第一話 (15) 昼食

 翌日。

勘助も晴奈も、動き出さなくてはならない。

といっても、勘助のできることなどたかが知れている。晴奈が家臣たちをまとめ上げ、今川梅岳の元へ書状を出すまでに、梅岳と雪原に判断材料を提供するだけだ。

地味ではあったが極めて重大な任務であった。

家臣をまとめ上げたところで梅岳が信虎を引き取らないといえば、信虎を殺さねばならない。

実の父親を追放するのと殺害するのでは、また意味合いが違う。

また、梅岳が信虎に加担し、晴奈を引き取るといえば、家臣たちは今回の追放劇を無かったことしようとするだろう。下手をすれば、晴奈派と信虎派で、血で血を洗うことになるかもしれなかった。仮に梅岳が晴奈に加担したところで、晴奈が家臣をまとめられない場合も同様である。


極端に言えば、この父娘の戦いの行司役は、今川に委ねられている。


信虎は野心家で、晴奈は戦嫌いの臆病者。そういった印象を与えるのがベストだろう。

そのためには、勘助と同じく峡間の状況を探っている小姓の松平にそういった印象を持たせなくてはならない。

今川にとっては、人質にはより優れたほうを引き取り、残ったほうは御しやすいほうがいい。


 松平の晴奈に対する印象というのは、無口で本が好きな優しい人といったところのようだ。

信虎が晴奈を嫌い、晴奈の戦場での活躍を宣伝させなかったため、領民たちは晴奈の戦場での活躍を知らなかった。

また、晴奈は本が好きで部屋にこもり、たまに散歩をしているところをみかけても、無口で優しい視線を送ってくるだけだったので、そういった程度の浅い人物評しかないようであった。

信虎の晴奈嫌いと、晴奈の性格が功を奏した。が、晴奈が山ノ口城を攻め落としたことだけは、雪原も松平も警戒していた。これをなんとかしなければならない。


 勘助は、松平が泊っている宿屋を訪れた。

時刻は巳の刻。午前10時である。

普段の雪原の身の回りの世話から解放されている松平はまだ寝ていたようで、目をこすりながら起きてきた。


「山森様、どうなさりましたか?」


この青年は、いつも礼儀正しい。


「おう、松平。今日の昼食時に、いよいよ聞こうと思ってな」


「聞く?誰に何をです?」


「決まっておろう。夕希と団次郎殿に山ノ口城での晴奈様の様子についてだ。そろそろ我らを怪しまなくなってきた頃合いだろう。昼食の約束をこぎつけてきた」


松平は眠気が吹き飛んだようであった。


「おおっ!いよいよですか!晴奈という将の実情に迫れますね!正直、今までの聞き込みで晴奈様は、追放されてもおかしくないといった印象でしたが、山ノ口城の一件がどうにも引っかかっていたんですよね」


「うむ」


「しばしお待ちください!いま準備をして参ります!」


そう言って松平は、身支度を整えて戻ってきた。


 勘助は松平とともに団次郎の家を目指す。


「しかし、山森様には尊敬します!」


「尊敬?」


「私は焦っていました。なぜ山森様は早く話を聞かないのだろうと。でも、任務で失敗は許されませんもんね!信頼を築くため、焦らずじっと耐えることも大切だとわかりました。さすがは雪原様にその力を買われただけのことはあります!」


「え?あ、ああ。そうだぞ?動かずに耐えていることのほうがつらいものだ。そういったことができる人間は、まことに価値がある。動かざること山の如しだ」


「孫子ですね!」


そういった様子でよく喋る松平に勘助が適当に話を合わせながら歩いていると、団次郎の家に着く。


「団次郎殿。約束通り、昼食をいただきに来た」


すると夕希が、戸を開けた。


「いらっしゃ~い!遅かったじゃん、勘助~!松平君も、どうぞ!」


「お邪魔します!」


これから夕希に探りを入れるというのに、特に緊張をした様子のない松平。その松平を利用するために騙そうとしている夕希も、普段と変わった様子は見られない。


 夕希と団次郎には、話を合わせてある。

早朝、夕希におぶられて帰ってきた勘助はそのまま爆睡し続け、夕希も疲れたようで勘助の隣で寝てしまった。が、8時頃になると勘助は急に覚醒し、隣で寝ていた夕希を起こし、団次郎をも叩き起こすと、勘助が行う情報操作の協力を申し出た。

既に口裏は合わせてある。団次郎はこういったはかりごとが苦手な様子だったので、相づちだけ打つように指示している。


四人で食卓を囲い、まずは夕希が口を開いた。


「いや~。聞いてよ、松平君。昨日さ~、勘助と温泉に行ったんだけどね~」


「うん?」


「は?」


団次郎が疑問の声を出し、勘助も続いた。


「相変わらず、お二人は仲がいいですね!」


「いや、そうなんだけどさ~。勘助ったら温泉で寝ちゃって、あたしがおぶって帰る羽目になったんだよ~?」


「はははは!山森様らしい!それは大変でしたね!」


団次郎が勘助を睨み、勘助はわけが分からないといった風な顔をした後、急いで話題を変える。


「そ、それよりも夕希!初陣はどうであった!すると言っていたであろう?」


「うん?」


すると今度は、夕希が疑問の声を出す。

どうもなにかがおかしい。


「勘助。あんた、まさか・・・・・・!」


「えっ?」


「勘助。昨日家に帰ってきた後、何してた?」


「昨日は・・・・・・」


勘助は考える。

勘助の記憶では、昨日晴奈と会った後、家に帰り、酒を飲み、その後の事を覚えていなかった。


「覚えてないな。覚えてないという事は、寝ていたのだろう」


「・・・・・・」


「どうした?」


「何にも・・・・・・?」


「なんと?」


「何にも、覚えてないの?」


「何が?」


「・・・・・・勘助、ご飯なしね」


「飯を食いに来たのにか⁉」


「・・・・・・はぁ。わかったわかった。勘助、お椀貸して?」


「お、おお。すまん」


そう言って勘助は、お椀を夕希に渡す。


「ふんっ」


夕希はそれを、あろうことか両手の力で真っ二つにしてしまった。


「なにをっ⁉」


「あっ、ごめ~ん。相当な経年劣化だね~。壊れちゃったよ~」


それを見ていた松平は、「なんという握力・・・・・・」とこぼし、団次郎は、「わが娘ながら、恐ろしい。勘助。南無三!」と手を合わせた。


「お、お気に入りだったのに・・・・・・」


「それよりもさ、勘助!あたしたちになんか聞きたい事があるって言ってなかったけ?」


「お、おお。それか。実はな、晴奈様の事だ」


「晴奈様?あたしたちも言うほど知らないよ?あたしたち親子は、陪臣だし」


「しかしおぬしたちは、山ノ口の合戦で晴奈様と共に戦ったというではないか。我々浪人としては、様々な将の情報が必須なのだ。のう?」


そう言って勘助は、松平を見る。

松平の現在の立場は、浪人である勘助に弟子入りした浪人という事になっている。そのため、普段とは違い、勘助と同じく小汚い恰好をしている。


「はい!信虎様が落とせなかった城を、たったの300人で落としたとか!是非とも聞いてみたいです!」


「あ~。あの戦か~。あの戦、大将は晴奈様だったけど、お姿は見せなかったんだよね~」


「うん」


「なんと⁉大将が姿を見せない⁉」


「うん。なんでも怖くて~、ずーっと、隠れてたんだって~」


「そうそう」


「では、だれが戦の指揮を・・・・・・」


「ああ、それはね、あたしたちの主君で家老の板堀様だよ~。手薄の山ノ口城を攻めようって言ったのも、板堀様。さすが家老なだけあるよ~」


「うん」


「そ、それは驚きました」


「板堀様は晴奈様の元守役だからね~。全部晴奈様の手柄にしちゃったけど、晴奈様は追放されるべくしてされるって感じのお方だよ~。あ、あたしが言ったってみんなに言わないでね?」


「そうそう」


「左様で・・・・・・。わかりました。この昼飯の礼もあります。必ず他言無用に致します!貴重なお話、感謝いたします!」


そう言って松平は、礼儀正しく頭を下げた。


「いや~。気にしないで?あたしも勘助や松平君のためになりたいからさ~」


「そうだぞ~」


ちなみに、「うん」だとか、「そうそう」だとか、「そうだぞ~」と言っているのは、団次郎である。


(相づちだけ打っておけとは言ったが、ここまで酷いとは・・・・・・)


聞いている勘助は冷や汗ものであった。

ともかくも、この後の昼食は無難な世間話で終わり、勘助のみ昼食をもらえなかったという珍事を除いては、ほぼつつがなく終わった。


勘助は松平を宿へと送る。


「残念でしたね!昼食をもらえなくって!」


「うるさいっ」


「しかし、武郷春奈。ここまでのうつけだったとは。ただの臆病者だったようですね」


「そのようだな。夕希は昔から嘘のつけない性格だ。あそこまで語るつもりもなかったであろう」


勘助としては驚いた。まさか夕希が、ああいった嘘を顔色一つ変えることなく言ってのけるとは思わなかった。勘助は危ないところがあればすぐさま、助け船を出すつもりであったが、そんな必要はなかった。


ともかくも、勘助の任務は終わったと言っていい。

後は雪原に報告するのみであった。


余談ではあるが、勘助の受難は帰宅した後であった。

帰るなり夕希に襲われ、縄で縛られると、尋問が始まった。

主な内容は、勘助が忘れてしまった記憶の確認であった。

結果としては、何もかも覚えていないといったものであった。

夕希の落胆ぶりは、筆舌に尽くしがたい。

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