第一話 (17) 説得 後編

児玉は、久乃木の屋敷に訪れた。


「久乃木よ〜!久乃木のじじい〜!」


と言って、久乃木を呼ぶと、久乃木は微笑みながら現れた。


「児玉」


久乃木は無口な男であった。

何も言わずに屋敷の中へと入っていく。

児玉も久乃木が無口な事は知っているから、久乃木に続いて屋敷に入っていく。


すると奥から、久乃木の嫁と一人の娘、二人の息子が出てきて挨拶をする。


「なんじゃあ、わざわざ挨拶に出てきて、偉いのう!」


「あとで夫に、叱られてしまいますから」


久乃木の嫁はそう言って優しく微笑み、児玉は気分良く笑う。


「ワハハハハハ!さすがは久乃木じゃ!真面目じゃのう!」


久乃木は照れたように笑った。


麻里まりちゃんも勝典かつすけくんも保典やすすけくんも、大きくなったのう!」


麻里は長女であり、礼儀正しく希典の生き写しのようであった。年はまだ18。

勝典は長男であり病弱だが優しい性格である。年は17。

保典は明るく、前向きな性格であった。年は15。


「児玉さん。今日は夫になにか?」


「うむ。少し大事な話があってな。すまんが久乃木と二人きりにしてくれんか」


児玉がそう言うと、久乃木の嫁は聞き分けよく、娘達を連れて行った。


久乃木と児玉は、一つの部屋に、向かい合って座った。


「それで、話とはなんじゃ。児玉」


「うむ。実はのう、久乃木。今日来たのは、これからの峡間についてなのじゃ」


久乃木は、続きを待っている。


「久乃木よ。おぬしは、今のお屋形様について、どう思っている?」


久乃木は不思議そうな顔をして答えた。


「どうもこうもない。お屋形様は、お屋形様だ」


児玉は苦笑した。


「久乃木らしい」


児玉は、どう切り出そうか迷っている。

なんとしてもこの謀反は、無血で行いたかった。

信虎が殺されるようなことがあれば、久乃木は腹を十字に割腹し、殉死という最期を遂げるだろう。久乃木はそういう男であった。


それだけは、阻止しなければならなかった。


信虎が殺されるのは仕方がないかもしれない。もはや自業自得だろう。児玉はそう思っている。

その結果として晴奈は世間から悪人のそしりを受け、家臣達も晴奈に忠義は尽くす事が出来なくなるかもしれない。

しかし児玉にとって最も恐れていた事は、そういった国の大事ではなく、この友人の死であった。


出来れば久乃木を説得し、一緒に信虎を追放したい。が、それは無理であろう事は児玉には分かっていた。

児玉の任務は、久乃木に信虎の追放を理解してもらう事にある。

久乃木はどう説得しても理解こそすれ、絶対に納得はしないであろう。

そして理解すらされなければ、久乃木は信虎の追放を止められなかったとして、腹を切るだろう。


理解さえさせる事が出来れば、久乃木は責任を感じて隠居ないしは武士をやめるという選択をするかもしれないが、腹まで切る事は、ないかもしれない。

正直なところ、児玉の考えでは、ここも五分五分といった所であった。ここを六分四分に持っていく事が、久乃木の友人としての児玉の、最大の任務であった。


忠義の塊である久乃木に、主君追放を理解させるのは、難儀な課題であった。


忠義に厳密な定義はなく、久乃木のそれは、絶対忠実、命令遵守であった。


児玉は、忠義の観点から攻める事にした。


「久乃木よ。おぬしが忠義を尽くしておるのは、お屋形様か?国か?」


「お屋形様が国じゃ」


児玉にとって予想通りの答えであった。

児玉はこの機を逃さずに、切り込む。


「そのお屋形様が、国を滅ぼそうとしている」


「・・・・・・」


久乃木は、児玉の顔をじっと見ている。


「止めねばならん。そうは思わんか?久乃木よ」


「その時は、その時じゃろう・・・・・・」


「では、国の民はどうなのじゃ」


「それは・・・・・・」


「飢えに苦しむ百姓は、農業もできずに戦に駆り出され、家臣達はお屋形様に諫言する事も許されない。お屋形様が守るべき峡間の民は、みなお屋形様に殺されいるようなものじゃ!何をか言わんやじゃ!」


児玉の感情は高まり、声を荒げる。


「どうするつもりじゃ。児玉」


児玉は感情を落ち着かせ、深呼吸し、一息で言った。


「若殿様がお屋形様を追放なさると言っておる」


この言葉を聞いた途端、久乃木は顔面蒼白になり、言葉を失った。

児玉は畳み掛ける。


「既に大方の家臣はこれに賛同しておる!お屋形様に血を流させずに峡間を救う方法はこれしかない!久乃木よ、おぬしも、」


「出て行け」


「・・・・・・久乃木」


久乃木は顔面蒼白のまま立ち上がり、大声で怒鳴る。


「出て行けッ!」


「・・・・・・」


児玉は黙って立ち上がると、一言、「また来る」と言って帰った。


この日の説得は、失敗に終わった。

が、児玉は


(ここで諦めているようであれば、友人失格じゃ)


と思っている。



次の日。

児玉は久乃木の家を訪ねるも、門前払いであった。

会うことすら、できなかった。

天海に報告したところ、天海は別の所で激怒した。


「なぜ説得に失敗したのに、家来に屋敷を見張らせん!」


という事であった。

晴奈の信虎追放計画を知った久乃木が、信虎にそれを報告する事を防ぐために、久乃木の屋敷を厳重に見張れ。という意味である。

たしかに児玉は、まったくそれをやっていなかった。が、やるつもりもなかった。


「久乃木はそういう事はしません。友人である私をおとしめるような卑怯をする男では、ありません」


天海にはそう言って、児玉は次の日も、またその次の日も、久乃木の屋敷を訪ねた。

久乃木の説得は、児玉以外に適任がいないのは、誰の目にも明らかだった。

児玉もそう思っている。そのため児玉は、この事を苦痛だとは感じなかった。


「久乃木よ〜!久乃木のじじい!飯はしっかり食っとるんか!」


「・・・・・・」


嫁や娘達にも屋敷の外に出ないように言っているのだろう。近所に聞いて回ったが、ここ数日、姿を見せていないらしい。


「ダメか・・・・・・。また明日来る!」


そう言って児玉は、その日も帰った。


次の日、峡間の館で評定が開かれた。

児玉がそこに行くと、既に久乃木は来ていた。

心なしか他の家臣達は久乃木を警戒しているように見える。

児玉は自分の定位置に着き、信虎を待つ。


信虎は一通の書状を持って現れた。

家臣達に緊張が走った。いよいよ親子の争いの行司が、晴奈と信虎、どちらを選ぶのかを決めたという事であった。

信虎が口を開く。


「南科野の今川殿が、このわしに、駿城にお越しあれと申しておる。晴奈を預かる場所がどんな所か、見に来られよ、との事じゃ」


勝負は決した。

今川は、信虎を預かり、晴奈と盟約を結ぶことに決めた。


児玉は知るよしも無かったが、この判断は今川梅岳と太原雪原が、晴奈は若輩で操りやすく、臆病者で戦嫌いであると、侮ったためであった。

勘助の計画が上手く作用していたのである。


話は戻る。

児玉はすかさず相槌を打った。

いつもは泉の役であるが、泉はまだ追放のことを知らない。


「それは良き考え!」


「うむ。今川殿は、晴奈に同情してくれたのじゃろう。あのうつけ者は、日がな一日、本ばかり読んでおるそうではないか!板堀、お前の躾はどうなっておるのじゃ!」


信虎が板堀を睨む。


「はっ。申し訳ござりませぬ」


「よくよく、今川殿に行く末の事、頼んで来なければなるまい」


娘を追放するこの期に及んで、まだ娘を叱り足りないらしい。


「わしは早速、駿城に参る!」


いよいよ始まってしまう。家臣達がそういった現実味を帯びたのは、この時であった。


信虎は僅かな供を連れ、南科野、駿城に旅立った。

信虎護衛のその連中は念のため、人質を取っている。

信虎はもう二度と、峡間の土を踏むことは、無い。



信虎が旅立った翌日。

久乃木の説得は児玉が一任されているため、この日、いよいよ信繁と泉の説得が始まる。


屋敷の一室には、晴奈、板堀、天海、児玉、信繁、泉の六人が集まった。

上座に晴奈。晴奈の右、手前から板堀、天海、児玉。晴奈の左、手前に信繁。後に泉の順である。


その重々しい雰囲気に泉は、いつもの柔和な顔を厳しくさせている。


「何事じゃ!板堀殿!何をもって集まったのじゃ!」


泉は板堀に説明を求めた。

板堀は難しい顔をして口を開こうとしないので、続いて「天海殿!児玉殿!」と説明を求める。


説得を始めるのは、晴奈と決めていた。


信繁が晴奈を見る。


「姉上?」


児玉達には信繁が、晴奈が話しやすいよう促したように見えた。


晴奈は口を開く。


「信繁。泉。私は父を、追放する」


晴奈は、あまりに端的に、告げた。


信繁と泉は目を見開いた。泉はすぐさま板堀達を見回し、怒鳴りつける。


「板堀殿!天海殿!児玉殿!お手前らはこの謀反に賛成しておるのかっ!」


板堀が泉を見据え、答える。


「左様じゃ。わしらは若殿様を新たなお屋形様に選んだ。国境に兵を出し、南科野よりこの峡間に戻られるお屋形様を、阻止する。もう覚悟は、決まっておる」


続いて天海が答えた。


「泉殿。全てはこの峡間のためじゃ。お屋形様のまつりごとに領民は疲弊しておる。その領民を救うため、我らは立ち申した」


泉は激怒した。


「馬鹿ァ!若殿!お父上に逆らい、それでこの峡間が救われると、お思いか!」


児玉が口を開いた。


「泉さん。間違っている」


「何が間違っていると申すか!」


「泉さんが異を唱えるのは、お屋形様のためでも、峡間のためでもなかろう。信繁様のためじゃ」


泉は、目を見開き、明らかに動揺している。

図星だったのだろう。


「泉さんは信繁様の守役を務め、長年信繁様にお仕えしておきながら、信繁様の本当の心はわからぬようじゃ」


「なんじゃと!児玉殿!いくらそなたでも、許さんぞ!」


「まことに信繁様のためを思っておるのなら、信繁様を見てみなされ!」


泉が児玉に怒鳴られ、信繁の方を向くと、泉は驚いた。


信繁は顔を両手で覆い、声も出さずに泣いていた。


「信繁様?」


「ごめんなさい、泉。わたし・・・・・・」


信繁は涙を拭い、晴奈を見た。


「姉上。遂に、お立ちになるのね?」


「信繁様?」


泉は混乱している。


「わたしは、姉上が立つのを、ずっと待ってた。姉上ほどの器量がある人はいないって、知ってた。父上が姉上を恐れているのは、その器量を恐れてのことだって、ずっと知ってた!」


「信繁・・・・・・」


晴奈はその優しい眼差しを、信繁に向ける。


「父上がわたしを可愛がるのは、自分より器量がないからだって・・・・・・知ってた。姉上はいつ立つだろうって、不安で仕方がなかった!だって!わたしには姉上ほどの器はない!」


「信繁様!?」


「でも、信じてた。姉上がきっとわたしを救ってくれるって!姉上がっ!大好きな姉上がわたし達をきっと導いてくれるって!」


信繁は再び目に涙を溜めて、晴奈を見つめる。


「姉上!よくぞお立ちになられた!よくぞ父上に背かれた!わたしはこれより、姉上の命令に従う。従える!姉上を、お屋形様とあおげる!」


そう言って信繁は、頭を下げた。

晴奈は信繁に優しく語りかける。

その言葉遣いは、普段の晴奈のものとは違い、姉と妹の関係によるものだった。


「信繁。つらい思いを、させたね。でも、私は信繁が言うような凄い人じゃ、ないよ。私は父上が言うように、臆病。だから覚悟を決めるまでに、こんなに時間が掛かった。許して」


そう言って晴奈も信繁に頭を下げた。


その光景を見た板堀と児玉、泉は、涙を流した。

天海も若干目を潤ませ、一つ、呟いた。


「峡間は、変わる」


こうして武郷家は、一つにまとまった。

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