第一話 (10) 山ノ口城 その後
時間は少し巻き戻り、勘助が去った後の山ノ口城の話をしようと思う。
晴奈は、
晴奈が現れると、一人の将が駆け寄ってきた。
「晴奈様。やはり撤退ですか?」
「うん」
将の名は、
背は高く、胸部と
彼女は、元農民出身で、その戦ぶりを見た晴奈が気に入り、自分の家臣としたのだった。
晴奈が武郷家の次の当主となれば、馬場も自然と家臣になる事は必定で、農民嫌いの信虎は、晴奈が馬場を家臣にしたという事を知ったその時、晴奈を家臣団の面前にも関わらず、怒鳴りつけた。
その分、馬場の晴奈に対する感謝と忠誠は絶対であった。
後に70回にも及ぶ戦に出陣し、傷を一つも負うことのなかった彼女は、「不死身」と恐れられることとなる。
「馬場よ。若殿様は此度、
晴奈と共に信虎の元に行っていた板堀が、無口な晴奈に代わり、馬場に告げる。
「
この雪の中、敵が追い討ちをかけない事など、お屋形様とて分かってるはずです!
そのお屋形様が、晴奈様に
「馬場!控えよ!」
あまりに無神経と言えば無神経な馬場に、慌てて注意する板堀。
しかし既に遅かった。
「此度は、私が父上にお願いした」
「え?」
馬場の思考は一旦止まった。
やる仕事のない
馬場は慌てて謝る。
「そ、それは、失礼しました!」
晴奈は不思議そうに馬場を見た。
「なぜ謝る?」
「そ、それは、」
晴奈は、馬場がなぜ謝ったのか本当に分かっていない様子だった。
が、馬場が慌ててタジタジしている様子を見て、微笑みながら馬場の肩に手を置き、「頑張ろう」と言って会話を終わらせた。
馬場は、晴奈の対応に落ち着きを取り戻し、改めて晴奈に質問してみることした。
「晴奈様。なぜ自ら
板堀もそれが不思議であった。
板堀と馬場の二人の視線を受け、晴奈は答えた。
「馬場。板堀。戦で最も怖い物は、なんだと思う?」
「はっ。天気でございましょうか。
あれはどうにもなりませぬ」
とは板堀。
「私は奇襲だと考えます」
と、馬場が答える。
するとそこで、板堀が反論する。
「馬場よ。奇襲が起こるのは油断があるからじゃ。
油断は最も危険・・・・・・ッ!」
馬場も晴奈が
「まさか、奇襲を?」
二人が晴奈を見ると、晴奈は大きく頷いた。
こうして晴奈隊300人は、山ノ口城に引き返すこととなった。
板堀と馬場は早速準備を始める。
「皆の者!よく聞くのじゃっ!我らはしばし、ここで火を焚き、体を休めるっ!」
板堀が家来たちに号令し、馬場が続く。
「酒も振舞うぞ!ただし、足元がふらつくまでは酔うなよ!体を温めるんだ!」
足軽たちには何が何だかわからなかったが、寒くて仕方がなかったのでとにかく喜んだ。
酒も振舞うと言われれば、尚更であった。
(味方は300。数としては心許ない・・・・・・。いざとなれば、わしが晴奈様を・・・・・・)
「板堀様~」
板堀がこれからの奇襲について考えていると、間の抜けた声が聞こえる。
「なんじゃ、夕希よ」
「なんじゃも何もないですよ~。あたし初陣なんですよ?
それが後方でずっとただ飯食らいじゃ、勘助に笑われちゃいますよっ!」
「だから誰なのじゃ・・・・・・。その勘助とは」
「何度も言ってるじゃないですか!あたしの幼馴染ですっ!
板堀様、もう
「無礼者っ!おぬしの身内の話をされてもわからんと言うとるんじゃっ!」
「え~」
(どうもこの娘と会話していると、調子が狂う・・・・・・)
板堀は頭を抱えた。
実はこの戦、夕希の初陣であった。
つまり夕希の初陣は、勘助と敵同士であったという事だ。
お互いにそんな事になっているとは、思いもしなかった。
「安心せい、夕希。わしらの戦はここからじゃ」
板堀は、いたずらを隠そうとしている子供のように笑った。
「なんです?その最終回みたいな言い草は」
「最終回?おぬしは何を言っとるんじゃ?」
それからしばらく時は経ち、兵たちの体が十分に温まった頃。
焚火を囲う兵たちの前に、晴奈が板堀と馬場を伴い現れた。
馬場が大声を発する。
「みな、傾聴せよ!」
周囲が静まり返った。
馬場が晴奈を見て頷く。
「みな、体は温まったな?」
晴奈が周囲を見回すと、足軽たちが頷く。
それを確認した晴奈は、告げる。
「私たちはこれより、山ノ口に引き返し、これを落とす。
願わくば、努力せよ」
足軽たちは、一瞬ぽかーんとした後、雄叫びを上げた。
一人上がれば、次から次へとである。
ずっと後備えで鬱々としていたのだ。興奮しないわけがなかった。
それをわかっていた板堀、馬場も驚いた。
兵たちの士気が異常なほどに高かったのだ。
晴奈のカリスマ性は、驚くべきものがあった。
「すごい・・・・・・」
馬場はおもわず呟く。
「此度は奇襲じゃ!松明を消すのじゃっ!行くぞっ!」
「「「おおーーーーー!!!」」」
夜に紛れて城攻めは行われた。
高松勢が近づくこともできなかった城門に、晴奈勢は気付かれることなく近づいた。
かぎ縄を掛けて櫓によじ登り、見張りの兵を暗殺し、まんまと突破する。
見張りの兵は酒を飲みすぎて寝ていた。寝たまま首を掻っ切られた。
城の兵は、明らかに少なかった。
300人もの兵が入って来たのだ。さすがに気付かれるが、気付かれたときには既に二の丸だった。
城内は、敵襲に気付き、鎧を着ることも出来ずに応戦する兵たちの怒号と剣戟の音が鳴り響いた。
志賀も寝ていたが、家臣に起こされ、敵襲を知った。
(勘助の言った通りになったか・・・・・・。
油断もあった。が、わしはあやつを信じ切れなかった。
許せ、勘助。約束は守れそうにない)
城には、80人ほどしかいない。兵や家臣は、みな帰してしまった。
志賀は覚悟を決め、城内で一人、経を読み始めた。
夕希は、初めて人を殺した。
「これが、戦・・・・・・」
夕希の周りでは、板堀が刀で敵の喉を突き刺し、馬場が大槌で敵を吹き飛ばしている。
馬場の巨大な槌で殴られた敵兵は
そうこうしていると、敵兵が夕希に襲い掛かってくる。
必死な形相だった。刀を振り上げ雄叫びを上げて、夕希を切り殺そうとしている。
夕希は槍を突き出した。槍は敵兵の胸を貫通し、その命を奪った。
「見事じゃ!夕希よっ!」
夕希は板堀に褒められたところで嬉しくも何ともなかった。
(やっぱり、あたしは戦が嫌い。でも、)
続いて現れた敵兵をにらみ、夕希は槍を突き出す。
今度は首に突き刺さり、勢い余ってその背後にいた敵にも突き刺さる。
(あたしは決めたんだっ!勘助を守るって!だから、止まっていられない!)
夕希は本丸目指して突き進む。
「夕希!やるなっ!」
走る夕希に、馬場が追いつく。
「私も負けてられないなっ!」
行く手を遮り、槍を構えた足軽三人を、大槌で槍ごと吹き飛ばす。
馬場と夕希は、城内に入った。
城内では、一人、
僧兵は経を唱え終わると、目を開き、長刀を掴んだ。
「覚悟っ!」
そういって味方の足軽が二人、僧兵に斬りかかる。
僧兵は長刀でその足軽の首をいとも簡単に吹き飛ばす。
「その禿げ頭。武勇。志賀源心殿とお見受けする!」
「おう!わしこそがこの山ノ口城城主、志賀源心よ!おぬしの名は!」
「私は武郷晴奈が家臣、馬場晴房!相手にとって、不足なし!」
「はははははっ!馬場か!ならばこの勝負、爺と婆の一騎打ちじゃ!」
「私はまだ28だっ!」
そういって馬場は、大槌を振り下ろす。
志賀はそれを受け止めるも、凄まじい力に耐えきれず、長刀の柄がミシッと軋む音を聞いた。
「なにっ⁉」
驚く志賀に次の攻撃が迫る。次は横からの攻撃である。
志賀はなんとかそれを受ける。
(あのような重そうな武器で、この早さ、この
志賀は防戦一方であった。
志賀は確かに猛将であった。しかし馬場はそれ以上であった。
なんとか隙をついて攻撃するも、いとも簡単に防がれてしまう。
時間の問題であった。
しかし、それを見て取った
「志賀様!加勢しますっ!」
それは、志賀の家臣である
相木は、勘助とも折り合いがよく、勘助の話を信じてこの城に残っていたのだ。
ややぽっちゃりとした体形の相木は抜刀し、志賀の隣に並ぶ。
志賀も一騎打ちにおいて加勢されるなど嫌であったろう。
しかし志賀には、「手出し無用!」といえるほどの余裕がないのだ。
もし差し違えれる程の実力差であれば志賀もそう言っていただろう。
しかし現実では、志賀は馬場相手に差し違えることも出来なかった。
馬場の目つきは険しくなった。しかしそこで、馬場にも加勢が現れた。
「それは卑怯だよっ!だったらあたしもっ!」
そう言って加勢したのは、夕希である。
「夕希か。お前なら安心だ。助かる」
これで二対二になった。
この戦いの決着は、やや夕希のほうが早かった。
夕希と相木は、何回か斬り結んだ後、夕希の槍が相木の刀を吹き飛ばした。
思えばこの二人、勘助の幼馴染と戦友である。なんとも不思議といえば不思議な戦いであった。
志賀は馬場相手に防戦を強いられていた所、一旦距離をとった。
しかし、馬場の実力は、志賀の想像を大きく超えていた。
馬場は、大槌の端っこ、石突き近くを片手で持ち、突きを繰り出してきた。
槍でさえ端だけ持って突くなど難しいのだ。それを重量のある槌でやるなど、志賀には考えられなかった。
志賀は胸を槌で突かれ、凄まじい衝撃とともに尻餅をつく。
志賀が顔を上げると、馬場の大槌が振り下ろされ、迫ってきているところだった。
「見事じゃっ‼」
志賀は最期に、その大声で敵を褒め称え、討ち死にした。
「志賀源心、打ち取った!」
「「「おおーーーー!!!」」」
歓声が上がった。晴奈の奇襲は、成功したのだ。
信虎が8千人で攻め落とせなかった城を、晴奈はたったの300人でやってのけたのだった。
「殺してよ」
夕希は、自分と同い年くらいのややぽっちゃりとした相木を見る。
「このまま辱められるくらいなら、死んだほうが、マシだよ」
「嫌。もう戦は終わった。あたしは、無暗に人を殺したくない」
相木は夕希を睨みつける。
それを見かねた馬場が、夕希に言う。
「夕希。殺してやれ。それが武士の情けだ」
それを聞いた夕希は、馬場を鋭く睨みつける。
「は?なんで戦が終わったのに、殺す必要があるのさっ!」
「敵に捕らわれれば、死ぬよりもつらいことが待っている。死んだほうが楽な時もあるんだ」
「意味わかんないっ!死んだら終わりじゃん!」
「だから、終わらせてやるんだ」
「だから、なんでっ」
「それが武士だからだっ!」
夕希はいよいよ頭に血が上る。
「あんた農民じゃんっ!」
「今は武士だ」
そこに板堀が晴奈を連れて現れる。
占領地の巡視は、司令官の仕事であった。
晴奈が現れたため、夕希も馬場も言い争いをやめて、頭を下げる。
「いかがしたのじゃ?」
「はい。捕らえた敵将が首を刎ねろと言っていまして、どうしようかと」
「戦は終わった!もう人を殺す必要はないじゃんっ!」
大体の事態は把握した板堀は、自分の意見を言う。
「夕希よ。生き恥をさらさせてやるでない。それも、優しさなのじゃ・・・・・・」
「板堀様までっ!そんなもの、あたしは優しさなんて思わないっ!」
「人に優しくするだけが、優しさだと、思っておるのか?」
「そうは言ってないっ!でも、この
「覚悟の上のはずじゃ。のう?」
板堀に問われた相木は、黙って頷いた。
「馬鹿じゃないの⁉」
夕希はなにがあっても相木を斬らないだろう。
いっそのこと自分が斬るべきか。そう馬場と板堀が思っていると、黙って聞いていた晴奈が動いた。
「私が斬ろう」
全員が驚いた。その中でも最も驚いていたのは、相木であろう。
「晴奈殿が、自ら・・・・・・?」
「うん」
晴奈は相木に近づいた。
相木は「ありがとうございます」と言って、まぶたを閉じた。
しかしいつまでたっても痛みは来ず、相木は不思議に思い、まぶたを開ける。
するとそこには、晴奈の端正な顔がのぞいていた。
驚く相木に対し、晴奈は微笑みかける。
「見事な覚悟だ。私の家臣になる気はないか?」
相木は今日一番で、いや、もしかすれば人生で一番驚いたかもしれない。
「私が、晴奈殿の、家臣に・・・・・・?」
「うん」
黙って聞いていた板堀が慌てた。
「若殿様っ!捕らえた敵将を家臣になど、また御父上に怒鳴られますぞ!」
「怒鳴りたいなら、怒鳴らせておけばいい」
「構わぬとおっしゃりまするか?」
「うん」
板堀は、仕方がないという風に息を吐き、相木を見る。
「若殿様はこうおっしゃっておられる。相木殿。よく考えられよ」
相木は何かを決心した顔をして、晴奈の方に頭を下げる。
「志賀源心が家臣、相木市。これより、晴奈様にこの命を預けます」
晴奈は微笑み、「よろしく頼む」とだけ言った。
これにて場は収まり、相木の情報により捕らわれていた前島を見つけ、救い出した。
前島は、感涙し、「若殿様っ!この前島昌勝、生涯若殿様についていきまする!」と言って感謝していた。
峡間に戻ってきた晴奈と板堀は、すぐさま信虎に呼び出され、兜だけ外し鎧のまま峡間の館に向かった。
大広間には既に主だった家臣たちが集まっており、信虎は不機嫌そうな顔で座っている。
信虎は、晴奈と板堀が座ると、すぐさま口を開いた。
「何をしておったぁ?板堀ぃ」
「はっ」
「志賀勢の追い討ちにでもあったか?うん?」
「追い討ちはござりませぬ」
「ならばなぜこのように遅れたのか、申してみよ」
「は、はっ」
返事はしたものの困った板堀を見て、晴奈が口を開く。
「山ノ口城を落としたためです」
驚いた家臣たちは騒ぎ出す。
「馬鹿なっ」
「そんなことが・・・・・・」
家臣達を代表して、天海が板堀に問う。
「それは、まことか」
「まことでござりまする。引き返して急襲し
一時とは、二時間のことである。
つまり晴奈は、信虎が8千の兵で36日かけて落とせなかった城を、300人の兵で2時間以内に落としてしまったという事だ。
家臣たちが感心したように話し出す。
「なんと・・・・・・」
「大したものじゃ」
信虎は目をまん丸くしていたがやがて表情を戻すと、話し出す。
「ははぁ。さすがは、板堀じゃ。おぬしの策であろう?」
「いえ、若殿様のご計略による、お手柄にてござりまする」
家臣は再び始める。
「若殿様が・・・・・・」
信虎はつまらなそうな顔をして、再び口を開いた。
「何を偉そうな顔をしておるのじゃ?晴奈ぁ。敵の油断をつけば簡単に倒せるのは、当たり前のことじゃろう?」
晴奈は別段、偉そうな顔などしていなかったが、信虎にはそう見えたらしい。
板堀が口を挟む。
「確かにおっしゃる通りでござりまする。しかしながら、その油断をつく策を考え、実施したのは、」
「控えよっ!板堀!」
なんとも器量の狭い事に信虎は、板堀に最後まで喋らせない。
「それで?城にはだれを置いてきたのじゃ?」
これには晴奈が答えた。
「馬場です」
答えを聞いた途端、信虎は鼻で笑う。
「あの百姓出身者かぁ」
その言葉を聞いた途端、晴奈は目を鋭くさせる。
「馬場は、よくやっております」
信虎は驚いた顔で晴奈を見ている。
晴奈は続ける。
「此度、志賀源心を一騎打ちにて討ち取ったのは、馬場です」
「黙っておれっ!晴奈!」
「いいえ。私はともかく、馬場のことは認めてください」
「もうよい、下がれ!」
「馬場は、」
「下がれと申すがわからんかっ!」
晴奈はしばらく信虎の顔を見た後、「では、失礼します」と言って出て行った。
板堀もそれに続く。家臣たちはみな、道を開けた。
家臣たちの信頼というのは、どうだろう。
晴奈の手柄を認めようとしない信虎と、家臣をかばう晴奈。
晴奈のそれは、人の上に立つ者のそれであり、信虎がこの日に示したそれは、その程度の事も出来ない国の主であった。
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