鬼の軍師
ロン太
プロローグ 少年時代
小さな小屋のようなボロ家で、ひとつ、産声が上がった。
「おお、男の子ですな」
和尚はニコニコとしながら、この瞬間、この時代、この国の一員となった男子を取り上げた。
「よくやった、よく頑張ったな」
気が小さいのか今にも泣きそうな顔で傍らに控えていた男が自分の息子を産んだ妻をねぎらう。男の名は、
この時代の農民と言えば、身分は低く、常は農業、戦となれば従軍し一兵士として戦い、そしてその多くがあっけなく死ぬ。それでも食っていくのがやっとといったものであった。
浅男はこの時代の農民のいかにも平均といった能力でしかなく、その他多くの農民よりも優れていた点といえば、戦が日常的に行われているこの時代では珍しく、お人よしであることくらいだ。といっても、のちに敵どころか味方にさえ「鬼」と呼ばれることとなる稀代の軍師の父親なのだから、もしかしたらなにか才能があったのかもしれない。が、彼はそういった才能が花開くことなくその生涯を終える。
ともかくも、ここにこの物語の主人公・
勘助が出生して、ニ週間たったころである。勘助がおかしい。
「・・・・・・和尚にみせてこよう」
勘助が目を開いたころである。なぜだか、左目が開かない。浅男も勘助の母・
この時代の僧侶は法事のほかに、医者のようなこともしていた。ほかにも、治安維持と称して武器を持ち、僧兵などと名乗って武装し、本職をおざなりにしてしまう僧侶もあったが、この勘助の出生に立ち会った和尚は、そういったことはしなかった。
「おや、どうなされた」
浅男が暮らす村から少し歩いたところにある寺に心配で今にも泣きそうな顔で現れた浅男に、和尚は穏やかに尋ねた。
「和尚、勘助の左目が開かないのです。」
和尚は、浅男から勘助を預り、診察をおこなった。普段からニコニコと愛想のいい顔をした僧侶の顔が次第に険しくなる。浅男はその様子を見て、ただ事ではないことを悟り、勘助を優しい目でじっと見つめた。
やがて和尚は、ひとつ息を吐きだし、浅男のほうに向き直る。
「どうやら、
「・・・・・・ほうそう?それは、どうにかなる
「目は・・・・・・治らんでしょうな。黒目が真っ白になっております。それどころか、命すら危うい。」
「そんな・・・・・・」
浅男は、勘助を見つめる。勘助は左目が開いていないが、それでも元気に動いている。
疱瘡とは、天然痘のことで、いわゆる感染症である。生命の存続を脅かし、仮に直っても失明等の後遺症を残す。
和尚は、法衣の膝部分を力強く握りこみ、普段はにこやかな顔を険しくさせている。彼は自分の仕事をよくわかっていた。どんなに残酷なことも言わなければならない。しかし彼は、もう30年以上はこの仕事を続けてきたというのに、いまだに慣れることを知らない。
彼は言いたくないことを言わなければならない時、法衣の膝部分を力強く握るのである。これは彼の若いころからの癖で、そのせいで膝部分の色は変わってしまっており、膝部分が擦り切れてしまうやんちゃな子供のようであった。そしてそういった和尚の性格を村の連中はよく知っていたし、好かれていた。
和尚は意を決した表情でさらに言う。
「・・・・・・他にも、」
「ッ⁉まだあるのですか⁉」
「他にも、どうも右足がうまく動かないようです」
「なっ⁉」
「足首が動いておりません」
浅男は勘助を見る。たしかに、足を動かしてはいるが、右足の動きが不自然である。
「どういたしましょう」
「どうするか」とは、つまりこの片目片足の赤子を殺してしまうか否かという事だった。
この時代、農業だけで生きていくことは難しい。皆、戦に出て褒美をもらったり、敵の装備を奪い通貨に換えたり、敵国の村を襲い食料を奪うことが必要不可欠であった。
しかし片目片足では、戦に出てもすぐに殺されるだけだろう。どうせ殺されるなら赤子のうちに自らの手で、ということだった。体の不自由な子供が生まれたときは、そうしてしまうことがある種、優しさとも捉えられていた。
ほかにも、生産力の問題がある。体が不自由と言うことは、それだけ常人よりも仕事効率が悪く、しかし食料は一人分増えるのである。身もふたもない言い方をしてしまえば、家計を圧迫する要因でしかなかった。
この時代特有の、厳しさだった。
「いえ、勘助をお願いします。」
しかし人一倍お人よしの浅男は、そういったことを少しも考えない。
自分が頑張ろう。ただただそう思った。
時は経ち、勘助は五歳になった。
結局、疱瘡は和尚の懸命かつ適切な処置により事なきをえた。が、和尚の見立て通り左目は見えず、右足はうまく動かなかった。勘助の容姿を一言でいえば、醜かった。
左目は黒目の部分が白く濁り不気味なため、黒い布を眼帯代わりにつけており、右足の足首がうまく動かないため歩き方はいびつで、歩くたびに上半身は大きく左右に動いた。
はっきりと言えば、異形だった。
そのせいか村の子供たちは勘助のことを気味悪がり、勘助のことを「化け物」と、いじめた。村の大人たちも勘助のことを変なものでも見るかのような目で見た。
勘助はそういった孤独の少年時代を過ごす。
しかし勘助は、人一倍の負けず嫌いで、泣いたり、両親にそのことを相談するといったことはしなかった。勘助の父・浅男も母・春も勘助が言わずともわかっていたがどうすることもできなかった。そのためにこの両親は勘助をとても大事に育てた。
ある日、勘助は一匹の小猫を拾ってきた。
「父上、母上。どうもこの子猫は兄弟の中でただ一匹色が白かったため、親猫に捨てられてしまったようです。勘助は勘助を見捨てずに育ててくれている父上の優しさを尊敬しております。ですから、勘助もこの子猫に同じように優しくしたいのです。お願いします。この子を、家族に」
そう言って、大事そうに子猫を抱えながら頭を下げた。
浅男も春も驚いた。勘助は不思議な子供で、普通子供というのは大事に育てれば育てるほど親に懐くものだが、勘助は大事に育ててくれた親を信頼こそすれど懐いたり甘えたりといったことはなかった。
この時も勘助が親に頼みごとをしたのは初めてだった。が、勘助の両親を驚かせたのは勘助の言にある。
勘助は通常であれば自分のような体が不自由な者は赤子の時に殺されていたことをいつの間にか理解していたし、その頼み方は、とても五歳児のものとは思えないものであった。
(この子は、賢い。)
浅男は勘助の将来性を確信し、内心嬉しくてたまらなくなった。
思わず笑みが顔に出てしまいそうになるのを父親の威厳を保とうと必死にこらえ、
「勘助、男が自分で言い出したことだ。最後まで責任はとれるか」
と聞いた。
勘助は即答し、「はい」とだけ答えた。
それから一年がたった。勘助が拾ってきた白猫は、随分と大きくなっており、勘助によく懐いて常に一緒にいたし、勘助にとって唯一の遊び相手であった。
胡坐をかく勘助の膝の上に上半身をのせ勘助に尻尾の付け根あたりを撫でてもらうのが好きだった。
勘助はこの白猫と一緒にいるときのみよく笑った。
勘助はこのころ、家臣として活躍し、天下に名を轟かすことを夢見るようになった。
この夢はこの年頃の少年たちがよく見る夢で、勘助も例にもれなかった。
今まで、父が戦に出て行っても特におもうこともなかったようだが、村で子供たちが語る武勇伝を隠れて聞いているうちに自分も夢見るようになったらしい。
勘助は熱心で、隣の家に住む下級武士・
井藤団次郎は、武士と言えど下級で、部下は10人かそこらの足軽を率いれるくらいのものだった。が、幼い勘助にとっては英雄であった。
武士と言えば農民を下に見ているものだが、団次郎は変わり者らしく農民にも分け隔てなく接した。
浅男は団次郎の部下であり二人は無二の友人でもあった。
その団次郎に娘が生まれた。勘助はその場に居合わせており、団次郎は喜びながら勘助に
「勘助、俺の娘だ。仲良くしてやってくれ」
といった。勘助は「もちろんです!武士の約束です!」とこちらも負けず劣らずの喜びようで答えた。
今まで猫しか遊び相手がいなかった勘助に初めての人間の友であり、幼なじみというものができた。
さらに時は七年ほど経ち、勘助が13歳になった時、山森家に悲劇がおとずれた。
父・浅男が戦で討死したのである。
この歳になれば勘助は、自分が住むこの国がどういったところか理解できるようになっていた。
勘助が生まれたこの国は
このうち東科野、南科野、北科野はすでに統一されており、それぞれに国主がいた。
東科野の国主はひたすら自国の防備を固めている。
南科野と北科野の国主はともに野心家で、科野天下統一を目指し敵国へ侵略を繰り返しており、西科野は、そんな野心家たちの国境がぶつかり合う激戦地であった。
中科野はといえば、もっとも広大な土地を有しており、いまだ統一されたことはなく、大小さまざまな国が点在していた。
勘助が生まれた国は、この中科野の東南に位置する
東と南はすでに統一された強国・東科野、南科野と国境を面しており、北は険しい山々、西は中科野の中でも大勢力である
この峡間という国は海に面していないため潮が取れず、土地は山だらけで米も満足にとれず、敵国の土地を奪うことが必要な地域であった。
峡間の国主は
しかしこの男、戦はめっぽう強いが国主としての才はなかったようで、農民のことも考えず戦に次ぐ戦ばかりで農民からは嫌われていた。結果、士気の低い軍団では他国に勝てるはずもなく、無意味な戦を繰り返すという悪循環であった。
信虎は戦場で兵士となる農民のことを考えることができない男であった。
浅男はそんなどうしようもない国主・信虎と南科野国主・
遺体をわざわざ戦場から持ち帰ってくれた団次郎の話によれば、開戦と同時に放たれた敵の弓矢がのどに刺さったらしい。
春は団次郎がいるにもかかわらず、泣き喚いた。が、勘助は泣かなかった。
(泣いている暇など無い。これからどうすれば・・・・・・)
春の泣き声を聞きつけ団次郎の娘・
この娘は団次郎に似て活発で女らしさはかけらも見当たらない。
すでに7歳になっており、髪はうなじに達しない程度の長さで目は大きい。勘助とはよくチャンバラで遊んでいたし、凄まじい運動神経の持ち主で、六歳も年齢の違う勘助よりも既に喧嘩が強かった。
よく勘助が村の子供に「化け物」と馬鹿にされると、木の棒をもって「勘助の何が化け物だッ‼」と殴り込みをかけた。
夕希は突撃するかのような勢いで扉を開け、飛び込んでくる。
「おばさん、どうしたの!勘助がなにか悪さでも・・・・・・ッ⁉」
浅男の遺体を見つけ、すべてを理解した夕希は閉口した。
夕希も勘助も、親しい人の死に直面したのは初めてだった。が、その反応は正反対のものだった。
夕希は普段から親しく接してくれた浅男の死が悲しくてまだ現実を受け止められていないようだった。頭が真っ白になってしまったように固まってしまった。
一方、勘助はといえばこれからのことを真剣に考えている。いい意味でも悪い意味でも前しか見ていない性格のようで、そのために感情というものを押し殺してしまうようだった。
そして勘助は一つの結論に達する。
「母上、これからは俺が戦に出て活躍してこようと思います」
そもそも武士になって活躍し、天下に名を轟かすことは勘助の夢であったし、浅男も春も勘助が戦に出ることを反対したがこうなっては仕方がない。母上も反対しないだろう、と勘助は思った。
しかし、
「勘助っ‼なにを馬鹿なことを言ってるのっ‼」
春の反応は勘助が思ったものとは違った。
凄まじい形相で勘助を睨みつける。
「父上だって言っていたでしょう⁉お前は頭がいいんだから戦なんてしなくても充分だって。そもそもその体でどうやって活躍するんだい⁉大切なあんたまで亡くしたら、あたしはいよいよどうすれば・・・・・・」
今度は泣き出してしまうのだから、手に負えない。春はどうやらヒステリックになる性格のようだった。
「しかしそれではどう生活していくのですか。大丈夫、俺もそこまでやわじゃありませんよ」
「死体漁りでもなんでもするしかないでしょっ‼とにかく、あんたが戦に出ることだけは絶対反対だからねッ」
どうも勘助の思惑とは逆で、浅男が亡くなったことで春はいよいよ過保護になっているようであった。
死体漁りとは要するに戦が終わった後、打ち捨てられた死体の身ぐるみを剥ぐ行為のことである。
家臣として華々しく活躍することを夢見る勘助はこればかりは耐えられず、怒声を張り上げる。
「そんな畜生にも劣る行為ができるかッ‼母上、見損ないました、そんなことまでして生きることになんの価値があるのです‼」
いよいよどちらも抑えがきかなくなり罵声が飛び交い始める。
そこで勘助に思わぬ助け舟が入った。
先ほどまで困ったようにおろおろしていた夕希が、
「大丈夫だよ、おばさん!あたしと父上でしっかり勘助を守ってみせるから!」
と、宣言してみせた。
普段から勘助が夢を語るのを聞いていた夕希は勘助の味方をしたようだった。夕希は勘助ほど賢くなく、戦がどういったものなのか、勘助の10分の1ほども理解できていないだろう。
夕希は「ね?父上」と団次郎を見上げるが、団次郎の答えもまた、娘が考えていたものとは違った。
「勘助、春さん、大丈夫です。これからは俺の家で一緒に飯を囲いましょう!なあに、これでも武士です。二人増えるくらいなんとでもなりますわ!ははははっ」
正直、団次郎とて生活にそこまで余裕はない。が、彼もまた浅男とおなじくお人よしであった。
浅男と団次郎の関係というのは、類は友を呼ぶの典型だったのかもしれない。
春は勘助がなにか言う前に素早く、「勘助ともども、よろしくお願いします」と頭を下げてしまった。
こうなれば勘助も従うしかない。
勘助が問題としていた生活の件はとりあえずの落着を得たのだった。
それからニ年が経った。
勘助が可愛がっていた白猫が死んでしまった。勘助が大切に育てたためであろう、この時代の猫にしては随分と長生きした。ここ数年は昔のように元気に走り回ると言う事はなく、寝てばかりいたが、最期も勘助と夕希が座っている真ん中で、丸まって眠ったまま旅立った。
勘助はいつものように頭を撫でてやりながら「ありがとうな。ありがとう・・・・・・」と最後に声をかけた。
浅男が死んだときも冷静だった勘助の右眼からは涙が、こぼれる。
「なあ、夕希。この子は・・・・・・・満足して逝けたと思うか」
勘助はこの猫を家族として迎える時に浅男と約束をしている。最期まで責任をとると。
しかしそれは確認のしようがない。勘助はどうしても確信が持てなかった。だから夕希に聞いたのだろう。
「勘助・・・・・・」
夕希は不思議に思う。どうして他の子たちや大人たちは勘助を不気味がるのだろう、と。
夕希は勘助が見た目ほど恐ろしい男ではないことを知っていた。
(本当は優しいのに・・・・・・ほかの子と同じように夢見るただの男の子なのに・・・・・・)
夕希は勘助のそういった時折見せる優しいところだったり、真面目なところだったり、誰よりも夢に向かって真っすぐなところが好きだった。事実、勘助は村のだれよりもまじめに夢のことを考えていただろう。
だから夕希は、立ち上がり、自信をもってこう答える。
「当たり前じゃん!勘助がこの子を大切にしていたことをあたしは知ってる!あたしが知ってるんだからこの子が知らないわけないじゃん!自分のことを大切にしてくれた勘助が最期まで一緒にいてくれたんだから、満足にきまってるよ!」
勘助は、驚いたように夕希を見ている。それから一言
「ありがとう」
と言って微笑んだ。
勘助が”真に生きる”とはどういうことなのか考え始めたのは、彼の愛猫が旅立ったこのころからである。
大切にしていた家族が亡くなったことで、何か思うところがあったのだろう。
そして勘助は、一つ結論する。
”真に生きる”ということは、夢を追い続けることだと。
いつかは必ず死ぬのである。
ならば、己の持てる能力の全てを燃やし尽くし、夢を追い続ける。
それこそが勘助にとって、”真に生きる”ということであり、肉体が滅びるその時まで、食事の心配だけをして生きることは、御免だった。
夢を追いかけた結果、明日の食事にも困り、餓死するというのなら、それでも満足だった。
それの方がマシだった。
これが、勘助という人間の根本的な価値観であった。
それから勘助は夢に向かって動き出す。
まずは、戦場に出ても生き残るすべを学ぶ。いままでの子供の遊びのようなものではなく、勘助は団次郎に戦場で生き残るための知識と、剣術を学ぶ。
団次郎は春に勘助を説得するように頼みこまれた。
団次郎も勘助が戦場に出ることを反対であった。
団次郎は勘助の剣術の修行を見ながら切り出す。
「なあ、勘助。お前の、夢のことだがな」
「団次郎殿が言いたいことは分かっております。この体では戦場で死ぬだけといいたいのでしょう」
「・・・・・・まあ、それもあるが」
「他には、家臣にはなれないだろうということでしょう。わかっております。農民が家臣になるなどなかなか無い。あるにはありますが、余程の活躍と、優れた者は身分を問わず登用する器量のある優れた主君という二つの条件が必要です。
そして、そのどちらも厳しい。特に後者はそれがしではどうしようもない。
峡間の君主、武郷信虎様はいまだかつて一人も農民出身の家臣はおりません」
「そこまでわかっていながら、夢を追うか」
「追いまする」
勘助の意志の固さに団次郎が呆れていると、胡坐をかき、肘をついて勘助の剣術の修行を見ていた夕希が
「あ~、父上、無駄無駄。勘助の夢をあきらめさせるなんて、父上が女になるようなもんだって~」
と言って、ケラケラと能天気に笑っている。
団次郎は苦笑しながら夕希の方を見る。
それにしてもすごい格好である。暑いのか裾のない服に下はふんどしだけである。それで胡坐をかいているのでなんともすさまじい。
団次郎は、なぜこう育ってしまったのだろう・・・・・・と、ため息を一つ吐いた。
勘助が修行を始めてから3年、遂に旅立つ時が来た。勘助は18歳である。
修行をはじめてからといもの勘助の決意は固かったがなかなか最後の一歩が踏み出せずにいた。
勘助は別段、物怖じする性格というわけではなかったが、大事な物事を決断する時はなにかきっかけというものが必要なのかもしれない。
きっかけは、農民を毛嫌いしている信虎が異例の人事をしたことである。
農民出身者を家臣に加えたのである。
彼の初陣は彼が18くらいの時で、自分が所属している隊の武将に、大胆にも夜襲を具申し、同郷の仲間を率い、それを実施した。
その戦いで彼は敵将の首をとった。
彼の上司にあたる将は彼のことが気に入ったらしく、家臣とした。
この段階での陸奥は
陸奥は農民をやめ武士となった。
それから陸奥はめきめきと頭角を現す。
攻め戦が得意らしく、その猛烈な攻めで敵を撃滅し、どこまでもどこまでもしつこく追撃するのである。
そのくせ勘が鋭く、敵が罠を仕掛けると抜け目なくそれを察知し、深追いはしない。
要するに、天性の戦上手だった。
彼が家臣になるきっかけとなったのは、信虎と今川梅岳との戦である。
陸奥は信虎の弟・
陸奥はこの時、信虎から見て陪臣であり、信友の家臣として参戦している。
味方の兵数は4000人。城を包囲する今川軍は1万4000人であった。
信友は信虎率いる本軍とで挟み撃ちにするべく籠城戦を決意する。
清正城は難攻不落ともいうべき城で、三倍以上の寄せ手の攻撃にびくともしなかった。
そこで今川軍は攻め方を兵糧攻めに替える。
兵糧攻めが40日ほど経過した。もはや残りの兵糧は10日ほどしかなく、信虎本軍がいつ援軍に来るのかわからない。
そこで 信友はある作戦を立てた。その作戦というのは、
「誰か、誰でもいいんじゃ。足軽1000人を引き連れこの包囲を突破し、味方に現状を連絡する大役を買って出る者はおらぬかっ!見事この任をまっとう出来た者は、お屋形様の家臣に推挙すると約束する!」
というもので。ようするに”口減らし”だった。
信友もどうせ生存できないだろうと思ってこんな約束をしたのであろう。
だれにだってそれがわかった。
集められた与力や家臣たち部将は沈黙している。が、その視線は特定の部将たちに集中している。
その部将たちというのは、農民出身の部将たちである。その中でも、陸奥と同じく戦で活躍し、陪臣にまで上り詰めた者たちで、いわばエリートであった。
自然、陸奥にも純粋武士たちの鋭い視線が突き刺さる。
視線に気づいた陸奥は不思議そうな顔で、同席している同郷の部下を見る。
部下は、陸奥に一枚の紙を渡す。陸奥は難聴で、まったく聞こえないわけでもなかったが、会話はすべて筆談だった。そのため彼だけ部下を同席させている。
陸奥は紙を一読し、筆を執り、なにかを書いて部下に渡す。
部下は一読すると、陸奥の顔を見てうなずいた。
そして立ち上がり、大きい声で読み始める。
「陸奥保方、意見を具申いたします!
現状この作戦は考えられる限り、最適にして、大役‼
ぜひとも、その大役、自分に任せてもらいたい!」
信友は、「おおっ、やってくれるか!頼んだぞ!」と、言って陸奥に近づき肩に手を置いた。
その反応を見て、了承を得たと確信した陸奥は立ちあがり静かにお辞儀した。
陸奥の動きは早かった。早速与えられた1000人に軽武装させ、その日の夜中に出発した。
今までうんともすんとも言わなかった信友軍が夜中、急に出てきたのだから今川軍は驚いた。
陸奥が騎馬で先頭に立ち、夜中だというのになんのためらいもなく突き進む。
その姿に後を追う部下たちも士気が上がる。
軽武装のためそのスピードは、速い。
極力戦闘は避けた。が、騎馬しているのは陸奥含め20人かそこらで、あとは歩兵である。
迎撃の準備ができた敵部隊もちらほら現れる。
斬り合いが始まり捕まってしまえば、敵に四方を包囲されあっという間に全滅してしまうだろう。しかし遠回りをすれば騎馬隊だけならまだしも歩兵は逃げきれない。
彼の答えは一つだった。彼が最も得意としているもの。それは・・・・・・
「包囲される前に突破するぞ‼殺し尽くせ‼」
普段無口のくせに、敵を攻撃するときは声を荒げるのが陸奥保方という男だった。
彼の部隊は、それはもう強引としか言いようのない突破を試みた。が、結果としては成功だった。
先頭を行く陸奥の凄まじい荒れ狂いように魅せられた彼の部隊は、陸奥にのせられ暴れまわった。
戦闘の最中、敵の火縄銃が火を噴き、陸奥の口から頬にかけて貫通した。が、陸奥は左手で傷口をおさえ右手で刀を持ちひるまず指揮した。
この様子に敵はひるみ、陸奥は朝方、信虎本軍に合流した。
清正城の現状を把握した信虎は、進軍を早めた。
それを察知した今川軍はとっとと撤退していった。
危機を脱した信友は約束通り陸奥を家臣に推挙した。
これにはさしもの農民嫌いの信虎も陸奥の有能さを認め、
家臣の誰も異論をはさまなかった。
長くなったが、これが陸奥保方が家臣となった経緯である。
そしてこの結果的事実が勘助のあと一歩を後押ししたのである。
どうも勘助は、自分も負けていられないと、陸奥に対し対抗心を燃やしたらしい。
が、勘助は信虎の家臣になるのは御免だった。
どうせ目指すなら自分が認めた主君に仕えたかった。
勘助をもっとも失望させたのは、信虎が敵対していた中科野の白樺頼重に娘を嫁がせ、同盟を結んだことであった。
これは事実上、中科野統一をあきらめたことを意味していた。
今までなんのために戦ってきたのかわからない。
勘助の目からすれば、信虎は仕えるに値しない男に映ったようだ。
だから勘助は、峡間を出ることにした。
出発は明朝と決めた。母にも団次郎にも、夕希にも言わないつもりだった。
母と団次郎は言えば止めるだろう。止めたところでやめるつもりはなかったが、最後に喧嘩別れをして出ていくのもアホらしいとおもったらしい。
あのお気楽娘の夕希は、言えばついてこようとするだろう。なにかと世話焼きな娘だった。
それに彼女は、武士の家系なのだ。他国で足軽として苦労などしなくても、団次郎のあとを継ぎ武士として活躍できる。活躍すれば、家臣にもなれる。
ともかくも、まずすべきは、
「母上、墓参りに行って参りまする」
「?めずらしいわねぇ。どうしたの?」
「いえ、最近ご無沙汰だったもので、久しぶりに父上に会いとうなりました」
「そう。父上も喜ばれるでしょう。よろしく言っといてね」
「はい」
勘助は旅立つ前に、父に最後の挨拶をするべきだと思った。
この時代、一農民に墓石など無く、近くの寺にある大きな墓石に自分の祖先の魂を呼び、墓参りをするというのが一般的であった。
勘助は墓石に片膝をつき、瞑想する。
(父上。親不孝をお許し下さい。勘助は生きるため、夢を追いとうございまする)
「あれ、勘助?めずらしいじゃん!」
するとそこに、騒がしい声とともに夕希が現れた。
「夕希か。お前も墓参りか?」
「まあね~。あたしってば勘助と違って、ほら、几帳面だから!」
そう言って夕希はがさつにもほどがある墓参りを済ませる。
「どっこらせっと」
「・・・・・・お前、本当は墓参りなどあまりしないだろう」
「あ、わかった?」
夕希の母は一年前、既に亡くなっている。
勘助も世話になった。亡くなった時は夕希よりも団次郎が泣き喚き大変だった。
夕希は人前では泣かなかった。が、勘助の前でだけは本音を隠さずに大泣きした。
一通り泣き、落ち着いた彼女は、「かっこいい女は人前で泣いたりなんかしないから」と言っていた。
勘助は、「俺は人ではないのか?」と言ったが、直後、思い切り蹴られた。
その後、二人は彼の愛猫の墓参りに行くこととなった。
墓といっても、当時の二人がつくったもので、石が沢山積まれているだけの簡素なものだった。
村に作るわけにもいかず、近くのちょっとした山の、頂上付近につくった。
「勘助~、遅いよ~。武将になりたいんでしょ?そんなんでどうすんの?ほら、早く早く!」
「ば、ばか野郎っ!お前といっしょにするなっ!お前は少し異常だぞ・・・・・・」
勘助は呼吸を荒くしながら、その不自由な足のおかげで上半身を右に左に大きく傾かせ、必死に山を登っていく。
先に進み勘助を待っていた夕希が、待ちきれないように、「も~」などと言って戻ってきて、肩を貸してくれる。
「ほら、しっかり!まったくしょうがないな~」
「すまん・・・・・・」
「あ、あとあたし、野郎じゃないから」
「・・・・・・すまん」
二人はやっとのことで頂上に着き、彼の愛猫の墓前で黙とうする。
黙とうが終わった時、空は既に夕焼けだった。
「今日が終わっちゃうね~」
「ああ」
「明日、行くんでしょ?勘助」
勘助は驚いて、夕希の方を見る。
勘助の驚いた顔が面白かったのか、夕希は笑った。
「わかるよ。勘助のことだもん。何年一緒にいると思ってんのさ。最後に墓参りとか、真面目だよね~」
「・・・・・・連れてはいかんぞ」
「うん。勘助はやっぱり優しいね。でも、相談くらいはしてくれてもいいんじゃない?」
「・・・・・・すまん。反対はしないと思ったが、ついてくると言われれば断り切れる自信がなかった」
「さすがは勘助!あたしのことよくわかってんじゃん」
「・・・・・・まあな」
「でも、なにも言わずに出ていくのは・・・・・・ないよ」
夕希は悲しそうな顔をした。
勘助はこの幼なじみにこんな顔をさせてしまったのが自分だと思うと、腹立たしくなった。
自分の失態は自分で責任を持つ。
勘助は、この幼なじみにすべて納得してもらい、許してもらわなければならない。
「・・・・・・すまん。俺は、夢を追いたい」
「うん」
「俺が認めた主君の下で、家臣として、活躍し、天下に名を轟かせたい」
「あたしや父上と敵として戦場で会うことになっても?」
「たとえお前や団次郎殿と敵対することになってもだ」
勘助の意志は相も変わらず固く、
夕希は苦笑した。
「ほんとに、真っすぐなんだから」
「どうしようもない性分なんだ。許してくれるか」
「・・・・・・ほんと、どうしようもないね~」
夕希は今度は愉快そうに笑った。
そして、
「じゃ、そのどうしようもなさに免じて、許してやるか~」
そう言って、頭の後ろに手を組み、村に向かって歩き出した。
勘助は急いで追いつき、「ありがとう」と言った。
「まっ、勘助なら大丈夫でしょ」
やはり彼女は能天気だった。
春と団次郎には夕希が後で説明しておいてくれるというので勘助は安心して寝床に着いた。
翌日、まだ春は寝ている。勘助は静かに家を出た。
「母上、お世話になりました」
そういって、小屋のようなボロ家に頭を下げた。
すると、
「勘助っ!」
聞きなれた声の方を振り向くと、夕希が寝間着姿で見送りに起きてきた。
「世話になったな。夕希。ひとまずお別れだ」
「いってらっしゃい。早く夢叶えろよ~!」
そういって笑顔で手をぶんぶん振ってくれた。
だから勘助は、
「おう」
とだけ応じてその特徴的な歩き方で歩き出した。
振り向くことはなかった。
勘助は村を出て、少し歩いたところにある寺に入る。
すでに和尚は起きていて、庭の掃除をしている。
「和尚、預けておいた荷物を取りに」
「おお、勘助。わかっておる」
そういって和尚は勘助が春たちにばれないように預かっていた旅道具一式を持ってくる。
法衣の膝部分だけ色が変わっており、どこか愛嬌のある和尚だ。
勘助が生まれたころと比べてかなり年老いている。
「大きくなったのう。勘助。浅男殿と違っておぬしは野心家じゃ」
「和尚にも世話になりもうした。後のことを頼みまする」
「わかっておる。まったくおぬしは、赤ん坊のころからわしに苦労をかけさせてくれる」
和尚は愉快そうに笑う。
「どこにいくつもりじゃ?南か?」
「いえ、とりあえずは、東科野のほうへ」
「となると・・・・・・国主は、
「はい。羽柴元吉はもっとも農民に寛大ですから」
「そうか。頑張れよ」
勘助は、「わかっております」とだけ言って、いよいよ旅立った。
これが勘助の少年時代であり、青年時代であった。
勘助はいよいよ、戦というものに参加することとなる。
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