第二話 (5) 準備 中編
秋。武郷はいよいよ、低遠頼継に同盟の誘いを行うことになった。
勘助の策を成功させるうえで、この同盟締結は大前提であり、失敗は許されない。
低遠頼継には白樺大社の神職、その最高位である
先代の信虎が行なった白樺頼重との同盟は晴奈にとっていわば、がんであり、取り除かねばならない病気であった。
児玉はこの同盟締結の任務を、自らの左右の謀将といわれた松原敏胤と井上省吾に任せることにした。
児玉は屋敷で、二人が来るのを昼寝をして待っている。
「児玉様。お二人がいらっしゃいました」
「うん・・・・・・?」
下人に呼ばれた児玉は、「そのまま通せ」とだけ言って、再び眠ってしまった。
下人は言われた通り、松原と井上をそのまま部屋に招き入れた。
二人はいびきをかいて寝ている児玉を見て、顔を見合わせた。
松原は困り果てた顔で、口を開く。
「これは・・・・・・」
「ああ。ぐっすりだな」
「井上さん、起こした方が良いのだろうか?」
「児玉殿は武郷家中で最も忙しいお方だ。疲れているのだろう。無理に起こす必要もあるまい」
「それは分かっているが・・・・・・。急ぎの用ということもある!それに我らとて、暇ではない!」
「なにか用事が?」
「色々だ!」
「うわ、出たよ。色々。便利な言葉だ」
「うるさい!」
そんな騒ぎをしていたためか、児玉がもぞもぞと動き、目を薄く開けた。
「おっ、起きましたか?児玉殿。井上です。松原も来ておりますぞ」
「う~ん、井上?松原も来とるんか?すまんが、
四半刻とは、30分のことである。
「はっ。了解しました」
井上が返事すると、児玉は再び、眠りに入った。
二人は児玉の邪魔をしては悪いと思い、部屋を移動した。
それからおよそ30分後。松原と井上は、再び児玉が眠る部屋へと現れ、児玉を起こそうとした。
「児玉さん。四半刻経ちました。そろそろ、」
松原がそう呼びかけると、児玉は体にばねでも仕込ませたかのように、ぴょーんと起き上がった。
「「っ⁉」」
「おう。二人とも、すまんかったのう。お前らも昼寝はした方がいいぞ?」
「「・・・・・・」」
「どうした?それよりもお前らに、任務がある」
「は、はい」
松原はなんとか返事をし、井上はいまだに驚いている。
「なにを呆けた顔をしておるんじゃ?まあ座れ」
二人はようやく我を取り戻し、児玉の話を聞く体制に入った。
「それで、我らに任務とは、やはり・・・・・・」
「おう、松原。お前が考えておる通りじゃ。低遠への使いを頼まれてくれんか?」
「わかりましたが、しかし本当に低遠は、我らの誘いに乗ってくるでしょうか?」
「そこじゃ松原」
「は?」
「山森は低遠が簡単に乗ってくるような物言いをしておったが、事はそう簡単ではない」
児玉の言に、井上が頷いた。
「そうでしょうな」
井上はそのまま、話を続ける。
「我らが助力するから、白樺を攻めてくれ。と言ったところで、低遠は何か裏があると思いましょう。お屋形様と白樺頼重が義兄弟である以上、仕方がありません」
「策の発案者である山森殿はいまどこに?」
松原が児玉に聞いた。
「あやつは今、相木と共に白樺に行っておる」
「白樺に?ということは・・・・・・」
「おう。白樺の家中を二分するため、調略活動じゃ」
「山森殿が此度の策で重要と言っていた、もう一つの」
「そうじゃ。山森が白樺家の調略を担当し、わしが低遠との同盟締結を担当することになっておる。松原、井上。此度貴官達を使者に選んだのは、他でもない、貴官達にしかできぬことがあるからじゃ」
児玉が二人を「貴官」と敬意を表して呼ぶときは、決まって児玉が、何かしらの決断をし終えた武士の顔をしている時であった。
井上は生唾を飲み込み、口を開く。
「我らにしか、出来ぬこと・・・・・・」
松原が続いた。
「それは?」
井上と松原の顔を見た後、児玉は二人に、ある命令を下した。
井上省吾と松原敏胤の二人は、低遠頼継の居城、中科野・
姿を現した低遠頼継は、独特の臭気を感じさせる雰囲気の男で、顔は常ににやけており、がりがりに痩せているその様はとても健康とは思えなかった。
白樺一族というのは生まれつき銀髪の不思議な一族であるのだが、低遠のそれは単純な白髪にしか見えなかった。
「おぬしたちが武郷の使いで参った者たちだな?
井上と松原が顔を上げるのを待つと、再び低遠は口を開く。
「さて、武郷がこのわしになんの用かな?」
井上が答える。
「此度我が武郷家は、代替わりがございました」
「聞いておる。なかなか手際がよかったそうだな?なんでも、一滴の血も流さずに謀反に成功したとか」
「峡間の新たな君主となられた武郷晴奈様は、此度、白樺攻めを計画しておられます」
「なに?」
低遠が驚くと、、それを合図に周りの家臣たちも驚き始める。しかしその反応はどこか嘘っぽく、驚いている演技をしているようにしか見えない。どの家臣も目を見開いて隣の家臣の顔を見ては、「まさか!」などと言っている。
「静まれっ!」
低遠が怒鳴ると、これまたつい先ほどまで驚いていたとは思えないほどの鮮やかさで、ピタリとざわめき声が止んだ。
低遠はそれを満足そうに眺め、井上に尋ねる。
「晴奈殿がのう。それで?晴奈殿はこのわしに、何をしろと?」
「我々が白樺に攻め入りましたら、低遠様には直ちに援軍を出していただき、白樺頼重の退路を断っていただきたいのです」
井上の話を聞いた低遠は考える。武郷方の要求は、「我々が進んで血を流しますから、あなた様は敵の逃げ道を塞いでください」というものであり、低遠の分け前は少ないだろうが、たいした苦労もせずに白樺の領地を奪うことが出来るだろう。低遠にとっての戦はむしろ、その分け前をどれくらいもらえるかであり、それはこれからの交渉次第であった。
(さて、どう攻めるか・・・・・・)
低遠がそんなことを考えていると、先程まで喋っていた男の隣にいた男が、急に顔を怒らせて怒鳴り上げた。
「なにを勝手なことを言っているッ!」
「うん?」
井上はいきなり怒鳴り上げた松原を見る。低遠とその家臣たちも松原に注目した。
「低遠様。ご無礼いたしました」
「なんじゃおぬしは?どういうことじゃ」
「はい。先ほど隣に座る井上が申したことは間違いです。我が主は、低遠様に先陣を切っていただきたいとお考えです。我が武郷勢は援軍として出陣し、あくまで白樺様には、降伏を勧める所存です」
松原が言い出した事と先ほど井上が言っていたことが全然違うことに驚いた低遠ではあったが、ひとまずは松原の話に乗ることにした。
「晴奈殿と白樺頼重は、義兄弟じゃからなあ。して、降伏した折は?此度の同盟、わしにはどんな得があるのじゃ?」
「低遠様には白樺家惣領・大祝として、白樺城代をお勤めいただきたいとお考えです」
「城代?おぬしたちはわしに、武郷の軍門に降れと申すかッ!」
白樺家惣領というのは、低遠が白樺家を継ぐということにあたり、低遠頼継にとっては願ってもないことではあったが、問題は後半部分であった。
城代とは読んで字の如く、城を代わりに預かる者であり、要するに白樺城代になるという事は、白樺を治めた晴奈の代わりにその支配を認めるという事であろう。低遠にとって白樺という土地は、いわば晴奈から預かった土地という事になる。
怒る低遠に松原は一言、「白樺の惣領としてです」と言うと、低遠は考え込む仕草を見せた。
(よほど大祝の座が欲しいと見える)
井上は内心ほくそ笑むと、声を荒げて松原を睨みつけた。
「そんな提案では低遠様も承服いたしませんぞ!白樺とは、あくまで我々が戦うのです!」
続いて井上は低遠のほうを見ると、再び最初の提案を持ちかけた。
「低遠様には退路を断ってもらいたい!それで我が主も、納得いたしましょう!」
低遠がなにか言う前に、今度は松原が怒鳴り上げる。
「馬鹿を言うな!お屋形様の命令だぞ!」
「お前こそ何を言っている!そもそも同盟を結べなければ、何の意味もないではないか!同盟を締結させるのが我らが任務だ!全てお屋形様が言う通りに行動するのではなく、現場の状況を最も知っている者が臨機応変に対応しなければ任務など上手くいくか!」
「なにを勝手なことを!それで誰が責任をとると言うのだ?お屋形様は我々などより余程考えて決断されている!お前のその場の思い付きで、全てを台無しにするつもりかッ!」
「責任というのなら、腹でもなんでも斬ってやるわ!そのくらいの覚悟無しに、任務が受けられるかッ!」
「お前の命一つで済む問題ではないんだよっ!そんな考えで各々が勝手に行動すれば、軍の秩序は保たれない!」
ヒートアップする二人の言い争いに、低遠は怒鳴り上げる。
「もうよいっ!見苦しいものを見せるなッ!わしに援軍を出せというのか、出すというのか、決めてから来るのが任務を請け負ったおぬし達の責務であろう!」
「「は、はっ」」
二人は慌てて頭を下げた。
結局返答は、後日書状を送るという事になった。
二人が去った後、低遠は笑いが止まらない思いであった。低遠がご機嫌そうなのを見た家臣たちは、低遠に習ってくすくすと笑っていた。
低遠との謁見の帰り道。井上と松原は、声を上げて笑っていた。
「低遠のあの顔。あれは間違いない。お屋形様を侮っている顔だ」
井上の言葉に、松原が頷く。
「ああ。峡間の若殿は家臣もまとめられない愚かな君主と、侮っているだろうよ」
「児玉殿が我らを使者にするわけだ。我々ほど意見の割れる二人もそうはいないからな」
「ハハハ。確かにな。これで低遠は、その愚かな君主に白樺を取られまいと、必ず軍を起こす」
「しかし松原。あれは酷かったな」
「おお、あの家臣どもだろう?確かに、あれは酷い」
二人はしみじみと頷いた。
低遠頼継は、人を見る目がない。これは人の上に立つ者にとって極めて重要な才能なわけだが、低遠のそれは、おべっかばかり使うような家臣を可愛がるそれであり、低遠とその家臣団にはどこかそういった空気が漂っている。言うなれば愚者のサロンといったところか。
井上と松原は、その空気を敏感に感じ取ったのだろう。誰一人建設的な話などせず、常に考えていることは、どのように主の機嫌を取るか。二人はそれを、「酷い」と斬って捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます