第一話 (9) 屈辱

 城中が歓喜に満ち溢れていた。

しかしその中でただ一人、汗をかき難しい顔を崩そうとしない男がいた。


勘助である。


勘助は戦勝ムード一色の山ノ口城を、本丸目指してひた走る。いや、正確に言うならば、本丸ではなく志賀源心一人を目指してである。


(何をやっておるのだ、志賀様はっ!)


勘助は焦りながらも本丸に入る。

本丸では志賀と家臣達が笑顔で語り合っていた。


「殿。おめでとうございます!」


「うむ!おぬし達も、大儀であった!」


勘助は志賀を発見すると、急いで駆け寄りながら、大声を発する。


「志賀様っ!」


勘助を発見した志賀は笑顔を浮かべ、勘助にも同じように労いの言葉を掛けようとする。


「おう!勘助!おぬしも大儀であったのう!」


「なぜ追い討ちせぬのですっ!追い討ちをしましょうぞ!追い討ちの、下知をっ!」


「? それには及ばん!この雪じゃ!馬も走れん!

兵も疲れておる!」


「いま追い討ちを掛けねば、春にはまた、武郷勢が襲って来ますぞっ!」


「そしたらまた追い返せばよい!

それよりも今は、家臣どもにたんまり祝い酒を振舞ってやりたいのじゃ!」


「何を言って・・・・・・」


「皆の者っ!早速準備じゃ!」


「「「はっ」」」


志賀も志賀なら、家臣も家臣である。

一様に嬉しそうな顔をしながら宴の準備に取り掛かってしまった。

勘助も宴に呼ばれたが、そういった気分にはなれず、一人で、去りゆく武郷軍を悔しそうに唇を噛み締めて見つめていた。


そうしてしばらくしていると、勘助にとって信じられない行動に出る集団が現れた。

勘助は度肝を抜かれ、慌ててその集団を問い詰めると、これまた勘助には信じられない事実が判明する。


 勘助は再び志賀を探して走った。

場内で酔っ払い、踊りを始めている足軽を横目に見ながら、勘助は志賀を探す。

幸い志賀は、すぐに発見できた。

志賀は、いつも軍議を開く場所で、家臣たちと酒を飲んでいた。


家臣の数は、明らかに少ない。


「志賀様っ!」


志賀は、勘助が現れたことに気づくとニヤニヤした顔をしだす。


「おお、勘助!やはり寂しくなって現れたか!遠慮することはない、おぬしも飲もうぞっ!」


勘助はそれどころではない。

志賀の正気を疑った。


「なにゆえっ!家臣どもを帰らされたのかっ!」


勘助の剣幕に、志賀は疑問しかない。


「?」


「いま城を手薄にするのは、危険すぎまするっ!」


やっと勘助が何を言いたいのか理解できた志賀は、勘助をなだめようとする。


「案ずるな!この雪の中じゃ!敵が引き返すことは万に一つもあるまい!」


「その油断こそが禁物っ!一番の敵は、常に自分の中にいるのですっ!

それがしであれば、この機を逃しませんぞっ!」


あたりは酔っ払いどもの歌声が響いている。


「たしかになぁ、勘助。おぬしが敵であれば、わしは負けていたじゃろう。

じゃが、此度の敵は武郷じゃ!心配はいらぬ!

それに、家臣や足軽どもには、正月の準備をさせ、存分に楽しませてやりたいのじゃ!」


「戦に正月も何もありませぬ!」


「大丈夫じゃ!物見を出したが、武郷はすでに十分離れておる!

その殿しんがりは、武郷の若殿が務めておるそうじゃ」


「若殿?」


「武郷の若殿といえば、うつけで有名じゃ!

そんなものに任せておるということは、敵も我らが追い討ちをかけぬと確信しておるという事じゃ!

この戦を終えた。という事じゃ!」


勘助は武郷の若殿をあまりよく知らない。

峡間の領民である夕希に以前聞いた話では、領民や家臣にやさしい反面、父である信虎には嫌われている、という事ぐらいである。

他国で聞いた噂は、本ばかり読んでいて何も喋らないうつけ。といったところだった。


(信虎の娘・・・・・・。ここで引き返して来なければ、本当のうつけよ)


「それよりも勘助!」


志賀の大声で、勘助は思考を中断させられた。


「受け取れ!」


そう言って志賀は、勘助に書状を渡す。


「これは?」


志賀はニヤリとして、得意げな顔を作って見せた。


「おぬしの感状よ!これを持って、梅岳様に会え!

きっとおぬしを直臣としてくださる!」


勘助は目を見開いて志賀を見る。


「馬を貸すゆえ、すぐに参れ!次はおぬしと、対等な立場で共に戦いたい!

見事直臣となり、わしにその報を、戦勝祝いとして届けよ!」


「志賀様・・・・・・」


「行けい、勘助!また会おうぞ!」


そう言って志賀は笑いながら背を向けた。


「ありがとうございまする!」


勘助は一礼してから、すぐに出発することにした。

一抹の不安もあったが、志賀があの調子であれば勘助にはどうしようもなかった。

勘助は雪の中、南科野の太原雪原の屋敷を目指して走った。




 三日後。

書状を見た雪原は、約束通り梅岳に勘助を推挙し、勘助は梅岳と会う事となった。

勘助は今、梅岳の居城・駿城しゅんじょうで梅岳を待っている。

部屋の中には勘助のほかに雪原しかいない。

駿城は、城とは思えないほどにきれいな庭があった。といっても、居城まで攻められることは想定されておらず、守るための城というよりは、権威のための城という感じか。


梅岳が入ってきたため、勘助は頭を下げる。

梅岳の容姿は、あまり動くことがないのか小太りで、男のくせに化粧をしていた。

梅岳は腰を下ろすと、早速勘助に話しかける。


「そなたが山森勘助なるものか」


「はっ」


「此度、山ノ口城の戦において、そちの働き並々ならぬものであった、と聞き及んでおるぞよ」


(ぞよ・・・・・・?)


「大儀であった」


「はっ。恐悦至極に存じまする」


勘助は頭を下げたまま返事をする。

緊張していないといえば、嘘になる。やっと仕官の機会が訪れたのだ。

勘助は既に31歳。もう若くはなかった。


「ンフフ。苦しゅうない。面を上げよ」


(なんとも気色の悪い笑い方だ)


そう思いながら勘助は、ゆっくりと顔を上げる。

梅岳は勘助の顔を見た途端、それまでのにやけ顔から一変、無表情になる。

顔を上げたばかりの勘助には、それが分からなかった。


「さて、勘助。此度の働きに対し、望むだけの恩賞をとらせるぞ。遠慮なく申せ」


「・・・・・・恐れながらそれがし、その儀は無用に願いまする」


「フッ。申せというたら申せばよいのじゃ。浪人の身を恥じ入ることもなかろう」


「なれば、それがし、」


勘助は息を吸い込み、言った。


「今川家への仕官を願いまする」


梅岳はしばらく黙りこみ、それから答えた。


「・・・・・・うん、これからも志賀源心に仕え、この南科野のために励むがよい」


一度口に出せば、もう止まれない。勘助はがっついた。


「恐れながらそれがし、志賀様にお仕えするのではなく、直臣として、」


勘助がそこまで喋ったときである。

梅岳が突如、怒鳴り声をあげた。


にその顔を見て過ごせというのかッ‼」


歴史に残るような酷いセリフであった。

勘助は驚きのあまり言葉が出ず、ただただ梅岳を見つめる。


「予はそなたに面を見せろ、と言ったはずだぞ?なのにそなたは、片目を隠して逆らっておるではないか。

そのような者を信じるなど、できるのか?ハハハハハハハハハハハハ」


勘助は、あまりの屈辱と怒りで体が震えた。

この沸き立つ怒りは、もはや抑えきれなかった。

唇は血が出るほどに噛みしめ、握りしめた手は爪が食い込み、目頭は不思議と熱くなった。

ここまでの屈辱は、受けたことがなかった。


「そのようにむやみに人を恐れさせるような顔で、歩き回るでないわっ!ハッ、ハハハハハハハハハ」


勘助は震える腕をなんとか動かし、その布でできた眼帯を引きちぎった。

梅岳は笑うのをやめ、驚いた顔で勘助を見る。

勘助の目は潤み、震える口で言葉を絞り出す。


「お屋形様。この、勘助が顔、とくとご覧なさりませ!」


勘助はその顔を上げた。


「この山森勘助、お屋形様に尽くしまする!

お屋形様が、天下をお望みとあらば、必ずやこの山森勘助、実現させてみせまする!

なにとぞ!なにとぞ、この容姿は、ご容赦くださいませっ!」


そういって勘助は、額を地面につける。


梅岳は、無表情で立ち上がった。


「そなたは頭が良いと聞いていたが、予の心はわからぬようだ」


そう言って部屋を出て行ってしまった。


勘助は、頭を下げたまま、泣いてしまった。

情けなかった。自分が甘かった。夢を、見ていたのだ。


「勘助殿。残念でしたなぁ。梅岳様はまだお若い。許してやってくださりませぬか。いずれ、そなたの力が必要な時も必ず来ましょう。しばらくは、拙僧の小姓のもとで暮らすがよろしかろう」


雪原はそれだけ言うと一礼し、出て行ってしまう。


こうして勘助の仕官は、考えうる限り最低の、いや、考えられないほど最低の結果で終わった。



 勘助が失意のまま帰るために廊下を歩いていると、ペタペタと子供が走る音が聞こえる。

そして突然、勘助の袖が掴まれる。

勘助はそこで初めて、足音が自分に迫っていたことに気づいた。

勘助が振り返ると、そこには10歳くらいの少女がいた。

城内にいるという事は、身分の高い者の娘なのだろう。

勘助は跪き、何者か尋ねようとすると、それよりも先に少女が口を開いた。


「勘助と申したな?父上を許してくれ!」


「父?」


勘助は思い出す。勘助と梅岳が話している最中、勘助にしか見えない位置ではあったが、ちょこちょこと顔を出して聞き耳を立てていた少女がいた。

後半の罵詈雑言のおかげですっかり忘れていたのだ。


(父を許せとは、まさか・・・・・・)


「あたしは、今川 氏真いまがわ うじざね!」


やはり少女は、憎き梅岳の娘であった。

勘助は、怒りに任せ、この何も悪くはない娘を斬り捨てたい衝動にかられた。

勘助の目がギラリと光り、殺気が立ち込めた。


「ッ‼」


氏真もそれを敏感に感じ取り、一瞬身を固くさせるも、怯まずに勘助に話かけた。


「ごめんね。勘助。そんなに悲しそうな顔しないで?」


勘助は驚いた。自分は怒っていると思っていたが、この娘に言わせれば悲しい顔をしているらしい。

勘助にはもはや、自分の感情が分からなかった。


「いえ」


実際にこの少女になにかする気はなかった勘助ではあったが、出鼻をくじかれてしまったようであった。


「・・・・・・姫様は、」


「うん?」


「それがしの顔を、どう思われまするか」


「え?」


「やはり、恐ろしいでしょうか」


「う~ん。わかんない!」


勘助は苦笑した。


「でも、とってもつらそう。おめめが痛いの?」


辛そうな顔をしていたのは事実であろう。

目が痛いのか、とは眼帯を引きちぎってしまった勘助の目を見てのことだろう。

赤部に斬られた傷は残ってしまい、痛々しかった。


「痛みは、ありませぬ」


「だれかにやられたの?」


「いえ、違いまする」


「じゃあ、病?」


「・・・・・・人を恨みすぎて、見えぬようになり申した」


勘助はそう言った。なぜそう言ったのかは、わからなかった。


「え?」


氏真は一瞬ぽかんとした後、


「勘助って、おもしろいこと言うね!」


そう言って、無邪気に笑った。


(不思議な娘だ・・・・・・)


勘助も思わず笑ってしまい、一通り笑い終えた後、城を出た。




それから4日後。

失意の勘助は、ひたすら刀を振り回していた。

ふと手を止めて刀を見ると、その容姿が写った。

勘助は、両親を恨んではいけないと思いつつも、恨まざるを得ず、恨まなければ、いよいよ勘助の心は壊れてしまっていただろう。


そこに雪原が現れた。


「おお、勘助殿。剣術の修行ですかな?」


「・・・・・・」


勘助には雪原が何をしたいのかわかっていた。

雪原は勘助の力を買っている。

そしてその勘助を、利用するために南科野に閉じ込めているだけに過ぎない。

その雪原が勘助に会いに来たという事は、勘助に何か任務があるのだろう。


「何か」


「うむ。そなたには伝えておこうと思うてな。山ノ口城が、落ちた」


勘助は驚き、雪原の顔を見た。


「志賀様は・・・・・・」


「討たれた。討ったのは信虎の長女、晴奈じゃ」


志賀は死んだ。

晴奈が志賀を討ったという報告を聞き、勘助はすべてを理解した。

やはりあの油断が、志賀の命を奪ったのだ。

晴奈は、うつけではなかったという事だ。


「それで、それがしに何を?」


「実はな、此度、武郷と和議を結ぶこととなった」


勘助は驚きの連続でもはや言葉が出ない。


「そして此度、その武郷晴奈を拙僧が預かることになってのう。

出家させるそうじゃ。その迎えを、そなたに頼みたい」


「武郷・・・・・・晴奈」


雪原と梅岳の魂胆は分かった。

追放されることを知った晴奈をなだめ、南科野まで連れてこさせるだけの知恵があり、それでいて逆上した晴奈に斬られてもよい者として勘助に白羽の矢が立ったのだろう。

勘助が斬られようものならば、和議は無かったことになり、暴れたため致し方なかったとして晴奈を殺し、新たな人質を要求するつもりであろう。

要するに、捨て駒であった。


しかし勘助は、この任を引き受けることにした。

理由は簡単だった。晴奈という武将に会ってみたくなったのだ。


いよいよ勘助は、運命の出会いを果たすこととなる。

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