第一話 (18) 姉妹

武郷晴奈と信繁の姉妹ほど、歪な家庭環境の中で育った姉妹もいないかもしれない。

長女の晴奈は父である信虎に忌み嫌われ、片や次女である信繁は信虎に寵愛を受けた。


そういった環境が続けば、晴奈は贔屓されている信繁を憎み、信繁は父に嫌われている晴奈を見下そうとしそうなものであるが、この姉妹はそういった事がなく、極端に仲がいい。


それは二人の過去に理由があるのかもしれない。

これを語ろうと思う。



時は7年ほど遡り、晴奈はまだ16歳。信繁は15歳の時である。

この頃の信繁は、まだ晴奈に対して特別に尊敬するといった様子はなかった。あくまで姉として最低限の敬意を払っているくらいである。

信繁は信虎に可愛がられ、そういった子供によく見られる、自信過剰な所があった。

信繁には幼馴染がいた。名を野沢 信頼のざわ のぶよりという少女で、信繁とは同い年、信繁とは幼少期からよく遊んでいた。


その日、信繁は初陣することになっている。

季節は冬。信繁の初陣、その経緯を語る。


信虎は同盟を結んだ白樺頼重と中科野の大勢力、村島 義清むらしま よしきよの三国で合力し、中科野の桜平さくらだいらに攻め入った。

桜平は、峡間が中科野を侵略する上で入口となる地域で、いわば玄関口にあたる。

この玄関口は、四つの地域に面しており、峡間にとって戦略上極めて価値のある土地であった。

東の峡間から桜平を通過し、南に進めばは白樺頼重の本拠地である白樺。真っ直ぐ西に進めば重田しげた一族の領土である上野うえの、北に進むと村島義清の領土である更級さらしなという地域に行く。

この玄関口の門番は長らく白樺頼重が務めており、信虎はその白樺頼重に、まだ幼い娘の奈々を嫁がせ同盟を結んだ。

事態が動くのは同盟から6年後。この戦の一年前の事。

白樺頼重は、中科野の最南を領地とする勢力である低遠 頼継ひくとう よりつぐに攻められることとなった。

低遠家は、白樺家の分家にあたり、仲が悪い。

仲が悪い、とはいったが、人死が出る戦をするまでに発展しているのだから、その一言で片付けられるほど、生易しいものではない。

ともかく、白樺頼重と低遠頼継が争っている間に、手薄となった桜平は、重田一族がかすめ取ってしまった。

そこで白樺頼重は低遠頼継と和睦、すぐさまとって返すも、低遠との戦で疲弊した白樺頼重にはどうすることもできず、桜平は重田一族のものとなった。

白樺頼重は一年の間策を巡らせ、峡間の武郷信虎、更級の村島義清と同盟を結び、今回の戦と相成った。


中科野の地形は、ちょうどカタカナのトの形に似ている。

トの右横斜めの出ている部分が峡間にあたり、その付け根が桜平にあたる。

縦棒を四等分し、上から村島義清領、重田一族領、白樺頼重領、低遠頼継領といった具合である。


今回の戦は、山野平やまのたいらの戦いと呼ばれ、主戦場は上野であった。


白樺頼重と村島義清は、重田一族が支配する上野に侵攻、武郷信虎は桜平に攻め入った。

白樺、村島、武郷の同盟軍は次々と城を落とし、遂に重田一族は城を捨て、野戦決戦に出た。それに迎え撃つ為、同盟を結んだ三者も集まり、連合軍となって対陣した。

これが戦の経緯であり、信繁の初陣であった。



信繁は陣中にて副将の泉虎定と、幼馴染で小姓でもある野沢信頼と初陣に意気込んでいた。


「信繁様!いよいよ初陣ですな!腕の見せ所ですぞ!」


泉はいつもと変わらぬにこやかな顔ではあったが、その胸中は緊張と不安が渦巻いており、汗が止まらなかった。


「泉。安心して。必ず敵将の首をとりましょう」


信繁はというと、初陣に緊張するといった様子はなく、早く自分の実力を試したい、見せつけたい、といった具合でウズウズとしていた。


見ようによっては緊張しているようにも見えたのだろう。

野沢が軽口をたたいた。


「大丈夫っすよ、しげちゃん!なんてったって、この野沢信頼がいるんすから!信頼のぶよりだけに信頼して欲しいっす!」


「字しか合ってないじゃない・・・・・・」


「これ!野沢!信繁様に向かってしげちゃんとはなんたることじゃ!そもそもお前も初陣ではないか!」


「あーあ。分かってないっすねー。これだから年寄りは。そういうことは言わない約束っすよ?ねぇ、しげちゃん?」


「あなた大分失礼じゃない?」


そんな具合で騒がしくしていると、泉が真剣な表情で野沢を見据える。


「野沢。信繁様をお守りするのは、それがしとお前の役目じゃ。この任務を全うすると、誓えるか?」


「もちろんっす!あたしは将来、しげちゃんの家臣として活躍するんすから、こんな所で死なれちゃたまったもんじゃないっすよ!」


信繁は微笑んだ。


「頼もしいわね、野沢。泉も心配しないで。敵に討たれるようなヘマはしないわ」


「信繁様ァ、ご立派になられて・・・・・・」


泉は服の袖で目元を覆った。


「泉様・・・・・・そういうのいいから。此度の戦、勝ち目はどのくらいっすか?」


「野沢!無礼者め!」


「野沢。此度の戦で敵に負けることはほぼないわ。おそらく此度の戦で一番の敵は、白樺頼重と村島義清よ」


「え?どっちも今回は味方じゃないっすか」


「いえ、此度の戦は重田一族を滅ぼすまで行われることになってるわ。その後に重田一族の領土の分配を行う。そこでの発言権は戦での活躍によって決まるはずよ」


「うっわ〜。めんどくさっ。とにかく活躍すればいいんすよね?」


「まあ、そうね・・・・・・」


「じゃあ、最初っからそう言ってくださいよ〜。無駄に頭使わせないで欲しいっす」


途端、野沢の顔面に信繁の拳がめり込んだ。


「グハッ!」


「信繁様!お見事!」


野沢は倒れ、しばらくすると起き上がり、抗議を始めた。


「なにするんすか!これでも女の子っすよ?顔はダメっしょ!」


「鉄拳制裁よ」


「昔っからそうっすよ!すぐに暴力!」


「あなたも昔から変わらないわね・・・・・・」


「泉様も泉様っすよ!なんすか、お見事!って!」


「やかましい!当然の報いじゃ!」


「いくら信繁様が可愛くっても減り張りはつけて欲しいっす!」


野沢がそう言うと、途端に照れくさそうにしだす二人に、野沢はやれやれといった具合でため息を漏らした。


それから野沢は、偵察へと向かった。

うるさい野沢がいなくなると今度は、不思議と緊張が増してきた。


(わたし、しっかりとお役に立てるかしら・・・・・・)


そこに、晴奈が顔を出した。

初陣である信繁を気にかけて来てくれたのだろう。


(姉上・・・・・・?)


晴奈は信繁と目が合うと、近づいてきた。


「若殿様!?」


泉は驚き、立ちあがりかけるが、晴奈がそのままでいいという旨をジェスチャーで示した。


「姉上、どうしたの?」


「うん。信繁の初陣だからね」


そう言って晴奈は、適当に置いてあった床机に座る。


「心配しないで、姉上。わたしは此度の戦で敵将の首をあげ、必ずや活躍してみせるわ」


信繁は闘争心の強い瞳で言った。


「うん」


晴奈はそれだけ言って、沈黙が流れた。

やがて泉は、その空気に耐えられず、適当な事を言ってその場から抜け出してしまった。


(泉!逃げないでよ!姉上は無口なのよ!?気まずいじゃない!戻ってきて!)


信繁がそんな事を思っていると、晴奈が口を開いた。


「でも、」


「?」


「将たる者、あらゆる事態を想定して行動しなければ駄目だよ。敵将の首を取るのは、確かに大切。でも将には、それ以上に大切な事柄もある。それを見失わないようにしないと、大切なものを失うよ」


信繁は考えた。普段無口な姉が、今日はよく喋った。

そして一つの結論に達する。


(きっと姉上は、わたしに手柄を取られるのが嫌なんだわ)


信繁の短慮な所であり、あるいは、若さゆえの過ちといったものなのかもしれない。


晴奈がまた口を開こうとしたのを遮って、信繁は喋り出す。


「わかったわかった。姉上。心配しないで?わたしももう子供じゃないから」


晴奈は黙って信繁の顔をじっと見つめると、やがて立ち上がり、「信繁、頑張ろうね」とだけ言って、陣を後にした。


(不思議な姉上・・・・・・)


晴奈は、いまいち捉えどころがない。

信繁がそんな事を考えていると、興奮した様子の野沢が入ってきた。


「野沢。おつかれ。どうだった?」


「いやいや!そんなことよりも!今のって、晴奈様でしたよね!?」


「?ええ、そうね。姉上だったわ」


「やっぱり!あぁ、美しい人っすよねー。憧れるなぁ。あの優しい眼差し」


いつも信虎に姉と比較されて高い評価をもらっている信繁は、面白くなかった。


「なによ、わたしがいるじゃない」


野沢は一瞬ポカーンとして信繁を見た後、あろう事か鼻で笑った。


「な、なによ?」


「いやー、しげちゃんじゃ駄目っすよ」


「なにがよ!」


「だってー、しげちゃんの目は信虎様に似てつり目でキリッとしてるけど、晴奈様の目はお優しい目じゃないっすか。晴奈様の魅力はやっぱり目っすよ!」


「・・・・・・」


「他にも、晴奈様は髪が長いけど、しげちゃんは短いしー」


「なっ、あなたとお揃いにしたんじゃない!」


「いや、そうなんすけどねー?あと、しげちゃんの体型はなんというか、わざわざ言わないっすけど、凹凸がないっていうかー」


「思いっきり言ってるじゃない!もう許さない!」


「へ?」


信繁は野沢に飛びかかると、いつもの如く鉄拳を繰り出した。


「鉄拳制裁!」


「や、やめ」


こういったやり取りはこの二人にとっては日常茶飯事であり、戦の前の気晴らしにもなった。



戦が始まった。

信繁は馬に乗り、戦場を駆けている。

右隣には泉、左には野沢が控えている。


右から来た敵兵が、明らかに身分の高そうな鎧兜をまとった信繁に狙いを定め、槍を持って突撃するも、泉が馬で撥ね飛ばした。


「信繁様に近づくな!この下郎!」


泉は近づく敵を遠慮なく馬上から斬りつけた。

しかし、隙をついて信繁に接近する敵兵もいた。


「覚悟ッ!」


敵兵は槍を突き出すも、信繁はそれを避けて柄を掴み、刀で斬りつけた。


「やるねー!しげちゃん!」


野沢は野沢で、左から来る敵を槍で突き殺す。


味方の優勢であった。数はそこそこ拮抗していたが、泉が育てた熟練の兵達は、信繁の初陣に張り切り、その力量には明確な差があった。


「押してるわね、泉」


「はい!さすが信繁様でござりまする!このまま押し切りましょうぞ!信繁様の下知で一気に勝敗は決まりますぞ!」


「分かった。いくわよ」


信繁は息を肺いっぱいに吸い込み、命令を下す。


「みんな!このまま突き崩すわよッ!ついてきて!」


そう言って信繁は敵陣に向かって駆け出した。


「信繁様に続けェぇぇぇ!」


続いて泉と野沢が後を追い、兵達も敵を倒して突き進み、敵将に撤退を決断させた。


士気が高く熟練の信繁隊は、敵戦線を突き崩した。

信繁隊この戦全体の流れを変えたといってもいいかもしれない。

信繁隊の前進は戦線にくさびを打ち込み、それに呼応して付近の武郷方の将も前進、敵は敗走を喫した。

同盟している白樺軍は劣勢であったが、これを機に体制を立て直す結果となった。


信繁隊は尚も前進し、敵勢を次々と突き崩す。


信繁の隣を走る泉は、前方にいる敵勢を指差し、叫ぶ。


「信繁様!あれなるは重田 幸義しげた ゆきよし!あの首を上げれば、戦功一番は我らのものですぞ!」


重田幸義は、重田一族の次期当主となる男である。


「よし!泉、野沢、行くわよ!」


「はい!」


「了解っす!」


「みんな!あれは重田幸義!討ち取れ!」


「「「応!」」」


歩兵も騎兵もやる気は十分。疲れを感じている兵士は一人もいないであろう。


しかしここで、信繁にとって誤算が生じた。


信繁隊の勢いを見た重田幸義は、戦わずして撤退の様子を見せた。


「あっ!」


「おのれ!重田幸義!それでも重田家の次期当主か!」


「あっちゃ〜。残念っすねー」


重田幸義を追ってこれ以上敵陣に深入りすれば、討ち取られるのは信繁の方であるかもしれない。

信繁はここで選択を迫られた。

が、血気にはやる信繁は、迷わず決断した。


「泉!ここで重田を逃す手はないわ!追撃しましょう!」


「承知!」


選んだ決断は追撃であった。


勢いに乗る信繁隊は、重田幸義めがけてどんどん迫る。が、右手から別の隊が迫ってきた。


「信繁様!あの新手を放置いたしますれば、我らは重田隊に突っ込んだ後、蓋をされ、包囲されてしまいまするぞ!ここはこの泉に隊の半分を任せて、囮に!」


信繁が泉に頼もうと思ったその時、信繁の左を走る野沢が声を上げた。


「いや!その役目はあたしに!」


信繁は再び、決断を迫られた。

しかし、長く考えている時間はない。早くしなければ信繁隊は敵に包囲されてしまうだろう。


「わかった!野沢!あなたに任せるわ!」


「了解っす!任せて!」


そう言って野沢は、兵の半分を連れて新手にぶつかっていった。

将来の主従を誓った幼馴染に、手柄を与えたかったのだろう。


ここからは時間の勝負であった。

信繁隊は、敵陣の随分深くまで進んでしまっている。

早く離脱しなければ、包囲殲滅されてしまうだろう。

しかし信繁は、重田幸義の首を取るまで離脱するつもりはなかった。

重田幸義を討ち取るまで、野沢には耐えてもらわなければならない。


突っ込んでくる信繁隊に、重田の足軽達は逃げ出した。脱兎の如くである。


どんどんと重田までの人壁は薄くなり、最後に残ったのは、ほんの五十騎ほどであった。

対する信繁隊は元々五百名で構成され、死傷者が百名、残った四百の半数が離れて二百名ほどである。

つまり、重田隊の残りとの差は、四倍である。


乱戦の中、信繁は叫ぶ。


「重田幸義殿はどこ!武郷信虎が次女、武郷信繁が相手になるわ!」


「お前などに幸義様の相手が務まるかァ!」


騎馬武者、おそらく重田の家臣であろう男が突っ込んできた。

信繁も騎馬を走らせ、交差際に顔を斬りつけた。


「ぐあぁぁぁ」


男は顔を抑えて落馬し、信繁隊の足軽がすぐさま駆け寄り、滅多刺しにした。


「信繁様っ!あそこです!あの騎馬武者が重田幸義!」


泉が指差す方向を見ると、そこには確かに、装飾の立派な騎馬武者がおり、必死に戦っていた。


信繁は馬を走らせる。


「重田幸義殿とお見受けしたわ!尋常に勝負!」


重田幸義に群がっていた足軽達は離れ、重田は馬を返して信繁を見据えた。


「良き敵とお見受けした!」


重田幸義は、一騎打ちの申し出を受け入れた。


信繁が馬を走らせると、重田も走らせてきた。

互いの刀が、ぶつかり合い、すれ違う。

信繁はすぐさま馬首をめぐらし、馬を走らす。

重田は信繁よりだいぶ遅くに馬を向かせると、既に信繁は、近くに迫ってきていた。


重田は馬を操るのを忘れ、馬上で迎え撃とうと刀を構えた。

勝負は一瞬であった。


重田の首は吹き飛び、重田の繰り出した刀は、信繁にかすりもしなかった。


「重田幸義、討ち取ったわ!」


信繁が叫ぶと、喝采が上がった。


「お見事!」

「信繁様ー!」

「おおっ!」


信繁は泉と顔を合わせて頷くと、新たな命令を下した。


「撤退よ!戦線を離脱するわ!」


こうして信繁は、初陣にして重田一族次期当主を討ち取り、撤退を開始する。


鮮やかな撤退であった。

その要因は二つ。

一つは大将を討ち取られた敵兵に首を取り返す気力が既になかったこと。

もう一つは、歴戦の猛者である泉の手腕であっただろう。


撤退する信繁は、途中で敵の足止めに向かった野沢隊を発見した。

二百人いた野沢隊は、既に百人程しか立っていない。


「野沢!重田を討ち取ったわよ!撤退しなさい!」


乱戦の中、野沢は信繁の命令に答えた。


「了解っす!しげちゃん、先に行って!」


声の調子から、負傷等はしている様子が見られず、信繁は一安心した。

信繁隊は、ひとまず先に、離脱する。

野沢隊は殿しんがりとなった。



しかし異変は、信繁隊が離脱し、休憩していた所で気付く。

信繁と泉は、兵たちを休ませ、野沢隊を待っているのだが、いくら経っても現れない。


「野沢はまだ来ないの!」


「まさか・・・・・・」


青ざめる泉に、信繁は怪訝な顔で尋ねた。


「どうしたの?泉」


「信繁様、もしや野沢は、撤退に失敗したのでは!」


「え?」


信繁も顔を青ざめ、すぐさま馬に乗り、飛び出した。

泉も馬に乗り、兵たちをまとめて、追いかける。


信繁と泉が馬で戦場が見える位置まで来ると、野沢隊は、大勢の敵に囲まれていた。

撤退に失敗したという事であろう。

元来、撤退戦とは戦において最も難しい。

一度組み合えば離れるのは生半可な事ではない。

野沢の能力が足りなかったというよりは、経験が浅かったのが原因であった。

信繁は初陣でその卓越した指揮能力を見せた。が、誰しも信繁と同様のそれを持っているわけではない。


「野沢を助けなきゃ・・・・・・」


放心状態の信繁は、やっとの事でそう呟くと、命令を下そうとする。


「なりませぬ!あれだけの敵にたったの二百人で突入するなど、自殺行為です!」


「あそこに野沢がいるのよ!命令!野沢を助けるわ!行くわよ!」


そう言って信繁は、再び戦線に飛び出した。


「信繁様をお救いするのじゃ!」


続いて泉たちも後を追う。


(死んじゃだめよ、野沢!お願い・・・・・・!)


信繁は汗を流して突き進む。


やがて信繁は、既に四十人ほどになっている野沢隊に近づき、野沢の姿を発見した。


「野沢ぁぁぁぁあ!」


既にヘトヘトといった様子の野沢は、信繁の声を聞くと、ピクッと反応し、信繁の方を向く。


目があった。


(野沢!よかった・・・・・・)


しかし次の瞬間、野沢は背中から槍を刺された。

槍は貫通し、野沢の正面から姿を現わす。


「野沢っ!」


信繁は目を見開き、馬のスピードを早めようとする。

が、野沢は信繁の顔を見てニコリと微笑むと、信繁の方を指差し、叫んだ。


「撤退!!」


驚く信繁。

野沢が指差したのは、信繁ではなく、信繁が来た方角。つまり、信繁に撤退を命じたということである。


それだけ言った野沢は、そのまま力尽き、落馬した。

これが信繁が見た、野沢の最期の姿であった。


「野沢っ!起きなさいっ!野沢っ!」


取り乱す信繁に、やっとの事で追いついた泉は、信繁に撤退を促す。


「信繁様!撤退を!」


「馬鹿言わないで!野沢を、野沢を!」


「野沢はもうおりませぬ!」


信繁は涙を流し、ますます取り乱す。


「ならっ!の、野沢の遺体を!」


「信繁様っ!野沢は最期になんと仰りましたか!撤退と言ったのですぞ!」


「そんなの関係ない!」


「野沢は信繁様を守ると、それがしと誓いました!野沢は最期まで、その任を遂げようとしたのですぞ!それを無駄になさりますか!」


「ッ!?」


信繁は唇を噛んでうつむき、やがて、撤退命令を下した。


こうして、信繁の初陣は、輝かしい戦果とともに、信繁にとってこれ以上にない程に、つらく厳しいものとなった。


山野平の戦いは、この二、三日目後には重田軍の総崩れとなり、そのことごとくが討ち取られ、終結した。


この戦は、終始武郷信虎たち連合軍が意のままに行ったといっていい。

活躍した武郷信虎は、待望であった中科野への玄関口である桜平の大方を手に入れた。

同じく活躍した村島義清は、重田一族の元々の領土である上野を手にし、劣勢を強いられた白樺頼重は桜平の一部を手に入れるだけとなった。


この後、玄関口を抑えた信虎は、国境を接する事となった村島と白樺とは同盟を結んだまま、南科野の今川を標的と定め、海を狙って戦を繰り返す事となる。が、それも結局諦めて、七年後には晴奈を追放するついでに、今川とも同盟を結ぶ事となる。


桜平を手に入れることになった信虎は、気分良く峡間に帰って来て、戦功一番かつ可愛がっている信繁のために家臣たちを全員、峡間の館に集めて、祝った。

その豪華さは、峡間の民の貧しさを知る板堀達に苦い顔をさせた。

が、信虎の次女である信繁の祝いの席である。

無粋なことを言えば一族皆殺しだろう。

しかしそれとは別に、信繁の活躍については、誰しもが認めざるを得なかった。


信虎が珍しく和かな顔つきで、信繁を褒め称える。


「さすがは、信繁じゃ。初陣で敵戦線を突き崩し、重田幸義を一騎打ちにて討ち取った。見事じゃぁ。のう、あ〜ま〜み〜」


「はっ。まことに素晴らしきご活躍でございましたなぁ」


「うむ。泉も、よく信繁をここまで育て、支えてくれたなぁ」


「いえ!全ては信繁様のご器量でござりまするぞ!」


「はっはっはっ。それに比べてあの愚か者は、なんでもずっと川遊びをしておったそうではないか?うん?板堀ィ?」


「はっ。申し訳ござりませぬ」


板堀は頭を下げた。愚か者とは晴奈の事である。

川遊びと信虎が切って捨てたのは、晴奈の今回の戦ぶりであった。

晴奈は川を挟んで対陣した。晴奈隊五百人に対して敵は、精鋭と名高い部隊であり、その数は千人ほどであった。

晴奈は五百の味方のうち半分を馬場に指揮させて夜陰に浅瀬を渡らせ、背後から夜襲を仕掛けさせた。夜襲に驚いた敵将は、驚くべきことに、わずかな手勢をつれて一目散に逃げてしまった。

将を失った哀れな精鋭は、腰くらいの高さまである冬の川に追い落とされ、反対岸で待ち構えていた晴奈と板堀の、もう半分とで挟み撃ちにされた。

寒さに凍える敵兵は、刀や槍を持つ手は震え、足の感覚がなくなり、震えが止まらないなか、岸に登ろうとすれば槍で突かれ、中にいれば矢と鉄砲の嵐に晒された。

精鋭兵は結果、全滅した。

果たしてこれは、戦と言えるのであろうか、という程の圧倒的なもので、晴奈隊はほぼ無傷、敵は全滅という虐殺と形容してもいいようなものであった。

晴奈は、冬の川での戦いにおいて、不意に渡らせた方が勝ちという戦の原則に従ったに過ぎない。


板堀は晴奈に、「敵将を追いましょう」と進言したが、晴奈はこれを、


「味方を見捨てて逃げるような将よりも、精鋭部隊と名高い兵達をここで仕留める。武士はみすみす、敵を逃したりはしない。今の私達の敵は、無能の将より優秀な兵だ」


と言って、却下した。

が、信虎は晴奈が敵将を追わなかった事を責め、結果として晴奈の戦果を、「川遊び」と呼ぶに至った。


話は祝いの席に戻る。

信虎や家臣達が盛り上がっていると、信繁が立ち上がった。


「うん?どうしたのじゃ?信繁ェ。おぬしは今日の主役であろう?」


「すみません、父上。少し気分が優れないので、休みます」


そう言って信繁は、祝いの席から離れた。


「信繁様・・・・・・」


泉は、なんとも言えない表情で信繁が去った方を見ていた。

泉は友人が討ち死にした事など、もはや数えられない程に経験している。が、やはりつらいのは同じであった。



信繁は、ともかくも誰もいない所に行きたかった。

一人になりたかった。

信繁は、普段はあまり使われない、狭くて暗い、なんのために存在するのかもわからないような部屋にふらふらと入っていき、膝を抱えて座り込んだ。


野沢に敵の足止めを命令したのは自分だった。

自分が野沢を殺したようなものだ。

そう信繁は、過去を振り返り、自分を傷付けた。

どこでどう判断を間違えたのか。

なにが正しい判断だったのか。

良い指揮官とは何か。

そういった事を考えた。


(わからない・・・・・・。どうすれば、良かったの・・・・・・?)


信繁は頭を抱える。


すると、静かになったためであろう。信繁の後ろから、ペラペラと紙をめくる音が聞こえてきた。

信繁は顔を上げ、立ち上がって目を凝らす。が、やはり誰もいない。


信繁は不審に思いつつ、近づくと、高く積まれた本の隙間に、誰かの足が見えた。


「誰・・・・・・?」


信繁が尋ねると、反応が返ってきた。


「うん?」


と声を出して、本の壁をずらして現れたのは、晴奈であった。


「あ、姉上っ!?」


そういえば祝いの席でも最初の乾杯だけやった後、いつのまにか消えていた。

ちゃっかり酒を持ってきていた晴奈は、一人で本を読みながら、酒を楽しんでいたようだ。


晴奈は信繁に微笑みかけた。


「どうしたの?ああいうのは、苦手?」


信繁は驚きながらも答える。


「い、いや、ただ今日は、気が乗らないだけ・・・・・・」


「私はあんまり得意じゃない」


晴奈は優しい眼差しで信繁を見つめる。

野沢が好きと言っていた晴奈の目は、確かに優しそうな目であった。


「一杯やろうか?」


「え?」


晴奈はそう言うと、部屋を出て行き、やがて盃を持って来て、信繁に渡す。


「乾杯」


「か、乾杯」


信繁は、酒をぐっと飲み干した。

晴奈はゆっくりと楽しみながら飲んでいる。


それだけ済ますと晴奈は、再び読書を再開した。

信繁は、先程の自問を、晴奈に聞いてみることにした。


「姉上。一つ、いいかしら?」


晴奈は本を閉じ、信繁の方を見た。


「うん?」


「姉上。わたしは今回の戦で、とても大切な人を亡くしたわ。それも、わたしの命令で」


「野沢信頼さん、だったね」


「野沢を知っていたの!?」


「話したことはないけれど、妹が世話になっているんだ。知ってるさ」


「そっか。野沢が知れば、喜んだでしょうね・・・・・・」


「うん?」


「姉上。わたしは野沢に命令を下して、結果、野沢は帰ってこれなかった。良い指揮官って、何だと思う?」


晴奈は少し考えた後、答えた。


「わたしは自分の命令で、千人の敵兵をいっぺんに殺した。指揮官は決断し、命令を下すのが仕事だよ。そして一旦刀を抜くと決めれば、あとは戦うだけ。でも、指揮官は刀を抜くまでにあらゆる事を考えないといけない。

それが指揮官の、責務だと思うよ」


「でも、でも姉上!わたしはどんな決断を下したって、きっと後悔してしまう」


晴奈は優しい視線を信繁に向け、語る。


「私も人間だからさ、それは信繁と同じだよ。悩みや苦しみ、後悔とは切っても切れない。

でも、将が自分の下した決断を信じられないとさ、家臣や兵は誰を信じればいい?

決断は一瞬だけど、正しい決断を求めるのなら、その準備には、何年、何十年ってかかるよ。

良い指揮官とは何か。野沢さんの為にも、よく考えて欲しいな」


「姉上・・・・・・」


「信繁は、これからも前を向いて生きていかないといけない。野沢さんは信繁に、そう望むんじゃないかな。だから、自分ばかり責めてないで、野沢さんに大丈夫って、言ってあげなよ。野沢さんが、安心できるようにさ」


信繁は自分の未熟さに嫌気がさす思いであった。

同じ人の上に立つ立場にありながら、晴奈はそこまで考えて行動をしていた。

信繁が晴奈との器量の違いを痛感したのは、このことからだったのかもしれない。


信繁は自分を責める事をやめ、野沢の為にも、前を向いて行こうと決めた。

そのために、野沢のことを思い出すことにした。

死者との別れは、これから生きていく人間にとって、大切なことであった。

野沢の事を思い出せば、自然、涙が溢れて来た。


「野沢・・・・・・。わたしの家臣になるって、約束してたのになぁ、」


「信繁・・・・・・」


「野沢・・・・・・。本当に仲良しで、髪型もお揃いのにしてさぁ、」


「・・・・・・」


「失礼なことばっか言って、何にも考えてなくって、また、鉄拳制裁、させろよぉ」


晴奈は信繁を優しく抱きしめた。

信繁は晴奈の胸に顔を埋め、野沢に対する想いを吐き出し、一晩中、泣き続けた。



信繁が晴奈に傾倒したのは、こういった過去が、あるからかもしれなかった。

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