第一話 (4) 赤部事件その後
勘助が峡間を旅立った後。
勘助は赤部の遺体を川に流したが、遺体は近くの川岸に流れ着き村人に発見された。
村人は村を預かる団次郎に報告し、団次郎も上に報告した。
団次郎の上とは赤部に当たるわけだが、その赤部が死んだため、団次郎の主君は家老の板堀信方に変わった。
報告を受けた板堀は、その日のうちに高松多聞と共に遺体を確認し、団次郎に案内され村に現れた。
「武郷家家臣、赤部宗秀の遺体が発見されたとの報告を受け参上した、武郷家家老、板堀信方じゃ」
「武郷家家臣、高松多聞だ」
村の連中はみな外に出て平伏している。
「赤部殿の死について何か情報を持っている者は名乗り上げろッ!」
高松が声を張り上げたため、村の連中はみな、肩をビクつかせた。
「ほんの些細な情報でいい。
何か知っていれば、教えてくれ」
団次郎が村の連中に呼びかける。
団次郎は夕希と勘助に起こった事件を知らなかった。
「案ずるな。
誰もおぬし達が殺したとは思うておらぬ。
わしらが調べた限り、赤部殿の首の斬り口から見ると、運良く屍から拾い首をしたのではなく、生きたまま討ち取られたもののようじゃった。
百姓の所業とは、到底思えぬ。
余程戦慣れした者の仕業じゃろう」
板堀の言葉に、村の連中は一様に安堵した。
が、板堀はその中で唯一、目を泳がせている者を見逃さなかった。
夕希である。
板堀は夕希に近づいた。
「おぬし・・・・・・」
「?夕希がどうかいたしましたか?」
「団次郎。おぬしの知り合いか?」
「知り合いもなにも、娘ですが・・・・・・」
板堀は、一瞬驚いた顔をした後、
「わかった。団次郎の娘よ、ついて参れ」
と言った。
板堀の中ではどうやら、一つの推理が完成したらしい。
板堀達4人は村から離れ、近くの川に着いた。
板堀は大きめの石に腰を下ろし、切り出した。
「団次郎の娘よ。名は?」
「夕希です」
「?」
団次郎はなぜ自分の娘がここに連れてこられたのか理解できていない。
「では夕希よ。話してくれんか?」
「・・・・・・」
「ッ!?待ってください、板堀様!
確かに娘は粗暴で身分も武士の娘ですが、戦になど出たことはありません!」
「黙っておれっ!団次郎!」
娘が疑われていると思った団次郎が声を張り上げ、それを黙らせようと高松も声を張り上げる。
しかし娘を庇おうとする団次郎は高松に怯んだりはしなかった。
「いいえ、黙りません!
さっき板堀様も言うたじゃありませんか!
戦慣れした者の仕業と!
ならば娘はありえません!」
「次は言わんぞ?黙っておれ、団次郎!」
「娘が疑われておるのに、黙ってそれを見ている親がどこにいるんですか!」
高松は団次郎を殴り飛ばした。
年は高松の二倍近くある団次郎だが、その実力は高松の四分の一もない。
団次郎は倒れこみ、それでも起き上がり高松に摑みかかろうとする。
「やめんかっ!」
それを板堀が一喝する。
「夕希よ。おぬしも落ち着け」
板堀は夕希の肩に手を置いている。
夕希はそれは凄まじい殺気を放ち、高松を睨みつけており、板堀が止めなければ次の瞬間、この川は血で染まることになっていただろうことを想起させる。
「凄まじい気迫じゃのう。良き面構えじゃ」
「まことに」
高松まで認めるほどなのだから、夕希の気迫は余程のものだったのだろう。
夕希が落ち着いたのを見計らい、板堀はこう切り出す。
「赤部はのう、平素から悪行目立ち、無分別な事は家臣の中でも有名でな、お屋形様も手を焼かれておった」
板堀は優しい眼差しで夕希を見つめた。
「わしの推理ではのう、おぬしは赤部に襲われた。
それを父親である団次郎が激昂し、赤部を討った。
先程の荒れ狂いようであればおかしくはない。
どうじゃ?当たったかのう?」
板堀の推理は結果でいえばハズレであった。
しかし、もしこの推理が本当であったとすれば、家臣である団次郎が主君である赤部を殺した事になり、例えそのつもりがなくとも謀反に該当する。
板堀はこの推理が本当だった場合、団次郎を庇うつもりでいた。
板堀は団次郎のような人間のことが好きであったし、赤部のことはなんとかしなくてはいけないと思っていた。
が、夕希には板堀が団次郎を庇うかどうかなど分かるはずもない。
今度は先程の構図と全く逆になり、団次郎の謀反を疑われた夕希が団次郎を庇う番だった。
期せずして追い詰められた夕希は、本当の事を喋る事にした。
「違います。
赤部様があたしを襲ったことまでは本当です。
しかし赤部様を討ったのは父上ではありません」
「では、誰が?」
「通りすがりのご浪人様です」
「浪人?名は?」
「聞いておりません」
「容姿は?」
「よく覚えておりません」
板堀は首を傾げざるを得ない。
その可能性も無いではないが、赤部はあれでもそれなりに強い。
並の浪人にやられる事はないはずだった。
「そういえば・・・・・・」
「どうした?」
ここで高松が何かを思い出したようだった。
「はい。俺も妙な浪人に会いました。
片目片足で、なんでも兵法の修行をしているとか申しておりました」
「そやつとはどこで?」
「はい。山中の戦の折、足軽が怪しい奴を捕らえたと連れてまいりまして、味方に加えて欲しいと」
板堀は夕希をじっと見つめる。
夕希は動揺していた。
片目片足で、兵法の修行をしている浪人など勘助以外にそうはいない。
そもそも勘助が言っていたのだ。
高松多聞に捕まり尋問を受けたと。
夕希は必死に平静を保とうとした。
が、彼女は感情を隠すのが得意な方ではない。
(わかりやすい娘じゃ)
板堀は赤部を殺したのがその片目片足の浪人である事を確信した。
確信した上で、こう言った。
「いや、そやつではあるまい。
夕希は容姿は覚えていないと言った。
しかし片目片足で忘れるという事はあるだろうか」
「確かに。
あの見た目で忘れるという事は考えられません。
が、それはこの娘が嘘を言っていなければ、ですが」
高松は鋭い眼光で夕希を睨みつける。
「よさんか。
わしは夕希を信じる。それよりも、じゃ。」
板堀は高松をなだめ、夕希に頭を下げた。
「武郷の家臣が迷惑をかけた。
すまん事をした。夕希、団次郎。
許してくれんか」
夕希も団次郎も驚いた。
板堀は家老である。
家老とは家臣でも最高位に位置する。
その家老が頭を下げたのだ。
すると、板堀にならい、高松も「すまん」と言って頭を下げた。
団次郎はひたすらに焦り、夕希は驚いていた。
夕希にとって武郷の家臣など、飢饉に苦しむ領民から年貢を絞り取り、そのくせ戦ばかりする信虎の下で威張り散らすしか能のない外道どもとしか思っていなかった。
板堀は夕希に切り出す。
「夕希、おぬし、わしの家来にならんか?」
「え?」
「先のそなたの気迫、あれは本物じゃ。
よい武士になれる。
どうじゃ?おぬしさえよければじゃが」
もはや武士になる決意を固めていた夕希には、願ってもない話だった。
しかし夕希には、どうしても許す事のできない事があった。
「ありがとうございます。
あたし、正直言って、武郷の家臣はロクなのがいないって思ってました。
でも、そうじゃないってわかりました。
誤解してました。ごめんなさい。
赤部様があたしにしようとした事は、許します。
でも、さっき高松様があたしの父上を殴ったことは、許せません」
「夕希・・・・・・」
団次郎は当事者なのだからここで何か言うべきであった。しかし、感情豊かな団次郎は、下を向き、むせび泣いてしまい、言葉を発される状態ではなかった。
団次郎がこうなってしまってはもう一人の当事者が夕希に答えるしかなかった。
「俺は間違ったことをしたつもりはない」
「確かに、父上も悪い所はあった。
板堀様の話を最後まで聞かずに声を荒げた。
でも、殴る必要まではなかった。
違う?」
「必要があったから殴った。
殴らねばお前の父親は止まらなかった」
「それはあんたが言葉で収める努力をしなかっただけでしょっ!?
事実、あんたが父上を殴ったところで場は収まるどころかその逆だった!
それを収めた板堀様は、暴力じゃなくて言葉で場を収めた!」
「・・・・・・」
「高松よ。此度はおぬしの負けじゃな」
行司の軍配が上がった。
「・・・・・・団次郎。
すまなかった。
お前の娘の言う通り、俺の言葉が足りなかった。
許せ」
そう言って再び団次郎に頭を下げた。
「さて、これで高松を許してやってくれんか」
「それを決めるのは父上です。父上」
「団次郎。どうじゃ」
団次郎はなんとか涙を止め、ようやく言葉を口にする。
「も、もちろんです!
板堀様、高松様。こちらこそ、申し訳ありませんでした!」
「良き娘を持ったのう、団次郎」
「はい!わたしには、勿体無い娘です」
「それで、夕希よ。
改めて、わしの家来になるという話じゃが・・・・・・」
「なりたいです!是非!」
「お?ははははは。これは心強いのう」
板堀が彼女の事を高く買ったことは事実であった。
が、板堀の思惑は他にもあった。
片目片足の浪人である。
兵法の修行をしているとは、面白い。
片目片足で赤部に勝ったのだ。
板堀は浪人に強い興味を惹かれた。
夕希とその浪人は、知り合いである可能性が高い。
夕希を自分の近くに置けば、その浪人が現れる可能性がある。
板堀は武郷信虎のため、いや、正確にはその娘のために、優秀な人材を集めていた。
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