第二話 (2) 凶報 後編

 勘助は陸奥保方の屋敷に来ている。

 陸奥保方といえば、農民出身でありながら戦をするために生まれてきたかのような才能の持ち主で、その卓越した才能は、農民を人間ではなく戦をする上でのとしか認識していなかった信虎が、自らの家臣としたほどであった。武郷家の家臣となった後も陸奥は、信虎に厳しい任務ばかりを押し付けられ続け、実践という最良の経験値によりその才能に磨きをかけさせた。信虎の無茶ぶりに潰されることなくついてきた陸奥の忍耐といのはもしかすれば、戦の才能に通じているのかもしれない。

 成り上がり者の陸奥の武勇伝は、峡間の民には人気で、子供たちにとっては英雄ですらあった。勘助にとっても陸奥は、夢に向けて動き出すきっかけとなった人物である。が、今の勘助はとうにそんな事は忘れてしまっていた。


 勘助は陸奥を待っている。

勘助が陸奥の屋敷に訪れると、陸奥はまだ寝ており、出直すといった勘助に「少し話でもしながら待ってはいかが?」と言ってきたのは、陸奥を慕って屋敷に泊まり込んでいた武郷家家臣、由比 光江ゆい みつえという女性だった。

 由比は同世代の将の中で最も優秀と信虎が称した秀才であり、年齢は勘助よりやや年上くらいだが、見た目は若々しく、切れ長の目が特徴的な顔立ちであった。

由比は信虎にもその才を見込まれ、生まれも育ちもいいにも関わらず、陸奥を尊敬しており、「私が10人いても陸奥さんには敵わないわ」と、家臣に漏らしたこともあるほどであった。


 勘助と由比は、縁側に座り、朝ののどかな空を眺めている。

由比曰く、陸奥は暇さえあれば今の勘助たちと同じように座って空を眺めており、由比もそれが好きになってしまったらしい。勘助もこうしたゆっくりとした時を過ごすのが嫌いではなかったが、他にも家臣たちに挨拶して回らなくてはならない。


「由比殿、陸奥殿はいつ頃起きられましょう?」


由比によれば、陸奥は様づけで呼ばれるのは好まないとのことであった。由比も同様だというので、この呼び方に至っている。


「たぶんそろそろ起きて来るわ。最近は少し疲れていたみたいだから、寝起きが悪いの」


「陸奥殿はどういうお方でしょう?」


「謙虚なお方よ。耳が不自由だから、会話はすべて筆談ね」


「はっ」


「陸奥さんは戦にしか興味のないお方ね。根っからの武士って感じ」


武士道というのはもしかすれば、血は関係ないのかもしれない。と、勘助は思った。


「特に政治事は嫌いでね・・・・・・。先の追放で相当参ってしまったらしいわ。それでご覧の有様よ」


「なるほど。政治事はお嫌いか」


「ええ。それと、あなたがお屋形様の家臣となった日は、大喜びされていたわ」


「大喜び?」


「きっと、同じ農民の出の家臣が増えて、嬉しかったんでしょうね。・・・・・・あなたが羨ましいわ」


「はあ」


 勘助はあまり出身などに興味を示していないため、陸奥の気持ちは分からなかった。勘助にとって人というのは、出身がなんだろうと、所詮は使えるかそうでないかでしかない。この辺りは晴奈と考えが似ている。

 実を言えば、陸奥も最初はそうであった。しかし長年農民出身という肩身の狭い経験をしてきた彼は、いつしか農民の出の者を好むようになってしまっていた。


 そうこうしていると勘助は背後に気配を感じ、振り向くと陸奥が起きてきていた。

陸奥の容姿は全体的に細長で、まつ毛が長く、穏やかな目をしており、綺麗に整えられた口髭をした美男子であった。

 陸奥は勘助を見ると、見るからに嬉しそうに笑い、「朝食を一緒にどうか」というような事を紙に書き、渡してきた。

勘助は食べてきたので遠慮すると書こうとしたところ、それよりも早く由比が勘助から紙を取り上げ、「喜んで」と書き込んで陸奥に渡してしまった。

それを見た陸奥は、嬉しそうに食事が用意されている部屋に向けて歩きだした。

勘助は陸奥の後を追いながら、由比に問いただす。


「どういう事です!由比殿!」


「せっかく陸奥さんが食事に誘ってくれたのよ?断ってどうするのよ」


「それがしは朝に食べてきておりまする!これ以上は食べれませんぞ!」


「なんとかしなさい」


「無茶なっ!」


 由比は悪びれる様子を見せず、そうこうしているうちに食事が出されてしまった。

出されてしまったものは仕方がなく、勘助は二度目の朝食を食べ始めた。

勘助と陸奥は向かい合い、由比はその真ん中に座った。

由比は食事をせず、陸奥の書いた紙を勘助に読み上げ、勘助が喋ったことを紙に書いて陸奥に渡すというような事をしていた。

主な内容は、陸奥が勘助に期待している旨を書き、勘助が感謝とこれからの抱負を語った。陸奥は勘助と自分が、同じく農民出身であり、体の一部が不自由なことも似ているとして、勘助を他人とは思えないと書き、由比は勘助を鋭く睨みつけた。


 陸奥との食事を済ませた勘助は、重くなった腹と不自由な右足を引きずり、陸奥の屋敷を後にした。


(朝からひどい目に遭った・・・・・・。昨日の最後こそ、陸奥殿にすべきであったな。どうせ嫌味やわけのわからん屁理屈をこねくり回されるなら、伊地知などは最後に回せばよかった)


 勘助は内心で愚痴りながら、次に高松多聞の屋敷を目指す。

高松に関しては、勘助はあまり良い感情を抱いていない。勘助は過去、高松の足軽に捕まり、高松に尋問を受けている。印象が悪いのも致し方ないかもしれない。


 高松の屋敷に近づくと、男たちの怒号が聞こえてきた。

勘助は不気味に思い、隠れて様子を窺った。

見れば高松が、兵の訓練をしているらしい。


「突けッ!」


「「「うぉぉぉおおお!!」」」


高松の合図の元、兵たちが一斉に藁人形に向かっていき、槍を突き刺した。

すると、何人かはすぐに離れ、残りは突き刺さった槍がなかなか抜けずに手こずっている。


「何をやっているッ!」


高松は兵たちに近づき、近場にいた兵の槍を片手で引き抜いた。


「死にたいのか貴様らッ!」


ようやく槍を抜いた兵たちは、高松の気迫に怖気づき、背筋を伸ばして固まってしまった。


「槍を突いた時に最も重要なのは、素早く抜くことだ!素早く抜けねば貴様らは死ぬっ!槍を刺された敵は、刺された箇所に全身の力を集中するため、槍は締め付けられて抜けなくなる!藁ごときでこれでは、貴様らは死にに行くようなものだっ!もう一度ッ!」


「「「はっ」」」


兵たちは再び槍を繰り出し、今度はうまく抜けたようだ。


「まだまだッ!今日は倒れるまで槍を突きだし続けろッ!」


「「「はっ」」」


「他のものは組討の訓練だっ!かかってこいっ!」


「「「はっ!」」」


高松よりも長身の兵士が、高松に一人で襲い掛かった。

高松は長身の兵のみぞおちを一殴りし、一撃で倒した。


「戦場で情けは不要!武器が無くなれば、みぞおちか金的を狙えッ!生きて帰ったやつが勝者だっ!」


兵士たちは怖気づき、高松にかかっていく者が現れなくなった。


「どうしたッ!全員で来いッ!」


兵士たちは互いに頷き合い、一斉に襲い掛かる。が、高松はそれを鮮やかに倒していった。

あっという間に立っている者は、高松ひとりになってしまった。

「人殺し」などと呼ばれる所以であろう。あまりの訓練の苛烈さに、勘助は汗が止まらず、その場を後にしようとした。

しかしそこで、勘助と高松の目が合った。

勘助は黙って背を向けた。

しかし、


「勘助ッ!」


高松が勘助の名を呼び、勘助の逃亡は失敗で終わった。


「貴様らッ、訓練は一旦休憩だ」


高松は倒れている兵たちにそう言って、勘助に近づいてきた。


「なにも逃げることはなかろう?」


「いえ、そんなつもりは・・・・・・」


「おぬし、まだ昼食は食ってないだろ?付き合え」


「え?いや、それがしは、」


勘助の答えなど聞かずに、高松は歩き出してしまった。

勘助は致し方なく、高松の後をついていく。


 高松は、城下町のほうとうを売っている店に入った。

ほうとうはうどんに似た食べ物で、麺はきしめんを更に薄く広くしたような形状である。峡間においてほうとうは日常食であり、様々な野菜とともに煮込まれたそれは、うどんとはまた違う料理として認識されている。一説によれば、晴奈が陣中食として開発したという説もあるが、実際の所はわからない。


 勘助は店に入るなり高松に注文を任せ、厠に行った。出せば入るという考えであろう。

勘助は店内に戻り、高松の対面に座った。


「勘助。俺とお前は、どこかで会ったかな?」


「山中の合戦の折、一度だけ」


高松は勘助の言葉を聞き、しばらく考えた後、思い出すことに成功したらしい。


「おおっ!あの時の妙な浪人か!」


「はっ。お久しゅうござりまする」


「うむ。久しぶりだな、勘助よ。これからよろしく頼むぞ!」


「必ずやお屋形様のお役に立てるよう、精進いたしまする」


「うむ。ところで勘助。井藤夕希という者がお前の家臣となったと聞いているが、まことか?」


「はっ。高松様は、夕希と知り合いで?」


「うむ。あの者は、俺に正面から噛みついてきおった。忘れるものか」


「っ⁉それは、大変失礼を・・・・・・」


「誤解するでないっ!俺は夕希を高く買っている」


「は?」


「あのような女は初めてだ。驚いたぞ」


「はあ」


「勘助と夕希は、どういった関係なのだ?」


「関係と申しましても、幼なじみであり、主従の関係でもあります」


「それだけか?」


「それだけです」


「そうか・・・・・・」


(もしや高松様は、夕希を?)


男が二人向かい合って座り、互いに難しい顔をしていると、ほうとうが運ばれてきた。

しかし驚いたのは、ほうとうが四人前も来てしまった事であった。

勘助はすかさず女中に確認をとった。


「これ」


「はい?」


「四人前など頼んではいまい。二つ下げてくれ」


「え・・・・・?」


しかしそこで、高松が横から入ってきた。


「勘助、間違ってはいない。俺が三人前食うつもりだったんだ、勝手に減らすな」


高松の言葉を聞いた勘助は、驚いて高松の方を見た。

ほうとうは一人前でもかなりの量がある。それを三人前など、勘助は信じられなかった。


「すまんな。こちらの早とちりだ、仕事を再開してくれ」


高松が女中にそう言い、女中は仕事に戻っていった。


「食べよう、勘助」


「は、はっ」


驚くべきことに高松は、凄まじい速さでほうとうを食べ始め、綺麗に三人前を平らげてしまった。


「高松様は、大食漢ですな」


「そうか?」


勘助たちは食事を終え、高松はまた兵の訓練をするといって、帰ってしまった。


(今日はよく食べた・・・・・・。腹が減っていることよりも、食べ続けていることの方がつらいのかもしれない・・・・・・)


勘助がそんなことを思いながら歩いていていると、勘助の背後から蹄の音が聞こえてきた。

見れば、信繁が凛々しく馬で駆けて来る。

勘助は道を開け、信繁が通り過ぎるのを待った。しかし信繁は、勘助を発見すると馬首を返し、勘助の近くで降りて近づいてきた。


「これは信繁様。見事な乗馬術、感服いたしました。信繁様であれば、鵯越も出来るやもしれませぬな」


「ありがとう、勘助。探したわ」


「それがしを?どのような・・・・・・」


「勘助と姉上がどこで出会ったのか、気になって姉上に聞いたのよ」


「はあ」


「そしたら姉上、温泉で会ったとかって・・・・・・」


「・・・・・・」


「姉上も冗談を言うんだなって思ったわ。でも、冗談を言ってるように見えなくて、それで勘助に確かめに来たってわけ」


「信繁様。お屋形様のおっしゃられたことは本当です。それがしとお屋形様は、温泉にてお会いいたしました」


「え・・・・・・」


「しかしご安心召されよ。入浴中のお屋形様を覗くなどはしておりませぬ」


「そ、そうよね。安心したわ」


「それがしが気になって見に行ったら、偶然お屋形様が入浴していただけです」


それを聞いた信繁は、俯いて肩を震わし始めた。


「信繁様?」


信繁はキッと勘助を睨むと、鋭い突きを勘助の顔面に放った。

勘助が避けることなどできない鋭さの拳は、勘助の顔面に突き刺さり、勘助は吹き飛んだ。


「な、なにを・・・・・・」


「鉄拳制裁よ。この変態」


「変態とは人聞きの悪い!気になって見に行っただけです!」


「なんでその言い訳で分かってくれると思ったのよッ!」


信繁はため息を吐いた。


「姉上も変わったお方ね・・・・・・。勘助、姉上に免じて、今日は勘弁してあげるわ。次やったらわかってるでしょうね?」


「は?」


信繁は勘助を鋭く睨みつけ、勘助は反射的に「はっ!」と、返事した。


 勘助のあいさつ回りは、その後つつがなく行われた。


 晴奈に火急の知らせが入ったのは、その夜のことであった。内容は凶報と言わざるを得ない。

晴奈が寝間着のまま姿を現すと、既に集まっていた板堀、天海、児玉の三人は姿勢を正した。

板堀が口を開く。


「お屋形様」


「うん。内容は?」


「はっ。村島義清の軍勢が、桜平に攻め入ったとの知らせでござりまする」


児玉が補足する。


「その数はおよそ三千。まあ、数としてはさほどの事ではござりません」


天海が険しい顔で口を開く。


「お屋形様を若年と侮っての出陣に他なりませぬぞ!」


「・・・・・・」


晴奈としては、今は戦をするべきではなかった。戦を繰り返す信虎から民たちを救うため、追放というやや強引な手段をとって家督を継いだのに、信虎を追放してすぐに戦では、信虎とやっていることが変わらない。いや、実際には侵略ではなく防衛なのだから、厳密には全く違う。が、傍目から見れば変わらないように見えてしまうのが問題であった。そういった事は板堀たちとて分かっている。しかし桜平は、武郷家と白樺家の領地である。白樺と合力して出兵せねば、降伏も同義であった。


児玉が口を開く。


「状況は焦眉しょうびの急です。出兵せねばなりますまい」


「・・・・・・うん」


板堀が続く。


「お屋形様、出陣の下知を」


晴奈は板堀の顔を見て一度頷くと、下知を下した。


「白樺頼重殿の下へ、早馬を」


「「「はっ」」」


 翌日、軍議が開かれた。武郷家家臣が一堂に集まっており、勘助も当然ながら参加した。

その最中、驚くべき報告がもたらされた。

報告をしたのは、相木である。


「申し上げます!白樺頼重が、桜平に出陣しました」


「なにッ!」


声を荒げたのは、泉である。他の家臣たちは驚きに目を丸くしている。

児玉は怒りで顔を赤くしており、相木に確認をとった。


「白樺が我らに何の知らせもなく、出陣だと?相木よ、その知らせ、本当じゃろうなぁ?」


「はい。昨夜のうちに既に準備を整え、今朝」


天海が顔を険しくさせ、うめくように喋る。


「出し抜かれたのじゃ。白樺め、抜け駆けしおったな」


要するに白樺は、若くして国主となった晴奈を侮り、武郷・白樺の領地である桜平の危機に、晴奈に知らせることもなく単独で対処をしようというのだ。

明らかな盟約違反であり、国の危機に何の動きも見せない晴奈を、桜平の民たちは見限る事となろう。


 そしてそれは、現実のものとなった。


 白樺が出陣すると、村島はすぐさま和睦し、白樺は勝手に桜平の領地を村島と分割してしまった。

白樺頼重は、武郷を出し抜き、戦わずして桜平の大半を手に入れたことになる。

頼重は得意になり、家臣たちに「我らは勝ったのだ!武郷になっ!」といって愉快そうに笑っていた。

武郷は再び、中科野への道を断たれたことになる。


 晴奈は、決断を迫られることとなった。



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