第40話 加速せよ

 ギルドは、相変わらず喧騒が止むことを知らない。がいなくなったというのに、それを知ってか知らずかどんちゃん騒ぎは最高潮のまま未だ継続中だ。


 その宴会場の上の階。月明かりだけが照らしている『ギルド長室』の中に、怪しい人影があった。その人物はこの部屋を右往左往しながら、隅から隅まで何かを探すように歩き回っている。デスクや本棚、さらには机と椅子の裏や床下に至るまで、徹底的に。

 しかし、その仕事はかなり乱雑だ。引き出しを下から順番に開けてはよく確認もせずにすぐ閉じてしまうし、至る所に置かれている様々な物体も手にとっては置いての繰り返しだ。

 ドタバタと足音もするし、液体の入っている瓶がジャブジャブと音を立ててしまっている。近くに人がいたらどうするつもりなのか、それとも気にする暇がないほど焦っているのか。


 その時、その人物の手が止まる。

 そして静かに笑った。まるで目当てのものを発見したような、自分の考えがピタリと当たった時のような、そんなしたり顔で。

 本棚からゆっくりと黒色の本を抜き取った。そこそこページがあるようで、それなりに本に厚みがある。


 その人物は、パラパラとページをめくっていく。だが、その人物はろくに文章を読まずに再び本棚にしまった。


『バァン!!!』


 衝撃音にその影は反応する。そして、いぶかしげに窓の外を見て……ろくに痕跡も消さずに、急ぐようにしてその人物はギルド長室を後にした。

 薄暗い静寂だけを残して。



   ▼



 血縁というものは、厄介なモノだ。

 私のパートナーになったゴルドも、酒をがぶ飲みしながらそんな事を愚痴っていたのを思い出す。


 ゴルドは魔道具アーティファクトを作る職人として、コレーラ家では浮いた存在だったらしい。

 もちろん彼も魔道具アーティファクトを作るウデは、素人の私でも分かるくらい凄い。強力すぎる光線銃だとか、五属性を備えた回旋剣ブーメランに、見た目以上に多くのものが入るポケット。さらに言えば、時間を止める魔道具アーティファクトなんて、見た事も聞いた事もない。

 ゴルドがなんと自分を卑下しようと、彼は間違いなく天才だ。


 だけど、ゴルドが何よりも信念と情熱を注いだのは魔道具アーティファクトなんかじゃなかった。ゴルドは、何よりも戦う事に全てを注いでいた。自分の才能すらも、そこに注ぎ込んでいた。

 そしてそれは、コレーラ家ではだった。


 詳しくは教えてもらえなかったけど、ゴルドの言葉を借りるのならば「鬱陶しいことこの上ない連中だった」らしい。

 十中八九、家族のことを言っていたと思う。だけど、その“連中”に対する良くない感情は十分すぎるほど読み取れた。


 才能の有る無しに関わらず、特定の家系に生まれた者には『義務』が付き纏う。それを翼とするか、はたまた鎖とするか。たったそれだけの差で、その人物の幸不幸は大きく分かれる。

 それは、私たち『シノビ』の世界でも変わらない。


「待て、フウカ!」

「待つ訳……ない……」


 いつの間にか屋根の上まで登ってきたエリーザが、私の後ろをピタリと追いかけている。

 地上から追いかけたままじゃ、シノビである私を見失うのは時間の問題だ。どうやって距離をあまり縮めずに屋根の上に登ったのかはさておき、さすが『リーフ』の隊長さんと言ったところなのだろうか。


 でも、その程度じゃ私を捕まえることはできない。

 シノビの主な任務は戦闘ではなく、密偵や暗殺がメインだ。つまり隠密術は言わずもがな、も当然みっちり鍛えられてる。

 そして私の本領発揮は、まさしくその逃走術だ。


「ふっ……」

「は、早い…!?」


 私は、全力で走る。

 こんな感じの状況を、よく『鬼ごっこ』なんて言い方をするけど……本当にうまく表現したと思う。鬼に捕まれば、待つのは確実な死。

 その鬼ごっこを、手っ取り早く確実に勝つために必要なのは、心理戦のような回りくどい方法なんかじゃない。純粋にスピードだ。


「……」

「く、くそ……!」


 

 昔、師匠に幾度となく言われた言葉が頭の中で反芻している。

 

———シノビに生まれたのならば、その才を速やかに開花させるべし。成長するのは当たり前。加速せよ。


 つまりは『成長速度を上げ続けろ』ということ。まったく無茶苦茶だ。一応、私はなんとか食いついていけた数少ない人員メンバーらしい。

 それに耐えきれず姿を見なくなった友もいる。成長すらできずに絶望に沈んだ家族もいる。


(———)


 加速せよ、加速せよ、加速せよ。

 体を風にしろ、空気と一体になれ、追手に集中したまま。

 そして、ゆっくりと忍力を滲ませるように纏う。


 「……【逃遁とうとん風化フウカの術』】」


 後ろをチラリと覗き込むと、さっきよりも僅かに小さくなったエリーザが見える。エルフに限らず、私に追いつくことができる人なんていない。こうなるのは当然だ。

 リーフの隊長さんは私に追いつけるだろうか? 私を見失わないだろうか?


(こんなこと……考えてる場合でもないけど……)


 ひょっとしたら、私はほんの少し楽しみなのかもしれない。具体的には私自身もわからないけど、そんな感じがしていた。

 もしも、あのまま里に残っていたのなら。こんな感情は無縁のままだったんだろうな。


『ザ………ザザ、ザ………』


 ———聞こえた。



   ▼



 今、自分がよくやっているかと聞かれ、はっきりと自信を持って全力で取り組んでいると豪語できる者は少ないと思う。たとえ口では言えたとしても、本心のどこかでは不安を抱えるものだ。

 だが、今は違う。


(速……すぎるっ!)


 今の私は、紛れもなく全力だ。元々ない筋肉を総動員して、どんどんと小さくなっていく敵の姿を追いかけている。

 だめだ、基本性能に差がありすぎる。相手はビーストのネコ型で、身体能力特化スペルブーストにより身体能力が向上している。それもシノビによる訓練を受けていた、いわば隠れ鬼のエキスパートだ。

 戦うことに関してはこちらに分があるが、この状況ではそれもできない。追いつこうと様々な作戦を立ててみるが、どれも空振りで終わってしまっている。圧倒的なフウカのスピードに手も足も出なかった。


(どうする……!)


 追いつけなければ、一瞬でも見失えば負け。敵は、どんな作戦でも全く歯が立たないほどの速さで逃げていく。

 そんなルールで、そんな相手を追い詰める方法は……1つしかない。


(こっちも、速度を上げるしか…!)


 でも、どうすればいい?

 私の方は正真正銘の全力疾走だが、相手はまだ余力を残しているかもしれない。だから、ちょっとやそっとの加速ではだめだ。もっと、劇的な変化が必要になる。


(どうすれば———)


 その時、私の脳裏に小さな一つの疑問が浮かび上がった。疑問と言うにはあまりに小さい、ほんの僅かな違和感だ。

 ゴルドは始めに「私たちの事を知りたい」と言っていた。それが戦力の事を指しているのか、戦闘を通して人格を観たいのか、はたまた別の何かを知りたいのか。詳しい事は彼にしか分からないが、ともかくこの戦闘を通して私たちのことを推し量りたいらしい。


(……改めて。なんて面倒な)


 と、ともかく。

 こんな戦闘にもゴルドにとっては何かしらの意味があるはずだ。そして確か、今私が追いかけているフウカはそれに乗り気ではなかったはず。

 だが、そう考えると少し気になることがある。なぜフウカは戦闘が始まって、いの一番に逃走を図ったのだろうか。確かにこのルールでは合理的な行動だ。だが、いくらなんでも


 あの時のフウカの反応から、この戦闘が初耳だったと考えられる。だから当然、例のルールだって初めてのはず。

 なのに、こんな行動を即座に取れるものなのだろうか。少なくとも、お互いの合意があって初めて取れる行動だろう。


 つまりは、あったのだ。合意が。

 私たちの前ではそんな様子はなかった。問題はいつしたのか。簡単だ、私たちと出会う前に他ならない。

 以上から、あのフウカの反応はということになる。


(しかし、なぜ…?)


 だが、その理由がさっぱり分からない。何かの伏線か? それともただのブラフなのか? だとしてもどうして?

 シノビであるフウカを逃し、自分たちの負けを無くす。だが、それだけでいいのだろうか。

 思い出せ、敵はあの『スコーク』の一員だ。これまでの刺客は、誰も彼もが一筋縄ではいかない曲者ばかりだ。このまま、一切の捻りもなく戦闘が終わるだろうか?


(………)


 ここまで考えて、私は思考を中断する。

 所詮は私の勝手な妄想だ。それに「いつもこうやっている」と言われてしまえばそれまでの推論。だから、これ以上考えたとしても出口のない迷路に彷徨さまようだけ。なら今は警戒に留めておくのがいいだろう。


 それよりも、まずは目の前の問題を片付けた方がよさそうだ。

 現に、フウカの姿は既に見え隠れしてしまっている。このままでは本当に見失ってしまいそうだ。


「……久々の難題だな」


 昔、リベリアさんに言われたことを思い出す。

 魔法が満足に使えない私の、エルフの中では居場所がなかった頃。剣や無属性魔法ピュアマジックの稽古をつけてもらっていた頃。

 あの時の師匠はかなりスパルタで、毎回毎回かなりの難易度のノルマを私に課し続けていた。


———認められるには、並大抵の成果では足りませんよ。成長し続け、そのペースも上げていきなさい。


 この言葉は、私にとって最大の枷であり最大の羽だ。この言葉に私は縛られ、そして自由へと導いてくれた。私のは、リベリアさんのスパルタなしでは存在し得ないものと言っていいだろう。

 まあそのスパルタ加減が、リノア様にとって最も邪魔なものらしいが。


 ひょっとすると………いや、やはり後だ。

 今は、ともかく彼女に追いつくことが最優先事項!


(やってやるさ…!)


 だがこれ以上、私自身の速度を上げる事はできないようだ。既に肉体を限界まで使っている。長年の経験で、これだけははっきりと解ってしまう。

 ならば………走っては追いつけないと言うのなら。『走る』以外の方法を取るまでだ。


 身体中の魔力を、足の下に集中させる。

 魔力とは超常現象でも、不可思議なパワーでもなんでもない。魔力は少しだけ特殊な『物体』なのだ。厳密には、酸素や窒素と言った元素の一種であると考えた方が分かりやすい。

 水素に炎を近づけると水ができるように、魔力に影響を与えるとそれに応じた属性を持つのが通例だ。魔力に属性を与えれば、小さかったそれが爆発的に膨張し強大なパワーを得る。これを魔法と言い、むしろ使用例はこれくらいだ。


 いつも私は小さい魔力の塊を一瞬だけ出現させて足場にしたり、剣に纏わせて斬撃の代わりにしたりしている。それが、これまでの無属性魔法ピュアマジックの全てだ。

 だが、今やそれだけでは彼女に追いつく事はできない。私が今、成長をしなければならない。


「【凝魔ぎょうま車輪ランドル】!」


 足の裏に車輪を生成し、魔力をそのまま回転させる事でより速く前に進む。走るよりも格段に速くなる、画期的な方法には違いない。事実、あんなに離れていたフウカとの距離が、徐々に縮みつつある。よし、うまくいっている!

 だがここまで膨大な量の魔力を一点に固めるなど初めてだ。ましてや、それを高速で回転させるなんて精密な動きを。

 キュリアならやってのけそうだが、私には生憎天才と呼ばれるほどの才能はない。


(ぐっ……!)


 左足の車輪の形が歪に崩れ、地面に弾かれてしまい体勢が大きく傾く。とっさに持ち直そうとするが、スピードは余計に落ちてしまう。

 やはり無茶だっただろうか。この方法ならば、練習次第でいくらでも速度を上げられる。

 だが魔力の精密な操作や、地形の影響。さらには前進をしている故に受ける前方からの風圧。これらのすべてがスピードアップの邪魔になってしまっている。慣れるまでは、これらが必ず私の重石となってしまうだろう。


(なら、慣れるまで!)


 加速しろ。ペースを上げるんだ。でなければ、待っているのは敗北のみ。

 私は、深呼吸を軽くして精神を集中させる。ほんの少しだけ、フウカから意識を逸らす。


(…………)


 左の車輪がわずかに楕円だ。地面を利用して整える。

 地面の素材が変わった。車輪の摩擦を軽くする。

 速度が落ちた。回転率を無理やりにでも底上げする。

 魔力の使用にムラが出ている。少し魔力密度を減らす。

 前方からの風圧が強くなった。体を3度ほど前に傾ける。

 全体のバランスが悪くなった。靴と魔力の接続部を強化する。

 一瞬だけ右足の負荷が弱くなった。即座に左足も合わせて適応させる。

 屋根から屋根に移る際に飛びづらくなった。さらに楽な方法を探す。

 魔力ではどうにもならない事が分かった。体勢を変えてみる。

 膝を軽く曲げると楽な事が分かった。ゆっくりと速やかに体勢を整える。

 うまく地面に力が伝わらずまた速度が落ちた。靴と魔力の接続部をずらす。

 爪先に車輪をつけるとまたバランスが悪くなった。また試行錯誤だ。

 ちょうどいい密度や強度を見つけた。両方ともそれに揃える。

 地面の素材がまた変わった。車輪の摩擦を再調整する。

 いちいち摩擦を調整するのは面倒だ。地面を見て予測する。

 ———。———。

 ————————………


(……………………よし)


 もう、。ちゃんとコントロールできる。100%問題ないものと扱っていいだろう。

 私は思いっきり魔力の車輪を回す。また小さくなっていた彼女の姿も、どんどん近くなってきていた。これなら彼女に追いつくのも時間の問題。今度はこちらが圧倒的なスピードを誇る番だ。


 それにしても、なんて扱いづらい技を思いついてしまったんだろうか。この凝魔は汎用性が無限大だ、必要がある限り多種多様に形容を変えて対応できる。

 だがその度に今のような試行錯誤をしなければならなくなりそうだ。それも先程のように迅速に”慣れる”のが絶対条件になる。また賭け要素のある戦法ができてしまった……あまり、この技に頼りたくないな。


 ともかく、これでいい。

 この下らない鬼ごっこも、もうじき終わ———


「……【逃遁とうとん風化フウカの術』】」

「ちょ…!?」


 突然、フウカのスピードが格段に上がる。

 私の耳に飛び込んできたフウカの声は、一種の自信を揺らがせるのに十分だった。


 失念していた。フウカはビーストでシノビだ。彼女の持つ『忍力』には未知の力がある。

 忘れてはいけない。敵に勝つには敵のことを知るのが何よりも重要だ。長年明かされていない忍力の秘密、私はここで知る必要がある。解る必要がある。


(………)


 さて、始めよう。

 本来、この勝負では忍力を理解して追いつくだけでは足りない。追いついた上で、フウカの背を地面に付かせなければならないのだ。

 そもそも、どうやって追いつく? フウカはその姿が霞むほどに加速し、再び私との距離を広げつつある。

 彼女の足すらも、あまりに速過ぎて霞んで見えてしまっている。彼女の体のどこに、あの速度に耐えられる耐久力があるのだろうか。あんな体の動かし方、どこか不自然だ。ひょっとしてそこに忍力の秘密が…?


 いや、まずは追いつく方法だ。

 今はさっきと違って、スピードに差があるといっても作戦が通じる程度だ。これなら追いつくこともできるだろう。


「時間が止まればいいんだけどな…!」


 ゴルドが見せてくれた魔道具アーティファクトを思い出して、そんな事を言ってみる。この鬼ごっこで、そんなことが怒るわけがないのは当然承知しているが。

 目の前を疾走するフウカをはっきりと見据えて策を練る。作戦はいくつかあるが、車輪で魔力と集中力を割いている状況でうまくできるかどうか。


(………加速しろ)


 ペースを上げろ。ここが正念場だ。

 リベリアさんは、私の無属性魔法ピュアマジックは無限の可能性があると言っていた。多量の魔力を扱わなければならない故に難易度は非常に高いが、完璧に扱い切れたならこれ以上強力なものはないとも。


(案外、無駄な戦闘ではないのかもしれないな)


 この下らない試合も見方によっては、成長するきっかけになる。ひょっとして、これが狙いか? ……まさかな。

 私は車輪とは別の魔力を再び練る。多量魔力保有オーバーマジックであるエルフとはいえ、ここまで魔力を捻出すると非常にキツい。せっかく慣れてきた車輪の方もまたガタガタになりかねなかった。

 だから、そうならないようにするしかない!


「【凝魔ぎょうま投縄ラッソ】!」


 右肘を起点とし、右掌から魔力の縄を射出する。これは普通の投縄ではなく、魔力が持つ限りいくらでも伸ばすことができる。しかも、一点集中で魔力を捻出していることから私のスピードより速く前へ飛んでいく。

 そして、もう間も無くでフウカに投縄が追いつく瞬間。


「え……」

「捕まえたぞ…!」


 魔力の縄はぐんと速度を増し、フウカの左腕を捉えた。

 ようやくだ。ようやく相手の腕を掴んだ。彼女は腕を魔力に掴まれたことにすぐに気づくはずだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。

 私は車輪を消滅させて、投縄のフウカを掴んでいる部分に魔力集中させる。そしてそれを思いっきり右に振りかぶるように投げた。


「せええええええいっ!」


 フウカの体はあっという間に宙に浮き、大通りに向かって投げ飛ばされる。私も彼女の後を追うように跳躍し、間合いを詰める。

 結構乱暴に投げたのだが、フウカはネコ系のビーストだ。流石の平衡感覚で危なげなく両足で着地。

 そして私たちは、睨み合いになった。


「やるわね……あんた……」

「かなり苦労した。もうこの縄は外されないものと思え」

「そう……」


 絶対に逃すことのないよう、魔力の縄の強度を最高まで上げる。これでフウカがまた逃げ出しても問題はないし、

 なぜなら、私にはもう———


「にしても、随分走り回ったな。ここは……ギルドの近くか」

「助けを呼んでも無駄……私たちの声は、探索者ハンターには聞こえない……」

「呼ぶつもりはないが、なぜそう言える?」

「【音遁おんとん反壁はんぺきの術』】……」

「なるほどな」


 やはり、そういうことか。

 それよりも大変なのはこれからだ。フウカを捉えたことで大きなアドバンテージを得たのは間違いないが、これだけでは勝ちではない。

 この勝負を終わらせるためには、相手の背を地面に着かせなければならない。まだ安心するには早すぎる。


「大詰めだ。決着をつけよう」

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