第23話 動き始める者たち

「…」


 今日は、風が騒がしい……ような、気がする。

 僕はいつもの道を通って歩いていく。ただ、いつも目的地はバラバラだ。途中からは友達のあとを着いて行くしかない。


『キュー』

「ん…? ああ…そう、だね…」


 ぽつぽつと雨粒をこぼし続けている黒い雲は、太陽をすっぽり覆い隠してしまい時刻を分からなくさせている。ただ朝からずっと歩き通しだったから、僕もこの子たちもお腹が空いてしまった。

 腹時計を信じるなら……正午くらい、なのかな…?


「うん…行っといで…」

『『『キュー!』』』


 蟲たちが一斉に上空へと飛び立って行く。そして、空中で草食と肉食で分かれ何処かへと行ってしまった。


 あの子たちは元々この魔の森マナ・フォレストで暮らしていた。だから普通の蟲たちよりかは活発に動き回ることができている。

 もちろん、普通の蟲たちもこの森にはいるけど……その子たちは僕に付いてきてはいない。体力の消耗が激しい時もあるからね。

 さて……僕もどこかで食べ物を調達しなきゃ。近くに木の実とかが実ってればいいんだけど———


「やあ、シュウ=エクリア君」

「…?」


 後ろから声をかけられ、僕は振り向く。

 そこには茶色いフードを深く被った人が立っていた。口元がギリギリ見えているくらいにフードを深くかぶりすぎている、なんというか……分かりやすく『不審者』だ。天気もこの通りだから僕でも視界は良くないのに……前見えてるのかな、あれ。

 まず僕の口から出てきたのは、当然の一言だった。


「……えっ、と…だれ…?」

「名前は…ファーザーと言う。そう名乗っているよ」

「ファー、ザー…?」


 ええっと、確か……ああ、そうそう、『父親』って意味だっけ。それが名前なんて、なんて変な人なんだろう。

 フードの人は、まるでお爺ちゃんのような声だった。そして、どこか優しげな……声がお爺ちゃんだからかな…? そこはかとなく嫌な予感がするのは、きっと気のせいじゃないんだろう。きっと………多分。


 どうやらファーザーさん? は僕のことを知っているみたいだから、何か用事があるんだろうけど。

 それは、僕が聞くまでもなくファーザーさんが話してくれた。


「私は…その、なんだ。『スコーク』のリーダーのようなものだよ」

「え…?」


 とっさに身構えてしまう。

 だって、あんなに僕やエリーザさんたちを付け狙っていた人たちのリーダーだと言われたんだ。そりゃあこうなるに決まっている。

 でも、今の僕に……あの子たちはいない。


(僕が一人になるタイミングを……狙った…?)


 一度そう思ったら、もうそうとしか考えられない。だって、あまりにもタイミングが良すぎるから。

 ってことは……ずっと、尾行されていた? それとも監視? でも、なんであの子たちはそれに気づかなかったんだろう?


 そんな僕の濁流のような思考を無視するように、ファーザーさんは僕に喋り続けている。


「安心してほしい。私たち『スコーク』は、君に一切の危害を加えないと約束しよう」

「信じろ、って言う、の…?」

「すぐに分かるさ。ともかく、君とは色々話したいことがある」


 ファーザーさんの足が一歩前に出る。

 戦わないといけない? でも、僕の……『この力』はなるべく使いたくはない。でも、あの子たちを呼び戻して戦わせるなんて、そんな危ない目にはなるべく会わせたくない。

 ラッキーなのか、アンラッキーなのか……わかんなくなりそう。


「…だが、ここで話すには危険すぎる。着いて来てもらうよ」

「えっ、と…ヤダ…」

「そうだよな。悪いが…拒否権はないと思っていただこう」


 やっぱり、戦わなきゃ…?


(しょうがない…!)


 背に腹は変えられない。僕は今一度、目を固くつむって覚悟を決める。

 そして目を開くと……ファーザーさんは、


「え…?」

「悪いな」


 後ろから声。

 僕の意識は、その意味を理解する前に……ピンと張った糸を切られたように途切れてしまっていた。


「絶対に…守りきってみせるさ。シュウ=エクリア君」



   ▼



 時は、正午。

 私は懐から懐中時計を取り出し、時刻を確認しながら竹傘をさして森の中を進んでいた。

 

 リノア様に、気になる事があるから彼女アインズに会わせてくれないか、と秘密事項は言わないよう上手くはぐらかして懇願こんがんしてみたところ、気前良く許可してくれた。

 表情から察するに……私たち、というより『私』がこの森のことを知っていく様がずいぶん面白いようだ。なんとも、リノア様らしいご判断だと思う。


「いやー、三日ぶりッスね! シュウ君は元気ッスかねぇ〜?」

「……ガネッシュ、なぜ私の方を見てそれを聞く」

「なんもないッスよ〜っと」


 今のトロアを例えるとするなら、まさに水を得た魚だ。

 『特殊』だとか『珍しい』だとかの単語は、子供トロアからすれば眩しく輝いて見えるもの。そして、そういうものに興味をそそられ、悪く言うと『ネタ

』にしてしまう。


 キュリアはもともと、とてもうたぐり深い性格だ。初めて会った時なんて、まるで誰も信じていないと言うようなちで、心の壁とは目に見える物なのかと錯覚してしまうほどだった。

 今となっては、それも幾分いくぶんかは柔和にゅうわになり。しかしそれでいて、疑り深いのは相変わらずだった。それゆえの注意力には、いつも助けられてはいるが。


 。少年のことを———本人は若干否定してはいるが———気にかけている。

 これはトロアにとって、『特殊』であり『珍しい』だ。そしてそれは今や……


「ねえキュリアさん! ぶっちゃけどうなんスか?」

「どうって……なんのことだ?」

「シュウ君のことッスよ〜! 白々しいッスねえもう〜」


 悲しいことに、『ご馳走』に変わり果てつつある。

 トロアが『リーフ』に入れた理由——数少ない精霊使いである事は分かったが、それ以外は何も変わっちゃいなかった。いつもの馬鹿者だ。

 昨日あたりから、トロアはずっとこの事をネタにキュリアを攻撃し続けている。否定しても肯定しても沈黙しても止まらないトロアに、キュリアは心底うんざりしているようだった。


 そして、こんな下らない攻防が行く末はいつも決まって……


「ええい! 五月蝿うるさいしつこいやかましいッ!」

「あ痛———————ッ!?」


 これである。

 前よりも、よくこの光景を目にする機会が増えている。きっと、私の知らない場面でも叩かれているのだろう。……その度に、トロアの頭が頑丈になっていたりするのだろうか。変形しながら。


「あれ……今日はあんまり痛くないッスね……?」

「当たり前だ。ここで気絶されても運ぶのが面倒なだけだ」

辛辣しんらつッス!」

「いや、ここで気前よく殺しても、魔獣のせいにできるか…?」

「わー、わーっ! さすがにグーパンで殺されるのはご勘弁ッス! 謝るッスから!」


 ……やっぱり、頑丈になっているな。もしいつかその時が来たのならば、トロアの頭を拝借するとしよう。物理的に。


「二人とも、そこまでにしておけ。もうそろそろで着くはずだ」

「え、そうなんスか? ……全然分からないッスけど」


 朝からずっと降り続けている小雨によって、森の景色はまるで異世界のように一変している。

 木々の緑はより一層深くなり、土は泥と変わり、木漏こもが心地いい風景はまるで影に包まれたようだ。

 それはまさしく、魔の森マナ・フォレストの『第2の顔』と言える。

 森の表情が様変わりする中で、感知できない結界を探すのは至難の技だ。最悪の場合は遭難の危険性もある。


 通常、このような天候の時は探索をしないのが常識ではあるが……今回は、先送りにしている余裕がなさそうだったからな。

 その理由は、早朝稽古の場に突然現れた、ファーザーを名乗る『スコーク』のリーダーの言葉だ。


———私たち『スコーク』は…少し、動く。


 何をしでかすのかは見当もつかないが……何か、マズい気がする。これは、完璧に私のカンだ。

 ただ、なぜあの事を私に伝えに来たのか。それがどうしても、私の心に引っかかって抜け落ちなかった。


 じっとしていたら……手遅れになる。

 なぜかは分からないが、そう強く感じた。


 もちろんこれは、外れて欲しいカンだ。少年やアインズ、そしてフォルテルに何事もないのであれば、それでいい。

 また、それとは別に知っておきたいことは山積みだ。今回アインズを訪ねるのとはまた違う件ではあるが。


 さて……だいたい、ここら辺だとは思うが———

 そう思っていたその時、何かが私の腕にぶつかって地面に落ちる。


「ん……?」

「あ! それ、通信木の実じゃないッスか?」

「ということは、この辺ですね」


 どうやら、しっかりと正しい道のりを辿れていたようだ。私は真っ赤な木の実を拾い上げ、泥を拭って耳の中に入れる。

 すると、木の実から実に3日ぶりの声がした。


『待っておったぞ! 来てくれなければ、我の方から連絡するところじゃった』

「待っていた…? 何か、あったんですか?」

『その話は後じゃ! ともかく、我の所へ来てくれ』


 押し切られる形で、話はどんどん進行していく……というより、私たちのナビゲートをしてくれるアインズ。その声からは、焦りのような感情が混ざっているようにも聞こえた。


 それを聞こうにも、「まずはここに来てから」とまだ教えてくれそうにはない。それが、私の不安をより一層駆り立てている。

 まさか、何かそっちであったのか?


 トロアやキュリアには聞こえてないから分からないだろうが……3日前に本人と面向かって話した私だ。アインズの声色の明らかな違いが、的確に私を不安にさせていく。


 大事おおごとではない事を切に願いながら、導かれるように私たちは進み続けた。



   ▼



 結界の中には、3人全員がすんなりと入ることができた。

 トロアは興奮し、キュリアは目を丸くして辺りを見回す。私はここに来るのは2回目だが……やはり、圧倒される。

 先ほどとは違う意味で、異世界に飛ばされてしまった感覚だ。見た事もない花や木々、そして特に目を引くのは結界の中央に鎮座ちんざする、あの飛び抜けて大きい一本の木———アインズの本体だ。


 アインズは、アルラウネという植物の魔物だ。

 森に生息する魔物としては実に一般的な魔物であるアルラウネが、アインズの正体である。

 通常のアルラウネは、大型なものでも全長は3m程度でさほど驚異的な存在ではない。とはいえアルラウネは、蔦や花粉といった植物にまつわる攻撃が得意で、舐めてかかって倒せる相手ではない。


 そして今見えているアインズの大樹は……どう考えても、15mはあるだろう。



「話には聞いていましたが……なかなか、凄まじいですね……」

「……ぱねえッス」

「そうだな……私も改めて、そう思う」


 2人には前もってアインズの事を話してある。もちろん、アインズが話してくれた少年の昔話や機械人形アンドロイド———インビジブルとの戦闘の事も。


 ある程度、大樹に近づいたところで声が響いた。

 通信木の実からではない。真正面からだ。


「エリーザよ! よく来てくれた!」


 木の中から滲み出てくるかのように、アインズが姿を現した。

 深い緑色の葉っぱの髪飾りに、大樹の幹と同じ色の服。そして、黄緑色の髪と目をした女性。口調からは想像もできない若い容姿で———それはリノア様もだったか———その様子からはとても魔物とは思えない。

 トロアも小さい声で「うわっ美人ッスね」と言ってしまうほど整った顔立ちは、きっとエルフと肩を並べられるだろう。


「3日ぶりです、アインズさん。この2人は———」

「キュリアです」

「トロアッス!」

「アインズだ、もう我のことは聞いておるのだろう? 早く中に入るといい、雨も降っておるしの」


 なんとも手短い自己紹介を終え、急かされるように部屋に招待される。

 この前見たときと何も変わっていない。家具は地面の一部であるかのようにくっついていてピクリとも動かない。


「さあ、自由に座ってくれ。今、飲み物を入れるからの」

「ありがとうございます……それで、根の修復はどうですか?」

「お主、我は魔物といえど植物なのだぞ? たった三日で修復できるわけなかろう」


 アインズに呆れたような声で言われてしまった。


 しかしなるほど、言われてみれば確かにそうだ。

 魔物は私たちエルフやヒューマンといった『種族』とは違う。魔物の体は、ほぼ魔力と無機物で構成されている。もちろん魔獣や魔蟲といった存在もあるが、エネルギーのほとんどが魔力である点には変わりはない。

 そしてアルラウネといった無機物が素体の魔物は、ベースがその素体に基づいている。アルラウネが生きるには日光や水や空気が必要、といったように。


 それだけなら魔物は危険な存在にはならないが……どういうわけか、彼らは私たちを襲う。その理由はイマイチ分かっていないが、通説は「強くなるため」らしい。

 アインズは人を襲ったことないから、さっぱりわからないそうだ。


「ほれ、ゆっくり飲むといい」

「あざッス、アインズさん」

「こらガネッシュ、失礼だぞ」

「良い良い、お主らの性格はよく見ておったから知っておる。楽にしてくれて良いのだぞ」

「これまたあざッス!」

「そう、ですか……」


 渡されたのは、3日前に少年が入れてくれたあのジュースと同じものだった。甘酸っぱい果汁の香りが口いっぱいに広がっていく。


「んー! 美味しいッスねこれ! 何の果物なんスか?」

「確か……ミカンとか言ったかの? それじゃ」

「へぇー、聞いたことないッスねえ」


 トロアには人見知りという単語はない。誰であろうとグイグイいくのがトロア流だ。キュリアとは、真反対だな。


 ……かしていた割には、なんとも平和なムードだ。

 それともこれは、アインズなりのおもてなし……気遣いなのだろうか。

 とはいえ、私の不安は時間とともに風船のように膨らんでいく。


「アインズさん。そろそろ、聞きたいのですが……」

「…何をじゃ?」


 そしてその膨らみ方は、この部屋の中に入ってから、急速に早くなっていた。

 ある予感、予想。イヤな考え。外れて欲しいカンが、もううるさいほどに私の中で破裂しそうだった。


「少年はどこですか」


 いないのだ、この部屋に。

 外に出かけている可能性もあるが、今は雨だ。初めて会った時のように散歩ではあるまい。

 そして、アインズはり潰すように、言った。


「………分からないのじゃ」


 真っ先に反応したのは、キュリアだった。

 ジュースの入ったコップを荒々しく机に置き、アインズに詰め寄る。


「どういうことだ、答えろ」

「キュ、キュリアさん! 落ち着いてくれッス!」

「そんなに怒らんでも、ちゃんと答える。まずは、話を聞いて欲しいんじゃが」

「だが———」

「キュリア」


 私が一言呼びかけると、キュリアは少しの硬直の後、大人しく椅子に座ってくれた。私も思わず取り乱しそうにはなったが……キュリアのおかげだろうか、平静を保てている。

 それに……アインズだ。冷静を装ってはいる風ではあるが、私にはわかる。


「………っ」


 間違いなく、感情を抑え込んでいる。

 それもそうだ、少年が行方不明となってしまってはアインズからすれば不安でしょうがないことだろう。


「事の発端は、シュウが出かけると言い結界の外に出た事じゃ」

「いつですか?」

「朝じゃ、それも早朝。蟲たちもくっ付いておるし、問題ないと思って送り出したのが間違いじゃった……」


 苦々しい表情を浮かべるアインズ。

 きっと、かなり後悔しているのだろう。確かに、今まで少年は森の中を1人で行動していたことが多いようだった。さらに蟲たちまで一緒となれば、私でも問題ないと判断するだろう。

 アインズに落ち度はない。それは誰の目からも明白だった。


 しかし、『感情』と『理性』は別物だ。

 自分のせいでなくとも自責することもあれば、仕方がない出来事だったとしても後悔するのが感情というもの。

 アインズは今それに囚われつつある。


「……少年のことを視ていなかったのか? お前は、この森全体を視ることができるのだろう?」

「………死角じゃった」

「死角?」

「3日前、インビジブルに破壊された……その連絡網の死角じゃ。数時間前、シュウがいなくなった事に気づいた蟲たちが教えてくれた。どうやら、昼食の時間帯……シュウが1人きりになるところを狙われたのじゃろう」

「……くそっ」


 アインズの言う連絡網は、本体である大樹の根だ。末端が破壊されたのなら死角は小さいが、この結界内にある根が破壊されたとなると話は別。

 結界の外に続く連絡網の広範囲が一切不明になってしまい、アインズはその部分を感知することができない。


 少年が行方不明。

 私は、犯人がもう分かっているような気がしていた。

 やがてそれはゆっくりと、確信に変わる。


………このことか………)


 当たってしまった嫌な予感に下唇を噛みながら、今朝の男を思い出す。

 どうやら、激動の日々がまた………始まるようだ。

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