第二話 (7) 準備 後編 弐
勘助の話を聞くために集まったのは、家老の二人と軍師であった。
武郷家の柱石とも呼ばれる三人が集まったのは、それほどの大事である証左であろう。
部屋に入ってきた最後の一人である児玉は、いつもの調子で勘助に話しかけた。
「おう山森。白樺は楽しかったか?」
「いえ、とんぼ返りでございました」
勘助の回答を聞いた三人は、いぶかしげな顔をした。
ともかく三人は座り、場が整ったところで、晴奈が口を開いた。
「では勘助。白樺の様子を聞かせてくれ」
勘助は返事をし、話を始める。
「まず、白樺家中に注意すべき人物ですが、
板堀が頷いた。
「千野入道殿か。確かに奴には、先代の頃から苦しめられてきた。あやつこそ、白樺家中一の知恵者であろう」
天海も頷き、勘助に問う。
「山森勘助。おぬし、千野入道に会ってきたのか?」
「いえ、千野殿になど接触しようものなら、こちらの策は全て筒抜けになってしまうでしょう」
「随分と評価しておるではないか?」
「千野殿には、それがしが浪人時代に教えを乞うたことがあります」
「なに?では千野入道殿とおぬしは、子弟仲ということか?」
「・・・・・・まあ、そうなるかもしれませぬな」
勘助の言葉を聞いて、天海は顔を怒らせた。
「ならば危険を承知で説得してこぬかッ!おぬしの師である千野殿を、おぬしは泥船に乗せたまま見殺しかッ!」
勘助は、天海が何を怒っているのかわからない。
「千野殿は忠義のお方です。白樺を裏切るような事は致しますまい」
「心が痛まぬのかッ!」
「それが戦でございましょう。私情で危険な行動を犯し、この策を台無しにするようであれば、もはや裏切りと変わりませぬ」
「ッ!」
天海を歯茎をむき出し、顔色一つ変えずに言い放った勘助を睨んだ。
(天海様は考えが古い。情が大事なこともあるだろうが、作戦家にそれはいらない)
と、勘助は思った。
「それがしはお屋形様に忠義を誓っておりまする。お屋形様の為であれば、例え親でも子でも、何のためらいもなく斬れまする」
勘助はそう言い放った。
天海は心の中で、「まるで宗教者のようだ」と思った。
板堀が話を戻す。
「千野入道殿の調略は無理として、他の家臣はどうじゃった」
「はっ。既に相木殿が動き、
「矢島は信頼に足るのか?」
「行動の基準が単純な男です。心配は無用でしょう。一応相木殿と数人の
乱波とは、忍者のことである。
児玉が一言。
「他は?」
他に調略できそうな家臣はいるか、という事であろう。
「矢島によりますれば、今は難しいとのことです」
「理由」
「今は白樺頼重に対する不満がない、とのことで。それがしも白樺の百姓を見て来ましたが、同じ意見です」
「今は難しい、か」
児玉は難しい顔で髭をいじっている。
勘助は児玉が何を考えているのか分かったため、自分の意見を述べる。
「時期はこれ以上、延ばす必要はないかと」
「理由」
「お屋形様の父親追放の汚名を塗り替えるには、先代である御父上が成し遂げられなかった大事を成す必要があります。白樺攻略が正しくそれであり、白樺頼重の盟約違反を大義名分と出来る今は、絶好の機会かと」
「では矢島と金射氏の調略だけでこの策を始めるのか?低遠の戦下手に付き合えば、長期戦になる。長期になれば勝てる保証もない」
事実であった。
白樺攻略で実際に戦うのはあくまで低遠軍であり、武郷軍は心理的圧迫を加えるのみである。
例えば戦が長期に及んだ末、白樺がほかの国と同盟を結べば、低遠頼重などすぐさま撤退を決意するであろう。低遠が武郷に対し、「お前たちも戦え」と騒ぎ出した挙句、同盟が瓦解することも考えられる。
全ては低遠頼重次第であることは、この策の欠点かつ不安要素であった。
「いえ、他の家臣にも調略を行っていきまする」
「・・・・・・策があるのだな?」
児玉は下卑た笑いを浮かべた。勘助は随分前からその顔をしている。
天海は謀将特有のこの笑みが嫌いであった。苦い顔をしている。
「不満がなければ、つくればよいのです」
「つくる?」
「白樺頼重に、負け戦をさせまする」
「誰と戦わせる?」
「村島義清領に攻め込ませまする。今年白樺は、例年に比べて不作だったとか。それを理由に、矢島に武郷との共同出兵を進言させまする」
「白樺頼重は動くか?」
「動きまする。あの男は欲深い男ですから、理由さえ見つければ他国に攻め込みましょう」
「武郷はどう動く?」
「まず、村島領にて白樺頼重が攻め込む気配があるとの噂を流しまする。村島義清は謀略嫌いで知られていますが、戦上手な男です。防備をしっかり固めた村島に正面から向かえば、まず勝てませぬ。一方で我らは、白樺頼重からの共同出兵は引き受け、大げさに峡間の各地へ村島領への出兵をふれ廻りまする」
「なるほど。ふれ廻るだけで兵を集めはしないんだな?」
「はい。しかし一部は集めねば白樺頼重も信用しないでしょう。まあ300人も集めて国境に配置すれば良いかと。我らの出陣の準備を知れば、白樺頼重は我らに後れを取るまいと慌てて出陣するでしょう」
児玉はにやりと笑い、板堀と天海を見る。
「お二人とも、この策に何か意見は?」
「ない」
天海も続いて首を横に振った。
児玉は晴奈に体を向かせる。
「お屋形様」
「うん。勘助の策を採用する」
「では早速、準備に取り掛かります」
「うん」
児玉は再び勘助を見る。
「勘助。すぐに村島領に噂を流さねばなるまい」
勘助はにやりと笑って言った。
「実は、既にそれがしの家臣を向かわせておりまする」
その場にいた全員が驚いた。
「あとは相木殿に作戦決行を伝えるだけです」
相木に作戦決行を伝えると、十日もしない内に白樺頼重から共同出兵の申し出が来た。
晴奈は使者に会って、
「共同出兵、喜んでお受けします。我らから頼重殿にご相談しようとしていたところです。明日にでも私自ら出陣すると頼重殿にお伝えください」
と言った。
白樺の使者は晴奈の言葉を胸におさめてすぐさま帰国しようとする。
使者の目には、晴奈のやる気が伝わるようであった。
峡間の館からは次々に早馬が散っていき、各地には既に出兵の話が伝わっており、国境には既に300人ほどの兵士が集まっていた。
白樺頼重の下へと戻った使者は、晴奈の言葉と峡間の様子を伝える。
「晴奈め。桜平を失って意気消沈していると思いきや、村島領を狙っておったか。既に出兵準備を整えておるとは、わしらを出し抜くつもりだな」
白樺頼重は室内で右へ左へ歩き回っている。
矢島が口を開く。
「以前我らが出し抜いたのを、根に持っているのでしょう。それに桜平を失くした武郷は、例年以上の不作に見舞われているはずですから、村島領は喉から手が出るほど欲しいはずです。こうなれば我らも急ぎ兵をかき集め、すぐさま出陣するしかありませんぞ!」
「うむ。急ぎ準備すれば、1千は集められよう」
頼重が下知を下そうとすると、千野入道が大声を出す。
「お待ちくだされ!」
「なんだ?千野。早くせねば、武郷に後れを取ることになる」
「我らの敵は武郷ではなく、村島義清のはず。村島は中科野において最も戦上手です。しっかりと準備をせねば、痛い目を見ますぞ。それに、武郷の動き、ちときな臭い。この入道めが探ってきますゆえ、数日くだされ」
千野はなにか策略的な臭いを感じ取り、もはや頼重に対して懇願している。
なによりも奇妙なのは、既に国境に兵が集まっているという点だった。
「いや、そんな悠長なことを言っていれば武郷に出し抜かれる。なに、急な出兵だ。敵の抵抗などたかが知れておる。それに我が後詰めと武郷が合流すれば、いくら村島といえど簡単には手を出せまい」
言えば言うほど自分の計画が完璧に思えてきた頼重は、大きく宣言した。
「明朝出陣だ!」
頼重は千野入道の制止を聞かず、出兵を命じた。
翌日。頼重は一千の兵を引き連れて国境を越え、村島領・上野に攻め込んだ。
しかし頼重はすぐさま後悔する事となる。あまりにも盤石な構えに一歩も前に進めないのだ。
それどころか些細な小競り合いでも抵抗激しく、たかだか一千程度の兵力で突き進めばあっという間にせん滅させられてしまうかも知れない。それほどの戦況であった。
「急いては事を仕損じましたな」
千野の言葉を聞いた頼重は、千野を睨んだ。
千野は構わず続ける。
「しくじりましたな。後詰めも既に準備が進められております。急な出兵で無理やりに集められた上に負け戦では、家臣百姓の不満はいかほどのものか」
「まだ負けと決まったわけではないッ!」
「負けです。こうなれば被害の少ないうちに退かねば」
「武郷がまだおるではないかッ!国境に集まっておるのだろう?なぜ動かんッ!」
「既に使者を何回も送っておりまするが、『まだ準備が整っていない。もう少し待たれたし』ばかりで動く気配がありませぬ。武郷も負け戦は嫌なのでしょう」
「おのれ、武郷の役立たずが!」
「殿。お退きくだされ」
千野は頼重に頼み込むような形で頭を下げた。
結局頼重は、攻め込んだその日の夜のうちに撤退を開始した。
あまりにも無残な退却だった。退却というよりも敗走のようであった。兵糧を奪いに攻め込んだはずが兵糧を捨てて逃げる有様であった。
散々な結果で逃げ帰った頼重であったが、この後の彼の行動は、勘助ですら驚くものであった。
逃げ帰った頼重は、出兵準備を整えている後詰めに急いで準備をさせると、すぐさま武郷軍がいるはずの国境に向かった。思い付きのような形で出兵した挙句惨敗し、その怒りを武郷にぶつけようとしたのだ。
しかし白樺軍が国境に行けば、武郷軍の兵馬など一人一匹としていなかった。
意味のない戦をした頼重は、渋々と引き上げていった。
報告を聞いた勘助は、「まるで子供のようだ」と漏らし、千野入道に同情すらする思いであった。
相木と矢島からは、白樺家中の切り崩しを開始するとの連絡が来ている。後は二人に一任するつもりだった。
それから数日後。低遠頼継からの使者が現れ、「戦の先陣を引き受ける」と同盟を承諾した。
児玉はなかなか返答をよこさなかった低遠に悪態をつきながらも、「低遠頼継という人間は、慎重かつ優柔不断」という情報を勘助と共有した。
村島攻めに武郷が実質的に参戦しなかったため、ようやく武郷を信頼する気になったらしい。
戦はそれから一か月後と決まっている。
峡間の館には、再び板堀らと勘助が晴奈の下に集まっている。
「いよいよじゃな・・・・・・」
板堀が漏らす。板堀の本音とすれば、白樺とは戦いたくなかった。理由は嫁いだ晴奈の妹、奈々の存在である。武郷家に忠誠を誓っていることもあるが、なによりも晴奈の心を心配しての事であった。
「まあ、ここまで来てどうこう言っても始まりますまい。火をつけた以上、消さねばなりません。消すのが何よりも肝心です」
とは児玉。今回集まったのは、戦後についてである。
「白樺頼重を降伏させたのち、頼重の大祝の座は残したまま武士をやめさせて、幽閉させる。これで白樺の家臣、民の恨みは抑えられましょう」
「低遠は必ず文句を言ってくるだろう。どう致す?」
「低遠などは、まあ番外のもので。白樺の半分でもくれてやると言えば癇癪を起して戦を仕掛けてくる。それで白樺から追い出してしまえばいい」
児玉の頭には、低遠頼継に負けるという発想はない。それは武郷家のどの家臣も同じ認識であった。
ところが、
「指揮官たる者が敵は恐るるに足らずなどと、不用心極まる」
無口の国主、晴奈が児玉にやや厳しく言った。
しばらく呆気にとられた児玉は、すかさず姿勢を正して「失礼しました。以後、気をつけます」と言って頭を下げた。
晴奈は満足そうに頷き、その後も会議は続いた。
戦後の方針も決定し、いよいよ戦が始まる。
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