第二話 (終) 宮原の戦い

武郷・低遠連合軍は白樺頼重を敗り、その結果として低遠頼継ひくとう よりつぐは白樺の西半分を手に入れた。

が、それを不服とした頼継は再び、白樺の東半分に攻め寄せた。


この急報を受けた武郷晴奈は、すぐさま出陣の下知を下した。


「各隊、奮迅の働きに期待する」


「「「はっ」」」


勘助が峡間の館を出ようとした時、信繁が現れた。


「勘助」


「これは信繁様。どうなされた」


此度こたびの戦、信廉のぶかどのこと、よろしく頼むわね」


「はっ。お任せくだされ。と言っても、此度それがしは前線に配置されておりますから、信廉様を近くでお守りする事は出来ませぬが」


「それでもよ。信廉は戦下手だから、あなた達家臣一人一人に支えて欲しいのよ」


「はっ。信繁様もお屋形様の事、よろしくお願い致します」


「ええ」


それだけ会話すると二人は別れ、勘助は出陣の準備に取り掛かった。




正式に晴奈の義妹となった凛姫はこの日、出陣する武郷軍の見送りに出ていた。


この時代の軍隊という組織は学校のクラスやゼミに似て、その指揮官、つまりは学校であれば教師、軍隊であれば率いる将の性格が大きく反映される。

騒がしく行軍こうぐんする隊もいれば、物静かに戦へと赴く隊もおり、この時代の軍隊行進は、さながらパレードのようであった。


凛姫の目から見て最も騒がしかったのは、黒木昌景くろき まさかげが率いる黒木隊。

全身赤で統一されたその集団は、どこか血走っており、見るからに血気盛んそうな将兵が奇声を上げて行軍していく。


「よくもまあこれだけのやから連中をまとめ上げられるものね」


とは、凛姫の率直な感想である。

現れた黒木昌景という少女は、身長が他と比べて頭二つは小さく、それを気にしてかその兜は前立ては付いておらずとも縦に長く、赤色も相まって目立っていた。


「野郎どもぉ!戦争吹っかけて来やがったあの阿呆の眉間に、鉛玉ぶつけてやんぞ!吐いた唾は飲み込めんこと、骨の髄まで叩き込んでやれぇ!」


「「「おう!任せとけぇ!姉貴ィ!」」」


それからも黒木隊は、ワイワイと騒がしく行軍していった。


黒木軍に続いて現れたのは、家老の板堀信方いたぼり のぶかた隊。

黒木隊とは打って変わってこちらは、いかにも軍隊然とした厳格な行軍だった。

現れた板堀信方は、古臭い甲冑に身を包んでおり、その兜の前立ては、蜻蛉とんぼであった。

先代の信虎時代の信方の前立ては彼の大好きな煙草たばこであったが、晴奈に代替わりしてからは現在の蜻蛉の物にした。

蜻蛉はこの時代の人々には“勝ち虫”と言われ縁起が良いとされた虫である。

晴奈の守役であった信方には、負けられないという思いが強いのかもしれない。


信方隊に次いで

天海虎泰あまみ とらやす

高松多聞たかまつ たもん

馬場晴房ばば はるふさ

児玉虎昌こだま とらまさ

久乃木麻里くのぎ まり

泉虎定いずみ とらさだ

陸奥保鞏むつ やすかた

野津虎盛のず とらもり

など、武郷軍が誇る家臣団が行軍していく。


その中で武郷家一門の旗印をはためかせて現れたのは、此度の戦で総大将を務める晴奈の妹にあたる武郷信廉である。


 本来であれば晴奈自ら出陣した方がいいだろう。晴奈自信もそれを望んでいた。

しかし、自害した白樺頼重に嫁いでいた妹の、奈々の具合が良くない。


心労であろう。


というのは、誰しも分かった。そのやつれ具合は見るに堪えず、更に問題は、食事を摂ろうとしない。

晴奈の心情を察した家臣団は晴奈を気遣い、此度の出陣を休むように進言し、晴奈もそれに甘える事にした。


 晴奈が出陣しない以上、本来であれば総大将は副将である信繁が務めるべきである。が、信繁は晴奈の近くにいると一貫して首を縦に振らなかったため、信廉にお鉢が回って来たのだった。

そういった私事を優先してしまう所は信繁の唯一といってもいい欠点であり、また、一国の主としては力不足である要因のように思う。


 信廉は戦が下手。と信繁は勘助に言ったが、事実は若干異なる。

信廉という少女は戦が下手なのではなく、興味が無い。ゆえに実際に戦が上手いか下手かは一概には言えないだろう。が、どのみちやる気を見せる事は無いのだから信繁の言ったことと同じことかもしれない。


 信廉は幼い頃から、絵を描く事が好きであった。

晴奈は読書が好きであり、どちらも文学人に通ずるところがあったが、この二人は何かと共通点が多い。

見た目は瓜二つという程に晴奈に似ている。違うところと言えば、目元がどこか阿呆っぽいところぐらいであった。


今も凛姫の眼前では、馬に乗ったまま絵を描こうと四苦八苦している信廉の姿がある。


 その後も各隊が凛姫の前を流れていき、やがて姿を現したのは、黒地に金箔で山森と書かれた旗印。

その集団は、一際静かで、その黒備えの見た目も相まって葬式のようであった。


黒い馬に乗って現れたのは、漆黒の鎧兜。前立ては”山”という文字をあしらっている。


おそらく勘助の性格から、前立ては何でも良かったため、適当に自分の苗字から取ったのだろう、と凛姫は推測した。


「勘助らしいわね」


と、凛姫は漏らす。


馬を進めていた勘助は凛姫の姿に気づき、行進をとめた。


「姫様。お見送り、感謝いたしますぞ」


「勘助。あなたは弱いから、自分で前線に行っちゃ駄目よ。ま、あなたが死のうがどうでもいいけど」


勘助は愉快そうに笑い、振り返って大声を出した。


「姫様に勝鬨かちどきを捧げる!えい!えい!おう!」


「「「えい!えい!おう!えい!えい!おう!」」」


何百人という人間が一斉に声を上げ、その声が周りに響き渡った。


「勘助。もう勝った気?呆れた」


「この勘助、お屋形様の天下のため、姫様との約束のため、低遠ごときに負けるわけにはいきませぬゆえ」


「フフッ。あっそ」


 凛姫は目を細めて上品に笑った。

そこに、勘助の家臣が現れる。

一人は大仏心。白頭巾をかぶって長刀なぎなたを持っている。

もう一人は井藤夕希。その前立ては、眼帯をつけた鬼であった。


「ケッエッ!」


「いや、ケッエッ!って!仮にも姫様でしょ!」


夕希を見た途端、凛姫の態度が一層刺々とげとげしいものになった。


「なんなの?その前立て?あなた女子でしょ?男みたいななりだけど」


「ああ、これ?これは勘助っぽく作ってくれってお願いしたら、」


「ケッエッ!」


「いや、だから。それやめよう?ね?」


そういった風に勘助達が話し込んでいると、勘助の後方から大声が響き渡った。


「姫様ァ〜!」


何事かと勘助達が後ろを向くと、一人の将が行列を脱して駆けてきた。

見ればその将は、矢島道薫やじま どうくんであった。


「これは矢島殿」


矢島は勘助の呼びかけを無視し、凛姫に土下座した。


「ひ、姫様ぁ!」


凛姫は土下座する矢島を冷たく見下ろした。とても人を見るような目ではない。


(どこまでも救いようの無い男だ・・・・・・)


と勘助は思った。


「では姫様。それがしはこれで」


「勘助。武運を祈ってあげるわ。暇だからね」


 勘助達は笑いながら去っていった。

それを見計らったように矢島は声を潜めて凛姫に話しかけた。


「姫様!あの男に騙されてはなりません!あの男は常に人を騙すことばかり考えているような、いわば糞のような男です!それがしも、あの男に騙されてたのです!」


 なにをどう騙されたのかはよく分からないが、恐らく白樺頼重を裏切った事を全てが終わった後に後悔し、それを凛姫に許してもらいたいのだろう。

自分の意思で主君を裏切っておいて、その責任を勘助になすり付けようとしているその様は、なるほど勘助の思った通りの男であった。


「矢島。一つだけ言っておくわ。仮にあなたが騙されて兄上を裏切る結果になってしまったとしても、騙される方が悪いのよ。兄上がしていたのは、戦なのだから」


「ひ、姫様ぁ。どうか、それがしをお許しください!そうだ!それがしが後見します!兵を集めて武郷めに一矢報いてやりましょうぞ!」


凛姫は冷め切った氷のような目で矢島を見ると、吐き捨てるように口を開いた。


「矢島。白樺家から最後の命令よ」


「さ、最後?」


「あなたはさっき、勘助の事を糞のような男だと言ったわね?」


「は、はい」


「ならばあなたは、道端の糞にも劣る存在よ。二度と近寄らないで欲しいと心の底から思っているわ。これからは矢島道薫改め、矢島道糞どうふんと名乗りなさい。以上よ」


それだけ言うと、凛姫はとっとと屋敷に戻っていってしまった。


「ひ、姫様ぁ」


道糞はそのまま泣き崩れた。




 中科野•宮原。午前九時頃。

武郷軍本陣では、総大将の武郷信廉、軍師の児玉虎昌、その他参謀が幾人か集まって机の上に地図と駒を並べている。


「信廉様。低遠頼継は安領寺あんりょうじに着陣致しました。安領寺は山の中腹にあり、宮原の戦場がよく見渡せます。まあ、定石でしょう」


児玉が地図を指差し総大将である信廉に状況を説明する。


「あっ。そうなんだ」


「はい。頼継は白樺頼重が自害した事をいい事に白樺の諸将を味方につけようとしたようですが、我らがお屋形様が凛姫様を義妹とした事でそれが裏目に出ており、数の上では我らが有利です。白樺衆が我らについた事で、頼継はさぞかし焦っている事でしょう」


「敵の数は?」


「敵は七千。対して味方は九千です」


「あたし達が負ける可能性はどの位ある?」


「まずありえません。将兵の数、質ともに我らが優っており、尚且つ我らは、山森が言っていた鶴翼かくよくの陣形を採用しております。抜かりはありません」


「そっかぁ。なら安心だぁ。ところで、鶴翼の陣形って、何だっけ?」


「・・・・・・」


「教えてくだせぇ。おねげぇしますだ」


「はぁ。鶴翼の陣というのは、」


「待った!」


「何か?」


「今、溜め息吐いたっしょ!いけないんだー!あたし総大将なのに!」


「鶴翼の陣というのは、隊を」


「無視?え、嘘でしょ?児玉ちゃん?」


「信廉様。聞く気がありますか?」


「はい、あります。あるはずです。なきゃおかしいよ!」


周囲の参謀達はクスクスと笑った。

児玉はこれが狙ってやっている事なのか分からず、ともかくも


(扱いずらいお人だ)


と思った。


「鶴翼の陣とは隊を横一線に並べるのではなく、左右を敵側にせり出させて配置した陣形になります。ちょうどつるが翼を広げたような形をとっている事からこの名称がつけられています」


「ほうほう。して、その特徴は?」


「はい。防御に優れた点にあります。最左翼さいさよく最右翼さいうよくに攻撃力の強い隊を配置し、敵を包囲殲滅する事ができます」


「弱点は?」


「結局の所は横陣の応用ですから、どこかに穴が開けば立ち所に崩されてしまいます。特に中央は最も敵の攻撃が激しい事が予想されますから、後詰めに気を配る必要があります」


「なるほどねぇ」


「最も攻撃力が必要となる最左翼には天海さん、最右翼には黒木隊を配置し、中央には歴戦の板堀さんを配置しています。鶴翼とは言っておりますが、その戦術的意図を読み解けば、"口"が想像しやすいかと」


「口?」


「最左翼と最右翼が上顎うわあご下顎かがくに相当し、入ってきた食物を噛み付き、咀嚼そしゃくします。咀嚼すれば、後は消えるのを待つだけです」


「はっはっはっ!なるほど、なるほど。口ね!わかった!でもあたしは戦の事はよく分からないから、具体的な采配は児玉ちゃんに任せるね!」


「はい。まあ信廉様は絵でもお描きになっていればそのうち勝鬨が聞こえてくるはずです」


「ありがとう、児玉ちゃん。でも、こんなあたしでも一応総大将だから、戦の間はしっかりと戦況報告を聞いてるよ」


信廉の顔はいつもの阿保そうなそれではなく、与えられた責任を全うしようとしている、そんな顔つきであった。


(取っ付き難いお人ではあるが、信廉様が総大将で良かったかもしれん。上からどうこう作戦に口出しされるよりは、よほど良い)


と児玉は思った。



 午前十時。低遠軍は司令官に蓮峰軒れんぽうけんを据え、前進を開始した。


 これから忙しくなるだろうことは容易に想像できる範疇はんちゅうではあるが、児玉は参謀達に陽気に話しかけ、緊張をほぐして回っていた。


 突如、本陣にまで響き渡る砲撃音が響く。


「どこだ?」


児玉は百足衆むかでしゅうを走らせ、報告を待つ。

その間も間髪入れず、砲撃音は鳴り響く。


参謀の松原敏胤まつばら としたねが児玉に話しかけた。


「どうも右翼から聞こえてくるようですが・・・・・・。敵が突出して来たのでしょうか?」


児玉は難しい顔をして黙っている。

そこで百足衆が飛び込んで来た。


「報告!只今の砲撃は、お味方右翼中央!久乃木隊の大筒によるものです!」


「敵が突っ込んで来たんか?」


「いえ!敵情視察に向かった者の報告では、敵はまだ射程内に到達しておりません!」


「久乃木が・・・・・・」


児玉はポツリと呟き、松原が激昂した。


「まだ早すぎる!今すぐに行って砲撃をやめさせろ!」


「はっ!」


松原の命令を聞き、百足衆は久乃木隊に向かった。


「まったく、何をやっているんだあそこは!素人のような事をしおって!敵に狙われたいのか!」


松原は久乃木隊に悪態を吐いた。そこに参謀、井上省吾いのうえ しょうごがやってくる。


「変ですね。久乃木さんはまだ若い娘だから分かりますが、あそこには参謀として伊地知いじちが付いているはずです。伊地知は大筒の専門家のはずですが・・・・・・」


砲撃音はなお鳴り響く中、久乃木隊に向かわせた百足衆が帰ってきた。


「申し上げます!伊地知様から伝言です!『大筒は敵が近づけば味方にも当たる可能性がある。早め早めに撃ち始めた方が良い。他の隊にもそう伝えるべきだ』と」


「なにぃ!?ふざけた事を抜かしおって、いいからやめさせろ!」


「はっ!」


「待て」


再び久乃木隊に向かおうとした百足衆を止めたのは、児玉である。


「児玉さん?なぜ止めるんです!」


「もう遅い。いま砲撃をやめれば、伊地知の言った通り、大筒が使いづらくなる」


そこで武郷軍側、低遠軍側からも大筒の砲撃音が鳴り響き、辺りはさながら、雷のような音に包まれる。


「クソッ!」


「松原!井上!これから忙しくなるぞ!切り替えろ!」


「「はい!」」



 午前十一時。低遠軍の攻撃がいよいよ本格的に始まった。

本陣には百足衆が出たり入ったりと慌ただしく、辺りには銃声や怒号が響き渡っている。


「申し上げます!中央板堀隊に、敵勢一千が攻めかかってございます!」


「守りを固めるよう申し伝えろ!」


「はっ」


児玉は百足衆に伝令を出すと、直ぐに次の報告を伝えに別の百足衆が現れる。


「申し上げます!山森隊に、敵勢五百が攻めかかってございます!」


「守りを固め、少しでもまずいと思えば、すぐさま援軍要請をするよう申し伝えろ!」


「はっ」


 その伝令を最後に、児玉はようやく一息吐いた。

そんな児玉に、松原が心配そうな顔で話しかけた。


「児玉さん。やはり不安は山森殿と久乃木さんの所でしょう。山森殿の知恵は確かに眼を見張るものがありますが、いかんせん軍を率いての本格的な実戦経験がありません。久乃木さんもそれは同様でしたが、参謀の伊地知がついておりますから不安は無いかと思いましたが・・・・・・開戦時の様子では・・・・・・」


「久乃木のじじいも・・・・・・戦が下手じゃった・・・・・・」


児玉の絞り出すような言葉に、松原はなんとも言えない顔をする。


(久乃木さんでは、此度の戦役に力不足ではないだろうか・・・・・・。児玉さんもそれを分かっているはず。ご親友の希典様の娘だから、気を遣っておられるのか・・・・・・)


そこに参謀の井上省吾が会話に入ってくる。


「久乃木さんの所には、まだ敵は攻めかかって来ておりません。今は心配してもしょうがないでしょう。といっても、今のところ各隊ともに善戦しておりますが。ハハハハハ」


 児玉は参謀の末席に座る黒島淳子くろしま じゅんこに近づいた。

黒島は晴奈にその才覚を買われ近習として召し抱えられていたが、晴奈に「此度の戦に赴き、よく学んで来い」と命じられ、参謀として参戦している。


「どうだ。初めての戦は」


「久乃木隊はどうして、開戦時にああいった行動を取ったのでしょう?私には、理解できません」


「実戦では各々がその場の判断で行動する。将の中には、わしらの期待する行動、結果を出せない者もいる。そういった者たちの穴を埋めるのも、わしらの戦だ」


「・・・・・・」


そこに、百足衆が駆け込んできた。


「申し上げます!久乃木隊に、敵勢一千が攻めかかっております!」




 武郷軍右翼中央、久乃木隊。

敵勢一千が迫って来ているという報告を受けた伊地知は、指揮官である久乃木を連れ立って前線まで来た。


「いいですか久乃木様。戦はまず、鉄砲の撃ち合いから始めます。といっても久乃木様はまだ経験が浅いゆえ、私が射撃合図を行います。とくと勉強なさりませ」


「・・・・・・頼んだぞ、伊地知」


伊地知はでっぷりとした体型を揺らして、前に進み出た。


(父親に似て、無口なお人だ)


と、久乃木麻里の父親をよく知る伊地知は思った。

伊地知は大声を張り上げる。


「鉄砲隊!前へ!」


伊地知の合図に、鉄砲隊が一斉に隊列を組んだ。


「構え!」


ゆっくりと進んでくる敵の先手さきては、伊地知の言った通り鉄砲隊であった。


「撃てィ!」


伊地知の合図で、鉄砲が一斉に火を噴く。

伊地知はニヤリと笑った。が、やがては目を細めて敵の損害を確認する。


 低遠軍において久乃木隊と対峙しているのは、藤沢 幸朝ふじさわ ゆきともという将であった。

藤沢は元白樺家の家臣で、多くの白樺衆が武郷に味方する中、低遠側に味方した数少ない将である。


 久乃木隊の銃撃に、藤沢隊はほぼ無傷であった。

被害といえば数える程で、運悪く当たった者のみである。


敵の引き付けが甘かった。と言わざるを得ない。


これを好機と見た藤沢は、すぐさま鉄砲隊を下がらせ、騎馬隊を突撃させた。



 伊地知の目にも、騎馬隊が迫ってくるのが見えた。


「こちらも騎馬隊を出せ!」


伊地知はすぐさま命令を下すものの、なかなか思った通りに味方が動かない。


「何をしている!敵の騎馬隊に、騎馬隊をぶつけんかっ!」


伊地知が怒りに顔を歪ませる中、騎馬隊の指揮官がやってきた。


「前に展開している鉄砲隊が邪魔で、出撃出来んのです!」


「なに!?」


見れば、退却命令など出ていない鉄砲隊は、迫り来る騎馬隊に怯え、腰を抜かしてしまっている者まで出ている。


「我が鉄砲衆は何をしている!お前たち、退け!」


しかし、もはや目の前に迫る騎馬隊に、伊地知は別の命令を下した。


「もういい!鉄砲隊!第二射、撃ち方始め!」


一人の人間から出ている命令のはずなのに、てんでバラバラで、兵士達は混乱に襲われた。


結果、各々勝手に装填を終えた鉄砲を撃ち込み始めた。無論のことながら成果は上がらず、鉄砲隊はまんまと敵騎馬隊の餌食えじきとなった。



 午前十二時。

武郷軍本陣は、怒号が鳴り響いていた。


「申し上げます!久乃木隊より、援軍要請!」


「早すぎる!まだ半刻はんときしか経っていないんだぞ!もう少し自分達でなんとかするよう申し伝えろ!」


「はっ」


松原の命令を聞き、百足衆が急いで出て行く。

一方では児玉が井上に山森隊について問いかけた。


「井上。山森隊はどうなっておる?」


「はっ。まだなんの連絡も来ておりませんが」


「という事は、戦局は膠着こうちゃくしているということか」


「恐らく」


「行ってその目で戦況を確かめて来い。わしも左翼の方に行ってくる」


「はい」


そこに、新たに百足衆が飛び込んできた。


「申し上げます!中央板堀隊に、新たに一千の敵が攻めかかっております!」


「後詰め、梅木隊を前に出せ」


「はっ」


次に飛び込んできたのは、肩に矢が突き刺さった百足衆であった。


「申し上げます!左翼、矢島隊、敗走!」


「野津隊と泉隊に守らせろ!後詰めの土屋隊も送れ!」


「はっ」


命令を下し終わった児玉は、本陣に控えている百足衆に命じる。


「最左翼の天海隊、並びに最右翼の黒木隊に、一刻も早く敵を殲滅し、包囲するよう伝えて来い!」


「「はっ」」



 午後一時。戦闘開始からおよそ3時間が経過しようとしている。戦況はいよいよたけなわであった。


児玉は先程から黒木隊に、「いつ敵を打ち破る事が出来るのか」と伝令を幾度となく送っている。


椅子に座って報告を待つ児玉に、松原と井上が近づいた。


「児玉さん。そろそろ馬場隊と高松隊を出すべきでは?」


「そうです。両隊には一刻も早く敵本陣に奇襲を行なってもらましょう」


「まだじゃ。まだ前線指揮官の蓮峰軒を包囲しきっておらん」


「しかし!」


「蓮峰軒が本陣に奇襲を仕掛ける馬場・高松両隊に攻撃を加えれない程度に包囲せねば、両隊の奇襲は失敗する」


そこに、黒木隊へと向かわせた百足衆が帰ってきた。

児玉は立ち上がり、百足衆の報告を待つ事なく、自分から尋ねた。


「黒木はなんと言っておった」


「そ、それが、」


「なんだ」


「黒木様から、そのままお伝えするよう言付かったので、そのままの口調で失礼します!『後方からごちゃごちゃと何度も何度も、俺だって子供じゃねぇんだから作戦意図は理解している!これ以上、俺をコケにするような伝令を送って寄越せば、テメェのどたまに鉛玉ぶち込むぞ!』以上です!」


言い終わった百足衆は、生まれたての子鹿のように震えている。


一方、聞き終わった児玉は、怒りのあまり椅子を蹴り上げた。


松原は百足衆を怒鳴りつけた。


「馬鹿者!いくらなんでもそのまま伝える奴があるか!」


「し、しかし、そのまま伝えねば、首を刎ねると」


「な、なに!?いくら児玉さんの妹に当たるとはいえ、乱暴すぎる!やりたい放題ではないか!」


一方で、総大将信廉は、今の今まで椅子に座って無口だったものの、ようやく口を開いた。


「児玉ちゃん。落ち着いて。椅子が可哀想だよ?」


「・・・・・・はい。失礼しました」


そこで突如、黒島が椅子から立ち上がり、児玉に近づいた。


「児玉さん。私が直接黒木隊に行って、なぜ本格的に攻撃を開始しないのか、直談判じかだんぱんして来ます」


言うだけ言ってとっとと行こうとする黒島を、児玉は呼び止めた。


「行く必要はない」


「しかし!最左翼の天海様は既に動いています!今、黒木隊が動かねば、中央を守る隊の損害は増える一方です!伝令では作戦意図は分かっているなどと言っておりましたが、到底理解しているようには思えません!」


「黒木が動くと決めれば、天海さんを凌ぐ勢いで一気に敵を打ち破れる。現場の黒木の判断を信じ、わしらは引き続き中央の指揮を取る」


黒島は意味が分からないといった風に児玉を見た。

そんな黒島の肩に手を置いたのは、井上省吾である。


「大丈夫。黒木さんの戦上手は、もはや本能的だ」


「理屈ではない、という事でしょうか?」


「そうだ」


そこに新たに、百足衆が現れた。


「申し上げます!久乃木隊が劣勢!久乃木様自ら陣頭に赴き、将兵を激励して回っております!なにとぞ援軍を!」


報告を聞いた松原は、百足衆に駆け寄った。


「先程援軍を送ったばかりではないか!久乃木隊は本当に援軍を要請してきているのか!」


「そ、それは」


「うん?」


不審に思った松原は、頭を下げている百足衆の顔を覗き込んだ。


「君は、久乃木保典くのぎ やすすけ君か!」


「なに?」


その名前に、児玉が反応した。

保典は、希典の次男にあたり、その活発な性格と勇気で、百足衆に配属されていた。


「姉が心配なのも分かるが、勝手な事をしてはいかんぞ」


松原は、やや呆れた様子で保典に説教をした。

しかし保典は、ひざまずいたまま体を児玉の方に向け、再び頭を下げた。


「お願いします!姉は、弾が飛び交う戦場に出て指揮を執っております!姉をお救いください!」


「おい!今我々がしているのは、戦争だぞ!姉を救いたいなどという理由で、多くの兵を動かせるか!」


「弟が姉を救いたいと思って、何が悪いんですか!」


「いいから任務に戻れ!」


松原は保典を怒鳴りつけて送り返そうとするものの、保典は一向に動こうとしない。


「命令」


児玉の一言に、その場の全員が驚いた。


「待ってください児玉さん!」


「どの道、右翼の戦線が動かねば黒木も動かん。命令だ。久乃木隊の両隣、山森隊と陸奥隊に前進するよう伝えよ」


そこで井上が待ったをかけた。


「果たして山森隊に、前進するような余力があるでしょうか?今まで何の問題もありませんでしたが、山森殿には一抹いちまつの不安が残ります」


「ならば井上。貴官が赴き、山森の指揮に至らぬところあれば、貴官が補佐せよ」


「了解しました。おい、行くぞ」


「「はっ」」


井上は数人や護衛を連れ、山森隊へと向かった。


「ありがとうございます。児玉さん」


児玉は礼を言う保典を立たせると、命令を下した。


「保典くん。君は陸奥隊に行き、前進するよう伝えて来てくれ」


「はい!」


児玉は保典が本陣を出発するのを見届けると、溜め息を吐いた。

松原は児玉に、文句の一つでも言おうと近づいた。


「久乃木さんに優しすぎませんか?」


「・・・・・・そうかもしれん」




 武郷軍左翼、中央辺りに位置する山森隊。

勘助は後方に陣取り、家臣達に命令を下していた。


「夕希に伝令。前に出過ぎだから抑えるよう伝えてこい」


「はっ」


大仏おさらぎに伝令。すまんが前に出て夕希に合わせるようにと伝えてこい」


「はっ」


 そこに一人の兵士が現れた。

見れば片腕を無くしており、戦場の悲惨さを物語った出で立ちであった。


「申し上げます!」


「いかがした」


安川やすかわ殿、敵の銃弾を全身に浴び、お討ち死に!」


「助五郎に安川の穴を埋めさせろ」


「はっ」


兵士は戦場に再び戻っていった。


「これで我が家臣達は負傷者が三人、戦死者二人か」


 勘助は溜め息を吐いた。

せっかく関係を築いた家臣も、たかが一戦でその命を散らしていく。


(これが戦争といえばそれまでだが・・・・・・)


そこに数人の護衛を引き連れた井上省吾が現れた。


「井上殿か。いかがなされた」


「山森殿。久乃木隊が劣勢でな。久乃木隊の両隣の隊に前進してもらい、久乃木隊が相手をしている藤沢隊に圧力を掛ける。既に陸奥殿の隊にも同じ命令が下されているはずだ」


「了解いたしました」


「済まないな」


勘助は近くにいた兵士に命じた。


「夕希と大仏に、急ぎ前進するよう伝えよ」


「「はっ」」


勘助は兵士が伝令に行くのを見送ると、井上に話しかけた。


「井上殿。それがしも前に出まする」


「山森殿が自ら?そこまでしなくても、夕希殿や大仏殿に任せても良いのでは?」


「いえ、陸奥殿は攻め戦が得意なお方。それがしも前に出ねば、陸奥殿だけ突出してしまいまする」


「全力で攻めに転じますか」


「はい。我が隊は戦の経験が少なく、それくらいでなければ陸奥殿に合わせられませぬ」


「分かった。本陣に援軍を要請しておこう」


「かたじけなく存じまする」


前線に出る準備を整え、馬に乗ったところで、夕希・大仏両名に遣わした伝令が帰ってきた。


大仏からはただ「了解」とだけ。夕希からは「前に出過ぎだから抑えろと言ったり、そうかと思えば前進しろと言って来たり、どちらかハッキリしろ!」とやや苛立ちを感じさせる返答が帰って来た。


「俺も前に出るから、それに合わせるよう夕希に伝えろ」


「はっ」



 午後二時。今まで一貫して防戦に徹していた陸奥隊と山森隊が前進した。

余談にはなるが勘助の元には夕希から「危ないから後方で待機していて欲しい。あたしに任せて」というような、勘助にとっては余計なお世話としか言いようのない伝令が幾度となく送られてきた。

山森隊は多少のもたつきがあったものの、児玉が援軍を編成し送ったため指示通りの動きが出来た。


そしてこの行動は、この戦いにおける転換点となった。


低遠軍前線指揮官の蓮峰軒は、いきなり攻勢に転じたこの二隊に過剰に反応し、予備隊を動かした。

この動きに反応したのは、武郷軍最右翼黒木隊である。開戦当初から小競り合いのような戦しかしていなかった黒木隊は、昌景の総攻撃開始の合図で一斉に攻めかかった。


黒木隊の正面を戦っていた低遠軍、有賀 東美あるが とうみは黒木隊の今までの攻撃を、「噂に聞く黒木隊ゆえ気張って戦に臨んだが、実際はこんなものか」と、すっかりこの頃には気が緩んでしまっており、まさしく瞬殺という言葉が当てはまるほどの見事な大敗を喫した。


有賀を撃退した黒木隊は勢いそのままに突き進んだ。


まずい、と蓮峰軒が思った時にはもう遅い。


児玉はこの機を逃すことなく各隊に攻撃命令を出し、温存していた馬場隊と高松隊の両騎馬隊にも出撃命令を出した。


簡潔に言えば、蓮峰軒率いる低遠軍は完全に包囲され、全く身動きを取れない状態に陥った。



 低遠本陣。愚者のサロンは焦りに満ちていた。無理もないが、問題なのはこの現状で前線軍を救おうと考えているのは頼継のみであった事である。

他の家臣団といえば撤退は既に頭に決めており、誰がそれを進言し、誰が殿しんがりを務めるのか、という事であった。


「どうしたものか・・・・・・。蓮峰軒が包囲されてしまったぞ・・・・・・」


家臣団は自らの口から「撤退」という言葉を出す事を良しとしない。そんな弱気な発言をすれば、どう評価に響くか分からない。


「何か良い案のある者はいるか?」


古今、こういった問いに答える者は、あまりいない。


「万策尽きたか・・・・・・」


頼継はぐったりと座り込んだ。

そこで本陣直属の参謀、春日 正樹かすが まさきが口を開いた。


「此度の白樺進行は武郷が我らをはかり、白樺の地のじつに半分をも自らの地としたことによる報復行為であります。よってその正当性は誰もが認めるものであり、我らはその正当性を主張するという目的をもって進行作戦を開始しました。しかし白樺諸将は事もあろうに武郷に屈し、我らに牙を剥いて来ました。我らは我らの信じる正義にのっとり必死に戦い、その正当性を主張するという目的は十分に達成したものと思います」


彼がやろうとしているのは、頼継に自分達はよく戦ったという印象を抱かせつつ撤退という結論に持って行かせようとしているのである。


同じく参謀の桜井 怜さくらい れいが続いた。


「春日殿のおっしゃる通りです。我ら本陣は出来うる限りの指令を下してまいりました。こうなれば前線の将校に何か問題があったとしか考えようがありません。しかし蓮峰軒様は賢いお方です。報告を聞きまするに、黒木隊の相手をしていた有賀殿の将としての器量を疑わざるを得ません」


桜井がやろうとしているのは、敗戦の責任を前線にあって必死に戦っている将兵に負わせようという自らのための防衛行為である。

桜井としては全ての責任を前線指揮官である蓮峰軒に負わせたい。しかし蓮峰軒は頼継の弟であるためその失態を責める事が出来ず、代わりとして目立った大敗を喫していた有賀を犠牲にした。


 彼はこの行為を何ら恥じるべきものではないと思っている。

理由は簡単。立場が逆なら同じ事をするだろう。というものであった。


それにしても、と彼は思う。


(蓮峰軒のハゲは此度の戦でくたばってくれないだろうか・・・・・・)


桜井の意図を理解した愚者達は、次々と前線の指揮官達の失態をあげつらった。


あいつのやる気が無かった、あいつが指令を理解出来る脳を持ち合わせていなかった、あいつの指揮能力に問題があった、あいつの普段の態度が戦にまで現れた、など。酷い有様である。


 恐るべき事に、彼らの共通の敵は武郷軍ではく、前線の将校達であった。


 その時、寺の外で爆発音が聞こえ、寺の中には凄まじい風圧と共に土砂が飛び込んできた。

続けざまに聞こえる爆発音と衝撃に、空気と地面が震え、頼継達は立っていられない程であった。


「な、なんだ!なんだこれは!」


「砲撃です!撃ち込まれています!」


「馬鹿な!まだ蓮峰軒が敵勢と戦っているはずだろう!」


兎にも角にも頼継達は情報を得るべく外へと飛び出た。


見れば本陣には砲撃が降り注いだ様子であちこち黒い煙が上がっている。


頼継は慌てふためく兵を呼び止め、状況を知らせるようまくし立てた。


「どうなっておるのか、説明せぬか!」


「わかりません!とにかくいきなり砲撃が飛んで来て・・・・・・」


「前線に行って確かめてこんかぁ!」


「わ、私がですか?」


「お前以外に誰がいる!」


「は、はい!」


 頼継は再び砲撃が飛んでくるかもしれない本陣に居残り、どういった能力を持っているのかも分からない一兵卒を前線へと放った。


 そして再び、低遠本陣には砲撃が降り注いだ。

近くのやぐらに砲撃が一発命中し、粉々になった木片が飛び散った。

飛び散った木片は、運悪く桜井怜の首元に突き刺さった。倒れ込んでもがき苦しむ桜井は、必死に木片を取り除こうと首を搔きむしり、やがては動かなくなった。


 桜井怜は弱冠じゃっかん20歳という若さで参謀という地位にまで上り詰めた秀才であった。

彼は自分が他人よりも優れていることが分かっていたし、そのため他人を見下すような言動が幼少期より目立った。

といっても、児玉虎昌や山森勘助、太原雪原のようなこの時代を代表する天才達に比べれば、所詮は井の中の蛙であった事を彼は知らない。

知らずにこの世を去った事が、ともすれば彼にとって唯一の救いであったかもしれない。


 櫓には続け様、五発六発と砲撃が命中し、遂には倒れてしまった。


腰を抜かした頼継は、近くに立つ参謀の春日正樹にしがみつき、急いで命令を下した。


「やられっぱなしではないか!撃ち返せ!」


「撃ち返せと言われても、どこに撃てば・・・・・・」


「敵が撃ち込んでくる方向に決まっておろう!このたわけッ!」


「だから!四方八方から大筒を撃ち込まれて、撃つべき方角が定まらないのです!」


「なに?倒錯したか春日?それとも、気でも狂ったか?」


 この砲撃を撃ち込んでいるのは、馬場晴房隊と高松多聞隊の二隊である。

この両騎馬隊は、児玉が武郷軍が誇る大筒の技術者である駒井 成章こまい なりあきらに作らせた軽量野砲を馬で牽引させた、いわゆる騎砲兵であった。


 児玉はその頭脳で騎砲兵を思い付き、思い立てばすぐさま行動に移った。

その特徴は大筒の欠点である移動速度を、騎兵が野砲を牽引けんいんする事で克服し、つ柔軟に攻撃目標に対して火力を集中出来るという点である。


まだ誰もが考えた事もない新戦術であり、こういった発想を出来る児玉は、やはり天才としか言いようがない。さらにその発想を現実化した駒井もまた、天才としか言いようがないだろう。


大筒の専門家である伊地知は、児玉のこの発想を聞いた時、鼻で笑った。


「大筒の最大の特徴は、その火力にある。射程も短く火力も劣る軽量野砲など、作るだけ無駄だ」


とは、伊地知の意見である。

しかし、実際の戦闘において、この児玉が考案した騎砲兵というのは極めて優秀な戦果を残す結果となった。


 話は、宮原の戦いに戻る。

馬場隊と高松隊はある程度の砲撃を加えると陣地を転換し、再び砲兵陣地を築いて別の場所から低遠本陣に砲撃を注ぎ込んだ。


両隊の集中砲火を浴びた低遠本陣は、敵も確認できぬまま虫の息となった。


「撤退!撤退!撤退〜!」


頼継はそうわめいた。

ようやく頼継の撤退命令が出たことで、この惨劇から胸を張って逃れられる、と家臣団が胸を撫で下ろした所に、とある伝令が飛び込んだ。


「申し上げます!蓮峰軒様、お討ち死に!蓮峰軒様、お討ち死に!」


「な!?れ、蓮峰軒がぁ?」


「敵勢に包囲された中、必死に指揮を取られておりましたが、敵将黒木昌景が飛び込んできて、みしるしを!」


報告を聞いた頼継は、脱力した様子でヘナヘナと座り込んでしまった。


そこに駆け寄ったのは春日正樹である。


「頼継様!蓮峰軒様の事はお察ししますが、いま頼継様が討たれてしまえば、」


「黙れ!貴様に何が分かる!役に立たない割には余計なことばかり言いやがって!」


春日は内心、「こんな馬鹿が一国の主を名乗るなどと、許されるのか?」と、自らの主人を考えもつかない馬鹿呼ばわりをした。

ともあれ、目の前に座り込むこの幼稚な子供のような中年を放っておくわけにはいかない。


「おい!頼継様をお連れしろ!」


「「はっ!」」


春日は近くにいた彼の家臣に命じ、無理矢理に頼継を馬に乗せた。

そこにまた一報。


「申し上げます!敵騎馬隊が本陣に迫ってまいります!」


「・・・・・・来たか」


 春日は考える。

普通、撤退とは足の遅い大筒から行うのが定石である。

しかし現状、そういった余裕はない。大筒部隊の撤退を稼ぐ余力など、この混乱に満ちた本陣隊にはない。


(大筒は武郷軍に取られてしまうだろう。しかし、この馬鹿げた戦で罪もない一兵卒まで皆殺しにされるのはいかん。俺とて武士なのだから)


彼はそう結論付け、大筒は捨て置き一目散に撤退する事を命令した。



 午後五時。武郷軍による追撃はしつこく行われ、低遠軍は甚大な被害を受けるも、なんとか総大将の頼継は守りきった。

追撃を行なったのは、野砲を置いて本来の騎馬隊と化した馬場隊、高松隊、前線から騎馬隊のみ編成し追撃に加わった黒木隊である。


低遠軍の被害は、死傷六千。その内、死者二千五百。

武郷軍の被害は、死傷三千。その内、死者六百。

九割近い損害を出した低遠軍は、この戦いで多くの家臣を失った。



 帰り支度を整える山森隊の陣。


「いや〜、勘助が無事で良かった良かった。前線に出てくるなんて言うから生きた心地しなかったよ〜」


そう言って夕希はケラケラと笑った。

大仏は戦死者の供養を行なっているため、陣の中には現状、勘助と夕希の二人のみである。


「余計なお世話だ。今後こういった伝令を送ってくるのはやめろ」


「え〜。じゃあさ、勘助も約束してよ。勘助はこの部隊の大将なんだから、後方で命令だけしててよ」


「そうはいかん。勝つためにはなんでもやる。例えこの身を犠牲にしてでもな」


「いやいや、危ないって!」


「お前も前線に出ているではないか」


「あれ〜?勘助、あたしのこと心配してくれてるの〜?やっさし〜」


「心配などしておらん。お前が死ぬなど、考えたこともない」


「それって、あたしのこと信頼してるってコト?」


「・・・・・・」


「ねぇ〜、どうなの〜?」


夕希はニヤニヤとしながら、勘助の事を肘でつついた。


「信頼してもいない者を、家臣などにするか!」


勘助は半ばヤケになって立ち上がった。


「へ〜、嬉しいコト言ってくれるじゃん」


夕希は未だニヤニヤとした顔のまま勘助を見ると、やがて真剣な顔で勘助の手を握った。


「じゃあさ、あたし勘助が前線に出る必要もないくらい頑張るからさ、なるべくでもいいから前線には出てこないでよ。お願い」


「・・・・・・無理はするなよ」


 そんな勘助の陣に、来客がやってきた。

見れば黒木昌景である。


「お?二人で何やってんだ?勘助」


「これは黒木殿。いかがいたしましたか?」


「すげぇ手を握って見つめ合ってたけど・・・・・・」


「夕希が合戦中に訳の分からん伝令をしきりに送ってきたため、説教をしておりました」


「いや、そんな風には・・・・・・」


「見えなかった。と?しかし実際問題、そうだったのです。それ以上の説明を求められても、それがしはどうしたものやら・・・・・・」


「・・・・・・まあいいや。そんなことより今日の合戦よ!勘助!良くやったな!いい動きだったぞ!」


「黒木殿に褒められるなど、光栄です。黒木殿も見事な猛進でありましたな」


「はっはっはっ!俺にかかれば、お茶の子さいさいよ!」


そう言って黒木は、勘助の肩を組んだ。

背の低い黒木に後ろから腕を回されたため、勘助は前屈みになって黒木の脇に納まる。


「く、黒木殿。この体勢、キツイですぞ。それに、鎧が当たって、痛い」


「照れるな照れるな!はっはっはっ!この黒木様からのご褒美だ!胸も顔に当たってるだろう?」


勘助は内心、「豪傑はこれだから嫌だ」と思った。


「く、黒木殿、汗臭くはありませぬか?」


「なっ!?」


黒木は途端に顔を赤くし、勘助を放した。


「し、失礼だろう!勘助!ぶ、ぶち殺す!」


「恥ずかしいのであれば最初からやらねばいいのに。それと、汗臭いと聞いたのはそれがしの事で・・・・・・」


「知ってるし!俺、知ってたし!」


「勘助・・・・・・」


「夕希。落ち着け。何だその形相は。やめんか」


それからも二人は今回の合戦についてそれぞれの意見を述べた。


 最後に一つ、勘助は気になる事を質問した。


「黒木殿は戦がお強いですな。なにか秘訣でもあるのですか?」


「秘訣ぅ?」


黒木はゲラゲラと笑った。


「勘助!お前も面白い冗談を思いつくなぁ!」


「いや、冗談などでは・・・・・・」


「冗談でないのなら、言わせてもらう」


黒木は目元の涙をぬぐい、真剣な表情で勘助を見た。


「戦をなめんな」


「・・・・・・やはり、訓練あるのみでしょうか」


「まあ、訓練も重要だけどな」


「他にも、あるのですか?」


「俺は戦において一番大切なのは、戦にのぞむ心構えだって思うぜ」


「というと?」


「いつも初陣に赴く心構えで策を練り、自分の直感で勝てる!と思っても、確信しない限りは無理をしないことだ」


「これは・・・・・・驚いた。黒木殿の戦上手は天賦の才で、全て直感によって動いているものとばかり」


「ばーか!俺の采配一つで多くの兵が死ぬ。俺が敗ければ他の味方に危険が及ぶ。将は何度戦を経験しても、初陣だけは忘れちゃいけない」


「初陣・・・・・・」


「初陣に赴く時の緊張感だけは忘れちゃならねぇぞ、勘助。不思議なもんでな、将っていうもんは歳をとればとるほど見た目は偉そうになっていくのに、その精神能力はときとして退行していく奴が多かったりする。中にはその失態を自分の部下のせいにする奴まで現れる始末だぜ」


「・・・・・・肝に、銘じておきます」


「おう。覚えとけ」


勘助は黒木のことを尊敬せずにはいられなかった。戦の強さにではなく、その人間性にであった。


 黒木の言った事は、実は古今どの組織においても変わらなかったりする。

勘違いしている者も多いが、権力を得るという行為はすなわち、相応の責任を負うという行為でもある。

逆に言えば何の権力も持ち合わせていないような者には、何ら責任も付随しない。



 話に戻る。ところ変わって久乃木隊。

久乃木隊は武郷軍において最も損害が激しかった。

久乃木は転がる敵味方の戦死者に手を合わせ、「埋葬してやれ」と命じた。


 参謀の伊地知は今回の合戦を、こう振り返った。


「此度我らが苦戦を強いられたのは、兵力と火力が足りなかったためであります。本陣には何度も援軍要請を送りましたが、なかなか渋って援軍を寄こしませんでした。多くの兵が死んだのは、我らの責任ではありません。気に病まぬように」


その返答として久乃木は、「伊地知。よく、やってくれたな」とだけ言った。


 久乃木隊の陣にも、来客が現れる。


「久乃木!久乃木よ!」


久乃木が見れば、馬に乗って手を振る児玉の姿が見えた。

馬を降りた児玉は、どたどたと久乃木に近寄った。


「ご苦労じゃったのう久乃木」


「・・・・・・児玉さん」


「なんじゃあ、元気がないのう。戦に勝ったんじゃぞ?」


「・・・・・・此度私たちは、多くの兵達を死なせてしまいました」


児玉が久乃木の顔を眺めれば、久乃木は戦死者を弔う兵士たちの姿をまばたきもせずに見ている。


「・・・・・・全て私の責任です。私の指揮が、至らぬばかりに」


「久乃木・・・・・・」


「・・・・・・無駄死に、だったでしょうか?」


児玉も戦死者たちを見、やがて口を開く。


「・・・・・・此度、」


そこでようやく、久乃木は児玉の顔を見た。


「ここで戦い死んでいった多くの兵士たちは、無駄死にじゃった」


「・・・・・・」


「死ななくてもよい兵士まで、死んだ。無駄死にじゃろう」


久乃木は再び、戦死者を見る。


「死んでしまえば、わしらは許しを請うことさえできん」


「・・・・・・」


「戦をすれば人が死ぬ。じゃが、せめてその死が無駄にならぬよう、わしらは頭を働かせ、体を動かさねばならん」


「・・・・・・児玉さん」


「うん?」


「・・・・・・彼らを弔うのを、手伝ってもらえますか」


「おう」


二人の将は自ら、戦死者を弔った。




 勘助たちが宮原で戦っていた頃。峡間の館では、奈々がその命を散らそうとしていた。

結局のところ、彼女の体調が直ることはなかった。


直接的な原因は、心労ではない。

奈々は心労だけで死ぬような精神力の持ち主ではなく、彼女はその精神力の強さによって、死を選んだ。


頑として食事を摂らなかった。


奈々は姉である晴奈にも、会おうとはしなかった。

晴奈が奈々の顔を見れたのは、彼女の最期の日であった。


「頼重様・・・・・・」


そう呟いて彼女は、手を天へと突き出した。


「奈々」


晴奈はその手をためらうことなく握った。

奈々はゆっくりと、晴奈の方を向いた。

もはや目も見えてるか分からない奈々の為、信繁が呼びかけた。


「奈々。姉上よ」


「・・・・・・姉上」


「うん」


晴奈は力強く奈々の手を握った。


「・・・・・・痛いわ、姉上」


晴奈は慌てて力を緩めた。


「姉上。姉上は、天下を狙っているの?」


「うん」


「そう。そうよね、そうでなきゃ、わたし、納得できない」


「・・・・・・」


「・・・・・・姉上を最初に裏切ったのは、頼重様。でも、姉上を恨まずには、いられない」


「・・・・・・そうか」


「頼重様や、わたし、他にも多くの人たちが、姉上の天下のために、犠牲になっていく。姉上が行くのは、そういう道」


「・・・・・・うん」


晴奈は奈々の顔を目に焼き付けるように見つめた。

奈々は焦点の定まらぬ目で天井を見つめている。


「どうか、忘れることのないよう。姉上に言う事は、それだけ」


「・・・・・・奈々」


「わたしは、頼重様と約束をしました。死ぬときは一緒、と。少し遅れてしまってけれど、頼重様なら、許してくれるわ」


「奈々」


「姉上の顔は、もう見たくない。出て行って。・・・・・・後生よ」


信繁が奈々を叱ろうとした。が、晴奈が手で制した。


「信繁。奈々のこと、頼む」


信繁は黙ってうなずいた。

続いて晴奈は、奈々を見る。


「奈々、苦労を掛けたな。忘れない」


「・・・・・・ありがとう、姉上」


それだけ聞くと晴奈は、部屋を出ていった。

奈々が亡くなったのは、その日の夜。最期を看取ったのは、信繁と奈々の母である大井夫人おおいふじんの二人であった。



 宮原の戦いというのは、あるいはともすれば、白樺攻めのエピローグという位置づけになるかも知れない。

晴奈の中科野侵略は、いよいよ本格的に動き出す。


第ニ話 白樺の姫 終

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