第三話 (9) 意地

 年も明け、勘助が上山城うえやまじょうに来て三か月ほどが経ち、二月になった。

勘助は板堀家を通して旅籠はたごを借り、そこを拠点にしている。

この間、勘助が何をしていたかを簡潔かつ幼稚な言葉で表現するのであれば、「遊んでいた」という表現が適切かもしれない。


 勘助は上山城を訪れた次の日、かつての城主である白樺頼重しらかば よりしげの妹、凛姫りんひめの下に挨拶に訪れている。

凛姫は、長年この白樺という地を治めたきた白樺家の姫であり、勘助が白樺統一においてその血を残すべきとしてその命を生かし、晴奈の義妹にして保護させた。


 凛姫はその後、晴奈の計らいで故郷である白樺に移されていた。無論、かつての栄光などそこには存在せず、白樺に着いた凛姫は城には一歩たりとも入ることは許されず、板堀信方いたぼり のぶかたに案内されて付いて行ってみれば、「姫はここでお住みになられませ」と言って用意されていた住まいは寺であった。

長年凛姫を知る付き人たちは、勝気かちきな凛姫が癇癪かんしゃくを起すのではないかと冷や冷やとしたものだが、凛姫は意外にもすんなりと寺に上がっていった。

凛姫はそこで板堀の手の者に見張られ、暮らしている。


 話は戻る。勘助が凛姫を訪れると、凛姫は花が咲いたように顔を輝かせて喜んだ。

凛姫は美人と名高く、白樺家特有の銀髪はその容姿を一層幻想的なものにしていた。

勘助はこの少女が大層気に入っているらしく、その顔をだらしなく緩めさせ、夕希の気持ちをやきもきさせた。


 その日以降、凛姫は毎日のように勘助を寺に来させると、雑談をしたり散歩をしたりして日々を楽しんだ。

この点が先述した「遊んでいる」という点に該当する。


 勘助が遊んでいる間、勘助が行なうべきこと、例えば考える事や手配する事、叱りつける事などは、すべて夕希に任せっきりであった。

夕希に問題の対処法を考えさせ、勘助はその対処法の良し悪しを評価し、良ければ実行させ、悪ければ考え直させた。

さらに、あちこちに走らされている勘助の家来がなにか失態を起こせば、すぐさま夕希を派遣させた。

山森家の家来たちは、自然、夕希を恐れた。なにしろ主君である勘助の幼馴染という間柄で、常にそばを離れず、時には勘助すらも尻に敷くことがあるのである。

家来たちは、


「夕希様に嫌われれば、山森様に嫌われたのと同義だ」


と、恐れた。

更に言えば、夕希は戦場では一騎当千の武者である。そのため、家来たちは夕希が叱りに来るとなれば生きた心地がしなかったことであろう。


 井藤夕希という女は、元来の楽観主義者で、いつもケラケラと楽しそうに笑っているし、その素質とは逆の感性を持ち、戦さというものを心底嫌っている。

そういった夕希の性格は、噂や上下の関係の為に捻じ曲げられ、見えなくなってしまった。

勘助によって派遣される夕希自身は、家来を叱るといった行為を好まず、どちらかと言えば失態を犯した家来たちを励まして回っていた。が、家来たちにはそれが余計に怖かったらしい。

派遣されて辿り着いた途端、土下座をされたときもあった。

流石の楽観主義者もこれには傷ついたらしく、勘助に相談したことがある。


「勘助~、なんかさ、あたしってすごい怖がられてるみたいなんだけど・・・・・・」


夕希が頬を掻きながら相談すると、勘助は満足そうな顔で夕希の肩を掴み、


「それは良い兆候だ。お前はこの山森家の副将!上の人間はそれに見合った言動を取り、下の人間の手本とならねばならん。馬鹿にされたり陰口を叩かれるようでは駄目だ。ちょうどいい具合に恐れられる。しかしながら尊敬される!これが良い塩梅あんばいだ」


と言って笑顔を作った。まるで、「俺が育てた」とでも言いたげにである。

夕希は困惑した。


「いや、あの、違う。あたしそんなの望んでないんだけど・・・・・・」


「何?」


「みんなの優しいお姉さんで良いんだけど・・・・・・。ほら、そのちょうどいい塩梅っていうのは勘助がやってさ・・・・・・」


夕希が上目遣いで勘助を見ると、勘助はいかにも真剣な顔つきで語りかけた。


「良いか夕希?此度こたびのように俺は忙しく表に立てない時がある。そういった時にはお前が、」


「遊んでるだけじゃん」


「・・・・・・」


「遊んでるだけじゃん」


「遊んでいるとは失礼な。俺は俺でお前の知らない所でしっかりと、」


「遊んでるだけじゃん」


「三回も言うか・・・・・・」


「遊んでる、」


「しつこい!いいから黙って言われたことをやってればいいんだよ!」


夕希の眼が一瞬で険しくなると、勘助の胸倉をつかんだ。


「・・・・・・すまんかった」


勘助はすぐさま謝ると、その腕を掴み、引き離そうとする。


「勘助~、親しき中にも礼儀ありって言葉、知ってる~?」


夕希はニヤニヤと勘助の顔を見つめた。


「いや・・・・・・俺とお前の仲ではないか。もはや礼儀もいるまい」


この言葉で手を離された勘助は内心、


(恐ろしい女だ)


と震え上がり、生唾を飲んだ。


しかし夕希の怒りはこれで治まらなかったらしい。相当溜まっていたのであろう。勘助の言葉で感情を決壊させた夕希は、冷えた床を指差すと、一言、


「座ろっか」


と言った。

勘助は黙ってそれに従った。


「正座」


夕希が勘助を見下ろしながらつぶやいた。

勘助は大儀そうに正座しようとしたが、そこで戸の隙間からこちらをうかが諫早助五郎いさはや すけごろうの存在に気づいた。

なにか報告すべきことがあって参上したのだろう。勘助としては今までの惨状を見られた以上、何か威厳のある様子を見せなければ収まりが悪い。


勘助は夕希に向かって「待て」という意味で手のひらを突き出した。


「いや、待て夕希。なるほどお前の考えはよく分かった。俺も考えを改めねばなるまい。が、この俺に正座をして座れとは、いくら何でも、」


そこで勘助は、夕希の顔を窺った。

勘助が行なったのは、軍事用語でいうところの探索射撃である。やぶの向こうに弾を撃ち込み、敵がいるか確かめる。

この一撃でひるんだ様子であれば、勘助はすぐさま立ち上がり、なんとか丸め込みにかかるであろう。


が、結果は、夕希の顔を見て直ぐにわかった。底冷えするような酷く冷たい表情であった。

どうやら夕希は、勘助が想像する以上に激怒しているらしい。藪の向こうは伏兵が潜んでいたのだ。

勘助は言葉が続かず、沈黙してしまった。


「勘助。それで?」


夕希がいやらしく先を促してきた。


「いや、その、」


勘助は汗をかきながら、こちらを覗き見る助五郎の様子を窺う。

助五郎は好奇の目で、こちらを眺めていた。


「そ、そうだ。俺は足が悪い。正座はこたえる」


勘助は自分の不自由な足を利用した。

事実、右足が上手く動かない勘助には、正座は辛いものであった。


「・・・・・・ッ!ご、ごめん。じゃあ、胡坐で」


これには夕希も悪い事をしたといった顔で、謝った。

勘助はこのあまりにも小さな一勝に満足した。

が、結局説教は三十分にも及んで続き、その後、勘助が助五郎を捕まえて「他言無用だぞ」と念押ししたが、この話は広がり、夕希の立場は変わることはなかった。



 三月の中頃になった。この日も勘助は、凛姫と共に散歩に勤しんでいる。

凛姫は氷の張った白樺湖を眺め、白い息を吐きだした。


「綺麗ね・・・・・・」


凛姫は余程寒いのか、その手を口に当て、必死に温めている。

お供をしている勘助は、呆れたようにため息を吐いた。


「だから言ったでしょうに。このように冷える日は、屋内にいるのが限ります。風邪でも引かれましたら大変ですぞ」


凛姫はそのつり目を更に吊り上がらせると、


「うるさいわねっ!」


と、子供のように怒鳴った。

勘助はこの娘が目に入れても痛くないほどに可愛いらしく、最近ではやたらと説教臭い。

勘助は辺りを見渡し、ちょうど良い具合の岩を見つけると、手で雪を払い、着ていた服を被せた。


「さあ姫様。お疲れになったでしょう。こちらへ」


凛姫は当たり前と言わんばかりの態度で、そこに座った。

勘助はその様子を満足そうに眺めている。その後ろでは、付いてきた夕希が苛々とした様子で腕を組んでいる。


このままではやり切れなかったのだろう。夕希は一つ咳ばらいをすると、


「勘助~、あたしも疲れちゃったなぁ~」


などと大声で言ってみた。

勘助は凛姫に「お待ちくだされ」と許可を取り、夕希の下に駆け寄った。


「すまんすまん!これは気づかんかった!どこか適当なところで休んでいてくれるか?」


「そうじゃないだけどな~」


夕希は目で必死に訴えかけようと、凛姫の方に何度も黒目を動かして見せた。


(あたしもあれして欲しいって!気づいてって!勘助ぇぇえ!)


夕希の内心は、悲痛な叫びが木霊していた。

が、勘助には届かない。

勘助は不思議そうに顔を傾けた後、やがていぶかしげな表情で眺めてきた。


「まさか、帰りたいのか?それはいかん。変なやからに襲われたらどうする。姫様はあのようにお美しいのだ。俺だけでは事足りないことも考えられるだろう?」


「・・・・・・」


 夕希はもはや脱力した様子であった。うんともすんとも言わず、黙り込んでしまった。

これには勘助も心配したらしい。急いで近くにあった民家に駆け込むと、「病人がいる。少し休ませてやってくれぬか」と言ってふところから銀を取り出し、与えた。

民家にいた百姓は大層驚き、慌てて出来る限りの介抱の準備をした。


 勘助は戻って放心状態の夕希の腕を掴み、無理矢理に引っ張って行った。

これに夕希は驚き、しきりに「えっ?」と言って戸惑った。

勘助は夕希を歩かせながら、優しく語りかけた。


「夕希。話している途中に意識が飛ぶほど疲れているとは。知らなかったとはいえ、無理をさせた。休んでいろ」


夕希は飛び上がらんばかりに驚き、


「ちがっ、具合悪いとかじゃないって!勘助っ!」


と必死に抵抗したが、勘助が有無を言わせずに自分を心配するものだから、顔を赤くしてまんまと病人にされてしまった。


 夕希を寝かせると、勘助は再び凛姫の下に戻った。

退屈そうに座っていた凛姫は、


「・・・・・・遅いじゃない」


と言って勘助を睨んだ。

勘助はなんとか弁解しようとしたが、凛姫は困った様子の勘助を見てクスッと笑うと、


「冗談よ。彼女はあなたにとって家族も同然でしょう。大切にしなさい」


と言って、元の表情に戻った。


 その後、二人はしばらく雑談をして過ごした。

しかし時間が経てば寒さに耐えきれなくなってきたらしく、凛姫は足指に手を絡ませ、


「足先って、冷えるのよね」


と呟いた。

勘助は心配そうな顔をして、


「そろそろ、帰りまするか」


と尋ねた。

凛姫はこの問いを待っていたとばかりに口の端を歪ませ、


「歩くにはちょっと辛いわね。・・・・・・そうだ!勘助、前みたいに私の足を温めなさい!」


と言って、足を勘助に差し出した。

勘助がその足を見ると、なるほど確かに、元々の肌の白さも手伝い、冷たそうであった。


しかし勘助は考える。

ここで以前のように凍えた足を手でこすって温めてやるのは簡単である。勘助としても凛姫が喜ぶのであればやぶさかではない。が、それをした場合、民家で寝ている夕希に周りの人間を通して話が伝わり、任務の行動方針にさしつかえが出るかもしれない。


(そうなれば俺の面子が保たれない!)


夕希は、時に自分の感情を優先し、周りが見えなくなってもいとわない精神を持っている。

勘助にしてみれば、夕希のそういったある種の視野の狭さは頭痛の種であったが、それも勘定に入れて計算を立てるのが大将であろうとも思っている。

この場合、勘助は以前の説教騒動で潰れた威厳回復のため、最大限の注意を払う必要があった。


そのため勘助は、


「はははは、姫様、おたわむれを」


と言って誤魔化した。

凛姫は


「むっ」


と言って頬を膨らませ、拗ねてしまった。

勘助としては夕希に比べれば可愛いものだが、困った。


そこで勘助の視界に、一匹の猫が横切った。


(あれだ!)


勘助は凛姫に「姫様!お待ちくだされ!」と言うと、すぐさま走った。

残された凛姫はポカンと勘助の後ろ姿を見つめ、


「また・・・・・・?」


と呟いた。


 勘助は必死に猫を追いかけ、近くにいた百姓どもにも銀をちらつかせて手伝わせ、どうにかこうにか猫を包囲した。


「いいぞ、おいっ、そこ!あまり急いで近寄るな!」


包囲網の指揮をしながら、勘助はそこいらで手に入れた雑草をゆらゆらと揺らし、ゆっくりと近づく。


「ほれ、これが欲しいであろう。ほれほれ」


猫は最初こそ揺れる草の先端を目で追っていたが、勘助が近づくと次第に警戒心をあらわにし、遂には威嚇を開始した。


「シャッーッ!」


「さぁ、おいで。大丈夫、おびえていただけなんだよね。怖くない、怖く、」


勘助は指を差し出してゆっくりと近づく。が、猫はすさまじい勢いで勘助の方に走っていくと、そのまま股の間をすり抜けて逃げていった。

周囲から、落胆の声が漏れた。

勘助は大人げなく地団駄を踏むと、


「可愛くない猫だ!」


と怒った。


 百姓の一人が勘助に寄ってくる。


「山森様。あれは野良ですから、なかなか・・・・・・」


勘助は百姓の話を適当に聞きながら、汗を拭い、口に水を含んだ。


「あの野良を捕まえて、何がしたいんです?」


勘助はある程度離れた地点からこちらの様子を窺う猫をぐっと睨みながら、苛立ち気に答える。


「少し撫でたいだけだ」


「へ?」


百姓は口をぽっかりと開け、驚いた様子で勘助を凝視した。

「その顔で?銀を配るほど?」と言いたげな様子である。


「俺ではない。とあるお方がだ」


「ああ、凛姫様ですか」


百姓は納得した様子で頷いた。ここ最近は凛姫と勘助が仲良く歩いているところが多く目撃されている。

多くの人間はそれを、「戦さに敗れた白樺家の姫様に、あのように優しく付き添ってくれる御仁を寄越すとは、武郷晴奈様は良き大将だ」と、微笑ましく見ている。


「そういうことなら、家のを貸しましょう」


と、この百姓は提案してきた。


「なに?生活に苦しいだろうに、猫など飼っているのか?」


勘助が尋ねると、百姓は困ったように笑い、


「いえ、飯をたまに分けてやっていたら、懐いちまっただけです」


と言って、はにかんだ。


 勘助は百姓から猫を預り、所謂いわゆるお姫様抱っこのような態勢で猫を抱き、凛姫の下に戻った。


「さあ姫様。この猫を膝にのせれば、暖かくなるでしょう。足も動くようになります」


凛姫は顔を輝かせ、勘助に駆け寄った。


「可愛い!おいで」


凛姫は猫を抱っこすると、再び勘助の服が敷かれた岩に座り込み、笑顔でその背を撫でた。

猫は余程人懐こいのだろう。最初こそ警戒した様子であったものの、次第にゴロゴロと喉を鳴らした。


「姫様。猫はここ、尻尾の付け根のあたりを撫でてやると喜ぶのです」


「ここ?」


凛姫が勘助に言われた所を撫でてやると、猫は気持ちよさそうに後ろ足だけ立ちあがらせた。


「ほんとだ。勘助、よく知ってたわね」


「以前、白い猫と暮らしていたことがあります」


 勘助は、幼い頃に可愛がっていた猫のことを思い出した。

目の前にいる凛姫と猫のように、勘助も猫を撫でて冬の寒さと退屈を紛らわしていた。

凛姫の膝にいる猫は、勘助の家族であった真っ白の猫に比べると、あまりに汚く不細工であった。が、それでも可愛らしかった。


「懐かしゅうございます」


勘助はそう漏らすと、その喉を撫でて、二人で一匹の猫を可愛がった。


 時が立ち、勘助は猫を飼い主の下に返してくると、凛姫はご機嫌な様子で立って待っていた。


「今日は楽しかったわ」


「それは良うございました」


凛姫は心が満足したのであろう。帰り道をスタスタと元気に歩いていく。


「それにしても以外ね。勘助が猫を好きだったとは」


凛姫は何が面白いのか、ニヤニヤと勘助を見上げた。


「別に好きというわけではありませぬ。結局はただの獣でありましょう」


勘助はそう答えた。


「はいはい」


凛姫はそう答え、楽しそうに笑った。

勘助は凛姫を寺へと送り届けると、再び散歩道を戻って夕希を迎えに行った。



 その日の夜。勘助の下に、板堀信方が訪れた。

信方は一人の供を連れており、「勘助に一つ確認しておきたいことがある。一つだけだからこの場で答えよ」と言って、旅籠に上がりもせずいきなり本題を切り出した。


「勘助。おぬし、いつここを出るつもりだ」


「は?四月には戻ろうかと思っておりまするが・・・・・・」


「おぬしがここに来て随分になる。そろそろお屋形様の下に戻るべきではないか?」


「いえ、お屋形様には許可を頂いておりまする」


「それは村島方の調略や偵察のことであろう。しかしおぬしはここの所、あの姫と遊んでいるだけではないか?」


勘助は内心では飛び上がるほど驚きつつも、強靭な役者魂で平常を装い、


「それは異なこと。それがしにはそれがしの役割がありまする。実際の調略や偵察は家来の者に任せ、それがしはその報告を当事者ではできない冷静な眼で判断いたしまする」


と、適当なことを説明した。


信方は何かを考えるような顔をした後、


「・・・・・・そうか」


とだけ言って、帰っていった。



 翌日、いつものように凛姫から使いの者が勘助の下に現れたが、勘助は、


「いや、今日は忙しい」


と言って、素っ気ない態度で追い返してしまった。


 勘助はこの日以降、にわかに人との接触を断ち、部屋に籠ってしまった。

夕希などは勘助がやるべき諸々の仕事を慣れたようにこなしつつ、心配で声を掛けたりしたが、勘助は、


「忙しい」


とだけ言って顔を出さなかった。


 その日以降も、毎日のように凛姫からの使者も来ているが、会わない。

夕希もこれには、「本当に忙しいらしい」と思ったらしい。仕事の邪魔はするまい。と、勘助とは最低限のやり取りのみに終始し、凛姫の下にも勘助の現状を直接伝えに行ったりもした。


 三月二十五日。三月も終わりに近いこの日、勘助の下に来客が訪れた。

その人物は勘助の武郷家時代以前からの友人でもあり、今は同僚の相木市あいき いちという名の女武将であった。

夕希が勘助を呼びに行くと、「あと少しで終わるゆえ、すまんが、今しばらく相木殿の相手をしていてくれ」と言われたため、夕希はそれをそのまま伝え、しばらく相木の相手をすることになった。


「最近、冷えたね~。相木ちゃん、寒くなかった?」


と、夕希は気兼ねなく話しかけた。

これに相木は別段気を悪くした様子は見せず、


「いや、寒いよ~。来る途中から雪も降りだしてね・・・・・・」


と言って、笑った。

この二人は武郷家の直臣、陪臣という間柄ではあったが、それを感じさせないやり取りのできる間柄であった。

夕希は炉に薪を入れながら、話を続ける。


「雪?じゃあもう春になるし、最後の雪になるね~」


夕希ははしゃいで外を眺めた。

相木は炎が盛んになった炉に手を近づけると、


「勘助くんはそんなに忙しいの?」


と言って、夕希の顔を見た。


夕希は頷き、


「それがさ~、相当なんかため込んでたらしくって、誰にも会わずにずっと部屋に籠りっぱなし」


と言って、肩をすくめた。


 それからしばらく談笑をしていると、勘助が遂にその姿を現した。

夕希も相木も、その姿にぎょっとした。

眼の下には濃いくまが出来ており、頬はこけてやせ細り、ひげは剃られておらず伸びっぱなしであった。


「相木殿。お待たせした」


「あ、ああ、うん」


相木はあまりにやつれた勘助に驚き、どうにかこうにかそれだけを絞り出した。


 一方、夕希は反射的に立ち上がり、勘助に駆け寄った。


「ちょっとちょっと、食事はしっかり持って行ったはずでしょ!どうしたのさ!」


「忙しくてなかなか食事にまで手が回らなかったのだ」


「馬鹿!体を壊せば元も子もないじゃん!食事や休憩も、勘助のすべきことの内でしょ!」


「あ、ああ」


「自分の健康管理も出来ない人間に、誰が何を任せるってのさ!」


勘助は夕希の剣幕にやや顔を引きつらせながら、


「その通りだ。その通りだが、相木殿の手前、恥ずかしい。これから大事な話もある故、外してくれるか」


と言って、やんわりと夕希を部屋から追い出した。


 二人になると、相木が気まずそうに咳ばらいをし、いつもの軽い様子で話しかけた。


「本当に、夕希ちゃんの言う通りだよ?体は資本!」


「はははは。いや、面目ない。しかし、夕希には参りました・・・・・・」


勘助につられ、相木も苦笑した。


「確かに。人前であれは嫌だろうね。ご愁傷様」


「まったく。夕希は人前だろうとなんだろうと説教をしてきますからな。まったく厄介です」


そう言って二人は声を上げて笑った。

笑い止み、勘助が茶をすすっていると、相木は急に声を潜め、


「勘助くん。実は・・・・・・」


と言って本題を語りだした。


 相木の来訪理由をまとめると、どうやら勘助の謀反の噂が立っている、ということであった。

相木の言うところでは、勘助が凛姫を擁立し、白樺の民からの信用を集めて謀反を起こそうとしている。というものらしい。


「私は信じてないけどさ、やっぱり勘助くんの耳に入れておいた方がいいと思ってさ」


相木は姿勢を正し、真剣そうな表情で、


「私の友人は、決してそんなことをしないって、信じてる。だから、今日はここまで来たんだよ」


と言って勘助を見据えた。


 勘助は相木の顔を真剣に見つめ返しながら、内心で微笑む。


(なるほど。相木殿はで来られたか。岩間の差し金だな。やりおる)


 勘助は相木が親切を装って探りを入れに来ていることを見ぬいた。

先日の信方来訪の際の連れは、目付に任じられている岩間大右衛門いわま おおえもんの手の者で、峡間を去った勘助に怪しい動きがないか探りに越させたのだろう。信方の連れにしては、目つきや背格好が歴戦のそれではなかった。

勘助はそれ以降、あらぬ噂を避けるために人との接触を断ち、さらには任務に骨身を削って励んでいるという様子を見せるために「忙しい」とだけ言って部屋に籠り、病人のような顔つきに変貌させるという行動に出ていた。


 家来の報告を聞いた岩間は、判断に困ったのだろう。次の手として、勘助の友人である相木に依頼し、送り込ませた。


 勘助は相木の友人である。友人であるがゆえに、相木が何よりも晴奈に対して誠実な人間であることをしっている。

逆に相木は、勘助が謀反など起こす気はないと確信し、その確認の為にこそ、本気で勘助の心を探りに来ている。


 勘助は相木の言葉を聞き、驚きのあまり声が出ないと言った風を装い、次の瞬間には畳をあらん限りの力で叩いた。


「馬鹿げたことをっ!この俺が、お屋形様を裏切るだと!」


勘助は続ける。


「武郷家中は、今まで何を見てきたのだ!今俺がいるこの地は誰のおかげであると思っている!俺がお屋形様の為にこそと思い、策謀を巡らしたからこそ、こうして武郷領になったのではないか!」


相木は目を見開いて驚いている。確かに、勘助がいたからこそ、この白樺領は現在において手の内にあるのだ。


「考えても見ろ、俺が凛姫を擁立し、お屋形様の領土を奪うつもりであるのなら、そもそもこの白樺を攻めるという段階で行動を起こし、俺を信じて下さる若きお屋形様を白樺に誘い出し、討ち取っているだろう」


まさか勘助が晴奈に対し、「討ち取る」という恐ろしい言葉を使うとは思わなかった相木は、キョロキョロと辺りを見渡した。


「だが!」


勘助は立ち上がり、顔を真っ赤にして、更に続ける。


「俺はそれをしなかった!」


相木は、勘助のあまりの激怒ぶりと大胆不敵な発言に、血の気を失った。

自分の能力であれば、晴奈も討ち取れた。という勘助に、戦慄した。


「今だってそうだ。このやつれ顔を見ろ!この醜い顔は、お屋形様の為になればと思えばこそ、誇りにできるのだ!」


相木はようやく感情を落ち着かせると、


(そうだった。勘助の謀反など、あり得るはずもなった。勘助ほどの崇拝者もいないだろうに。謀反を疑われれば、こうなるのも当然だよ)


と、内心で友人の激怒ぶりに安心し、喜んだ。

相木は手で勘助に落ち着けというようなジェスチャーを送り、


「い、いやぁ私もそう思ってたよ!近いうちに誰か探偵が潜り込んで来るかもだけど、その調子なら大丈夫そうだね」


と、白々しいことを言った。

勘助は勘助で、内心、


(容易に自分が探偵であったと言わぬ。さすがは相木殿だ)


と、賞賛を送っっている。


 勘助は怒ったを続けながら、キッと相木を睨んだ。


「いや!それでは俺の心が我慢ならぬ!謀反などと思われただけでも心外だ!こうなっては仕方あるまい、任務は切り上げて、明日にでも俺はお屋形様の下に帰る!このやつれ顔を、武郷家中に見せつけてくれる!」


これには流石に相木も驚嘆した。


「明日!?」


相木が外を見ると、降雪激しく、風も強いのだろう、雪が舞い散っている。


「その体では無理だよ。不眠不休なんでしょ?お屋形様には私から、勘助の噂は根も葉もないって証言しておくから、四月まで、」


相木が立ち上がって怒る勘助に近づき、座らせようとする。

が、勘助はその手を振り払い、堂々と宣言した。


「いや!明日では遅い!今夜にはここを出る!」


と言って部屋をでていってしまった。


 勘助は夕希に事情を説明した。

夕希は終始驚いた様子で聞いていたが、降雪の中の急行軍を勘助が言い出した時には、激怒した。


「そんなの無理に決まってんじゃん!勘助、不眠不休なんでしょ!?健康な状態だって危険だよっ!」


「無理は承知で帰るのだ。なに、お前がいる。死ぬような事にはなるまい」


「無理だって!なんでそこまでして帰んのさ!」


「言ったであろう。お屋形様への忠義を、他の連中に示すためだ。この一件で要らぬ噂を駆逐する。事実、俺がお屋形様を裏切るなど、心外極まる」


「他に方法あるでしょ!」


「夕希。お前が先程言ったのだ」


「何を」


勘助は決意は既に固めたといった眼で、夕希を見据えた。


「体は資本、大切なものだ。そして、その体を酷使すればこそ、人は信じてくれる」


夕希はまだ何か言おうとしたが、既に言っても無駄だと分かってしまったらしい。

無駄だと分かれば、夕希も覚悟を決めねばならない。今できる準備を整え始めた。


 勘助は信方の下に訪ね、その次第を説明し戻ってくると、旅籠の前では夕希と相木が既に準備を整え、待っている。

他の家来たちはすべて出払っているとはいえ、心許ない人数ではあった。


「相木殿も行かれるのか?」


相木は頷いた。


(義理堅い女だ)


と、勘助は思った。

夕希が勘助に問うた。


「板堀様は、止めなかったの?」


夕希は信方に最後の助けを求めたらしい。


「板堀様は、『困難を乗り越えて大事を成す。それが男の本懐じゃ』と、仰っておった」


夕希は堂々と舌打ちした。


 勘助は準備を整えると、凛姫がいるはずの寺の方角を見ながら、つぶやいた。


「・・・・・・姫様。お別れの挨拶は、出来ませなんだ。申し訳ありませぬ」


唯一の心残りなのだろう。

が、すぐに心を切り替えると、笠を目深にかぶり、三人で峡間を目指して歩き出した。



 道中は困難を極めた。飛雪の中で勘助は、幾度かよろけながらもなんとか歩いていく。

勘助は自分の体力を過大評価していたらしい。この夜間、飛雪の急行軍は、勘助の疲労した体には酷く響いた。雪は水となり、やがては下着を通して肌を濡らした。その濡れた肌に風と雪とが共に吹き付け、容赦なく体温を奪う。


 体温が下がった勘助の身体は、体を震わせることでなんとか体温を保とうとする。

三人の中で勘助のみ、よく震えた。先頭を相木が行き、続いて勘助、最後尾に夕希である。

夕希は勘助の震える身体を見て、何度も「やっぱり帰ろう」と提案したが、勘助はそれを黙殺という形で却下した。


 しばらくすると、雪はさほど降らなくなってきた。が、勘助の視界は雪が降っているのを錯覚させる程にぼやけていた。わざと不眠不休の身体を作り上げ、自らの脚本に見合う役作りをした勘助であったが、彼の作った脚本に、雪という文字はない。不慮の事故であった。体が冷え込んだ勘助は、腹が痛くなり、幾度か用を足した。

その度、汗やらなにやらが出て、体中の水分が抜けていく。

杖を持つ手は、動かさねば感覚が感じられず、それが不安になって幾度も右に左にと持ち替えた。


 一行は晴れた日中の行程の三倍もの時を要し、峠近くへとやってきた。

相木は振り返り、勘助に提案する。


「勘助くん。今日はここまでにしようよ。峠に入れば民家もなくなるし、暗くて道が・・・・・・」


 民家を借りて一泊しよう、というのである。

が、その実は勘助が一度とこに就けばしばらく動けない状態になる事を見越している。今の勘助は明らかに風邪をひいている。その体を動かしているのは、意地であった。

一度休んでしまえば、意地は薄れる。相木はそれを知っており、利用した。


 勘助は高熱が出ており、相木が何を言っているのかは辛うじて分かったものの、その狙いまで見抜く体力は既になかった。

勘助はなにか言おうとしたものの、喉が痛くて声が出ない。

仕方なく、頷いた。


 三人は移動し、民家を借りた。

夕希は勘助の着ていた汗と雪とで冷たくなった服を脱がせると、体を拭く。

勘助は白湯を飲み、かすれた声を絞り出す。


「すまん、夕希。すまん」


「いいから」


勘助は痰が絡むためか、しきりに咳をしている。

勘助たちは民家の主から服を借りると、それに着替えた。

相木の狙いでは、勘助は不眠不休のために、すぐ眠りにつくはずであった。が、勘助はなかなか寝る様子を見せない。人間はある一定の限度を超えると、逆に眠れなかったりするらしい。勘助は目が冴えていた。


 相木と夕希は、勘助を速やかに寝かせてしまおうと考え、


「これを飲んで体を温めて」


と、酒を勧めた。


 しかし、二人にとって予想外だったのが、勘助が頑なにそれを拒んだことであった。


「酒は好まん。つけ込まれる」


 勘助は板堀親子の例を思い出していた。

二人はその出来事を、知らない。それを知らずにしきりに勧めたため、勘助はむしろ訝しんでしまった。


 勘助は咳を一通りし終えると、


「明日は日の出と同時に、」


と言って、予定を決めようとし始めた。

相木は、


(予定を決めさせてしまえば、もはやこの男は意地でもそれを守ろうとするに違いない)


と思い、必死に止めようとした。


「明日からのことは私に任せて、今はゆっくりと寝た方がいいよ。勘助くんの能力は、お屋形様にはまだ必要でしょ」


もうすべて自分に任せろ。というのである。弱っている勘助は、友人である自分を頼ってくれるはずだ。と思ったのだろう。

勘助は眼帯をとって姿勢を楽にしている。

どうやらこの男も、そろそろ寝る気になったらしい。


「ありがたいが・・・・・・、これは俺の意地だ。一度ひとたび舵取りを他人に任せれば、俺の意地は在りかを失う。大事なことは一人で決め、その足で最後まで行かねばならんのだ。そうして、ここまで来たのだ」


「・・・・・・」


「明日は日の出とともにここを出る。夕希、悪いが、起こしてくれるか」


夕希は一晩起きていなければならない。通常であれば他の家来にやらせることである。が、人が足りない。

夕希は、


「はいはい」


とだけ言った。


 三人は眠りにつき、翌朝予定通りに民家を出た。

峠をどうにかこうにか越え、峡間へと戻った。

勘助が任務を切り上げて帰ってきたという一報に、皆一様に驚いたが、最も驚いたのはそのやつれた姿を肉眼で確認した晴奈であった。勘助は風邪を移してはいけないと、そそくさと館を去った後、糸が切れたように倒れた。


 結果、勘助を見直した連中が増えた一方、勘助は身体を壊し、村島攻めの緒戦に間に合わなかった。


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