第一話 (5) 人間

勘助は東科野に帰ってきた。

勘助を養子としてしばらく世話をしてくれた小林勘左衛門は、勘助の恩人である。

その恩人に勘助は、陣取り・城取り・兵法の極意を学び、必ず戻ってくると言って家を飛び出した。


(いよいよ仕官だ・・・・・・!)


勘助の胸はいよいよ期待に高まり、自然、笑みがこぼれる。

行き交う人々は、そんな勘助を気味悪そうに眺めた。


勘助は勘左衛門の屋敷の前にたどり着いた。


(親父殿・・・・・・)


何も守るものはなく、ただ前をのみ見つめひた走る勘助と、生まれた時から守るものがあり、夢を抱く暇すらなかった勘左衛門では、価値観が違った。

しかしそれでも勘助は、自分を養子としてくれた勘左衛門を信頼していたし、恩を感じてもいた。


勘助が勘左衛門の屋敷の前で感慨にふけっていると、屋敷から怒鳴り声が聞こえてきた。


「この、臆病者めがァッ!」


(この声は、親父殿?)


勘助は驚いた。

勘左衛門が怒鳴る所は、見たことがない。


「お前はそれでも、小林家を継ぐ嫡男か!」


ともかくも、入ってみなければ分からない。

勘助は不思議に思いながら屋敷に入っていった。


勘助が屋敷に入って行くと、勘助の右手側に、庭にひれ伏し、頭を下げている若武者が見えた。

かなり若い。

勘助は続いて左に顔を向ける。

勘助は左目が見えないため、本来であれば収めることの出来る風景のおよそ半分しか視界に収めることが出来なかった。

勘助が顔を向けると、そこには驚いた顔の勘左衛門がいた。


もう70にもなる勘左衛門は、それはもう老いていた。

70歳とて戦に出る老人もいるが、勘左衛門はもう無理だろう。

もともと爪楊枝のように細かった体はさらに痩せ細ってひとまわり小さくなっており、髪の毛はもうほとんどない。

少しだけ残っているのがまたなんとも老いて見える。

毛並も剥げちぎれた老犬のようであった。


勘助は、その老犬に対して膝をつき、挨拶をした。


「お久しゅうございます、親父殿。勘助、ただいま帰りましてございます」


「勘助・・・・・・」


勘左衛門は驚きのあまり、それしか声が出ないようであった。

それも当然であろう。

片目片足の若者が旅に出ると言って家を出て、10年ぶりになんの連絡も無く急に帰ってきたのだ。


「勘兵衛〜♪ご飯の用意が出来たわよ〜♪」


するとそこに、勘助が聞いたことのないご機嫌な声で勘助の義母が現れる。

勘左衛門より20も若いこの義母は、むしろ若返ったようであった。

勘助には、勘左衛門の精気が全てこの義母に吸い取られたように見えた。


勘助の義母は、勘助の姿を認めると、目をまん丸くして驚いた顔をした。


「・・・・・・勘助?」


「はい。御母上。お久しゅうございます」


「・・・・・・」


義母はなんとも不愉快そうな顔をして、顔を背けた。


「こら、勘兵衛!何を呆けた顔をして見ておる!

お前の兄者じゃ。お前が生まれる前に出家した、お前の兄者じゃ」


勘左衛門が勘兵衛と呼ばれた若武者を怒鳴りつけ、驚いた顔で勘助をまじまじと見ていた勘兵衛は、慌てて勘助に頭を下げた。


「兄?ということは、この方は・・・・・・」


「そうじゃ。生まれたんじゃ。

おぬしが旅に出た、すぐ後にな」


「おおっ!おめでとうございまする!」


「今年で10歳になる。

少し早いが、元服させたのじゃ。

まぁ、上がってゆっくり話そう」


「はっ」


場所は、座敷に移動する。

勘助と勘左衛門は向き合って話をすることとなった。

勘兵衛はどうやら戦帰りらしく、母が用意した飯を食べに行った。


「親父殿。長らくのご無沙汰、お許し下され」


「ずっと、諸国を旅しておったのか」


「はい。修行者に身をやつし、高名な兵法者、軍略家を訪ね、また、足軽として戦に参陣することもいくたびか」


「左様であったか。

それは、ご苦労な事であった」


そう言って勘左衛門は顔をしかめ、続けた。


「それに比べ、勘兵衛は・・・・・・」


「どうか、なされたので?」


「此度の初陣は、早すぎたかのう」


「此度の初陣とは、山中の出兵でございますか?」


「うむ。そうじゃ」


ここで、武郷と今川との山中の戦いの後日談を語らねばなるまい。

武郷と今川の戦いは、今川の完勝で幕を閉じた。

武郷信虎は窮地に追い込まれたのである。

しかしここで、東科野の羽柴が今川領に向け、出兵の気配を見せた。

そのため、今川は撤兵せざるを得なくなった。

山中という土地は、峡間武郷氏の領地であるが、南科野の今川氏、東科野の羽柴氏の領国と接している。

武郷、今川、羽柴は互いに互いを牽制しあい、いわば小さな三国志状態であった。

どこか一つが滅びればその力関係は一気に傾くのである。

羽柴は、自分の利益の為に今川を撤兵させたに過ぎない。

その後、次は羽柴が山中に攻め入った。

この戦いで、勘兵衛は初陣を果たした。

戦いの結果でいえば、今川と羽柴の立場が逆転しただけで、不毛な戦いでしかなかった。


話は、勘左衛門の会話に戻る。


「せがれは、手柄を上げるどころか、落ち延びるのがやっとじゃった。

山にこもり、落武者狩りをやり過ごしていたというのだからなぁ」


もはや勘左衛門は、歳で戦には出られないであろう。

この山中の戦いが最後の出陣であり、少し若かったが嫡子の勘兵衛を初陣させ、活躍させて自分の後継者として主君の池田三郎に認めさせようとした。

しかし結果は、勘左衛門の語った通りであった。


勘左衛門は下を向いてしまった。


「親父殿」


「うん?」


「実はそれがしも、その戦に加わっておりました」


勘左衛門は顔を上げた。


「浪人者としての加勢に過ぎず、親父殿の隊に出会うこともありませなんだが、武郷家家臣が兜首一つ、討ち取ってござりまする」


「なに?」


この時の勘左衛門の驚いた顔を見た勘助は、無性に嬉しい気持ちになった。


その後、勘左衛門は首を確認したいと言い出し、勘兵衛も呼びつけ、首を確認した。

勘兵衛は初めて見た首だけの死体に、吐き気を催し、遂には吐き出してしまう。


勘助は、勘兵衛が自分の弟だと思うと、これまたむず痒いほどに嬉しく、その光景をニヤニヤと眺めている。


「まことかッ?まことに、武郷家家臣の首かッ!?」


勘左衛門が勘助にしつこく確認する。


「武郷家直臣、赤部宗秀の首で相違ありません。

それがし、これを持参し、いずれ羽柴家直臣に取り立てていただきとう存じまする」


「羽柴家の直臣・・・・・・」


するとそこに義母が現れる。


「勘兵衛〜。風呂の支度が出来ましたよ」


「ならんッ!!」


勘左衛門がいきなり立ち上がり、大声をあげたものだから、みな驚いて勘左衛門を見上げる。


「勘助が先じゃッ!風呂は、勘助が先じゃッ!」


そう怒鳴ると勘左衛門は、勘助に笑顔を向ける。


「勘助。疲れたであろう。ゆっくり風呂にでも、入って来るがよい」


勘助は眼帯を外し、久しぶりの風呂を楽しんだ。

この時代の風呂というのは、今で言うサウナにあたり、大変に贅沢なものであった。


(親父殿も喜んでくれたようで、なによりだ)


勘助は風呂を出て、顔を洗うため服を着て、庭にある井戸に向かった。


井戸では下女が桶に水をくんでいた。

下女とは女の召使いのことである。男は下人と言った。


下女は勘助が後ろに来ているのに気付かず、振り向くと眼帯を外した勘助がいたため、悲鳴を上げた。


驚き悲鳴をあげる下女は、水を汲んだ桶を落としてしまい、その水が勘助にかかる。

下女はその後すぐに、勘助が主人の養子であることを思い出し、必死に頭を下げた。


するとそこへ、音を聞きつけた義母がやってくる。


「なにをしているの、大きい声を出して」


義母はその惨状を目にして全てを察した。


「あちらへ行ってなさい」


下女は軽く一礼してそそくさとその場を去った。


勘助の心中は複雑であった。


(悲鳴を上げられるほど恐ろしいのか、俺は)


勘助はしばらく下女が去った方を呆然と見た後、井戸に近づく。

そこで、義母がまだこちらを見ていることに気づいた。


「驚かせてしまいましたな」


「勘助」


今度は勘助が驚いた。

義母が自分に話しかけてきた事など、今まで一度もなかった。


「なぜそのおぞましい顔を隠さぬのです」


そう言われては勘助はなにも言えない。

黙って眼帯をつける。


「これ以上、父上に恥をかかせてはならぬ。

よいな?」


義母は、呆然としている勘助には目もくれず、さっさと屋敷に入っていってしまった。


「・・・・・・」


勘助は、自分の家に帰ってきただけである。

自分の家で眼帯を外せば、下女には叫ばれ、義母には恥をかかすなと言われた。


(やはり、父上、母上、団次郎殿に夕希。

あれだけが、特別だったのだな・・・・・・)


顔を洗った勘助は、屋敷に上がる。

と、そこで気付く。

玄関を上がったところに置いてあったはずの赤部の首が、ない。


勘助は義母を探した。

正直に言えば、話しかけたくなかった。が、仕方がない。

義母は台所でなにやら料理をしていた。


「御母上。玄関のところに置いてあった箱を知りませぬか?」


「・・・・・・存じませぬ」


義母は勘助に顔も向けようともしない。

勘助に背を向けたままである。


「父上は?」


「・・・・・・存じませぬ」


「・・・・・・」


聡明な勘助は、全てを察したらしい。

この時の勘助の心情は、筆舌に尽くしがたい。



所変わって、池田三郎の屋敷である。

池田三郎は、武郷の家臣だという首を確認して、気持ち悪そうに顔をしかめた。


池田三郎は、女武将である。

羽柴家直臣でありまだ若い。が、それは彼女が優秀だからではなかった。

池田は、羽柴元吉の義理の妹にあたる。

これだけであった。

武将としては二流で、出自を笠に着て威張っているため、人望も薄く、人としても二流と言わざるを得ない。


「この兜首を勘左衛門の嫡子、勘兵衛が討ち取ったの?」


「はっ」


勘左衛門にも罪悪感は、ある。

今こうしている間にも、胃が痛くて仕方がなかった。


「へー。それで?

今頃に帰陣するっていうのは、どういう事なの?」


「はっ。恐れながら、申し上げまする。

せがれはなにぶん初陣にて、武勇を飾ろうと気がはやり、敵陣中に一人で深入りした次第にござりまする」


「へー。なんかきな臭いけど、それで?」


「はっ。合戦も終わりかけのこと、陣を引く敵に追い討ちをかけ、武運よく敵物頭の首を討ち取った。

ところまでは良かったものの、深入りしすぎ、四方を敵に囲まれ、致し方なく山中に逃げ込み、日を過ごしていた。とのことにござりまする」


池田は少し考えた顔をした後、笑顔になった。


「へー。そういう事もあるんだね!!

おめでとう、君はとっても優秀だと、この私が認めてあげよう!!」


そう言うと池田は勘兵衛に近づき、頭を撫でた。

デレデレとした様子の勘兵衛を見た勘左衛門は、いよいよ勘助に対する罪悪感に押しつぶされそうになる。


(勘助は許してくれるじゃろうか・・・・・・)


こうして勘左衛門は、勘兵衛と共に池田屋敷を後にした。


その道中。

勘左衛門は前方から歩いてくる歪な人影を見た。


旅道具一式を持った、勘助である。


勘助は、勘左衛門と勘兵衛を認めると立ち止まった。


「・・・・・・勘兵衛。帰っておれ」


「しかし、父上」


「帰っておれッ!」


勘左衛門に一喝され、勘兵衛は一瞬勘助を見やり、なにか恥ずかしい事をしてしまった子供のように顔を下に向けて、小走りに駆けていった。


勘左衛門は、人目のないところに向けて黙って歩き出す。

同じく勘助は黙って勘左衛門の後を追う。


やがて人通りの少ない所まで来ると、勘左衛門は黙って頭を下げた。

勘助には、勘左衛門が自分の首を差し出したように見えた。


「勘助。すまなかった。おぬしには悪いことをしたと思っておる。じゃが、天下に名を轟かせるなど、わしには分の過ぎたることじゃ。

小林家は池田の家来として、生き永らえねばならぬ。わしには、それで十分なのじゃ。だからこたびのことは、」


「ご案じめさるな。

兜首一つ、今のそれがしには、なんの役にも立ち申さぬ。それでただ一度の孝行が出来たのであれば、嬉しき限りです」


「・・・・・・勘助」


「これにてそれがし、小林の名をきっぱり捨て申した。

これよりは、山森勘助。

山森勘助として、生きて行こうと思いまする。御免」


勘助はそう言って一礼し、背を向けてその特徴的な歩き方で歩き出す。


「勘助!」


勘左衛門に呼び止められ、勘助は足を止めた。


「どこに参るのじゃ」


勘助は振り向きもせずに、


「分かりませぬ。

・・・・・・お元気で」


そう言って再び、肩を揺らして歩き出した。


勘助は、いっそスッキリとした気分であった。

勘左衛門のことは失望した。

それでも勘助は、勘左衛門を憎めなかった。

勘左衛門は勘助にとって恩人であるし、ひょっとしたら、勘左衛門のそういう人間らしい所が、勘助をそういう気持ちにさせたのかもしれない。

いずれにせよ、勘助と勘左衛門が会うことは、二度とない。

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