第三話 (13) 笠原城の戦い 緒戦

 笠原城かさはらじょう

 この城は、笠原山という山のいただきに建っている。城の北は更に山々が続き、南にくだっていけば、そこには一本の川があり、その周辺に、東西に長細い村々が展開している。川と村とがある細長い平地を更に南に行けば、再び山々に突き当たる。この山々を越したところに、外山城そとやまじょうがある。北の笠原山と南の山々に囲まれたこの東西に長い村は、日中といえども日光が当たる時間が少く、どこか陰気な空気が漂っていた。

 攻め手は、この陰気臭い村々を、流れる川と並行して進軍することになる。

 それらを見下ろす笠原城は、城下の村々と同様、東西に長い構造である。攻め手が、村のある平地から寄せてくる南側には、東の端から西の端まで断崖絶壁という言葉にふさわしい巨大な岩石が壁としてそびえ立っている。

 最も地勢が高く、標高で言えば八百七十六メートルほどある本曲輪ほんくるわは、東の端にある。その更に東に行けば、これまた巨大な岩石で出来た崖が曲輪への敵の侵入を阻んでいる。この崖の北側、攻め手からは見えないそこには、逃走用の細い道が存在し、搦手門からめてもんがあった。

 本曲輪を守るのは、先述した南側にそびえたつ天然の岩石群と、三つの曲輪、大手門である。曲輪にはそれぞれに簡素な砦が設けられており、各曲輪の守将は、戦時にはここに詰めて指揮をとる。

 大手門は、城へと続く唯一の山道を登り切った所に建てられており、東西に長いこの城のちょうど中央辺りにある。

 大手門を突破すれば道は二股に分かれている。東は二つの曲輪と本曲輪がある。西は曲輪が一つと、物見のための小丘しょうきゅうがあるだけである。敵が東の本丸を目指せば、西の曲輪からすぐさま敵の背後を撃てるよう設計されているのである。


 その笠原城内では、百姓やら武士やらが、慌ただしく動いていた。なにも今の今まで準備をしていなかったわけではない。しかし武郷方たけごうがたの先鋒部隊が峡間はざまを出陣したとの報を受け、緊張感の走った城内の者たちを安心させるため、更に備えを固くしているのである。

 城主の志賀清繁しが きよしげは、城に唯一ある本曲輪の物見櫓ものみやぐらに登り、腕を組んでその様子を眺めている。そのかたわらには、家老の清水村しずむら左近丞さこんのじょうという大男が、怒声を放ち、士気を保ち続けている。


「姫も、何か言ってはどうでしょう」


 左近丞さこんのじょうは、隣で腕を組んでいる清繁きよしげの顔を覗き込んだ。背は大男の左近丞と変わらぬほど高いが、眠そうな目をした女であった。口は常に不機嫌そうにへの字に曲げており、鼻は低い。常日頃からこの顔でないと知っていなければ、神妙な顔をして居眠りをしているようにしか見えない顔つきであった。既に娘も産んでおり、夫はとある坊主の息子で、既にこの世を去っている。左近丞さこんのじょうとは、同い年で、幼馴染の間柄であった。


「姫?」


いくら待っても返答がない。左近丞は不審がり、再度呼びかけた。が、やはり返答がない。

左近丞はやぐらの下で働いている者どもの方を確認すると、その両肩を掴み、軽くゆすった。


「うん?」


そこでようやく、清繁の口が動いた。


(本当に寝ていたのか)


左近丞は呆れながらも、


「何か、考え事で?」


と気を遣って聞いた。

しかし清繁は、


「いや、寝てたんだ」


と、その気遣いを台無しにした。


「・・・・・・」


「この顔、便利だろう。私、気に入ってるんだ」


左近丞さこんのじょうはなんと言えばいいのかわからず、黙った。左近丞が見る限り、あるじの顔はどう見ても可愛げはなく、綺麗さもなければ、色気もない。


(娘はあんなに可愛いと言うのに・・・・・・)


清繁きよしげの娘は、城下でも可愛いと評判の娘だった。夫が良かったのだろう、と左近丞ならずとも皆が思っていた。清繁の夫は病弱で、家老の左近丞でさえ、一度か二度見たぐらいであった。既に顔も忘れている。


 そんな事を考えていた左近丞に、清繁が突如、


「勝てるかな」


と聞いた。

左近丞は、


「さあ」


と、曖昧に返事をした。

清繁が、左近丞をじっと見つめた。たまらなくなった左近丞は、


「まあ、姫が決めたことですから。俺は黙ってついていきますよ」


と言うだけ言うと、逃げるようにして櫓を降りていった。

可愛いだとか、綺麗だとか、そういう顔ではないと思っているのに、左近丞は、清繁に見つめられるとどういうわけか弱い一面があった。


 左近丞がいつものように顔を赤くして去るのを見届けると、清繁はフッと笑い、再び城内を監視し、ここまでの過程を思い返した。


 武郷家と戦うか、という衆議しゅうぎは、外山城が武郷方に攻められるずっと前から行われていた。主君の村島義清むらしま よしきよからは度々使者が送られてきて、交戦の構えをとれと命令してくるし、武郷晴奈たけごう はるなの手の者(山森勘助やまもり かんすけ)からは、「降伏すれば所領は安堵する」との書状が来ていた。しかし、堂々巡りの中身のない議論が続き、結局「もう少し様子を見よう」という所におさまってしまっていた。この志賀家中には、そういった先延ばし主義の空気があった。が、外山城が攻め落とされれると、いよいよ決断に迫られた。外山城から落ちてきた武者どもが笠原城に転がり込んできたかと思うと、すぐさま武郷方の者が来て、「外山城の者を差し出せ」と言ってきたのである。

 迷っていた清繁に、落ち武者どもは決死の形相で、「聞いてくだされ」と外山城での惨状を言って聞かせた。聞くと、その驚くべき内容に清繁は目を丸くした。


「降伏の使者は、来なかった・・・・・・?」


と、思わずつぶやいた清繁に、落ち武者どもは激しく首を振り、これを認めた。


「やつら、降伏の使者を送るなどと言ってわしらに水源地を吐かせ、後は皆殺しにすべしとばかりに攻め立ててきおった」


 苦々しげに声を発するこの落ち武者たちは、実は外山城にあって勘助に内応した者たちであった。結局彼らの約束は反故ほごにされ、主君の大井貞与おおい さだよと共に戦う道を選んだ。


 彼らの話を聞いた清繁の義憤は、凄まじいものだった。


「そんなことがあっていいものか!」


 叫ぶなり清繁は、広間で待たせてあった武郷方の使者のもとに飛んでいき、咽喉輪のどわを掴むと、


「帰れ!この悪鬼羅刹あっきらせつめ!」


と言って殴りつけ、追い払った。どうもこの清繁という女は、相当な癇癪かんしゃく持ちであるらしい。


 それ以降である。笠原城、志賀家は村島方として戦うと決め込んだ。武郷方からの使者は来なくなり、代わりに外山城での敗残者が逃げ込んできた。村島義清からは、援軍として宝田憲頼たからだ のりよりが、その息子を連れ立って援軍として送られてきた。


 清繁は、武郷方と戦うことを決断すると、すぐさま城下の村々へと赴き、城に籠るよう命じて回った。村々の反応は様々で、「断る」とかたくなに拒んだ村もあれば、すんなりと了承した村もあった。ここらの領民たちは、皆従順で、善良であり、悪く言えば、自らで物事を考えることが嫌いな連中だった。清繁もここで産まれ、育った女武将である。彼らの性質を、よく理解していた。城に籠ることを拒んだ村の連中と言うのは、単に、武郷方が恐ろしいから、ということを理由にしていることを知っていた。恐らく外山城での噂を耳にしていたのだろう。どちらに勝ち目があるか、ではなく、どちらがより恐ろしいか、という事を判断基準にする連中だと知っていた。

 現に清繁が、「なぜ籠るのは嫌か」と聞くと、皆口々に、「武郷家は恐ろしい」だの、「志賀様、後生じゃ」だのとわめくばかりで、「武郷家が勝つに相違なし」と理屈立てて説明してくれるような百姓は一人もいなかった。


(要するにこいつらは、武郷家が勝つと思っているから城に籠らないのではなく、城に籠って志賀家が敗けた場合に酷い目に遭うから、籠りたがらないのだ。どちらが勝つか負けるかなど、どうでもよいし、考えたくもないんだろう)

 

 清繁はそう結論づけると、


(ならば!)


と思うや否や、刀を抜き放った。

百姓たちは、普段眠そうな顔をしている清繁が鋭敏な動きで刀を抜いたため、驚き、どよめいた。


「城に籠らねば、この場で首を刎ねるぞ」


普段と変わらぬ声質で、そう淡々と言った。

清繁は、今現状での恐怖心を煽れば、この村の連中はおとなしく従うと思ったのだ。


「しかし」


と、百姓の一人が言いかければ、すぐさまその者の首筋に刀身を当てた。

「気をつけて喋れよ」と、言外に言っているのがわかり、百姓は「ひっ」と声に出すと、それきり黙った。


 しばらく緊張の沈黙が続き、ようやく清繁が、


「よろしい」


と上機嫌な声を出して、刀を鞘にしまった。

百姓どもがホッとしたのもつかぬ間、清繁は、


「じゃあ今すぐ城に籠る準備を始めてね。いつまでも始めないようなら、村は焼き払う」


と言って、さっさと次の村に向かった。


 こうして村の百姓どもは、一人残らず、城兵として城に籠ることになったのである。



 城内では、皆、兵糧を運び込み、堀を深くして、土塁を積み上げ、矢来やらいを建てている。こうすることで、武郷軍が迫ってきているという恐怖から、気を紛らわせようとしていた。しかし、備えても備えても、彼らの恐怖は消えることはない。彼らは今、自分との戦闘に勤しんでいるのである。


 その中で、せっせと汗水垂らし、水汲みをしている少女がいた。


 名を、望月もちづきという。


 望月は、その小さく白い肌を泥だらけにし、自分の体重の半分もありそうな水を井戸から汲み上げ、籠城に備えてかめに移しているのである。いざ水の手を切られれば、これが城の生命を延命する点滴になる。

 望月が井戸から水を汲もうとすれば、その白い素足が重さで浮いた。彼女は粗雑な造りの石でできた井戸の端に腹を乗せ、そこを支点にして釣瓶つるべを引き上げる。

 こうしてこの日何度目かになる水を地上に持ち上げたところで、目に汗が垂れそうになったため、額を拭った。


「望月だな」


 背後から、声がした。驚いて振り向けば、そこには男が立っていた。

 男は百姓の出で立ちで、いかにも泥臭い。

 その顔は、左眼が醜く潰れており、傷がある。それを隠そうともしていない。髪はフケだらけでボサボサ、ひげも雑に伸ばされている。よく見れば、手足の爪には、泥がみえている。


「ふむ」


 男は、望月の反応を見て何かを納得したらしい。

望月はいまだ、驚いた表情を隠せていない。なぜなら、望月はその男を知っていた。そしてその男は、このようなところにいるはずはないのである。


「なぜ、このようなところに?」


「?」


 男は、首を傾げた。


「山森様が、なぜ?ここは、笠原城です」


「・・・・・・」


 男。山森勘助やまもり かんすけは、冷厳な眼で望月を見ている。

そして、


「山森?だれだ、それは。俺ぁ、道鬼どうきという」


 瞬間、あっ、と望月は思った。勘助の名を敵城で無闇に呼ぶべきではない。焦っていたとはいえ、あまりに不用心であった。望月は急いで周りを見渡すと、誰もいない。

 

 そんな望月の様子を眺め、


(それはそうだろう)


と、勘助は呆れた。

この望月という女は、今や武郷家の情報将校ともいうべき浅間幸隆あさま ゆきたかから借り受けた乱破らっぱである。


 望月は、幸隆がいずれ武郷家に仕えることを見越し、以前から方々ほうぼうに潜入させていた乱破の内の一人である。笠原城の担当が、たまたまこの望月であった。勘助が笠原城攻めに加わると聞いて、幸隆が貸したのである。そのため、勘助は望月の容貌を詳しくは知らなかった。一方で、望月の方は幾度か勘助の姿を見ているらしい。


「それで、」


 勘助は早速、望月に城の様子を聞こうと思った。が、望月が慌てて近づいてきた。


「お待ち下さい。ここでは、人の行き来も多いですから、人目のないところへ移動いたしましょう」


望月は、勘助の手をとった。そのまま案内しようと後ろを向いた。が、


「待て」


と勘助がそれをとどめた。


「ここでいい。人目のないところにいれば、かえって目立つ。なに、これだけの人数がせわしなく動き回っているのだ。誰も俺たちの会話などいちいち聞いちゃいないよ」


望月は納得した。そしてその後、またもキョロキョロと辺りを見回し始めた。

一向に話が進まず、勘助は段々と苛々いらいらとしだした。


「なんだ」


「いえ、この辺りはよく、侍大将の矢田左近進やだ さこんのしん殿が見回りにきますので、井藤夕希いとう ゆうき様に見張ってもらおうと思いまして。井藤様は、どちらに?」


望月は、勘助の周りには常に夕希の影があることを知っている。

そのため、


「夕希はいない。俺一人だ」


という勘助の答えに驚いた。


「あいつには何も言っていないよ。言えば、うるさいからな」


聞けば、勘助は先鋒部隊の総大将、武郷信繁たけごう のぶしげの許しを得て、単独で先行してきたらしい(むろん信繁には、自ら敵城に潜入するなどとは言っていない)。自らの軍は、家臣の諫早助五郎いさはや すけごろうに任せ、他の誰にも言っていないということだった。今も行軍中の山森隊は、まさか自分たちの大将が不在とは知らないだろう。


(なんと放胆な・・・・・・)


望月は、ただただ頷いた。


「しかし、殺されますよ?なぜ、このような危険な真似を?」


「うぇ?殺されるって、俺がか?」


望月は、もはや呆れ果てた。

勘助は、構わず続ける。


「しかしなぜ俺がここへ来たかといえば、それは簡単だ。この戦さはそれほど大事だからよ。この眼、この耳で万事確認しておかなければ、心配で夜も寝られないじゃないか」


嘘なのか本当なのか、はたまた冗談のつもりで言っているのか、望月には判別がつかない。つかないから、もはや考えることはやめにしたらしい。

その様子に満足したのか、勘助は本題に話を切り替えた。


「それで、どうだ」


望月は、城方しろかたの防備と動向を事細やかに話した。この忍びは、一切の個人的な見解を言わず、ただ知っている事実のみを淡々と報告した。勘助はそこを気に入った。自分で物事を考えることに絶対の自信を持つこの男にとって欲しいのは、考えるための材料であり、この女にそれ以上のことは求めていないのである。


「ふむ」


勘助は今聞いたことを頭の中で数度繰り返し、記憶に留めた。


「それで、水の手ですが」


恐らく、と前置きし、望月は城内での働きから推測できる水の手のありかを漏らした。足元には、望月が描いた簡易な城の図が書かれてある。


「この城は山の頂にありますから、水は遠くから水道で導いているはずです」


勘助は、頷いた。望月はそれを確認すると、大手門から二股の道を東に入ったところにある、外曲輪そとくるわ、その一角を指した。


「ここら辺かと思われます」


勘助はそこを確認すると、しばらく考え、


「あいわかった」


と言って、この男には珍しい笑顔を浮かべた。


 勘助は足元の図をとっとと消すと、井戸端に置かれてあったかめを持ち上げ、


「そろそろ動くぞ」


と言って、本曲輪の方に歩き出した。望月も、その後ろをついていく。

本曲輪に水を置き終え、再び井戸の所に戻ってくると、勘助はおもむろに話し始めた。


「さて、お前にはあと二つほど、仕事をしてもらう」


「はあ」


「まず、武郷軍についての噂を流してほしい」


「どのような」


「そうだな。武郷軍の人数は、村島義清むらしま よしきよの援軍の三倍はいる、とかかな」


「三倍!?」


望月は驚き、目を丸くして勘助を見た。


「それはあまりに多すぎませんか。こんな小城に、三万の大軍などとても考えられません」


「計算が早いじゃないか。すごいな」


「茶化さないでください。流すにしても、もう少しそれっぽくないと、意味がありませんよ」


 望月としては、やるからには実のある仕事がしたい。そもそも彼女が乱破らっぱになったのは、忍びに対する猛烈な憧れの為である。肌が白いのは、幼少期より忍びを真似て黒装束くろしょうぞくを着込むのが好きだったためであった。


 勘助は、不気味に笑った。


「?」


「いやいや。この噂は、しっかりと実を結ぶよ」


「と、言うと?」


「ここの連中は戦さ慣れをしていない百姓ばかりだ。だからだろう。恐怖が蔓延まんえんしている。だから、」


「だから?」


「だから、心に余裕がない。こういった状態の人間は、どんな噂だって信じるものなんだよ。噂の出どころなんてろくに調べもせず、噂の真偽も確かめず、ただ、信じる」


勘助は、望月が底冷えするような、なんとも冷たい眼で、語る。


「お前、さっき計算をしたな。武郷軍は、三万と」


「え、ええ」


「それは、村島の援軍が一万という判然たる事実を、知っているからだ」


「?」


「だが、ここの連中はどうかな。援軍が一万いる、と聞かされてはいるだろう。しかし、それを実際に見た奴はいない。力で脅して入城させるような城主の言葉だ。心の底からは信じていないし、信じられない。しかし、とにもかくにも頼るものがそれしかないから、寄りかかっているだけの状態だ。ここに、先程の噂が流れる。そうすれば、」


望月は、勘助が何を言いたいか、まだ理解できていない。


「そうすれば、疑うはずだ。お前がさっき言ったように、『こんな小城に三万も来るはずがない。もしかして我らが城主は、嘘をついているのではないか』とな」


「嘘?」


「ああ。味方の援軍など一万も来ていない。来ているには来ているが、その数はたかが知れているのではないか、とな」


「自分たちの城主より、噂を信じる、と?」


「ああ。恐怖は人を狂わせる。正常な判断を失い、何かに頼ろうとする。そしてそのどころが役に立たないと知れれば、今まで散々頼るだけ頼っていたくせに、とにかく自分だけは逃げようとする。人間とは、そういうものだ」


「・・・・・・」


「この城、幸隆ゆきたか殿の報告より、人数が多いな」


「ええ。近場の百姓がみな籠っていますから、人数は一千二百ほど」


「半数は逃げるだろうな」


「・・・・・・」


「もう隠すのはやめろ、望月。本当は、幸隆殿から俺と同じような事を命じられているんだろう」


望月は、黙った。勘助はそれを肯定と受け取った。


(それを見越して、城に籠るは五百などと報告していたんだろう。あの謀略好きめ)


 幸隆は自らの謀略を、あたかも賭け事のように楽しむ癖があった。勘助も似ているところがある。自分の考え通りに人が動くのが、楽しくて仕方がない。実際に城から百姓どもが逃げ出せば、高笑いをして勘助に自慢してくるだろう。勘助は、その先を越してやったのである。


 自然と、笑みがこぼれた。


(勝った)


 望月は居心地悪そうにせき込むと、


「それで、もう一つの仕事とはなんでしょう」


と、聞いてきた。

えつに浸っていた勘助は、不機嫌そうに望月を見た。


「二つ目は、あのかめだ。あれを、壊せ」


「いつに致しましょう」


そんなことは造作もない。とでも言いたげに、この少女は聞いた。


「そうだな。俺の旗印を高々と目立つように掲げる。そうしたら、な」


「承知しました」


勘助は満足そうに頷いた。そこで、雷鳴のような大声が辺りに響き渡った。


「望月ぃぃぃぃい!」


勘助は眉を寄せ、望月の顔を見た。

望月は声をひそめた。


「先程申しました、矢田左近進やだ さこんのしん殿です。このあたりを毎日うろついている」


 見れば、着衣の上からでも判るほどの筋肉質の男が、獲物を求める獣のようにキョロキョロと辺りを見回しながら歩いている。


 男は、望月の後ろ姿を確認したらしい。


「おおっ!ここにいたかっ!」


 ドタバタと走ってきた。男、矢田左近進やだ さこんのしんは、遠目で見た粗暴な雰囲気に似合わず、男前な顔であった。眉毛が太く、目が鋭い。口元は引き締まり、鼻も高かった。背は、勘助の頭二つはあるだろう。


「探したぞ。まったくおぬしは、毎日違うことをしておるな。昨日は堀を掘っておったし、おとといは・・・・・・」


矢来やらいを組んでおりました」


「おお、そうじゃそうじゃ」


左近進さこんのしんは、ニコニコと笑った。相当に上機嫌らしい。勘助など見えていないのだろう。


「あなた様は!かの高名な、矢田左近進様であらせられますかッ!」


と、勘助が大声でわめいたため、やっと気づいたらしい。


「うん?おお、いかにも、わしが矢田左近進やだ さこんのしんじゃが」


「やはり。お姿を一目見た時より、すぐにわかり申した。この中科野一なかしなのいちと聞こえし、猛将に違いなしと!」


「お?そうか?ははははははっ、照れるなぁ」


そんな噂など立っていないし、勘助は矢田左近進など名すら聞いたことがなかった。


「それでおぬしは・・・・・・この望月もちづきと仲が良いのか?」


左近進は、警戒して勘助を見た。勘助はすぐにそれを感じた。


「へぇ。この望月とは、兄妹でございます。名は、望月道鬼もちづき どうきと」


「なに!?望月の兄上であったか!」


勘助が名乗ると、左近進は、途端に警戒心を無くしたらしい。


「よう駆けつけてくれたな、道鬼殿。妹想いの、良き兄上じゃ」


「へぇ。そらぁもう、私とは似ても似つかぬ可愛い妹ですから。二日も駆けて」


「はっははは。そうじゃな!」


左近進は愉快そうに笑った。望月は、


「やめてよ、お兄ちゃん。恥ずかしいじゃん」


などと言っている。


「しかし矢田様。この道鬼、聞きたいことがあるのです」


と、勘助は困ったような顔をした。


「なんじゃ」


「へぇ。妹が可愛くて駆け付けたは良いのですが、私はこの通り、眼を戦さでやられております。それに、足も。役に立ちましょうや」


「なに、安心せい!この笠原城には、このわしがおる!道鬼殿が出張るようなことはないし、道鬼殿の妹が危険な目にあうようなことはない!わしに任せい!」


「はあ」


勘助はなおも浮かない顔をして見せた。


「どうした?不満か」


「いえね、せめてせがれ達が来てくれれば私も安心して死ねたんですが・・・・・・」


「道鬼殿の?」


「ええ。三人ほどいるのですが、武郷には勝てぬと申して、ついてきませぬ」


左近進は、微妙な顔をした。

勘助はその顔をチラっと確認すると、パッと顔をあげた。


「そうだ!」


「い、いかがした」


「矢田様。城方しろかたが勝てるという根拠を、この私にお教え願えませんか。私のような浅学せんがくの者では、理屈立ててせがれ共を説得できませぬ。しかし、矢田様に教えていただければ、なんとかなりましょう」


勘助は、頭を下げた。


「そんなことか。仕方がないのう」


左近進は、やれやれといった様子で笑みをつくった。勘助もこの時、口の端が吊り上がった。


「まず、味方にはな、村島義清むらしま よしきよ様からの援軍がおる。その数、一万じゃ!」


「なんと!?そんなに!?」


勘助は大げさに驚いた。


「おお。すごいじゃろう!援軍は、必ずや武郷軍を討ち滅ぼし、我らを救ってくれる」


「しかし、その前に城が落ちては・・・・・・」


「安心せい!この城は落ちぬ!」


「というと?」


「ここはわしらの庭じゃ!川も森も、全てがわしらの味方よ!」


「ほう」


勘助の相づちが、この一瞬、いつもの低いそれに戻った。が、話に盛り上がっている左近進さこんのしんは、気付かない。


「城に籠る将兵の士気は高い!」


「おお!それは、なぜに?」


「ははははは、そうか、おぬしはこのあたりの者ではなかったのだな。しかし、聞いたことはあるであろう」


「・・・・・・?」


勘助はいかにも何もわからないというように、顔をかしげた。


「外山城じゃ!」


「ああ」


「奴ら、城に籠る女子供まで皆殺しじゃ。しかも、内部の者に生命の保証を餌にして裏切らせ、その実、投降も呼びかけずに、消そうとしおった!」


「それは酷い。涙が出ますな」


と、勘助は思ってもいないことを平気で言った。


「だろう!此度籠る者たちは、皆、外山城の仇を討ちたいのじゃ」


「ええ。是非に」


勘助は内心、


(やれるものならやってみろ。お前のような馬鹿に出来るならな)


と、冷ややかである。


「また、既にこの城に入っておられる宝田たからだ父子の援軍が心強い!」


宝田憲頼たからだ のりよりとその子、右衛門左うえもんざか)


勘助は、この援将について詳しくは知らない。しかし、この目の前の明朗闊達めいろうかったつな馬鹿が頼もしいというのだから、理由があるはずである。


「その、宝田様とは、どのようなお方なのでしょう」


「わしも知らん!」


「はあ?」


勘助は内心で、


(なんだこの野郎)


と、いよいよこの男が嫌いになった。そもそも、よく喋る男が嫌いなのである。

勘助の表情を見た左近進は、慌てた。


「いや、宝田殿のことはよう知らぬが、援軍は弓の名人が百人じゃ!これを城のあちこちに配置する」


「それは頼もしいですな!」


面倒だな、と思った。

勘助は、今度は左近進たち城方の幕僚が武郷軍をどう見ているのか、聞くことにした。


「敵はどの程度でありましょう」


「敵か。武郷晴奈率いる本隊の数は分からん。が、先日出陣した先鋒部隊は、およそ二千ほどだとか」


「二千!?して、その大将は?」


思いのほか正確に把握していたことに、勘助は驚いた。


「大将は、武郷晴奈の妹、信繁じゃ。戦さ上手と聞くが、まあ、心配はなかろう。城攻めで出来ることなど、たかが知れている。それよりも問題は・・・・・・」


「問題は?」


「山森勘助とかいう将じゃ」


 勘助は、心臓が跳ね上がる思いであった。むろん、顔にはおくびにも出さない。正体が知れる、と思ったからではない。敵方にも自分の名が知られ、尚且つ警戒されているからである。

心中ではがらにもなく、少年のように喜んだ。


「山森、勘助?はて、聞いたことがありませぬな」


「わしもよく知らん。じゃが、その策は陰湿で姑息だという話じゃ」


「へえ」


勘助は、なんともないように頷いた。


「ふん。武郷晴奈がどこぞから拾ってきたらしい。なんでも身なりは汚く、その容貌は見る者に吐き気を覚えさせるほど醜いとか。まったく、そのような者を召し抱えるとは、敵将ながら何を考えているのやら」


「・・・・・・へえ。でも、戦さに容姿は関係ないのでは?」


「うん?いや、そうでもない。おぬしだって、自分たちの大将が見るも無様な化け物であったら、従うか?命を懸けられるか?無理だろう。容姿も武力の内なのだ。山森勘助に出来ることなど、所詮は姑息な悪知恵程度よ」


「ははあ、なるほど。いえ、勉強になり申した」


「良い良い」


 左近進は、上機嫌に笑っている。

勘助は、そろそろ話を切り上げることにした。無性に、腹が立っていた。


「これだけの材料があれば、あの馬鹿せがれ共を説得できましょう」


勘助の言葉に、左近進は満足そうに頷いた。その後、少し談笑すると、左近進は他へ行った。


「さて、俺はもう行く」


勘助は、先程までの愛想の良さはどこにやったのか、無表情で言った。


「はい」


「あの男、名はなんと言ったかな・・・・・・」


「?」


誰のことを指しているのか、望月には分からない。


「ああ、馬糞ばふんしんだ」


「いえ、矢田左近進やだ さこんのしんです」


望月がすぐそう指摘すると、勘助は嫌そうな顔をした。


「どちらでもいい。あの馬鹿、お前に惚れているぞ」


 勘助は、左近進が話している途中に幾度も幾度も望月の方を見ているのを確認している。

それに、たかが一百姓に過ぎない望月の名まで覚えて大声で呼び歩き、しかもそれを毎日のように探し回っているときている。事実、左近進は望月に惚れていた。


「お盛んなことだな。まるで猿のようだ」


勘助は、吐き捨てるように言った。


「そこまで嫌わなくても・・・・・・」


おもわず、望月が同情したほどである。

それがまた気に障ったのか、勘助は、


「いや、猿でももう少し上品な恋をするだろうよ。悪かった、猿よ」


と、更に暴言を重ねた。

望月は、苦笑いをしている。


「だが、あの馬鹿がお前に惚れているなら、好都合だ。お前もあいつの気持ちを知っているんだろう?だから、さっきの俺の仕事内容に、あそこまでの自信を持って了承した」


望月は、笑顔でいるだけである。


「まったく、女というのは、魔性だな」


勘助はそれだけ言うと、とっとと城を降りた。



 勘助は、笠原城から二刻よじかん程ほど歩き、大諸城おもろじょうという城に入った。

この城は、勘助が縄張り(設計)を命じられた城である。既にあったものを、勘助が自己流に造りなおしており、まだ完成していない。城は穴城とも呼ばれ、城下町が城よりも高い位置にある。城は、坂だらけの地形の最も低い位置に置かれ、崖や谷などを天然の掘りとして利用した要塞である。その緻密ちみつな設計は、一切の華やかさを捨て、実戦のみを意識されている。しかし唯一、その本丸にだけは、少し変わったものが置かれている。


 勘助が城に入ると、ここに詰めさせていた家臣の大仏心おさらぎ こころが出迎えた。


「おかえり、勘助君」


大仏おさらぎは、優しく微笑んだ。

眼は涼しく、鼻も唇も細い。美しい顔立ちである。背も高く、スラリと細身で、頭には常に白頭巾しろずきんを被っている。性別は、勘助でさえ判然としない。


「ああ」


 勘助は不愛想にそう言うと、本丸に行った。そこには、「鏡石かがみいし」と呼ばれる石が置いてあった。巨大な石である。表面は良く磨かれ、さながら鏡のようであることから、勘助が「鏡石」と呼んで常に愛用しているものである。大諸城おもろじょうを縄張りするにあたり、勘助がここに設置した。


 勘助は鏡石の前に来ると、小柄こづかを取り出し、雑にひげを剃った。その背後から、大仏おさらぎが勘助の甲冑を持ってやってきた。


「勘助君、身なりはそんなに大切かい?」


と、大仏が勘助の顔を覗き込んだ。


「そりゃあそうだ」


「なぜだい?」


勘助は髭を剃り終え、髪を整えると、今度は泥の入った爪をぎだした。泥を入れるために、わざと伸ばしていた。


「人は見た目でそいつがどんな人間か決めつける。それが仕事の役に立つ。例えば、相手にモノを喋らせたいときは、こいつは馬鹿だ、と思わせるような顔になる。そうすれば、偉そうに語りだす。逆に、舐められちゃいけない時には、胸を張り、自信があるように思わせる。目上の者には、礼儀、ということにもなるだろう」


「へえ、そういうものかい」


「そうだ」


勘助は、右手をかざした。爪は、雑ではあるものの、見違えるほどきれいである。

続いて、左手の爪をぎだした。


「しかし勘助君。ボクや夕希君は、君がどんな格好だって、気にしないよ?君がどんな人なのかは、身なりでは決まらないだろう?」


「そうかもな。しかし、世の多くの人間は違う。なあ大仏おさらぎ、人間とはらくが好きなんだよ。身なりで判断するのは、なるほど楽だからな」


「ふうん」


勘助は、左手の爪も削ぎ落した。左手を視線の高さまで上げ、その爪を眺める。


「しかし、楽をしたい、という考えは悪いことじゃない。俺たち軍師は、楽に勝つために、策を練るのさ。楽をしたいなら、血を吐くほどに頭を使い、考えなければならない。楽とは、実は良い考えの根源なんだよ。一方で、楽をするために考えをやめるのは、物事の道理がわかっていない愚か者のすることだ。俺はその愚か者を、利用してやるのよ」


勘助は、大仏が持って来た眼帯をつけると、鏡石を覗き込んだ。

不思議なもので、この鏡石を見ると、いつもつい余計な事が言いたくなった。


「俺はな、自分の顔が嫌いだ。自分でも怖気おぞけが走るような顔だと思う」


この鏡石を見る時は、いつもひとりであった。つい、油断した。

大仏は、黙って聞いている。


「しかし一方で、俺はこの顔に救われてもいる。この鏡石を毎朝見るたびに、自信でつけあがりそうになる自分を抑えることが出来るのだ。お屋形様があのように俺を大切にしてくれればくれるほど、俺は阿呆だから格好つけたくなる。しかし、この石に映る俺が言うのだ。『お前はそんな奴じゃあない。わきまえろ』と」


勘助は、その右眼を、やや伏せた。


「君は、自分を卑下しすぎじゃないのかい?」


「人間はな、卑下しすぎるくらいがちょうど良い。そうすれば、他人になんと言われようと、そう深くは傷つかない」


他人の恋を目の前で見たせいだ、と思った。勘助はこの年まで、恋というものをしていない。


「君には、誇るべきものがあるじゃないか」


「なんだ。頭か」


勘助は振り返った。

確かに勘助は、自分の頭脳は誰にも負けないと思っている。


「違うよ」


大仏は、勘助の頭を撫でた。


「その、心さ」


「はあ?」


勘助が大仏おさらぎの手を払い、立ち上がった。


「もういい。お前にも仕事がある。笠原城の絵図を見て説明するゆえ、ついてこい」


そういって、歩き出した。

大仏は、その背に向けて、なお続けた。


「君は、自分の夢に向かって突き進める勇気がある。希望がある。君を受け入れてくれたお屋形様のためになんだってしようという、感謝の心がある。覚悟がある。他人の言葉に傷つく、繊細せんさいな心がある。夕希君やボクに向けてくれる、優しさがある。だから君は、孤独じゃないんだよ」


勘助は、急に立ち止まると、振り返った。


甲冑かっちゅうを忘れた」


そのまま、急ぎ足で、大仏の隣を通り抜けた。

大仏は、その顔を見て、微笑んだ。



 勘助は大仏にめいを下すと、自らは甲冑を着込み、行軍している自らの隊に戻って行った。

勘助は、信繁の下に行き、偵察の報告をすると、それをもとに策を考え、先手さきてに志願した。信繁は、快諾した。


 七月十八日。武郷晴奈率いる本隊八千が峡間を出陣した。

 

 七月二十四日。卯刻うのこく午刻うまのこく(午前五時~正午前後)、信繁率いる先鋒部隊が、城を取り囲んだ。

 先手さきての山森隊は、数はおよそ三百ほどである。笠原城の兵力は、勘助の思惑通り、その半数が逃げ出した。総大将の志賀清繁しが きよしげはこれに怒り、追って殺そうとした。しかし、家老の清水村しずむら左近丞さこんのじょうがそれをとめた。既に兵の士気は落ちているが、ここで百姓を殺せば、取り返しがつかなくなると思ったのである。以降は、脱走者のために見張りをげんにした。

残った兵数、およそ五百五十。


 山森隊は、ふもとに流れる川に架かった橋を渡り、山を背にして布陣した。川の手前では、場所が狭く、陣が東西、横に伸びきってしまうし、笠原城からの奇襲が怖かった。

橋は大きく、大勢が一斉に渡れた。その橋を馬で渡りながら、勘助はしめしめと笑みを浮かべた。

隣をゆく夕希ゆうきがそれに気づいた。


「どったの勘助?思い出し笑い?」


「違う」


勘助は、夕希に馬を寄せた。


「俺は早速、志賀清繁しが きよしげの作戦計画を潰してやったのよ」


「というと?」


「志賀は、ここら辺一帯の百姓を皆、城に籠らせた」


「そりゃあ、戦さだからね」


なんでもないように夕希が言った。


「違う」


勘助は振り返り、自分たちを見下ろしている笠原城を見た。


「奴め。あれは相当に強気な将だぞ」


「・・・・・・どゆこと?」


夕希が、今度は自分から馬を寄せてきた。ようやく勘助の話に興味が沸いたのだろう。


「通常、長く籠城をするつもりなら、百姓をやたらめったら城に入れたりはしない。兵糧を喰い尽くされるからな」


「うん?ということは?」


「知れたこと。奴は短期決戦を狙っておったのだ。城から打って出て、百姓たちには死んでもらう気だったのだろうよ」


夕希は驚いた表情を見せた。勘助はその顔に、満足した。勘助はこの幼馴染の素直な表情の移り変わりが好きだった。


「つまり志賀清繁しが きよしげは、援軍に多くを期待していない・・・・・・?」


「そうだろう。奴は現状をよく分かっている。我らに打撃を与えるだけ与え、自らも討ち死にするまで戦うつもりだったに違いない」


「なぜ?」


「さあな。そこまでは分からん」


言って、勘助は考える。


(なぜだ。そこまで分かっているなら、降伏すべきではないか。なにが、奴をそうさせる)


夕希が、声を掛けた。


「案外、意地で戦うと言ってしまっただけかもしれないよ?布陣が終わったら、もう一度和戦を問うてみたら?」


「ああ」


むろん、勘助としてもそのつもりである。小うるさそうに返事をした。


(もしや、外山城になんら知人でもいたか?だとすれば、降伏などせぬかもしれぬ・・・・・・)


その場合、城主以外を説得しなければならなかった。


(例えば、あの馬鹿左近進ばかさこんのしんはどうだ)


勘助は、自分の中で問うた。


(いや、駄目だ。例えあの馬鹿を俺たちが説得できたとしても、あの馬鹿が城の連中を説得することは難しい。騒ぐだけ騒いで終わるだろう)


勘助は望月から聞いたおもだった将を順に考察していった。どこかにほころびはないか。その綻びが、城を破る最上の一手になる。


(家老はどうだ。確か・・・・・・そう、清水村しずむら左近丞さこんのじょうとか言ったな)


勘助も、左近丞の姿を見ている。城に潜入した際、やぐらで怒号を発しているのを見た。


(あの男。あれがあの城の中核だ)


勘助は、左近丞についての情報を望月に聞いていた。


(冷静な男らしい。もしかすれば、この男があるじを説得してくれるかもしれぬ)


勘助は静かに頷いた。


「夕希よ。緒戦で徹底的に破る」


夕希は力強く頷き返した。



 信繁率いる先鋒部隊全軍が、布陣を完了した。信繁以下、山森勘助、馬場晴房ばば はるふさ相木市あいき いち野津孫次郎のず まごじろうなど、天海あまみ派ではない将が多く参戦している。

 和戦を問う軍使には、勘助が諫早助五郎いさはや すけごろうを推した。


「助五郎。礼節を重んじ、相手を尊重せよ」


 勘助は諫早いさはやの眼をじっと見つめた。諫早は力強く頷くと、二人の家来を連れ、山を登った。

 城門につくと、諫早は自ら編み笠をかざした。使者であることを示したのである。


 城門を見下ろす外曲輪そとくるわの砦。志賀清繁しが きよしげはわざわざここまで出向き、使者に来た諫早助五郎を見ていた。普段の眠そうな眼をカッと見開き、


「お前たちと語ることは既にない!我らは戦さすると決している!これ以上は、侮辱ととるぞ!」


 清繁は吠えた。助五郎は、清繁の姿を確認した。


「お待ちくだされ!我らは決して、戦さを望んでいるわけではござりませぬ!もう一度、お考え直しを!」


 助五郎は、今一度高々と編み笠を掲げた。


れ!」


 清繁の下知げちに、控えていた弓の名人三人が顔を出した。


「!!」


 名人は一斉に弓を構え、矢を放った。

矢はまっすぐ編み笠へと走り、三本全てがそれを貫いた。

助五郎は思わず尻餅をついた。二人の家来の内、一人は既に逃げ出し、もう一人は膝を落として刀の柄に手を掛けた。


 助五郎は急いで立ち上がると、


「戦場にて、相まみえん!」


と叫び、山を下りた。


 助五郎の報告を聞いた勘助は、ひどく失望した。

 開戦が決定した。

 この日、村島義清の援軍一万は、峠を越え、浅間幸隆あさま ゆきたかが籠る岩頭城いわがしらじょうを包囲している。同じ日に、互いに敵の城を囲んで布陣したのである。



 七月二十五日。未刻ひつじのこく(午後一時)、開戦。

山森隊の先鋒は、井藤夕希いとう ゆうきが率いる百人である。大手門へと続く道は、細長い山道で、周りは木々が生い茂っている。夕希は、隊の半分、五十人を従妹いとこ小林幹江こばやし みきえに率いさせ、進ませた。


 幹江みきえは夕希に似て、大雑把な性格である。特に警戒もせずにさっさと進んでいく。


 夕希ゆうき幹江みきえが率いる先鋒隊を、後ろから心配そうに眺めつつ、行軍していく。夕希隊は、夕希のみが騎馬である。

その隣を、幹江みきえの姉であるはるかが微笑を浮かべ、馬上の人に話しかけた。


「心配しなくても大丈夫ですよ、夕希姉さん」


「あんたは少し心配しなよ。見てよ、あの大股開きの歩き方。不用心すぎじゃない?」


「らしくないですよ、夕希姉さん。幹江みきえちゃんの方がよっぽど自分らしい」


「あぁ、心臓に悪い。自分で行った方がよほど楽」


 夕希は元来、面倒見が良い性格である。この姉妹だけでなく、幼馴染である勘助でさえ、弟か子供のように世話を焼く。それが勘助にしてみればわずらわしくもあるが、愛される所以ゆえんでもあった。姉妹も、自然、この姉を愛した。勘助が武郷家に席を置いた時以来、この二人も夕希の元に駆け付けた。古参の家臣である。


 幹江みきえが隊を率いて突き進むと、巨大な岩石が前方に見えてきた。その上には、外曲輪に詰めている兵たちがうごめいている。

 幹江は道なりに突き進み、岩石にぶち当たると、そのままの流れで左に折れていった。


 敵が、いた。三十人ほどの隊である。率いる将は、援将の宝田右衛門左たからだ うえもんざ。父についてきた、血気盛んな青年である。その背後に、大手門が見えた。


「撃て!」


 右衛門左の下知で、鉄砲が火を噴いた。前列、数人が斃れた。

幹江は敵に先手を打たれ、頭に血が昇った。


「野郎、脅かしやがって!進め!」


 刀を抜き去り、鉄砲を撃ったばかりの敵に斬りかかった。


 右衛門左うえもんざはすぐさま鉄砲組を下げると、槍隊を前に出す。


「来るぞ!」


「「「応!」」」


槍隊は、一斉に槍を突き出した。走ってくる幹江の隊を突き殺す。


「おらぁ!」


 幹江は串刺しになった味方の背を蹴ると、飛び上がって斬りかかった。

槍を突き出していた兵たちは驚き、幹江を見上げる。が、次の瞬間にはその首が二つ、飛んでいた。

隊伍を組んでいた槍兵部隊は幹江の突入に驚き、崩れた。その隙に他の兵卒も斬りこみ、たちまち乱戦となった。


 岩石の壁を前に止まった夕希率いる残りの隊は、その報告を聞いた。


「よっし!」


と、夕希は握り拳をつくった。


「やりましたねえ」


と、かたわらの遥も嬉しそうである。


「うん!敵は槍隊であたしたちを食い止め、その隙にあの崖の上から岩やら弓やらを浴びせるつもりだって、勘助が言ってた通り!乱戦に持ち込めば、そう易々とは無理だからね!やるじゃん、幹江!」


 はるかも妹の活躍に、笑みが絶えない。


が、次の報告は、二人の顔を青ざめさせた。


山中さんちゅう方々ほうぼうに、敵が潜んでおります!また、先鋒隊、苦戦!」


途中の山道には気をつけろ、と勘助に言われていた。そのため夕希は、斥候せっこうを山中に放っていたはずである。


「報告、遅い!」


と、はるかが怒鳴ったのも無理はない。

見れば、木々の端々には、竹槍を構えた人数がみえる。槍は、穂先が丁寧に焼かれているらしく、鋭い。志賀清繁の入念な戦支度により、今や竹も立派な武器である。

斥候に放った者たちは、伏せていた弓の名人によって、討たれてしまっていた。

幹江率いる先鋒隊も、同様である。外曲輪から崖下を覗く雑兵は、敵味方入り乱れた戦場に弓矢を放つことをためらったが、名人たちは違った。何の躊躇もなく、矢を放つ。


「幹江と合流しよう」


と、夕希は決断し、隊を前進させた。


 岩石にぶち当たり、左に折れると、そこには惨劇が広がっていた。

大勢斃れている。その多くは、夕希の隊の者であった。


「あ」


夕希は、敵味方とともに無造作にころがっている幹江を見た。

うつ伏せに斃れ、その背には、矢が数本刺さっていた。


「夕希姉さん、山中に潜んでいた敵が一斉に来ます!」


後方を警戒していた遥が、追いついた。


(駄目!)


夕希が幹江の遺体を見せまいと振り返ったが、既に遅い。

遥は幹江をじっと見つめていた。


「退こう」


夕希が呼びかけたが、遥は反応しない。


 やがて、


「おのれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええ」


と叫ぶなり、門前を守る右衛門左うえもんざの隊に突っ込んでいった。


 夕希が率いた五十人のうち、半分はそれについていき、残りは夕希を守った。

後方から、隠れていた竹槍の隊が迫っている。弓名人も幾人かいるだろう。


 夕希は、急いで遥を追おうとした。が、敵と味方とが入り乱れ、容易に進めない。かろうじて突破できそうな所を進もうにも、後方と頭上から、弓矢が浴びせられる。敵味方の間から、右衛門左うえもんざと戦うはるかの姿が見えた。


 半刻いちじかん、戦闘が続いた。夕希の隊は、囲まれながらもよく戦った。

夕希は味方を叱咤しったしながら、戦い続けた。

後方からの矢を避け、頭上からの矢を槍で弾き落とすと、


「退け、退け」


と叫び、撤退を開始した。

夕希は、後方に馬首を返し、一気に馬を駆けた。


 後方にも、敵がいる。竹槍を手に、一斉に襲い掛かった。

 夕希は左から、槍を振り上げた。雑兵の首が、振り上げられる槍とともに、吹き飛んだ。血をまき散らし、異常な高さを飛ぶ。槍を振り上げきると、今度は頭上で旋回させて右手に持ち替え、そのまま振り下ろす。そこにいた雑兵は、右肩から左腰にかけて、斜めに切り落とされた。


 雑兵は、これに怖気づいた。所詮は、百姓兵である。我先にと逃げ出すものが続出した。


「続け、撤退する」


夕希は叫ぶなり、山道を駆け降った。夕希隊の生き残りも、それに続いた。


 凄まじい勢いで馬を駆る夕希の先を、二人の人影が阻んだ。どちらも、弓を構えている。


(名人か!)


夕希は、すぐにそれを察した。


(後方からちょびちょびと卑怯な奴!あの世に消えろ!)


 二人の名人は、同時に矢を放った。一本は首へ、もう一本は右太腿ふとももへと向かってくる。

夕希は、槍の端を持つと、同時に叩き落した。そのまま槍をひょいっとで片手で持ち直すと、思いっきり投げ付けた。


 槍は、片方の名人の胸を貫いた。

もう片方の名人、それに気にせず、次の矢を構え、放つ。


 夕希は馬上で身を伏せてそれを避け、刀を抜くと、すれ違いざまに首を飛ばした。


 夕希の背後では、宝田右衛門左が、二十五人の名人と五十人の雑兵を連れ、追った。

右衛門左と名人は、皆、騎馬である。


 馬上で弓を構える名人の矢は、ほとんど確実に、夕希隊の者の背を討った。


 夕希隊はどうにかこうにか、平地へと降り立つと、そのまま橋を渡った。

勢いづく右衛門左は、橋を渡った。その隣を、名人の一人、神津こうずという男が並走する。


「深追いしすぎではありませんか?」


右衛門左うえもんざは、首を振った。


「いや、戦さは勢いだ。このまま先手さきての山森隊を総崩れにしてくれん」


神津こうずはニヤリと笑った。


「眼帯の男でしたな」


右衛門左もまた、ニヤリと頷いた。


 その時。


 右衛門左の耳に、突如、鉄砲音が響いた。二発、三発と、それは続く。

獲物を追って血の気の多かった右衛門左の隊は、皆、何事かと立ち止まった。見た所、味方は無傷である。


「どこだ」


右衛門左が、神津に聞いた。が、神津は黙っている。


 次の瞬間、凄まじい音と地響きが、右衛門左の耳に聞こえた。


「なんの音だ!」


「これは・・・・・・」


「なんだ!」


「水の流れる音ではござりませぬか?」


「!」


右衛門左が慌てて背後を振り返ると、そこにあった橋を、大波がさらっていった。


「馬鹿な!味方は何をしておる!これでは我らの退路がなくなるではないか!」


 右衛門左が怒鳴ったのも致し方ない。元々水攻めを計画していたのは、清繁たちのほうである。

家老の清水村左近丞の策であった。水をせき止め、わざわざ大軍が渡れるよう、橋も大きなものに造りなおした。武郷軍がここを渡った時、濁流で一挙に殺すつもりであったのである。

が、勘助に見抜かれた。勘助は、橋造りに協力していた望月もちづきの話と、矢田左近進やだ さこんのしんの「川も森も、全てが味方」という言葉から、感づいた。せき止めている場所を大仏心おさらぎ こころに調べさせると、そのまま制圧するための兵数を隠させ、この日の午前中に制圧させた。大仏おさらぎの手際は見事なもので、川をせき止めていた敵兵には一切気づかれることなく斬り伏せた。鉄砲の音が、せきを切る合図であった。


 右衛門左うえもんざ率いる雑兵五十、名人二十五名は、呆然と立ち尽くした。

正面からは、引き返してきた夕希隊。右手からは、山森隊。左手には、諫早隊が囲んでいる。


 夕希隊から、夕希が現れた。その視線は、右衛門左の腰にぶら下がっている首である。


はるか・・・・・・」


その視線には気づかず、夕希が出てきたのを見た右衛門左は、名乗りを上げた。


「宝田右衛門左!一騎打ちを所望する!」


 右衛門左にとっては、一か八かであったろう。これほど有利な状態で、一騎打ちに応じる馬鹿は、普通いない。

が、


「山森家家臣、井藤夕希!参る!」


夕希は刀を突き出し、突っ込んできた。


(しめた!)


と、右衛門左は思った。腕には自信があった。先程も、敵将の首をあげている。


 右衛門左も、馬を走らせる。獲物は槍であった。

右衛門左は槍を突き出した。が、夕希はそれを軽々とはけ、にそって刀を這わせると、そのまま右手を落とした。右衛門左は痛みのあまり、落馬した。夕希も馬を降り、ゆっくりと近づく。右衛門左はこの時、凄まじい恐怖とともに、夕希の兜に眼がいった。兜の前立て、眼帯をした鬼の顔が、怒っている。


「ひっ」


と、声が出た。


 右衛門左は、四つん這い(と言っても、手足は合計で三本しかない)の状態になると、見守っていた弓の名人、神津こうずの下に寄っていき、


「刀!」


と、叫んだ。神津は慌てて鞘から刀を抜き、投げた。

左手でそれを掴んだ右衛門左は、奇声をあげて斬りかかった。


 夕希は苦も無くそれを叩き落すと、力まかせに右衛門左の顔面を殴りつけた。

右衛門左は鼻血を垂らして倒れこみ、夕希が馬乗りになる。

そのまま何も言わず、首元に刃を叩きこんだ。


 勘助の率いる隊、全軍から歓声が上がった。口々に、「お見事!」と聞こえる。


 この後、包囲された右衛門左の隊は、なすすべもなく、討ち取られた。ある者は槍で突かれ、ある者は撫で斬りにされ、ある者は荒れ狂う川に落とされた。神津名人は、諫早助五郎いさはや すけごろうと向かい合ったが、わずかの一合いちごう、刀を合わせただけで討ち取られた。

 


 勘助の策で川が濁流に呑まれたとき、にわかに動き出した隊があった。

山森隊の隣に布陣していた、馬場晴房ばば はるふさ隊である。


 馬場隊は、風のように山を駆け上がっていった。外曲輪の守将は、矢田左近進やだ さこんのしんである。

左近進は、城下の様子を眺めると、すぐさま川の上流を調べさせるように命じていた。

なんとも愚鈍な男である。たった今、眼下で起きた事実は、今更調べるまでもない。水攻め策を気取られ、裏をかかれた。それだけの話である。なのに彼は、慌てて原因究明に乗り出した。そのため、攻め寄せてくる馬場隊への反応が出来ない。


 馬場隊は大手門まで来ると、巨大な丸太を持ち出し、一気に門扉もんぴを開けようとした。

守兵はそれでも抵抗したが、ここを部署されていたのは先程敵を追って出ていき、このとき既に首を授けてしまっている宝田右衛門左なのである。指揮を採る将もなく、各々が勇気と弓を引き絞って抵抗したが、そんなものは馬場晴房の敵ではなかった。


 門が、開け放たれた。

どっと馬場隊が突入し、二股に分かれた道を突き進んでいく。


 西曲輪にしくるわを守る将は、家老の清水村しずむら左近丞さこんのじょう。左近丞も、動きが鈍かった。宝田右衛門左が平地で逃げ場を失ったとき、左近丞は、「緒戦は負けか」と漏らした。この日の戦さはもう終わりと見たのだろう。右衛門左の隊が逃げ場を失ったということは、同時に、敵の先手さきてである山森隊も進軍のすべがなくなったことを意味していたからである。

 例えば、先手を任されている将の手柄を他の将が横取りしようとすれば、必ず不和が生じる。先手は、大変な名誉であった。下手をすれば訴訟どころでは済まなくなる。左近丞さこんのじょうは、それはない、と高をくくっていた。が、馬場隊は動いた。これもすべて、あらかじめ決めていた勘助の策通りであった。

 話は、その左近丞が守る、西曲輪。この本曲輪から最も遠い位置にある曲輪は、実はこの城で最も重要な防衛施設である。ここの働き次第で、城の防衛は容易にも、困難にもなりうる。だからこそ、城方で最も戦上手で知られるこの家老が部署されているのである。


「なんだこのざまは!」


と、左近丞が怒鳴ったのも、致し方ないだろう。彼の仕事は、外曲輪を守る猛将、矢田左近進が下手を打った時、それを助けることにある。今でいえば、大手門に急行すべきであったろう。


 西曲輪には城方しろかた最上の指揮官。外曲輪には城方最強の猛将。その二人が、勘助に踊らされた。そしてそれらを実際に相手取るのは、攻め手最強の部将、馬場晴房ばば はるふさであった。


 晴房はるふさは、東に折れた。外曲輪の方角である。

 外曲輪は、三百人の兵が守っていた。が、今は大手門攻防戦と右衛門左に指揮されついていったために、二百人足らずまで減っている。

 対する攻め手の馬場隊は、兵六百。その内の四百が、外曲輪に向かっているため、数はちょうど倍ほどである。


「曲輪に入れるな!入口は狭い!ここを抜かれてはならん!心配無用!この曲輪は、武勇一番、この矢田左近進がついておる!」


 砦から戦況を見る左近進は、怒号をあげた。

守兵たちは曲輪入口を取り囲み、馬場隊の兵卒と戦闘を開始した。城方の優勢である。入口をくぐって飛び込んでくる馬場隊は、三方から槍を繰り出され、成すすべもない。

しかし攻撃はここだけではない。曲輪の土塁には梯子はしごが掛かり、馬場隊が攻め寄せる。左近進は砦を右へ左へ動き回り、叱咤して回っている。


 その時。


 曲輪の土塁の一角で、歓声が上がった。


「なんだ」


 左近進は慌ててそこを見た。

見れば、梯子を蹴落とそうとした味方が、尻餅をついて後じさっている。


「何をしている!」


 左近進の轟く怒号をよそに、その歓声のぬしがぬっと姿を現した。

背の高い女である。豪華とは程遠い地味な鎧に身を包み、巨大なつちを片手で持っている。


「なんだ、あの女は」


 近隣では豪勇で知られる左近進さこんのしんも、驚かざるを得ない。女は、大の男が二人がかりでようやく持てるような巨大な槌を、易々と振り回して見せたではないか。女とかろうじて判るのは、その胸が巨大であるからである。


「あれは、馬場晴房ばば はるふさですぞ」


 隣に、援将の宝田憲頼たからだ のりよりが並んだ。この男は、戦さよりも学者向きの性格で、各地の将を調べることが好きな、いわゆる情報通である。端正な顔つきだが、息子を失たったばかりのため、元気がない。


「なに」


 左近進さこんのしんは眼を細めて晴房はるふさを凝視した。目線に気づいたのか、その顔がこちらを向いた。眼庇まびさしの奥にある眼と、合った気がした。すると途端に、寒気が走った。


「名人。あれを射殺せ」


 声が、震えた。

 この曲輪に配置されている名人は、既に一人しかいない。しかしながらその男、百人いた名人の中でも、腕は最上であった。その男が、すっと左近進の隣に寄ったかと思うと、いつの間にか矢を放っていた。


 晴房は、顔に向かって飛んでくる矢を弾き落とした。が、次の矢がまた飛んできている。それも落とす。また飛んでくる。晴房は、だんだんと押され始めた。背後には、今しがた登ってきた堀がある。落ちればただでは済まない。


(私は戦さで傷を負ったことがない。それが誇りなのだ。それがこんな細い棒切れで、冗談じゃない)


 晴房は、七発目の矢を弾くと、強引に動いた。曲輪を守る敵兵の集団に突っ込む。


(無駄なことだ)


と、名人はその姿を目で追っている。瞬きを、一切しない。


 晴房が突っ込んでくると、守兵は手柄を求めて群がった。

三本の槍が、一斉に晴房に突き出される。晴房は大槌おおづちを振り下ろし、それらを叩き折った。

そのまま、怖気づく兵に一足で近づくと、片手でその鎧を掴み、生身の人間ごと高々と持ち上げた。掴まれた兵卒が足をじたばたと動かす中、晴房はを飛んできた名人の矢の盾につかった。兵卒は、即死である。力をなくし体が重くなった遺体を放り投げると、続いて突き出された槍の柄を持ち、背負い投げの要領で持ち手の人間ごと投げた。矢が、宙に浮く身体に弾かれ、落ちる。晴房は息を乱さず、動くことをやめない。そのまま大槌をぐるぐる回して敵の集団に投げつけると、刀を抜いてその集団に突っ込んだ。


 晴房を追い、その配下もようやく土塁をよじ登ってきた。馬場家の家臣、早川弥左衛門はやかわ やざえもんが声をあげる。


「殿!早川弥左衛門、助太刀いたす!」


晴房は右に左に敵を斬りながら応えた。こめかみ辺りを斬られた兵卒の、眼球が飛び散る。


「遅い!危うく傷を負うとこだったぞ!」


早川は笑うと、「そおれ!」と言って、兵卒を率いて晴房と戦う敵集団にぶつかった。


 遂に曲輪内は乱戦となり、一番腕の弓名人も晴房を見失った。

守将左近進さこんのしんは、


「もはやここで指揮を採っても意味はない!下でわしも戦うゆえ、おぬしはこのまま馬場晴房を討ち取れ」


と命じた。

晴房との戦いに集中していた名人は、いらっとして左近進を睨んだ。


「矢田様が自ら討たれては?」


と、名人が言うと、


「あのような化け物には勝てん」


と言ったから、名人は思わず、


(情けない。何が武勇一番だ)


と内心で舌打ちをした。


 左近進が砦からいなくなると、名人は眼を凝らして晴房の姿を見つけつつ、馬場隊の将兵の頭を撃ちぬいていく。


(どこだ)


なにぶん、晴房の鎧が地味すぎるのである。探す目印と言えば、身長。後ろでまとめられ、兜から流れる長い髪。大槌。


(見つけた!)


大槌を見た。が、それは晴房の家来が二人がかりで運んでいるだけである。

名人は舌打ちをした。


「!」


突如、胸に痛みが走った。見れば、小柄こづかが刺さっている。

名人は、自らの死を悟った。


(暴れても仕方がない。せめて、あの女がどこからこれを投げたのか。いや、顔だ。顔が、見た、い)


名人は、絶命した。

晴房は、名人の近くにいた。近すぎて、見えなかったのだろう。


 砦から狙撃する名人が討たれたのを、左近進も見た。


「一度下がれ!体勢を立て直せ!」


と、命じた。余程名人たちを頼りにしていたのだろう。胸中で名人の多くを連れ出し無駄に殺してしまった右衛門左を罵りながら、下知して回る。良く響く声である。その声目掛け、馬場隊の武者が斬りかかった。

左近進はそれを弾くと、横殴りに刀を撃ちつけ、首を飛ばした。


 晴房は、相対している敵兵の背後、旗が慌ただしく下がっていくのを見た。


(退くな)


 晴房は、大槌を手に取り、掲げた。


「今だッ!金山衆かなやましゅう、来い!」


途端、土塁にかけられた梯子はしごから、次々とくわを持った人夫にんぷが現れる。

晴房が率いる、掘削部隊くっさくぶたいである。彼らは、勘助が望月から教わった水道の地点をよく聞かされていた為、迷いなくその箇所まで行くと、土を掘り始めた。


 金山衆を、馬場晴房筆頭に、兵士たちが守る。

この報告を受けた左近進は、飛び上がって驚いた。


「いかん!すぐさま取って返し、やつらを止めろ!」


が、兵士たちは混乱し、思うように動かない。かろうじて命令が届いても、晴房を見ただけで、皆、聞かぬふりをして逃げ出した。


「まずいまずい!西曲輪の左近丞さこんのじょう殿に、援兵を求めよ」


左近進は、西曲輪に助けを求めた。



 左近進の命を受け、五人の家来が西曲輪に走った。三人は、馬場隊との乱戦の中、討たれた。

が、二人はなんとか外曲輪を脱し、西曲輪へと向かう。西曲輪入口には、馬場隊残り二百人が、固まっていた。


 二人の家来は、無言で頷き合った。

一人は奇声をあげて馬場別動隊の背後から斬りかかった。その隙に、もう一人が馬場隊のふりをして紛れ込んだ。


 最後になった一人は、西曲輪入口付近まで行き、一気に駆け抜けた。


「あ」


と、背後から声が聞こえ、背中を刺された。


 出血しながらなんとか清水村左近丞の元までたどり着いた矢田家家臣は、


「外曲輪。水の手の危機。急ぎ、援兵を」


とだけ言って息絶えた。


左近丞は、


「分かっている。だが、敵が入口で守りを固めているのだ・・・・・・。敵はこの曲輪、いや、城の機能を、知っている」


と言って、悲痛な顔を入口にたむろする馬場別動隊へ向けた。


 馬場別動隊は、保科甚四郎ほしな じんしろうという男が率いている。この男、槍の名人で知られ、元低遠家の家臣である。低遠合戦の折、晴房に気に入られて捕らえられ、以後、晴房を惚れこんでいる。


 左近丞は前へ出た。


 見れば、保科ほしなが槍を突き出すと同時に、三人の家来が斃された。左近丞には一突きにしかみえないが、どうやら三度の突きを繰り出したらしい。


(尋常な手段では勝てない)


左近丞は名人を全員招集した。この曲輪には、二十人いる。


「右から十人。左から十人。俺の合図で一斉に矢を射かけろ」


「合図?」


「おう。それぞれ三人ずつは、保科甚四郎を守る家来どもを撃て。合図は、一騎打ちを俺が仕掛けた後、一合。それが合図だ。二合も三合も、俺は防げぬ」


名人たちは、互いに顔色を窺った。あまりに武士らしくないように思われたのである。


「俺が討たれても、矢を射かけ続けろ。外曲輪を、救わねばならぬ。誇りを、捨ててでもな」


名人たちは、はっとした。左近丞の覚悟を受け取ったのだろう。全員が頷いた。


「よし、行け」


名人たちは、それぞれ散っていった。



 が、その決死の策が実行に移されることはなかった。馬場隊が、山を下りていく。

晴房は、目的を達したのである。金山衆が土を掘り進めると、そこには栗の木の板で作られた、があった。水道である。金山衆は、これを粉々に壊してしまった。水が音を立てて、土に溶け込んでいく。その音は、城方の兵士たちにはやたらと大きく聞こえた。


 午後三時頃。水の手が、取られた。

同じ頃、浅間幸隆が守る岩頭城いわがしらじょうは、金井安治かない やすはる率いる一万の軍勢を、退けた。


 緒戦は徹頭徹尾、武郷軍の勝利であった。

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