第一話 (6) 食客

勘助は小林の名を捨て、再び山森勘助として生きていくこととなった。

しかし勘助は、次に行くべき場所を明確に決めていた。

今川である。

既に修行を終えた勘助は、仕官を急いでいた。


勘助は、山中の戦いを観戦中に武郷方の足軽に捕まり、そこでとある情報を聞く。


それは、山ノ口城城主、串間彦十郎が武郷方に内通しているというものであった。


大変に貴重な情報である。


山ノ口城といえば、いわば武郷が南科野に攻め入るための玄関口にあたり、難攻不落というわけでも無かったが、十分に時間をかけねば落とせないレベルの城だった。


武郷は兵糧が少ない。

そもそも峡間は山ばかりで、米があまり取れない。

そこに来て戦に次ぐ戦を繰り返し、農民はろくに農業もできない。

武郷信虎は、豊富に米が取れる土地が欲しくて他国に攻め入った。

しかし武郷は、領国を接している中科野の一大勢力である白樺頼重と同盟を結んでしまった。

これは要するに、中科野侵略を諦めたことを意味している。

となると武郷信虎の敵は、東科野の羽柴元吉か南科野の今川梅岳になる。


信虎が今川梅岳の家臣、串間の調略を完了しているならば、次の標的は間違いなく今川でしかなかった。


勘助は、今川梅岳の軍師、太原雪原に会おうとしている。

勘助の初陣で勘助の所属する部隊を壊滅させたのが雪原であった。

勘助は、その身で雪原の軍略を味わったと言っていい。

おもえば、勘助が軍師という道を志したきっかけになったのも雪原なのかもしれない。



雪原は、屋敷で一人、酒を楽しんでいた。


雪原は僧侶である。

若い頃から秀才で知られ、その噂を聞きつけた今川梅岳の父に、梅岳の守役もりやく、つまり教育係として招かれた。

その後、梅岳の父が死ぬと、今川家の家督争いで梅岳を支援し、大いに貢献した。

これらの事から梅岳から厚い信頼を受け、軍事・政治・外交面でその非凡の才を遺憾無く発揮するその様は、まさに「黒衣の宰相」と呼ぶにふさわしかった。

雪原は常に冷静で、というよりも表情を壊したことがなく、何を考えているのか、その腹の内は誰にも読めない。

そのおかげで、雪原を知る者は困った。

どんなお方か、と聞かれても世間が知る以上の情報がないのだ。

しかし、あるにはある。雪原は無類の酒好きで、暇さえあれば酒を飲んでいる。

むろん、酔っているところは誰も見たことが無い。


雪原は今まさに、その最中だった。


「雪原様」


すると、戸の向こうから雪原が梅岳のために育てている小姓こしょうが名を呼ぶ。


小姓とは、武将の身辺に仕え、諸々の雑用を行い、戦時には主君の盾として命を捨てて守る役目で、主に若年者が務める。

成長すると主君の側近として活躍する者も大勢いた。


「いかがした?」


「はっ。それが、その、雪原様にどうしても御目通り

したいと申す者がおりまして、断ってもしつこくせがまれ申して・・・・・・」


小姓は本当に困り果てたような様子である。


「誰だ?」


「はっ。その、浪人者にござりまする」


「浪人?」


雪原は心当たりがない。


「はっ。仕官を願い出ておりまして・・・・・・」


ともかくも会ってみなければ分からない。

雪原はしばらく考えていたらしく、間を空けてから応えた。


「わかった。その者、連れて参れ」


「はっ」


雪原は酒を片付けさせ、しばらく待っていると、左目に眼帯、右足は引きずり、汚らしい格好の男が小姓に案内されて現れた。

男はひざまずき、頭を下げて自己紹介を始めた。


「山森勘助にござりまする。

お初に御意に得まする」


「山森勘助殿。なんでも、仕官なさりたいとか」


「はっ。それがし、10年に渡って諸国を遍歴し、兵法の極意を学びましてござりまする。

また、足軽として戦に参陣することも、いくたびか」


太原雪原は、黙って勘助を見ている。

表情も変わらなければ、相づちも打たない。

しかしどうやら、続きを待っているらしかった。


(腹の内が読めない。

・・・・・・不気味な坊主だ)


と、勘助は思った。

勘助は続ける。


「それがし、雪原様にご注進申し上げたき儀がござりまする」


「注進?それは?」


「はっ。今川家御家中に敵の間者がおるやもしれませぬ」


「・・・・・・間者。誰だ?」


「山ノ口城城主、串間 彦十郎。

武郷家と内応しておりまする」


「なぜ、そう思う?」


「それがし、浪人として先の山中の合戦に加わり、しかとこの耳で聞き申した。

山中の合戦にて、今川の援軍を武郷に知らせたのは、串間彦十郎でござりまする。

また、武郷はついこの間、山中で合戦をしたというのにもう出陣の構えを見せているとか。

武郷は合戦の頻度が高いですが、いくらなんでも早過ぎまする。

山ノ口城は戦わずして、取られまする」


「・・・・・・」


雪原は、黙っている。

やがて、口を開く。


「串間は、すでにこの世におらぬ。

と、言うたらいかがする?」


そして雪原は、口元をニヤリと歪めた。

が、やはりその目は笑っていない。

勘助は驚き、目を見開く。


「・・・・・・。

串間の内通は、既に見抜かれておられましたか・・・・・・。

見抜いた上で、串間が生きているように振る舞い、武郷を誘い出すとは・・・・・・。

さすれば、それがしは裏の裏まで知ったゆえ、仕官を断られれば、雪原様に刺客を放たれ、命を狙われまするな」


「かくなる上は、拙僧を斬るか?」


「それでは、今川様の手勢に斬られましょう」


「ならば、どうする?」


勘助は負けを認めざるを得ない。

こうなれば勘助を煮るのも焼くのも、雪原の手のひらであった。


「もはやこの命、雪原様に預けたも同然。

なんなりと」


しばらく沈黙が支配した。

やがて、雪原が口を開く。


「そなたは、頭は悪くないようだ。

殺すには惜しい、と拙僧は思う。

どうであろう、拙僧の食客として山ノ口城に入ってみては。

そこでの活躍次第で、梅岳様に推挙いたそう。

そなたも拙僧ではなく、今川家の直臣が望みであろう」


勘助は頭を下げ、「必ずや、活躍してご覧に入れまする」と言った。


結果としては、仕官のチャンスが巡ってきた事となった。


こうして勘助は、太原雪原の食客として、武郷と戦う事となった。

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