第三話 (3) 低遠合戦 後編

城に籠る低遠軍は、武郷軍のおよそ半数が何処かに向かって離れていくのを不思議そうに眺めていた。

頼継も守将として配置されていた家臣達を急ぎ呼び寄せ、砂煙を上げて移動する武郷軍を指差して、


「あれは、何処に行くのか」


と、聞いた。

参謀の春日正樹かすが まさきは、「はて」と首を傾げ、他の家臣達も検討がつかず閉口している。


 そこで、浅田信守と同じく元白樺家の家臣である藤沢幸朝ふじさわ ゆきともが、


「それがしが、探って参りましょう」


と名乗りを上げた。


 彼はどちらかと言えば武骨な武人タイプで、浅田とは違い弁舌のまわるタイプではない。

藤沢は浅田とは違い、低遠家中から嫌われていない。

というのは、彼が先述の通り口下手で、政敵としては相手にならず、そのくせ戦では武郷軍の久乃木麻里隊を苦しめるなどの戦果を残している為である。


 藤沢は家来を十騎ほど連れ、搦手門が空いている事をいいことに、包囲を離れた武郷軍を密かに追った。


 藤沢は追っている途中、その方角からおおよその検討をつけていた。しかし、彼はあゆふやな予想で報告をする事を好まず、しつこく武郷軍を追って行った。


 低遠城までおよそ三分の一といった所まで来た時、藤沢は武郷軍が本城である低遠城に向かっている事をいよいよ確信し、馬首を返す事にした。


「ぬしらは武郷軍をこのまま追い、その真相を確かめて参れ」


と、念のため五人ほどの家来に命じ、自身は春日城へと引き返した。

春日城に戻ると、参謀の春日が出迎えに現れた。藤沢は驚き、急いで春日の下に駆け寄った。


「これは参謀殿!驚き申した。わざわざ、それがしの出迎えに?」


「なに、参謀である私は直ぐにでも情報をまとめねばならぬでな。いや、ご苦労だった。無事で何より」


「はっ。春日殿に褒めていただけるとなれば、光栄の極みです」


春日は笑いながら、「私も、我が軍が誇る猛将、藤沢幸朝にそう言ってもらえれば、光栄ですよ」と藤沢を殊更ことさらに立て、報告を促した。


「敵は恐らく、低遠城へと向かっております。後詰めを断つつもりでしょう」


 藤沢の報告を聞いた参謀春日は顎に手を置き、「藤沢よ、それはまことか」と確認をとった。


「はい。まず間違いなく。敵は副将の信繁を指揮官に、低遠城の目と鼻の先まで進軍いたしました。今頃は既に、低遠城は敵に包囲されているかと。それがしは急ぎ報告をせねばと家来たちに追尾させ、一足先に帰って参ったのです」


「そうか。誰に任せた?」


「は?」


「いや、危険な任務をよくこなしてくれている。帰ってくれば真っ先に恩賞を与えねばなるまい。その時の為、名を聞いておかねばと思ってな」


藤沢は感激し、武郷軍を追尾しているはずの家来たちの名を全て挙げた。


「みな、若くて勇猛な将ばかりです。どうぞ、よしなにお願いします」


「ああ。我が軍の目付めつけは出来の悪い者が多い。参謀である私が手柄のある者を把握せねばな」


 目付とは家臣たちの動向や素行を探り、謀反や陰謀、不正に眼を光らせ報告する、いわば秘密警察のような組織であった。しかし、低遠軍においてはその機能が発揮しておらず、賄賂わいろによる口止めや嘘の報告が頻発している。


(軍全体が腐っている)


と、春日は結論している。


 春日の言動に誠実さを感じた藤沢はますます感動した。

低遠軍の腐敗ぶりは、政治事に関心を寄せない藤沢でさえ分かっていた事実であるが、「この男なら、低遠軍を変えられるやもしれん」と、低遠軍の未来にすら希望を持ち始める有様であった。


 その後、春日城では軍議が開かれ、春日は藤沢の報告をそのまま説明した。

黙って聞いていた頼継は、居城を戦場とされることへの苛立ちを隠しきれず、しきりに険しい顔で首を傾げた。


「おのれぇ、武郷め!我が低遠城を、攻めると申すかぁ!」


 遂に頼継は怒りを爆発させ、持っていた扇子を地面に投げ付けた。

それを見て取った家臣たちは、再び愚者を発動させ、我がことのように怒った真似をして見せた。

その中でも春日は冷静で、


「頼継様、慌てることはございません。低遠城も戦の準備はしかと万端ですし、そうそう落ちは致しませぬ。後詰めを断たれ援軍は期待できなくなりましたが、このまま籠城していれば勝てましょうぞ」


「・・・・・・。春日、お前はいつも冷静だな。すまん、少し頭に血が昇った。お前の冷静さには、いつも助けられておる」


「はっ。あり難きお言葉」


「しかし、このまま動かないというのも、もどかしいな」


「果報は寝て待て、と申します。武郷軍が動いた以上、相木殿ももうじき現れるかと。それを待ちましょう」


春日の言葉に頼継は満足そうに頷いた。



 その翌日。降伏勧告の軍使として、武郷軍家臣の相木市が堂々と城に乗り込んできた。


「来ましたな」と、春日が笑うと、頼継もまた下卑た笑みを浮かべた。


 姿を現した相木は、ややぽっちゃりとした体形の女武将であった。


「これは驚いた。相木殿は女であったか。あまりに大胆に参られたゆえ、わしはてっきりむさ苦しい巨漢が来るのかと思っておった。いや〜、安心安心。まあ、よく考えれば、裏切るなどという行為は女の専売特許だからなぁ。なんせ女は、強い男にすぐ惚れる」


と、頼継は自分では面白いつもりの気の利かない冗談を早々にかました。

周りの家臣たちはその冗談に過剰に笑い転げる。

無論、頼継を筆頭にして、彼らの中には裏切り者を軽蔑する感情も混ざっていた為、殊更に相木に対して無礼に振舞っているというのもある。


 一見困惑した様子の相木は、内心でははらわたが煮えくり返っている。


(女だからって馬鹿にして。いざとなれば女は、男連中よりもよほど肝が据わるってこと、思い知らせてやる。あんたは、その女に負けるんだよ!)


 立ち尽くす相木に、くすりともしなかった春日が座るよう促した。

散々に笑い尽くした頼継は、目尻の涙を拭いながら、


「よく来たのう、相木殿。武郷では不遇だったとか。安心せい、わしはしっかりと任務をこなせる者は分け隔てなく恩賞を与える」


「はい。さすがは頼継様。元主君とは器が違います」


「うんうん。それで相木殿。端的に聞く。敵の狙いは何か」


「はい。まず、包囲から離れていった別動隊ですが、あれは低遠城に向かい援軍を断つのが目的です」


頼継は満足そうに頷いた。末座の藤沢は、「やはり」と自らの考えの正しさに満足している。


「武郷軍は城方の援軍を断った上で、このまま包囲を続けるつもりです。低遠軍は揃いも揃って腰抜けばかりゆえ、打って出ることはまずないだろう、と」


「なに!こ、腰抜けだと!」


 頼継は顔を真っ赤にして立ち上がった。ほかの家臣達もこの侮辱に黙ってはいない。


「おのれ、舐め腐りおって!」

「先の戦でまぐれで勝ったからといって図に乗っておる!」


広間の熱気は一気に高まり、その中で相木はニヤリと笑い、大声で進言する。


「武郷軍は間抜けにも軍勢を二手に分け、今は油断しきっています!門を開け全軍で攻め寄せれば、必ずや武郷晴奈の首は頼継様の手に!」


「おう!皆の者、異論はあるまい!打って出るぞッ!」


家臣たちは立ち上がり、口々に、「おう!」「承った!」「殺し尽くしてくれるわ!」と士気を上げた。

しかし、その中にあって唯一座ったままの男がいた。


参謀、春日正樹である。


彼は大声で、


「お待ちくだされッ!」


と、声を荒げた。

士気が上がっていた所をとめられた頼継は、不服そうに春日を見た。


「なんじゃ、春日よ」


「いえ、得心いかぬ事がありましたので」


 熱し切った集団の中にあって常に冷たい態度を取る春日に、頼継は安心感を感じていたが、この時ばかりはその態度に怒りを覚えた。


「お前は軍隊の士気を上げるという行為が如何に難しいか、理解しておるのかッ!ここにいる全員、冷や水を浴びせられた気分じゃ!」


春日は他人が熱くなればなるほど、冷ややかになっていく気質のようであった。


「頼継様の仰られる事、実にその通り。その通りだからこそ、お止めしたのです」


「なに?なぜじゃ!」


「この場にいるみなの心を怒りで一気に盛り上がるとは、実に見事な手腕でしたな、相木殿?」


春日の語りかけに、相木もまた冷静に応じた。


「何が言いたいのでしょう?」


春日はもはや癖なのか、鼻で笑った。


「相木殿は先程、武郷軍はこのまま我々を包囲し続けると。それはつまり、我々に兵糧攻めを仕掛けるという事」


「それが何か?」


「ハハハハハッ!兵糧難の武郷軍が我々に兵糧攻めを仕掛けるなど、まず考えられませんな!」


「・・・・・・」


閉口した相木を見て、その場の空気が一気に正気へと戻った。

春日の言を聞いた頼継も、「春日の言う通りじゃ」と漏らし、


「どういう事じゃ、春日よ」


と更なる説明を求めた。

春日はニヤリと笑い、


「相木殿が来られた故、敵の考えがはっきり致しました。要するに敵は、我らを城から出したいのです。それもそのはず、先も申した通り敵は兵糧に難があります。手薄になったと見せかけて、何かしらの罠を仕掛けているはずです。搦手が空いているのは、のこのこと出てきた我らを迎え討つ為の兵力を大手門の方に集中しているからでありましょう。また、搦手を空ける事で、我らに兵力不足を演出しようとしているのかもしれません」


「なるほどぉ。我らを城から引きずり出す為の策であったか。いかがじゃ?相木殿?」


頼継はニヤニヤと挑発的に相木を見た。


「・・・・・・そちらに御座おわす春日殿は、少し考え過ぎの気があるのではありませんか?事はもっと単純です」


相木の言い訳じみた反撃に、春日はまたも鼻で笑った。


盗人猛々ぬすっとたけだけしいとはこの事ですな。我らを騙すつもりで参られたという事は、調べればすぐにわかる事」


春日は戸の近くに侍っている近習の二人に「おい、服を調べろ」と、命令した。


「なっ!?やめっ」


 近習達は、驚く相木に問答無用で近づき、その懐を探ろうと、暴れないように押さえつけた。


相木の懐には、鋭く研がれた脇差わきざしが隠されている。


脇差を見つかりそうになった相木は、隙を突いて自ら脇差を取り出し、スラリと抜き放った。


広間は一気に緊張感に包まれた。


が、相木の一挙手一投足を注視していた低遠軍一の武闘派である藤沢は、矢のような速さで相木に近づき、羽交い締めにした。


「くっ!放せ!」


ジタバタと暴れる相木を、他の家臣達も押さえに掛かり、遂には脇差を奪いあげた。


家臣達が相木が他に何か忍ばせていないかと鎧を剥ぎ取っている間、藤沢は相木の脇差を確認し、その鋭さに驚いた。


「なんと鋭利な刀だ。ここまでの丁寧な仕事は見たことがない。人間の腕など、豆腐のように斬れよう」


相木の脇差を見た藤沢は、なんとなく相木がどういった人物なのか分かった。


(おそらく、策が失敗した時のためにこの脇差を忍ばせて来たのだろう。決死の覚悟で刺し違える。そういった覚悟が感じられるようだ。まさしく、武士だ。見事な武士道だ)


根っからの武人肌の藤沢は、心中で相木の覚悟に敬意を示した。

一方、彼の主人は別の感想を抱いた。


(藤沢が言うのであれば間違いがない。刀のことはよく分からんが、九死に一生を得たのだろう)


今になって自分の命が危機に晒されていた事に気付いた頼継は、生唾を飲み込み、背中に冷や汗が落ちるのを感じた。


そして冷静になれば今度は、相木に対する怒りが彼を支配した。


頼継は足音を立ててズカズカと相木に近づくと、顔を怒らせてその左頬を殴りつけた。


口の中で血の味を感じた相木は、頼継を睨みつける。


「なんじゃあ!その顔は!」


先程とは反対の腕で、今度は右頬に握り拳を叩きつけた。


「この!痴れ者がぁ!」


続けざま、二、三発と殴り続ける。

相木は血を吐き捨て、憎悪の声で頼継を罵った。


「ハッ、先の先まで馬鹿にしていた女が、そんなに憎いほど怖かったか。この、臆病者め!」


「なぁぁにぃぃ!?」


頼継は怒りはますます燃えたぎり、相木の髪を強引に掴むと無理矢理立たせ、その腹に一撃殴りつけた。


「ぐッ」


「お前は肉付きが良いから、拳が痛まず、都合が良いわ!」


その後も頼継は、相木の腹に拳を打ち続けた。

遂に相木は立っていられず、膝をついた。


その光景は家臣達の目から見ても常軌を逸しており、藤沢は心中、


(とても武士のやる事ではない)


と、思った。


荒く息を吐く相木は、未だ気絶の領域には至っておらず、頼継を睨みつけると、


「お前のその醜いつら、しっかりとこの眼の奥に焼き付けたからな!覚えておけよ。私がその面、首だけになって衆目に晒される時には、もっと醜く変えてやる」


「この!まだ言うかぁ!」


それからも頼継による暴行は続き、やがて相木は気を失った。


「はぁ、はぁ、はぁ」


呆れた様子の春日は、見るからに疲れた様子の頼継に近づき、


「もうよろしいでしょう。この者は、私が責任を持って処分致しますゆえ、しばらくは牢に繋いでおきます」


「はぁ、はぁ、はぁ。春日、お前に任せる」


「はい。それと、」


そう言って春日は、呆気にとられた様子の浅田信守を見た。


「相木殿を城内に誘い込んだ浅田殿にも、念のため牢に入っていてもらいましょう」


「なっ!」


抗議をしようとした浅田の行動を先読みしていた春日は、それを手で制し、続ける。


「なに、この戦が終わるまでです」


 浅田はそれ以上の抵抗を見せず、黙って相木と共に牢に連れていかれた。

春日は二人が連れていかれるのを見終わると、


「頼継様。それでは、軍議を続けましょう」


と、事務的と言えるまでに話を軍議に戻した。


「しかし、軍議と言っても我らは結局のところ、籠城を続けるしかないのだろう?」


頼継は既に籠城は飽き飽きといった様子であったが、春日は首を横に振った。


「いえ、敵の作戦が分かった以上、それを逆手に取り、こちらからも仕掛けましょう。兵は拙速せっそくたっとぶと申します。将兵の為にも、戦は早く決着した方がよろしい」


この言葉を聞いた頼継は、顔を輝かせた。


「それは良い!このままでは、息が詰まりそうじゃ!ハハハハハッ!それで、我らはどうする?」


「はい。敵の別働隊が低遠城に向かったという事ですので、我らも兵を割り、がら空きの搦手よりそれを追います」


「おお!それならば、低遠城を包囲しておる武郷軍を、城と我が別働隊とで挟み撃ちにできるのう。しかし、残りの武郷軍がこの城に襲いかかって来るのではあるまいか?」


「いかにも。しかしこの城は、そのように片手間で落とせるような城ではございません。この城を落とすには、じっくりと時を掛け、策を練らねばならないでしょう。それだけの城です。たかだか三千ごときの兵で攻め寄せるなど、正気には思えません」


「お前がそこまで言うのであれば、問題あるまい!よしッ!すぐさま策を実行に移すぞ!有賀東美!お前が指揮を執れ!」


「承知仕った!」


有賀は飼い主に呼ばれた犬のように元気よく返事をし、すぐさま準備に移る為、立ち上がった。

春日はすかさず、


「兵糧の支度は私が整えましょう」


と、支度の手伝いを買って出た。

普段からいがみ合っている有賀は驚いたものの、


「・・・・・・かたじけない」


と、素直に感謝した。

その様子を見た頼継は満足気に頷き、


「仲良きことは、美しきかな。じゃ!ハハハハハ!」


と、まとめた。




 勘助は地面に胡座をかき、あくびをしながら春日城を見ている。

その隣には、一緒に城を見張っていた夕希が退屈のあまり寝てしまっている。


 その勘助の頭上に、何かしらの気配を感じ、勘助は上を見上げた。

見れば頭上には巨大な二つの突起物がある。


 勘助は眉を寄せ、後ろを振り返った。

そこには人の足があり、勘助は頭上のそれの正体を察した。


「ああ、胸か」


それだけ言うと勘助は、再び城に視線を戻した。


「なあ、勘助。少しいいか?」


後ろから声を掛けられ、勘助は大儀そうに相手の顔を見た。ここで初めて、勘助は相手が誰か確認した。


「これは、馬場殿。いかがなさった」


「うむ」


 そう言って馬場晴房ばば はるふさは、勘助の隣に腰を落とした。

晴房は春日城を指差し、


「勘助。こうしてあれを見ているだけで、あの城が落ちるのか?」


勘助の作戦は晴奈から聞いていたが、どうにも不審であった。というのも、当の勘助が暇そうに座っているだけである。


しかし勘助は一言、


「左様」


とだけ言った。


「・・・・・・。勘助、私は戦に勝つには、自らの足で動くしかないと考えている。違うか?」


「それはその通り。しかしそれは、戦の前にすべき事であります。既に人事は尽くしました。後の事は天に任せておけばよいのです」


「・・・・・・そうか。ならば私がこれ以上とやかく言うのは、野暮というものだな」


「さすがは馬場殿」


 それから二人は、雑談をした。

晴房は勘助の隣で昼寝をしている夕希を見て、優しく微笑んだ。


「気持ち良さそうに寝ている」


「まったくです。戦の最中に昼寝とは・・・・・・」


「豪傑だな」


「緊張感が足りていないだけでしょう」


「勘助が隣に居るから、安心しているのではないか?」


「さあ?疲れているだけやもしれませぬ」


「ハッハッハッ!しかし、可愛い寝顔ではないか」


言われて勘助は、夕希の顔を見る。

夕希はヨダレを垂らして寝ており、勘助はなんとなくその頰を突いてみた。


驚くほどに柔らかい。


しかし次の瞬間、勘助の手は夕希にバシッと叩かれた。


「・・・・・・可愛くは、ありませぬな」


「ハッハッハッ!こそばゆかったのだろう。許してやれ」


その後も雑談は続き、やがて晴房は思い出したように切り出した。


「この作戦がうまくいけば、勘助は参謀長になる」


「参謀長?」


勘助は首を傾げた。


(はて?そのような役職、武郷軍にあったかな)


 晴房としては勘助が喜ぶだろうと思い、サプライズのつもりで何気なく教えたのだが、勘助の困惑の表情を見て慌てて補足の説明をした。


「泉様が勘助を参謀になさっては、とおっしゃってな。それを受けて児玉様が、参謀では不服だろうと新たに新設なさったのだ」


これで勘助も笑顔になるだろう、と晴房は思った。

しかし、勘助の反応は薄い。


「ああ、なるほど」


「どうした?嬉しくないのか?」


「・・・・・・いえ」


勘助は複雑な心境であった。


(軍師に近づいたのは確かであろう。しかし、)


 勘助はこれを無邪気に喜べるほど楽観論者ではない。

勘助は自らが謀略を用いる者として、それが敵だけに当てはまるものとは考えられなかった。


味方からも、裏切り者が出る可能性は十分に考えられた。

作戦を部将達の前で大っぴらにするのはあまりよろしくない。


(人の場合、何某なにがしに限って有り得ないなどと言う事は当てはまらない。人は結局、利害と恐怖で動く。

あれが欲しい、あれがしたいといった利と、これを守りたいという恐怖だ。その為ならば、今の今まで受けた恩義など、平気で忘れる)


というのは、勘助の哲学であった。

そのくせ、勘助自身はその限りではなかった。勘助は生涯、晴奈への恩義を忘れた事はない。


 複雑な顔をしている勘助とは対照に、晴房は勘助の表情を照れ隠しと受け取ったらしく、顔を輝かせている。


「これからは軍議にて堂々と献策し、私たちを頼ってくれ。成功も失敗も、皆で分かち合う。それが仲間だ!」


と言って、晴房は満足そうに笑った。

晴房はどちらかというと、こと人間関係的な意味においては、楽天的な所があった。


(こうなればいい。こうだったらいい。というのが、馬場殿の中では、という風に置き換わっている。人に好かれる反面、理想主義者だ)


と、勘助は思った。

しかし勘助は、この底抜けに人の良い馬場晴房という女武将に「現実を見なされ」とは言えなかった。

自分には自分の考え、他人には他人の考えがあり、そこをつつくような事は、それこそ野暮天であろう。


(この“人“というものに期待する様こそ、馬場殿を馬場殿たらしめておるのだろう)


と、勘助はご機嫌に笑う晴房を見て、一人納得した。


 そうこうしている間に、勘助は「あっ」と声を出した。晴房は何事かと勘助を見たが、すでに勘助は立ち上がり、


「夕希ッ!起きろッ!」


と、声を張り上げた。

夕希はビクッと起き上がり、「何!?何事!?」と慌てた。


「夕希!急ぎ信繁様に伝令だ!」


夕希は息を呑み、


「勘助、遂に・・・・・・?」


勘助はニヤリと笑い、


「ああ。動いた」


と頷いた。

夕希も力強く頷き返し、すぐさま隣に置いてあった兜を被り、勘助の家来を数名連れて信繁の下へ向かった。


既に命令一つで動ける準備は済んでいたようであった。


晴房はこの戦にとって何かしらの大きな転換点を迎えた事を感づき、その全貌を把握しているのであろう勘助から情報を得ようと詰め寄った。


「勘助!何事だ!」


「馬場殿。馬場殿は、以前それがしが戦の秘訣について尋ねた際、なんとお答えになったか覚えておられますか?」


「うん?ああ。その時私は、敵よりもまず味方を見よ。戦で肝心なのは敵味方の相色あいいろだと言ったな」


 相色とは、おそらく馬場の造語であろう。馬場曰く、相色とは軍勢の勢いや潮時を読むことだという。

さらに馬場は、その相色について具体的な方法は、「兜の吹き返しと旗指物の揺れ方に注意を払うこと」という事を言っている。

さらに言葉は続き、「これらが相手に向かって傾いていれば、勢い強く闘志盛んなことを示し、守備に徹するべきであり、これらが絶えず左右に揺れ動き、後ろに反ったり下がったりしている時は、相手が衰えていることを示しているため、攻め時である」と語り、最後に彼女は茶目っぽく、「これを心掛けて熟達させれば、怪我をせずに戦功を立てられる」と言って笑った。

後年、「不死身」と言われるほどの戦上手であった馬場のこの言葉は、確かに戦における駆け引きの秘訣であろう。


 話は、戻る。

勘助は晴房の言葉に頷き、


「左様。ではあれも、ではございませぬか?」


と、春日城を指差した。

馬場が勘助に言われて城を見やると、城からは白い煙が高々と上がっていた。


「あれは、飯炊きの煙・・・・・・!あれほどの量だ。敵は大きく動くッ!」


「その通り!今こそ、我らの攻め時!総攻めの準備を!」


晴房はニヤリと笑った。


「了解だ!参謀長殿」



 もはや陣触れの太鼓を待つだけとなった武郷軍の本陣に、勘助が駆け込んだ。


「敵の別働隊、搦手より抜けましたのを確認致しました」


晴奈は頷き、


「馬場晴房、先鋒を務めよ」


「はっ」


「総攻めを開始する。各隊、努力せよ」


「「「はっ!!」」」




 かくして、武郷軍による攻撃が開始された。

春日城大手門に集中した馬場軍は、戦鼓せんこを辺り一面に響かせ、猛烈な攻めを敢行した。

門には鉄砲傷と矢が突き刺さり、その下には無数の死体が転がった。

春日城は東西に延びた丘陵を堀で遮断し、曲輪くるわとしている連郭式れんかくしきである。

そのため、大手門より攻める攻め手は、一つ一つ順番に曲輪を攻略していかねばならない反面、搦手門は本丸が剥き出しのような状態であり、いわば弱点であった。しかし、その搦手には未だ武郷軍の姿が見えない。


 防衛側にとって辛いのは、兵力の集中を極端に行えない事である。

いくら搦手に敵がいないとはいえ、城に籠る低遠軍はそこの守備兵を割くわけにはいかず、結果として大手門に攻撃を集中できる武郷軍に対して、大手門守備隊の数は今までの小競り合いの時とあまり大差がない。


「押太鼓をもっと鳴らせ!寄せ!寄せ!」


晴房は前線、城方の矢が飛ぶ中、馬上で指揮を執っている。


「弓隊は何をしている!門の上の敵を射殺せ!」


馬場隊の組頭くみがしらである早川弥左衛門はやかわ やざえもんが答える。


「もうじき到着します!」


「遅い!」


 晴房は歯噛みして門を睨んだ。

見れば、城方からの投石攻撃が味方を苦しめている。


「盾隊を出せ!投石から守らせろ!」


「それでは、殿をお守りする部隊が、」


「よい!」


「はっ!おい!盾隊を出せ!」


「応!」


すぐさま、馬場隊の陣から木の盾を持った部隊が駆け足で戦線に向かって行く。


「控えの槍隊の一部につぶてを持たせ、こちらからも攻撃しろ!」


「はっ」


 命令を受けた晴房の家来がすぐさま隊を編成し、五十人ほどの即席の石礫いしつぶて隊が戦線へと駆けて行った。

しかし、この隊は石礫の射程が分からず、城門上の守備隊に弓矢で射殺された。


「お屋形様に石礫隊の創設を具申せねばならないな・・・・・・」


そこで弓隊の編成を整えに行っていた早川弥左衛門が帰ってきた。


「弓隊、到着いたしました!」


「良し!早川、あの守将を討て」


晴房が指した箇所には、城門上で槍をとり、梯子を掛ける馬場隊を薙ぎ払う部将がいた。


「あれは“槍弾正やりだんじょう“と名高い槍の名手、保科甚四郎ほしな じんしろう殿ですな」


「なに?あれが保科殿?」


晴房は自分の事を棚に上げ、将自ら弓矢乱れる戦線で槍をとっていることに驚いた。


「殺すには惜しい。良し!早川、お前の獲物を貸せ!」


「はっ」


弥左衛門は晴房に槍を差し出そうとした。


「違う。槍の名手に槍で挑む馬鹿がいるか。そちらだ」


そう言って、晴房は弥左衛門の腰にぶら下がる手斧を指差した。


「これは失礼した」


弥左衛門の手斧を受け取った晴房はその感触を確かめ、「はっ!」と声を出して馬を走らせた。

晴房の馬廻り衆が、それを必死についていく。


「槍弾正保科殿とお見受けした!ご覚悟!」


馬上で叫ぶ晴房を見た保科甚四郎は、無言で槍を置き、隣の兵士から弓矢を取り上げた。


晴房の頭に狙いを定め、弓矢をひいた甚四郎の矢は、寸分違わず飛んでいく。


晴房はそれを屈んで避けると、手斧を投げ付けた。

手斧は甚四郎の肩に当たり、その衝撃で甚四郎は倒れ気絶した。


「それ!そこが攻め所だ!寄せ!保科殿には手出し無用!」


「「「おお!」」」


馬場隊の兵卒は口々に「お見事!」と叫び、城門に梯子を掛け、すぐさま占領した。


大手門では兵士たちが悲鳴をあげ、頼継のいる本丸には援軍要請が次々と飛んできた。


「おのれ武郷め!有賀らが搦手より抜けた途端、すぐに攻め寄せてきおった!」


頼継はしきりに悪態を吐き、参謀の春日は後詰めに控える部将たちを次々と派遣した。


 気付けば、本陣にいるのは、総大将の頼継、参謀春日正樹、藤沢幸朝ふじさわ ゆきともの三人のみである。

頼継は冷や汗を垂らした。


「春日よ。ちと、別働隊に兵を割きすぎたかのう」


「そうですね。武郷軍の勢いが予想以上にありました。いや〜、失策失策」


「?」


頼継は春日のテンションがおかしいとは思いつつも、戦で興奮しているためであろうと結論付けた。


頼継の様子を見た藤沢は主人を安心させるべく、


「殿。ご案じ召されるな。それがしがここに控えている限り、武郷軍がこの場に現れる事はありません」


「おお!頼もしいな!幸朝!」


頼継は感激のあまり藤沢を下の名前で呼び、それを受けて藤沢もまた、感激を受けた。


 低遠軍で一番の破壊力を誇る藤沢隊は、敵が門を破ったという報が来ればすぐさま騎馬隊を率いて出撃し、敵を門外に追い出す役目を担っている。


しかし、その幸朝にも不安が一つあった。

武郷軍を追わせた家来達が、帰って来ない。幸朝は確かに、武郷軍別働隊の目的が確認次第、戻ってくるように命じた。


(感づかれ、討ち取られたか?しかし、我が家来の中でも特に優秀な者達を選び抜いたのだ。たとえ敵に感づかれたとしても、誰か一人は帰ってくるよう考えて動けるはずだ)


幸朝は心拍の数が激しいのを感じ、深呼吸を繰り返した。


何か、嫌な予感がしている。


 突如、参謀の春日正樹が手を二回叩いた。


「?」


頼継と幸朝はいきなりの春日の行動に困惑した。

頼継がどうしたのかと聞こうと、口を開こうとした。


その時、


バンッと乱暴に戸が開かれ、手に刀を持った相木市と浅田信守、更に既に抜刀している者が十数人ほど入ってきた。


頼継と幸朝は驚き、立ち上がることすら出来ずにその首元に刀をあてがわれた。


「な、何だこれは!?相木!浅田!お前達は牢に入っていたはずであろう!」


 二人は無言を貫き、部屋にいた三人の中で唯一、制圧されていなかった春日が子供にさとすように頼継に語り掛けた。


「頼継様。この戦は、終わったのです」


目を見開いた頼継の顔には次第に青筋が浮かび立ち、


「春日ァ!貴様、裏切りおったな!」


怒鳴り声をあげる頼継に対し、春日はどこまでも冷静で、


「おお。頼継様が珍しく聡明そうめいでいらっしゃる」


「恥ずかしくないのかッ!貴様が裏切ったのは、わしだけではない!低遠領の民衆全てを裏切ったのだぞ!国を裏切ったのだ!」


「なんとでも言いなされ。裏切られるのは、大将が悪い」


「おのれ!恥を恥とも思わぬかッ!」


この言葉に、春日は怒りをあらわにした。


「裏切りの汚名は甘んじて受けられる。だが、お前のような馬鹿に、恥知らず呼ばわりだけはされたくないッ!」


「貴様ァア!」


 激怒し春日に摑みかかろうとした頼継に、相木は膝蹴りを食らわした。

膝を鎧越しに鳩尾みぞおちにめり込まされた頼継は、体をくの字に曲げ、膝をつく。

頼継に散々に殴られた相木は、ひざまずく頼継を見下ろし、


「ふん、人に暴力を振るう割には、打たれ弱い。甘やかされてきた証拠だよ」


「黙れ!この醜い豚女め!」


相木は無言で頼継の顔を蹴り上げた。


「借りは返すよ」


吹き飛ばされた頼継は、痛む身体を起こし、春日を睨んだ。


「浅田も相木も、お前が仕組んだ事だな?参謀にまでしてやって、何が不満だ」


春日は冷ややかな目つきで頼継を見ると、


「世間や後世の人間は、お前の家臣というだけで私までお前の愚行に加担したように思うだろう。お前の家臣である事は、裏切り者の汚名よりも遥かに恥ずべき事。そう、判断したまで」


「なんだと?忠義を忘れた人間が、偉そうに」


「本当に忠義という言葉がお好きな人だ。しかし、低遠軍の部将達はその言葉を自分に都合良く使うだけで、実際に忠義などという考えを持っている者はいない!お前もお前の家臣達も、互いに互いを甘えあっていただけだ!君臣とは子供の仲良しごっこではないのだ!」


「黙れ!」


「忠義とは言葉ではない。自分の為にする行動でもないんだよ!」


「くっ」


頼継は湧き上がる怒りを抑えるのに必死になった。

もはや勝負は決している以上、これ以上は見苦しいだけであった。


「すべては、宮原の合戦。あれからだ・・・・・・」


頼継はどこからこうなってしまったのか考え、そう結論した。


しかし、その結論に春日が意を唱えた。


「違う」


頼継が忌々しそうに春日を見ると、春日はいかにも哀れっぽく頼継を見ていた。


「頼継様が誠に良き大将であれば、例えいくら負けようとも私は我が領民を道連れにして地獄までお供できた。するはずであった。

しかし、頼継様は結局、最後の最後まで恥ずべき人だった。負けたことが恥なのではない。恐怖のあまり糞を漏らしたことも恥ではない。負けた腹いせに自らの領民を犠牲にした事が恥なのだ。それを実行した家臣達を誅さなかったのが、恥なのだ」


頼継は憎むべき敵を見る目で春日を睨みながら、低い怨嗟の声を出した。


「見ておれよ、春日。この裏切り者め。いつかその血であがなう時が来る。自らの血で、溺れ死ぬのだ」


「・・・・・・連れて行け。戦っている低遠軍を武装解除させ、武郷軍に投降させろ」


春日は家来達に命じ、頼継を連れて行かせた。


「さて、藤沢殿。御投降召され」


と、春日は続いて幸朝に投降を呼び掛けた。


 幸朝は先程から微動だにせずに、春日を睨みつけている。

やがて、


「参謀殿。一つ、よろしいか?」


「何なりと」


「低遠城の方に向かった武郷軍を追ったそれがしの家来が帰りませぬ。お手前が?」


春日は沈黙した。その沈黙で、幸朝は春日の手で自らの家来達が討たれたのを勘づいた。


 春日は幸朝に武郷軍を追った家臣達の名を聞くと、すぐさま乱波らっぱ(忍び)に命じてその容姿を調べさせ、暗殺に向かわせた。

幸朝の家来達は、武郷軍の目的を知り急ぎ帰る途上、待ち伏せをした乱破達に狙撃され、命を落としている。

低遠城に向かったと思われた信繁率いる武郷軍は、城に向かったように見せかけ、春日城より派遣された有賀東美率いる別動隊を待ち伏せしている。


「・・・・・・分かった。もうよい」


暗殺というおよそ武士のやる事ではない手段に対し、幸朝は怒りを覚えるどころか、何か諦めのついた気持ちになった。


 続いて幸朝は、自分と同じく元白樺家臣の同僚の、浅田信守あさだ のぶもりを見た。


「浅田殿。そこもとは、白樺家より落ちた我々を受け入れてくださった頼継様への恩義は、お忘れになったのか?」


信守は糸のように細い目を更に細め、やがて口を開いた。


「忘れてなどいません。しかし、私は一度の恩義で自分の生きる道を縛ることは馬鹿らしく思えたのです。周りに流されて生きてきた私だけど、武郷家の人間が私に接触してきた時、初めて自分で自分の生きる道を決められると思ったのです。自分の主君は、自分で決める。だからこの裏切りも、私が自分の道を選ぶための段階だと思っています」


「・・・・・・そうか」


 信守が幼少期、白樺家に生け捕られたという過去は、既に語った。彼女はそのように、幼少期から周りに流されて生かされているという思いが強かった。

白樺家が滅びた時も、たまたま彼女に近しい者達が武郷家より低遠家に流れた為、何も考えずについて来てしまった。

そんな彼女に、「それでよいのか」と、説教臭く返り忠(裏切り)を持ちかけて来たのが、勘助であった。


 信守は武郷家と勘助に感謝しつつも、武郷晴奈が気に入らないと思った時には、いつでも武郷家中を出て行く。そういった覚悟を持ち、勘助の話に乗っている。


「藤沢殿。降伏してください。降伏すれば、所領は安堵すると武郷家の山森殿が約束してくれています」


しかし、幸朝は即座に首を振った。


「なぜ?春日殿が先程言われた通り、裏切られるのは大将が悪い。そんな大将に、忠義を尽くす必要は、」


「ああ、ない。頼継様は酷い主君だ」


「・・・・・・」


「しかし、受けた恩義は、返さねばならぬ。それがしは事ここに至るまで結局頼継様に恩義は返せなんだ。頼継様が生け捕られたと知れば、大方の家臣が早々に降伏するだろう。さすれば、後世の人間は頼継様には命尽きるまで供してくれる家臣もいない、そういう人間だったと言われてしまう。それがしだけでも、頼継様に忠義を尽くした者がいた、という事にしたいのだ」


 幸朝は相木の方を見た。


「相木殿。そこもとの行動に、勇気が湧いた。そこもとの手で、介錯をお願いできぬか?低遠の家来どもは生け捕れ、と命令されているのは承知している。しかし、武士の情けを、頂けないだろうか」


「・・・・・・分かった」


「かたじけない」


 幸朝はその場ですぐさま鎧を脱ぎ、短刀を抜いた。

とろとろしていれば、恐怖に支配されると思った。


幸朝は刀を腹に突き刺し、左から右に一文字に切り裂いた。


一切の悲鳴を上げない幸朝は、相木が首を斬りやすいよう自ら体を曲げた。


刀を構える相木には、幸朝の首筋がはっきりと見える。


「行くよ」


痛みに支配される頭に、相木の優しい声が聞こえた。

幸朝は最期の力で声を張り上げる。


「おう!」


その一言を合図に、刀は振り下ろされ、首は落ちた。


 彼の遺体は、相木の手によって丁重に埋葬された。

幸朝は「命」よりも、「誇り」を選んだ。

この時代の人間はしばしば、世間や後世の人間にどう見られるか、という事に重きを置いた。


「名こそ惜しけれ」という言葉がある。


思えば、時代が変わって平和と言われる時代になっても人の目を気にする人間がこの地に多いのは、こういった歴史があるからかも知れない。




 占領地の巡視は、指揮官の務めであった。


晴房と勘助は、春日城の城門をくぐった。

見たところ城方の兵士たちの戦意は既になくなっていた。


足を引きずり肩を大きく揺らして歩く勘助に、晴房は何も言わずに歩幅を合わせた。

晴房はこうした心配りを忘れない人であった。


二人は家来達を連れ、本丸に向かっている。

頼継と降伏した将達の引き渡しのためであった。


城が降伏した時、晴奈は自ら赴くと言ったが、総大将が降った城に出向くなど危険極まるため、戦後の諸々は武郷軍の本陣で行われることとなっている。


 勘助たちが二の丸につくと、相木が出迎えにやってきていた。

勘助と晴房は相木の顔を見て驚き、しばし言葉を失った。

その顔はあざだらけで、左目に関しては腫れあがっていて見ることができない。


「勘助くん、馬場殿、ご苦労です」


「あ、ああ」


晴房はなんとかそれだけ絞り出した。


「春日殿も浅田殿も、勘助くんの作戦通りに動いてくれたよ。さ、こっちに」


そう言って相木は、さっさと歩きだしてしまった。

それを後ろからついていく形の勘助に、隣の晴房が小声で話しかけた。


「勘助。私は低遠頼継のやつを殴るぞ。暴れたから仕方なくという事にしておいてくれ」


勘助は驚き、


「おやめくだされ。既に戦が終わっている以上、頼継は捕虜です。捕虜に暴力など、お屋形様の顔に泥を塗るようなものです」


「ならば私の短慮で起こしたことにしておいてくれ。命じられれば、腹だって切ってやる」


「お屋形様を困らせてはなりませぬ」


「ならばあれを見て黙っていろと言うのか!女の顔に、仲間の顔に傷をつけられたのだぞ!」


勘助の胸倉を掴みかからんばかりの晴房に、勘助も苛立ちをあらわにした。


「悔しいのが自分だけだとお思いになるな!それがしだって相木殿とは武郷家以前からの友なのだ!頼継の鼻を割き、目を抉り出してやりたい!しかし、誰よりも頼継を憎んでいるはずの相木殿が我慢したのだ!相木殿の気持ちをお考えあれっ!」


「・・・・・・っ!」


晴房は悔しそうに顔を歪め、「すまん」と絞り出した。


もはや小声になどなっていない二人の会話は、相木を泣かせた。が、相木はその顔を他人には見せなかった。


 その後、勘助たちは春日と浅田に会い、本丸にて降伏した頼継筆頭に低遠家家臣を確認して武郷軍本陣に連れて行った。


敗戦者たちの処遇は大抵の者は今後武郷家に忠誠を誓うことを条件に所領安堵で、頼継のみ峡間に連れて行かれることとなった。


 その数日後。

本陣には信繁からの使いが来て、戦勝報告と討ち取った有賀東美あるが とうみの首が届けられた。

まさか待ち伏せをされているとは思っていなかった有賀軍の各隊は油断しきっていた。


さらに、有賀軍に不幸が襲った。


雨が降ったのである。


雨により伏せてあった鉄砲隊が役に立たなくなった信繁は、落ち込むこともなくすぐさま騎馬隊による奇襲を敢行した。


 雨による騒音で直前まで信繁と泉虎定いずみ とらさだの騎馬隊の存在に気づかなかった有賀軍は混乱し、多くの兵が逃げ出した。

ある程度の打撃を与えた信繁・泉騎馬隊は、戦線を離脱し、退却を開始した。

怒った有賀はすぐさま追撃命令を下し、自らも二隊を追った。が、急いで追った為と襲撃後の混乱の為、命令は上手く伝達せず、その陣形は大きく伸びきってしまった。

そこに待ち伏せをしていた信繁軍本隊が一斉に襲い掛かり、有賀軍は壊滅した。


 春日城の落城と頼継の生け捕りを聞いた低遠城は、信繁軍が姿を現すと、すぐさま降伏し、開城した。



 帰り支度を整える勘助の陣に、相木が訪れた。

勘助が春日城で会った時に比べれば、傷はそれなりには治っていたが、やはり見るに堪えない。

相木は全体的にぽっちゃりとした体形をしたおり、顔のパーツも丸っこいため美しいというよりは可愛げのある童顔であった。

しかし、今はその面影がない。

そのため、頼継を峡間に連れて行く途上、相木の家臣たちが頼継を襲わないよう、過剰なほどにその身柄を警護しなければならないといった珍事が発生した。


夕希がその顔を見て、息を呑んだのを勘助は感じた。


「相木殿・・・・・・」


勘助はそれ以上、なんと声をかけるべきか迷った。

勘助の策で相木はこういった有様になっているのである。

しかし、相木とて危険を承知で自ら名乗り出ている。


(どういった言葉が妥当か・・・・・・)


固まってしまった勘助に、相木が拳を突き出した。


「これは・・・・・・それがしを、殴らせろということでしょうか?」


勘助の言葉を聞いた夕希は仰天し、なんとか勘助を許してもらえないかと声を出そうとした。

勘助はそれに感づき、


「夕希!でしゃばるな!」


と、怒鳴った。


それに逆上した夕希は、


「はあ?あたしはあんたと相木ちゃんの為を思って・・・・・・」


「それがでしゃばりだと言うんだ」


「でしゃばりとは何さ!」


「うるさいっ!」


そのやり取りを見た相木は、拳を突き出した格好のまま笑い出した。


「ははは!顔が痛むから、あんまり笑わせないでよ」


「相木殿?」


「別に勘助くんを殴ろうなんて思ってないよ。これは村の子供がやっていたのを真似してみようと思っただけ。ほら、勘助くんも拳を出して」


「こ、こうか」


勘助が拳を出すと、相木は前に出て拳を合わせた。


「これは、何の意味があるので?」


「さあ?よく分かんないけど、なんとなく良くない?」


「・・・・・・まあ、そうですな」


勘助はなんだか照れ臭く、相木から目をそらした。


「勘助くん。参謀長就任、おめでとう。此度の策、良かったよ」


「それは・・・・・・」


「またよろしくね」


それだけ言うと、相木はさっさと帰っていった。

相木を見送った勘助に、夕希が話しかけた。


「相木ちゃん、かっこいいね」


勘助は頷き、


「ああ。相木殿は、大人だ」


「大人?」


「俺は大人とは自らのぶんわきまえた者だと思う。子供にはこれが出来ない。相木殿は、自らに戦の才がないことをわかっておられる。だから、こういった策に進んで名乗り出たのだ。出来る手を打つ、実現可能なことをする。出来ない夢は見ない。それが、相木 市という部将だ」


勘助は、相木市という友であり同僚でもある部将をそうまとめた。

勘助と相木の友情は、生涯途切れることはなかった。



 ともかく、低遠合戦は武郷軍による圧倒的な勝利でその幕を下ろした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る