第一話 (終) 仕官
勘助は峡間の自宅に帰ってきている。時刻は夜。
相も変わらぬおんぼろの小さい家ではあったが、勘助にとっては安心という極めて希少価値の高い
城にくつろぐ城主は、やるべきこともなく、寝転がってぼーっと天井を眺めている。
思考を停止して天井を眺めていれば、いずれ眠くなるだろうという考えであった。
(寝ていれば腹も減らん)
そんな勘助の城に、一人の訪問者が現れた。
「勘助~?中にいんの~?」
声の主が夕希であることを分かった勘助は答える。
「おう。いるぞ」
「入っていい~?まあ、だめって言っても入るけど」
ならばこの問答は何なのか、そんなことを思いながら勘助は、夕希に入城を許可した。
「うい~っす」
戸を開けて入ってきた夕希を横目で確認した勘助は、再び天井を眺める。
「勘助?何やってんの?」
「俺にもわからん」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
流れた沈黙を止めたのは、勘助であった。
「俺に何か用か?」
「え、あ、うん。まあね~」
夕希は勘助の城に入り、胡坐をかいて座った。
「なんだ?」
「いや、待って。その前にさ、どういうことか説明してもらってもいい?」
「何をだ?」
「勘助、いつここに帰ってきたの?」
「峡間に帰ってきたのは四日前だ。このおんぼろ小屋に帰ってきたのは、今日の昼頃か」
「へ~。で、帰ってきた勘助は、疲れて今の今まで寝ちゃってたとか?」
「いや?やることもないから、ずっとこのままだ。明日は相木殿を訪ね、お屋形様に帰還したことを報告する。さすれば、いよいよ仕官だ」
「うん。そっか。で、その帰還の報告、あたしには?」
「おう。夕希、帰ったぞ」
「・・・・・・」
「それで、俺に用とは?」
「いや、用とは?じゃないからっ!」
「は?」
「びっくりだよっ!夜になったら勘助の家に明かりがついてんだもんっ!」
「暗いからな。点けたのだ。それが?」
「報告しろよっ!帰ってきたよって!なんでしないかなっ!」
「今さっき言ったではないか」
夕希は無言で立ち上がった。
勘助は一瞬それを確認すると、再び視線を天井に戻した。
「・・・・・・勘助、組討の練習でもしよっか?」
「嫌だ。腹が減る」
「ご飯なら後であたしが作ってあげるからさ」
「いや、面倒くさいから遠慮する」
「勘助。怖いの?」
「なに?」
勘助が夕希の顔を見ると、ニヤニヤと腹の立つ顔で勘助を見下ろしている。
「そっか~。そうだよね~。勘助、あたしにケンカで勝ったことないもんね~」
それを聞いた勘助は、無言で立ち上がった。
「おっ?やる気になったね~」
勘助は夕希のニヤニヤ顔に拳をめり込ませるべく、何も言わずに攻撃を仕掛けた。
勘助とて足軽として何度も戦場を経験している。夕希に勝てないまでもその顔に一撃を見舞い、一矢報いるつもりであった。
一撃当てれば勘助の気持ちはスッキリするだろう。その後はとっとと降参するつもりであった。もやもやとした気持ちを晴らすことが出来れば、勘助としては勝ちであった。
(試合には負けるかもしれん。が、勝負で勝てれば、俺の勝ちだ!)
しかし、
「ッ⁉」
「おりゃーーーーーーーー!」
あまりにも幼稚かつ卑怯な勘助の攻撃は、見事に躱され、腕を掴まれた勘助の体は、あまりにも綺麗に宙を舞い、背中から床に叩きつけられた。
「ぐはぁっ」
勘助はかろうじて受け身をとるも、何が起こったか把握できず、目を白黒させる。
「勘助、討ち取ったり~‼」
夕希は勘助の胸辺りを踏みつけ、足でぐりぐりと踏みにじる。
「何もとどめまでさす必要はなかろう!」
「チッチッチ~、甘いよ勘助?勝負はとどめをさすまでついたことにならないんだよ」
「知らん‼」
「あ~、すっきりした~」
勘助は夕希の足を払いのけ、背を向けて座り込んでしまった。
「あれ?勘助?」
「・・・・・・」
「お~い。勘助~」
「・・・・・・」
「ごめんって~」
「・・・・・・」
夕希は困り果て、頭を掻く。
(あっちゃ~。やりすぎたな~)
夕希は困り果てた末に、勘助が喜びそうな本題を切り出すことにした。
「あっ、そうそう。勘助に渡すものがあるんだよね~」
「・・・・・・」
「お屋形様から預かってるものなんだけど~」
「なにっ!お屋形様からこの俺に⁉」
背を向けていた勘助は途端に振り向き、夕希の肩を掴む。
「うおっ⁉」
「お屋形様はなにを!」
「近い近い!勘助、近いって!」
「おお、すまん」
勘助が遠ざかると、夕希は胸を撫で下ろし、持ってきていた包みを渡した。勘助はそれを、不思議に思いながら開けた。
「これは・・・・・・」
中に入っていたのは、着物であった。黒を基調としたその服は、見るからに高価で、触ってみれば更にその三倍は高価に感じられる代物であった。
着物以外にも、漆黒の眼帯が入っている。眼帯は軽く、丈夫な素材でできており、それを付けた者の魅力を増幅させるような、洒落たデザインであった。
「お屋形様は、これを着て館に参上せよと、仰せか・・・・・・」
「いや~、びっくりしたよ~。あたしんちにさ、お屋形様が直々に現れて、それを勘助にって」
「夕希・・・・・・。俺は今、お屋形様に斬られた」
「え?」
「人を斬るとは、こういうことだ。俺は、お屋形様に忠義を尽くさねばならん」
勘助はそう呟くと、着物を抱きしめた。
晴奈は、勘助が家臣たちに侮られないように勘助に質の良い着物を用意させた。晴奈がそこまで勘助のことを買ってくれていると分かった勘助は、晴奈の天下統一に、自分の人生を捧げることを誓った。
「よかったね、勘助」
夕希はそう言って、優しい笑みを勘助に向けていた。
勘助が峡間の館に呼ばれたのは、それから一週間後のことであった。
勘助が足を引きずって大広間に現れると、既に揃っている家臣たちはそれぞれの視線で勘助を見た。
睨んだといった方が正しい表現かも知れない。刺すような視線はとても勘助を歓迎しているそれではなく、仮に視線だけで人が殺せるのなら、勘助は全身穴だらけであったであろう。
しかし勘助の目は、ただ一人、正面で優しい視線をくれている晴奈のみを見つめている。
勘助は膝をつき、頭を下げて、名乗りを上げた。
「山森、勘助にござりまする」
晴奈は頷いた。
「うん。
勘助が顔を上げ終わるのを待つと、晴奈は口を開く。
「歳はいくつだ」
「三十一にござりまする」
「その歳まで、浪人の身であったか」
「はっ。これより、身命を賭してお仕えいたしまする」
晴奈は微笑み、頷く。
「良き心がけ、知行百貫では不足だろう。二百貫
勘助は驚いて目を見開き、晴奈を凝視している。ほかの家臣たちも同様であった。勘助はそもそも知行百貫の約束で召し抱えられるはずであった。勘助のような名も知られていない一介の浪人に知行百貫など、それでも法外な俸禄なのだ。ましてやその倍にあたる二百貫など、驚かない方がおかしかった。
「お待ちくだされ」
待ったをかけたのは、板堀であった。
「恐れながら、浪人の新規召し抱えにしては、いささか多すぎませぬか?」
「構わない」
板堀は晴奈の意志の強い瞳を見て、それ以上何かを言う気にはなれなかった。板堀は続いて勘助の方を見ると、勘助はいまだに口と目を間抜けに開け、驚き顔のまま固まっていた。
「勘助っ!」
勘助は板堀の方を見た。遠目で戦っている姿は見たことがあったが、はっきりとその顔を見るのは初めてであった。
板堀はいかにも好々爺然とした顔立ちであり、実際においても、たいていの物事には理解よく対処してのける。その様は、まさに家老という役職にふさわしい。
その板堀が、目を吊り上げて勘助を怒鳴る。
「何をしておるか?御礼申し上げいッ!」
「は、はっ。有難き、幸せにござりまする」
勘助は慌てて礼を言い、頭を下げた。
晴奈はそれを見て、満足そうに微笑んだ。
「うん。他に、意見のある者は?」
晴奈が家臣たちを見まわす。
「姉上。よろしいですか?」
「うん」
晴奈を姉と呼ぶのは、この場において一人しかいない。
晴奈の一番左手前に座る少女は、晴奈の妹にして、副将の信繁である。
「なにゆえ、この者をお召しになられたのですか?」
勘助を召し抱える理由、信繁が訊いたそれは、家臣たち全員の疑問を代弁していた。
「うん。勘助は、諸国の地理に明るく、陣取り、城取り、兵法の奥義に通じていると、聞いている」
晴奈の説明を受け、家臣たちは眉をひそめた。
「陣取り、城取り、兵法の奥義?では、この者が構えた陣の数、築いた城の数は?」
そう言って信繁は、勘助を鋭く睨んだ。警戒しているのだろう。
信繁の容姿は、晴奈とはあまり似ておらず、目はつり目、髪は短髪であり、体も晴奈に比べて小柄である。
「勘助」
晴奈が勘助の名を呼んだ。答えよ、という事であろう。
「一つもござりませぬ」
「一つも⁉」
声を出したのは、泉であった。思わず出てしまったのだろう。他の家臣たちも同様に、驚いた顔で勘助を見ている。
「どういうことじゃ!」
怒鳴り上げたのは、家老の天海。しかめ面を怒らせ、勘助を睨む。
「どうもこうも、ないものはないのです。ですが、それゆえにそれがしの奥義を知る者も、おりませぬ」
「たわけっ!」
「天海」
怒鳴る天海を黙らせた晴奈は、勘助を見据える。
「勘助。ひとつ、その奥義を明かして見せてくれ」
「はっ。戦に勝つには、合戦をしないこと、それこそが最善手にござりまする」
勘助の答えを聞いた家臣たちは、晴奈と一部の家臣たちを除き、途端に笑い声をあげた。
その筆頭の天海が口を開く。
「この者、調略と申したいのでございましょう。が、そのようなことは誰にでも思いつき、誰にでもできることではござりませぬ。それを奥義などと、馬鹿馬鹿しい」
天海が吐き捨てるように言うと、その隣に座っていた男が口を開く。
「まあまあ、天海さん。優秀も無能も、戦場でのみ判断がつきます。まずは様子を見なければ、判断できますまい」
声を発したのは、児玉であった。歳は五十ほどであり、髪は白髪交じり、整った顔つきには口ひげと顎ひげ、体のつくりはそこまで大きくないものの、只者ではない独特の雰囲気のおかげか、小柄には見えない。
「お屋形様。とりあえずは一年という期限を設け、その働きを見た上で、正式に家臣となさってはいかがでしょう。それとも何か、この者を召し抱えたい特別な理由でも、おありなのでしょうか?」
児玉は晴奈を、鋭く見据える。他の家臣たちも晴奈と勘助の間に何かがあったことは勘づいている。何もなければ勘助のような浪人をここまで信頼するのはおかしいのだ。
晴奈はしばらく児玉の顔を見た後、口を開く。
「勘助とは、山ノ口城の戦いの折に、出会った。あの城を攻め落としたことの功績の多くは、勘助の活躍によるところが大きい。そうだな?板堀」
その場にいる全員は、またもや驚く。しかしながらその場にあって一番に驚いたのは他でもない、勘助と板堀であったであろう。
山ノ口城の戦いにおいて勘助と晴奈が出会ったなどという事実はない。勘助はむしろ城方に所属していたし、城を落としたのは、紛れもなく晴奈の功績であった。
板堀には晴奈がなぜここまで勘助を買っているのかわからない。大切な娘のように育ててきた晴奈の功績を、他人のものになどしたくはなかった。が、それでも晴奈の主君としての威厳だけは守らなければならない。自然、板堀の返答は決まってくる。
「は、はっ」
「私と勘助はそこで主従の約定を交わし、南科野へと遣わしていた。ゆえに勘助は、父上を無事駿城へと送り届けてくれた。勘助、よくやってくれたな。下がってよい」
「はっ」
勘助は頭を下げる。世界をいくら探したとて、勘助のためにここまでしてくれる主君はいないだろう。
勘助という人間は、基本的に神というものを信じていないが、この時ばかりは神に感謝せざるを得なかった。
(必ずや、この御方に天下を。それこそが俺の生れた意味だったのであろう)
勘助は遂に、自分の生きるべき場所を見出した。
勘助は晴奈という主君の下で、天下に向けて歩み始めることとなったのだ。それはあまりにも長く険しく、果てしない道となる。しかし勘助は、ただ前をのみ見つめて、歩み続けていくであろう。
第一話 仕官 終
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