第25話 眠れない夜は

 迷宮ダンジョン

 それは、この世界のあちこちに散らばっている建築物のようなものだ。最も有名な形は洞窟型だろう。それ以外にも、塔型や神殿型など形は様々だ。

 そんなバラバラな形をしている迷宮ダンジョンの、共通している最大の点が、特徴的な魔物が多いという点だ。それ以外は個体差はあるが、やたらと魔物が通常より強化されていたり特殊な仕掛けがあったりとまちまちだ。

 誰がこう呼び始めたか……別名、魔物の巣窟モンスター・ハウス

 迷宮ダンジョンを一言で説明するのであれば、「特徴的かつ強力な魔物が大量発生する謎の空間」と言った感じだろうか。


 そして、そんな「特徴的」で「強力」な魔物には、この世界の人たちも未だに知り得ない素材がある。そう信じてこの世界の人々は迷宮ダンジョンへわざわざ潜り込み、命がけで素材を手にいれる存在……冒険者ハンターになる。

 当然、迷宮探索ダンジョン・ハントはいつ死んでしまってもおかしくないほどに危険の行為だ。見方を変えれば、冒険者ハンターとは勇者であり愚者でもある。

 だが、故に………人は


 この世界で冒険者ハンターとはありふれた存在だ。

 夢を追い、命を削り、素材を持ち帰る……。たったそれだけの事に多くの人が魅了され、実際に命を落としている者もいる。


 そしてそんな彼らが日夜追い続けて止まない場所。それが『白の大地』だ。

 白の大地は、この世界の有数の危険地帯の1つに数えられている地帯。その理由は、異常な迷宮ダンジョンの密集率だ。

 その密集具合は、「石を投げれば迷宮ダンジョンに当たる」と言われているほど。さらに白の大地の全域が白色に塗りつぶされているために、その風貌からこの名がついたという。

 別名、『白の大地スカル・メイズ』。冒険者ハンター達は、この広大な地帯の全制覇を夢見て、今日も迷宮ダンジョンへと足を運んでいる………。



   ▼



 少年と出会って、四日ほどたった今。『スコーク』のドッペルこと、エトラスとの戦いによって破壊された『リーフ』の本部———通称、『ブランチ』の修復作業は完璧に済んでいた。

 今では、その本部の中は迷宮ダンジョンに関する本で埋まりつつある。


「う〜ん……なんか、どれもこれも同じことしか書いてないッスねえ」

「そう、だな…」


 私たちエルフが住まう国、フォルテルは魔の森マナ・フォレスト———世間的には『迷いの森』や『死の森』と呼ばれている———のちょうどド真ん中に位置している。

 そして、魔の森マナ・フォレストには迷宮ダンジョンが1つもない。これはこれで大変珍しいことではあるのだが、アインズも無いと言っているのだから、まあ無いのだろう。


 そしてエルフという種族は……なんというか、である傾向が強いようで。私やキュリア、トロアやリノア様などはそうではないが、やはり全体的に見てしまうとそうであるらしい。

 中には、「他人に触れられるのが嫌」と言いはじめる者もいるほどだ。個人的にそれは言いすぎな気もするが……ともかく、エルフはそういう種族だ。

 それは長年続いた種族的なものらしく、いつしかそれは今のに繋がっている。


 それがどうしたかと言えば……その潔癖症ゆえに、フォルテルの外に出たがらない者がほとんどになっている、という事だ。

 だから、迷宮ダンジョンを知る必要もなければ迷宮探索ダンジョン・ハントなどやろうとも思わない。


 私たち『リーフ』でさえも魔の森マナ・フォレストの調査はすることがあるが、迷宮探索ダンジョン・ハントの経験は流石にない。

 だからこうして事前準備をしているわけだが……正直微妙だ。実際に足を運ばなければわからないことが多いような、でもある程度は理解できたような、そんな感覚。


ここフォルテルで調べられることは、これが限界か)


 あとは行ってみて徐々に理解していく……それでいいのだろうか?

 白の大地はおびただしい数の迷宮ダンジョンで構築された地域だ。全世界にいる冒険者ハンターの憧れの地でもある。「白の大地は大きな1つの迷宮ダンジョンだ」なんて言いだす人も現れるほどだ、その危険性は「想像を超える」と想像できる。


 だから、できれば万全の状態が良かったのだが……そうもいかないか。

 時刻はもう夜の10時を回っている。出発は翌日の朝、もうそろそろ床についた方がいいだろう。


「2人とも、事前準備はこのぐらいで十分だろう。明日は早いぞ、無駄な体力を使うことのないように寝た方がいい」

「りょーかーいッス」

「しかし……この程度で本当にいいのですか? ほとんど基礎的なことしか分かってないですし、もう少し粘ってみてもいいのでは」


 キュリアが私と同じ心配事をしている。もちろんそれは私も考えているが……どうしようもないからな。


「それもそうだが、きっともうこれ以上の収穫は期待できない。それよりも、夜更かしをして明日の体力が減ることが一番まずい。気持ちは分かるが、体力の回復に専念してくれ」

「……わかりました」


 このようにして、私たちは解散し床に着いた。


 だが……私の目は、まだしばらく冴えたままだった。もう夜の11時を回りそうだというのに、睡魔はちっとも来てくれない。

 必死に目を瞑っても体だけがそわそわして、どうにも落ち着かない。何度も寝返りを打ちながら、いつの間にか眠っていることを期待するがどうにもならず。

 結局、11時半を回っても寝付けないでいた。


(………まずいな、これじゃあ2人に示しがつかない)


 眠れない時間が伸びれば伸びるほど、寝なければという焦りが大きくなり結局睡魔は遠のくばかり。

 昔にもこんな夜はあったが、よりにもよってこんな時にぶり返すとは。嬉しくない偶然というのは、いつだって突然だ。


「………はあ」


 仕方ない。このまま布団を被ったとしても眠れそうにないし……少し歩き回って、そのあと再度布団に舞い戻るとしよう。


 そうして私は自分の部屋を出て、いつもより少し暗い廊下を歩いていく。特に目的地はないが……しばらくすれば、いつの間にかどこかしらにたどり着いているだろう。

 そして……だいたい、10分くらい経っただろうか。私は思いもよらない人物と鉢合わせになった。


「リベリア……さん?」

「おや、エリーザ様。珍しいですね、このような時間に出歩いているなど……」


 リノア様の側近こと、リベリアさんだ。

 ズレた眼鏡を縁を持ち上げて直す彼女から放たれる、いかにも理知的であるような空気。その空気に見合った真面目な———少々、真面目すぎるが———性格はリノア様に深く信頼され、元総合資料室長の彼女を側近に抜擢ばってきした。


「ああ、なかなか寝付けなくてね。リベリアさんこそ、この時間に何を?」

「私はリノア様の仕事の後処理です。今日も今日とて、よく逃げ回るお方でしたからこのような時間になってしまいました」

「嗚呼…………」


 リベリアさんはリノア様の最大の被害者といっても過言じゃない。

 「仕事は嫌だ」と気配を完璧に消し去って逃げるリノア様を、毎日のように捕まえる彼女の心労は想像するに難くないだろう。

 私が『リーフ』に入りたての頃は、リベリアさんには何かとお世話になっていた。資料室でのこともあるが、やはり一番は私の無属性魔法ピュアマジックの練習や考案を手伝ってくれたことだろうか。


「ですが、これで今日の分は終わりです。あとは寝るだけとなりました」

「そうか……お疲れさま、リベリアさん」

「…………はあ」


 リベリアさんは私の言葉を聞いて、少しため息をつく。


「エリーザ様、今や私より貴女の方がずっと身分が高いのです。敬称は付けなくていいと、前に言ったはず———」

「それでもさ、リベリアさん。確かに私は言われたように、敬語で話すのはやめた。だが、ばかりは譲ることはできない。どうか、わかってほしい」

「……全く、聞き分けのない弟子を持ったものです」

「ははは、諦めてくれ。師匠」


 こうしてリベリアさんと話していると、まるで昔に戻ってしまったような感じだ。私にとって、リベリアさんは姉のような存在とも言えるのだろうか。

 最近だと、よく彼女の愚痴を聞く役になっているが。


(姉のような、か……)


 少年とキュリアのやり取りを見ていて、私はそんな風に思ったことがある。本当に、いろんな家族の形があるものだ。

 たとえ血が繋がっていない者同士だとしても。


「ふむ、エリーザ様。よければ私の部屋で、少し話しませんか?」

「いや……だが、私は早めに寝付かなければ———」

「それができないから、こうして歩いているのではなかったのですか?」


 リベリアさんは、私に背を向けて歩く。

 そして、少し進んだところで振り返り私にこう言った。


「エリーザ様が眠れないときは、決まって何かある時ですから。昔からそうでしょう?」

「……く、ははは。やはり師匠には敵わないな」

「できれば、その『師匠』というのもやめてほしいのですがね」

「ダメだ、これも譲れない」

「ワガママな弟子ですね」

「昔からそうだろう?」

「ええ、本当に」



   ▼



 リベリアさんの部屋は、なんとなくキュリアの部屋に似ている気がする。ビシッと綺麗に整えられた家具や書類、隅々まで行き届いた掃除。

 言い方を少し変えて表現するなら、まさしく『エルフらしい』ということになるのだろうか。


「さあ、こちらのベッドに座ってください。私は椅子に座りますので」

「あ、ああ。ありがとう」


 言われた通りに、私はリベリアさんのベットに座る。昔と変わりなく、とても寝心地が良さそうな弾力だ。どこか、懐かしいような気もしてくる。


「それで、エリーザ様。私はただの国王様の側近に過ぎません。ですから、深いことまで聞いてしまうのは許されないことです」

「…………」

「ですが、話を聞くことなら私にだってできます。安心してください、外部に漏らすようなことはいたしませんから。………コホン」


 ………懐かしい。

 確か昔も、私が寝付けないときはこうしてくれた。そして———いつも決まって、私にこう言ってくれるんだ。


。」

「……本当に、ずるい師匠だ。ちゃっかり、昔私が口を滑らせて「お姉ちゃん」と言ってしまったことまでネタにして」

「エリーザ様がいつまでたっても私に敬称を付けて呼ぶからです。仕返しするくらいはいいでしょう」

「ははは、もっともだな」


 昔の思い出が、蘇る。

 まだ『リーフ』に入りたてだった私は……魔法をロクに扱えない私は、いろんな人々がいる中でも特に浮いた。それが原因で、嫌な出来事にあってしまうことだって人一倍に多かった。


———魔法を使えないエルフなど、存在意義が無いに等しい。


 剣を必死に振るい、無駄だと知りながら筋肉をつけようと鍛錬し、体力をつけなければと思い血が滲むほど走った。その全てがエルフという種族には見合わず、その全てがエルフに理解されることのないことだった。

 あの時、私は———エリーザ=セルシアは、誰からも認められることのない存在だった。ただただ、エルフの中でも魔力を多く持っている……たったそれだけの、真の宝の持ち腐れ。


 その全てを変えてくれたのは、リベリアさんだ。彼女がいなければ、私はきっと……


「……最近、悩み事というか……考え事が、多くてね」

「考え事、ですか?」

「ああ」

「最近、私はある少年と出会ったんだ。奇妙な少年だった。何もかも謎で、それでいて珍しい……そんな感じだったんだ。そのあと、色々あって……私たちが一時的に保護していたんだが……その時、私に言ったんだ」

「……なんと言われたのですか?」

「『私は、もっと自分を誇っていい』……とさ」

「……………それは、また」

「でも、そのあとに少年は……こう言ったんだ」


———耐えられなくて、逃げた……行く宛がなくて、彷徨さまよって……気付いたら、森にいた…


「私は、少年が……とてつもない『何か』を抱えて生きている、そう思えてならないんだ」

「………」

「確かに、今は幸せそうに生きていた。でも……その時私に見せた、その少年の顔が……どうしても、離れない」

「………」

「何が正解だったのか……分からないんだ」


 リベリアさんは、黙っている。ただ黙って、私の吐露を聞いてくれている。

 その静寂は、今の私にとっては何よりも嬉しかった。

 ……そして、リベリアさんが口を開く。


「その少年に、何が起こったのかはわかりません。しかし、エリーザ様が遠征を決め込むほどです、よっぽどのことがあったのでしょう」

「……その話は、私はしたか?」

「私はリノア様の側近ですよ? そのくらい、直接聞かなくとも大方の察しがつきます。その少年が一体何者なのかは分かりませんが」

「そう、か。さすがだよ」

「なので、はっきりとした事は言えませんが———」


 リベリアさんの口が一瞬止まる。

 彼女は「話を聞くだけ」と言いつつ、結局は何かしらの助言をする。昔の時もそうだった。

 辛い苦しいと泣き喚く私を、リベリアさんはいつだって抱きとめてくれた。

 そして今も……こうやって。


「人は、理解してくれるだけで、受け止めてくれるだけで嬉しくなる生き物です。それは私たちエルフに限った話ではないでしょう」

「……認める、ということか?」

「はい。現にエリーザ様はまだ自分をお認めになられていない。だからその少年の言葉が、ずっと貴女の中で木霊こだましているのです。だから、その少年を放ってはおけないのではないでしょうか」

「そう……か…」


 私は、私のことをどう思っているのかよく分からない。自分がなまけているとは思わないが、よくやっているかと聞かれればうなってしまう。


『私はまだやれる。私の全力はまだ遥か先にある。』


 どこかで、無意識に、しかし確実に私はそう考えている。

 私は今、初めて、かつ改めて理解した。


(無理難題……だな、本当に)


 『自分を認める』ことが、なんて難しいことか。

 でも、それなら……いま、一番自分に納得できていないのは。一番自分を誇れていないのは、少年の方なのではないか?

 その時、私の中で何かがカチリと音を立てた気がした。


「……本当に、師匠には敵わないよ」

「弟子に抜かされるようでは、師匠は名乗れませんからね」


 今回は、迷宮探索ダンジョン・ハントだけでは済みそうにはない。

 やることが、他にもできてしまったようだ。


「ありがとう、リベリアさん。私はもう自室に戻るとするよ」

「おや、ここで寝ていかないのですか?」

「えっ」

「昔もしてたじゃないですか。こういう夜はいつも決まって、一緒に寝て欲しいとせがんで———」

「わ、わーっ!?」


 いや、確かにそうだったが!

 まさかリベリアさんから突然そんな事を言われると思ってもみなかった私は、まるで昔のように大手を振ってリベリアさんの台詞をさえぎった。


「……なんですか。事実じゃないですか」

「いっ! いやそうだがっ! その、流石にこの歳にもなると……今更、添い寝というのは気恥ずかしいものがあるというか———」

「それこそ今更じゃないですか。何が気恥ずかしいですか、昔なんて私が自分の部屋で寝てくださいと申し付けても駄々をこねていたというのに」

「ぐ……それも……そう、だが……!」


 くそう、師匠め。昔も思っていたが、突然イジワルになるのは本当にやめていただきたい。

 リベリアさんは私の師匠で姉のような存在ということも相まって、なんというか、私の弱点もバッチリ知っている。そして元総合資料室長ともあろうものが、”忘れる”なんてあるわけがない。

 とどのつまり、私に残された道は『降参』以外にはなかった。


「ほら、もうすぐ日が変わってしまいます。早く寝ましょう」

「うう……」

「そんな顔をしてもダメです。明日は遠征なのですから、しっかり寝ないと」

「師匠はイジワルだ………」


 あまりの手の平返しに、私は昔のように愚図ってしまう。

 こんなところ、他の者には見せられないな。リノア様にでもみられたら、大変なことになってしまうことだろう。トロア以上に厄介だ。


 リベリアさんに手を引かれるがまま、私は布団の中に引きずり込まれる。大の大人が1つのベットに寝るのだから、かなり窮屈だ。

 だが、それ以上に広かった。


(懐かしい……)


 昔と何も変わってはいなかった。

 いつもとは違う柔らかさのベットに身を包まれることも、綺麗に選択されたことがわかる朗らかな太陽の香りも、心が静かに落ち着いてくるリベリアさんの匂いも。

 何も、変わってはいない。


「それでは、寝ましょうか」

「……ああ」


 眠れない夜は、いつもこうして一緒に寝てくれた。

 そんなリベリアさんに、感謝の気持ちに気恥ずかしさを乗せて。

 私たちは、昔のように声を重ねた。


「「おやすみなさい」」

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