第二話 (3) 最良の手

 晴奈は家督を継いで早々、決断を迫られることとなった。しかも事態は、極めて難解である。

簡単に言ってしまえば、武郷と白樺の領地である桜平に攻め入った村島は、武郷を桜平から締め出すことを条件に、白樺と手を結んだ。ということである。晴奈が選ぶべき決断は、晴奈にとって妹である奈々の嫁ぎ先で、同盟を結んでいたはずの白樺との戦か、白樺が勝手に行なった盟約違反を見過ごし、桜平を手放すか、という二択であった。


 軍議は荒れていた。

天海の声が部屋中に響きわたる。


「このまま村島と白樺の和議を見過ごせば、桜平の武士たちはことごとく白樺に寝返ることになる!戦しか道はないっ!」


天海の言葉に、井上省吾が口を出す。


「桜平に一度出陣すれば、戦は一日二日では終わりません!長期戦になるのは必然です。今の峡間に、そのような事をする余裕はありません!」


井上の言葉に、松原敏胤が反論する。


「桜平を失えば、中科野攻略への道筋が途絶えてしまうではないかっ!そもそも米が豊作な桜平を失えば、この峡間は再び貧困に見舞われる!あの土地はいわば、峡間の生命線ではないかっ!」


松原の言葉に、天海が同調する。


「戦を恐れていては、何も出来んのじゃっ!最初に裏切ったのは白樺じゃ!大義名分はわしらにある!」


家老の天海の言葉を聞いた井上は、黙るどころか激昂した。


「なにも戦をしないとは言っておりません!ただ時期が時期なのですっ!」


天海は怒鳴る。


「事はいておるのじゃ!」


そこで児玉が、苦笑しながら口を開いた。


「まあまあ、ここはひとつ、兵法家の意見でも聞いてみませんか?」


「兵法家じゃとう?」


天海は児玉を睨んだ。


「山森。おぬしの意見を聞かせてくれんか?」


その場の全員が勘助の方を向いた。

勘助は特に慌てる様子もなく、ゆっくりと口を開いた。


「それがしは、井上殿に賛成です。しばらくは時を待ち、機を見てから白樺に攻め入ってはいかがでしょうか?」


「それが出来れば、誰も苦労はせん!」


「なぜ出来ませぬか?」


「なにぃっ⁉」


天海は、開いた口が塞がらないといった様子であった。

見かねた松原が、天海に代わって喋りだす。


「勘助。今桜平に攻め入らねば、白樺は桜平の防備を固めることとなる。戦は先手必勝が定石。白樺が防備を整え終わる前に攻めねばならんのだ!そしてそれは、今なのだ!今を逃せば、勝ち目はなくなる!」


「それがしが思うに、戦に定石などというものは、およそ存在いたしませぬ。勝ち目がなければ、作ればよいのです」


天海はいよいよ顔を真っ赤にさせた。怒髪天を衝くとは、今の天海の状態であろう。


「引っ込めッ‼この、愚か者がぁ!」


そこで今まで口を開かなかった晴奈が、口を開いた。


「勘助。考えを聞こう」


「お屋形様っ!こやつの申すことなど、聞くだけ時間の無駄ですぞ!」


「天海。考えも聞かずに人を批判するのは、悪い癖だぞ」


「お、お屋形様・・・・・・」


「勘助。頼む」


「はっ。まずは、白樺勢を調略により二分しまする。その上で、白樺頼重殿と対立する一派と手を結び、我らはその援軍として、白樺に出陣いたしまする」


勘助の意見を聞いた児玉が、口を開く。


「白樺頼重と対立する一派とは、低遠頼継のことじゃな?低遠は白樺家の分家。白樺家に代わり、大祝おおほうりの座を狙っておるのは、明らかじゃな」


 白樺家というのは代々、白樺大社しらかばたいしゃの神職の最高位であるところの大祝を務めてきた名門である。白樺大社は科野最古の神社であり、白樺の民はこの神社を深く信仰している。大祝である白樺家は、いわば人間の姿をした神と見られており、大祝であるということは、白樺の全ての民に信仰される神になるという事であった。

白樺の民は、自分たちを正しく導くものは大祝であると信じて疑っていない。先代の信虎が白樺頼重を滅ぼせなかった原因はもしかすれば、ここにあったのかもしれない。


 ここで信繁が、晴奈たちにとって最大の難問を口にした。


「姉上。一番の問題は、白樺に人質として嫁いだ奈々よ」


信繁の言葉に、泉が同調する。


「左様ですぞ。どうにかして、奈々様をお救いする手はないものか・・・・・・」


そこで勘助の右目が、ぎらりと光った。それを見た者は、晴奈以外にはいなかった。


「そこです!信繁様!」


「え?」


「それがしの考えで、最も重要なのは、あくまで低遠の援軍として出陣するところにあります!」


児玉が勘助を見た。


「どういうことじゃ?山森よ」


「此度我らは、合戦をいたしませぬ」


「なに?」


「低遠が白樺殿に戦を仕掛ければ、白樺殿は低遠討伐に動きまする。」


「うむ」


「そこで我らは、白樺殿と有利に和議を結んでしまえばよいのです。和議を以て白樺を屈服させれば、奈々様のお命も安泰でござりまする」


「なるほどのう。奈々様をお救いするために低遠頼継を操り戦を起こさせ、その間に白樺と和議を結んで屈服させる。低遠は見限り、わしらは戦をすることなく、奈々様と白樺の領地までも手に入れる。ということじゃな?」


「はっ。此度の戦、重要な点は二つ。一つは低遠頼継に戦を起こさせるように仕向ける事。低遠は元々、大祝の座を狙っておりまする。我らが援軍を出すといえば、必ず乗りましょう。もう一つは、白樺勢を二分させる事。まとまりのなくなった白樺勢など、我らが手を下さずとも低遠勢のみで撃退出来ましょう。我らはそれを傍観しつつ、戦況の苦しくなった白樺頼重殿を和議にて屈服させればよいのです。

このどちらか片方でも失敗すれば、我らは白樺頼重殿と戦をせざるを得なくなりましょう。奈々様の命が、危うくなります」


児玉はにやりと笑い、晴奈の方を見た。


「お屋形様。これ以上の手は、ないと思われます」


軍師である児玉は、勘助の策に乗った。

晴奈は頷き、家臣たちを見回す。


「他に意見のある者は?」


天海が口を開く。


「そのように万事うまくいくなど、あるものか」


これに答えたのは、児玉であった。


「天海さん。楽な戦はありますまい。すべて上手くいくのであれば、それがいい。そしてその可能性が一つでもあるのであれば、それを実現するために最善を尽くす。違いますか?」


「それは・・・・・・そうじゃが」


他の家臣たちは何も言わなかった。勘助の策がうまくいくのであれば、これ以上の事はない。最良の手であろう。天海は一人、悔しそうに顔を歪めていた。


軍議は終わった。

この策を実施するため、勘助たちは早速、動き出すこととなる。

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