第二話 (1) 凶報 前編

 峡間の館の大広間にて晴奈に忠誠を誓い、家臣となった勘助は、帰宅の途についている。

目指すべき場所は、今まで利用していた小さな村の小さなぼろ家ではなく、峡間の館の北に位置する、家臣団屋敷である。先代の信虎は、それぞれの領地に散らばっていた家臣たちをみな一か所に集めた。

勘助の屋敷も新たにそこに建てられ、勘助はそこに向かっている。


 勘助の新たな屋敷は大きく、豪華ではなかったが住居として利用するには十分のものであった。


(ここが俺の、新たな屋敷・・・・・・)


 勘助が最初に思い浮かべたことは、誰かを雇わなければ、といったことであった。

勘助ひとりで住むには、大きすぎる。基本的に戦のことしか考えていない勘助は、この家を放置し、雑草は伸ばしっぱなし、埃も積もらせ、この小綺麗な屋敷をたちまちに汚屋敷へと変えてしまうだろうことは明らかであった。

勘助はため息を吐き、屋敷の戸を開けた。


「あっ、勘助。おかえり~」


「・・・・・・なぜお前がいる?夕希」


勘助の屋敷で勘助を出迎えたのは、好き勝手にくつろいでいる夕希であった。


「いや~、この屋敷、おっきいね~」


「質問に答えろ」


「え~?なんでって、あたし勘助の家臣になったからさ~」


「お前は板堀様の家臣であろう」


「まあまあ、とりあえず中に入りなよ」


釈然としないまま勘助は、屋敷の中へと入る。

勘助は座り、夕希への質問を再開する。


「それで?」


「あ~、板堀様ね~。板堀様には前々から勘助の事話してたし、あたしが勘助の家臣になるからって言ったら、了承してくれたよ」


「そうか。俺は了承した覚えはないが・・・・・・」


「え?勘助に決定権なんてないよ?」


「・・・・・・。それで、団次郎殿はお前が俺と屋敷で暮らすことを認めてくれたのか?」


「いや~、それがさ~、聞いてよ勘助。父上ってばさ~、あたしが勘助の家臣になるから出ていくって言ったらさ、そんなの聞いてないっ!とか言って怒鳴ってきてさ~。そんなの当たり前だよね?だって初めて言ったんだもん」


「団次郎殿も大変だな・・・・・・。いや、これからこいつと暮らしていくことになる俺が一番・・・・・・」


夕希は何が楽しいのか、ケラケラと愉快そうに笑っている。

勘助は呆れながらも、夕希と一緒にいることの賑やかさを嫌いにはなれず、屋敷を管理する者も雇う必要がなくなったため、一石二鳥という言葉で自らを納得させた。



 勘助と夕希が会話を楽しんでいると、何者かが訪れてきた。


「お~い!誰かおらんのか~!」


声の主は男であった。


「誰だろう?勘助、知ってる人?」


「昼間の謁見で聞いた気がするが・・・・・・。はて、どなただろう」


勘助が戸を開けると、そこには小柄な男が立っていた。


「なんじゃ。おるではないか」


「あ、これは、」


「おう。わしは軍師の児玉虎昌じゃ」


「軍師・・・・・・?」


信虎は軍師というものを用いなかったため、勘助は児玉が軍師と名乗るのが不思議であった。


「そうじゃ。新たなお屋形様は、わしを軍師となさったのじゃ」


「お屋形様が・・・・・・」


児玉が軍師となった経緯をより正確かつ具体的にするならば、児玉は信虎追放の折、家老の天海にやかましく口出しされてふらふらになってしまった。その経験から児玉は、晴奈に自分を軍師とするように具申したのだ。晴奈も児玉の天才性や力量は認めていたため承諾し、児玉は軍師となった。

お屋形である晴奈にその実力を買われて軍師という立場になった児玉には、いくら家老の天海といえど簡単には口を出せない。


「山森、と言うたな?なんでも、陣取り、城取り、兵法の奥義を極めているとか。間違いはないか?」


児玉は、品定めをするように勘助を見つめた。


「はっ」


勘助が即答する様を見た児玉は、にやりと笑った。


「そうか。今日来たのは、ただの挨拶じゃ」


「それは、大変失礼なことを。家臣の皆さまへの御挨拶は、明日にでも行こうと思っていたのですが」


「なあに、わしはせっかちじゃから、とっとと済ませたかっただけじゃ。腹も減ったし、もう帰る」


「はっ。お気をつけて」


「山森」


勘助が児玉の顔を見ると、児玉は鋭い目線で勘助を見ながら言った。


「気張れよ?おぬしの兵法とやらで、早くお屋形様やわしらに、楽させてくれ」


「はっ。必ず」


児玉はしばらく勘助を見ていると、そのまま表情を変えずに背を向け、足早に去っていった。


(あれが信虎を陰で支えてきた、児玉虎昌・・・・・・)


おそらく勘助の品定めにいち早くやってきたのであろう。晴奈の軍師を目指す勘助は、児玉に認めてもらい、児玉を超えねばならない。児玉は、勘助にとって越えるべき壁であった。

勘助はしばらく児玉が去った後を見つめると、屋敷に戻ろうとした。

するとそこへ、次なる訪問者が訪れた。


「山森勘助っ!」


しかめ面で足音を鳴らしながら現れたのは、家老の天海虎泰であった。


「これは、天海様。挨拶は明日にでも向かおうと、」


「そんなことはどうでもよいっ!おぬしに言っておかねばならぬことがある!」


「言っておくこと?」


「そうじゃ。いいか山森勘助。おぬしがどれほどの事を知っておるかは知らんが、この峡間は、先代の信虎様を今のお屋形様が追放されて、今があるのじゃ。それは知っておるな?」


「はっ」


勘助としては知っているどころか協力すらしている。天海は知らないとはいえ、愚問であろう。


「わしら家臣は、主君である信虎様を追放に追いやった張本人じゃ。じゃが、その決断に至るまでに、どれほどの葛藤や迷い、苦しみをしてきたか、おぬしにはわからん!」


事実であろう。勘助は今まで忠義を尽くすような主君に巡り会えていない。しかし、例えば晴奈を追放するかしないかの決断を迫られたときを考えれば、その決断までの道のりの険しさは想像がついた。無論、想像と実際に経験するのでは、天と地ほど違う。


「わしらは苦しみに苦しんだ末に、この決断を下したのじゃ!すべてはこの峡間のためにじゃ!じゃから、おぬしが少しでも峡間を害するようなことあらば、たとえお屋形様が止めたとしても、わしがおぬしを斬る!」


「はっ。もちろんでござりまする。それが天海様の、忠義の形なのでございましょう」


「山森勘助。現実の戦は、おぬしが考えているほど甘くはない。敵も味方も、守るべきもののために戦う。それが戦じゃ!国を守るとはどういうことか、お屋形様の家臣として、よく考えよ!」


「はっ。しかと心得ましてござりまする」


天海は言うだけのことを言い、去っていった。

児玉とて天海と同じ気持ちであろう。紆余曲折を経て一つにまとまった峡間という国は、もしかすれば、新参者にとって最も厳しい環境であるかもしれない。

勘助の実力を見込んだのは、晴奈である。つまり勘助の能力、活躍は、家臣たちが晴奈の鑑識眼における評価を下す要因となるだろう。


この日、勘助の屋敷を訪れたのは、この二人であった。



翌日。

勘助がまず向かったのは、もう一人の家老である、板堀信方の屋敷であった。


「よく来たな。勘助」


「はっ。此度は家臣の皆様に御挨拶するため、参上いたしました」


「うむ。ご苦労じゃな、勘助」


「それがし、お屋形様の恩ため、努力して参りまする。板堀様。これからよろしくお願いいたしまする」


「お主のことは、夕希より聞いておる。まことに物怖じしない、元気な娘じゃ。夕希のことも、よろしく頼むぞ?」


「はっ」


「勘助。お屋形様にお主を推挙したのは、わしという事になっておる。お主には、期待しておるぞ?」


「はっ。期待に添えるよう、励みまする。それでは、それがしはこれにて」


「うむ」


 勘助は板堀の屋敷を後にした。

板堀の勘助を見る目は、期待の目であった。よほど晴奈の事を信頼しているのだろう。晴奈が直々に召抱えた勘助を疑うことなく期待している、そういった目であった。

天海がしたような重圧のかけかたよりも、もしかすれば、期待される方がプレッシャーとなりうるのかもしれない。勘助は身の引き締められる思いであった。


 それからも家臣たちへの挨拶は続いた。

勘助に向けられた目というのは、期待、好奇、嫌悪、疑念といった所であったように思う。

比率でいえば、好奇と疑念が多い。勘助の見た目を見て、嫌悪の感情を抱いている者もあったが、所詮はその程度の人間として、勘助は気には止めなかった。


 誰しも、勘助に対してなにかしらの関心を寄せている。それは晴奈も同様であろう。新たな国主となった晴奈と、その家臣となった勘助は、一挙手一投足を注目される存在であった。


 例えば馬場晴房は、同じく農民出身者である勘助を既に気に入っているらしく、挨拶に行ったときには満面の笑みで迎えられた。


「久しぶりだな!勘助!」


「馬場様、お久しゅうございます。それがしの事を、覚えていらっしゃりましたのか」


「その見た目で忘れるわけがないだろう?これからよろしくな!」


「確かに、それがしのような醜男はそうそうおりませぬ。ははは・・・・・・」


「うん?あっ!違うぞ勘助!私が言っているのは、その足と目の事だ!私は人の美醜についてはよくわからん!はははは!」


馬場がなにがおかしくて笑っているのかは分からないが、ともかくも大層機嫌がいいことだけは確かなようであった。


「しかし驚いたぞ!まさかあの時温泉であった勘助が、同僚になるとはな!」


「はっ。それがしも同様でござりまする」


「・・・・・・勘助」


「はっ」


「随分と堅苦しいじゃないか?私に遠慮はいらないぞ?」


「はっ。わかり申した」


「それと、馬場様もやめてくれ。絶対にだ」


「では、馬場殿?」


「う~ん」


「ばーばま〇?」


「勘助、楽しいか?」


「では、馬場殿で」


「はあ。わかった、それでいい」


馬場は仕方がないといった様子でため息を吐いた。


「馬場殿。ともにお屋形様の恩ため精進しましょうぞ」


「ああ。勘助は兵法が得意だったな」


「はい。それがしの身体はこの通り、戦場では役に立ちますまい」


「なあに、人はそれぞれに己が出来ることをやればいいんだ。といっても、出来ることは多いに越したことはない。勘助、いずれまた、兵法やらを教えてくれ」


「もちろんです。馬場殿が兵法にも通じるようになれば、まさしく天下無双でしょう!」


「はははは!勘助は人を褒めるのがうまいな!」


「ありがとうございます」


勘助としては、なにもお世辞で言ったわけではない。一騎当千の馬場が兵法も会得したならば、もはや最強と言っても過言ではないように思う。そしてそれは、世間一般も同意見であろう。


 馬場は一通り機嫌よく笑うと、勘助に次の行き先を聞いてきた。


「勘助、次は誰に挨拶に行く?」


「次は、陸奥保方様か、高松多聞様の元に行こうかと思っています」


「そうか。陸奥様は温厚の上に私たちと同じく農民出身だ。高松殿も顔は怖いが、ああ見えて優しい。後に回しても機嫌を損ねるようなことはないだろう」


「機嫌を損ねる?」


「ああ。峡間の家臣は自尊心の高い者が多い。天海様はその筆頭だ。そういった連中は、早めに挨拶をするべきだ。既に挨拶をしたのは誰だ?」


勘助は既に挨拶に回った家臣たちを答えた。

馬場は一通り聞き終わると、勘助に助言した。


「わかった。幸い、特段自尊心の高い家臣たちには既に挨拶が済んでいるな。ただ、まだ回っていない者のなかで一人だけ、厄介な方がいる」


「それは?」


伊地知 幸平いじち こうへい殿だ」


「伊地知・・・・・・?」


勘助は伊地知などという武郷家家臣は知らない。家臣団屋敷に名前は書いてあるが、それ以上の情報を持ち合わせていなかった。


「伊地知殿は、長らく久乃木希典様の参謀を務めていたお方だ。最近は大筒について熱心に勉強なされているらしい。とにかく、厄介なお方であることに間違いはない」


「はあ」


勘助は生返事をした。

ともかくも会ってみなければ何が厄介なのかわからない。自分の目で確かめることを何よりも大事と考えている勘助は、それ以上のことは聞かず、馬場の屋敷を後にした。



 馬場に助言をもらった勘助は、さっそく伊地知の屋敷へと向かった。

結論を先に言うのであれば、結局伊地知は、勘助が想像するおよそ5倍ほどの厄介な人物であった。


 姿を現した伊地知の容姿は、がたいがよく、脂ぎった顔は太い眉毛と口ひげが特徴的であった。

伊地知は開口一番、怒鳴り声をあげた。


「なんだ!」


「はっ。それがしは、山森勘助にござりまする」


「山森?ああっ、そんな者が確かにいたな。で?」


伊地知はわざとらしく、いかにも勘助の事を小物としか見ていないかのような口調であった。


「此度は、お屋形様に新たに家臣として召し抱えられたゆえ、挨拶にと参上いたしました」


「そうか。それはご苦労だな。それで、私の所には何番目に来た?」


「は?」


「何番目かと聞いている!」


「まずは家老のお二人を訪ね、それからは順番に回っておりまするが・・・・・・」


「阿呆っ!家老の次は私だ!」


「それは、申し訳ござりませぬ」


勘助は、このしょうもない男に付き合うのが既に馬鹿らしくなり、適当に話を合わせることにした。


「まあ、所詮は農民出身。礼儀知らずも致し方なしか。ははははははははは!」


伊地知は高笑いをかまし、勘助は特に思う事もなく、頭を下げていた。


「山森、だったか?」


「はっ」


「お前さんは確か、兵法に通じているとか申しておったな?」


「はっ」


勘助の返事を聞いた伊地知は、ため息を吐いた。


「いいか?戦で大事なのは、弾と兵の数だ!お前のような者のくだらぬ入れ知恵など、糞ほどの役にも立たん!」


「はあ」


勘助は曖昧かつ適当に返事をした。

どうも伊地知は、戦場で勝つために必要なのは、鉄と血だと思っているらしく、そのために死ぬ兵たちのことなど、考えもしないようであった。伊地知は頑固な性格で、この考えをずっと昔から持ち続けていた。こういった人間が考えを変えるためには、余程痛い目に合うしかないのだが、伊地知は運が良いのか悪いのか、この考えで失敗はしてこなかったようだ。それも伊地知の頑固さに結びついている。

ともかく言えるのは、これから天下を目指していく晴奈の下にあってこんな考えで戦をすれば、天下など夢のまた夢であるという事であった。峡間は小国である。兵の数は決して多くない。できうる限り味方の損失を抑えなければ、来るべき決戦に兵隊がいなくなってしまうだろう。

そもそも伊地知の言が正しければ、この世に軍師などの作戦家はいらなくなってしまう。


 伊地知の愚にも付かないお小言は、その日の夕方まで続いた。

勘助はくたくたになりながら帰宅し、ほかの家臣たちへの挨拶は、後日となった。

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