第二話 (8) 白樺攻め

 場所は中科野・白樺。代々白樺家の本拠地である上山城うえやまじょう

白樺の国主である白樺頼重は、同じところを右へ左へうろうろと歩き回っている。考え事をする時の癖らしい。


「どういうことなのだッ!」


迷いの種はこうである。

先の村島攻めで武郷の動きを奇妙に思った千野入道ちのにゅうどうが峡間に忍びを放ったところ、音沙汰がない。更に低遠頼継の本拠地である入笠に潜入させた者の報告によれば、どうも戦の準備をしているらしい。


「武郷に放った者は既にこの世にはおらぬでしょう。周到な準備がうかがえます」


「それは分かっておる!おのれ武郷晴奈!奈々がどうなってもよいというのかッ!」


「晴奈殿を若輩じゃくはいと侮ったのは、失策でございましたな」


頼重が晴奈を抜け駆けし桜平を乗っ取ってしまおうと言い出した時、千野は最後まで反対した。しかし頼重はそれを聞かず、ほとんど独断で決めてしまった。


「過ぎたことをどうこう言うでない!それよりも問題は低遠頼継の奴だ!なんの為の戦の準備なのだ!」


「わかりませぬ。こうなれば誰か信頼できる者を送り込み、何のための戦の準備なのかきつく確かめてくる必要があります」


千野がそう提案したところで、白樺家直臣、矢島道薫が口を挟んだ。


「お待ちくだされ」


「うん?どうしたのだ矢島よ」


「恐れながら、白樺は惣領家、低遠は分家の間柄です。確かに争いは幾度かありましたが、いわば兄弟のようなものではありませぬか。戦の準備というのであれば我らの援軍以外に考えられませぬ。むしろこの疑心暗鬼こそが、武郷の策なのではありませぬか?」


矢島の慢心極まる言葉を聞いた千野は、矢島を睨みつける。


「矢島殿。おぬしは戦は強いが、慢心が過ぎる。白樺家と低遠家は血で繋がっているとおぬしは言うが、繋がっているだけに憎しみが深い。血とは厄介な物で、切りたくても切れないものなのだ。それにこれが仮に武郷の策であったとしても、はっきりさせれば済む話ではないか」


「・・・・・・なるほど。では殿。その役目、是非ともそれがしに」


「矢島が?それはいい!お前であれば間違いないなっ!」


頼重はうんうんと満足げに頷いている。

とりあえずの手は打てたことに満足しているのだろう。



 それから十五日後。矢島が帰還した。


「矢島殿ッ!十五日もの間何をしていたのかっ!」


千野は青筋を立てて詰問する。


「それが、なかなか頼継殿に会わせてもらえず・・・・・・」


「会わせてもらえなかっただと?おぬしは戦前のこの期間がどれほど重要なのか分かっておるのかッ!」


「それがしも出来ることはしています」


「それでこの様か?」


「毎日通い詰め、しかと返答をもらってきたではありませぬか」


「何?おぬしは自分の立場を分かっておるのかッ!おぬしはそこらの使者とは違う!おぬしは殿の直臣なのだぞッ!直臣たる自分に会えないとはどういう了見なのか。宣戦布告と受け取るがそれで良いのだな。ぐらい言ってこい!会えるまでひたすら通い続けるなどと、おぬしは犬かッ!」


「なんだとっ⁉下手に出ていれば言うに事欠いて、この俺を犬だと!いくら何でも無礼極まるッ!」


矢島は遂に立ち上がり、千野も負けじと立ち上がる。


「もうよいっ!」


声を張り上げたのは頼重である。そのうち終わるだろうと嫌そうな顔をして待っていたが、いよいよ一触即発の空気にようやく動く気になったらしい。


「千野も落ち着かぬか。おぬしらしくもない。話が進まぬではないか」


「はっ。申し訳ございませぬ。あまりにも矢島殿が不手際だったため、つい・・・・・・」


「そういうところだぞ?お前は頭がいいが、その分他人を見下すところがある。争いの元だ」


千野は面目めんぼくなさそうに頭を下げた。

続いて頼重は矢島の方を向く。


「矢島よ。お前は交渉事が苦手だな。よく反省いたせ」


「はっ。肝に銘じます」


「うむ。では矢島。低遠の返答はいかに?」


「はっ。頼継殿は、『由緒正しき白樺家の一大事に援軍を出さぬなどあり得ぬこと。戦の準備は白樺家への援軍に決まっておる』とのことです」


「そ、そうか」


頼重はホッと一安心した気分であった。

しかし千野はそうではないらしい。


「馬鹿者ッ!」


と怒鳴った。


「ど、どうしたのだ」


頼重が目を丸くして尋ねると、千野は脂汗をにじませてまくしたてる。


「殿!お判りになりませぬか?低遠はなぜ、武郷が出兵の準備をしている事を知りながら我らにそれを知らせぬのか⁉我らに味方するつもりであれば、まず最初にすべきは自分たちの戦の準備ではなく、出兵のきざししありの報告でありましょう!」


「そ、それは」


「そもそも一切の諜報活動を受け付けなかった武郷の出兵準備を低遠が知っている事自体が妙です」


「つまり・・・・・・?」


「低遠は敵ということです!この入道めが低遠を国境にて迎え撃ちます。殿はともかく兵を集めて武郷に備えてくだされ。矢島、おぬしの戦の腕はわしも認めておる。失態は自らの得意分野で帳消しにせい!」


「・・・・・・おう」


「他の者も、ともかく多くの兵をかき集めるのだ!此度の敵は、低遠と武郷!厳しい戦になるぞ!」



 低遠・武郷の出陣の報せが届いたのは、その二日後であった。

頼重は妻である奈々と妹の凛にその報を知らせに行く。


「・・・・・・武郷晴奈が出陣したとか聞いたけど、本当?」


頼重の顔を見るなり、凛が聞いてきた。

凛はいつでも直球に物を言う性格であった。


「・・・・・・誰に聞いた?」


「さあね。で、本当なの?」


「・・・・・・本当だ。厳しい戦いになるだろう。・・・・・・奈々、そなたの姉と戦をすることになった。大丈夫か?」


「は、はい。私は既に白樺家の人間です」


「・・・・・・すまぬ。わしがそなたの姉を侮ったためだ」


頼重は震える奈々を抱きしめた。


「・・・・・・わしと共に、死んでくれるな?」


「はい」


「・・・・・・仲が良いこと」


「あっ、すまぬ凛!さあ、おぬしもここに・・・・・・」


「はあ?いらないわよ。このバカ兄」


「いいから。ほら」


「おいで~凛ちゃ~ん」


「ちょ、ちょっと」


二人に無理矢理腕を引かれ、三人で抱き締め合う形になる。


「・・・・・・はあ。勝ちなさいよ、兄上」


「ああ。わしに任せろ」


頼重はこの二人の少女を溺愛している。

彼は一国の主としては三流であったが、家族に向ける愛情は一流のそれであったかもしれない。



 千野入道は低遠領との国境にて敵に備えている。

結局千野が集められた兵数は、300程であった。どの兵士も千野が直々に仕込んだ精鋭である。

斥候による報告では敵の予想兵数は二千であった。

その兵数差、およそ七倍。しかし千野には、三日は防ぐことが出来るという自信があった。


「・・・・・・妙だ」


 千野はつぶやく。


(低遠勢は出陣の準備だけ整えて低遠城から一向に動く気配がない。武郷勢も同様に上山城近くの山に着陣したままだ・・・・・)


連合軍は足並みが揃わないということが多々あるものだが、そのどちらも動く気配がないのは、あまりに妙であった。


鋭く低遠城の方を見つめていると、ひどく慌てた様子で伝令が駆け込んできた。


「報告!」


「いかがした?」


「下白樺にて金射氏が挙兵!」


「何⁉」


上原城の南東、山に布陣した武郷勢。南西、遠く低遠城に低遠勢。上原城の北、下白樺で挙兵した金射勢。

千野はすぐさま撤退を決断した。


(三方を囲まれた。もはやこれは・・・・・・いや、諦めれば終わる!勝てる手を考えるのだ、今死ぬわけにはいかん!)


武郷勢か低遠勢の追撃を警戒しての撤退であった。が、山にどすんと構える武郷勢は、不気味なほどに静かであった。


 上山城に帰城した千野は、しばし呆気にとられた。兵の数があまりに少ない。

急いで天守に行くと、家臣たちの数も半分ほどしかいない。


「殿!これは、一体・・・・・・」


戻った千野は勢いそのままに問いただそうとした。しかし頼重の顔は絶望で染まりきっており、勢いが削がれた。


「千野か。皆兵をかき集めて来ると言ったきり戻ってこぬ・・・・・・」


「なッ!矢島は?」


「城に使者を送ったが、門すら開けてもらえなかったそうだ。・・・・・・あやつめ。わが父に見出された恩を忘れおって」


千野は心中、一言、「負けた」と漏らした。


「・・・・・・やられましたな。武郷か低遠、どちらかが調略の手を伸ばしていたのでしょう」


千野の頭脳であれば、それがどちらの手によるものかなど想像がつくことであった。しかし彼は、主とその妻の関係をわざわざ壊す必要もない、と考えた。


「こうなれば千野よ。最期は華々しく散ろうではないか。潔く、逝こう」


「・・・・・・味方の兵力は?」


「この城に集まった者は500。お前の集めた兵と合わせて、およそ800だ」


「・・・・・・最期までお供しますぞ。殿」


「すまんな。千野」



 ところ変わって、場所は武郷軍陣地。軍議の場は焦りと緊張で満ちていた。


「なぜ低遠勢は動かぬ。先陣を引き受けた約束をしておきながら、一向に動かぬのは、なぜ・・・・・・」


それは板堀の独り言であった。

しかし、それに答えたのは勘助であった。


「わかりませぬ」


作戦の立案者であるがために答えたのであろう。

軍議は重苦しい空気で満ちている。それを破ったのは、児玉。


「低遠に対するわしと勘助の認識が甘かった。あやつは想像以上に用心深い。この期に及んでまだ我らと白樺の関係を疑っておるのかもしれぬ。しかしまあ、じきに動きましょう。釣りの要領です」


次に口を開いたのは、晴奈の妹にして副将の信繁。


「児玉。こんな時に気休めはやめて。白樺頼重は三方を敵に囲まれた挙句味方に裏切られている。相当追い詰められているわ。破れかぶれでわたし達に攻撃を仕掛けてくるかもしれない。討死覚悟で、ね」


それに続いたのは、信繁のかつての守役、泉虎定。


「自害を選ぶことも、考えられますなぁ」


勘助はどこか一点を見据えたまま口を開く。


「もしかすれば低遠は、我らが白樺と一戦交えるまでは動かぬつもりやもしれませぬ。我らが実際に血を流すまで、我らを信じぬつもりやも、しれませぬ」


先陣を切ると低遠が約定を交わした以上、言うまでもなく明確な約定違反である。

勘助にその場の全員の視線が集まった。

勘助の恐ろしい推測に思考が固まったようであった。


そこに、百足衆が駆け込んできた。


「申し上げます!白樺勢、上山城を出陣!こちらに向かって来ます!」


「「「⁉」」」


家臣団は百足衆を見たまま固まってしまった。

晴奈が口を開く。


「敵の数は?」


「およそ一千!」


実際はその報告よりも200人ほど少ない。が、その誤差は武郷勢にとってなんの意味もなさない。

家臣団はその言葉を聞き、各々の反応が始まる。

天海が百足衆に尋ねる。


「わずか、一千?まことか?」


「はっ」


天海の驚きは、その数であった。

あまりに少ないその数は、勘助の調略策が成功したことの証左であった。


最悪の展開であるかもしれない。

重苦しい雰囲気のなか、勘助が立ち上がり、地面に膝をつくと頭を下げた。


「申し訳ございませぬ!それがしの見通しが、甘うございました」


しばらく無言の時間が過ぎ、やがて口を開いたのは意外なことに板堀であった。


「勘助。何をしている?今は戦の最中ぞ。つまらない卑下をしている暇などない。どうしてもしたいというのであれば、今すぐにここから立ち去れ!」


「ッ!」


基本的に人を怒鳴り散らすのは天海の役目であった。勘助の事を特別に忌み嫌っている節もある。だからこそ驚いた。天海は沈痛な表情で黙っているのみであった。そして板堀の言葉に勘助は、「その通りだ」と思った。

勘助は頭を下げたまま思考を巡らす。


しかし周りは勘助の思考を待っていてはくれない。

信繁が軍議を進める。


「姉上。もはやこうなれば低遠を頼って傍観を決め込むのは上策とは言えないわ。私たちは五千。敵は一千。正面からぶつかっても負けることはまず無いわ」


「お待ちくだされ!それでは奈々様が・・・・・・!」


勘助は続けて「お屋形様のお心が」と言いたかったのであろう。しかしそれを言うわけにはいかない。

信繁が勘助を鋭く睨んだ。


「分かりきったことを言わないでっ!策が失敗したのは仕方がない!でも、敵は今まさにここを目指して迫ってきているの!戦が作戦の転換を望んでいるのよ!」


「低遠に早馬を走らせ催促させて来まする!」


「そんな事している暇あるわけないでしょう⁉姉上、すぐに白樺勢への対処を!」


全員が晴奈を注視した。


「信繁の案を検討」


「「「はっ」」」


続いては誰を出陣させるかに移るところである。が、晴奈の言葉は驚くべきものであった。


「勘助。どうすればいい?」


「お、お屋形様・・・・・・?」


「姉上?なにを・・・・・・」


「勘助。焦れば視野が狭くなる。この戦で今すべきは、なんだと思う?」


「それは・・・・・・いかにして白樺勢との戦を避けるか」


「うん」


「・・・・・・‼旗さしものを広く立て、篝火を多く焚き、我が勢をできうる限り多く見せまする」


勘助の考えを完全に理解した児玉はにやりと笑い、


「山森。するとどうなる?」


と、わざと続きを勘助に喋らせた。


「我が軍の多さを見た白樺頼重は撤退を決意し、籠城策を取りまする。本城である上山城から、より堅固な支城の桑山城くわやまじょうへと籠城するものと思われまする。その際、もはや守兵のいなくなった上山城は敵に渡すまいと自ら火を放ちましょう。火の手を見れば約定違反をした低遠勢は慌てて攻めかかって来るものと思われまする」


信繁が口を挟んだ。


「待ちなさい!それで敵が退くかどうかは運次第じゃない!博打よ!」


児玉は信繁を見た。


「信繁様。知恵というのは、血を吐いて考えてもやはり限度があります。最期は運です」


「児玉⁉あなたほどの軍師が何を⁉」


「わはははは!信繁様もいずれ分かります!お屋形様。もはやこの策しかありますまい!」


「うん」


「では、先鋒を決めます」


「先鋒は、天海 虎泰。黒木 昌景くろき まさかげ。」


指名された二人は、姿勢を正して晴奈を見た。


「はっ」


「おう!任せとけ!」


 この二人は武郷家家臣の中にあって間違いなく、単純なぶつかり合いの戦であれば最強を誇る猛将であった。

天海は先代信虎時代から戦に次ぐ戦で鍛え上げられ、その名を知られている。何度となく戦い合った白樺勢であれば、その強さはもはやトラウマものであった。

黒木昌景は児玉虎昌の種違いの妹にあたる。配下の鎧を赤備えで揃えており、その猪突猛進な戦い方は相手にして「火の玉」と言われ恐れられていた。



 白樺頼重は馬にまたがり、武郷軍が構える山めがけて突き進んでいる。


(思えば、こうして前線で自ら武器を持って戦うの久しぶりだ)


頼重の隣には、頭巾をかぶった千野入道が並走している。


「殿」


呼ばれて千野の顔を見ると、その顔は暗い。


「どうした?」


「・・・・・・ここまで来てこれを言うのは失礼かと存じますが、許してくだされ」


「なんだ」


「降伏なされ。白樺家は由緒正しき家柄。殿がそれを滅ぼしたなどと後世の人間に言われるのは、我慢できませぬ」


頼重は驚いた。歳をとっても血気盛んなこの坊主が、まさか降伏を勧めるとは。


「らしくもない。それに、敵に降ってまで生きるのは恥辱だ。それこそ笑いものよ」


「それがしはそうは思いませぬ。恥を忍んで生きることを選ぶのは、死を選ぶよりも難しい」


「・・・・・・お前、まさか事ここに及んで自分の命が惜しくなったのか?」


頼重は軽蔑の目で千野を見た。こういった所がこの男が三流たる所以であろう。


「ははっ。殿も冗談が上手くなられた」


千野は愉快そうに笑った。


 そこで前方から駆けてくる伝令が見えた。

頼重は歩を止め、伝令の報告を聞く。


「武郷勢が動き始めました!その数、その数、およそ二万ッ!」


「なにッ?」


頼重は驚きに言葉が続かない。

千野も同様であった。が、何とか脳を回し、口を開く。


「敵の先鋒は?」


「天海勢と黒木勢であります!まるで森が動いているようでありましたッ!」


「天海と黒木・・・・・・」


千野は心中で、「一瞬だな」と漏らす。


「殿。いかが致す。殿が最期まで戦うというのであればご一緒致しますぞ」


「あ、あ、う」


頼重は顔を青ざめさせて呻くばかりであった。


 頼重の様子を回りで見ていた足軽たちの中には、我先にと逃げ出す者も現れ出した。

千野は黙って頼重を見つめ続け、他の家臣たちは脱走兵の対処に追われだす。


「逃げるな!おいっ!白樺家の危機に貴様らは、恥を知れ!」


千野の後ろではそんな怒鳴り声が聞こえている。

千野の家臣の一人が千野に近づき、尋ねた。


「逃げ出す者を斬り捨てますか?」


「放っておけ。何に命を賭けるかは、人の自由だ」


進軍を止めた白樺軍に、武装した数騎が近づいてきた。

何者かと思い、千野が振り向く。


「あなた様は・・・・・・」


千野のつぶやきを聞いた頼重も振り向く。

するとそこにいたのは、


「凛・・・・・・」


そこにいたのは頼重の妹である凛であった。彼女は数人のお供を連れて武装し、追ってきたらしい。

妹を大切に思う頼重は、凛を戦場に出したことがない。傷一つない真っ白の鎧兜は、その場において極めて不自然であった。


「兄上!」


「なにをしに来た!」


「私は自害なんて御免。しょうがないから兄上と一緒に死んであげる」


「馬鹿を申すな!敵に討ち取られるのと、自ら命を絶つのとでは、同じ死であっても違う!」


「兄上。私をなめすぎよ。それに、死ぬことに変わりなんてないわ」


彼女は凛々しく微笑んだ。

「美しい」と、千野はそう思った。


「殿。こうなっては仕方がありませぬな。ここはお退き下され。上原城は焼き払い、より堅固な桑山城へ籠りましょうぞ」


「なにを言うのだ!ここまで来て!」


「殿はあの火の玉の中に、凛姫を入れるおつもりか?」


「火の玉?」


千野が指さす方を見ると、凄まじい勢いで山を下ってくる赤備えの鎧兜をした集団が見えた。

まさしく「火の玉」という表現がピッタリ当てはまる。


「・・・・・・⁉」


あれが自分に明確な殺意を向けて襲い掛かってきていると思うと、汗が止まらない。

頼重は凛の姿を見た。その体は鎧の上からでもわかるほど震えている。


「・・・・・・武者震いよ。兄上」


頼重に見られている事に気づいた凛は、気丈にもそう言った。

無論、それが武者震いなどではないことは、頼重にも分かった。


「撤退だ!撤退するぞ!千野入道!」


「はっ!殿しんがりはこの入道めが!」


白樺勢は一気に反転、上山城へと退き下がった。

武郷軍の追撃に自らの死に場所を決めた千野であったが、そうはならなかった。

不審に思った千野の家臣が尋ねる。


「どういうことでしょう?」


「・・・・・・ようやくわかった。武郷勢の妙な動きは、奈々様のためだ」


「奈々御料人の?」


「ああ。武郷は必ず期を見て降伏を勧めてくる。おぬし、桑山城まで殿にお供し、武郷家の降伏を受けるように進言いたせ!」


「千野様が進言した方がよろしいのでは?」


「わしは桑山城には行かぬ。武郷が降伏を勧めてくる頃には、もはやこの世にはおらぬであろう」


「なっ⁉なにゆえに?」


「上山城を燃やせば、低遠は慌てて攻め寄せてくる。それを止めねばならぬ。殿の背をお守りできるのは、わしだけなのじゃ」


「っ‼それがしも、お供を!」


「ならぬ!命令じゃ!何があっても殿をお守りせよ!」


千野の鬼気迫る顔を見た家臣は、これが主の最後の命令であることを理解し、その意を汲んだ。


「ッ、はっ!この命に代えても、必ず!」


家臣は涙を流しながらひざまずき、千野は満足そうに笑った。



 翌日。上山城に火の手が上がった。

千野の予想は当たり、低遠は破竹の勢いで攻めかかってきた。

白樺家家臣の大半は既に降っているため、ほぼほぼ素通りであろう。


「千野!共に桑山城へ来い!命令だ!」


頼重は顔を怒らせて怒鳴った。

桑山城に行くいう所で、千野が自分は留まると言い出したためだ。


「殿。申し訳ございませぬが、その命令だけはきけませぬ。あの低遠に一矢報いてやらねば、我慢できませぬゆえ」


「嘘を申すな!お前に限ってそのような私情で命令に背くなどあるものか!お前の魂胆は分かっておる!お前はあの低遠めを足止めする気だろう!自らの命と引き換えにな!」


「なんのことやら」


「昨日の戦で殿しんがりをやらせたことを怒っておるのか?ならば許してくれ!そんなもの、他の者にやらせればよい!」


千野は微笑を浮かべ、


「殿。そういう事は言ってはなりませぬ。殿は、殿なのですから」


と言った。


「・・・・・・ならば」


「うん?」


「ならば今いる兵の半分をやる!生きて帰れ!」


「・・・・・・ありがたく頂戴いたします。さあ、もうお行き下され!」


頼重が去ると、千野は一つため息を漏らした。


(まったく、しょうがないお方だ。とことん大将には向かん。しかし、)


千野の頬に、涙が伝った。



 千野は百名だけを残し、後は桑山城へ戻るように命令を下した。


「殿になぜ帰ったと言われた時は、千野が低遠頼継の首など百人いれば十分だと言って刀を振り回したとお伝えしろ」


 千野は桑山城に戻る兵たちを見送ると、残った百名を見る。


「わしはこれから低遠勢に襲い掛かる!敵は二千!万が一にも生還は望めぬ!それを承知で残りたい者のみ残れ!」


 千野の言葉を聞いた兵士たちは、各々の行動に出た。

最終的に残った人数は、六十人であった。


「ここに残った者は、真の勇者だ!約束しよう!おぬし達が皆事切れるその瞬間まで、わしは死なぬ!おぬし達の活躍を見ずに死ねるものか!おぬし達の死に様はこの千野入道が見届ける!安心して、逝ってくれ!」


「「「応‼」」」


それから千野は、一人一人に話しかけた。皆、千野と戦えた事を誇りに思っている。

やがて、低遠勢が迫ってきたという報告が来た。


「行くぞ!」




 武郷軍陣地。

勘助と晴奈は二人きりである。


「急に進軍を止めた低遠勢に何があったのか、ようやく分かり申した」


「うん」


「昨夜、夜襲があったとか」


「被害は?」


「低遠勢、死者100。負傷者300。対する白樺勢は死者61人」


「そうか」


「まさか夜襲があるとは思っていなかった低遠勢は慌てふためき、混乱の挙句、同士討ちを始めたとか」


「見事な夜襲だな」


「はっ。指揮したものは千野入道殿であったとか。死体の損傷が激しく、誰が誰だか分らなかったため、首と胴体を合わせてようやく判明したとか」


「惜しい人物を失くしたな」


「・・・・・・はい」


「白樺頼重への降伏は、いつ始める?」


「はっ。もうよろしいかと。白樺頼重の憎しみは全て低遠頼継に向かい、低遠に奪われるくらいならと、我らに降るはずです」


「うん」


「使者は板堀様とそれがしが参りまする」


「うん。頼んだ」


「はっ」


 勘助と板堀が桑山城へ行くと、勘助でも驚くほどあっけなく、頼重は降伏を受け入れた。内々で散々議論したのかもしれない。

降伏の条件は、頼重の家族の安全。それのみであった。


 武郷晴奈による白樺攻めは、白樺頼重の盟約違反に端を発し、ほぼほぼ勘助の思惑通りに進み、そして終結した。

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