第42話 Sycamore
「ワシの上司と遊んどるよ」
やたらと黄色い男性が、私たちに武器の先を向けている。やっとくだらない戦いが終わった直後だというのに、まだこの夜は明けてくれそうにない。
そう思わせるほどに、ヘラヘラとした様子の男はこの場の雰囲気にミスマッチで不気味だった。得体が知れないとも言える。
キュリアはこの空気に耐えきれなかったのか、大きく叫んだ。
「どういう意味だ!」
「そないな事、わざわざ説明するまでもあらへんよ。ったく、なんでワシがこいつらやねん」
そう言って目の前の男は、不貞腐れたように吐き捨てた。所々が黄色い髪の毛をワシャワシャと掻き乱す。
どこからどう見ても隙だらけだ。戦闘目的で私たちに近付いたにしてはあまりにも気が抜けすぎている。
「あ、ワシの名前。まだ言ってへんかったか」
しかし、なんだ。この威圧感は。
とても『仲良くしよう』という感じの雰囲気ではない。むしろその逆、明らかに敵対している雰囲気だ。彼が私たちに突きつけている武器がいい証拠だ。
「ワシはバレッドっちゅうねん。まあ、よろしゅう」
「フウカちゃん」
「うん……」
ゴルドがバレッドの名前を聞いた瞬間、明らかに動揺したのが見えた。どうやら、スコークが言う『敵』というのは彼のことで間違っていないらしい。
でも確か、ファーザーからの伝言には……
————明日頃に大きな敵が攻めてくるはずだ。戦闘準備を固めておいて欲しい。
明日頃だったはずだ。少なくともスコークがそう考えていたのは間違いない。もし今来る事が分かっていたのであれば、彼らが私たちに戦いに挑む暇なんてなかったはずだ。
それに2人がスコークの仲間であることは、あの毒魔法を使うデーモンの男が協力しているところから考えて明らかだ。
「ゴルド、あの男は誰だ?」
「話せば長くなる。オイラは『バステック』ってとこの要注意人物の名前しか知らされてないし」
「バステック……?」
キュリアが謎の単語を復唱する。どうやら彼女には聞き覚えがあるがなかなか思い出せないようだ。
聞き覚えがあって当然だ。なぜなら、私にも聞き覚えがあるのだから。
それは、少年と初めて会った時の事。私が「どこから来たのか」と質問した時に、少年が言った衝撃の台詞。
———………『バステック』…。
———ヒューマンの、国? みたいな…。
そしてゴルドは、その『バステック』の要注意人物の名前をファーザーから教えてもらっていたことになる。
つまり、バレッドは……!
「ヒューマン…!」
キュリアが驚愕の表情に染まる。それは私も同じだ。
バレッドは、いやらしくにいっと笑った。
「そうやで、ワシはあのヒューマンや。エルフのお嬢さんたちは知らんかったんか?」
「!」
「あかんなあ、スコークの兄ちゃん。敵の正体くらい教えてあげな」
「てめえには関係ないだろ、バレッド」
ゴルドの言動が明らかに変化する。彼の目には今までの半分ふざけて半分真面目な、子供のような目は完全に消え失せ、歴戦の戦士のような眼差しに変化していた。
本気だ。本気でバレッドと
ゴルドはフウカや私たちの前に立ち、バレッドと睨み合う。
「お、おいコレーラ! これは一体どういう状況だ! 敵襲は明日でなかったはずじゃないのか!」
「オイラたちの読みより早かったってだけだ。正直参ってるよ、こんなに早く来るなんてさ」
「おいおい、そんなんでワシに勝つつもりでいるんか? そんなんじゃ、束になってもワシには勝てへんで」
「オイラたちの心配するより、てめえの身を案じた方がいいんじゃないか?」
「どういう———」
次の瞬間、バレッドは大きく後ろに飛び退いた。そして同時にバレッドが先ほどまで立っていた場所に大きなクレーターができる。
大きな爆音を立てて。
ドォォォン!!
砂埃が周囲に舞う。手で目をガードするが……なんという威力。視界が一気に悪くなり、手を伸ばした先さえ見ることができない。
(そうか、フウカだ!)
会話の途中でフウカが抜け出したんだ。ゴルドはフウカの前に立つように立ち位置をさりげなく変えた。そしてバレッドの死角に入ったフウカが抜け出して攻撃したんだろう。
「2人とも、オイラに———」
ゴルドは私の手首を掴んで、バレッドとは反対方向に走り出す。おそらくキュリアも手首を掴まれているのだろう。それに引っ張られる形で、私たちは走り出した。
逃げるための作戦としては、大掛かりだ。しかし彼がそうしたということは、そうする必要がある相手だということか?
キュン! キュン! キュン!
後ろから何かの音がする。それも3連続で。私は砂煙の中、意味がないとわかっていながらも後ろを向いた。
「ぐあっ!」
私の手首を握っていたゴルドの手が消える。後ろを向いていた私は瞬く間に彼の姿を見失ってしまう。それだけではない、ゴルドの気配が正確に分からなくなってしまった。
そして、またあの音。
キュン! キュン! キュン!
パリンッ!
そして今度はガラスのようなものが割れる音が聞こえた。視界が閉ざされた今、私は指針も失い謎の音に惑わされていた。
無理に動くわけにもいかず、何もしないわけにもいかない。魔力のレーダーを使おうにも砂が邪魔で感知することはできないので、とにかくその場で体勢を低くして『何か』に備えることしかできなかった。
そして。
砂埃に閉ざされた空間で何か起こったのか。それが分かったのは、数秒後に視界が開けた後だった。
「…っ!?」
荒れた路地に、月明かりが銀色の光を降らしている。
そしてその先には、キュリアにバレッド。さらには……
「ま、突貫工事で作った作戦にしちゃあ及第点やな」
その真っ赤に広がる小さな池は、ある物体を中心にしてゆっくりと広がっていた。
「砂埃の中なら逃げれるって思ったんが、失敗やったなあ。のう、ゴルド=コレーラはん?」
それは、あまりにも唐突だった。
考えてみれば当たり前の話で、いくら考えても分からない話だ。
「隊長……私の
キュリアの
だがその事に、私の脳は危険信号を出してはくれない。間違いなく大ごとであるはずなのに、私の脳は麻痺しているかのように何も働いてはくれなかった。
ただ、目の前の光景を理解するので精一杯だった。
「ゴルドっ……!」
フウカがどこからか急に現れる。
彼女が駆け寄った先には、
私は、いつの間にか平和ボケしていたのかもしれない。
『それ』はなんの前触れも、伏線も、警告も、意味もなく、ただ突然訪れる。
「ま、そう言うても当たったのは
ゴルドの体は、
▼
白の大地の片隅で特訓を始めてから、もう4時間くらいが経っている。さすがというべきかシュウ君は苦しみながらも、とてつもない速度で成長している。荒削りではあるかもしれないが、これなら問題なく戦闘ができるはずだ。
バステックが襲来するのは、おそらく明日の夜明け前。私は、フォルテルの騎士たちが『スコーク』を探りに
———私たち『スコーク』は…少し、動く。
2日前、わざわざフォルテルに侵入しエリーザ=セルシアにこれを言った真の理由は、この
きっと、彼らならスコークを探す際に
当然、その情報はバステックにも届くはずだ。遅くても昨日までには必ず、この情報をキャッチするはず。そして、この絶好のチャンスに彼らは必ずここに来る。間違いなく、来るはずだ。
だが、
だから、戦力を補充する。そして、満を辞して襲撃をするとしたら……明日の夜明けごろだ。
「はあ…! はあっ、あ…」
シュウ君が疲労からか、その場でどさりと倒れ込む。私は短く
さすがに体が限界を迎えてしまっているらしい。シュウ君の呼吸は荒く、不規則だ。しばらくは横にさせた方が……いや、もういい加減、その時が来るまで休ませた方がいいだろう。
「…すまない。私のせいで、君にこんな事をさせてしまっている…」
「だい、じょー…ゲホッゲホッ」
「しばらく休みなさい。私がそばにいるから」
「ん…分かっ、た…」
シュウ君は小さく寝息を立て始めた。その寝顔を見続けると、私の罪が体の中で暴れているような錯覚を覚える。
私は、思わず寝ている彼に背を向けて座ってしまった。
(もし…私が)
これは、私だけの戦いのはずだった。
出会いは、たった1人のデーモンだった。私は思考と感情を覚えてから、随分と身勝手なお人好しになってしまったのかもしれない。
(もし、私が今)
気付けば私の周りにはあらゆる種族の、あらゆる性格の、あらゆる悲劇を持った人物で溢れていた。『スコーク』などという看板も出来上がり、組織っぽいことも始まった。
私から始めたのではない。彼らが、笑顔で始めたことだった。
(私が今、ここで)
彼らに私の全てを打ち明け、私自身が『
だが、彼らは私の手を離してはくれなかった。危険な場所へと、付いて来てしまうのを振り払うことができなかった。
嗚呼、私は———
(私がここで、シュウ君を殺したならどうなるだろうか)
私はどうしようもなく、自分勝手だ。
ここで彼を殺せば、私としては一件落着だ。それだけで済んでしまう話なのだ。私には、それができてしまう。偽物の私には簡単にできてしまう。
(……できるわけがない)
自分の身勝手さに、辟易してしまう。私は頭を振り払い、一瞬でも浮かんでしまった地獄のような考えを抹消する。
元々ありゃしない私の心を犠牲にするなんて虚言を盾にして、「仕方ないから」と妄言を吐いて、どうせ私が死ぬことを癒しにして。シュウ君を犠牲にするなんて選択肢は、あり得ていい訳が無い。
ザッ・・・
唐突に、砂地を踏み締める音が私の鼓膜を揺らす。
足音だ、こっちに近づいてくる。
(……)
少しだけ、シュウ君の寝顔を見る。落ち着いた寝顔だ、呼吸も安定している。彼の休息を妨げるわけにはいかない。たとえ、何があっても今だけは邪魔してはいけない。
私は立ち上がり、足音がする方に歩いた。
「シアノ君か。どうしてここに来た?」
「おいおいジジイ。どうしてって、見回りだろ? あっちが終わったら来いって言ってたじゃねえか」
足音の正体は、スコークが『スコーク』になる前から私と一緒にいてくれているシアノ=スタッカーだった。いつもは口調の荒いぶっきらぼうな人物だが、根は優しい
確かに私はシアノ君にそう言ってある。そして、事前に私とシュウ君がいる場所も教えている唯一の人物だ。
「そうか、ありがとう」
「いいよ、別に。んで、アイツはどこだ?」
「今は寝ているよ、疲れてしまったんだろう」
「そうか。んなら、町の宿で休ませたほうがいいな。ここよりかはマシだろ」
シアノ君は私の横をすり抜けてシュウ君のもとへ向かおうとする。
そのすれ違いざま、その腕を私は掴んだ。
「それより、少しいいか。シアノ君」
「んだよジジイ。どうかしたのか?」
「もう1度聞こうか。どうしてここに来た?」
「……は?」
シアノ君はわけがわからないという表情をする。
そんなこともできるのか。私の感情はさらに暗く沈んでいく。
「いや、だから」
「言い方が悪かったな。どうしてここに来れた?」
「………」
「私はシアノ君に、偽の位置情報を教えていた。シアノ君が、ここに来れるわけがないんだよ」
「………」
私は掴んでいた人物の腕を思いっきり引っ張って、正面に突き飛ばす。そこからでは私をどうにかしないと、シュウ君を誘拐するなんてできやしないだろう。
「……なるほど。どうやら感情を知ってから、成長したようだな」
「君のおかげさ、コラトン」
シアノ君の形をしていた肉体が、醜く歪み混ざり始める。ドッペルのエトラスとは違い、まるで肉体が内側から吸収され融合されていっているような禍々しい光景だ。
そしてグネグネと不定形な変化をした直後には……よく知っている顔がそこにあった。
「久しぶりだな、
「……今は
「いいだろう」
この男の名は、コラトン。
数少ないヒューマンの生き残りであり、己の野望のために先祖の力を欲する心なき人物。
そしてヒューマンの
▼
「ゴルドっ……!」
やがて、衝撃が私の頭を現実に引き戻す。
何が起こったのかは、周りの状況を
ゴルドは自らが流す血の海に体を沈めたまま、動こうとしない。
「ま、そう言うても当たったのは
バレッドはヘラヘラと笑いながら、銃口を下に向ける。その瞬間、何かの小さなカケラが武器の中から飛び出してきた。そしてバレッドはポケットから同じようなカケラを、武器に込め始めた。
(……
ならば、今こそ反撃のチャンス。私は魔力を右手に溜めていく。
だがそれはフウカの言葉に遮られた。
「二人、逃げるよ……!」
「なに言って———」
「いいからっ!」
フウカはゴルドを背負い、もうすでにこの場から去ろうとしていた。
一度だけだが、この白色町を舞台に戦いあった相手だ。フウカがあの様子を見て、私と同じ事を思わないわけが無いことは容易に分かる。そうしないという事は、何か理由があるに違いない。
反撃をすることが危険なら……今のうちにできる事は、1つしかない。
「いくぞキュリア!」
「…はいっ!」
後ろ髪を引かれる思いで、フウカの後を追うようにして私たちもその場から離脱する。
その時フウカが背負うゴルドの様子を見て、私は彼を置いて行かなかった本当を理由を悟った。
(息がある……!)
ゴルドの胸はわずかにだが伸縮を繰り返していた。
バレッドの攻撃は、幸運にも急所を外れたのか? 砂埃のおかげだろうか、不幸中の幸いとはこの事だろう。
そして数分走り続け、白色町の反対側まで逃げてきた頃。ようやくフウカは逃走を止め、居住家が密集する場所でゴルドを横にした。
走っている間に知らされたが、ゴルドは《癒》の特異属性を持っているらしい。
もちろん本人が起きなければ意味はないが逃走中に起こす暇は当然なく、なるべくこれ以上のダメージを与えないようにフウカは逃げ回っていた。その辺りは、さすがは
「ゴルド起きて……!」
「フウカ、これをゴルドに飲ませろ! 早く!」
私は懐から
次の瞬間、ゴルドの体が跳ねる。
「ぐあ……!?」
おそらく最後のアレは、細胞が急速に活発化したことによる反動だとは思うが、少なくとも今回は味だけでゴルドを目覚めさせるには十分だったようだ。
「傷が……」
ゴルドの傷が急速に埋まっていく。体にあいていた穴が、綺麗さっぱりなくなっていく。
通常の
……だが。私たちが異変に気づいたのは、少し後だった。
(なんだ? 何か、おかしい)
ほとんど完全に傷が治癒されたゴルドは、全く動かずに地面の上で寝続けている。あの
「ゴルド……?」
そして、私の考えは最悪のケースを思い浮かべてしまう。
私は恐る恐る、ゴルドの体に触れる。そして、現実を理解してしまった。
「…………死んでいる」
「……っ」
「そんなことが…!? 隊長、これは一体どういうことですか!?」
「…わからない」
傷は完治した。この
その後、ゴルドのあらゆる細胞や身体活動がパワーアップするのも間違いない。だが、それどころか……ゴルドの全ての細胞は、既に死んでいる。
考えられる理由は、たった1つだけだ。
「バレッドとやらの、あの武器……あれの仕業だ」
「
「フウカと言ったな、何か知らないのか?」
「ううん……知らない……」
少なくとも、あの武器に何かあるのは間違いない。となれば、あのカケラは
ヒューマンは超希少種族だが、『魔力を持たない』種族である事は——これも種族の貴重性を高めている原因だが——わかっている。だが
「キュリア、
「いえ……
「そうか、わかった」
キュリアの
その足りない魔力を、あの真っ赤な
(………)
頭の中で、必死に作戦を練る。
発言や情報。未知の相手に、未知の武器。そしてゴルドが最期に残してくれた手がかり。その全てをつなぎ合わせて、今後の行動を迅速に練り上げていく。
———ったく、なんでワシがこいつらやねん。
———描いた絵が数秒間具現化するという
———ゴルドは《癒》の特異属性を持っている。
———
———シュウ特製の『 』じゃ。使い時には注意するのじゃぞ。
———忍法というのは加速空間を作り出す力だ。
———何かの小さなカケラが武器の中から飛び出してきた。
「……2人とも、よく聞け」
1つの策が、私の脳裏を走る。
きっと、間違いない。バレッドのあの時の発言は、きっとそういうことになるはずだ。あとは、私次第だろう。
そして覚悟を決め、2人に作戦を言った。
「あの家で、バレッドを迎え討つ」
私が指さしたのは、なんの変哲もない一軒の二階建ての家。
この夜の最終局面は、そこで終わらせる。
必ず………ここで決着をつけてみせる。
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