第三話 (10) 力攻め

五月三日。武郷晴奈たけごう はるなは、桜平の南にある外山城そとやまじょうを攻略すべく、出陣した。

晴奈は勘助の体調が回復するのを待ったが、酷使し続けた勘助の身体は容易には直る気配を見せなかった。

それでも日に日に体調をよくする勘助は、


「お屋形様。それがしもお供にお加え下され。なぁに、後方で作戦を練るだけですから、体調の方は心配には及びませぬ」


と言って出陣を強請ねだったが、晴奈は首を縦には振らず、勘助に休養を命じて出陣した。


 武郷軍は六日に桜平の後山城うしろやまじょうという城に到着すると、軍議を開いた。

既に軍議は峡間はざまの館において済んでいる。この軍議はいわば作戦の最終確認程度のもので、既に各々おのおの承知している作戦を、軍師である児玉虎昌こだま とらまさが一から説明し、それに頷くだけの簡単なものであるはずであった。が、ここに来て軍議は荒れてしまった。


 その原因は、武郷家の家老である天海虎泰あまみ とらやすから始まった。

当初、外山城攻めには勘助が仕組んだ策に従うつもりであった。勘助は敵方の家臣を幾人か調略し、その者達に水源地の場所を聞き出している。城を包囲したのち、これを破壊し、敵の降伏を待つ。これが策の概要であった。

しかし虎泰とらやすはこう言うのである。


「水の手を断った後、敵が降伏するというのは、あまりに楽観的過ぎる」


家臣たちは一様に眉をひそめた。

児玉が代表して問う。


「天海さん。それは、どういった考えで?」


「敵は、」


虎泰は、困惑顔の家臣達を睨みつけながら続けた。


「水の手を断たれれば、自棄やけになって打って出るであろう。それこそ、命を惜しまずにな」


「・・・・・・」


児玉が考え込む様子を見せると、虎泰は一言、


「わしならばそうする」


と付け加えた。


 軍議はこの時、静まりかえった。


 虎泰は晴奈に、


「お屋形様。此度こたびは、力攻めをしてはいかがでしょう」


と具申した。


「力攻め・・・・・・」


「はい。無論、水の手を断つことも並行して進めまする。水の手を断つには時間がかかりましょう。そのかんに力攻めで敵に疲労と恐怖心を蓄積させ、士気を奪いまする。水の手を断った後は、立ち上がるのがやっとの敵を屠るだけです。これが、最もお味方の被害を少なく済む策かと」


晴奈は黙って虎泰を眺め、やがて、


「何か、存念ある者は?」


と言って周りを見た。

児玉がすぐさま口を開いた。


「一番被害が少ない、と天海さんは仰いましたが、それはどうでしょう」


虎泰がジロリと児玉を見た。

が、児玉はひるんだ様子を見せず、続ける。


「力攻めで攻めれば、どれほどの死傷が出るか。天海さん、兵士を数としてではなく、命として認識してください」


児玉は、


「ましてや、城攻めなど」


と続け、「馬鹿を言うな」とでも言いたげに鼻で笑った。

その様子を見た虎泰は、立ち上がった。

此度こたび、白樺衆を引き連れて参戦しているもう一人の家老、板堀信方いたぼり のぶかたが慌てて、


「天海殿。落ち着きなされ」


と言って、座るように促した。

しかし虎泰は立ったまま、


「軍師殿は、現状が見えておらぬようじゃ」


と、続けた。

児玉が下より睨み上げた。


「何ぃ?」


「そうであろう。見よ、あの山森勘助の策通りに勝ち続けた結果、この者達は自分で考えることを放棄しておる。調略などで楽に勝ってきた綻びが、家中かちゅうには出始めておるのじゃ」


そういって虎泰は、まだ若い将たちを見た。

視線を向けられる将たちは、戸惑ったように顔を見合わせた。


「これではいざという時、戦さにならんわ」


虎泰はそう言い捨て、どすりと座った。


「天海さん。それは先代の頃の話です。今は、」


児玉が虎泰をなだめようとすると、虎泰はそれを打ち切り、


「変わらん。戦さは、血を流して勝ち取るものじゃ。守るべきものを守るとは、そういうことじゃ。楽な道を選ぶ者には、分からんだろうがな・・・・・・」


と言って、真剣な表情で晴奈に向き直った。


「お屋形様!調略などという方法で勝ち、投降した敵を許し続けていくとなれば、今後も謀反の根は絶えませぬ!お屋形様には戦さで勝てぬ!そう思わせるには、力攻めの他、ありませぬ!」


この虎泰の言葉に、血気盛んな先代信虎時代からの家臣たちが同調した。


「そうだ!ここらで一度、我が軍の強さを見せつけてやるのだ!」

「左様!さすれば、今後の侵略も容易に進みましょうぞ!」

「はっははは!腕がなまっておったのだ!血がたぎるわい!流石は天海様じゃ!」


と、戦さで鍛えた声量をいかんなく発揮し、児玉率いる参謀連中の声をかき消した。

更に、勘助が育てた若い将たちは、虎泰に一喝されたため、一部を除いて黙り込んでしまった。

虎泰案に難を示していた児玉も、思案顔で沈黙している。


 しかしその場で、机を叩いて立ち上がった少女がいた。黒島淳子くろしま じゅんこである。


「何を血迷っているんです!戦さは遊びじゃないんです!」


と、この変わり者の新参は、怒鳴った。

先程まで騒いでいた連中は、一斉に黒島を攻め始めた。


「何を言う!貴様のような新参に、戦さが分かるか!」

「そうだ!我らは先代より戦さを多く経験しているのだ!百姓上がり風情が、口を慎め!」


「兵士の死をあてにした作戦など、愚策にもほどがあると言っているんです!あなたたちのように脳まで筋肉の人の命令で、死んでいく兵たちにも家族がいるんです!守るべきものがあるんです!」


「「なんだと!!」」


「そうやって大声を出せば解決すると思っている所が、分かっていない証拠です!いいですか?力攻めなどがまかり通れば、作戦家はこの世に要らないんです!あなた達のような知恵足らずは、言われたことをやっていればいいんです!当初の山森さんの策通り、事を進めればいいんです!」


興奮する黒島は、机をバンバンと叩いて怒鳴った。


「「無礼な!」」


黒島が声を上げたことで、山森案の将もここぞとばかりに声を上げて立ち上がった。

その中には、工藤昌豊くどう まさとよなどがいる。

昌豊も珍しく、声を荒げた。


「参謀長殿がどれほど苦労して敵の水源地を聞き出したか、貴方たちだってわかるはずでしょう!?楽に勝ちたいから調略策をとるのではなく、お味方の損害を少なくして勝つ、その一心で、あのお方は、あんなに・・・・・・」


昌豊は、勘助が病気で倒れたことを思い出し、泣きそうになった。

人前で泣くのが何よりも嫌いなこの少女は、誰よりも涙もろい。それが自分が尊敬する勘助であれば、尚更であった。


虎泰案には、黒木昌景くろき まさかげがいる。


「おう。確かに、勘助は頑張った。それは認める。しかしだ、人情論で戦さはできねぇ」


昌景の言葉に、虎泰案の家臣達が、「そうだ!」と言って同意する。

これに黒島が、


「黒木さんはあれだけ山森さんの教えを受けながら、何一つ学んでいない!」


と怒鳴ったものだから、昌景の堪忍袋ははち切れた。


「てめぇはさっきから、無礼過ぎんだよ!作戦どうこうの前に、年長者に対する礼儀作法を学べ!」


「尊敬に値しないことばかり言うからです!黒木さんらは暴れたいだけでしょうが!」


軍議が荒れる中、勘助のもう一人の教え子、馬場晴房ばば はるふさは黙って腕を組んでいる。

天海虎泰は虎泰案筆頭として黒島や昌豊らと言い合っている。

児玉は両案の意見を聞き、熟考を重ねている。

副将である信繁は、両派の争いがこれ以上激化するようであれば一喝しようと、様子をうかがっている。


晴奈の最も傍らに座る信方は、晴奈にそっと話しかけた。


「お屋形様。お屋形様が正しいと思う方を、ご選択なされ。お屋形様が間違った時には、この信方が、お助けいたしまする」


晴奈は信方の方を向き、ゆっくりと頷いた。

信方は頷き返すと、立ち上がった。


「静まれ!」


途端にその場は静まりかえり、立ち上がっていた連中も、座りなおした。

信方も座ると、


「お屋形様」


と言って、促した。

全員が晴奈を注目する。晴奈は、しばらく遠くを見つめた後、


「此度は、力攻めをする」


と、端的に命じた。


 この決断には、先代より晴奈を支える天海虎泰に配慮しただけのものではなく、晴奈自身の考えがあっての決断であった。

というのも、先程の天海虎泰が言った通り、晴奈は今までの戦いで投降した者たちを許してきたが、その連中はあまりに呆気なく許されたためか、晴奈に対して再び謀反を起こそうとしたり、怠慢や失策が目立った。分かりやすく言えば、晴奈に対する忠誠心や畏敬の念がない。

調略のような手で、あまりにあっさりと敗けてしまったため、晴奈に敗けたことを、すべて環境のせいにしてしまうのだ。「晴奈が強いのではなく、自分に油断があったのだ。次は気を引き締めよう」と言った具合である。


「信繁。城攻めの準備を。馬場は水の手を断て」


「「はっ」」


こうして、外山城攻めは力攻めに決定した。


 九日。武郷軍は外山城を包囲した。その数は五千人余りである。

外山城は、標高八百六十メートル、比高八十メートルの山城で、断崖上の岩山の上に建っている。

城は「イ」のような形で、城の南、「イ」の二画目の終わりにあたる部分に大きな曲輪くるわがあり、その更に南は渓谷がある。本丸は「イ」の丁度真ん中辺りに位置し、本丸の周りには四つの曲輪がある。本丸の北側、「イ」の書き始め部分には城方の生命線である井戸があり、そのさらに北は石塁で造った険しい斜面と堀とで、守りを固めてる。城の東は数十メートルの断崖で、攻め口といえば西から攻めるしかない。攻め手が狭い山道を登り切れば、岩山を削って作られた大量の石垣に守られた本丸と各曲輪が姿を現し、三方から集中攻撃を浴びせる。正しく自然の地理を利用した要塞であった。

 

 城に籠る城将は、大井貞代おおい さだよという将で、彼女の父である貞鷹さだたかは、既に武郷方と戦い、死んでいる。

城を守る城兵はわずか五百人余りであった。

貞代は一応村島義清むらしま よしきよに援軍を要請したが、期待していない。

家来の者が貞代さだよにそのことを持ち出して、


「投降してはいかがでしょう。この人数差です。世間の者達も仕方がないと言うでしょう」


と、降伏を勧めた。

実はこの者は、勘助の調略に乗って水源地を教えた裏切り者であったが、貞代はそれを知らず、知らないまま、この世を去っている。

貞代は、


「戦わずに投降など、世間どうこうは関係なく、恥ずかしくてできるものか。付き合ってもらうお前たちには悪いが、私は意地を見せたい」


と言って、断っている。

その顔は、特徴的な八重歯やえばを剥きだして、笑っている。十倍の敵を前にして、この少女はどうしようもなく興奮している様子であった。


 攻撃が、開始された。

大井軍はまず、城に辿り着くまでの坂道を陣地として利用した。

くわで地面を掘って柵を建て、たわらに土砂を詰めて積み上げ、土嚢どのうとして活用し、坂の上下で戦った。

攻め手の将は、信繁である。


「撃ち返す必要はないわ!敵はいずれ矢弾が切れる!焦らず、少しずつ前進しなさい!」


「「「応!」」」


信繁が鍛えし将兵は精鋭で、命令を忠実にこなした。

信繁の思惑通り、坂を守る兵は弾や矢をすべて撃ち終えると、槍を持ち、刀を抜いて攻めかかってきた。


「今よ!撃ち方、はじめ!」


たちまち連携の取れた兵士による鉄砲の音が鳴り響き、硝煙の匂いの中、大井軍は斃れた。

そう言った攻防が、四度ほど繰り返された。


 前線より報告を聞いた貞代は、八重歯を剥きだして、


「調略ばかりの玉無し集団と思っていたけれど、なかなかやるようだ」


と言って、にやりと笑った。

家来の一人、平出尚文ひらいで なおふみという者が、


「殿。坂はもう役に立ちますまい。坂を守る将兵を城に入れてはいかがか」


と提案した。

貞代は立ち上がり、鉄砲の音が鳴り響く坂を見下ろした。

貞代の眼からは、緑の木々が邪魔をして、よく様子が見えない。


「この城は、なんの上に建っている?」


貞代は、平出を見た。


「は?岩、ですが・・・・・・」


「そう。矢や弾がなくても、岩なら山程ある。敵がここに来る前に、足軽どもに岩をありったけ掘らせておいたろう?それを喰らわせてやれ」


「ッ!なるほど!拙者、兵を率いて前線に行って参りまする!」


平出は嬉々とした様子で立ち上がると、すぐさま家来たちに命じて巨石をありったけ持たせ、野戦陣地が敷かれる坂に向かった。


 順調に城に近づく信繁隊は、慣れた様子で坂を守る将兵を蹴散らしていく。

信繁の眼には、長い坂があり、その坂の上には城がその姿を見せ始めている。

それまでの行程は、ぐねぐねと曲がりくねった坂道であった。が、今は直線の長い坂道がそこにあるだけである。

坂の上には、最後の野戦陣地が控えてあり、そこからは雨あられと矢や弾が降り注がれた。

信繁隊はそれを木や竹で出来た盾で守らせ、前進していく。


 やがて、矢も弾も飛んで来なくなった。

既に全力で坂を駆けあがってもなお戦えるだけの距離に来ている。

あとは信繁の号令を待つだけであった。信繁隊の家臣たちは我先に駆け抜け、一番槍を上げてやろうと、ウズウズとして待っている。

信繁が大きく息を吸った。


「突撃!手柄を挙げて来なさい!」


「「「おおおおおおおおお!!!」」」


将兵は盾を持つ兵士を押しのけ、一気に駆けだした。


が、信繁の眼が見開かれる。

坂の上より、身長が百七十はある人間の腰程度もある岩が、大量に転がってきた。

既に走り出した将兵は止まることも出来ず、岩にあたって倒れ、潰された。

血をつけて真っ赤になった岩は、指揮をとる信繁の元までまっすぐと転がってきた。

信繁はかろうじてそれを避けるも、岩は次から次へと転がってくる。


「撤退よ!下がりなさい!」


信繁の号令で、将兵達は押し合い圧し合いになりながら、ようやく撤退した。


 体制を立て直す信繁隊に、本陣より撤退命令が下った。

本陣に控える児玉は、信繁隊の報告を聞き、代わりに板堀信方率いる白樺衆と、泉虎定いずみ とらさだ率いる低遠衆を差し向けた。どちらも、敗残兵であり、武郷軍としては、新兵であった。


「彼らには、死んでもらうほかあるまい。あの坂は犠牲失くして、突破できん」


と、児玉は決断したらしい。

信繁の元傳役もりやくである泉虎定は、


「信繁様の敵討ちじゃ!皆の者、気張ってゆけい!」


とやる気満々であったが、低遠頼継ひくとう よりつぐの兵だった者達の士気はまだ十分ではなく、軍事行動には決定的とも言える温度差が生じていた。

そのため、泉隊も多大な犠牲を出して撤退した。


 泉隊の撤退を受け、次に現れた板堀信方率いる白樺衆は、信方が善政を敷いたためと、勘助が彼らの元主君の実妹であり、現大祝おおほうりである凛姫を可愛がっているために、士気が高い。やる気に満ち溢れていた。

が、信方は彼らを無駄に突撃させることを好まず、家臣たちに「策がある」と言って馬をいてこさせた。

それを坂の途中で、何十年と一緒に戦ってきた戦友たちに騎乗させると、自らも馬に跨った。

信方に草履取りの身でありながら取り立てられ、今では板堀家筆頭家老の直淵吉景なおぶち よしかげという者が、


「殿!危のうございます!それがしにお任せを!」


と言って、引き留めたが、信方は、


「ははははは!直淵!わしもそこまで老いておらぬわ。わしがあの坂を駆け上がり、陣地を奪取する故、さすればおぬしは、歩兵どもを率いてついて参れ」


と言って、馬で駆けだしてしまった。

坂道で馬が駆けてきたものだから、野戦陣地を指揮する大井家家臣、平出尚文ひらいで なおふみも驚いた。


「ええい!やることは変わるまい!岩を喰らわせてやれい!」


平出の命令で、兵たちは慌てて岩を持ってくると、転がし始めた。


「騎馬で虚を突き、岩を転がす前に斬り込むつもりであったのだろう。ふふっ、そうはいかんよ」


信方率いる騎馬隊は、転がってくる岩にひるむ様子を見せず、そのまま突き進み、岩を華麗に飛び越えてしまった。

大きく跳躍する馬の群れというのは、なんと幻想的で、迫力があるだろうか。

平出は、


「なんと・・・・・・」


と呟き、思考を停止させた。

ハッと気づいた時には、もう遅い。騎馬隊は簡易に設置された柵をも軽々と飛び越え、守備兵に斬りかかった。

逃げ惑う兵を騎馬隊が追い回し蹂躙する中、平出は刀を抜き放った。


「お見事!名を!」


平出の大音声に、一騎の騎馬武者が馬首を返した。


「おう!武郷家家老、板堀信方じゃ!」


「なんと!?道理で・・・・・・!」


「行くぞ!」


信方は馬を走らせた。

平出はなんとか一撃目を防ぎ、その後、信方に飛び掛かって馬から引きずり落とし、組打ちに持ち込もうとした。

が、結果はうまくいかなかった。馬のスピードで突き付けられた刀は、平出の首を易々やすやすと刎ね飛ばした。

やがて直淵吉景率いる歩兵も突撃し、坂の上は凄惨な地獄絵図と化して、占拠された。


 この日の戦闘は、こうして終わった。


 十日。この日から本格的に城攻めが開始された。

戦局は一進一退とはいかず、攻め手の武郷軍が苦戦を強いられた。

大井貞代おおい さだよは自ら指揮を採り、兵を鼓舞した。既に三百五十人ほどに減った兵士たちは、懸命に戦った。

が、この日の午後三時。武郷軍は早々にして城の水の手を断つことに成功した。


 場所さえわかれば、普段は鉱山を掘る金山衆かなやましゅうには容易かったのだろう。

無論、馬場晴房の手腕もある。敵も味方も、あまりの速さに、戸惑った。

児玉や天海も、水の手を断つのはもっと時間がかかるものだと思っていた。


(こんなに早く済むのであれば、山森の策を用いたものを・・・・・・)


と、児玉は悔しそうに顔を歪めた。


 城に籠る貞代は、引き上げていく武郷軍を見ながら、井戸の水が減っているという報告を聞いた。


「・・・・・・」


「今、必死で出来る限りの水をかめや壺に汲み上げておりますが・・・・・・」


「そうか・・・・・・」


家来は顔を歪めて、生唾を飲んだ。

水を断たれたという事実を確認して以来、この男は水を口にしていない。

貞代はゆっくりと家来の方に向き直った。


「矢も弾も少なく、飲む水もない。・・・・・・しまいだな」


その顔は、酷く哀しそうであった。

長年付き従ってきたこの男が知る限り、貞代のこういった顔は見たことがない。常に八重歯を剥きだして笑っているのが、この城主の通常であり、見慣れたものであった。

家来の男は、「何を言おうか」と、考えた。

その結果、こういった言葉が口から出た。


「このように早く水源地を突き止めるなど、考えられません!お味方に内応者がおります!その者を調べ上げ、見せしめにし、兵の士気を保ちましょう!」


貞代は首を横に振った。


「無用だ。そのようなことをしてもみな、一時は怒りで士気を保てるだろう。が、一時の満足にすぎない」


家来は、なおも食い下がった。


「いや、やりましょう!謀反人に対する怒りのまま、城を打って出れば、あるいは・・・・・・!」


しかし貞代は、自嘲気味に笑っただけであった。

すでにこの守備軍の総指揮官の心が誰よりも折れてしまっていることが、如実に表れた瞬間であった。


「武郷軍のやり口から言えば、じきに降伏の使者が来る。・・・・・・よく、戦ったな」


貞代は男の肩にそっと手を置いた。

男は顔をくしゃくしゃにした。


「しかしこれでは、あまりに、あまりに悔しいです!謀叛人に然るべき報いを・・・・・・!」


ここで、久しぶりに男は貞代の八重歯を見た。


「馬鹿には馬鹿なりの考えがあるのさ。そう怒るな」


貞代はそれだけ言うと、去っていった。


 十一日。貞代の思惑は、はずれた。

武郷軍の最終的な作戦目的が、敵味方に対する見せしめである以上、力攻めという方法が変えられることはない。降伏の使者など現れず、朝から泥臭い白兵戦が繰り広げられた。


 焦ったのは、内応した大井家の家来たちであった。

彼らが勘助から聞いていた話では、水の手を切った後に降伏の使者を送る。その方どもは、大井貞代を説得し、それでも抗うようであれば、寝ている隙に捕らえてしまえ。それが何よりも血が流れない方法よ。というものであった。

このような裏切り者でも、最低限の良心のようなものは残っているのか、貞代に直接的に手を出す気にはなれなかった。


「どうなっておるのだ。降伏の使者など一向に現れんぞ」


「分からぬ。山森勘助殿は、『間違いなく降伏勧告を行う。お前たちの主の血や、家来たちの血が流れるようなことはない』と言っていたが・・・・・・。初日からこの全力の力攻めだぞ。意味が分からん」


「武郷軍に宛てて矢文を射かけてみよう。おぬしは殿に降伏を勧めい」


「殿が自ら降伏を選ぶと思うか?」


「敵から来ないのだ。こちらから降伏するしかあるまい」


この連中の胸中は、「自分たちは戦さなどという野蛮な行為から殿を守るために、敵に内応した」という偽善で満たされている。

その偽善で、自らの精神を守っていた。が、それが根本から崩れようとしている。


 矢文を拾ったのは、天海家の者であった。手紙はしかと虎泰に届けられた。

その内容は、


「我らは山森勘助殿の策に従って動いている。約束と違うと思うが、説明を願いたい」


といった、まだこの期に及んで低姿勢を崩さないお伺いの物であった。

虎泰は、


「浅ましい」


とだけ呟き、破り捨ててしまった。


 貞代は降伏の使者が来ないと悟ると、再び闘志が燃え上がったらしい。

「窮鼠猫を嚙む」とは、今の貞代の状態に近いかも知れない。

貞代は目を血走らせ、歯を剥きだし、刀を振るった。


「死ね!敵も味方も、あの世に連れていってやる!」


戦場での貞代は、もはや一人の鬼と化した。

馬に駆って返り血だらけの鎧を着こみ、しばしば城を打って出て、武郷軍を撃退した。


 十四日。遂に貞代は、城を打って出るのを止め、城と四つの曲輪に籠った。城の南にある巨大な曲輪は、守備兵不足のため、奪われている。

「籠った」と書いたが、「追い詰められた」という言葉の方が正しいかもしれない。もはや馬も倒れ、多くの城兵が立ち上がることも苦行になっていた。指揮官も兵卒も、傷ついていない者はいない。既に満足に戦える兵士は、百人余りにまで減っている。

貞代はけが人を前線に立たせ、力尽きるまで戦わせた。水や食料の確保のためであった。


 大井軍は恐るべき精神力で、その後も五日間、城に立て籠もって戦いを続けた。

貞代が毎日兵士を督励して回った。これが功を奏した。

当初、貞代が「意地を見せたい」と言ったが、武郷軍には十分に伝わったことであろう。

もはや城に籠る将兵を困らせる要因は、武郷軍ではなく、城外に打ち捨てられた敵味方の遺体の腐臭や、精神に異常をきたした者の悲鳴や泣き声であった。


 十九日。武郷軍本陣に、天海虎泰あまみ とらやすが訪れた。

苛々とした様子で前線の報告を聞いていた児玉は、腕を組んだまま虎泰を一睨みすると、視線を地図に戻し、苦々しく口を開いた。


「天海さん・・・・・・。城は、まだ落ちませんか?」


「いつもあと少しというところまでは行くが・・・・・・決定打が足りぬ」


「水の手はとうに断っています。この上、何か決定打がありますか?」


児玉の苛立ちを肌に感じながら、虎泰は、


「ある」


と言い切った。

児玉が虎泰の顔を再び見上げた。


「夜襲をかける」


虎泰の言葉を聞いた児玉は、


耄碌もうろくしたか。じじい)


と思った。


「夜襲ならば今までに何度か仕掛けています。誰が仕掛けようが同じです」


「ただの夜襲ではない」


虎泰は、地図を指差した。

児玉はそれを追う。


「城の東の断崖、ここを登る」


児玉は、眉をひそめた。


「誰にやらせるんです」


「わしじゃ」


児玉は三度みたび、虎泰を見た。


「わしが自ら兵を率いてこの崖を登り、敵の曲輪くるわに攻めかかる」


児玉は、再び地図に目を移し、考え込んだ。

考え込んだ末、立ち上がると、


「お屋形様に具申してきますが、よろしいですね」


と聞いた。

虎泰が黙って頷くのを見届けると、児玉は晴奈の下に向かった。


 児玉から虎泰の策を聞いた晴奈は、一言、


「わかった」


とだけ言った。


 夜、虎泰は自ら将兵を四十人ほど選ぶと、崖を登った。

途中、幾人か足や手を滑らして落ちていったが、皆、先頭を行く老人の背を見て恐怖心を殺した。


 ゆっくりと確実に崖を登り、登り切った天海隊は、すぐさま曲輪の攻略に取り掛かった。

曲輪を守る兵は、思わぬ場所からの攻撃に混乱した。更に疲労のため、多くの兵士が気絶状態にあり、ほぼ無抵抗に首を突かれて死んでいった。


 この夜襲が、決定打となった。

城の将兵はことごとく殺され、貞代は生け捕られた。


 外山城陥落が勘助の下に知らされたのは、二十二日であった。

既にこの頃には勘助は完治しており、戦勝報告を今か今かと待ち望んでいた。

勘助の下には、友人である相木市あいき いちが訪れた。


「おお、相木殿。なかなか報告が来ない故、何があったのかと心配いたしましたぞ」


「元気そうだね。勘助くん」


「ええ、この通り」


勘助は刀を振る動作をした。

近くで話を聞いていた夕希が、


「病み上がりなんだから、あんまり暴れんじゃないって!」


と言って、勘助を抑えつけた。

勘助は夕希を振り払い、息を整えて相木に向き直った。


「相木殿は、また活躍できませなんだか?」


相木は顔をしかめた。


「いや、言い方・・・・・・。確かに、そうだけどさ・・・・・・」


勘助は気分よさそうに相木の肩を叩いて笑った。


 その後、勘助は外山城攻めについて詳細を聞いた。

勘助の眼と口は、終始開けっ放しになり、聞いた後は黙って額に手を当てた。

勘助は額に汗ばんだ手の感触を感じながら、先ほどまでとは打って変ったトーンの低い声で、一言、


「・・・・・・分かった」


とだけ漏らした。


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