第三話 (1) 桜祭り

中科野科野・入笠いりかさ。四月も終わりという頃。

低遠頼継の居城である低遠城では桜祭りが開催されていた。低遠城は千五百本にもおよぶコヒガンザクラが咲き乱れ、常時は無粋な見た目の低遠城も赤く染まってみやびな風情を醸し出している。


 城内では商人や百姓が入り乱れており、綺麗な並べられた露店が桜と同様に咲き乱れている。行き交う人々の顔は一様に笑顔であった。


 この桜祭りは毎年の行事、などではなく、敗戦で疲弊した民衆の慰安を兼ねて急遽開催されたものであった。

そのため警備は杜撰ずさんとしか言いようがないものであり、勘助は晴奈の許しを得てまんまとこの桜祭りに紛れ込んでいる。


 随行してきたのは夕希のみである。

二人は山伏やまぶしと呼ばれる修行者の身なりで変装し、互いに「道鬼どうき」、「伝助でんすけ」と偽名で呼び合っている。


 余談ではあるが勘助は当初、夕希の事を豪傑風の名前にしようと一晩考え、過去の偉人の名である「弁慶」にしようとした。が、本人から「可愛くない」という勘助には分かりづらい理由により全力で拒否され、現状に至っている。


 桜祭り開催には、もう一つ理由がある。

というのも、宮原の戦いで敗戦し、武郷軍の執拗な追撃にあった頼継は、恐ろしさのあまり馬上で脱糞してしまった。

それを見た城下の子供達は、その事を笑いの種として存分に楽しんだ。


 子供にはありがちな事である。

例えば学校などで教師が何か間違えた事を言ってしまえば、幼い子供達は何が楽しいのか、鬼の首を取ったかのような騒ぎで喜びはしゃぐだろう。

これはそう言った類の、ほのぼのとした話で終わるはずであった。


しかし。


 低遠軍が抱える愚者達がこの話を聞いて真っ先に思い浮かんだ事といえば、「利用できる」という極めて無粋かつ下劣なものであった。

宮原の戦役において散々な結果を残した将校達は、頼継にしつこくなじられ、とにかくなんでもいいから名誉挽回の機会が欲しかった。

そこに主人を馬鹿にする輩がいると噂に聞いたので、彼らは電灯に群がる虫の如く飛びついた。


 将校達は町に繰り出ると、頼継の事を「糞垂れ君主」と罵った子供の家を突き止め、問答無用で押し入り、子供とその親、さらには老人に至るまでことごとく皆殺しにし、その首を頼継に持っていった。


 彼らは口を揃えて「頼継様を侮辱した不届き者ゆえ、どうにも我慢ならず首を打ち捨てました」と、小姓を通して頼継に報告した。


 彼らは民衆の首をもって自らの忠誠心を示そうとしたのである。

将校たちの中には、宮原にて黒木昌景くろき まさかげに赤子の手をひねるように容易にねじ伏せられた有賀 東美あるが とうみの姿もあった。

これに不快感を表したのは、先の戦で本陣にあり参謀を務めた春日正樹かすが まさきともう一人。前線にあって武郷軍の歴戦の勇将、泉虎定いずみ とらさだと一進一退を繰り広げた浅田 信守あさだ のぶもりという若い将である。

頼継が姿を現わすまでの間、二人と将校達は罵り合った。


「諸君らは武士としての誇りはないのかッ!無抵抗の家に押し入り惨殺など、一体なんの正当性があると言うのかッ!」


と、春日が怒鳴りあげれば、彼らはこう返す。


「春日殿ともあろうお方が、異な事を。奴らは我らが殿を侮辱したのですぞ?それとも何か、それを見て見ぬ振りをするのが春日殿のおっしゃる武士の誇りで?」


「子供の申す事ではないか!むごい事を!」


春日は唇を噛み破らん限りに噛み締めた。

それを嘲笑うかのように愚者達は話を続けた。


「確かに。春日殿のおっしゃられる通り、子供の戯れ言と思えれば気が楽でしょう。しかし、我らの忠誠心はそれを許さなかったのです」


浅田は細い目を更に細め、愚者達に軽蔑の視線を送りつつ口を開いた。


「彼らは頼継様を嫌って馬鹿にしたのではありません。頼継様を慕っているからこそ、そのような軽口を言ったのです」


 これを受けて愚者達はムッとしたような顔をした。

浅田信守は元白樺家臣である。信守がまだ十歳にも満たなかった頃、白樺頼重は彼女の父が支配する浅田領に攻め入り、幼い信守を生け捕ると、主従関係を誓わせた。白樺家が武郷晴奈に滅ぼされた後は、彼女は武郷には与せず、低遠領へと逃げ込み、現状に至っている。

要するに浅田は、外様なのである。

愚者を代表して有賀が浅田に問う。


「浅田殿は、悪意がなければ何をやっても構わないとおっしゃるのか?屋敷に入った泥棒が、幼い子供の為だと言えば許してやるのか?」


「限度があるでしょうに!一族皆殺しの上、それを手柄のように誇るのは、あまりに外道です!」


顔を怒らせる浅田に、将校達は鼻で笑った。


「はっ。外様が。偉そうに」


と、誰かが言ったのを浅田は聞いている。

有賀は二人をキッと睨みつけると、声を低めて言った。


「いいですかお二方。我らは頼継様を侮辱した者を懲らしめるため行動したのです。それを否定なさるということは、お二方も頼継様の侮辱に加担したのと同じ。と、捉えられても致し方なきことですぞ?」


遂には脅しを始めた将校達に、春日は驚きを隠せなかった。


「馬鹿なことを言うな!私は頼継様の為を思って諸君らの浅はかな行動を責めておるのだ!諸君らは現状をしっかりと理解しておいでか?先の敗戦で溜まった民達の不満が、此度の事件で爆発するぞ!」


「敗けたのは春日殿の采配が悪かったからではありませんか?偉そうにあれこれ進言し、結果はあの様。よくもまあ、恥ずかしげもなく」


「な、なに!」


「そちらにおられる浅田殿も、本陣からの前進命令に了解了解と言うばかりで、全く前進しなかったではありませんか」


「有賀殿が言われるほど簡単に、敵を倒して前進するなどと、それが出来れば苦労はありません!」


「おや?では浅田殿は、出来もしない事を了解と言っておったと?」


「前進命令が来るたびに全力で攻撃を仕掛けたのは、あなた達だって分かっているでしょう!初めから守ると決めている相手を打ち破るなど、誰がやっても至難の業なのです!」


「はははは!言い訳ばかりはお上手ですなぁ。いやいや、立派な才能で。まあ、いずれにせよ、お二方がいくら頼継様の為だと言ったところで、それは口だけの事。口だけならばなんとでも言える。実際に行動に移した我らこそ、真の忠義ではございませんか。なぁ、各々方?」


将校達は口々に、「いかにも、いかにも」と笑った。


そこに頼継がドタドタと足音をうるさく響かせ、姿を見せると、一同頭を下げた。


頼継は開口一番、こう言った。


「ようやった!よう不届き者を誅した!」


目が回るように驚いた浅田に対し、春日は至って冷静であった。


(このお方は、こういうお方だ)


というのが分かっていた。


頼継は続ける。


「この根拠もない噂を垂れ流した不届き者を、見せしめに致せ」


獄門に処せ。と、頼継は命じている。

春日は内心、頼継に皮肉を飛ばしている。


(なにが根拠もない噂だ。垂れ流されたのは噂ではなく、お前の糞だろうに)


 頼継を止められるのは、実質的に彼の弟であった蓮峰軒れんぽうけんのみであった。

春日たち数少ない有能者たちは、頼継ではなく蓮峰軒に働きかけ、間接的に頼継を操ってきた。

しかしその蓮峰軒も、今はいない。


 結果としてこの蛮行は春日の言った通り、多くの遺恨を残した。

各地で武士と百姓の対立が発生し、まさに一触即発の状態に陥っている。


 そうして開催されたのが、桜祭りであった。

無論、建物内は入ることが禁止されているが、桜が咲き乱れる城内にまで身分問わずに招き入れ、なんとか民衆の不満を和らげようというのがこの祭事の目的であった。



 話は、桜祭りに戻る。

勘助こと道鬼は、露店で買ったイナゴの佃煮を食べている。


「うむ。なるほど。ふむふむ。これならば、田で害虫駆除も兼ねて大量に採れるし、味もなかなか」


その隣では夕希こと伝助が、気の重そうな顔で座っている。


「よく食べられるね・・・・・・」


「おお、伝助。お前も食べるか?意外といけるぞ!」


夕希はジトっとした目つきで勘助を見た。


「やだよ、気持ち悪い」


「うん?」


勘助は首を傾げた後、声を上げて笑った。


「はっはっは!伝助。おぬし、存外と我儘わがままだな!」


「はあ?」


「いいか?食い物に上も下もない。あるのは好き嫌いだけだ。つまり、食わずに嫌うは我儘の証拠よ」


「だって虫じゃん!食わねーよ!そんなもん!」


「虫などと言うから気味が悪くなるのだ。お前が好きな肉とて、言い方を変えればけものの死骸ではないか」


「・・・・・・あー、桜綺麗だなぁ」


夕希は桜を楽しみ、勘助は食事を楽しんだ。


 この日、勘助は内通者との密会を果たしている。



 一週間にも及ぶ桜祭りも閉幕し、やることも終えた勘助と夕希は、峡間はざまへの帰りを急いでいる。


「しかし、あの桜祭りという祭事は、存外と良いものかもしれぬ」


勘助が漏らした言葉に、夕希がニコニコとしながら頷いた。


「うん!楽しかった!久々に勘助と遊べた感じ!」


「これっ、峡間に帰るまでは道鬼と呼ばんか」


「はいはい」


「まあ、あれだけの人間が入り乱れていたのだ。心配はいらぬか」


 勘助は幾度も追手が付いてきていないか確認している。夕希も一々と付き合わされ飽き飽きとしていたのだろう。

しかし、軍師を志す勘助にとっては、「まさか」という事態は許されない。


「あの桜祭りというのは、民衆にとって嫌なものを想起させる城という場所を、ともすれば憩いの場、ひいては守るべき場所という風に変えられるかもしれぬ」


「・・・・・・なんか、勘助っぽいね。でもさ、あんなに沢山の人が集まってたけど、低遠頼継ってみんなに好かれてるのかな。だとすると、手強いんじゃない?」


勘助は笑った。


「な、なんかおかしいこと言った!?」


「いやいや。しかし伝助よ。古来より祭事に人が集まるのは当たり前の事だ。なにもあの桜祭りに限ったことではない。利があるから集まるのだ。恩を感じて集まっているわけではない。人とはそういうものだ」


「利・・・・・・」


夕希は勘助の「利」という言葉を反復し、続けた。


「そっかぁ。利ね。なんか、寂しいね」


夕希はほんの少し、寂しそうに笑った。


「しかし、」


夕希は勘助の方を見た。


「世の中には、ちょっとした事に恩を感じる物好きもおる。いざという時に頼りになるのは、そういった者達だ。安心せい、お前は物好きの類だ!」


勘助は再び、声を上げて笑った。

夕希は内心、「最近の勘助はよく笑うようになった。あの姫様が峡間に来てからだ」と思い、複雑な気持ちに陥った。


 勘助は極めて冷静に時世を見ている。その上で、今が攻め時だと晴奈に進言している。

現状、峡間とて出兵をしたばかりで余裕がない。民力を回復させ、参陣した家来に休息をあたえ、十分に休め終わってから出陣をするのがベストだろう。

しかし低遠はそれ以上にもろい。武郷の回復を待てば、同様に低遠も回復してしまうだろう。

宮原の戦いで与えた一撃は致命傷であり、低遠はその後、自らの政策で自分の首を絞め、あと首の皮一枚という所まで来ている。今であれば必要最低限で低遠頼継の息の根を止められる、と勘助は確信を持っていた。


 勘助が峡間に帰還次第、武郷晴奈は低遠領への出陣を下知を下した。

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