第一話 (21) 刺客
勘助は信虎を駿城に送り届けると、すぐさま峡間に向かおうとする。
串間の例があるように、雪原は二重スパイなるものは使わない。
二重スパイというものは、より良い主君の方に味方するものである。評価し、褒美をくれるのはもちろんのこと、その人格や主君としての器を見極めるのは、家臣にとって大切な才能であり、こと二重スパイをやるような者は、そういった嗅覚が鋭い。
太原雪原は、今川梅岳がどういった主君か知っている。知っているため、二重スパイなど使わない。
二重スパイに利用するくらいであれば、容赦なく、殺すであろう。
勘助が今川梅岳の軍師であっても、同じ事をするだろう。
勘助はしばらく世話になった松平の元には行かず、刀一本の手ぶらで峡間を目指す事にした。
荷物は全て、松平の元に預けてある。が、命の方が希少であった。
(本など松平にくれてやる。世話になった礼だ。本の中身は、全て俺の頭にある)
勘助が足早に駿城の城下町を歩いていると、勘助を呼ぶ声に止められた。
「お〜い、勘助!こっちこっち!」
勘助がそちらを向くと、茶屋の前で、髪の毛を左右にまとめた不思議な髪型の少女が、ぴょんぴょんと跳ねている。
(あの触角の如き髪型の少女は、氏真様か!)
その少女は、以前勘助が駿城にて会ったことのある少女で、今川梅岳の娘であった。
(急いでおるが、仕方がない・・・・・・)
氏真に呼ばれてしまえば、無視するわけにもいかない。勘助はなかば迷惑そうな顔をして、氏真に近づく。
「お久しゅうございます。氏真様。お元気にしておられましたか?」
「うむ。大儀である!なんちって!あはははは!」
子供特有の甲高い声で笑われて、勘助は苦笑いをしている。
「急いでいるみたいだったけど、なにか用事?」
「いえ、特にこれといったものはござりませぬ」
口の軽そうな子供に、易々と本当の事を言うわけにもいかなかった。
「そっか!それは良かった!」
「は?」
「実はねー、勘助に〜、朗報がありまーす!」
「朗報?」
「うん!
「岡山?」
勘助が不思議そうにしていると、茶屋の中から団子の皿を持った女性が出てきた。
女性の年齢は18といったところで、きのこのような綺麗に切り揃えられた髪型をしている。
「このキノコはね、
「氏真様。キノコって私のこと呼ぶのやめてもらえません?あと、この団子に串に刺さっているのは仕様だそうですよ?」
「え〜?なんだ〜。そうだったんだ〜。異物混入かと思ったよ〜」
どうにも話が進まない。
勘助は話を急かすことにした。
「それで、それがしに朗報とは?」
「あっ。そうそう。なんと〜、凄いことにね〜、実はね〜、あのね〜」
勘助はだんだんとイライラしてくる。が、辛抱して待つ。
「勘助!君をあたしの、家臣にしてあげる!」
「え?」
「なっ」
勘助は驚き、岡山も続いた。
「それは、どういう・・・・・・?」
「どういうことですか!氏真様!そんな事を勝手にすれば、父上に叱られますよ!」
「え〜。だって〜、あたし勘助のこと気に入ったし〜」
勘助はようやく思考が追いついた。
(やはり、この娘も変わっている)
勘助は微笑んだ。
「氏真様。お気持ちは大変嬉しいですが、それがし、お父上に嫌われております。いくら氏真様でも、ただでは済みませぬぞ?」
「お前、良い事を言うではないか!そうです、氏真様!お父上は見た目にもこだわるお方。この人には申し訳ないが、とてもお眼鏡にはかないません!」
「甘い!甘すぎるよ、二人とも!甘すぎてね、虫歯になっちゃうよ!このあたしがそんなに何にも考えていないように見えた?」
見える。というのは、二人の共通の認識であった。
「二人の言う通り、父上は勘助を認めてくれない!だから、未来のお約束だよ!」
「未来?」
「そう!あたしが当主になるまで、勘助には、この岡山の下で、家臣として活躍してもらいます!」
「わたし!?」
岡山は目を見開き、勘助もまた同様であった。
もしも勘助が晴奈と出会っていなければ、勘助はこの少女をお屋形様と担ぎ、天下を目指していたかもしれない。が、現実はそうではない。
「申し訳ござりませぬ。氏真様」
「え?」
「それがし、もう既にお屋形様は、決めておりまする」
その言葉を聞いた岡山は、すぐさま刀に手を伸ばした。
「どういう事だ!誰だ!言え!」
「武郷、晴奈様でござりまする」
「武郷晴奈だと?貴様!間者だったか!」
岡山は刀を抜こうとした。が、氏真が手で制した。
「これから峡間に向かうってこと?」
「はい。そう、約束をしましたから」
「そっか。残念」
氏真は本当に残念そうな顔をした。
「浪人のお前を、晴奈殿は家臣にすると申したのか?」
「はい。知行百貫にて、お召し抱えくださると」
「いきなり知行百貫!?ありえん!」
「行ってみなければ、分かりませぬ」
岡山は、この勘助という男が騙されていると思ったらしい。とてもとても憐れな者を見る目で、話しかけてきた。
「せめて、確約の朱印状をもらってから峡間に行ってはどうだ?」
「いえ、それには及びませぬ。御朱印など貰えば、百貫以上は望めなくなりましょう。それに、あのお方は約束を違えるような事は、致しますまい」
「勘助は、晴奈殿に惚れたんだね!」
「ともかく!それがしは先を急ぎまする!」
「なぜそんなに急ぐのだ?」
勘助は理由を言おうかどうか迷ったが、言ってみる事にした。
「はっ。おそらくそれがしは、命を狙われまする」
「え?」
氏真は驚いた顔をするが、岡山はさほど驚かなかった。
「雪原様だな」
「はい」
「え?なんで?なんで勘助は、命を?」
岡山は氏真の方を見た。
この純粋な少女はまだこういった、いうなれば闇の部分について、知らない。
「氏真様。雪原様はおそらく、この者を優秀な人材だと判断したのでしょう。雪原様は優秀な人材をわざわざ他国に逃す事は、なさりません」
「・・・・・・でも、雪原は、僧侶でしょ?人殺しを進んでやったり、するの?」
「氏真様。雪原様は僧侶ではなく、僧兵です。雪原様は梅岳様の為であれば、人殺しも躊躇しません。それが、武士であり、忠義です。時には自分の信念も、曲げねばなりますまい」
「・・・・・・」
氏真は下を向いてしまった。
こうしている間にも雪原は、刺客を待ち伏せに走らせているかもしれない。
先を急ぎたい勘助は、別れを告げて進む事にした。
「氏真様。先を急ぎまする。これにて、御免」
勘助はそう言って、背を向けた。
「私が言うのも変だが、気をつけろよ!」
岡山がそう言ってくれた。
しかし、勘助が歩き出そうとすると、再び氏真が呼び止めた。
「待って!」
「氏真様。それがし、先を、」
「岡山を護衛につける」
「は?」
「え?」
勘助が疑問の声を出し、岡山は混乱に陥った。
「岡山元信!命令!勘助を護衛し、無事に峡間まで送り届けろ!」
「は?いや、氏真様?」
「命令!」
氏真がこう言い出せば、もはや止められないのは、岡山は経験上分かりきっている。
「・・・・・・はぁ。仕方がない。勘助と申したな?峡間までだ。よろしく頼むぞ?」
「いいのですか?岡山殿」
「命令と言われたのだ。良いも悪いもない」
岡山元信は、なんとも男らしい女であった。
「・・・・・・。氏真様。此度のこと、勘助、礼の言葉もござりませぬ」
「またね。勘助」
「はっ。また」
氏真に別れを告げた勘助は、岡山元信をお供に、峡間を目指す事となった。
勘助と岡部は、城下町を出た。
「ここから峡間まで、何日くらい掛かるのだ?」
「馬であれば一日。歩きであれば、頑張って二日ぐらいでありましょう」
「そうか。ならば頑張るか!」
勘助と岡山は、その日、夜遅くまで歩き続けた。
夜は近くにあった民家に、金を払って泊めてもらった。
二日目。
勘助と岡山は、竹やぶの道を歩いている。
「勘助。何者かが、つけてきているぞ」
「夜中のうちに追いつかれたか?はたまた馬で・・・・・・」
「余程その実力を買われているらしいな。憐れなものだ」
「うるさいキノコだ」
「うん?お前死にたいの?」
そんな軽口を叩いていると、前方から二人の人影が現れた。
笠をかぶり、口元は布で覆っているため、その人相は、分からない。
二人が立ち止まると、後ろからついて来ていた四人も一斉に姿を現した。
「勘助。後ろは任せろ」
勘助は頷き、左手前の竹やぶに駆ける。
岡山は右後方に走った。
上手いこと前方の二人を釣った勘助は、竹やぶを利用して、一対一に持ち込もうとする。が、その必要はなかった。
体格の大きい方の一人は、刀を肩に預け、後方で高みの見物を決め込んだ。
小柄な方は素早く距離を詰め、斬りかかってくる。
斜めに放たれた剣撃を、勘助は転がって避けた。
竹は斜めに斬り取られた。
勘助は立ち上がり、刀を振り下ろす。
それを避けた刺客は、刀を突き刺してきた。
それを避けて勘助は、一旦距離を取る。
竹を綺麗に斬ったその実力は、間違いなく凄腕の類であろう。
周りは岡山が戦っているため、刀の打ち合う音が響き渡っている。
勘助は、鍔迫り合いを仕掛ける事にした。
相手が小柄なためである。
相手と刀をぶつけて睨み合う。刺客の目元はまつげが長く、目は大きい。僅かに見える肌もきめ細かい。
(女か・・・・・・!)
可愛らしい男という可能性もあるにはあるが、十中八九、女であろう。
(おのれ、雪原め)
出来れば女は斬りたくない、と思うのは、勘助だけではなかった。しかし、それでまた多くの優秀な男達が命を落としたのも、事実。
手は抜けない。殺さねばならぬだろう。
勘助は、鍔迫り合いに押し勝ち、相手を吹き飛ばすと、一目散に逃げ出した。
刺客は驚き、すぐさま追ってくる。
逃げる勘助は、日陰でまだ溶けきっていない雪に足を取られ、滑った。
刺客はチャンスとばかりに距離を詰める。が、次の瞬間、刺客は腹に激痛を感じた。
見れば、刀が刺さっている。
勘助は、滑りながらも刺客から目を離さず、左手で抜いた脇差で、体を捻って刺客の腹を突き刺した。
刺客は勘助が転んだと思って勢いをつけていたため、この攻撃に、全く気付かなかっただろう。
「るあぁぁぁ!」
刺客は誇り高く、腹を刺されながらも、刀を斜めに斬りつけてきた。
刺客の攻撃は勘助には当たらず、竹を斜めに斬り取った。これが刺客の、最期の攻撃となった。
攻撃を避けた勘助は、刺客の心臓めがけて一突きに刀を突き刺した。
刺客は、勘助にもたれかかって事切れた。
「・・・・・・」
勘助は刺客を寝かす。
すると、高みの見物を決め込んでいた大柄な男がよろよろと近づいてきた。
「あ〜あ。女相手に。酷いねぇ」
勘助は刺客を見据える。
すると刺客は、顔を覆っていた布を取り、名乗りを上げた。
「わしは
名乗りをあげるという事は、己の力量に余程の自信があるのだろう。
恐らくは、勘助よりもその実力は上であろう。
「青木小便?下品な名だな」
「小便ではない!小善じゃ!おのれ!」
青木と名乗ったその刺客は、怒りのままに勘助へと迫った。
勘助は、先程倒した刺客の血を、手のひら一杯に溜め、それを青木の顔めがけて投げつけた。
「ぬッ!?」
勘助は、目をつむった青木に一気に距離を詰め、その右手を斬り落とした。
「ッ!?」
そのまま勘助は、暴れる青木の頭を掴み、先程の刺客が斬った斜めの竹へ、その顔を叩きつけた。
嫌な音が響き、その音は幾度か続いた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
勘助が呼吸を整えていると、岡山が現れた。
「勘助!無事か!」
「おお、岡山殿。岡山殿もご無事か?」
「二人ほど切り捨てた所で、奴らは逃げていった」
さすがは岡山というべきか、全く呼吸が乱れていない。まだまだ余裕という事は、聞くまでもなく分かった。
ともかくも、二人は先を急いだ。
峡間までの距離は、あと少しである。
すると今度は、人通りの少なそうな田舎道に、一人の武士が立って行く先を塞いでいる。
その武士というのは、雪原の小姓の松平であった。
松平を発見した岡山は、すぐさま抜刀し、襲いかかろうとする。
「手出し無用!」
勘助は岡山を止め、抜刀した。
「松平!久しぶりだな!」
「山森様も、お元気そうで!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
勘助は、前を見据える。
松平は抜刀し、刀を構えている。状況は、夕暮れ。一本道で左右は田、道では通りかかった村娘が、刀が抜かれたのを見て、腰を抜かしている。
勘助は走り出す。
松平めがけて一直線である。
その時、岡山にとっては不可解な現象が起こる。
勘助が村娘を通り過ぎた所で、村娘が
岡山は驚いた。が、それを予見していた勘助は、それを難なく避ける。
「貴様!なんのつもりだ!」
岡山は再び刀を抜き、村娘めがけて走り出す。
村娘は立ち上がり、こちらもくないを取り出して、構える。
「やめい!」
勘助は一喝し、松平の方を見る。
「俺の勝ちだ」
「私の負けですね」
岡山はわけがわからないといった様子で、勘助を見る。
「お前が剣術に自信があるなどと聞いたことがない。お前は雪原と、この俺の弟子でもある。何か仕掛けてくる事は、わかっておった」
「兵は詭道なり。は、あなた様の口癖でした。此度はそれを、実戦で使わさせていただきました。結果は、失敗でしたけどね」
松平は、恥ずかしそうにも、悔しそうにも見える表情で、勘助を見据えている。
勘助はくないを投げつけた女を指差し、松平に尋ねた。
「その女は忍びか?」
「はい。半蔵、戻ってこい!」
松平が女に命令すると、半蔵と呼ばれたその女は、素早い動きで松平の側まで走った。
「面白い家来だな」
「まだまだいますよ?槍でとんぼを斬ったり、知恵袋のようになんでも知っていたり、みな個性的です!」
勘助は松平が、将来大物になるような、そんな予感を覚えた。
「どうぞお通りください。私が、最後の刺客です」
「そうか。ではな、松平!」
「はい!お元気で、山森様!」
こうして勘助は、雪原が放つ最後の刺客も突破した。
勘助と岡山が去った後、松平は、ずっとその背中を見つめていた。
「さすがは山森様。あのお方は将来、間違いなく天下に名を成す軍師になられる。私はいつか、ああいう強者達を、全員家臣にしたい」
「そんなことより、雪原様に叱られますよ?」
「いや、そんなことって・・・・・・」
「任務失敗ですよ?」
「まあ、失敗したものは仕方がないよ。人生は、重い荷物を持って遠くまで行くが如しだ。焦ってもしょうがない。不自由を常と思えば、不足なしだ」
「なんであなた、まだ若いのにそんな年寄り臭い事言ってるんです?」
「君って私の忍びだよね?」
勘助達のそれからの道は、松平の言った通り、刺客などに遭遇することもなく、平和なものだった。
勘助達はついに、峡間の国境までやってきた。
「さて、私はここまでだ。勘助、達者でな」
「岡山殿。此度のこと、感謝に絶えませぬ」
「私はいい。勘助。氏真様にはしっかりと、この御恩を返せよ?」
「はい。必ず」
勘助は頭を下げた。
岡山は勘助の肩をポンポンと二回程叩き、颯爽と来た道を引き返して行った。
勘助はいよいよ、仕官のため峡間へと、戻ってきた。
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