第二話 (6) 準備 後編 壱

 勘助は中科野・白樺に向かおうとしている。勘助と共に白樺勢を調略するのは相木あいき いちである。

 相木をこの任務に就かせたのは、晴奈自身の提案であり、勘助もそれがいいだろうと思った。というのも、この相木という武将は戦があまり上手くなく、本人もそれを公言している。それを聞いた馬場は、「そういった心持ちでは、上手くいくものも上手くいかないものだ」と言っていたが、晴奈の意見は違うようで、「私は人を使うのではなく、そのわざを使う。何でも出来るに越したことはないが、私含め、たいていの人間には出来ることと出来ないことがある。それを見極め、活かしてやるのが、私の責任だ」と言っていた。


(なるほど、相木殿はこういった任務に向いている)


 勘助が相木と出会ったのは、山ノ口城で武郷信虎と戦っている時であった。その時も異形の勘助に気さくに話しかけたのは相木が初であった。相木は人見知りというものをおよそしない女で、ぽっちゃりとした体形も相まって、どこか愛嬌がある。そのくせ、どれほど仲良くなった相手であろうと、任務であれば血も涙もなく殺すことが出来る、そういった強さのある女でもあった。


 勘助が自らの屋敷の前に立って相木を待っていると、勘助を呼ぶ声が聞こえた。


「お~い!勘助く~ん!」


見れば相木が、手をぶんぶんと振って近づいてくる。


「おお、相木殿。此度はよろしくお頼み申す」


「こちらこそよろしくね。って、あれ?夕希ちゃんも白樺に行くの?」


相木が勘助の後ろを見ると、見るからに旅に行くといった格好の夕希と、もう一人、白い頭巾をかぶった美しい顔立ちの女が談笑している。


「済まぬ。相木殿と二人で行くと言ったら、自分も行きたいと騒ぎだしてしまってな・・・・・・」


「あらら」


相木が苦笑していると、夕希がニコニコと近づいてきた。


「いや~、勘助が相木ちゃんに迷惑かけちゃわないようにさ~。あたしはほら、監視!そう、監視!」


「あはは、仕方ないね。それで、そちらのお方は?」


その質問には勘助が答えた。


「こやつは大仏 心おさらぎ こころという僧兵で、それがしの家臣です。大仏と書いておさらぎと読む、まさしく僧侶になるべくして生まれたような奴ですが、腕は確かです。夕希を調略の場に連れていくわけにはいかず、さりとて一人で野放しにすれば、何をするやら・・・・・・そこで、大仏も連れていくことにしたのです」


「ああ、なるほど」


「相木ちゃん!納得しないで!」


 大仏は勘助と同郷である。勘助が幼少の頃、勘助を疱瘡から救った和尚の養子であった。

勘助が和尚の墓前に、武郷の家臣となったことを報告していたところ、出くわしたのだ。

どういった経緯で和尚の養子となったかは分からなかったが、勘助の知る和尚は高潔な僧侶であり、性的な行為とも無縁であったのだろう。勘助は、大仏が世話になった和尚の養子と聞いて喜び、半ば無理やりに寺に泊めてもらった。

 勘助が大仏相手に気分よく話をしていると、盗人がそこに現れた。

盗人は、おそらく盗品であろう刀をちらつかせ、金目の物と食事を用意しろと怒鳴ってきた。

勘助は和尚への恩返しにと、盗人を殺そうと刀を持って立ち上がった。しかし大仏に「君が知る父上は、本当にそれで喜んでくれるのかな?人を救う事に生きがいを感じていた父上への恩義で、君は殺生をするのかい?父上への恩義だったら、君がやるべきことは、他にあるはずだよ?」と言って勘助を制し、すぐさま盗人を組み伏せてしまった。その後大仏は盗人に食事を与えていたが、勘助は大仏の武勇の才があることを見抜き、家臣に誘った。大仏が何を思ったのかは定かではないが、大仏は二つ返事で了承した。


 話は相木たちの会話に戻る。


「初めまして。大仏おさらぎ 心です」


大仏は中性的な顔をしており、背もそこまで高くなかった。

相木はにこやかに笑い、挨拶を返す。


「私は相木 市。頑張ろうね、大仏ちゃん」


「頑張るというのはね、を張る、という言葉から来ているんだ。自らの利益のために必死になっている状態、心に余裕のない状態を示していてね、実はあまりいい意味の言葉ではないんだ」


「え?」


「でも、ボクは好きだよ。頑張ればいいってものじゃないけど、頑張る気持ちは尊いものだよ。頑張らなければ、何も始まらないしね」


「・・・・・・そ、そうだね」


相木が困った顔をしていると、勘助はため息を吐き、相木に言った。


「大仏は少しばかり、とっつきにくい所があるのです」


「・・・・・・ああ、納得」


大仏はどこ吹く風といった具合で、涼しげな顔をしていた。



 四人は白樺を目指して歩いている。


「しっかし、勘助君も抜け目ないね~」


「うん?」


「夕希ちゃんに大仏ちゃん、美人ばっかり選んで家臣にしてさ」


「いや、大仏は男ですぞ?」


「え?またまた」


「いやいや、確かに自分で男と言っていたのです」


「いや、どう見ても女でしょ。あんなに美人の男なんているわけ・・・・・・」


「だよね⁉だよねっ!」


相木の話に、夕希が乗っかって来た。


「いや~、勘助が大仏クンを連れてきた日に勘助を問い詰めたらさ、男とか言い出してさ~」


「ああ、夕希ちゃんに問い詰められたから、大仏ちゃんを男って言ったんだ・・・・・・」


「やっぱり嘘だったんだ!」


「いや、嘘でもなんでもなく、確かに大仏は「自分は男だ」と言っていたのだ」


「うわ~。嘘を突き通そうとしてるよ、この男・・・・・・。夕希ちゃんも苦労するね」


「いや~、嘘すら突き通せない奴よりはマシじゃない?」


「う~ん、確かに・・・・・・。問い詰めて直ぐに吐いちゃうくらいなら、最初から嘘なんてつくなよって思っちゃうかも・・・・・・」


「ていうかっ!本人がいるんだから、本人に聞けば手っ取り早いじゃん!勘助、嘘だったときは覚悟しろよ?」


「嘘ではない!大仏!言ってやれ、お前の性別はっ!」


三人は大仏を注視した、大仏は目をつぶりながら答えた。


「ボクが男か女か。それはそんなに大切なことなのかな?」


「「「え?」」」


「ボクの性別がなんであろうと、ボクである事には変わらない。そこに何の問題があるんだい?」


「「「・・・・・・」」」


これでこの会話は、終了となった。



 勘助たち一行は、白樺の土地を踏んだ。巨大な白樺湖を眺めながら、勘助は冷めきった声で相木に聞いた。


「相木殿。して、状況は?」


「白樺家重臣、矢島 道薫やじま どうくん殿は既に、武郷に内通している」


「そうか。であれば、後は・・・・・・」


下白樺しもしらかば金射かない氏ね。任せて」


「うむ」


 勘助たちが向かっているのは、矢島邸であった。

由緒正しき白樺大社には、上社かみしゃ下社しもしゃがある。上社の大祝は白樺氏であるが、下社の大祝は、くだんの金射氏であった。しかし金射氏は、白樺頼重の父に滅ばされて落ち延びてしまった一族であり、その生き残り達は下白樺にあって現在は白樺氏の下にあるが、事あるごとに白樺氏に反逆する機会を窺っていた。金射氏に従う者はいまだ多く、金射氏が旗を挙げれば、かなりの大勢力となるだろう。滅ぼされたと言っても、その根は枯れていない。


 金射氏の調略は容易であろう。勘助が行なうのは、白樺家中の更なる分裂であった。

勘助たちが矢島邸に向かっていると、物々しい雰囲気の武装集団が見えた。

相木は勘助の方を見ずに言う。


「なんだろう?」


勘助もまた、前のみを見つめたまま返す。


「わかりませぬ」


しかしどうやら武装集団は、一人の少女を護衛しているらしい。少女は座って白樺湖を眺めている。

その少女は銀髪であり、この世のものとは思えないほどの精巧な作りをした人形のような美しさであった。

頭には特徴的な猫の耳を模したような被り物をしている。


 銀髪とその美貌を見て相木は、それが誰なのか分かった。


「あれは白樺頼重の妹であるりん姫ね。絶世の美女というのは有名で、頼重の過保護も有名だから、間違いない」


相木に言われるまでもなかったが勘助は、そもそもそれが誰であるかなど、どうでもよかった。

凛姫をじっと眼に焼き付けるかのように見ている勘助は、やがて呟いた。


「似ている・・・・・・」


「え?」


「いや、似ているのだ・・・・・・」


「似てるって、誰に?」


「夕希よ。あれは・・・・・・」


「うん。似てる。勘助が昔、可愛がっていた白猫ちゃんだよね?」


夕希もまた、凛姫をじぃっと見ている。


「いやいや、猫ってあんたら」


相木は夕希が冗談で言ったものと思っていたが、どうも様子が違う。

少女は勘助が少年の頃に大事にしていた白猫に、あまりにも似ていたのだ。


(まるで、生まれ変わりのようだ・・・・・・)


あまりにも真剣に魅入っている勘助に、相木もまた真剣に言った。


「勘助君。君は今、お屋形様の家臣なの。あの姫様もいざとなれば、」


「分かっていまする」


「斬れるの?勘助君に」


「・・・・・・殺せます」


勘助は冷ややかにそう言うと、再び歩き出した。相木もついていく。


「勘助・・・・・・」


夕希が心配そうな顔で勘助の背を見ながら立ち止まりつぶやくと、大仏が言った。


「先のことを考えるのは、とても怖いことだよね。夢がなければ人は生きていけないけど、後悔はしたくないからね。だけど、もしものことなんて考えたって、仕方がないじゃないか。結局はその時に、自分がしたいと思った事を、行動に移すか移さないか、なんじゃないかな」


「・・・・・・うん、そうだね」


夕希は頷き、二人の後をついていった。



勘助と相木の二人は、矢島の屋敷に辿り着いた。夕希と大仏の二人には宿屋に泊まってもらっている。


矢島道薫は巨漢のいかつい顔をした男で、その頬にまで生えている髭は、いかにも豪傑然としている。

矢島の力自慢は有名で、碁盤ごばんの上に人を乗せ、片手で持ち上げたこともあると言われていた。


「おれが矢島道薫だ。今、茶をたててやる」


矢島は見た目の割には声が小さく、器用に茶をたててくれた。


「それがしは武郷家家臣、山森勘助」


「同じく、相木市よ」


矢島は真剣に茶をたてているのか、返事をしなかった。

やがて茶をたて終わると、「どうぞ」と言って差し出した。


「矢島殿は、茶道に通じておるのか?」


勘助が問うと、矢島は照れたように笑い、「少しな」と言った。

勘助に茶の味はあまりわからなかったが、まあうまいのだろうなと思った。


「矢島殿。なぜ此度、我らに内通を?」


「復讐のためだ」


「復讐?」


「俺は元はといえば、金射氏の家臣だ。白樺頼重の父と俺は、敵同士で戦った。結局我らは負けたが、白樺は俺を気に入り、家臣にしてやると言ってきたのだ」


「心までは売っていない、と?」


「その通り。俺の心は金射氏のものだ。白樺頼重の父は、この俺を気に入ったと言って呼び出し、急に刀を抜いたかと思えば、近くにあった餅を三つほど突き刺して、これを食ってみろと言ってきたのだ」


矢島は話ながら、顔に青筋を立て始めた。


「戦で負けるのは仕方がない。我らに力がなかったせいだ。だが、だがだ!あのような恥辱、生まれて初めて受けた!あの時ほど人の醜さを感じたことはないッ!あの時の俺が出来た反逆は、せいぜいその餅を丸呑みしてやる程度であったが、心の中では確かに復讐を誓ったのだ!復讐のため俺は、長年白樺に仕えながらも金射氏に兵糧、武器弾薬を横流しし続けてきた!が、それでも金射氏の力は、こう言っては何だが、たかが知れている。復讐はいつ果たせるのか、そんな事を考えて白樺の下で耐え続けてきたのだ」


「そこに、相木殿が接触してきたという事ですな?」


「左様!信じてもらえたか?」


「その兵糧や武器等を横流ししたという話、金射殿に聞くが、よろしいか?」


「もちろんだ!」


「ふむ・・・・・・」


矢島の話は信頼しても大丈夫だろう。金射に話を聞けば一発でばれるような嘘を、吐くはずがない。


(それにしても、見かけによらず小さい男だ)


矢島は結局、私怨で動いているに過ぎない。矢島自身は、かつての主君である金射のために動いているつもりなのだろう。私怨を忠義で偽装し、自分を騙しているのだ。


(自らの欲に呑まれたこの男は、もはや忠義という言葉とは程遠い。が、利用するには扱いやすい)


勘助は心の中でそう答えを出し、本題を進めることにした。


「矢島殿のお心、ようわかり申した」


「おおっ!かたじけない!ともに白樺を打ち滅ぼそうぞ!」


相木は矢島を睨み、「矢島殿。声が大きい」と釘を刺した。一応人払いは済ませているが、どこでだれが聞いているのか分かったものではない。

矢島は余程嬉しいのだろう、興奮を隠しきれない様子であった。

ともかくも勘助は、話を進める。


「矢島殿。矢島殿には、白樺家中の切り崩しをお願いしたいのだ」


「残念だが、今は難しいかも知れぬ」


矢島は即答した。


「なぜ難しいのですか?」


相木が尋ねた。


「今年の冬、白樺はおぬしたちを出し抜き、桜平をかすめ取っただろう?あれで家臣どもは、戦もせずに土地を手に入れたと、大喜びでな。白樺頼重に対する不満がないのだ」


「なるほどね・・・・・・」


相木は難しい顔をした。

しかし勘助は大して驚きもせず、矢島に問いかけた。


「時に矢島殿。今年も白樺は、豊作でありましたかな?」


「?いや、今年は例年に比べて、あまり豊作とは言えなかったな。まあ、他国に攻め入るほどではないが」


「それは我らにとっての吉報ですな」


「?」


「矢島殿。それがしに一つ、策がありまする」


勘助は、にやりと笑った。



 勘助は一人、峡間の館に帰ってきた。すぐさま晴奈に話しておきたいことがあったのだ。

勘助は晴奈に謁見する。

晴奈は勘助を見ると、微笑を浮かべた。


「勘助。帰ったか」


「はっ。山森勘助、ただいま戻ってござりまする」


勘助が一礼して顔を上げると、見知らぬ少女が晴奈の傍に控えていた。

背が低く、生意気そうな顔をした少女であった。勘助の視線の先に気づいた晴奈が、その少女を紹介した。


「彼女は黒島 淳子くろしま じゅんこ。新たに近習として召し抱えた。極めて優秀な頭脳の持ち主だ」


通常、家臣になるには重臣の推薦がなければなれず、そのため勘助も、板堀が推薦したという事になっている。一国の主となった晴奈は、好き勝手に人材登用できるわけではなかった。しかし、いわば私設秘書の立場である近習は、身分の低い人物の登用には都合がよかった。ここで戦功を上げれば近習を卒業し、家臣に昇格することができる。治水の件で晴奈に見出された黒島は、出世コースに乗ったと言ってもよい。


「初めまして。山森勘助さん。それにしても・・・・・・噂以上の顔」


「なっ」


「黒島」


晴奈が黒島の名を呼ぶと、黒島はやっと自分が何を言ったのか気づいたようで、慌てて頭を下げた。


「申し訳ありません、山森さん。同じ百姓出身のよしみで、つい口が緩んでしまって・・・・・・。お屋形様に見出してもらった恩義は、しっかりと返していきます。それは山森さんと同じです」


「おおっ、おぬしは百姓出身か。お屋形様の人を見る目は間違いがないから、おぬしは余程優秀なのだろう。しかし黒島よ。もう少し愛想よくできぬのか?」


「作戦に愛想が必要ですか?そもそも山森さんも、恐ろしい顔をしているではありませんか」


「俺のは元からだ!」


晴奈はそのやり取りを優しい眼差しで見つめながら、「二人は既に、仲が良いようだな」と言った。


「お、お屋形様・・・・・・」


「それで勘助。白樺の様子について聞く前に、見せたいものがある。ついて来てくれ」


「は、はっ」


勘助が晴奈についていくと、一つの巨大な旗が立っていた。


(軍旗か?)


勘助は驚愕した。その旗は青地に金色の文字で、こう記されていた。


『疾如風 徐如林、侵掠如火、不動如山』


はやきこと風の如く、しずかなること林の如く、侵掠しんりゃくすること火の如く、動かざること山の如し・・・・・・!」


「そうだ勘助。これが私たちの、孫子の旗だ」


勘助が晴奈の方を向くと、晴奈はにこやかに笑った。


「気に入ったか?」


「はい。これは、これは良うござりまする。誠に、良い旗でござりまする!」


勘助は感極まった様子で、旗を見上げた。



 再び場面は、屋内に戻る。

晴奈は孫子の旗以外にも、新たに作ったものがあった。

百足衆むかでしゅうである。

この連中は極めて優秀な人材で組織されており、その内容は、敵陣にまで近づきその状態を見極めて報告する偵察任務と、軍隊にとっての生命線である伝令任務であった。

百足衆はその任務内容から、命を狙われる確率は極めて高く、かつ敵の動きを見極める観察眼と忍耐、勇気が必要であり、どれも並外れた勇者たちであった。


「なるほど。百足衆・・・・・・。さすがお屋形様でござりまするな」


「百足衆を発案したのは板堀だ。百足は前にしか進まず、決して退かない。と言っていた」


「さすがは板堀様。歴戦の経験がなければこういった部隊は、思いつきますまい」


そこに、板堀、天海、児玉が現れた。勘助の白樺の様子を聞かせるため、晴奈が呼んだものであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る