第一話 (16) 説得 前編

晴奈は、川を眺めている。

といっても、ただ眺めているのではない。板堀を待っているのだ。


晴奈は、信虎を追放するにあたって、まず板堀を説得しようと決めていた。

板堀は晴奈にとって、かつての守役である以上に、父親のような存在であった。


馬のひずめの音が近づいてくる。


板堀は晴奈の後ろ姿を確認すると、馬を降りて近づき、声をかけてきた。優しい、声音だった。


「若殿。いかがなさりました?このような所で」


晴奈は黙って川を見つめている。


「若殿?」


「板堀。私は覚悟を決めた。お前も、決めなければならない」


「覚悟?それは、どういう・・・・・・」


晴奈はゆっくりと振り向いた。


「刀を抜く、ということだ」


板堀は驚いた。


「まさか・・・・・・お父上を?」


「ああ。謀反を起こす」


板堀はまわりを確認し、晴奈に詰め寄った。


「お考え直しくだされ」


晴奈はゆっくりと首を振った。


「私は武士だ。一度刀を抜くと覚悟を決めたら、後は戦うだけだ。そして私は、将でもある。刀を抜くまでにあらゆる事を考えねばならない。考えた結果、刀を抜くと、決めたのだ」


板堀は晴奈の顔をまじまじと見る。

覚悟を決めた顔をしていた。


「板堀。峡間の兵は強いか?」


「はっ。強うござりまする。攻める時は火のように、守る時は山のような強さを持っておりまする」


「そうだな。しかし、今の峡間の兵は、種火と砂でできた城のようなものだ。板堀も知っているだろう。飢饉に加えて戦続き、父上を諌めよう良き家臣なら、斬り殺される始末だ。いかに強い兵とはいえ、これでは力を発揮できない。戦をするのも、国を作るのも、人だ。父上は、人を大切にしない。いや、できない」


板堀は何も言えなかった。言えるはずがなかった。全て、事実であった。


「板堀。決めてくれ」


そう言って晴奈は、再び背を向けた。

晴奈に従わないのであれば、この場で斬れという意味であろう。


板堀は、若い頃から信虎と共に峡間を駆けて来たのだ。そして遂に、峡間を一つにまとめ上げた。

しかし信虎は、国主の器では、なかった。

それでも板堀は、武士として信虎に忠誠を誓ったのだ。

信虎も板堀を信頼し、晴奈の守役を任せてくれた。

信虎はなぜか成長した晴奈を忌み嫌い、晴奈は信虎ではなく、板堀に懐いた。晴奈は板堀を父のように思い、板堀もまた、晴奈を娘のように大切に育てた。


板堀は、刀の柄に手をかけようとする。


(主君に刀を抜こうとしているのじゃ。止めるのが、家臣であろう。忠義で、あろう。)


そう自分に言い聞かせた。が、


結局、板堀の腕は宙を切った。


(娘を、斬れるものか・・・・・・)


晴奈の器量は板堀から見ても、信虎以上のものであった。信虎は君主の器になく、このままでは峡間は滅びる。

理性的に考えれば、なるほど晴奈の方が、少なくとも現在の信虎よりもいいのは明白だった。

しかし結局のところ、板堀が晴奈を選んだ理由は、そういった冷静な判断の上に成り立つ理性的なものではなく、晴奈に対する情、つまりは感情的なものであったように思う。



晴奈に従うと決めた板堀は、早速自分の屋敷にもう一人の家老、天海虎泰と重臣、児玉虎昌を呼ぶ。


天海は不思議そうな顔で現れ、児玉は既に何かを察しているかのような顔であった。


「いかがしたのじゃ、板堀殿」


「よう来てくれたのう。天海殿、児玉殿。ともかく、座ってくれるか」


二人は腰を下ろし、それを見届けた板堀は、早速切り出した。


「実はのう、若殿様が、お屋形様をこの峡間より追放すると、仰せられた」


天海は驚き、声を荒げた。


「どういうことじゃ!追放されるのは若殿様の方であろう!」


「お屋形様に謀反を起こす、ということじゃ」


板堀は、峡間の現状と、晴奈の考えを述べた。

児玉が口を開く。


「なるほどのう。若殿様のご懸念はもっともじゃ。お屋形様は他国の侵略を繰り返し、飢餓に喘ぐ領民をわしら領主はなんとかして抑え込んできた。家臣も同様じゃ。じゃが、それももう限界じゃ。山ノ口の一件で成敗された前島一族の処遇を不服に思った家臣たちは、峡間を去った。あの時も若殿様は、お屋形様をお止めになろうとしておられた」


これを受けて天海が口を開く。


「確かに。あの山ノ口の一件以来、若殿様のご器量を認めている家臣も多い」


「なれば、」


「しかしじゃ!まことにお屋形様を追放し、その座に就く器であろうか?」


板堀は考える。

板堀はこのしかめ面の友人に、曖昧な事は、言えない。


「・・・・・・わからぬ。若殿様は、まだお若い」


「・・・・・・」


天海は難しい顔で、俯いてしまった。

あまりにも未来が暗かった。


「じゃから、」


「?」


天海は顔を上げ、板堀の顔を見る。

板堀の顔は、既に覚悟を決めた顔であった。


「じゃから、わしらが若殿様をお育てすれば良い。わしらが、若殿様を信虎様以上のお屋形様にすれば良いのじゃ。天海殿、児玉殿!わしらが、若殿様の器を満たして差し上げれば良いのじゃ!」


板堀の顔は、希望に満ちていた。

峡間の未来に絶望している自分とは違う、これからの峡間が楽しみと言わんばかりの顔であった。

天海は目を見開き、やがてそのしかめ面を穏やかな表情にして、決断した。


「なんとも、むごいのう。お屋形様をお守りすると誓ったわれらが、お屋形様を追放せねばならぬとはのう」


「では!」


「板堀殿。わしらは信虎様の両翼と言われてきた。わしらは、一心同体。死なば諸共じゃ。共に地獄へ、落ちようぞ」


「かたじけない、天海殿。かたじけない・・・・・・」


児玉も口を開く。


「板堀さん。わしは決めておった。若殿様がお立ちにならなければ、峡間を出て行こうとな。わしもこれより、若殿様の為に、気張れるというものじゃ!」


「児玉殿!かたじけない!」


板堀は感動のあまり涙し、天海はいつものしかめ面をさらにしかめ、児玉は笑った。



それから三人は、それぞれ手分けして家臣たちを説得することになった。


児玉は呟く。


「一番厄介なのは、久乃木のジジイと、泉さんかのう」


久乃木と児玉は、同じ時期に信虎の家臣となり、それ以来共に戦ってきた友で、児玉は3歳年上の久乃木をジジイと呼び、久乃木の戦下手をからかいながらも、互いに持っていないものを尊敬し合う、そんな仲であった。


「久乃木はあの性格じゃ。理解はできても納得はせんじゃろう。頭が固いからのう。まあ、それが久乃木の良い所でもあるが、悪い所でもある。

泉さんは信繁様の元守役じゃ。娘のように可愛がった信繁様が次の当主となれるはずじゃったんじゃから、まあ、反対するじゃろうな」


児玉の話を聞き、天海が口を挟む。


「それを言うのであれば、一番の問題は信繁様ではないか?親子の前に姉妹争いでは、話にならぬぞ」


天海の言葉に板堀が考えを述べる。


「信繁様は若殿様に懐いておられる。大丈夫だと思うが、わからぬのう」


信繁がどう動くかは、分からなかった。

普段は仲が良いとは言え、家督争いとなった途端に、というのはよくある話である。

天海が、次の要注意人物を述べる。


「信虎様の従兄弟であられる、大岩おおいわ殿はどうじゃ?」


児玉が意見を述べる。


「がま坊か。大丈夫じゃ。あの人ほど色々な事が分かっておられるお方もいない」


がま坊とは、信虎の従兄弟である大岩 山男おおいわ やまおのあだ名である。由来は顔からであった。性格は常に温厚。戦場において落ち着いてどっしり構えている様は堂々たるもので、児玉は大岩の事を尊敬していた。


そういった具合で話し合いは進み、それぞれが担当する家臣たちを決めていった。



その夜。

つまり勘助が松平を連れて団次郎達と昼食を取り、夕希による尋問を受け終わった後。


勘助の家に、相木が訪ねてきた。

この時間に訪ねたということは、無論、追放計画の件である。


「勘助く〜ん?いる〜?」


すると中から、次のような話し声が聞こえてくる。


「えっ!?誰!?勘助っ、あんた!いつからそんな女を自宅に連れ込むように!」


「誤解だ!そもそもお前も女ではないかッ!」


「あたしはいいんだよ!」


しばらくした後、勘助が現れた。


「おう。相木殿。待たせたな」


「いや、別にいいけど、大丈夫なの?」


「問題ない。さっ、中へ」


「お邪魔しまーす」


そう言って相木が中に入ると、見知った顔の女がいた。


「あれ?」


「うん?相木ちゃんじゃーん!どーしたの?」


「なんだ、お前たち知り合いだったのか?」


「いや、知り合いというか・・・・・・」


「ねぇ・・・・・・」


「変わった奴らだな。まあよい。相木殿、腹は減っておらぬか?相木殿はたくさん食いそうだからなぁ」


「勘助くん。それ、どういう意味?」


「うん?山ノ口城では誰よりも飯を、」


「そういうこと言わないで!」


「ああ、なんか安心したわ。勘助、やっぱりあんたはあんただったよ」


ともかくも、報告が始まる。


「晴奈様は板堀様、天海様、児玉様の説得に成功なされたわ」


「さすがは我がお屋形様だ。家老のお二人を味方に引き込めれば、後は妹君の信繁様か」


「そうだね。他にも不安な方はいるけど、一番の不安は信繁様ね」


「ふむ・・・・・・」


「晴奈様は他の家臣達にその覚悟を見せるためにも、明日にでも今川に書状を出されるそうよ」


「そうか。わかった。では俺も、明日にでも南科野に行くとしよう」


「その方がいいね。晴奈様にもそうお伝えしておくよ」


ここで今まで黙っていた夕希が、声を出す。


「えっ!勘助、帰っちゃうの?」


「任務だからな」


「え〜。急じゃん」


「安心しろ。俺の帰るべき所はここだ。晴奈様がお屋形様になられれば、すぐに帰ってくる」


「そっかぁ。相木ちゃん、ぶっちゃけ晴奈様がお屋形様を追放するまで、どれくらいかかりそう?」


「そうだね。お屋形様に対する家臣達の不満は大きいから、そんなにかからないと思うけど・・・・・・。一朝一夕にはいかないよ。なにしろ、事が事だから」


「分かった。勘助、気をつけてね」


「せっかく仕官の約束をしたのだ。必ず帰ってくる」


こうして勘助は、雪原の元に帰ることになる。



もう少し、この追放計画について語ろう。


その翌日から、板堀らの家臣説得が始まった。

最大限の注意を払わなければならない。もしも信虎の耳に入るような事があれば、晴奈と板堀達はまず間違い無く、殺されるだろう。


しかしこの説得は、そこまで苦労する事は無かった。

厄介だと言われた久乃木、信繁、泉の三人は後に回し、他の家臣達はおおむねスムーズに晴奈に従った。

信虎に対する不満は、板堀達が思った以上だったのかもしれない。

極一部、納得しかねる家臣もいたが、最後には納得した。

例えば、松原 敏胤まつはら としたね井上 省吾いのうえ しょうごという将がそうであった。

この二人は、長く児玉の下で参謀として働き、左右の謀将と言われた。児玉もこの二人を高く買っており、「おれには二人の文殊菩薩がついている」というのは児玉の口癖であった。


児玉は自分の屋敷に、二人を呼び出す。


「松原、入ります!」


「井上、入ります」


「うむ。入れ」


二人が部屋に入ると、児玉は立ったまま、話を始めた。


「お前達には言っておかねばならん事がある」


児玉が二人の顔を見ると二人は、何の事か分からないといった顔であった。

しかし児玉がわざわざ自宅に呼び出したのだから、なにか重大な話という事は理解していたであろう。


「若殿様がお屋形様を追放しようとしている」


児玉は、一息に言った。

二人は一瞬、ポカンとした後、それぞれに意見を言い出す。


「若殿が!?それはゆゆしき事態です!どう致しますか?お屋形様に報告するのが最善と思われますが・・・・・・」


とは松原。


「いや、それよりも我らで、若殿を説得するのが良い。無用な争いはしない方がよい」


と、井上。

二人の性格がよく出ていた。二人の作戦性格も同様で、松原は積極的、井上は消極的であった。


松原は異を唱える。


「これは明らかな謀反だ!いくら若殿といえど、甘い事は言っていられない!そんな事をしていれば、秩序が壊れる!」


これに井上も反論。


「若殿はどの道このままでは追放される身だ!血を流させる必要などない!」


この二人は確かに優秀であった。が、どちらも晴奈に従うという意見が出てこない所を見れば、視野がやや狭いようにも思う。

二人が言い争いを始めた所で、児玉が口を挟む。


「わしは、晴奈様に従う」


二人は争いをやめ、児玉を見る。


噛み付いたのは、松原であった。


「児玉さん!それで確かに、お屋形様に対する不満は一時は抑えられましょう!ですが!父親を追放して家督を継いだ若殿様に、家臣達が忠義を尽くすでしょうか!」


「その若殿様を成長して差し上げるのが、我ら家臣の仕事ではないか。家臣にしか、出来んことだ」


「しかし、」


「間違っている!松原!」


児玉が声を荒げ、松原は口を閉ざす。


「なるほど、お前の言っている事は正しいかもしれん。父親を追放するのは悪行であろう。しかし、そういった秩序を守り、峡間が滅びてもいい、ということにはならんだろう」


「・・・・・・」


「このままでは、峡間は滅びる」


二人はもはや、何も言えない。

納得するしかなかった。


こういった具合で最初は納得しなかった家臣達も説得され、最終的には納得した。それでも難色を示した家臣は、晴奈派でも信虎派でもなく、信繁派という派閥であった。

こればかりは信繁を説得しなければどうしようもない。

残る家臣は、信繁と泉、信繁派閥、久乃木であった。

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