第三話 (11) 腹痛

 身体を直した勘助は、占拠した外山城そとやまじょうの視察に向かっていた。

勘助は遠くに姿を現した岩山の上に立つその城を眺め、立ち止まった。


「どしたの?」


急に止まった勘助に、かたわらの夕希が聞いた。

勘助は無言で、外山城、その東にある崖を指差した。


「すっごい崖だねぇ」


夕希達の位置からはやや見えにくいが、確かにそこには断崖があった。

勘助は頷き、


「あの崖を、夜間、登って攻め取ったという」


と言って、腕を下ろした。


「あ~、確か・・・・・・天海様が自ら率先して登ったんだっけ?」


 この一件で既に世間に知れ渡った天海虎泰あまみ とらやすの武勇も、戦さに興味がない夕希には、なんとなくのものでしかない。この時代、戦さなど嫌いでしかない人間も、自らの命運が掛かっている以上、誰が良い武将なのか、誰が強いのかというのは、知っておくべき情報であった。それを考えずにのほほんとしていられる夕希は、恵まれた存在なのだろう。

もっとも、夕希本人は自らが恵まれているなどということは、分からない。

勘助はそのことに苦笑しながら、


「左様、左様」


と言って頷いた。

夕希は両腕を頭の後ろで組み、ニコニコと率直な感想を語った。


「しっかし、天海様もすごいねぇ。あんな崖、普通登ろうなんて考えないって」


勘助は険しい顔に戻り、


「それだけあの城は厄介だったということだ」


と言って、城を睨んだ。その瞳は、見る者が底冷えするほどに冷たく、城を睨んでいるようでいて、違う何者かを敵と定めて睨んでいるようであった。

夕希は勘助の様子には気付かず、更に感想を続けた。


「天海様ももう歳なのにさぁ。やる気が違うよ。でもさ、危険な作戦に将自らって、どうなの勘助?」


夕希が横目でチラッと勘助の表情を確認すると、勘助は既にいつもの仏頂面に戻っている。

勘助は顎に手を当て、ゆっくりと語った。


「天海様に言わせれば、『将自ら率先して危険な作戦に参加せねば、誰がやるというのか』ということであろう。なるほど、指揮官が兵卒の信望を得るのに、最も単純な理屈だ。最もよく戦えば良いのだ」


勘助は鼻で笑い、


「まぁ、ここらは詮のない話だ」


と続けた。

勘助に言わせれば、よく戦う指揮官とは、的確な判断力を持ち、戦闘遂行以外に余計な感情を持たない者であるが、虎泰に言わせれば、文字通りによく戦う者であるらしい。

勘助の考えとは平行線の話で、価値観が違うとしか言いようがないだろう。


 そこでふと、勘助の左手が引っ張られる感覚を覚えた。

勘助の左目は全くの視力が無く、更に眼帯をしているため、左手側は死角が多い。

なにかと思い、勘助が左手の方を見下ろすと、そこには見知らぬ少女がその片目面を見上げていた。


「おお、これは気づかなんだ。如何いかがした?」


勘助は出来る限りの笑顔で、膝をついて少女と視線を合わせた。

第三者の目から見れば、勘助の顔は酷く不気味であったが、少女はむしろニコニコとした。


「お侍さん。これ、どうぞ」


少女は、勘助に水筒を差し出した。


「お?くれるのか?これはかたじけない」


勘助は遠慮なく水筒の水を飲むと、少女の頭を撫でながら返した。


美味うまかったぞ。おお、そうだ、これをやろう」


そう言って勘助は、自分の分の握り飯を分けてやった。

少女はニコニコとしてお礼を言うと、とっととその場を去ってしまった。


 勘助と少女のやり取りを笑顔で眺めていた夕希は、少女の後ろ姿を眺め、呟いた。


「ここらへんの子なんだろうね・・・・・・」


「恐らくな。不憫な子だ」


勘助は無表情でそれだけ言うと、外山城の方へと向かって行った。



 外山城の視察に来た勘助は、城代の小川田虎満おがわだ とらみつという老臣に案内された。

虎満は信虎時代からの武郷家家臣である。武郷家にあって外交官のような仕事をしている信茂とは、苗字は同じだが別の系統の一族で、関係がない。


 城内には所々に血が残り、門には鉄砲傷が目立った。

一通り見て回った勘助は、虎満と共にかつての城主であった大井貞代おおい さだよが詰めていた一室に入った。


「かような小さな城だとは思わなんだろう」


 虎満は外を眺めながらそう言った。

虎満の目からは、武郷軍と大井軍とが激しい白兵戦を繰り広げた坂がはっきりと見える。貞代がかつて同じ場所から坂を眺めていた時には、木が邪魔をしていた。そのために貞代は情報をいち早く得ることが出来ず、まんまと坂を奪取されている。虎満はその弱点を見抜き、木々を切り取って新たに柵を作って城の防備に加えた。


 勘助は虎満の隣に並ぶと、


「本音を申すのであれば・・・・・・」


と言って、続けた。


「いささか、損害が大きように思いまするな」


勘助はジロリと虎満を睨んだ。

「こんな小城に被害が大きすぎる」と、責めた。虎満は外山城攻めの軍議で、力攻めを具申する虎泰の案に加担していた。


 虎満は外を眺めたまま、鼻で笑った。

勘助に対してではなく、自分に対してであった。


「分かっておる。わしらとて、この戦さを誇りになど思っておらぬわ。むしろ、外山城なんぞにかように手間取ったこと、恥辱でしかない。まあ、戦さもろくにやったことのない若い連中には、刺激が強すぎたようだがな・・・・・・」


勘助の推し進める調略策の欠点は、活躍できる人数が限られていることであるかもしれない。一方で、此度のような力攻めでは、本陣に控える将たちの下には次々と前線で活躍する将兵の武勲が伝わってくる。

若い将たちにはこの衝撃が起爆剤のような役割を果たしてしまったらしい。今や誰も彼もが武芸に励み、「自分も板堀信方や天海虎泰のようになりたい」もしくは、「自分は他の連中とは違った活躍が出来る」といった、いわゆる同化や差別化の欲求を刺激してまった。

尊敬の的は勘助ら策略家たちから、虎泰ら歴戦の老臣たちへと変わってしまったのである。

無論、単純な武力による戦さも必要な時もあるだろうが、勘助からすればあまり良い兆候とはいえない。碌に考えることもせず、個人の戦闘能力に頼り切りの作戦など、博打ばくちでしかないように思えるのである。戦さは始まるまでの準備で決まるという勘助とは、やはり価値観が違うとしか言いようがない。

しかし、力攻め案を推した虎満自身が、あの戦さに満足していないというのであれば、話し合いの余地があるかもしれない。

勘助は虎満に詰め寄った。


「それでも、力攻めを推し進めまするか?」


虎満ら先代からの家臣が今後も力攻めを推すとなると、勘助にとって「敵」でしかない。


「ああ」


虎満は肯定の意味の言葉を発して、勘助に向き直った。


背は、勘助よりも高い。そもそも勘助は足が悪いため、姿勢も悪く、猫背気味であったため、自然、虎満の顔を見上げる形になる。


「虎満様。あなた様が天海様と平素仲が良く、多くの戦場を共に駆け、先代様をお支えになっていた事は分かっております。しかし!国の大事は、」


「分かっておるッ!!」


勘助の言葉を、虎満の大声がかき消した。

戦場で鍛えた虎満の声は、勘助には落雷のようにすら思えた。

虎満は声を元の音量に落として、続けた。


「わしは、天海殿に遠慮して力攻めを推すわけではない。わしは、いや、わしらには、」


そこで、虎満は口をつぐんだ。

虎満の顔がだんだんと歪んでいった。

悔しそうにも、怒っているようにも見える顔であった。


虎満は、この後、こう続けるつもりであった。


「これしか無いのだ」


が、言わなかった。

感情の高まりのままに、言うわけにはいかなかった。

言えば、先代からの老臣達が、黒島淳子が陰で言うように、「もはや無用の長物」であると、自分らで認めたことになるのである。



 勘助は、ひどく機嫌が悪かった。


(何を言っても無駄だ)


勘助は内心で毒づいた。無理もない、勘助は一方的に怒鳴られ、追い出されるようにして外山城を出ている。勘助の耳にはいまだに虎満の声が残り、耳鳴りすらしているようであった。


 もっとも、虎満にとっても勘助にとっても、こちらの方が良かったのかもしれない。

もし仮に虎満が最後の言葉を隠さず、感情のままに怒鳴りあげれば、勘助は冷たく激怒しただろう。

その場では、「虎満様は先代より武郷家、ひいては峡間をお支えしてきた身、それがしごときが出過ぎたことを、申し訳ありませぬ」などと言ってやり過ごすものの、内心では、「つまらぬ己の意地で、お屋形様の道を邪魔はさせぬ」と、腸を煮え繰り返りし、極めて計画的に虎満ら老人連中を隠居に追い込むか謀殺という手段で排除しに掛かるだろう。


が、結果はこうはならなかったことは、既に述べている。


「貴様にはわからぬ!」


と、いつもの決まり文句で追い出された勘助は、全てが不愉快であった。

勘助の少し後ろで全てを見ていた夕希は、勘助の不機嫌を察し、何も言わない。言えば、自分も傷つき、勘助も虚しくなるだろう。


 そのため夕希は、無言で勘助の後をついて歩いた。

が、勘助は歩きながら腹を片手で押さえたり、さすったりし出したため、流石に話しかける事にした。


「勘助?お腹痛いの?」


勘助は低く唸ると、


「問題ない」


と、絞り出した。痛みのあまり、歯を食いしばり、汗が滝のように出ている。この状態の自分を見て「腹が痛いのか?」などと、分かりきったことを聞く夕希に、怒鳴り散らしたい気持ちを抑えた。そんなものは、ただの八つ当たりでしかない。


 勘助は強がったものの、歩調は段々と遅くなり、やがては膝をついてしまった。

夕希は慌てて駆けつけて、勘助の隣に並んだものの、どうすれば良いのか分からず、キョロキョロとしたあと、勘助の顔を覗き込んで背中に手を当てるというような体勢で落ち着かせた。


 勘助は、自分の顔を覗き込む夕希の顔を睨みつけ、


「どこか、用をたすところへ」


と言って助けを求めた。

夕希は頷き、勘助の腕を自分の首の後ろに回すと、立ち上がらせた。


 すると二人の背後から、ドタドタと駆け足で近づく音が聞こえた。

夕希はすぐさま勘助の腕を外し、反射的に刀に手を掛け、振り向いた。

見れば、二人の女がこちらへ駆け寄ってくる。

顔が恐ろしく似ている。おそらく姉妹だろうと夕希は検討を立てた。姉妹であれば、二人一組は綿密な連携により4本腕の敵と戦うようなものになる。

夕希の得意の槍であればまだしも、刀となればさしもの夕希も自信が持てなかった。姉妹の腕がどれくらいのものか分からないが、苦戦はするだろう。


「止まれ!!」


夕希は怒鳴った。戦場では敵を震え上がらせ、味方の尻を叩きあげる。そんな怒り声で、まだ進んで来るようであれば、間違いなく敵だろう。


夕希は一歩大きく踏み出し、居合斬りの要領でまずは一人、素っ首を刎ね飛ばそうとした。


が、少女たちは大人しく止まった。


「何奴か!!」


夕希の怒鳴り声に、二人はビクッと背筋を伸ばして顔を見合わせ、背の高い方の女が遠慮がちに手を挙げて答えた。


「あ、あのう、後ろから見てもそちらのお方が只ならぬご様子でしたので、どうしたのかと・・・・・・」


背の低い女がこくこくと頷いて同意の意を示した。

夕希は二人の顔をゆっくりと交互に見た。


「ということは、ただの通りすがり?」


二人は必死に頷いた。

途端、夕希は顔をニコリとさせ、


「なんだ~、先に言ってよ~」


と言って、笑った。

二人の女は生唾を飲み込み、再び長身の方が口を開いた。


「そ、それで、そちらのお方は?」


「え?あっ、そうだった。勘助、具合は?」


夕希は再び、うずくまる勘助の顔を覗き込んだ。

勘助は腹を押さえながら、玉のような汗を額に浮かべ、目をつぶっている。


「勘助?」


夕希が心配げに話しかけると、勘助は低く唸り、声を絞り出した。


「お前の怒鳴り声が、腹まで響いた」


夕希は耳まで顔を真っ赤にさせ、下を向いてしまった。

夕希の恥ずかしがる姿に可愛らしさを覚えながら、勘助は夕希の肩を叩いてやった。


「まぁ、とにかく御苦労だった。ただし、俺の名前をそのまま呼ぶのは、感心せぬがな・・・・・・」


勘助は刀を杖代わりにして、どうにかこうにか立ち上がり、直立不動の二人に向き直った。


「お前たち。この辺りの娘か?」


長身の方が口を開いた。どうやら喋る際は基本的に背の高い女の方らしい。


「はい。父は変わり者でして、村ではなく山に家屋かおくを建て、そこに暮らしています」


「そうか。近いか?」


「はい。お身体の具合が悪いようでしたら、是非、お立ち寄り下さい」


勘助はやや考えると、笑顔を作り(といっても不気味ではあったが)、


「では、言葉に甘えよう。案内してくれ」


と言って、二人に頼った。それほどに、腹が痛かった。


勘助の不器用な笑顔を見た長身の姉と思しき方は、驚いたようにビクッとしたが、すぐさま妹らしき背の低い女の方に肘で殴られ、笑顔を返した。


 勘助は夕希に体重を預け、どうにかこうにか二人の姉妹の後を追った。

途中、幾度か夕希が、


「勘助、あたしの背に」


と言って背負おうとしたが、勘助はそのたびに首を横に振った。

勘助は、


(女に背負われるなど、できるものか!この女、男というものを全く理解していない!)


と、内心で怒っている。


(それにしても・・・・・・)


 勘助は、二人の背を見やった。

随分と長いこと歩かされている気がするのである。

しかし今の勘助には、正常の判断は出来ない。

勘助が夕希の顔を見やると、その顔は訝しんでいるように見える。


堪り兼ねたのだろう。夕希は遂に質問してみる事にしたらしい。


「ねぇ!まだ着かないのー?」


先を行く二人は振り返り、長身の女が、


「後少しです!」


とだけ言った。

勘助と夕希は、仕方なくついていく。




「ここです!」


長身の方の声に、勘助が顔を上げた。

見れば、小さな小屋がある。周りは木々と小さな川が流れているのみで、他は何もない。

小屋というよりは、戦さのときの兵員の宿舎として作らせる仮小屋といった感じである。しかし、今の勘助にはそこまで頭が回らない。

腹の痛みに耐えながら、やっと着いたという安堵で一杯一杯であった。


「お前たちの父親は、本当に変わり者のようだな」


勘助は感想をこぼした。

姉妹は照れ臭そうに笑うと、戸に手を掛け、


「さぁ、どうぞ」


と、扉を開けた。

勘助は腹を押さえながら夕希に連れられ、中へと入った。

入った途端、戸が閉められた。

勘助と夕希は慌てて振り返ったが、既に遅い。


「勘助、これは・・・・・・」


夕希が眼を潤ませて勘助の顔を見た。


(泣きそうなのか、夕希)


勘助は夕希のこういった表情を見たことがなかった為、驚いた。


「案ずるな。お前だけなら逃げおおせよう。俺も手伝う」


勘助は笑顔を作り、夕希の肩に手を置いてやった。

夕希はそれを振り払い、


「そういう心配をしてるんじゃない!」


と言って怒鳴った。

夕希にとって最悪の展開であろう。が、勘助にはそれがわからない。

そこで、二人とは別の野太い声が聞こえた。


「何を入り口で騒いでいる。ここへ」


声は、奥の方から聞こえる。

勘助は、夕希より前を進んで、ゆっくりと奥へと入っていった。夕希は刀を抜き放ち、後方を確認しながらその後をついていく。


勘助は足元のゴミに注意しながら、声の主の姿を確認した。


「おう。よく来たな」


姉妹の父親は、甲冑姿で胡座をかき、刀を抱いて二人を待っていた。

顔の彫りが深く、眼光が鋭い。それなりに歳のいった男であった。


夕希は勘助の前へと飛び出ると、刀を振り上げた。

問答無用で斬り殺す算段であった。


「待て待て」


男は刀を持っていない方の手で夕希に待ったを掛けた。

それでも夕希は止まろうとしない。

勘助が、


「夕希!!」


と声を張り上げ、ようやく止まった。

彫りの深い男はニヤリと笑った。


「やれやれ、飢えた獣のような女だ。男ならば、間違いなく早漏だろうよ」


これを受けて夕希の感情は一気に沸騰した。


「話し合うつもりなら、その刀は置いておくのが礼儀でしょうが!」


「俺は臆病でな、いつ如何なる時とて、こいつは手放せん」


そう言って男は、刀で自分の肩をポンポンと叩いた。


 勘助は夕希を押しのけ、前へと出ると、一言、


「名を」


と聞いた。

男は勘助を値踏みするように眺めた後、


「俺は浅間 幸隆あさま ゆきたかという。お前さんは武郷家家臣、山森勘助で相違ないな?」


と言って名乗った。


「浅間幸隆・・・・・・」


 勘助は幸隆の質問には答えず、その名を声に出してみたものの、何者か分からない。

勘助の様子を見て、「山森勘助に相違なし」という結論に至った幸隆は、ゆっくりと立ち上がった。

夕希は再び警戒し、つかに手を掛けたが、幸隆はそれを無視して後ろ手を組み、二人に背中を向けた。

背は勘助をはるかに上回る。痩せている為、余計に上下に長く見える。


「まあ、俺の話は後でいい。山森殿は腹が痛そうに見えるが、かわやに行ってはどうか」


言われて勘助は、ほぼほぼ無意識に腹を押さえていた手を離した。


「話をするのは、それからだ」


幸隆は厠の場所を教え、勘助は黙ってそれに従った。夕希も付いてくると言ったが、勘助はそれを眼でさとした。


(お前がこの男をその手で殺せる位置にいれば、俺は死なずに済む)


夕希は正しくその意を汲み取った。

背後を向ける幸隆の後ろにピタリとくっつくと、その一挙手一投足を注視した。


途中、幸隆が、


「良い女だ」


と言ったが、夕希は返事もしなかった。




 厠で用を足した勘助は、ふと窓から外を窺った。


「ッ!?」


勘助は驚き、窓の格子こうしを掴んだ。

見れば、外山城視察の際に途中で行き会った少女が、川の水を水筒に入れたり捨てたりして遊んでいる。

キャハハと少女らしい幼い声が響き渡る中、勘助は腹を再び押さえた。


(川の水を飲まされたか・・・・・・)


勘助はそれから三十分ばかり腹中の敵と格闘し、再び幸隆のところへ戻った時には、水分を出し尽くし、随分と軽快な足取りであった。


「よう。どうだ、敵は殲滅できたか?」


幸隆は相も変わらず背を向け、夕希がそれを鷹のような目つきで睨みつけている。


「ええ。それにしても・・・・・・」


勘助は家屋の戸の方を見た。勘助たちをここに誘引した姉妹の気配を感じる。嫌に静かすぎるのである。


「可愛らしい娘さんで」


幸隆は楽しそうに笑った。


「娘は三人いる。どれが一番可愛いかな?」


「一番幼い子が可愛い。将来有望ですな」


「ハハハハハッ、そうか」


 幸隆は満足そうに頷き、勘助に振り返った。

夕希は勘助の後ろまで下がった。夕希の眼からすれば、この中年二人は幼女愛好家と親馬鹿にしか映らない。

幸隆はゆっくりと歩き出し、勘助も黙ってそれに従い、二人は外へと出て行った。

夕希も警戒心をあらわにして後に続く。しかし夕希の眼から見れば、幸隆は勘助の歩調に合わせてゆっくりと歩いているように見える。時々話しかけるふりをしては距離に注意を払っているようであった。

屋外には勘助の予想通り、二人の姉妹が控えていた。どちらも刀を持ち、つら構えが先程までとは別人のようであった。


「おう。これらは長女の信綱のぶつな、次女の昌輝まさてるだ」


そうして紹介され、勘助は軽く頭を下げた。

背の低い無口の方が姉で、長身のほうが妹だったらしい。

姉妹は勘助の礼を受けて、同じように答礼した。


「先程は腹痛ゆえ、礼を忘れていた。案内、ご苦労だったな」


勘助の言葉が意外だったのか、二人は困惑した顔で幸隆の方を見た。

幸隆はニヤッと笑い、


「俺も変わり者だが、この男も相当らしい」


と言ったから、二人は目を輝かせた。


「では!」


長身の妹、昌輝が笑顔で勘助の顔と幸隆の顔とを見た。

幸隆が苦笑し、


「それはここからだ。焦るな」


と言って、再び足を動かした。

勘助もそれについていく。夕希もわけが分からないといった様子で後を追う。


 やや進むと、先程勘助が厠の窓から見た小さな川へと辿り着いた。

夏で暑いためであろう。いまだに少女が水で遊んでいる。


夕希はその少女の顔に違和感を覚え、やがて、


「あ!」


と、眼を丸くして大声を出した。

夕希は急いで勘助に近づくと、その腕を掴み、幸隆から離した。

夕希は声を潜め、勘助の耳にそっと話しかけた。


「勘助。あの子、城に行く途中で出会った子だよ」


勘助にとっては今更の話であった。


「おう。まんまと幸隆殿の策に引っ掛かった。ここには来るべくして来たらしい」


「おのれ、あの男!」


夕希は敵意を剥き出し、刀の柄に手を掛けて幸隆に近寄ろうとした。勘助は夕希の腕を掴み、


「まあ待て」


と言って、落ち着かせた。

幸隆はその様子に気が付き、


「愛されているな、勘助」


と言ってニヤニヤとした。いつの間にか、下の名前で呼ばれている。

夕希はそれに鋭敏に反応し、


「誰に断りを入れて!」


と怒鳴った。が、幸隆は意に返した様子はない。


「ハハハハッ、勘助の名を呼ぶには、お前さんの許可がいるのか」


「なにッ!」


いよいよ顔を真っ赤にさせた夕希を、勘助は必死で押さえた。


「よさんか、夕希!お前では口で勝てん!」


「勘助!?」


夕希は驚いて勘助を振り返った。勘助はその両肩をポンポンと叩き、


「ほれ、あの子とでも遊んでおれ」


と言って、川で無邪気に遊ぶ少女を指差した。


「お前も、いずれは子を産むことになるだろう。今のうちに子に慣れておけ」


「あ?」


「幸隆殿、あの子の名は?」


「おう。昌幸まさゆきだ」


「だそうだ」


夕希はなんだか分からない内に追い払われてしまった。

もっとも、「勘助なら何か考えがあるのだろう」という信頼があるため、大人しく従ったに過ぎない。幸隆が変な動きをしようものなら、すぐさま昌幸を人質にとる、もしくは幸隆に向けて刀を投擲する算段であった。

ようやく二人になった幸隆と勘助は、木陰に座り込み、話を始めた。


「仕官ですな?」


勘助の簡潔な言葉に、幸隆は頷いた。


「おう。お前さんの紹介が欲しい。先程までの無礼は水に流してくれ。俺は役に立つぞ」


勘助はフッと笑った。


「水だけに?」


幸隆は面食らったように顔を驚かせ、やがては声を出して笑った。

笑い終えると、


「勘助。紹介してくれるのか、くれないのか、はっきりせい」


と言って、答えを急かした。

勘助は顔を真剣にさせ、


「それは構いませぬが、まずは経歴をお聞かせ願いたい」


と言って、睨みつけた。

幸隆は頷き、ゆっくりとその経歴を話し始めた。


 幸隆は、今は村島義清むらしま よしきよ領である上野うえのという地域の一部を治めていた。

その頃の主君は、今は亡き重田しげたという一族であった。浅間家は、幸隆の父が重田一族の嫡流の者の娘を嫁にもらい、その地位を確固たるものにした。幸隆はそれを継ぎ、自分が当主となるとその知略で重田一族に貢献した。攻め寄せてくる敵を幾度も打ち破り、やがては軍師のような仕事を任されていたという。しかし、彼の主君筋であった重田一族は、武郷・白樺・村島の三連合に包囲され、次第に消耗し、一大決戦を仕掛けるも敗れ、滅亡した。戦さで敗れたというよりは、外交において惨敗を喫した、と言っていいだろう。


「ああなればどうにもならんかった」


幸隆はそう振り返り、愚痴っぽく続けた。


「勘違いするなよ、勘助。俺は最初からあきらめていたわけではない。俺は開戦劈頭へきとう、敵の主力であった村島勢に総力を上げての決戦を仕掛け、連合の戦意喪失を計る積極策を具申していたのだ。しかし他の連中が、『戦さは長くなる。そのような博打ばくち作戦はよろしくない』などと抜かしおった。馬鹿どもめが」


幸隆はそう吐き捨て、グイっと勘助に顔を近づけた。「お前もそう思うだろう?」とでも言いたげにである。

勘助は頷き、


「それがしであってもそう致しまする。劣勢の者が守勢を採るなど、愚策も愚策。敵が時期や方向を自由に決めて押し寄せるものを待っているだけなど、どうすれば勝てましょうや。こちらから決戦を仕掛け、敵に立ち直る隙すら与えぬ積極策を採り続けるほか、勝ち目はありますまい」


と言って同意を示した。

幸隆は嬉々として頷き、


「お前ではあれば分かってくれると思っていた!」


と言って笑顔をつくった。

初対面時の冷徹な印象からは考えられないが、幸隆は勘助がよほど気に入ったのだろう。


「どうだ勘助!俺は長年、村島義清との戦さを続け、研究し、その性格を熟知している!俺を使わぬ手はないぞ!」


幸隆は胡坐をかいた自分の膝をバシリと叩き、勘助の顔をうかがった。

しかし勘助には、いまだ拭えない不安があった。幸隆の才は自分にも比類するものがある。是非とも味方に加えたいが、これを聞かないことには、晴奈に会わせるわけにはいかなかった。


「幸隆殿。一つ」


「何個でもいい、なんでも聞け」


幸隆は目を爛々とさせ、勘助を急かした。幸隆の心では、「この男と同僚になりたい」というような感情が生まれている。武郷家にあって活躍しているこの男とは作戦思想の面で気が合うし、この面相めんそうに大役を任せる武郷晴奈という女にも、俄然興味がわいていた。


「では」


勘助のゆっくりとした口調にやや苛立ちながら、幸隆は舌で唇を濡らした。


「我がお屋形様である武郷晴奈様は、あなた様の主君である重田一族を滅ぼした信虎様のご息女であられまする。その点、いかがお考えか?」


幸隆は勘助の問いを聞き、鼻で笑った。


「いかがも何も、重田一族に関して思うことなど、今更何もないわ」


「というと?」


「強ければ勝つ、弱ければ滅ばされる。そんなものは、この世の掟でしかない」


勘助は何度も頷いた。


「他は?」


「いや、他は・・・・・・、ああ、そうそう」


「なんだ?」


幸隆は、「まだあるのか」とでも言いたげに勘助を見た。


「これはそれがしの個人的な質問になりまするが、あの幼い・・・・・・、昌幸まさゆきと申されましたか?あの子はそれがしの顔を見て、嬉しそうに笑い申した」


「それが?」


「いえ、大抵の子供は、それがしの顔を見て泣き叫ぶものですから」


「ふむ・・・・・・」


幸隆は、川で遊ぶ昌幸の方を見た。


「我が一族はな、昔から目の見えぬ者に関わりが深いのだ。我が一族の祖の者が、目が見えなかったとも聞く。お前も片目ゆえ、そう捉えられてもおかしくはない。が、それとは別に、あの子には俺以上の何かを感じる」


「何か?」


「ああ。あの子は俺が戦場で指揮を採る所よりも、人を欺く所を多く見ている。上の二つとは違い、その真意が子供ながらにして判らぬ時もある。ともすれば、面白い将に育つやもしれぬな」


「ほう、それは楽しみですな」


二人は密かに昌幸の将来を思って笑い合うと、話を終わりにして立ち上がった。



 勘助と夕希の二人に浅間一家を加えた一行は、峡間を目指した。

二人が先頭を行き、一家がわいわいと談笑をしながらそれに続いた。と言っても、幸隆の眼は油断ならぬ光で満たされており、勘助の背かららそうとしない。


 夕希はその視線が気になるのか、幾度も後ろを振り返った。そもそも幸隆のような謀略家が自分たちの背後を歩くということ自体が、本能的に危険信号を発しているのだろう。

夕希は声を潜め、勘助に話しかけた。


「勘助。なんであの男を」


夕希にしてみれば、自分たちを騙した相手である。そんな男を信頼するなど、考えられなかった。


「あの男には利用価値がある」


「?」


夕希の分かりやすい表情を見て、勘助は説明を加えた。


「村島領には、あの男の旧臣たちが山程いるはずだ。あの男を村島領に潜入させ、それらを調略する。天海様が推し進める力攻め案を打開するのにも、持ってこいの逸材だ」


「でも、」


「夕希」


勘助に名を呼ばれ、夕希は口をつぐみ、勘助を見た。

勘助は目と口を怪しく歪ませている。


「あの男はな、この俺になんの躊躇ためらいもなく毒を飲ませおった。これほどに容赦なく、なんの恥ずかしみもなく人を騙せる男は、そうはいない」


勘助はこの男のそういった躊躇ちゅうちょのなさがひどく気に入ったらしい。

それに幸隆には、娘がいる。それを晴奈の下に人質に出させれば、そう易々と裏切りはしないはずであったし、晴奈の人心掌握術をもってすればそれすらもいらぬ心配であろう。とさえ思った。


(なにせ、この俺をここまでとりこにするお方だ)


勘助の口から、静かに笑い声が漏れた。

その場にいた誰にも聞こえないほどの、静かな笑い声であった。



 山森勘助率いる一行は峡間へと辿り着くと、勘助は浅間幸隆ら家族のために宿をとってやり、晴奈に推挙するための準備を整え、三日後には謁見の許可を取り付けた。

勘助は久しぶりに晴奈に会うことになる。それが楽しみでもあり、怖くもあった。


(変わってしまったのではないか)


という思いがある。なぜ勘助の調略案を採らず、虎泰の力攻め案を採ったのか。晴奈には晴奈の考えがあるのだろう。今更それを問うなどとは恐れ多く、しようとも思わなかったが、勘助の心は不安であった。


 勘助が案内された一室に入ると、晴奈は美しい立ち姿のまま待っていた。

若いながらにあまりに威風堂々としたその姿に、幸隆は驚いたらしい。勘助は背後でやや動揺するような幸隆の気配を感じ、ほくそ笑んだ。

勘助は一礼して中に入り、幸隆もそれに続いた。晴奈は二人に座るよう促し、自らも続いた。

晴奈は微笑を浮かべ、勘助の顔を見た。


「体の具合はどうだ」


勘助は晴奈の微笑に安堵したような気持ちがした。


「先日腹を下し申したが、いまはとんと」


晴奈は微笑を浮かべたまま何度か頷き、


「飲食には気をつけよ」


と言ってさらに顔を笑わせた。

勘助は照れ臭そうに笑い、その左後背に控える幸隆は密かに生唾を飲み込んだ。


「さて」


 晴奈は微笑を浮かべたまま、幸隆の方に顔を向けた。

勘助が後ろに下がり、幸隆が晴奈の正面へと出た。

晴奈と正面を向かい合わせた幸隆は、その眼に魅入った。晴奈は全く目を逸らさず、静かに幸隆を見つめている。幸隆と目を合わせれば、大抵の人間が堪り兼ねて眼を逸らす。しかし晴奈は、黙って目を合わせ続けた。幸隆も幸隆で、目を逸らさない。


長い沈黙の後、晴奈は静かに口を開いた。


「浅間幸隆。お前には、桜平の北、松頭城まつがしらじょうとその周辺を知行とさせる。村島義清の動きを監視せよ」


 そこは、幸隆の旧領にあたる地域であった。

幸隆には野心がある。自らの才能で戦国の世を暴れまわり、昇り詰めたいという思いである。しかし、それと同じくらいに郷土愛の強い男でもあった。重田一族に大した思い入れはなくとも、郷土には強い想いがある。不思議な男であった。そのため幸隆は村島義清を憎悪し、その才能で駆逐してやりたいと思い、重田一族滅亡後は何人かの下に仕えたりもしたが、誰も幸隆ごとき流浪の男の為にそこまでのやる気をみせなかった。

勘助はそれを鋭く見抜き、事前に晴奈に教えてある。その情報を元に上のような処置をするのは、晴奈の人心掌握術の研ぎ澄まされた点であろう。

幸隆のような流浪人でも使えると思えば迎え入れるための労力を惜しまない。それが晴奈の面白い点でもあり、慕われる要因でもあった。


 幸隆は長年の宿願が呆気なく果たされようとすることに戸惑い、晴奈の器量に感服した。

幸隆ほどの頭の回転の速い男にも、この衝撃は回転力を鈍らせる要因足りえたらしい。

なにぶん、幸隆などは先述した通り、流浪の男でしかないのである。それに城を持たせるなど、通常であれば考えられることではない。


「・・・・・・」


黙ってしまった幸隆に、晴奈は真剣な表情で、


「出来るな?浅間幸隆」


と言って返事を求めた。

幸隆はゆっくりと頭を下げた。


「心して、お引け受けつかまつりまする」


 幸隆はこの後、晴奈に傾倒した、肖像画を描かせて床の間に飾り、朝夕礼拝するというのを習慣にした。さらに幸隆は、三女の昌幸に、「お屋形様の下でよく学べ。あのお方の下であれば、いずれ天下をも狙えるほどになる」と言って聞かせ、晴奈の下に人質として差し出している。

武郷家家臣となった幸隆は、早速にしてその才を遺憾なく発揮し、桜平の村島方に属する城を次々と落とし、晴奈への恩義に報いた。彼の家族、旧臣は、これほどまでに輝いている幸隆を見たことがなかったという。

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