第一話 (19) 友人

 信虎の追放決行日が迫っている。

久乃木の説得は難航していた。

児玉は連日、久乃木の屋敷を訪れているが、会うことすら出来ずにいた。

この日も児玉は、久乃木の屋敷に向かって歩を進めていた。

天海などは、「久乃木の説得はどうなっておる」と、しつこく聞いてくる。


(天海のじいさんの下ではどうにもならん)


児玉は内心ごねた。

久乃木の説得は児玉に一任されている。児玉としては、久乃木の説得に全力を注ぎたい所であったが、家老である天海がしつこく、ああすればどうかと言ってくるため、児玉は天海への対応に追われることとなった。

正直な所、児玉の負担の多くは、久乃木ではなく天海であった。


児玉に言わせれば、将たるもの、焦る気持ちがあっても泰然自若に構えているものであり、天海は戦は強くとも、将として優秀とは、思えなかった。


(天海のじいさんは家老には向いておらん・・・・・・)


家臣をまとめる家老がこれでは、と児玉は先を思いやられた。


また、天海ははかりごとの類は苦手なようであった。

天海は児玉に対して、驚くべき事を提案してきた。

その内容は、


「久乃木が扉を開けんのであれば、わしが久乃木を呼び出そう」


というものであった。

なるほど、家老である天海が呼び出せば、久乃木は児玉の前に姿を現わすであろう。


(天海のじいさんは、それで久乃木が納得すると、本当に思っておるのか?久乃木は余計に意固地になるだけじゃろう)


会わなければどうしようもないという天海の考えはわからないでもなく、説得に手間取る児玉にも非はあるだろう。


しかし、久乃木と長年の友である児玉に言わせれば、天海の考えなど愚の骨頂でしかなかった。


 久乃木の屋敷に向かって歩く児玉は、ふと空を見上げた。


「雪か・・・・・・」


吐き出す息は、白い。

児玉は体を震わせ、先を急いだ。



 屋敷の前に立った児玉は、目一杯息を吸い込む。

吸い込んだ空気は冷たく、肺が痛いほどであった。


「久乃木よ〜!中に入れてくれんか〜!」


屋敷の戸は、いつもの通り、動く様子を見せなかった。


(久乃木のじじいめ・・・・・・)


もう時間がない。

久乃木が今更なにをしたところで、信虎追放は行われるだろう。

しかし、久乃木はその性格で、百姓や家臣達に人気が高かった。

「久乃木将軍」と呼ばれ、愛されてる。

例えば久乃木が、信虎の為と言って兵を集めれば、集まる民衆の数は馬鹿にできないだろう。

例えば久乃木が、腹を切ったとする。ただでさえ父親追放の汚名を負う晴奈の百姓からの信頼は、地に堕ちるどころか、地獄に落ちるであろう。


なにより、児玉は久乃木の友人として、久乃木と殺し合うことも、久乃木に腹を切らせることも、阻止しなければならない。


「久乃木よ〜!わしは、戸を開けぬ限り、ここを動かんぞ!」


児玉は久乃木が戸を開けるまで、その場に居座ることにした。




 久乃木は自室で一人、目をつぶって座っている。


「あなた?」


すると部屋の外から、久乃木の嫁が久乃木を呼んだ。


「何じゃ」


「児玉さん、今日も来てるわよ」


「知っておる」


「戸を開けるまで待ってるって言っていたけれど・・・・・・」


「・・・・・・知っておる」


久乃木は庭を見た。

雪が降っていた。


(児玉は賢い。しばらくすれば、帰るじゃろう)


久乃木は再び考える。

自分は、どうすべきかを。


忠義というものは、厄介なものであった。

どうしたいかではなく、どうすべきか。そういったことを考えなければならない。


久乃木は様々な葛藤と闘い、自問自答を繰り返した。



 気がつけば、辺りは真っ暗になっていた。

久乃木は夕食を食べに、居間へと歩いた。

凄まじい寒さであった。


ここ最近の久乃木家の飯は、一日ニ食で保存食を食べていた。

嫁や娘達には、外出を禁じていた。

外出されてしまえば、たちまち児玉に見つかり、屋敷の中へと招き入れてしまうだろう。

児玉と話せば、久乃木は自分の決断に歪みが生じてしまう。そんな風に思った。

忠義とは、人それぞれに形がある。自分一人で決断すべき。そう、思っていた。


「児玉は、帰ったか?」


「それが・・・・・・」


久乃木は眉をひそめた。

既に時刻は戌の刻。午後8時。児玉が来てから、10時間は経過していた。


 久乃木は急いで立ち上がり、玄関へと向かう。

久乃木が玄関を開けると、雪はまだ降っていた。

久乃木は、雪の中、立ちっぱなしの人影がいる事に気付いた。


「児玉か!」


久乃木は走って人影に近づいた。


「久乃木。とりあえず、中へ入れてくれんか?寒うてたまらん」


「あ、ああ」


久乃木と児玉は、屋敷の中へと入った。


「おい!児玉に着替えを頼む!」


久乃木の嫁は、「はい」と言って急いで取りに行く。


「児玉。こっちじゃ」


久乃木は児玉を連れ、暖まっている居間に入れると、娘達に、「二人きりにしてくれ」と頼んだ。

やがて久乃木の嫁が服を持って戻ってきたため、児玉は濡れている服を着替え、火鉢に手を近づけた。


「児玉!何をやっておるのじゃ!」


すると突然、久乃木が怒鳴った。


「なんじゃ久乃木。寒いから暖まっておるだけじゃが・・・・・・」


「そういう意味ではない!なぜ諦めて帰らんかったというとるんじゃ!」


「久乃木よ・・・・・・。おぬし、少し痩せたな」


「児玉!」


「久乃木よ。おぬし痴呆にでもなったんか?わしは今日、戸を開けるまで帰らぬと言うたはずじゃ。おぬしも聞いておったじゃろう?」


「・・・・・・」


児玉は久乃木の手を取った。

児玉の手は、久乃木が驚くほどに、冷えていた。


児玉は頭を下げた。


「頼む!分かってくれ、久乃木よ」


「児玉・・・・・・」


「峡間を救うためなんじゃ!信繁様も晴奈様に従い、家臣達もまとまった!久乃木よ、わしはおぬしの友人として、おぬしに、分かって欲しいんじゃ」


児玉の手は、震えていた。

寒さによる震えなのか、それとも不安によるものなのか、久乃木には分からなかった。


「児玉よ。わしは、迷っておる・・・・・・」


「久乃木・・・・・・」


「わしに、お屋形様の為に出来ることなど、ない。じゃからわしは、武士としてどうするのが正しいのか、それをずっと考えておったんじゃ」


「・・・・・・」


「児玉。お前や若殿様が、やろうとしてることの理由は、分かった」


児玉の任務が久乃木に理解してもらう事というのは、既に述べた。

問題はそれを受けて久乃木がどうするかである。


「久乃木よ。どうするのじゃ」


「わしには、お前がやろうとしている事が本当に正しい事なのか、わからん。峡間の家臣としては、正しいのかもしれん。お屋形様の家臣としては、間違っているかもしれん。わしは以前、お屋形様が国と、申したな?」


「ああ」


「それは今でも変わらん。じゃからわしは、お屋形様の家臣として、此度の謀反には、加われん。じゃが、峡間の家臣として、お前たちを止める事も、できん」


「・・・・・・」


「わしは、お屋形様に忠義を誓った。お屋形様がお亡くなりになるのなら、わしも後を、追うべきじゃろう」


「久乃木よ。お屋形様は何も死ぬわけではない」


「武士をやめるのじゃ。お屋形様にとって、死も同じことじゃろう」


「・・・・・・」


 児玉にとっては痛い指摘であった。

峡間の国主である信虎が、たったの一人で南科野に追放されるなど、死んだも同然だろう。

久乃木は、死を選んでしまうのだろうか。

児玉には、久乃木の忠義が分からなかった。

忠義を貫いた結果死ぬのは分かる。が、忠義のために死ぬのはおかしいと考えている。

久乃木とは以前、このことで議論を闘わせたことがある。が、結果は平行線でしかなかった。


児玉は顔を歪ませた。


「じゃが、」


「うん?」


「児玉。お前はわしの為に、ここまでしてくれるのじゃ。

・・・・・・忠義などに、関係なくのう。

覚えておるか?今川との戦いでお前は、苦戦していたわしのもとまで、わざわざやって来てくれたことがある」


「ああ」


「あの戦でわしは、敵に追い詰められ、死を覚悟した。しかし、お前は言うた。

その命、わしに預けい、と」


児玉は頷いた。


「言うた」


「あれ以来、わしの命は、お前に預けておる。勝手に死ぬわけには、いかんな」


「久乃木・・・・・・!」


「わしは、お屋形様と共に、南科野にいこうと思う。長女の麻里に家督を譲り、隠居する。娘の事を、頼む。お前が、後見してやってくれ」


 久乃木は、峡間を去る事を決めた。

信虎と最期まで、共するつもりなのだろう。

信虎が峡間に戻ることが無い以上、久乃木も峡間に戻ることはないだろう。

児玉は久乃木が、そういう男である事を知っている。

この友人達はもう二度と、会うことはないかも、しれなかった。


「久乃木!この、馬鹿者がぁ!頭が硬すぎるんじゃぁ!」


児玉は怒りやすく、泣きやすい。分かりやすい男であった。

この時、児玉は泣いた。

久乃木は優しく、微笑んでいた。


「済まんのう。児玉。済まん」


その後二人は、朝まで酒を酌み交わし、語り合った。


 晴奈と家臣達はいよいよ、全員が各々の決断を、下した。

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