていたし、キュリアは特に何も言わないし聞かれもしなかったが窓の外の雨をチラチラと見ていたから気には掛けていたと思う。


 たった2日間のことだった。

 あの短い時間で、少年は私たちにとって特別な存在になりつつあった。もちろん、少年がヒューマンという極めて珍しい種族であったことも原因の一つではあるだろう。だが……こう、うまく言葉にはできないが、が少年と私たちの間にはあったような感じがする。


 それに、あの2日間は戦闘が多すぎた。さすがの私たちでさえ、疲弊が残ってしまうほどに激動の2日間だったと言えるだろう。

 デーモンの男の襲撃から始まり、エトラス、エリジェント、インビジブルと連戦が続いていたのだ。問題も山積みだ、ゆっくりとはしていられないだろう。

 最近では、全く音沙汰おとさたも何もないが……逆にそれが、私たちの不安を駆り立てられている。


(………………)


 もっと言ってしまうのなら。突拍子もない……いや、もはや現実的になりつつある考えを挙げるとするならば。

 少年が——シュウ=エクリアを中心に、全てが動いているような気がしてならないのだ。


機械人形アンドロイド………未知の技術………誘拐………)


 これまで襲撃してきた者たちの——デーモンの男は少し例外ではあるが——動機どうきや戦闘方法を全て合算して、私は考えていた。

 『スコーク』は、少年の誘拐も目的の一つだった。私たち『リーフ』の始末は、途中からないがしろにされてはいなかったか?

 インビジブルは未知の技術で作られた機械人形アンドロイドだった。なぜ私たちはその存在をあの時まで知らなかった?


(……ダメだ。まだ、それを考える時ではない)


 早合点はやがてんは危険を招く。十分な根拠もない状態だ、結論を急いでも仕方がないだろう。

 それに、たとえ少年が全ての中心にいたとしても。少年が敵であるなんてことは、ありえないだろうから。今はまだ、いい。


(よし……始めるか)


 鎧を完璧に身につけ、雨水で濡れた砂利を踏みしめながら庭園の中央に。雨が砂利を叩く音に、砂利を踏みしめている音が………


(………ここで、か)


 どうやら、激動の日々はまた始まってしまうようだ。私は魔力を少しばかり放出し索敵ながら、敵に気づかないふりをして真っ直ぐに歩く。目線も、真っ直ぐのままだ。

 しかし、わざわざフォルテルの内部に侵入してまで私たちを襲撃する理由ワケは? 分からないが、これからのことに集中すべきだろう。剣のつかを掴み、構えの姿勢をゆっくりととる。


「………気づいているのだろう」

「——っ」

「振り向かずに聞いていただきたい、エリーザ=セルシア殿」


 後ろから、異常な気配。殺気とも威圧とも違う、まるで圧迫されてしまいそうな気配が、不愉快な風のように背中を襲う。声から察するに……男だ。しかも、かなり年老いている。

 私は振り向かないままで男に話しかける。


「誰だ、お前は」

「このような面会になってしまい申し訳ない。貴女が1人になるタイミングが、ここしかない故にこのような形になってしまった。重ねてお詫び申し上げよう」

「誰だと聞いているんだ、名乗ってはくれないのか?」

「……明確な名は無い。みなからは『ファーザー』と、そう呼ばれているよ」


 ファーザー…? 何の『父』だというつもりなんだ?

 後ろにいる男性は、いったい何者——


「私は、『スコーク』のリーダーのような者だ。お見知り置きを」

「何——ッ!?」


 驚きのあまり、私は振り向いてしまう。しかし、そこに人のような影は一切なかった。いや、無くなったというべきだろうか。そこには確かにさっきまで人がいたと、靴の跡を残している砂利の形が告げている。


「どうか、振り向くのは止して頂きたい、エリーザ=セルシア殿。この移動も、なかなか疲れるのだ」


 後ろから、声。

 私は咄嗟とっさに振り向いたから、移動する暇なんてなかったはず。ということは……


瞬間移動シフトか……」

「ご明察だ、さすが『リーフ』の隊長だな」

「………何しにきた」

「少し、話をと思ってね。戦闘の意思は無い…というより私は戦えない。もう、無理には体を動かせなくてね。歳というものは取りたくないものだ」


 どうだか。第一、曲者くせものだらけの『スコーク』のリーダーというだけで胡散臭いにもほどがある。それに、この男は二人一組ツーマンセルで動いていない。

 これは、警戒を強めたほうがいいだろう。依然として放出している、魔力の量を上げる。しかし、その私の動きを背後の男は察知したようだ。


「まあ…警戒するのは当然か。そのままでいいから、どうか私の質問に答えて頂きたい」

「質問……?」

「近頃…具体的には、3日前。奇妙な敵と戦わなかっただろうか? といっても、ヴィール君のことではないぞ」

「奇妙……? インビジブルのことか?」


 三日前の戦闘は、2つだった。ヴァンプのエリジェント=ヴィールと、機械人形アンドロイドのインビジブル。

 奇妙な敵と言うのなら、インビジブルに他ならない。


「…実は私たち『スコーク』も、三日前に極めて奇妙な敵に襲われた」

「………」

「ミルタ君——ああ、君は知らなくて当然だ。彼がに襲われたとボロボロになりながら教えてくれたよ」

「野生の……?」


 ゴーレム。

 それは、様々な無機物を肉体として動く巨大な操り人形のようなものだ。作成するには『固定石ロック』と呼ばれている魔道具アーティファクトで、肉体となる土なり木材なりを固定しなくてはならない。

 つまり、ゴーレムが勝手に生まれるわけがないということだ。もちろん、以前に作成されたものが迷子になり野生化した可能性も否めはしない。だが……あのタイミングで? 偶然、とは思えないのは私だけだろうか。


「恐らく…同一犯だろう。そうは思わないか? エリーザ=セルシア殿はどう思うだろうか」

「………待て。だとしても、なぜそれを私に言う。別に言う必要もないだろう」

「…そうだな、きちんと初めから説明しよう」


 背後の男が座り込む音が聞こえる。私の魔力探知の範囲内に入ってこないのは、やはりわざとなのだろうか。


「私たち『スコーク』は様々な依頼をこなし、その報酬で何とかやっていけている組織だ。そして、一週間前ほどに貴女達『リーフ』の討伐の依頼があったのだ」

「……だろうな」

「だが、勘違いはしないで貰いたい。これにも、仕方のない事情があるのだ。そもそも私たち『スコーク』は。…今となってはしていた、の方が正しいがね」

「……そうか」

「なるほど、感付いてはいたようだな」


 自惚うぬぼれているわけではないが、『リーフ』は今やエルフきっての戦力として全世界に名をせている部隊だ。その『リーフ』を討伐するとなっては、それだけで大ごとだ。

 今まで目立つ仕事を一切やってこなかった『スコーク』が受ける仕事にしては、規模があまりにも大きすぎる。つまり……


「金が無くなった……そういう事だろう?」

「……さすがだ。そこまで見破られてしまっていたか」

「それで、それがどうしたというんだ」

「私たち『スコーク』は、この仕事から完全に手を引く。これをまずは伝えたかった」


 驚きだった。

 いや、考えてみれば当たり前なのかもしれない。別の仕事ができそうとなったら殺害依頼なんてやりたくない仕事から、さっさと手を引くのが普通だろう。

 しかし……何か引っかかる。小さな違和感。疑問。


「……それは、本当なのか?」

「嘘を吐いても仕方あるまい。それに、私たちは殺害に積極的ではないのだ。…ああ、一部を除いてだったか」

「私がそれを信じるに値する根拠は?」

「ふむ…無いな。だが、じきに分かるはずだ」

「……顔も見せない、不審な男の戯言を信じろというのか?」


 遠回しに、顔を見せろと言ってみる。顔さえわかれば……せめて種族がわかれば、何かのきっかけをつかめると踏んだからだ。

 しかし、そんなことを許してくれる相手ではないのはさすがに予想できる。


「申し訳ない、あまり見せたくない有様でね。それだけは許して頂きたい」

「………せめて依頼者の素性は教えてもらおうか。それくらいはいいだろう」

「残念だが、匿名の依頼だったものでね。さっぱり見当もつかない」


 匿名の依頼…?

 わざわざ匿名にした上で、あまり有名ではない『スコーク』に依頼を出したというのか? ……ますますキナ臭くなってきた。まるで、バラされることがわかっていたかのような振る舞いだ。いや、もしかすると……


「それと、もう一つ。貴女に伝えたいことがある」

「……?」

「私たち『スコーク』は…

「動く、だと?」

「ああ。そして、警告しよう。私たちの邪魔はしないでいただきたい。そして、備えるがいい。そう遠い未来の話ではないだろう」

「何……? 一体どういう意味だ」

「…すまない、時間だ。さらばだ、エリーザ=セルシア殿」

「待てっ。話はまだ———」


 私は振り向いて男を制止しようとするが、もう人影も気配もなくなってしまっていた。瞬間移動シフトの男は、一体何に備えろと言いたかったのか。

 何か……私の、私たちの知らない何かを知っているのだろうか。


(……いや、知っているはずだ)


 知っていなければ、あのようなことは言わない。

 『スコーク』のリーダー……通称、ファーザー。彼を、見つけ出す必要がありそうだ。また、の力を借りることにしよう。きっと、力になってくれるはずだ。


(……早朝稽古、始めるか)


 時刻は、午前4時半。遅いスタートとなってしまったが、欠かすことはできない。私は剣を抜き、いつものように稽古に没頭していった。

 いつものように、剣と一体になった。



   ▼



「よし、朝稽古終了! 各自、朝食をしっかりと取るように!」

「「「「「はいっ! ありがとうございました!」」」」」


 午前7時半。

 私たち『リーフ』が指揮をとる朝稽古が完了し、兵士たちが城の中へと戻っていく。空模様は、相変わらず黒いままだ。分厚い雲が、太陽の光を遮り影を落とし続けている。雨こそ止んだものの、いつまた降り出すか分かったものではないだろう。


 私は、早朝の男の話を頭の中で反芻はんすうし続けていた。

 あの男の言いたかったことの真意は何だ。一体なぜ、わざわざフォルテルに侵入してまで私だけに伝えた?


「隊長、大丈夫ですか?」

「ん……? ああ、キュリアか。いや、なんでもない。少し考え事をしていただけだ。それより、トロアはどうした?」

「ガネッシュなら、もう中に入ってしまいました。食い意地はってるんでしょう」

「全く……他の兵の見本になれと、いつもあれほど言っているというのに……」

「またお灸を据えておきます。手が痛くなるので、次からは足でいいでしょう」

「………ああ、うん」


 いつか、トロアはキュリアに殺されてしまうのかもしれない。

 この調子だと、1年後には『お灸をすえる』とやらで血を見ることになっているだろう。そしてそのまた1年後にはお灸をすえるための体は亡くなってしまっているはずだ。

 ………足に魔法を込め始めたあたりで、一応静止の声は入れておこう。覚えていたら。


「それじゃあ……戻るか、私たちも」

「そうですね。参りましょう」


 そして、私たちは城の中へと戻っていく。視界の端っこでは、係りの者たちが朝稽古で使った道具の片付けや土地の整備をせっせと行なっている。雨が降り出してしまう前に、終わらせられるだろうか。


「そうだ……キュリア、お前だけには伝えておこう。大事なことだ」

「はい、何でしょうか」

「『スコーク』は、もう私たちを狙わないらしい。恐らく……だがな」

「それは……一体、どういうことですか?」


 私は、早朝の出来事を事細かにキュリアに伝える。

 『スコーク』のリーダー、通称ファーザーのこと。瞬間移動シフトのこと。『スコーク』のこと。警告のこと。

 初めは、キュリアも驚きを隠せないようでいたが……さすがキュリアだ、状況をしっかりと理解してくれている。


「なるほど。不可解な部分も多いですが、信憑性はあるでしょうか」

「ああ。私も、あれが虚言とはどうも思えない。そこで私は今日アインズのところに行き、『スコーク』のアジトに乗り込むつもりでいる」

「アジトに……」


 あの襲撃頻度だ。『スコーク』のアジトが迷いの森——もとい、魔の森マナ・フォレストのどこかにあったとしても何も不思議ではない。今朝は、向こうが勝手に侵入してきたのだ。今度は、私の方からそっちに行ってやろう。


「……エクリアは、どうしますか?」

「少年か? どうするとは、どういうことだ?」

「あ、いや! 同行させるか、どうかということです。彼の実力も、イマイチ分かっていませんし…」

「ああ、なるほどな……」


 確かに、キュリアの言うことは一理あるだろう。


———いや、我の護衛はシュウがおるよ。


 アインズは、確かに三日前にそう言っていた。まるで、少年にはアインズを護ることができるほどの実力があると確信しているかのようだ。というより、あるからこそそう言ったのだろう。

 しかし、私はまだ少年にそこまでの力があるところを全く見ていない。少年には、まだ私の知らない何かがある。力についても……過去についても。


 それに……少年が本当に、あの『蟲王ワームキング』なのかも定かではない。絶対というわけではないが、確認はしておきたいところだろう。


「……そうだな、可能ならば同行させよう。可能なら、な」

「そうですか。わかりました」


 ……ふーむ。


「何だ、キュリア。少年とそこまで仲が良くなったのか? 心なしか嬉しそうだぞ?」

「え…!? あ、いや、その…そんなことは、ない…ですが…」

「そんなに少年との授業が楽しかったのか?」

「う…! 確かに楽しかった…です、けど…」

「何も恥じることはないだろう。少年には、そういう魅力みたいなものがあるからなあ」

「ううう………あんまり、いじめないでください…」

「ははは、悪い悪い。何も意地悪をしたかったわけじゃないんだ。許してくれ」


 まあ、あの特別授業の光景を見た時から、まるで姉弟のようだとは思ってはいたが。あながち、キュリアからしても間違いではないのかもしれない。いや、姉弟していというよりは師弟していだろうか。

 あのうたぐり深いキュリアが、たった一晩だけのコミュニケーションでここまで信頼関係ができるとは……前にも思ったことがあるような気もするが、さすがは少年といったところだろうか。


「それじゃ、入ろう。トロアにも一言言わなきゃだしな」

「そ、そうですね。行きましょう、隊長」

「ああ……。……降り出したか」


 雨が、ポツポツと降り始める。

 どうやら、係りの者たちの後片付けはギリギリ間に合ったようだ。慌てて城内に駆け込んでいるところが見える。


 ……この雨の中、少年とアインズは何をして過ごすのだろうか。

 アインズは大樹のアルラウネだ。案外この雨を心待ちにしていて、体いっぱいにこの雨を受け止めているのかもしれない。そして、あの少年のことだから一緒になってズブ濡れになってしまっているのかもしれない。


(……いや、それはないか)


 あの過保護気味なアインズ母親のことだ、雨の中に少年が飛び出ることを許すとはあまり思えないな。

 その光景を想像して、クスリと笑ってしまう。


 空は、相も変わらずの黒色だ。雲の流れも、いつもより早いように見える。

 私は少年にまた会えるという少しの嬉しさと同時に、訳も分からないような一抹の不安が頭のうちをよぎっていた。


———そして備えるがいい。そう遠い未来の話ではないだろう。


 ファーザーが言っていた、この言葉。

 これがどうしても私の頭の裏にこびり付いて離れないまま、私はこれからのことを考えながらキュリアとともに食堂へと向かった。

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