第三話 (12) 軍議

 夏の夜。蛙の声が田より聞こえる騒がしいある日。勘助の館には二人の客人が訪れている。

 一人は、勘助の旧来の友である相木市あいき いち。もう一人は、勘助を利用し晴奈の家臣団に加わった謀将・浅間幸隆あさま ゆきたかである。

 三人は火の灯った一室で輪になって座り、顔を寄せ合って話をしていた。それぞれの顔は、暗い部屋の中でだいだい色に照らされている。


 「笠原城かさはらじょうの様子はいかに」


 勘助が幸隆に聞いた。笠原城は、桜平の東の端に位置している村島義清むらしま よしきよ方の城である。先に大井貞代おおい さだよが城将を務め、武郷軍により落城した外山城とは位置が近く、同じく山城である。ここを奪取すれば、武郷軍は中科野なかしなのへの入り口である桜平を完全に制覇したといってもよい。この城が次の標的であることは、敵も味方も分かりきったことであった。


「村島義清は笠原城に送る援軍を必死でかき集めている。先立っては、宝田憲頼たからだ のりよりという者が援軍として城に入り、城兵は五百人といった所だろうな」


 勘助は幸隆の話を聞き、低く唸った後、


「また五百か・・・・・・」


と、声を絞り出した。

「また」とは、先の外山城の戦いも同様の数が城に籠っていたためである。どちらも規模は同程度の小城である。「五百」という数字はそれほどまでに多いわけではないが、笠原城や外山城程度の城では体感として、「やや狭い」とすら感じるだろう。勘助には、それが「敵に過剰の勇気を与えている」という風に思われたのである。それが気を重くした。


「五百くらいなら苦戦はしないじゃないか」


と、勘助の顔を覗き込んだのは相木である。相木には、勘助が何をそんなに深刻ぶっているのかが、分からない。


(変わり者だからな・・・・・・)


と、適当と言えば適当に自分を納得させ、


「それよりも」


と、本題に話を向けさせた。


「問題は村島の援軍本隊だよ。笠原城の東、峠の先に軍勢を集結させているんだろう?どのくらいなんだい?」


相木は幸隆に聞いた。この男の情報収集能力の高さは異常で、大抵の事は既に調べてある。あちこちに乱破らっぱを潜伏させているに違いなく、噂によれば、才能ありと幸隆自身が判を押した女どもに巫女の訓練を積ませ、本物の巫女と共に各地を歩かせているとも相木は聞いている。


「俺の手の者の報告では・・・・・・」


幸隆の言が終わらないうちに、勘助が答えに割り込んだ。


「およそ一万」


「一万!?」


相木は飛び上がらんばかりの勢いで驚き、勘助の言った数字を阿呆のように繰り返した。

幸隆はその鋭い目で勘助を睨みつけ、


「おいおい、俺の言葉を遮るな。今は俺が相木殿に聞かれたんだ」


と言ってぐちぐちと文句を言い始めた。

勘助は勘助で言い返し、二人はつまらない言い争いを始めた。


「別に良いではありませぬか。誰が答えようと答えは変わりませぬ」


「いやいや、俺の家来の諜報が優秀だったんだ。自分の手柄にするな」


「手柄も何も、先に幸隆殿が『俺の手の者の報告では』と言ったのだから、それがしの手柄にはならないでしょうに」


「そういう事を言っているんじゃない。あのな、」


と、幸隆が言ったところで、相木が正気に戻って二人に怒鳴った。


「どうでもいいッ!」


二人は顔を見合わせ、「確かに」「ああ、どうでもよい」と頷き合った。

相木は唾を飛ばしてまくしたてた。


「一万なんて尋常ではないよ!こんなところで三人で話し合っているよりも、お屋形様に早くお知らせし、軍議を開かなければ!」


相木はそう言うと勢いよく立ち上がった。


(この女・・・・・・、今からお屋形様の元に行く気か?まだ、夜中だぞ?)


勘助は相木の神経質な所に呆れながら、それを手で座るように諭す。


「まあまあ、落ち着きなされ」


と言って、酒を口に含んだ。暖かい酒が勘助の喉を通り、勘助は幸せそうに眼を細めた。相木は勘助のいかにも余裕といった態度に苛つきながら、どかっと腰を下ろし、再び胡座を組んだ。

相木が座るのを待った勘助は、「よろしいか、」と確認し、切り出した。


「一万と言っても数の上の戦力で、その実態は大したことはありませぬ。それだけの人数が各地から集まり、一度峠を越えて山を迂回し、笠原城の背後に出るために再び峠を越えて来るのです。自然、将兵の体力は落ちている」


勘助は、「更に」と続けた。


「この桜平は既に我らのもので、敵は自ら敵地の真ん中に飛び込んでくるようなもの。来たところで、ろくに動けはしませぬ」


 勘助の言は、事実であった。将棋で言えば、四方を敵に包囲された「歩」を救うために、「香車」を単騎突入させるようなものである。桜平はまだらに配置された山の隙間を縫って小さな平地があるような地形である。城(というよりかは砦)と城との距離が近く、生きている城を軸に野戦軍が自由に動けるような地理的な余裕はあまりない。


 相木は勘助の話を神妙な顔で聞くと、幸隆の方をみた。幸隆に確認を求めたのである。

幸隆はニヤリと口の端をつり上げて頷くと、自分の考えをほぼ確信を持って述べ始めた。


「村島義清の狙いは、城の救援などではなく、その姿勢にある」


「姿勢?」


「おう。『例え絶望的であっても、味方は見捨てない』という姿勢だ。そうやって味方の士気を挙げ、我らとの総力戦の準備を着々と進めておるのだ。ついでに、我らの侵攻を一日でも延引させる腹積もりもあるだろう。あの男の思考は単純で、一度の『決戦』による決着を狙っている」


相木は再び神妙な顔で頷いた。

そこで勘助が口を出した。


「問題はそこにありまする。先の外山城攻めで力攻めを敢行した我らは、今、異常な空気に満ちている。『敵を一網打尽に葬り去り、恐怖心を刻み付けることこそが、天下への近道である』という考え、空気。村島義清はそれを巧みに利用してくる。『武郷軍は野蛮で、捕まれば死よりも恐ろしいめに遭う』といった具合に・・・・・・」


相木はその話を聞き、あることを思い出した。それを代弁したのは、幸隆である。


「先代、信虎が苦しんだのはそれだ。俺は若い時よりそう教え込まれてきた。それゆえ、信虎と戦う時には皆、死に物狂いで戦ったものだ。相木殿はどうだ?」


相木はまさしく今頭の中で考えていたことを聞かれたため、即答した。


「いや、その通り」


言葉にした途端、相木の身体には寒気が走った。


(恐ろしいことになる・・・・・・)


と、身体が直感した。


「でも、お屋形様は寛大なお方のはず」


震える声でそう紡いだ相木の顔は顔面蒼白で、幸隆は黙って勘助の方を見た。恐らく、この中で武郷晴奈という人物について最もよく知っているのは、勘助であった。


「以前は、な」


勘助は視線を下げ、曇った声でそう言った。


「あのお方は、負けたことが生涯一度もなく、まだ若い。それゆえ、負けた者の気持ちを推し量るということについて、鈍くなっておられる」


三人が集まった部屋に、沈黙が流れた。

破ったのは、勘助である。


「お屋形様も人間なのだ、致し方あるまい。我らが何とかせねば」


相木と幸隆は頷いた。勘助はこの二人の友人を心底心強く感じながら、笠原城攻略のための具体的な策を話した。

二人は黙って勘助の話を聞き、聞き終わると幸隆がすぐさま意見した。


「策はそれで良い。だが、問題はその策がのか、ということだ」


「左様。今の武郷家中は『策など不要』という病気が蔓延しておりまする。恐らく、それがしの策などは大多数の意見で圧殺されてしまいましょう」


「だれか幕僚にいないのか?」


勘助が無理ならば、他の二人にも無理であることは自明の理であった。幸隆は頭がいいものの立場が伴わず、発言権がない。相木は晴奈との仲が長いものの戦さの才がなく、何か言ったところで馬鹿にされ、批判を浴びるのが落ちである。地位と名誉と能力がそろわなければ、人を動かすことは叶わない。幸隆も相木も、その点をしっかりと理解していた。


 相木は胸のあたりで小さく手を挙げ、


児玉こだまさんはどうだろう」


と、意見した。

勘助は首を横に振り、


「いや、叶いませぬ。あれほどのお方だが、今はこの空気に捕らわれている。先日も、麾下きかの参謀たちを集めて武功談に華を咲かせておった」


 言って、勘助はその時のことを思い出した。夕方、突如として児玉虎昌こだま とらまさが勘助の屋敷に現れ、「来い!」とだけ言われて連れ出されたのである。勘助の腕を掴んでずかずかと小さな股を動かす児玉の背後には、ぞろぞろと参謀連中がついて歩いた。勘助は何事かと訝しんだが、児玉の屋敷に着くなり宴会が始まり、酒で顔を真っ赤にさせた児玉は気持ちよさそうに信虎時代の武功談を語った。その場にいた参謀たちも、普段頭を使うのが仕事の連中とは思えない程に熱狂し、児玉がいちいち敵を討ち取ったなどの話の盛り上がりで声を大きくすると、そのたびに雄叫びをあげ、児玉が同僚や家来を失ったと泣きながら話をすれば、まるでその場に居合わせたが如く、一緒に泣いた。児玉の性格上、武功談は感情的に語られた。聞き手にとっては感動や盛り上がりの箇所が分かり易く、感情移入しやすかったとはいえ、異常な空気であった。話は一晩中続いたが、勘助はこの夜、体感として今の武郷家の思想を感じた。


「先日のあれは、武功談だったのか。俺も誘われたぞ」


と、幸隆が言ったものだから、勘助は驚いた。


「幸隆殿も!?」


児玉は、新参の浅間幸隆という男を既に「使える」と判断しているらしい。参謀ではなく新参の一家臣に過ぎない幸隆を誘ったということは、相当に高く買っているのだろう。


「ああ。面倒ゆえ、信綱のぶつなを代わりに行かせたがな」


信綱は幸隆の長女である。勘助も面識があるが、あの場にいたとは記憶になく、再びあの夜を思い返した。

信綱は背が低く、無口な少女であった。更にその日の宴会では席次が低く、反面、勘助は参謀長という立場上、児玉の最も近くに座っていた。そのため勘助は、


(わからん・・・・・・)


という結論に至った。しかも勘助がこの結論に至った理由は、他にも存在した。信綱は父の幸隆とは違い、どちらかと言えば武辺者で、豪勇として知られていた。自然、信綱は児玉が熱っぽく語る武功談に興奮し、静かに拳を握って耳を傾かせることに集中した。勘助にとってすれば、全くと言っていいほど、他の参謀連中と同化してしまっていたのである。


 ともかくも勘助は思考を元に戻し、二人の顔を見た。

二人は互いに意見を交わしている。


「まず、軍議は天海あまみ様が力攻めを提案する所から始まるだろうね」


「そうなれば周りはそれに同調し、場は一気に喧噪に包まれるな」


「うん。まずはその流れをどうにか止めないと。勘助君の策を献策する以前の問題だよ」


高松多聞たかまつ たもん殿はどうだ?」


相木は首を振った。


「あの人は生粋きっすいの主戦派だよ」


「話せば分かりそうな御仁だが」


「確かにあの人の話なら誰もが耳を傾けるだろうけど・・・・・・」


 高松多聞は周りの空気に流されるようなことはない。周りもそれに一目置いており、先代の信虎ですら評価していたほどである。違うと思ったものは、「違う」と言う事をはばからない性格であるし、その筋肉質な体躯と極端に垂れた眼光は佇まいだけで凄まじい説得力があった。この男が一言、「いや、違う」と言えば、周りの思考は一旦冷や水を掛けられたが如く冷静になり、多聞の言について真剣に考えるだろう。


「あの御仁が味方に付けば、板堀いたぼり殿の代わりとして軍議に参加する信憲のぶのり殿も勘助の策に乗っかる可能性がある」


 家老の信方は現在峡間はざまにいない為、軍議には娘の信憲が参加する。信憲は特に何の発言もせず、話の流れが傾いた方に乗っかるという参加方針の為、現在の会議はもう一人の家老である天海虎泰あまみ とらやすの独壇場となっていた。しかし、多聞がいれば別である。よく喋る天海より、普段あまり喋らない多聞の方が、言葉の重みがあり、彼は堤防の役目を果たすだろう。信方は、その多聞を常に可愛がり、育て上げてきたと言ってもよい。いわば、師弟関係にあるのである。信憲が父親のご機嫌取りの為に多聞の方に流れる可能性は確かにあった。一旦場が静まれば、真っ先にそれに乗っかり、場の流れを変えるのは、信憲のような人間の仕事であった。


「どうだ、勘助」


と、幸隆が勘助を見た。

勘助は頷いた。


「幸隆殿、頼めるか」


「おう」


 幸隆が多聞に接触し、事の次第を話せば、多聞が「その通りだ」と頷くことは、まず間違いないと勘助は考えている。勘助は、多聞の実直さと冷静さを信じていた。


「献策も多聞殿にやってもらうか?」


幸隆が勘助に聞いた。


「いや、意見は同じ人間が行うよりも違うところから挙がったほうがよい」


反対意見があちらこちらから挙がることで、周りに流されてしまっているだけの連中も本心を表すだろう、と勘助は考えている。


「しかし、他にいるか?」


「いる」


 勘助の確信に満ちた答えに、幸隆は驚いた。幸隆としては、現状の武郷家にあって高松多聞以外に冷静さを見失わず、周りの空気に惑わされないで意見できる人間がいるとは考えづらい。幸隆は、勘助と同じ謀略の徒としての対抗心から、語気を荒げ、


「誰だッ!」


と怒鳴った。

勘助はゆっくりと幸隆の方を向き、口を開こうとした。

そこで、相木が喜色満面といった表情で、


「分かったッ!」


と、勢いよく手を挙げた。

勘助と幸隆は驚いて相木の方を見た。相木は、「私も話について行ってるんだよ」とばかりの自信満々の表情で、


陸奥保方むつ やすかた様でしょう!あのお方は勘助君と仲が良い上に、戦上手という一事で成り上がった凄い人だもの!先代からの家臣からも一目置かれているよね!」


と答え、白い歯をのぞかせながら、勘助の「その通り」という言葉を待った。


「いや、違うが・・・・・・」


「え・・・・・・?」


 相木は眉を八の字にして困惑した。幸隆は興味を失ったように鼻で一笑すると、身体を伸ばして固まった筋肉をほぐし、血の巡りを良くした。


「陸奥殿は確かに戦さの駆け引きが誰よりも上手く、幕僚たちからの信頼も厚い。しかし、あのお方は政治事に関心がない。そもそも、あのお方は難聴で軍議での会話がよく聞こえておらぬ」


「・・・・・・ああ」


 相木は恥ずかしそうに肩を落とすと、目線の先にあった出されてから一口もつけていなかった酒を喉に流し込んだ。

 幸隆はその様子をニヤニヤと眺め、やがては勘助の方を向いた。


「で、誰なんだ?」


勘助は一言、


「信繁様」


と、答えた。


「信繁様?お屋形様の妹君の?」


 幸隆の問いに、勘助は頷いた。

幸隆は眉を寄せ、勘助の顔をしげしげと見つめると、肺の中の酸素を一気に吐き出した。


「馬鹿を言うな。お前が信繁様に取り入るのか?うん?寝屋にでも忍び込むのか?」


「まさか」


「だろうな。言っちゃ悪いが、お前は信繁様にあまり良く思われていない。いや、はっきりと言えば、嫌われている」


幸隆が鋭く細い眼で勘助を見た。男とは思えないほどにまつげが長く、その瞳は暗い室内で灯る火の色に照らされて赤く光って見えた。


「それをわからぬお前ではあるまい」


そう言われている気がした。勘助はゆっくりと口を開く。


「いや、いかにも」


「いかにもぉ?」


 幸隆は、話にもならぬとばかりに笑い出した。


「いかにもならば、いかがする?俺や相木殿が話をつけに行くのか?」


「相木殿が行けば、誰の案かといぶかしまれましょう。幸隆殿は、家臣団入りからあまりに日が浅い」


「いかにも。出しゃばるなと言われるに違いない」


 幸隆は、そういった組織上の感情に理解はするものの、「馬鹿らしい」と漏らさざるを得なかった。

それに対し勘助が、


「あるものは仕方がありますまい」


と言ったものだから、幸隆の血は急速に頭に昇った。


「分かっているッ!」


幸隆は思わず床を叩いて立ち上がった。

そこで黙っていた相木が、


「あるものと言えば、信繁様の勘助君への嫌悪も事実としてあるわけだけど」


と言って議論を本題に戻したため、幸隆は冷静さを取り戻し、静かに座った。

相木は続ける。


「その辺、勘助君はどう思っているの?」


聞かれて、勘助は唇の両端を吊り上げた。


「そこよ、そこ」


勘助は相木の方を指差して口元を笑わせている。勘助が企み事を話すとき特有の顔で、相木はそれを不気味に思いながら、「そこって?」と聞いた。


「信繁様がそれがしのことを嫌っているという事実は存在している。しかし、物事には必ず原因と結果があるもの。利用できるできないは、そこ次第よ」


「つまり、信繁様が勘助を嫌っている原因ってこと?」


勘助は頷いた。


「そんなこと、分かるの?」


 相木としては、それは随分と難しいような気がした。が、それは相木があまり人に嫌われるような性質の人間ではないからとも言えた。勘助のように人に忌み嫌われ続けてきた者からすれば、そういった感情を推し量ることは存外に容易であった。勘助に言わせれば、


「気づいたら嫌われていた、というのはあまりに鈍感すぎる」


という事らしい。

相木の(勘助からすれば馬鹿らしい)質問に勘助はフフッと笑い、


「信繁様の場合は想像に難くない」


と言って、語りだした。


 曰く、信繁が勘助を嫌うのは、嫉妬心である。勘助登場以前は、姉妹として互いに頼り、頼られての関係であったが、以降は信繁の位置に勘助がいることが多くなった。そのためである。というのである。


 聞いて、二人は眉を寄せた。


「果たして、信繁様がそのようなことで・・・・・・?」


と、幸隆が口に出したのも、無理はない。まだ日の浅い幸隆でさえも、信繁という武将は凛としていて嫌味なく、動作や言葉一つ、どれをとっても武将然として好感が持てた。

 将として規律に厳しく、頭の固い所は多少見られるものの、そういったいかにも武将的な思考の信繁が戦さの話をする時に個人の感情を剥き出しにするだろうか、とも思った。


(いや、しない)


幸隆は、そう結論づけ、納得した。


「なるほど、確かに信繁様なら、お前のことがいかに嫌いとて、理にかなってさえいれば受け入れるだろう。だが、問題はお前に会ってくださるか、ということだ」


「そこは簡単。信繁様がそれがしへの嫌悪を隠せない程にそれがしを嫌っているという事は、逆を言えば、それだけお屋形様への愛情が深いということ。『お屋形様のことで話がある』と言えば、何を捨てても会ってくださるであろう」


 二人が頷くのを確認した勘助は、相木の方に顔を向けた。


「敵方の調略はいかがか」


 外山城を攻略した際、城方の多くは討ち死にしたが、それでも生き残りは幾人かいた。これらは皆、外山城の近くに知行を与えられた相木と、元低遠家家臣の浅田信守あさだ のぶもりの下につけられた。これらの者の中には、笠原城に籠っている者の親類縁者も多い。勘助は相木に、「それらを利用し、敵を内通させてほしい」と依頼していた。勘助としてはこれに期待するところが大きかったが、相木の答えはそれをことごとく裏切った。相木は途端に不機嫌そうな顔になると、あからさまにため息を漏らし、答えた。


「逆だよ。勘助君」


「逆?」


「そう。大井貞代の家来どもは、『今度こそ武郷に一矢報いてやる』と息巻き、集団脱走を狙っている始末でさ。私はそれを見張るので精一杯・・・・・・」


 相木は疲れたとばかりに目を閉じ、目元を指で揉んだ。相木の見立てでは、逆に敵方から内通を促す者が幾人か入り込んでいるだろう、ということであった。相木はこれらを捕まえようと同じ境遇の浅田信守と共に苦心していた。証拠がなければ、彼らを裁くことは出来ないのである。


「・・・・・・では、引き続きその連中のことをお頼み申す。もし脱走などとなれば、すぐさま戦さが始まりますぞ」


「分かってる」


 相木は顔から手を放し、閉じていた目を開けた。気怠そうな目で、勘助を見る。


「連中も馬鹿じゃないからね、いつ私達の目を盗んで逃げだすか・・・・・・。むしろ、既に脱走の日取りは決めていると考える方が自然かも。勘助君と幸隆殿が信繁様たちを説得するまでは何とかするけどさ」


勘助は頷き、幸隆は「おう」と言って、互いに視線を交差させた。


 一通り話が済むと、勘助は部屋の外に控えているはずの諫早助五郎いさはや すけごろうに声を掛けた。


「助五郎」


「はっ」


戸の向こうで小男が頭を下げる気配がした。


「外の様子はどうか」


「はっ。まだ暗うございます」


 勘助が相木と幸隆の方を窺うと、二人は頷き返し、三人は一斉に立ち上がった。

一人は背の高い細身の男。一人はやや豊満な肉体で背の低い女。そして一人は、三人の中でちょうど中間程度の背でありながら、見るからに歪な容姿の男であった。勘助の家来である助五郎から見ても、不思議な気配のする三人組であった。


「助五郎。夕希ゆうきを呼んで参れ。相木殿をお送りせよと」


「御意」


相木が「すまないねぇ」と白い歯をのぞかせ、目を細めた。全体的に丸っこいのも手伝い、愛想の良さがにじみ出ている。


「いえ、夜道は危険も多いですからな」


「夕希ちゃんはどうするのさ?朝まで置いとこうか?」


「いえ、あれならば問題ありますまい。朝は人の目も多いですから、屋敷につきましたならばそのまま蜻蛉返とんぼがえりで」


「そ。あいよ」


続いて勘助は、幸隆を見た。


「俺ならばいらんぞ」


「そう言うと思っておりました」


幸隆は無造作に置かれた編笠に手を伸ばして頭に一度載せたが、「夜ではかえって目立つか」と思い直し、再び床に置くと、代わりに黒い布で口元を覆った。


「暗いとはいえ、俺のような者が人数を連れて歩けば目立って仕方ない。とっとと帰らさせてもらう。ではな」


幸隆はそれだけ言うと、大股で去っていった。


 幸隆が去ってほどなくすると、行き違いのように夕希が現れた。相木が夕希を連れ立って外に出てみれば、既に幸隆の姿はなく、まるで霧の如く、気配すら消えていた。



 翌日。勘助は早速、信繁の元を訪れた。結果から言えば、勘助の思い描いた通りに事は進んだ。


 信繁はこの時期、法度はっとの草案に没頭している晴奈の代わりに執務に追われていた。そのため、勘助来訪の報せを聞き、露骨に顔をしかめた。ただでさえ、勘助という男のことが好きになれないのである。つい反射的に、


「忙しいから追い返しなさい」


と語気を荒げた。

普段信繁の身の回りの世話をしている小姓は、主の珍しい機嫌の悪さとその剣幕に驚いた。


(ここまで嫌うとは、余程のことに違いない)


と結論づけ、勘助から「お屋形様のことでお話がある」という旨を必ず伝えるよう言い含められていたにもかかわらず、そのまま門前で待っている勘助のもとに戻ってきた。

 勘助は小姓の姿を認めると、返事を待たずに「苦労!」と言って屋敷に入ろうとした。

 小姓は慌てて、


「お待ちをッ!信繁様は多忙を極められておりますゆえ、今日のところはお引き取りを!」


と言って勘助まで走った。


 勘助はすぐさま、


(こやつ、信繁様に何も言っておらぬな)


と直感した。

勘助は激怒したい気持ちを抑え、目を細めた。


「左様か。それは失礼した」


勘助の笑顔を見た小姓も笑顔を作り、


「いえ、わざわざご足労頂きましたのに」


と言って頭を軽く下げた。

勘助は小姓の視線が自分から外れた途端、怒りの眼つきでその頭を見下ろした。


(手間をとらせおって・・・・・・!)


と、心中で毒づきながらも、顔はいかにも困ったというような表情に作り替え、あごに手を当てた。

しかも、


「しかし、困ったのう・・・・・・」


などと声に出して言ってみた。

 勘助のその表情を見た小姓の心は、たちまち不安に侵された。なにぶん、国主である晴奈のことで来たという勘助の要件を信繁に何も伝えてないのである。当然、信繁も大した用事とは思わないはずである。


(自分は、何か大きな失敗をやらかしている最中では・・・・・・)


という思いに包まれた。


 小姓の額に汗が浮かぶのを見た勘助は、更に、


「お屋形様はいま大変お忙しいが、致し方あるまい。直接会いに行くとするか」


と独り言っぽく漏らした。

 それを聞いて、いよいよ小姓は目に見えて焦りだした。黒目がキョロキョロとせわしなく動いている。小姓としては、いよいよ自分が責任を果たさなかったことのつけが後々になって回ってくることを想像せざる得ない。信繁が姉である晴奈を慕っていることは、姉妹の父親である信虎の追放で、信繁が晴奈方についたことで周知の事実となっている。自分の不手際のせいで晴奈に迷惑が掛かったとなれば、自らの主である信繁がどれほど激怒するか。そう考えただけでも背筋が凍るようであった。


「あ、あの」


小姓は困った顔で勘助の顔を見たが、勘助は気づかぬふりで、


「では、勘助は帰ったとお伝えくだされ」


とだけ言って、踵を返してしまった。


 小姓は、慌てて信繁の元に向かい、事の次第を伝えた。最初、小姓の様子を見て、何事かと驚いていた信繁は、「このっ、馬鹿!」と怒鳴って立ち上がり、「勘助が姉上の元に行く前に呼び戻してきなさい!」と命じた。


 小姓は泣きそうになりながらドタバタと玄関まで走り、急いで草鞋ぞうりを履こうとした。

そこで信繁が顔を出し、


「急ぎなさいッ!」


と怒鳴ったため、小姓は草履も履かずに飛び出した。


 のんびりと歩いていた勘助は、小姓が走ってくるのを見ると、内心では心底おかしそうに笑いながら、外面だけは驚いたようにし、


「いかがした!?」


と駆け寄った。

小姓は息も絶え絶えに、


「の、信繁様が、お会いになると」


と言ったから、勘助は満足そうに、


「左様か」


とだけ言って再び信繁の屋敷へと向かった。


 勘助が帰ってくるのを待っていた信繁は、普段より幾分か物腰が柔らかかった。勘助に対して無礼を働いたことを、気にしてのことだった。期せずして、勘助にとって話しやすい環境が整ったと言ってよいだろう。勘助は、昨晩幸隆達と話したことと同じ内容を信繁に説き、軍議での献策を願い出た。信繁は、終始真剣な表情で話を聞き、


「わかったわ」


と了承した。


 信繁の家臣である傘日源之丞かさが げんのじょうは、この日、信繁に命じられ、同僚たちを連れて馬を乗り回していた。馬術訓練という事であったが、地形把握と民情視察をかねている。その帰り、丁度勘助とその見送りに出ていた主人の信繁に出会った。源之丞は馬を降りると帰途に就く勘助に挨拶し、信繁に近づいた。


「山森殿はなんと?」


 信繁は事の次第を源之丞に話した。源之丞は粗暴であまり礼儀正しい男ではなかったが、信繁は彼に全幅の信頼を寄せていた。信繁の話を聞いた源之丞は、


「はて、そのような空気、ご家中にありましょうか?」


と素直な疑問を口に出した。

しかし、信繁が黙っているのを見て、源之丞は慌てて付け加える。


「いや、それがしは粗忽者そこつものゆえ、そういった細かいことに疎いものですから」


言って、源之丞は信繁の顔を窺った。


「はっきりと言えば、」


と、信繁が口を開いた。


「わたしには、分からない」


「は?」


 源之丞は一瞬、この主人が自分の思っていた人物と違うのではないか、と錯覚した。源之丞の中の信繁は、聡明そうめいで、自分の考えに絶対の自信を持ち、分からないものを分からないまま済ます人間ではなかった。それがどうだろう。この主人は今、自分でも分からないことのために、勘助の片棒を担ごうとしている。源之丞はすぐさま、「いさめなければ」と思い、行動に移した。


「それはなりません!思考を放棄なさるなど、言語道断ですぞ!」


 信繁が、背の高い源之丞の顔を見上げた。吊り上がった目であったが、源之丞にはそれが自分を睨んでいるわけではないと分かっている。


「山森殿はなるほど、頭の回転も速く、お屋形様の為に尽力成されてきたお方です。しかし、先代の信虎様の頃より武郷家に忠義を尽くされる天海様と比べれば、どちらを信頼するかは明白です。ご自身では分からない問題に突き当たった時には、その者の経歴や人格等を吟味し、信頼できる方を頼るべきです!」


 源之丞の心にも、勘助に対する懐疑心があったのだろう。晴奈のことを尊敬している信繁が、勘助の満足のために利用されてはならない、とお節介な親心のようなものを発揮し、まくしたてた。

 しばらくは黙って聞いていた信繁であったが、


「落ち着きなさい!」


と、遂に怒鳴った。


「しかし・・・・・・」


まだ言い足りないのか、源之丞が困った顔で信繁を見つめる。

信繁は、


「落ち着きなさい。源之丞」


と、今度は、優しく穏やかな声でさとした。

ここでようやく、源之丞は話を聞く気になったらしい。


「いい?さっきわたしは、確かに『わからない』と言ったわ。でも、これは私にはわかりようもないことなのよ」


「私たち?」


「そう。わたしや天海、あなたにもね。なぜなら、私たちは父上の頃から、戦さとはこういったものだと教え込まれてきた。でも、勘助は違う」


「・・・・・・」


「組織は大きくなり、これからも勢力を伸ばそうとする私たちには、外の意見も必要なのよ。だから姉上は、勘助を重宝している。あの男は、既成概念に囚われない」


「しかし、信繁様が献策すれば、手柄はすべて信繁様のものです。つまり、山森殿には何の得もない。何か裏があるはずです。それこそ、敵方の者と通じているのでは?」


「勘助が?」


 信繁は、勘助が敵と内通している、という事を一切として考えていなかった。また、今こうして源之丞から聞かされても、なんの危機感も生まれなかった。


(あの、勘助が裏切る?)


信繁は声を出して笑った。

源之丞はその様子に困惑し、「信繁様?」と主人の名を呼んだ。


「それはない。ないない」


信繁はそう言って、笑いながら屋敷に戻っていった。彼女には、確かな信頼があった。


(姉上を裏切ろうなどと考えるような奴に、わたしが嫉妬するものか)


 信繁は何がそんなに面白いのか、満足そうにしている。こうなれば、源之丞ももはや何も言わなかった。差し当たって、彼が済ますべき問題は、信繁に預けた次男についてであった。勘助と信繁に迷惑を掛けた、不肖の次男である。


「馬鹿野郎!戦さになれば、皆殺気立っているぞ!己の裁量で、勝手なことはするな!」


と、この日、源之丞の怒鳴り声が響いた。



 7月6日。この日、外山城で降伏した者たちが、集団脱走を図り、笠原城へと走った。相木と浅田は必死になって彼らを追い、半数は殺したものの、半数は取り逃した。脱走者たちが笠原城へ入ったことは、浅間幸隆からの報せで、峡間へと届いた。


 すぐさま、主だった家臣が招集された。晴奈が現れるまでの間、相木市あいき いち浅田信守あさだ のぶもりの両名は、他の家臣たちから、酷く糾弾された。


「この愚か者どもめっ!」


と、天海虎泰あまみ とらやすの怒声が響いた。天海はその気難しく神経質そうな顔を、今は真っ赤にさせている。もともと、虎泰は彼女らのような外様の家来を快く思っておらず、今や怒鳴る名目を得たためにその苛烈さは他の家臣たちの鼓膜を破らんばかりであった。


「貴様らのような奴らは、責任感が足らん!背負ってきた重みが違う!じゃからこの不始末に、そうやって頭を下げていれば済むとでも思っておるのじゃろう!」


 相木は黙って頭を下げ続けている。一方、浅田信守は顔を上げ、必死に反抗した。


「我らとて責は負う覚悟です!勝手なことは言わないで頂きたい!天海様と言えど、迷惑至極です!」


 細長い目つきで、顎に向けて尖ったような輪郭を持つ信守は、天海からすれば反抗心の塊のようにすら見えた。鼻も細く尖っている信守は、顔のどこを探しても丸いパーツが存在せず、要するに、可愛げがなかった。


「みすみす敵を取り逃した貴様が、何を言う!誰が迷惑か、よく考えて物を言え!」


 信守は悔しさのあまり、歯が割れんばかりに顎に力を込めた。


 そうこうしていると、晴奈が姿を現した。場は静まり、先程までの喧騒が嘘のようであった。

 晴奈は座ると、すぐさま相木と信守の名を呼んだ。二人はそろって顔を上げた。相木は堂々と、信守は申し訳なさそうな顔をしていた。


「相木。浅田。敵を取り逃したか」


晴奈は普段と変わらぬ様子で、そう聞いた。


「・・・・・・はい。申し訳、ありません」


浅田がそう言い、二人はそろって頭を下げた。

晴奈はその姿を黙って眺めると、やがて、


「ご苦労だった」


と言って頷いた。続く言葉は何か、と周りの家臣たちは晴奈を見たが、晴奈は特に、それ以上何も言わなかった。


 晴奈が黙ったため、天海は咳ばらいを一つし、


「では、軍議を始めまする」


と、晴奈に確認を求めた。

晴奈は、


「ああ、少し、待ってくれ」


と言うと、勘助の方を見た。


「勘助。体は達者か」


勘助は驚いたが、その場にいた誰もがそれは同じであった。


「は、はい」


勘助が答えると、晴奈は満足そうに頷き、


「では、軍議を進めてくれ」


と言って天海を見た。


 よほど晴奈が勘助の身体の具合を気にかけていたのだろう、と誰しも分かった。勘助としては、このことだけでも、涙が出る思いであった。照れ隠しついでに周りを見回すと、黒木昌景くろき まさかげと目が合った。相も変わらず真っ赤な衣装に身を包んだ小柄の少女で、勘助と目が合うと、ニコっと笑った。暴慢な性格の武将であったが、こういった所には可愛げがあった。


 天海虎泰は、晴奈と勘助のやり取りで機先を削がれる思いであったが、ともあれ軍議を始めた。


「お屋形様。笠原城に籠る志賀清繁しが きよしげは、援軍として城に入った宝田憲頼たからだ のりよりも含め、五百程の人数で徹底抗戦の構えを見せておりまする」


晴奈が頷いた。天海はそれを確認すると、続ける。


「村島義清は、さらなる援軍として、笠原城の更に東、峠の向こうに一万程の兵を集めておりまする。何か動きがあれば、すぐさま峠を越えてくるでしょう」


「率いているのは、義清本人か?」


晴奈に尋ねられ、天海は幸隆を見た。


「いえ、敵に義清の姿はなく、どうやら率いている者は、金井安治かない やすはるという者のようです」


天海は幸隆の話を聞くと、体の向きを晴奈に戻した。


「此度は、先の外山城攻めにおいて決めた方針の通り、”力攻め”ということでよろしいでしょうか」


 勘助は驚いた。まさか議論の余地なく、晴奈に向かい、「よろしいでしょうか」などと言うとは思わなかった。


(既に決まっている事の確認のためだけに聞いているようなものではないかッ!)


 勘助は慌て、上半身を強張らせた。辺りを見れば、再び黒木昌景と目が合った。

彼女は、「やらいでかッ!」と言って腕まくりをし、勘助に笑いかけた。まるで、


「腕が鳴るな!勘助!」


とでも言いたげである。

勘助としては、


(冗談じゃない!)


といった気持であった。

すぐさま何か言わなければ、晴奈が頷いてしまう。勘助は急いで何か言おうと口を開きかけた。しかしそこで、はるか下座のほうでバンッ!という破裂音のような音がした。

その場の全員がそちらを見た。高松多聞たかまつ たもんではない。彼はそれほどまでの下座になど座りはしないのである。


 見れば、そこにいたのは黒島淳子くろしま じゅんこであった。見る者に生意気そうな顔つき、と思わせるその不憫な顔つきの少女は、頭が回り、晴奈に取り立てられた過去がある。黒木昌景と同じく勘助の教え子であるが、今は勘助の元にたまに訪れ、教えを乞うている程度である。以前は毎日のように通っていたが、この少女はそれを良しとは思わないらしい。


「他人の教えを鵜呑みにするだけでは、固定概念という厄介事がついて回るだけ。自分なりに学び、解釈しなければ役に立たない」


と言って、自分で戦術などを研究しているらしい。


 その彼女が、どうやら手で床を思いっきり叩いたらしい。床についてあった右手をゆっくりと持ち上げ、


「よろしいですか?」


と天海を睨んだ。


「なんだ」


と、天海は不機嫌そうに黒島を見た。


「天海様はこの軍議が何のためにあるとお思いでしょう?私たちがなぜここに集まったとお思いでしょう?」


「・・・・・・」


「ここには議論をするために集まっているのです。それは、より良い勝ち方をするためです」


「・・・・・・」


黙って黒島を睨んでいる天海の代わりに、軍師の児玉虎昌こだま とらまさが口を開いた。


「黒島。何か、策でもあるんか?」


黒島は児玉の方は見ず、真っすぐに視線を晴奈の方に向けたまま、しゃべった。


「戦さで最上と言うのは、血が流れないことです。やはりここは、投降を勧めてはいかがでしょう?」


途端に、野次が飛んだ。


「馬鹿を言うな!投降するつもりなら、そもそも戦さなどしておらぬわ!」


そうだそうだとその声に続く者が後を絶えない。短気な黒島は手でバンバンと床をはたき、怒鳴った。


「ですから、ある程度敵を打ち負かしたところで、投降を勧めるのです!」


「それこそ敵の思うつぼだ!投降したと見せかけて、また外山城の生き残りどものように、何か事があれば裏切るに決まっている!武郷に背けば皆殺しにされると、思い知らせてやらねば!」


「力では人を支配できません!」


 この議論には、彼らの出自の違いが明確に出ているとも言えた。百姓出身の黒島は、どこまでも百姓目線であった。「力で人は支配できない」とは、そのあたりから出た言葉であろう。理不尽な力や無理矢理な抑圧は、”一揆”という形でいつか爆発する。そういった事実が先代の信虎の頃にも確かに存在したし、他国でも行われている。黒島からすれば、「なぜわからないのか?」と不思議な思いであったし、同時に、不満でもあった。

 一方で、天海らの考えは、武士の思考そのものであった。彼らにとって大事なのは、自らの土地である。それは命を賭しても守らなければならないものであった。そしてそれは、力がなければ守れない。力がある者に付き従うのは、当然の摂理とも言えたし、常識ですらあった。


 勘助や幸隆の思惑とは違う形で、議論が進んでいる。彼らにしても、まさか新参で身分も卑しい黒島が、ここまでこの場をかき乱すとは思わなかったのである。

が、幸隆がしっかりと約束をこなしていたことは、すぐにわかった。


「私も、よろしいでしょうか」


と、高松多聞が口を開いた。低い彼の声は、喧騒の中でもよく響いた。

嫌そうな顔をして話の方向をうかがっていた児玉は、嬉しそうに多聞を見た。


「おお、多聞。なんじゃあ、珍しいのう」


友人のように話しかける児玉と多聞は、事実、友人でもあった。


「私も、このまま力で攻めるのは、反対です」


「ほう?」


「力攻めでまず最初に血を流すのは、我らに降伏した者たちです。彼らの不満がたまるのも、無理はありません」


多聞は、幸隆の方を見た。


「左様。高松様の申される通りです。桜平の者と戦うのは、同じく同郷の者たち。彼らの不満は、よく報告として上がってきます」


多聞は頷き、天海と児玉の顔を見回した。


「ここらで一度、方針の見直しを図るべきではないでしょうか」


 一同は、水を打ったように静まった。天海に付き従っていた者たちは、どうすべきか迷った。気の弱い者ならば腹が痛くなるほどの、嫌な空気が流れている。発言をしてはいけないような空気。もっと言えば、次の発言で何かが決まってしまいそうな空気である。誰もが、その責は取りたがらなかった。

 ここで、勘助らの予定が調和を取り戻した。白樺に郡代とし在城している板堀信方の娘、信憲のぶのりが、多聞に助け舟を出すつもりで発言した。


「なるほど。いや、確かに」


 その言葉に、その場の一同が皆、信憲に注目した。

それを待っていただろうに、信憲はわざとらしく驚いた顔をして見せた。


「いえね。ほら、傷や病気も、早いうちだと直りも早いじゃないですか~」


「傷?」


と、天海が睨んだ。


「いやだな、それは言葉の綾ってやつですよ、天海さん。そう熱くならずに、敵はここにいる誰でもないはずでしょう?もちろん、気に障ったのなら謝ります」


天海は、フンッと鼻を鳴らした。

室内では、あちらこちらで、「確かに・・・・・・」というような声が漏れた。

しかしそこで、


「待て待て」


と、児玉の声がした。


「方針転換というが、力攻めはまだ外山城でしか行っておらん。その結果、鬼が出るかも蛇が出るかも、現状ではまだわからん」


皆、児玉の話に耳を傾けている。


「なるほど、この方針が傷であったとするならば、処置は早い方がいいじゃろう。しかし、過剰に処置を施せば、要らぬ面倒も起こるというもの。この段階で力攻め方針を止めてみろ。外山城の生き残り、その親類縁者は、『なぜ自分たちだけ』と不思議に思い、怒り狂うじゃろう」


再び、「確かに」と言う声が漏れた。


どちらも、それぞれに意見が出た。普段はあまり喋らない者も自分の意見を言ったが、結局、決定的な意見は出なかった。

あまり意見も出てこなくなったところで、信繁が満を持して、口を開いた。


「姉上。わたしの案を聞いてください」


晴奈は、信繁の顔をゆっくりと眺めると、静かに頷いた。


「まず、わたしが先鋒として軍を率い、笠原城を包囲します。その際、幸隆殿には笠原城の西、目と鼻の先にある岩頭城いわがしらじょうに入城してもらいます」


児玉が頷いた。


「ほう。それは良い。浅間幸隆殿は村島義清と因縁浅からぬ仲じゃ。それが岩頭城に籠れば、敵は笠原城を包囲する我らの背後を容易には襲い掛かれなくなる。我らの背後を襲おうものなら、更にその背後を、浅間幸隆殿に襲い掛かられる恐れがあるからなあ」


信繁が、幸隆を見た。


「浅間。金井安治かない やすはる率いる敵援軍が岩頭城を攻囲した場合、どの程度持ちこたえられる」


「はっ。ひと月でも」


信繁は満足そうに頷いた。信繁が晴奈へと顔を向ける際、一瞬、勘助の方をみた。勘助はいかにも平然とした顔で、この軍議ではまだ一言も発していない。


「続けます」


晴奈は頷いた。


「わたしが率いる先鋒部隊が笠原城を包囲すれば、敵援軍は急いで峠を越えて来るでしょう。姉上には、本軍を率いて出陣していただき、この敵援軍を徹底的に叩いてもらいます。その間、私たち先鋒部隊も笠原城において攻撃を行い、城に籠る敵の士気を阻喪そそうせしめます。最後は、姉上たちの勝利をもって、降伏へと導きます」


場は、静まった。


「お見事!!」


と声が響いた。声の主は、板堀信憲いたぼり のぶのりである。

信憲は手を叩き、笑顔で、


「いや、流石は信繁様です!それならば、敵殲滅による我らへの畏敬と我らの寛容さ!その両方が満たせます!向かってくる者は徹底的に滅ぼす一方、しかと降伏も受け容れる!城に籠る者も、援軍がいなくなったとなれば、諦めるはずです!これ以上の案は、ないと存じます!」


と言って、褒めちぎった。

周りもこれに笑顔になった。天海や児玉でさえも、


「信繁様、お見事」


と笑顔になっている。

晴奈は、


「勘助」


と、勘助の名を呼んだ。


「はっ」


「何か、意見はあるか」


「いえ、信繁様の策こそ、最善手でございましょう」


勘助の太鼓判を得た晴奈は満足そうに頷くと、信繁を見た。


「信繁。頼んだぞ」


「はい。準備が整い次第、すぐさま」


こうして、軍議は終了した。


 この四日後、信繁を総大将とした先鋒部隊が、峡間を出陣した。勘助も、この隊に含まれている。

馬に揺られる勘助は、思った通りに事が進んだことに、笑みを絶やせなかった。

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