第三話 (14) 笠原城の戦い 二日目

 笠原城での緒戦が終わった。

 志賀家家老、清水村しずむら左近丞さこんのじょうは西曲輪での味方の損害を調べていた。

 死体は味方が圧倒的に多い。それらは皆、外曲輪の味方を助けよとの左近丞の命令で曲輪の出入り口に殺到し、敵の槍衾やりぶすまの餌食になった。


(この戦さ、どうなる)


 左近丞はあごに手をやり低くうなった。まるで勝てる気がしないのである。水の手が取られた。もはや城の余命は宣告されたのである。


(これからのありようを考えなければなるまい)


 戦さに決したとき、左近丞は何も言わなかった。元からこの地域の者たちは、上の言うことに黙って従う気質がある。そのため全ての決断は、昔から一人の人間が考えていた。この場合は城主である志賀清繁しが きよしげ。彼女が戦うとひとこと言えば、左近丞はそれに従うのみである。そして殊勝なことにこの男は、城主の決定に従うために、自分に「勝てる」と思い込ませてきた。

 思い込みの根拠は、


援軍がある、というのが第一。地理に明るい、というのが第二。人の和がこちらにある、というのが第三。


 しかし思い込みの内、まず人の和が最初に消えた。どこからか立った噂により、城の兵士のうち約半数が一夜のうちに消えた。これにより、当初考えていた積極策が霧散した。まったく腹立たしいことながら、百姓どもにとって幼馴染のかのあるじは、そこまでの人間ではないらしかった。


 そしてその次に、地の利が消えた。左近丞が考えていた水攻めは逆手をとられるし、挙句の果てには水の手まで易々と取られてしまった。城の造りもよく調べてあるらしく、左近丞自身、西曲輪の出入り口を敵に封鎖され、外曲輪の味方を助けられなかった。城のかなめである西曲輪の機能はまったく果たされることなく、ただただお荷物という有様であった。


 残すは、援軍だけである。左近丞にしてみれば、他人の助けを当てにするなど、男のすることではない。が、そもそも籠城戦とはそういうものではある。それまで味方の士気を保ち続けることが、この城の将たちの務めであった。そのためには、まずは将の士気を挙げることが第一である。


(姫は、どうするだろう)


 不安な気持ちと清繁に対する期待とが、左近丞の胸を高鳴らせた。

いや、後者の方が大きいだろう。


 なぜならこの男、主君に惚れている。


 むろん、何かしようなどとは考えていないが。

そんな思案顔の左近丞のもとに、本曲輪から使番が来た。


「すぐに本曲輪にお出でなさいますように」


と、言う。


(ほら来た。さすがは姫だ。今やることをわかっている)


 思わず破顔はがんしそうになるのを堪えながら、左近丞は「すぐに行く」と応えた。


 左近丞は損害の確認を家来に任せると、すぐさま西曲輪を出た。外曲輪を見れば、土塁には血痕が生々しく残り、矢が無数に突き立っている。曲輪の入口あたりに差し掛かり、堀を見れば、馬場隊兵士の死体が積みあがっているのが見えた。この外曲輪が、緒戦において最も激しい戦闘が繰り広げられた場所である。


 外曲輪に入ると、すぐに一人の筋肉質な男が近づいてきた。


「左近丞殿。本曲輪に参られるのでしょう?一緒に行きましょう」


 筋肉質の男は、この曲輪の守将である矢田左近進やだ さこんのしんである。その太い眉毛は、いつもの様子と違い不安そうに垂れている。


「ええ。共に」


 左近丞は微笑を浮かべて頷いた。どちらも巨体である。肩幅が広く、上背もあり、凄みがある。歳は、家老の左近丞の方が若く、矢田はその倍ほども年齢が上である。どちらも顔が良い。名前も似ており、そのため周りからは、清水村左近丞の年を取った姿が、矢田左近進だと言われていた。もっとも、地位は家老の清水村の方が高い。


「左近丞殿。此度の責は、我ら二人にあります」


 隣の矢田左近進が、唐突に切り出した。


「ええ」


「この呼び出しは、やはり腹を切れ、ということではないだろうか。なにせこの大失態・・・・・・」


「まさか」


 左近丞は思わず噴き出した。矢田が若い左近丞を和ませようと冗談を言っているとでも思ったが、よくよく顔を見れば、怪訝そうにこちらを覗き込んでいる。


「笑い事ではないですぞ。わしはこれでも勇名でせておる。腹を切って死ぬなど、嫌じゃ」


 今度は左近丞の方がまじまじとその顔を覗き込んだ。


(誰が勇名で馳せているって?)


 矢田はまだ忍び込んできた勘助のおべっかを信じているらしい。むろんそのことを左近丞は知らない。そのため、こんな田舎の喧嘩自慢程度の男が、自分に酔いしれているのが不思議でならなかった。と同時に、こんな男ぐらいの将しか頼りがいないこの城とその城主である清繁を、今更ながら不憫に思えてきた。


「その点はご安心ください。少なくとも、今すぐにどうこうは考えられません」


「なぜだ。清繁様はあの通り、短気なお方だ」


 見た目の割に小心な奴、と左近丞はため息を吐きたい気分であった。


「まあ、殴られる程度の暴行は受けましょうが・・・・・・それは仕方ないでしょう。矢田殿、我らが戦さのまっ最中で腹を切っては、誰がこの城の指揮をとるのです?第一、腹は自主的に切らねば意味はありますまい。他人の命令で切るものではない」


「うむ・・・・・・。それもそうか」


「腹を切るのは、この戦さで生き延びたときです。そしてそれは・・・・・・」


 まずありえない。と、自然に言いそうになってしまった。もはやどうしようもない。頭でいくら「勝てる」と上書きしようと、左近丞の心は折れてしまっていた。そのことに、気付いてしまった。


「・・・・・・」


 矢田は急に黙り込んでしまった左近丞を不審に思い、その顔を覗き込む。


「左近丞殿?」


「・・・・・・まあ、失態は戦場にて返すしかありますまい」


 左近丞の言葉に、矢田という男はまことに満足したらしい。さっきまでとは打って変わり、上機嫌に大声をわめかして、数少ない緒戦での戦果を語りだした。

それを聞き流しながら、左近丞は思う。


(だからか。どうせ死ぬから、姫の顔がこんなにも見たいのか)


 左近丞は歩く足を速めた。


 本曲輪の城に入った左近丞と矢田の二人は、すぐさま広間へと向かう。最も本曲輪から遠い西曲輪から歩いて来たのである。既に大方の家臣は集まっていた。


 二人が姿を見せると、すぐさま清繁の怒声が響き渡った。


「遅い!まさか老人の散歩のようにのろのろと歩いていたんじゃないだろうね!」


「いえいえ。走ってきましたよ。姫、ほらこの通り」


 そういって左近丞は、額を指した。先程まで戦場で動き回っていた為、汗でぬれている。


「・・・・・・むう。なら、座って」


「はっ」


 左近丞は上座に座る清繁の最も近い位置に腰を下ろした。矢田もそれに近い場所に座る。


「さて、それじゃあ軍議を始める」


 清繁が宣言した。場は、緊張感が走った。


「まずは、矢田左近進。所見を」


 矢田は口下手ながら、ともかくも敵が強い、ということを強調した。もはやこの男は降伏に心が傾いているらしい。

 他の諸将の気持ちも彼と同様であった。水の手を断たれ、だれしも意気消沈している。


 しかし、清繁だけは違った。


「なるほど。敵は想像していた以上に強い。だからこそ、倒しがいがある」


 皆、驚いて清繁を見た。

まだ戦うつもりか。という空気が満ちている。


 清繁の信望者である左近丞は、こうなれば清繁の味方をするのみであった。惚れた弱みである。左近丞にとってもはや、どうするか、という思案はない。死ぬまで付き添うだけである。


「皆々方。この軍議は、和戦どうするかというような議題ではない。戦さに勝つ。そのための知恵出しの場です。武郷は我らの降伏など受け入れはしない。それは先の外山城の一件でも知れたこと」


「だが左近丞殿、」


と、矢田が言った所で、左近丞はそれとなく、腹を切るような真似をした。


「!」


 矢田は黙り込んでしまった。ここで降伏が決せば、敗戦の責でこの場で切腹を命じられるのは、この二人である。清繁は二人の失態に特に何も言わなかったが、許されたわけではない。


(勘違いするな)


と、左近丞は視線に込めた。そのあまりに鋭い視線に、さしもの矢田も察したらしい。


「ぶ、武士が一度戦うと宣言したのだ。それをたかだか一日で変えるなど、恥ずかしうてわしは出来ん」


弱々しげに言う矢田に、清繁が


「よく言った!」


と笑顔を向けた。


「降伏という選択肢はない。勝つか斬り死にするか、この二択のみ。いまだに覚悟決まらぬ者があれば、この場で斬る」


 この清繁の宣言に、家臣どもは覚悟を決めざるを得なかった。もはや逃げ道はない。


「なに、援軍は来ている。それまで気張るだけだよ」


と、清繁がなんでもないように言った。



 軍議は終わり、各々持ち場に戻って行く中、左近丞だけは残った。


「どした?」


 清繁が笑いかけた。左近丞は目を合わせられず、床の一点を見つめたまま、口を開いた。


「姫。なぜ降伏をしないのです?開戦前にも何通もの書状が来ているのでしょう?」


「ああ。所領は安堵するってやつね」


 清繁は胡坐あぐらを組んだ足を崩し、前に投げ出した。それが左近丞の視界に映り、左近丞は慌てて視線をずらした。足指が、うねうねと動いている。


「なるほど、領土領民を守るため、降伏も仕方ないっていうこともあるかもね。村島様に対しての恩義も、そんなに感じちゃいないし」


 彼女の主である村島義清むらしま よしきよは、笠原城のために一万という数字の援軍を割いてくれた。しかもそれ以前には、宝田憲頼たからだ のりより父子に弓の名人を百人つけ、城に送っている。しかしながら、彼女に言わせればそんな事は当たり前のことでしかなかった。清繁の哲学では、「自分が同じ立場に立った時にも同じことをするだろう場合には、恩義を感じる必要はない」というややいびつなものであった。このため家中でも彼女をよく思わない者も多いが、しかし今回に限れば性分のみでなく、彼女にも言い分がある。


(おおかた、城に入ってきたあの連中は私たちの監視だろう。私たちが裏切れば、他の連中も釣られて裏切るかもしれない。それに、あの援軍。そもそもあの援軍は村島様が自分の為にやっているんだ。私たちを見捨てれば、城を任されてる他の家臣共も村島様に愛想を尽かす。それが理由。そう、そんなもんだよ。おまけで恩義を感じてやるのはしゃくだ)


 清繁は、つまらなそうに鼻で笑った。

左近丞は、


「ならば、なぜ。降伏した方が良いではありませんか」


と至極真っ当な問いを発した。

これに対する清繁の答えもまた、至極単純であった。


「やだからだよ」


「は?」


「武郷家に降るのは、私はやだね。あいつらは、鬼だよ」


「鬼?」


 そこまでか、と左近丞は思う。確かに、外山城の力攻めは凄惨せいさんを極めた。が、他の国の合戦と比べれば、そこまで異常性のあるものではなく、もっと言えば、どこにでもあるような一般的なものであった。ただ、外山城以前の調略策を駆使していた武郷晴奈たけごう はるなと比べた場合において、残酷なだけであった。


 左近丞の考えを見透かしたのか、清繁は首を振った。


「他でもやっているからって、それが鬼じゃない理由にはならない。鬼だらけだよ。この世は」


 清繁は、自嘲気味に笑った。


「私も含めてね」


そう考えれば、と清繁は続ける。


「鬼が鬼にくだるだけの話だよ。でも、私は嫌だ」


 清繁は、学があるような女ではない。ただその直感を信じる型の女である。

その直感が、嫌だ、と言っているのである。ただそう感じるというだけで、清繁は全てを犠牲にして戦さを選んだ。そしてこの直感は、のちに正しいことが証明される。



 この夜。二人は、久しぶりに友として語り合った。

互いに遠慮はなく、「こん」、「きよ」と子供の時のあだ名で呼び合った。すでに「こん」こと左近丞も、「きよ」こと清繁と、目を合わせて話せるほど、打ち解けている。


「こん。今考えると、可愛い名だよね。左近丞の真ん中をとって、こん。しかもこれ、こんが考えたんだよね」


「そうでしたか。しかしきよは、あの頃と変わらない。昔から短気で、すぐに怒った。俺の背がきよを抜いたときには、泣きながらしこたま殴られたのを、今でも覚えてますよ」


「へっ。子供の時は、私の方が背が高かったのに、今はこんなにデカくなっちゃって。見る影もない。子供の頃は、背の高さが一種の階級みたいなもんだったからな、そりゃ腹も立つ。殴れば縮むんじゃないかと期待したんだよ」


 左近丞は苦笑いをしつつ、後頭部を撫でた。


「しかし、こんは昔から泣かない男だったね」


「きよは怒るくせによく泣いた。きっと感情豊かなんでしょうね」


 清繁は左近丞の顔を愛おしそうに眺め、笑った。笑えば、真顔の時の不細工面が、見違えるように左近丞には思えた。

 左近丞が慌てて目を逸らすと、途端に不機嫌そうになり、


「でも」


と言って、意地悪く口の端を吊り上げた。


「一度だけ、泣いたことがあったな」


 左近丞は驚き、急いで頭を下げた。


「そ、そのことは」


 清繁はますます凶悪な笑顔になる。


「あれは、私があの人との祝言を挙げることが決まった日だった」


 左近丞は泣きたいほど恥ずかしくなり、汗で顔を濡らし、真っ赤になった。


「なんであの時、あんなに泣いたんだよ?」


 意地の悪い質問である。


「それは、」


「私のこと、好いていたのか」


 なんと答えるべきか、左近丞は悩んだ。頭を下げている自分の顔を覗き込もうとしている清繁の気配を感じる。どんな表情で見ているのかと顔を少し上げてみれば、そこには至って真面目そうな顔の清繁がいた。

いつもの眠そうな眼が、この時ばかりはよく開いている。


「どうなんだ」


 左近丞は、ゆっくりと上体を起こした。

そして、


「まさか。癇癪かんしゃく持ちの俺の友と、婚儀を結ぶことになったあのお方が、不憫に思えただけですよ」


と言って笑った。



 すると、二人の声を聞きつけてか、清繁の娘・駒姫こまひめが何事かと様子を見に現れた。


「母上と左近丞?軍議は既に終わったのでは?」


 姿を見せた駒姫は、母親の醜女しこめ具合とは似ても似つかぬ美少女であった。

目は大きく、鼻も高い。口はぷっくらと膨らみ、笑えば歯並びの良い歯が覗いて見て取れる。体つきはまだ幼さが残るものの、更に時が経てば立派なものになるだろう。


 左近丞は思わず見惚れた。


(太陽のようだ。この世の闇を全て燃やし尽かさんばかりに輝いている)


 とても目の前にいる幼馴染の血が入っているとは思えない。もし仮に清繁が男であったならば、この少女の真の父親は誰かと疑う事になるだろう。が、左近丞にとってはまことに残念なことに、清繁は女であり、駒姫はまさしく彼女が腹を痛めて生んだ娘であった。


 清繁はにっこりと笑うと娘を手招きした。


「終わったよ。今は左近丞と・・・・・・男と女として語り合っているんだ。さあ、おいで」


 駒姫はもちろん、左近丞も心臓が飛び跳ねた。


(なんてことを言うんだ)


 左近丞がちらと駒姫を見れば、明らかに困惑した様子である。


「え、あの。え?」


 口元を手で隠し、母と左近丞とを交互に見ている。

左近丞は清繁を一睨みすると、駒姫に話しかけた。


「駒姫さま。清繁さまの冗談ですよ。俺と清繁さまの間には、なんの感情も存在してはいませんよ」


 左近丞は乾いた笑い声を発した。


「それはそれで問題があると思うんだけれど・・・・・・」


 駒姫も清繁も、左近丞にじめっとした視線を送っている。

焦った左近丞は、


「む、場が白けてしまいましたな。では、一つ芸をご覧にいれましょう」


と無理矢理に話を逸らした。


「駒姫さま。いつも遊んでおられるお手玉はおありか」


「え、あるけど・・・・・・」


 駒姫は、おずおずと三つのお手玉をとりだし、左近丞の手の平に乗せた。駒姫の三倍はありそうな巨大な手である。左近丞はそれを片手でいくらか揉むと、ひょいっと宙に投げた。


「それ!」


 すぐさま刀を抜き放ち、それを団子のように串刺した。

拍手も歓声もない無音のなか、小豆あずきが床に散らばる音だけが、むなしく響いた。


「どうです!?これをやると、皆喜んでくれるのですよ。まあ、普段は刀を投げて落ちてくる刀身を鞘に入れるのですが・・・・・・」


 左近丞が笑顔で二人を見るが、当の二人はなんとも渋い顔である。


「左近丞。小豆、お前が片付けなよ」


と、清繁。


「それ、私のお手玉なんだけど・・・・・・」


と、駒姫。


 左近丞は困ってしまった。男と女は感性が違うというが、それをまざまざと見せつけられた気分である。

左近丞は軽く咳払いすると、


「続きましては・・・・・・」


と続けようとした。ついに清繁は左近丞の頬を拳で殴り、ともかくも小豆を片付けさせた。


 その後、三人は他愛もない雑談に興じた。この時、すでに左近丞と清繁は、気の知れた幼馴染としてではなく、あくまでも主君と家老であった。

 

 やがて、丑刻午前一時にもなろうかという時間になった。

駒姫は胡坐の左近丞の膝に頭を載せ、横向きになって寝ている。

すうすうと寝息が聞こえるなか、左近丞の大きな手が、その頭を優しく撫でた。


「随分と懐いてるね。まあ、私の娘だし、それもそうか」


 同じく胡坐を組み、膝の上に肘を立て、顎を手の平で支えた状態の清繁が、その様子を眺めている。


「光栄なことです」


 寝ている駒姫を起こすまいと、静かに言った。

清繁が、ふっと笑った。


「まるで父と娘だね」


 左近丞は清繁の言葉に嬉しくなってしまいそうな自分に嫌気がさしつつも、平静を装い、


「姫」


「うん?」


「俺は、もしもの時には、姫ではなく、こっちの小さい姫さまを守りたいと思います」


駒姫の寝顔を眺めながら、そう宣言した。

清繁は少し驚いたように目を見開いた。


「いいのか?」


とは、聞かない。

代わりに、


「任せたよ」


と言って、微笑した。



 夜が明け、笠原城の攻防二日目が始まった。

勘助は調子に乗った、と言わざるを得ない。水の手を取った今、このまま包囲していればいいものを、もう一手、打撃を加えようとした。


「敵は早々に水の手を取られ、士気が落ちているはずである。ここでもう一度痛撃を与えれば、城方の降伏はまず間違いなくなる」


というようなことを、朝の軍議で主張した。

その才能を鼻にかけ、やや自信過剰、敵の過小評価がこの男の欠点と言っても良い。


 勘助にとっての予想外は、敵が果敢にも打って出てきたことであった。それも凄まじい勢いである。


「これはどうしたことだ」


中軍にいた勘助は、先手の諫早隊の苦戦を見て、思わず漏らした。


 城方の士気は、左近丞によるものである。左近丞は、昨夜、清繁と雑談を交わす中、それとなく自らの考えを述べた。曰く、水の手を取られたことを無理に隠そうとせず、一兵卒に至るまでに広める。そうすれば、皆死に物狂いで戦うだろう、と。

 結果、兵たちは清繁に対する信頼を深めた。自分たちの大将は、何もかも正直に話してくれると人である、という思いが生まれた。根が人を疑う事が嫌いな連中である。彼らは、正直者を特に好んだ。加えて、城の現状を鑑み、敵を追い払ってふもとの川から水を汲み上げることが第一であると、皆、理解した。


 城方の指揮官は、

清水村左近丞。兵七十五人。

矢田左近進。兵六十人。


 対する寄せ手は、

先手さきて 諫早助五郎いさはや すけごろう。兵三十五人。

   坂西左衛門さかにし さえもん。兵四十人。


中軍 山森勘助。兵六十人。


 山森隊先手の両指揮官は、麓から大手門までの山中で、敵とぶつかった。左翼を諫早。右翼を坂西である。木々が生い茂る山道で、上から飛ぶように駆け下りてくる敵兵は、年齢性別関係なく、皆、眼が血走っていた。


「水を寄越せ!」


と叫び、斬り殺した相手の首も取ろうともしないで、一目散に山を降ろうと突き進む。

山森隊はこの必死の敵に、怖気づいてしまった。

山中で遊撃戦を展開する敵に対抗し、山森隊の先手もばらばらになって戦っている。

かろうじて統制が取れているのは、道が整った大手門までの登り坂のみで、ここは諫早自身が指揮していた。対する敵将は、清水村左近丞である。左近丞は緒戦の失敗を取り返そうと、必死であった。


「まだ撃つなぁ!」


 諫早の声がとどろく。

諫早隊の前方には、盾を構えた敵兵が、じりじりと迫ってくる。


「良し!放てぇ!」


 諫早の下知で、盾から顔を出した鉄砲隊が一斉に火を放った。

弾は、いくつかは坂に突き刺さり土煙を立てたが、何発かは木でできた盾を貫き、敵兵を殺した。


 しかしすぐさま、


「放て!」


と叫ぶ左近丞の声が響き、弓隊が顔を出した。この田舎城には鉄砲など数えるほどしか配備されていない。防衛力は弓矢から何段階かは下がるだろう。が、この弓兵はただの弓兵ではない。皆、名の知れた名手である。


 矢は、まっすぐに顔を出していた鉄砲隊へと向かい、額、頬、眼などを貫いた。

諫早は焦らず、


ひるむな!弓隊、鉄砲隊と入れ替われ!」


と下知し、一歩も引かない。

坂の上下では、弓での撃ち合い続いた。「放て」の怒号と、弓矢の突き刺さる地味な音のみの、地味な戦いである。


 その様子を中軍で眺めていた勘助は、さいを叩きつけた。


花里はなざと!花里はいるか!」


と、叫ぶと、慌てて小太りの男が現れた。家来の花里という者で、古参の者ながら、あまり勘助に重宝ちょうほうされていない。


「ここに」


「おう。諫早は目の前の敵にばかり集中し、左手にある山中の戦況に気が向いておらん。花里。お前は足軽十五人を連れ、諫早隊の左に展開せよ」


 いうだけ言うと、勘助は苛々いらいらと采を手の平に叩きつける。


「し、しかし殿」


と、花里が情けない顔で言った。


「なんだ」


「鉄砲隊を連れていっては駄目ですか?」


「鉄砲隊?」


 勘助は花里の脂肪で膨らんだ顔を睨んだ。


「馬鹿を言うな!」


「しかし、敵には弓の名人がいるんでしょう?飛び道具がなきゃ、無駄死にですよ」


 勘助は思わず笑ってしまった。


「お前さんは山の中で鉄砲を使いたいのか?あんなに遮蔽物しゃへいぶつが多い中で?接近されて鉄砲を奪われるのが目に見えておるわ」


「で、では、せめて弓隊を」


と、花里はなおも食い下がった。

勘助はこの男の愚鈍さに心底呆れ果てた。この戦さが終われば、すぐさま解雇することを心に決めた。


「お前が先程申したではないか。敵は弓の名人なのだ。百姓に弓を持たせただけのうちのような弓隊では、それこそ無駄死にだとは思わんか」


「わ、わかりました」


「良し。花里。白兵戦ならお前は誰にも負けぬだろう。いまこそ、その力を見せる時」


 花里はおだてられて気分が良くなったらしく、勇んで進んでいった。

この花里率いる足軽隊は、諫早隊左翼で側面奇襲を狙う敵と遭遇し、壮絶な白兵戦を繰り広げ、諫早助五郎の命を救った。



 勘助はなおも苦虫を噛み潰したような表情で、戦局を見ている。

その隣に、臨時で副将に任じられた大仏心おさらぎ こころが馬を近づけた。


「そうするもんじゃないよ?」


 勘助は横目で大仏おさらぎを見た。相も変わらず白頭巾に長刀なぎなたを持った僧兵姿である。猫背気味の勘助と比べると、ひどく姿勢が良い。容姿は比べるべくもなく、真っ黒の鎧に身を包む勘助とは、なにもかもが対比に見えた。


「ふん」


 勘助は不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「彼は彼なり、自分で考えた。それはとても立派なことだと思うなぁ」


 勘助は、そうつぶやく大仏をギロリと睨んだ。


「お前は甘い。人を褒めるのは、その人間が結果を残した時だけで十分だ。努力した、考えたなどは、どんなに精一杯やったとしても、褒めるべきではない。駄目になるだけだ」


 結果に執着する者のみが、大事を為せる。と、勘助は思っている。


「まあ、君がそういうなら、否定はしないよ」


 勘助は再び鼻を鳴らすと、やがてポツリとつぶやいた。


「やはり夕希ゆうきがいないのは、ちと苦しいな」


 山森隊の副将で、勘助が最も実戦において頼りにしている井藤夕希いとう ゆうきは、可愛がっていた従妹いとこの小林姉妹を一日のうちに失い、心労に伏せてしまった。山森隊はこれにより、大幅に戦力が低下している。夕希の代わりとして先手を行く諫早助五郎は、戦闘に関しては良くも悪くも平凡で、今のように敵に勢いが乗っている時にはもろい。となりで副将代理を務めている大仏心は、勘助の相談役とも言うべき存在で、一騎の武力ならば夕希にも引けを取らないが、隊を動かすことが嫌いで、なんとも使い勝手が悪い。


「あの精神面の弱さを克服できれば、紛うことなき名将になれるだろうに」


 勘助は舌打ちすらしたい気分であった。

大仏は何が面白いのか、くつくつと笑い、


「そうかい?そここそが彼女の美点だと思うけどなぁ。ボクは」


と言って、勘助を見やった。

まるで、「君は違うのかい?」とでも言いたげな表情である。

勘助はそれを無視した。勘助も「その通りだ」と思ったからである。


 勘助は、先手の諫早いさはや隊が崩れるのを見た。

弓矢による狙撃戦を繰り広げていた両者であったが、やがて槍隊による殴り合いが始まった。が、いかんせん坂の上にいる清水村左近丞隊の方が有利であり、じりじりと押され、やがては崩れた。

敵将左近丞さこんのじょうの声が、勘助のもとまで響く。


「それっ!敵は崩れた!水が飲みたければ麓まで駆け下れ!」


 続いて、敵兵の「おおおおお!」という声が響く。


大仏おさらぎよ。諫早を助けに行く気はないか?命の危機やもしれんぞ」


 勘助は、隣の僧兵を諫早の代わりに据えようと考えた。この副将代理は、人に命令を下すのがとにかく嫌いである。そのため、隊を率いない。が、それは好き嫌いの話で、出来る出来ないとは別の話である。事実、緒戦においては麓に流れる川のせきを争い、上手くやってのけている。

ところが大仏は、


「ないね。彼はこんな所で死ぬような奴じゃないよ」


と即答し、今回も動きそうになかった。


「そうかよ」


 勘助はうんざりしたように言うと、兵二十人を応援として諫早隊に向かわせた。

諫早はすぐさま立て直しを図り、すぐさま坂を転がってくる清水村隊と向かい合った。


「抜刀!」


 助五郎は叫ぶと、刀を振り上げて敵に向かって行った。敵も坂を猛烈な勢いで降ってきたため、隊伍が乱れている。応援の兵二十人と助五郎とは、真っ先に降りてきた足の速い敵兵と、入り乱れて斬り合いを始めた。崩れて逃げ回っていた諫早隊の兵士も、これを見て再び乱戦に加わった。


 勘助は馬上でその様子を眺めている。


「こうなれば兵数がものをいう。もう少し送るか」


 勘助は大仏の方を向いた。相談を求めているのである。


「いや、ここは彼に任せよう。これ以上中軍の兵を送れば、いざという時、君が危ない。人を助けることはいいことだけれど、自分をおろそかにしてはいけないよ」


まあ、君のやりたいようにするのが一番だけれどね。と、大仏は付け加える。


「わかった」


 勘助は素直に頷いた。普段は人の話など適当に聞き流す勘助だが、戦場においての勘助は、大仏の助言にいつも大人しく耳を傾けるのである。



 左翼の戦況にばかり集中していた勘助は、馬上で、右翼の戦場の方に体を伸びあがらせた。右翼は完全に山の中で戦っているため、勘助たち中軍からはよく見えない。率いる将は、坂西左衛門さかにし さえもんという男である。この男は、天海虎泰あまみ とらやすが勘助に強引に押し付けた男であった。早い話が、神経質で排他的な虎泰が、勘助のことを疑っての監視役である。

 といっても、天海隊は虎泰自身が武郷家の軍事担当ともいうべき立場であるため、家中は猛者もさぞろいであり、人の監視や調略などは苦手とする者たちばかりである。この坂西左衛門も例外ではない。虎泰に命じられた勘助の監視など、出来るはずもないような筋肉達磨である。勘助としては、戦場で使い潰すのみの存在であった。


「右翼はどうなっている」


 右翼の様子を逐一調べている者に聞くと、


「それが、なにぶんあちらこちらで戦闘が繰り広げられておりまして、全貌が掴めませぬ」


と、浮かない顔である。


「坂西はなんと言っている」


 勘助は、後方で指揮を採っているはずの、現場指揮官の意見を聞こうとした。


「それが、坂西殿は自ら先頭をきって戦っているらしく、その、行方ゆくえがしれませぬ」


 勘助は舌打ちをした。


(これだから天海家の者は)


 坂西左衛門も、天海家出身だけあって猛将に違いない。が、勘助の隊とは風紀が違う。自ら一兵卒のように突っ込み、碌に指揮もしないのである。天海家であれば、天海虎泰筆頭に重臣の命令だけを聞いていれば問題がなかった。が、山森家は違う。天海家のように一兵卒に至るまでよく訓練され、敵の首を求めて突き進むのとは違い、皆、指揮官の指揮を欲しているのである。天海家は武術の訓練は怠らないものの、指揮能力については個人の才能任せであった。勘助にしてみれば、坂西左衛門は指揮能力以前に責任感が足りていないように思われるのである。勘助は今まで、幾度もそれを注意してきた。しかし、何度言っても坂西には勘助の言っていることがわからなかった。もっとも、勘助を軽んじ、わかろうともしなかった、というのが現実かもしれないが。


大仏おさらぎ。少し見て来い」


「あいよ」


 今度は歯向かうことなく、大仏は右翼のほうへと向かった。



 馬を降りた大仏は、道などない山の中を、ひたすら駆けた。

大仏は背が高く、白頭巾も戦場では目立つ。こうしているだけで、坂西の方が気づくだろうと考えた。


「死ね!」


 敵が、木の陰から斬りかかってきた。

大仏はそれを半身を引いて避けると、首に長刀なぎなたの柄を巻き付けた。


「坂西左衛門はどこか、知っているかい?」


「ひ、ゆ、許してくれ」


 敵は恐怖におびえ、大仏の質問に答えられない。

大仏は長刀を外すと、代わりに自らの長い腕を首に巻き付けた。細いわりに、力がある。


「ボクは君に死ねと言われたけれど、ボクは君に死んで欲しいと思ったことなんてないよ。安心して」


 敵は、大仏の優しい声音を聞いて落ち着きを取り戻し始めた。


「坂西左衛門は、知っているかい」


もう一度、ゆっくりと問いかける。


「て、敵将だろう。それならば、矢田左近進様と一騎打ちをしている」


「一騎打ち?勝敗は?」


「さ、さあ。何度かやり合っているが、決着がつかんらしい」


「今は、どこに?」


「ここより更に上だ。敵味方も集まっているから、分かるはずだ」


 大仏は、敵兵を放した。


「ありがとう。君にもこの戦いに参加する理由があるんだろうけど、これからも生き続けたいのなら、去ったほうがいい。君の生涯だ、君が、考えるんだよ」


 それだけ言うと、山を登った。


 幾度か襲われながらも大仏は、すぐに坂西左衛門の居場所が分かった。

傾斜の激しい中、敵と味方が、輪になって突っ立ている。

輪の中心では、坂西左衛門と矢田左近進が、息を切らしながらにらみ合っている。


「でえい!」


 坂西が上段から斬りつける。左近進はそれをつばで受けると、押し返す。

足場が悪くよろける坂西に、左近進は右から力の限りに斬りつけた。これを坂西は防ごうとし、刀が折れた。左近進の放った斬撃の切っ先は、そのまま坂西の左目の下あたりを斬った。


 血が飛び散り、勝敗を見守る山森隊からは、「坂西殿!」と悲鳴が上がる。


 よろける坂西に、とどめとばかり刀を突く左近進。が、そこは坂西も戦さ慣れしている。突きをぎりぎりで右に避けると、すぐさま小柄こづかを抜き放ち、左近進の腕を斬った。が、傷は浅い。


 左近進は腕を抑えて、後退する。その隙に、坂西は近くの死体の手から刀をもぎ取った。


 再び二人はにらみ合い、黙って平行に移動していく。それにつられて、周りの兵たちもぞろぞろと移動する。

 こうした戦闘を、既に五回ほども繰り返していた。


 大仏は移動していく坂西と左近進を追うことなく、そのまま勘助のもとに戻った。

 報告を聞いた勘助は、呆れ果てて絶句した。


「個々の格闘など、なんの意味があるっ!矢田左近進一人を討ったとして、それが何になるっ!」


 勘助は激怒した。

 すると、勘助の怒号を聞いた右翼の戦況を調べていた家来の一人が、口をはさんだ。こちらも、ひどくいきどおった様子である。


「恐れながら。敵将の矢田左近進を討てれば、敵左翼は壊滅するではありませんか」


 勘助は家来を鋭く睨んだ。このときの勘助の瞳は、槍で突き付けるような凄みがあった。刃物のように光っている。


「知っていて黙っていたな!」


「一騎打ちは武士の華ではありませんか。それを山森様は、否定なさるから」


「勝てると絶対の自信があるならばいい!だが、坂西は事実、討てていない!これが何を意味しているか分かるか!」


家来は、黙りこくってしまった。


「分かるまいな!なるほどお前が言ったように、一騎打ちで敵将を討てれば、それだけで局面が動くことになる!しかしそれは負けても同じことだ!」


だが問題は、と勘助は続けた。


「坂西がそこまで考えて一騎打ちをしていないことだ!ただの格闘自慢で、おのれの楽しみのために、殺し合いに興じているに過ぎない!戦さで最も重大なところは、まったく別なところにある!」


 黙って聞いていた大仏が、勘助の肩に手を置き、首を左右に振った。


「勘助君」


と、目を見つめながら優しく名を呼んだ。


 途端、勘助の眼から光が失われていった。


「・・・・・・わかっている」


 考えが違うのである。わかり合うことはできず、勘助の怒声は、ただの攻撃でしかなかった。




 この日の戦闘は、山森隊の敗北と言ってよい。敵の勢い凄まじく、山森隊は後退を繰り返した。が、川から水を汲ませることだけは、防ぐことに成功した。これをもって勝利というにはいささか無理があるが、勘助はこれをもって味方の士気を保った。




 一方、浅間幸隆あさま ゆきたかが守る岩頭城いわがしらじょうは、この日も快勝である。

敵将の金井安治かない やすはるは、一万の軍勢を指揮できるほどの器ではなく、ともかくも武郷軍本隊が来る前に城を奪おうと、焦っていた。

幸隆は初日の戦いで、金井安治の将器を見極めた。笑みが、止まらない。


 進軍してくる敵兵は、焦った大将の心そのままに、一心不乱である。これほどぎょし易い敵もいないだろう。

幸隆は用兵の達人である。金井軍一万はその大軍ゆえに兵員の仮泊所が足りず、近くの雑木林をりひらいて仮小屋をたてさせ、そこに兵員を詰めさせていた。大将の金井安治とその幕僚たちは、近くの寺を宿として使っている。

 幸隆は、夜間の内に無人となった城下の村々に鉄砲隊を隠すと、自ら娘の信綱のぶつな昌輝まさてるを連れ立ち、物見(斥候)と称して馬で駆け回った。朝日が昇り、目を覚まし始めた金井軍の雑兵たちが、これを見た。幸隆、信綱、昌輝の三騎他、たったの十人ほどで、悠々と馬に揺られているではないか。


 この報告を聞いた金井安治は、激怒した。緒戦でも散々に弄ばれた相手である。


「おのれ!すぐさま首級くびをとって参れ!」


と命じるや、自身も具足すらつけずに寺を飛び出した。背後から、家臣たちが慌ててついてくる。


「殿!具足ぐらいつけなされ!兵たちになんと思われましょうや!」


が、金井安治は一万の軍勢の総大将としての重責と焦りで、我を失っていた。安治は、村島義清の陪臣ばいしんにあたる。しかしその才を買われ、この任を任された人物であった。もともと気位が高い人物でもある。この手の侮辱に、耐えられない。


「うるさい!ここまでこけにされて、黙っていられるか!」


 そのまま馬に飛び乗ると、


「出陣!まだ寝ている兵どもも、叩き起こせ!」


と下知した。


 総大将が具足なしに飛び出したのである。自然、家臣はもちろん一兵卒に至るまで、ろくな準備もせずに武器だけ持ったような有様で、幸隆ら目掛けて駆けだした。


 その様子を見た幸隆は、思わず噴き出した。


「おお恐。娘たちよ、敵は余程怒り心頭と見える」


 無口な姉は黙って頷き、長身な妹もつられて笑った。


「勝機ですなぁ、父上!いやはや、何ともみっともない」


 幸隆は頷き、馬首を返すと城へと駆けだした。

途端、幸隆が先程までいた場所に、鉄砲玉が浴びせられている。


「はっはっはっは!奴ら、走りながら撃っているのか!そりゃあ、当たらんさ」


 幸隆は高笑いを響かせ、馬に鞭を打つ。この男、馬の飼育が趣味である。丹精込めて育てた馬たちは、その俊足を遺憾なく発揮した。ぐんぐんと金井軍を置いて先を行く。安治はそれでもあきらめず、必死に走らせた。


 すると、金井安治の隣を行く一人の家臣が、「まずい!」と悲鳴に近い声をあげた。


「殿!この先は、左手に土手、右手に雑木林がありまする!兵が伏しているやも!」


「応!」


安治は振り返り、


「早馬!右翼左翼の将に、警戒するように伝えい!」


と命じた。


「「はっ!」」


 二人の使いが、矢のような速さで隊列を離れていった。


 安治は、自らが指揮する中央隊の歩速を緩めた。

右翼、左翼の兵たちは、そのままの速さで林、土手に近づいた。

雑木林には、浅間勢の姿は見えない。右翼の将は、試しに鉄砲を浴びせてみた。すると、撃ち返してくるくるではないか。右翼の将は驚き、


「いるぞ!」


と叫んで必死に応射させた。この時、雑木林の中には幸隆の鉄砲隊が潜んでいるが、その数はせいぜい三十人程度しかいない。

 五百人から成る右翼隊は、警戒体制のまま動きを止めた。


 左翼では、土手の下から繰り出た幸隆の決死隊との戦闘が始まっていた。金井勢左翼隊は数は多いものの、なにぶん防具が裸同然の者ばかりである。一方で浅間決死隊五十人は、皆、腕に自信がある者ばかりである。命も惜しまず怒号をあげて斬りかかる決死隊は、ひ弱な裸族部隊には、実数の何倍にも見えたことだろう。

 あちらこちらで血煙があがった。左翼の兵たちは混乱し、同士討ちまで始めた。



「本隊はこのまま敵城を攻める!」


 安治は、そう下知した。浅間幸隆の兵数は三百ほどである。右翼左翼の現状を見て、城に籠るのは残り百人ほどと見たのだ。この時、安治の本隊は千人。右翼左翼は五百ずつである。残りは武郷軍本隊との決戦に温存している。


 安治本隊は、再び歩速を早め、岩頭城の大手門を目指した。

が、城下の村々を進軍中、にわかに銃撃を浴びせかけられた。左右の民家からである。

バタバタと兵が斃れた。


「おのれ!殺せ!」


 安治の怒鳴り声が響き、兵たちが民家の戸を蹴破り、一斉に中へと乱入した。

が、民家には人っ子一人いない。


「逃げ足の速いやつらめ!」


 報告を聞いた安治は顔を真っ赤にし、再び大手門への進軍を命じた。

が、安治隊が村々を通り過ぎようとすると、再び左右後方から鉄砲を浴びせられた。背後から対角線上に放たれた射線は、多くの安治隊を撃ち殺した。


「なに!?」


 安治が馬首を返して見れば、民家の屋根に鉄砲を構えた敵兵がいるではないか。

彼らは、民家の中から鉄砲を撃つと、すぐさま裏戸より出て、梯子を使って屋根に登り、身を伏せていたのである。


「どこまでもこけにしおって!」


 安治は再び村へ戻ろうとした。全軍が反転したところで、今度は大手から騎馬隊が現れる。


「!」


 この時。遂に安治は、浅間幸隆には敵わないことを悟った。




 戦闘は半刻いちじかんほどで終わった。

幸隆はやぐら胡坐あぐらをかき、退却していく安治軍を眺めながら、


「面白いなぁ。これだけ仕掛けた罠に次々とはまってくれるのは、見ていて爽快だ」


と言って上機嫌に笑った。




 笠原城の戦闘二日目が、こうして終わった。

心労で伏せっている夕希は、勘助の計らいで、他の山森家家臣たちとは別にやや遠くに離れた民家で休んでいる。夕希の他には、勘助が信を置く世話係の家来が数人いるのみである。


 窓から月明かりが差し込み、室内が青白い中、むしろの上で寝ている夕希は、仰向けのまま目元に右腕を置き、左腕はだらりと落としている。


 ふと、その左手を握る感触がして、眼を開けた。


「起こしてしまったか。すまんな」


 顔を確認するまでもない。聞き慣れた勘助の低い声である。その声音は、どことなく疲れている。


「ごめん、勘助。あたし、しばらく戦さは・・・・・・」


 夕希は、腕を少しずらして左目だけで勘助の顔を眺め、そう謝った。

か細い声である。普段の騒がしさとは、まるで違う。


幹江みきえはるかのことか。あれはお前の失態ではない」


 勘助の言葉に、夕希はしばし沈黙した後、


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも結局、哀しいことに変わりはないんだよ」


と、それだけ漏らし、寝返りを打って勘助に背を向けた。その背は、微かに震えている。勘助にも、これが泣いているがための震えであることがわかった。勘助はどう言葉をかけるべきか迷った。なにか慰めたほうがいいだろうと思いつつも、結局、この男にそんな器用な真似はできなかった。勘助が饒舌じょうぜつになるときというのは、戦さや政治の話と決まっている。この時も、そういう話を始めた。


「今日はな、あまりうまくいかなかった」


勘助は相づちを待ったが、夕希のすすり泣く声しか聞こえない。かまわず続けることにした。


「諫早の野郎は、腰が低くていい男だが、やはり自分の中にこれといったすじがない。筋がなきゃ、人を上手く操れないな」


しかし、と続ける。


「大仏に言わせれば、あれはあれでそういう一本通った筋があるという。なにかと聞けば、それは自分で考えろと言いおった。あいつは初めて会った時からあれだ。筋は通っちゃいるが、扱いにくくてな。しかしあいつのいい所は、それを他人に強要しないところだ。いい塩梅あんばいの距離感で、あれもいい男・・・・・・いや女か?」


 この男にしては珍しく、よく喋った。夕希にはこの愚痴とも何ともつかない話が、勘助なりの気遣いであるような気がした。黙って聞いていると、その後も、勘助は延々と喋り続けている。


「天海様のところから来ている坂西左衛門。あれは駄目だ。敵将と一騎討ちに興じているかと思えば、結局討たれることも討つこともなく、戻ってきおった。しかもあの馬鹿は、隣の戦場で戦っている諫早に何の連絡もいれずに撤退しおって。先手はこれで壊滅。敵は俺の中軍にまでおどり掛かってきおった」


 夕希は、はっとして振り返った。既に目は闇に慣れている。服の隙間から覗く勘助の左肩には、包帯が巻いてあった。


「勘助、怪我を」


 夕希は飛び起きると、勘助にぐっと近づき、その傷口をまじまじと見た。


「これか。流れ矢だ」


「矢傷・・・・・・」


 夕希が真っ赤になった目を、心配そうに垂らして、勘助の顔色をうかがう。


「案ずるな。大仏が隣にいてよかった。奴の治療は天下一かもしれんぞ。やじりを抜くとき、通常であれば気を失うほど痛いものを、不思議と奴の手にかかれば痛くない」


「ごめん、勘助」


 夕希は、勘助の傷が、さも自分のせいであるかのように謝ると、正座し、膝に手をついてうつむいてしまった。その手はぎゅっと握られ、握り拳の上には涙がこぼれ落ちた。


「よく泣くな」


 勘助はそれだけ言うと、黙ってしまった。

この頭の回転の速い男は、今必死になって考えている。ここまで落ち込む幼馴染は、見たことがなかった。平時の活発な夕希であれば、勘助の矢傷など、笑って吹き飛ばすだろう。長い付き合いの中での知らない一面は、新鮮であった。しかし今の勘助は、極めて不快な気分である。


(この一面は好きにはなれない。女は気高くあるべきなのだ。俺に、弱さをみせるな)


 かつて武士に憧れたこの中年は、気高い女を好んだ。いかにも女らしいおしとやかな女など、なんの興味も湧かない。豪快で、さっぱりとし、弱い部分も秘めながら、それを隠そうとする、そういう女が好きだった。


 勘助はふと、この幼馴染を女として意識したのが初めてだと気づいた。なぜそう意識したのか。


(弱さだ)


と、勘助は気づいた。弱さが、人を魅力的にしている。そうと思えば、途端にこの一面も好意的に思えた。

勘助は、俯いて僅かに見える夕希の顔を眺めた。改めて見れば、整った顔である。


(どうすれば、また笑ってくれるのだ)


 勘助には、分かっている。


(抱いてやれば、全てを忘れてくれるのだろうな。すべての感情を、体ではき出せるだろう)


だが、と思う。


(それはできない)


 勘助にも、夕希が自分に好意を寄せていることくらいはわかっていた。わかっていながら、何も言わなかった。夕希も、はっきりと言葉にして勘助に伝えようとはしなかった。勘助の目指す道は、ただ唯一、晴奈の天下のみである。夕希を抱けば、勘助は確実に変わってしまうだろう。変わってしまえば、唯一の道が、一つではなくなると思っていた。それを恐れていた。だから今まで、この幼馴染の好意にも気づかないふりをしていた。いずれ愛想を尽かすに違いないと、思いながら。


(薄情な男だよ、俺は)


 この時も、身勝手な男だと思いながらも、接吻せっぷんの一つもしてやろうとは思わなかった。


 代わりに勘助は、ゆっくりと夕希の両手を上から包んだ。そのまま手を下に回り込ませ、手の平を握る。


 夕希は、勘助を見た。その顔は、彼が子供の頃、よく猫に向けていた優しさに満ちていた。自分の顔が嫌いなこの男には何を言っても無駄だが、夕希はこの顔が一番好きであった。


「すまんな、夕希」


と勘助は謝ると、


「もう行くぞ」


と言って手を放し、立ち上がった。

夕希は勘助を見上げつつ、


「勘助、あたし・・・・・・」


と、気丈にもこのまま、「戦さに出るよ」と言おうとした。


が、勘助はそれをさえぎった。


「泣くなら、俺の前だけにしろ。せめて他人の前では、気高くいろ」


 言い終えると勘助は、「士気が下がる」と言い訳がましく付け加えた。

夕希は一瞬呆気にとられた後、黙ってコクンと頷いた。勘助はそれを見届けると、夕希の頭を雑に撫でて、民家を出ていった。




 翌日から、笠原城を包囲する山森隊は、攻撃を控えるようになった。勘助は、夕希をしばらく休ませようと決めた。夕希がいなければ、山森隊の攻撃力はもはや救いようのないほどに極端に下がる。そのことを二日目の戦いでよくわかったからである。

 戦さの趨勢すうせいは、晴奈率いる武郷軍本隊八千と、金井安治率いる村島援軍一万との決戦に委ねられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る