第二話 (10) 白樺の姫

 敗戦者である白樺頼重しらかば よりしげの妹、凛姫りんひめを峡間に迎え入れた勘助は、天海虎泰あまみ とらやす板堀信方いたぼり のぶかたといった連中が問い詰めに来る前に先手を打ち、帰って早々に凛姫を大仏心おさらぎ こころが僧侶を務める寺に入れ、大仏に「姫様に接触させることは、誰であろうとまかりならぬ。もし御家老衆や児玉様のような古参の家臣が来たとしても、主君である勘助が許さないとだけ言って追い返せ」と命じ、晴奈に会いに行った。


 やや強引に晴奈への報告をしに来た勘助を、晴奈は特に気にする様子もなく迎え入れ、更には勘助が人払いを願い出ると、その願いを叶えてくれた。

 

 勘助は平服し顔を上げると、極めて簡潔に自分がした行動を報告した。


「勘助、ただいま帰りましてございます。白樺の姫様を無事、峡間へとお連れ致しました」


 勘助の報告を聞いた晴奈は、「うん」と頷くと、やがて、


「ご苦労だった」


とだけ言った。

勘助は右目を丸くして、思わず


「それ、だけでございますか?」


と聞いた。

勘助が凛姫を峡間に連れてきたという事は、無論ながら命令違反にあたる。

勘助としては晴奈に何を言われても最終的には話せば理解してくれるとは思っていたものの、罵られ叱り飛ばされる、最悪は切腹を命じられるということすらも考えていた。が、結果は一言のねぎらいのみであった。


 晴奈は不思議そうに勘助の顔をみた。

勘助は晴奈の事を聡明なお人だと思っていた。が、事ここに至っては、晴奈はもしかすればただの間抜けなのかもしれないと思うほどに、それほどに不思議な対応であった。


「うん?」


晴奈は呆けた顔の勘助に、どういうことなのか、といった様子で促した。


「い、いえ、それがしがした事に、疑問をお持ちにならないのでしょうか?」


「無論疑問はある。しかし、お前はそうすべきだと思って行動したのだろう?ならばそれでいい」


勘助はますます混乱した。なぜこのあるじはそこまで自分を信頼するのか。思えばこの時期の勘助など所詮は何の経歴も持たない風変わりな容貌の中年でしかない。

勘助は疑問に思ったことをそのまま質問してみることにした。


「なぜ、そこまでそれがしを信頼されるのですか?」


晴奈は突然何を聞くのかといった様子で怪訝な顔をした後、当たり前といった具合で、


「大将が家臣を信じなくてどうする」


と言った。


(なるほど、その通りだ。やはりお屋形様は、大将の器であろう)


と勘助は思う。

余談ながら、晴奈と同じく一国の主である白樺頼重などは、頼重の最期にまで付き合うとまで言った千野入道ちのにゅうどうをも信じ切るといったことはしなかった。

誰であろうとある程度の信頼しかせず、逆に言えばある程度の信頼はすると言った具合が、白樺頼重の大将の器でない所以ゆえんであろう。中間管理職程度であればこれで良いかもしないが、決して大将の器ではない。対して晴奈は、自分が一度信じると決めた相手は何があろうと信じる。といった具合である。


「ならば、それがしもお屋形様の信頼に応えねばなりますまい」


勘助と晴奈の目が合う。

晴奈の目は慈愛に満ちた優しい眼差しであった。


「お屋形様。一つ、進言したき儀がございまする」


「うん」


晴奈が頷くのを見ると、勘助は簡潔に言った。


「凛姫様を、義妹ぎまいとなさりませ」


「義妹?」


「はい。頼重殿の実妹である凛姫様と、峡間の国主であるお屋形様が姉妹となされば、白樺の者どももお屋形様に忠誠を誓いましょう。白樺家と武郷家の結束を固め、それを知らしめるのには、これこそが最善でございましょう」


「頼重殿はどうする?」


「ご自害していただくほかございませぬ」


「・・・・・・」


「一度我らを裏切った男です。またいつ我らに逆心を抱かぬともしれませぬ。生かしておく価値は無いかと存じます」


「頼重殿は納得するだろうか」


「それがしが頼重殿に切腹するよう申し伝えまする」


「・・・・・・勘助。嫌な役を押し付ける」


「いえ、その程度で傷つくような心は、とうに捨てておりまする。・・・・・・それと、あの姫様を生かす意味は、もう一つ」


「それは?」


「あの姫様と関わって分かった事でありますが、あの姫様は生きる意志が存外に強い」


「生きる意志?」


「はい。あの姫様は生まれてこのかた、人を殺したことはないはずです。頼重殿の家族への偏愛ぶりは他国にまで知れ渡っていますから、間違いないかと。その姫様が自分の命惜しさに人を殺し、それがしを救いました。気丈に振舞ってはいましたが、足の震えは抑えられなかったご様子でした。それほどに生きる意志が強いお方です。あの姫が自害したなど、白樺の者どもはまず信じますまい。対して頼重殿は、聞いたところによれば先の戦で精神的に摩耗し、しきりに自害したがっていたとか」


「・・・・・・なるほど」


「はい。無論あの姫様を殺せとお屋形様が命じるのであれば、それがしはすぐさまそれを実行に移す所存です」


「勘助」


「はっ」


「お前の意見具申を受諾する。頼重殿の件、頼むぞ」


「はっ。お任せ下さい」


「それと」


「は?」


「凛姫に命を救われたか、勘助」


「は、はい。勘助一生の不覚です・・・・・・」


勘助は恥じ入るように目をそらした。晴奈はそれを見ると微笑し、一言。


「お前のそういった人間らしい所、嫌いではない」


「お、お屋形様?」


「下がっていいぞ」


「は、はっ」


 その後の経過を語る。

晴奈への意見具申が受け入れられた勘助が屋敷に帰宅すると、そこには天海、板堀、児玉のほか、馬場や伊地知など大勢の家臣たちが上がりこんで勘助の帰宅を待っており、勘助の姿を確認した途端に問い詰め始めた。


 勘助は、凛姫と白樺頼重の処遇について簡潔に述べ、最後に「既にお屋形様の下知が下っております」と言った。要するに、今まで語ったことは決定事項である。という事を知らしめたのである。


 こう言われればもはや勘助を問い詰めても仕方がなく、文句の一つでも言いたいことを各々おのおの我慢しながら晴奈の元へと向かった。


 その翌日。各々が代案を持ち寄って評定が開かれた。

勘助の説明を聞いた上で新たに出た意見は、


「滅ぼした家の姫を峡間の館に置くなど危険でしかない。そのため、凛姫を白樺へと送り返す」


というもので、それには勘助が「それでは白樺にて逆心を起こしたときに、どう対処するのか」と反論した。

ならばと出た案は、


「凛姫を出家させる」


というものであったが、これには板堀が、「本人が納得せずに形だけ出家したとしても、結局は同じことである」と言って反論した。


あらかた意見が出し終わったところで、伊地知幸平いじち こうへいは満を持してといった様子で案を出した。それは


「頼重と奈々の間に子を産ませる」


というものであった。

これには、


「子を産ませるためだけに奈々様を利用するとは、何を考えているのか」

「そもそも子ができる保証などない」

「奈々様は既に白樺家に嫁いだ身であり、武郷家の姫ではない。それゆえ新たにできた子で武郷家と白樺家の結束を示すというのはあまりに心許こころもとなく、幼子おさなごを白樺の者どもが担ぎ上げて謀反するとも限らない」


といった反論が挙げられた。

あまりに激しい反論の嵐を浴びた伊地知は、顔を怒らせて、


「ならばお屋形様と頼重殿の間で、新たな白樺家の惣領をお作りになっていただけばよい!」


と発言した。あまりに論外な発言に一同は仰天し、信繁に至っては激怒して伊地知に殴りかかった。

顔に三発、腹に蹴りを一撃見舞ったところで、ようやく周囲が動き出し、信繁を抑えた。


 結局、どの代案にも晴奈は首を縦には振らず、勘助の案で行くこととなった。



 頼重の自害が執行される前日の夜、宴が開かれた。

頼重と奈々の為に行われた舞いは、華やかさの中に儚さを感じられる、そんな舞いであった。

頼重と奈々は手をつなぎ、黙ってそれを眺めていた。

家臣団の中にはそれを見て、居たたまれない気持ちになる者や、退席して涙する者まで現れる始末であった。その中で勘助のみ、ただただ無表情で二人を見つめていた。


 翌日。冬なのに珍しく雨の降ったその日。朝9時頃であった。

勘助が頼重の幽閉されている寺の一室に入ると、朝だというのに薄暗く、空気が淀んでいるかのようにじめっとしていた。


「別室にて、装束しょうぞくの支度を整えてございまする」


「・・・・・・このわしに、腹を切れと?晴奈殿の、意向か?」


「御意でございまする」


「・・・・・・そうか」


頼重は勘助に近寄ると、その手を取った。

勘助は心中、


(この期に及んで命乞いだろうか。男らしくない)


と呆れ果てたが、どうやらそうではないらしい。


「武郷家中に見ぬ顔のようだが、そなた、名は?」


「・・・・・・山森勘助でございまする」


「そうか。では山森殿。最期に一つ、頼みがある。聞いてもらえるか?」


「・・・・・・なんなりと」


「ありがとう。山森殿」


頼重は勘助の手を握ったまま頭を下げた。


「凛のことを、頼む。凛の行く末だけが、心残りだ。この期に及んでは、そなたにしか頼めぬ。頼む」


「承知つかまつった」


「頼むぞ。くれぐれも、頼む。頼む、頼む、頼む!」


頼重は頭を下げたままひたすらに「頼む」とい続けた。



 頼重の自害は、白樺家中に次のように伝わった。

頼重は戦の責を負い、自ら命を絶ってしまった。といった内容で、同じような意味に武郷家への恨みは忘れ、凛姫をよろしく頼むといった具合の内容の遺書も届けられた。

この遺書が本当に頼重本人によって書かれたものかは分からなかった。が、敗者である彼らには、それを信じるという道しか精神的に余裕はなかったし、頼重が敗戦に耐えきれずに自害を選んだということに関しては疑問を挟む者はいなかった。



 頼重の切腹が実行された翌日。勘助は凛姫に、晴奈の義妹となるよう申し伝えに行った。が、部屋を閉め切って会う事も出来なかったため大仏に伝えておくよう命令してその日は帰ることにした。


(頼重殿の死を知ったばかりだ。致し方あるまい)


勘助は全てが上手くいったことに満足感を覚え、その日は早めに眠りについた。


 しかし問題は、深夜に運び込まれた。


「勘助ッ!勘助ってば!」


聞き慣れた声に目を覚ますと、声の主はやはりというべきか夕希であった。


「なんだ夕希。夜は静かに、」


「大仏クンが、勘助に火急の用があるから起こして来てって!」


「なに?大仏が?」


 尋常ではない事態が起きている。というのが、勘助の頭によぎった。

大仏は部下として少し扱いにくい所があるものの、信頼できる部下である。

その大仏が勘助を起こしてまで伝えたいとは、なるほど尋常ではないだろう。


 勘助が急いで外に出ると、大仏ともう一人の家臣である諫早 助五郎いさはや すけごろうが突ったっていた。

両名とも僧兵である。


「いかがした?」


勘助が聞くと、体のつくりの小さい助五郎がすぐさま土下座し、謝り始めた。


「山森様!申し訳ございませぬ!私が、私がぁぁぁぁああ!」


遂には泣き出し、何を言っているのか分からない。

勘助は、助五郎に話を聞くのは諦め、大仏の方を見る。


「ごめん。凛姫が逃げ出してしまったんだ」


「なッ⁉」


勘助が驚きにそれ以上声が出ずにいると、泣きわめいていた助五郎が詳細をわめいた。


「わ、私がかわやに行っている間に、に、逃げ、逃げてぇぇぇぇええええ!」


「落ち着かんか!」


勘助は助五郎を一喝すると、大仏を睨んだ。


「どういうことだ大仏。助五郎は厠に行っていたとしても、お前はいたはずだろう?」


「ボクだって一晩中起きていられるわけじゃないし、つい船を漕いでしまったんだね」


「なに?」


勘助は怒りのあまり、この場で大仏の首を刎ねてやりたい衝動に駆られた。


「勘助。ダメだよ」


しかし、それを察した夕希が、勘助の手を握った。


「くそっ!」


勘助は怒りを剥き出し、やがてはその怒りを凛姫にも向けだした。


「あの姫もあの姫だ!何が気に食わないというのだ!」


肩で息をして激怒している勘助とは対照に、夕希は冷静であった。


「勘助。あたしたちは、どうすればいいの?今、怒りに身を任せるのは、勘助のすべきことなの?」


「ッ!大仏!助五郎!すぐさま準備し、姫様を追うのだ!おそらく白樺に帰ろうとしているはずだ!」


それだけ言うと勘助は屋敷に戻り、準備もそこそこに馬屋へと向かう。


 馬に跨った勘助が出てくると、そこには大仏が馬に跨って待っていた。

夕希はいまだに準備をしているし、助五郎は既に足軽どもを集めて白樺の方へ向かった。


 勘助は黙って馬を進め、大仏も黙ってそれに従う。


「なんだ大仏おさらぎ。なぜ白樺に向かっていない?」


「ボクは今回の事、君の口から凛姫様にお伝えすべきだと思うよ」


「・・・・・・」


「御父上が亡くなったこと、晴奈様の義妹となること。それは人づてで伝えていいことなのかい?」


「だからお前は、姫様の逃亡を見過ごしたのか?」


「勘助君、自分の入りたくないと所へ無理矢理に入れられたら、君はどうする?自分がやることを他人に強制させられたら、君はどうする?」


「それは、」


「世の中にはね、自分の思い通りになってくれない相手の方が多いんだよ」


「・・・・・・」


「ボクは、人の機嫌を伺ってばかりいるような人は、嫌いだな」


「・・・・・・そうか。もういい、行け」


「はいよ」


それだけ言うと大仏は、馬を走らせた。

勘助はそこで歩みを止め、夕希を待つ。


やがてひずめの音が聞こえたと思うと、馬に乗った夕希が急いで駆けてきた。


「勘助!お待たせ!」


「うむ。では夕希、我らも白樺の方へ向かうぞ。賊どもに襲われていないとも限らん」


「あ、それなんだけどさ勘助」


「うん?」


勘助は怪訝な顔で夕希の顔を見た。

急いでいるとはいえ、夕希の考察力が実は馬鹿にできたものではないことを、勘助は知っている。


「あの姫様ってさ、遠くから見ただけだけど、勘助の事を怒鳴っていたりとか結構勝気そうに見えたんだけど、勘助はどう思った?」


「ああ。確かにあの姫は、見た目に反して勝気な性格だ」


「だったらさ、この期に及んで自分の故郷に逃げ帰るようなこと、するのかなって」


「どういうことだ?」


「いや、あたしには分からないけどさ、勘助も負けず嫌いなところあるじゃん?勘助だったらどうするのかなって。やみくもに探すより、可能性高そうじゃん?」


「俺なら?俺ならば・・・・・・」


勘助は考えた。自分がもし凛姫と同じ状況に陥ったとき、自分であればどう行動するのか。

そしてその答えは、すぐに出た。考えるまでもなかったかもしれない。


「俺なら、敵大将の首を一か八かでも取りに行く。せめて最期に、一矢報いるために。・・・・・・となると、峡間の館か?」


勘助は、勘助の屋敷からも見える峡間の館の方を見た。

凛姫を幽閉していた寺からここまでは、それなりに距離がある。


「行ってみようよ。白樺の方は大仏クンたちが向かっているしさ」


「・・・・・・そうだな。急ごう」


勘助と夕希は頷き合い、寺の方角へと走り出した。


「大仏たちが寺から俺の屋敷までの道中に姫様を見ていない以上、見つからないようにと山を突っ切っろうとした可能性が高い」


「山を?」


「ああ。しかしあそこらの山は一見すると一つの大きい山があるだけに見えるが、その陰には小さい山々が連なっている。易々と越えられるものではない」


「じゃあ姫様は、山の中で彷徨ってるってこと?」


「その可能性が高い。とにかく急ぐぞ」


「了解!」



 勘助と夕希は寺につき、馬を降りると松明をつけ、山へと向かう。

山は所々雪が残っており、風は突き刺さるように冷たい。


 勘助は山に入ったところで、雪に注目する。


「姫様はどうやらあまり遠くには行っていない」


「え?どうしてわかんの?」


「見ろ」


勘助が雪を指差すと、雪には足跡がついている。


「いや、足跡は分かるけどさぁ」


「足跡をよく見ろ。足指がくっきりと分かる。どうやら姫様は、裸足のまま逃げ出したらしい」


「え?こんなに寒いのに?」


「ああ。よほど必死に逃げ出したのだろう。だがこの寒さを裸足では、そう遠くへは行けない。どこかその辺で休んでいるはずだ。行くぞ」


「わかった!」


やがて二人は、二股に分かれた道へとたどり着いた。


「どうする勘助?二手に分かれる?」


「分かれるのは危険だが・・・・・・今は時間が惜しい。分かれよう」


「了解」


「朝までに見つからなかった時は山を下り、再び準備を整えてから捜索する。わかったな?」


「はいよ~」


 勘助と夕希は分かれて進むと、やがて勘助の眼に、松明の明かりが見えた。


(いた。おそらく姫様だろう。しかし、随分と明るいな・・・・・・)


 勘助はくさむらへと隠れて進み、近くまで来たところで様子を伺った。

見れば、やはりというべきか凛姫がそこにはいた。どうやら寒さに耐えきれず、焚き火を焚こうとしていたようだ。しかし雨や雪やらで湿った枝木など物の役には立たず、困りきった挙句に大きめの石に座り込んだらしい。


(なるほど。世間知らずな姫様らしい。そして、周りにいるのが・・・・・・)


石に座り込んだ凛姫の周りには、三人の男が取り囲んでおり、明かりが大きかったのはこの男たちが持つ松明のためであった。


「なにが望みなの?お金ならいくらでも渡す!だから見逃しなさい!」


凛姫が金が入っていると思わしき巾着を取り出し、男たちを睨んだ。

しかし男たちは凛姫の言葉を聞いてゲラゲラと下品に笑った。


「何がおかしい!」


「はあ?女も金も、どっちも手に入るっつうのに、なんで片方だけで満足しなきゃなんねぇんだよぉ?こっちが聞きたいわ。なあ、お花畑ちゃん?」


そう言うと男は、凛姫の胸に手を近づけた。


「っ!このっ、恥さらしの下衆が!」


凛姫は手にした巾着袋を男に投げつけた。


「ぐっ。てめぇ!」


 この隙を逃す勘助ではない。

勘助はくさむらから一気に飛び出すと、男の素っ首を一瞬、二瞬の内に刎ね飛ばした。


 続いて三人目に斬りかかった勘助の攻撃をなんとか避けた男は、急に出てきた勘助を睨んだ。


「なんだてめぇはいきなり!」


「問答無用!」


勘助はこの勢いを逃すまいと、再び男に襲い掛かる。


「ちっ!この醜男ぶおとこがぁ!」


男は先程のお返しとばかりに、巾着袋を勘助の顔めがけて投げ付けた。


「ッ⁉」


勘助の油断をつくように、男は勘助に斬りかかった。

それを見越した勘助は、あえて刀を突き出して前に出る。


「ぐっ」


勘助の刀は男の心臓を貫き、男の刀は勘助の左頬をかすっただけに留まった。


「はああっ・・・はぁ、はっ」


「あなたは、山森勘助⁉もう来たの⁉」


「姫様!とにかくここを移動しますぞ!」


勘助は凛姫の手を掴むと、走り出した。


「ちょっ!放して!放しなさい!」


勘助は抵抗する凛姫に目もくれず、山を下る。

しかしその道中、先程の男たちの仲間と思われる集団を見つけ、道を逸れた。

逸れた先に洞窟を見つけ、勘助は中の様子を探ったのちに中に入り、ようやく腰を下ろした。


「この手を放しなさい。山森勘助」


「はっ。姫様。大変失礼をいたしました」


勘助は頭を下げた。


「・・・・・・連れ戻しに来たの?」


「はっ。姫様を護衛することは、お屋形様のご命令ですから。それに、頼重殿との約束でもあります」


勘助が顔を上げると、凛姫は勘助の頬にできた傷を見た。


「その傷はさっきできた傷よね。痛むの?」


勘助はそこで、攻撃を受けた場所が眼帯の近くだったこともあり、眼帯が取れていないかと顔を探ろうとした。が、そこで以前、この姫に顔を隠すなと叱責を受けたことを思い出し、やめた。


「いえ。もう慣れたものでございまする」


「そう。傷に慣れるほど、あなたは弱いのね」


「面目ない限りで」


勘助はそう言って微笑した。勘助はそこで不思議に思う。勘助などは余程の事がない限り笑うといったことはしない。ましてや初対面も同様の人間を前にしてなど、ありえないことであった。

しかし事実自分の顔は緩み切っており、その謎を解明するのは後回しにすべきだと思い、本題を切り出すことにした。


「姫様。なにゆえお逃げになられた」


「ここまで追ってきた以上分かっているでしょう?あの武郷晴奈に一矢報いてやるためよ」


「何を言っているのかそれがしには分かりかねまするな。お屋形様は、あなた様の姉上となるお方で、」


勘助が言い終わる前に、凛姫は目を吊り上げて怒鳴った。

暗闇の中でわずかに見える凛姫の眼は、黒目が異常に大きく、ガラス玉のようであった。


「なるわけないでしょ!よりにもよって、兄上を殺したあの女の家族になんて!」


「姫様の兄君は自ら命を絶たれたのです。お屋形様が殺した訳では、」


「嘘をつかないでっ!兄上が自ら死を選んだなんて、あるわけがない!」


「本当にそう言い切れまするか?」


「うるさいっ!」


勘助は喋りながら思った。「我ながら最低だな」と。

しかしその口は震えることもなく平然としている。勘助は晴奈の天下の為なら鬼になることもいとわない。厭う必要などないとさえ思っている。


夢追い人というのは、見方によっては狂人と変わらないのかもしれない。



凛姫はうつむき、今は亡き兄の生前を思い出す。

武郷・低遠連合軍に追い詰められた頼重は、生きる事を放棄し、破れかぶれで武郷軍に攻撃を仕掛けようとした。その時に凛姫は白樺家の滅亡を悟り、自らも頼重の後を追って共に死のうと考えた。今になって思い返せば、馬鹿な行動だと思う。

千野が戦死したのち、桑山城に籠城した頼重の精神的摩耗は、目も当てられないものであった。

戦のことなど大して分からない凛姫でさえ分かるその絶望的な状況に、頼重は何度も自害しようとした。

千野が残した家臣達と凛姫とで必死にそれを止めたのは、よく覚えている。

そこまで思い出したところで、勘助の声が聞こえた。


「姫様。人が死ぬのは戦の習いです。兄君の事は無念かもしれませぬが、その恨み、どうか忘れてはいただけませぬか。兄君もそれを望んでいるはずです」


凛姫は頭に血が上る感覚を覚えると同時に、その怒りを勘助にぶつけた。


「お前が分かったような口で、兄上を語るなッ!」


勘助は凛姫の怒号に大してひるんだ様子も見せず、困った顔をした。

続いて勢いのままに凛姫は、声を低くして怨嗟の声を絞り出す。


「武郷晴奈。あの女だけは絶対に許さないわ。この命が尽きるその時まで、恨んで恨んで、恨み抜いてやる!」


凛姫が言い終わると、沈黙が辺りを支配した。

勘助はそれを、ゆっくりとした口調で破った。


「・・・・・・姫様。それがしは一つ、心得違いをしていたようです」


「何ですって?」


「姫様は生きることに懸命で、美しいお方と思っておりましたが、蓋を開ければ、あまりに小さい」


「何が小さいって言うのよ!この、無礼者!」


「事実でありましょう。おっしゃることが、あまりに小さい!」


「貴様!」


「兄の恨みなどと小さいことなど、お捨て下され!よろしいですか?お屋形様は、天下を取るお方です!天下人となるお方です!この勘助がそうするのです!お屋形様は、何を捨てても天下を取ろうと生きておられる!それがしも同様です!あなた様は、そのお屋形様の義妹となられるお方です!せっかく生き延びたというのに、延々と人を恨み続けて生きるなど、小さいと言わずして、なんと申しましょうか!前を向いて生きてくだされ!」


勘助は涙を流しながら、熱弁する。


「それでも此度の事が許せないというのであれば!それがしをお恨み下され!此度の件、お屋形様ではなく、全てそれがしが仕組んだことです!恨むのであれば、それがしに!」


そう言うと勘助は、地面に頭を擦り付けた。


「・・・・・・あなたを恨んだって、仕方がないじゃない」


「いえ、お屋形様の為にと思い、それがしがお屋形様をそそのかしたのです。どうか、お屋形様ではなく、それがしをお恨み下され。それがしであれば、いくら恨んでも構いませぬ。この命が欲しいというのであれば、この命も捧げまする!」


そう言うと勘助は、脇差を取り出して地面に置いた。


「・・・・・・あなたたち武士というのは何かと死にたがるけど、私はそういうの、大嫌いよ」


「それは死よりも大切なことがあるからです。少なくともそれがしは・・・・・・いや、俺は、お屋形様の天下の為なら、この命惜しくない!」


「なぜそこまで・・・・・・」


「お屋形様の天下は、俺の生きる意味だからだ!俺を信じてくれるあのお方の夢は、俺の夢だからだ!お屋形様の天下への道は、まだまだ遠い!白樺で立ち止まっている暇など、ない!例え俺が白樺で散ろうとも、お屋形様の天下の道が続くのならば、本望だからだ!」


目の前で涙を流して熱弁しているこの男ほど、勘助ほど生きることに執着している人間はいないかもしれない、と凛姫は思った。

果たして亡き兄や自分に、これ程の生への執着はあっただろうか。ただただ平穏な日々に一喜一憂し、幸せに暮らしたいというのも、人間の生き方として間違ってはいない。しかし勘助のようにひたすらに夢を追い求めるのもまた、間違ってはいないだろう。

勘助のような人種にとって生きることとは、自らの尊厳を守り続けることであり、勘助にとってそれは、夢を追い求めることにあるのだろう。

そんな勘助の姿は、凛姫にして、


「見事ね」


としか言いようがなかった。


「姫様?」


「勘助。私との約束、覚えているわね?」


「約束?姫様を、護衛するという約束でしょうか」


「そう。あなたに踊らされたというのは業腹だけど、私も意味のある生き方をしてみようと思う。私は私の幸せを目指そうと思うわ」


ふと勘助は、自分の背に日の光を感じた。

もう夜が明け始めたのだろう。


「まずは私にとっての幸せを探すところからね。あなたに触発されたのだから、責任を取ってあなたはそれを手伝いなさい。私が幸せを見つけるその時まで、私をしっかりと護衛しなさい」


日の光が洞窟内に差し込み、よく見えるようになった凛姫の顔は依然として美しく、しかしよく見れば人形のようであった以前とは違って人間らしく微笑していた。


「姫様・・・・・・。承知仕りました」


勘助はうやうやしく頭を下げた。




 辺りは随分と明るくなり、勘助は外に出て安全を確認すると、下山を決断する。


「姫様。そろそろ山を下ります。準備を」


「勘助。足が冷たくてもう歩けそうにない。私をおぶりなさい」


「・・・・・・」


まあそれも仕方がない、と思った。しかし困ったことに勘助の右足は生まれつき不自由で、人を背負って下山するなど危険でしかない。

困った勘助は凛姫に近寄り、膝をついた。


「なに?勘助」


「姫様。足をお出しくだされ」


「え?何をするの?」


「それがしが姫様を背負う事が出来ぬ以上、足を温めて共に歩いてもらうほかありませぬ。さあ」


「え・・・・・・、ま、まあ、仕方ないか。変なことしないでよ」


凛姫はやや恥ずかしそうに足を差し出した。

触れてみればその足は、凍っているのかというほどに冷たかった。


「これは・・・・・・。姫様、よく我慢なされた」


勘助は凛姫の足を、必死に手でこすり、果ては足裏を自らの胸に押し当て、さらに手でこする。

凛姫は顔を赤面させ、うつむきながらも勘助の顔を上目遣いで見た。


「恥ずかしいわね・・・・・・」


「我慢してくだされ。それがしも我慢しておるのです」


「私の足に触っておいて、何を我慢しているっていうのよ!」


「姫様は何を怒っているのですか・・・・・・?足の冷たさにです」


「ッ!・・・・・・感謝、してるわよ」


それからもしばらく凛姫の足を温め続け、ようやく動く気になったらしい凛姫は「もういい。ありがとう」と言って立ち上がり、二人はなんとか下山した。



 後日、凛姫は晴奈に面会し、正式に二人は義姉妹となった。

しかし時代は平穏を許すことなく、武郷との和睦の条件に不服を唱えた低遠頼継が反旗をひるがえし、再び白樺に攻め込んだ。勘助は再び、戦場へと赴くことになる。

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