第一話 (12) 予感

勘助は再び、峡間へと戻ってきた。

といっても今回は任務である。

仕官もしていないのに任務だけはやらされる勘助の今の立場は、変なものである。

南科野の国境までは武郷の者が晴奈を連れてくるため、国境から、今川の居城である駿城まで連れて行くのが勘助の任務である。

それとは別に、勘助の任務はもう一つある。

それは、任務当日まで狭間を探るというものであった。晴奈を追放する事で、家臣や領民がどんな反応をしているのか、探らせるつもりだろう。

勘助が今回の任務を受けた理由は、主に後者の方である。


(なんとかして武郷晴奈に接触出来ないだろうか・・・・・・)


勘助は、晴奈が噂通りのうつけ娘とは、思えなかった。

勘助が晴奈に興味を持ったのは、山ノ口城の一件からである。

会ってどうするのかは、決めていない。

晴奈が、信虎や梅岳のようであれば、勘助はなんの感慨もなく、ロボットのように任務を、淡々とやってのけるだろう。


ともかくも勘助は、勘助の見張りの任を受けているであろう雪原の小姓と共に、狭間へと戻ってきた。




夕希は、庭で団次郎と共に餅をついている。


「コッペパ〜ン!餅塗ってもコ〜ッぺ、パ〜ン♪」


「娘よ・・・・・・。その歌、やめないか?」


「え〜。餅うまいじゃん!餅!いっくらでも食べれちゃうよね〜」


「え、あっ、うん」


そんな和気藹々とした様子の二人に、近づく影があった。

足音がおかしい。足を引きずっているようだ。

ゆっくりと近づく足音に、夕希は一つの予感を覚える。


(この独特の足音・・・・・・。まさかっ!)


夕希は高鳴る鼓動を抑え、意を決して振り返った。


「勘助っ!」


「えっ?」


団次郎も、間抜けな声を出して振り返る。


そこには、一人の男が立っていた。

男は、笑いながら挨拶をする。



「どうも〜!初めましての方は初めまして!

猿楽師の大久保 長安おおくぼ ながやすでっす!

よっろしく〜」


「あ、あんたはっ!」


「え?知り合いか?夕希」


「・・・・・・」


「・・・・・・」


「いや、知らないわ」


「あ、そうなんだ」


近づいてきた男は、ただの猿楽師で、猿が足に張り付いていたため、足を引きずっていたようだ。

猿楽師はどこかへ行ってしまい、夕希と団次郎は、餅つきに戻る。

すると二人に、「おう、夕希。団次郎殿。帰ったぞ」と声を掛けて勘助は、とっとと自宅に入って行く。


二人は、「はいはい。おかえり~」と言った後、一瞬動きを止め、「・・・・・・って、え?でぇえええええええええええっ⁉」と声を上げた。


二人は、勘助の家の戸を蹴破り、入ってきた。


「なんなんだ騒がしい。しかも親子揃って」


「いや、そりゃ、あんた、こうなるよ!」


「そうだぞ!勘助!久しぶりに会ったというのに、なんなんじゃあのサッパリした挨拶はっ!」


「挨拶なら、したはずだぞ?」


「いや、したよ?確かに勘助は、あたしたちに挨拶した!でも、その仕方よ!」


「?俺の挨拶は変だったか?」


勘助は、見張りとして付いてきた小姓に尋ねる。

小姓は怯えた様子で、「いやぁ、あはは」と曖昧に笑うばかりである。


「あれ?そちらは?」


そこでようやく小姓に気付いた二人は、勘助に尋ねる。


「うん?ああ。なんでも俺の弟子になりたいとか言う奴でな。名前は、松平なにがしだったな」


「へ〜。変わった名前だねっ!」


「・・・・・・」


小姓は、勝手に弟子にされた挙句、名前も覚えてもらっておらず、しかも、勘助の友人と思しき女も、興味がないのかそれ以上の事は聞かない。

小姓の表情は、死んだ魚のようであった。


夕希は、勘助の帰還に嬉しくてたまらないようで、笑顔で質問した。


「勘助!仕官はできた?」


勘助は一瞬動きを止め、笑いながら「いやぁ、なかなか、難しくてな」と言った。

なんとも痛ましい笑い顔だったため、二人は内容を察した。

団次郎は、話を変える。


「まあ、そう簡単にはいかんもんじゃ。どうじゃ?一緒に餅つきでも」


「ああ、なら、是非とも」


勘助がそう言うと、小姓が勘助を見た。

任務はどうした。と、言いたいのだろう。

勘助は小姓に近づき、「いきなり本題を聞いては怪しまれる。自然と本題を聞き出すのが、肝要よ」と言った。

小姓は大いに頷いたが、勘助としては、たいして峡間の情報を集める気はない。

邪魔な見張りだった。昼間はついて来るため、自由に動けるのは夜だけだろう。

小姓は、夜は宿屋に泊まらせる。


勘助は、自身の思惑と任務を進め始める。

が、結果は芳しくなかった。

昼間は小姓の手前、峡間の様子を探るわけだが、結果は勘助の想像の域を出ず、


「お優しいお方だったけど、残念でごいす」

「晴奈様?本ばかり読んでるって聞いたけど?」

「無口なお方で、国主には向かんかもね〜」


と言った声が大方の感想であった。

たまに、「晴奈は信虎と違い、領民の為を思い、戦も強い」というような感想もあったが、大抵の人間は少数派の声を無視するもので、監視の小姓も同様のようだった。この情報が雪原に伝わる事は無いだろう。

勘助としては、少数の意見の方が興味深かった。


(本ばかり読んでるただの無口が、山ノ口城を落とせるものか。戦が強いのは間違いはない)


夜は、どうする事も出来ず、いっそ峡間の館に忍び込もうか考える始末であった。


その日、夕方ごろ帰ってきた勘助は、いつものように勝手に家に入り込んでいる夕希に呆れつつ、本を開いた。

本の題名は、「孫子」であった。


「ね〜ね〜、勘助〜。そんな難しい本ばっか読んでないで、少しはお話でもしようよ〜」


「なんだ、話とは」


「いや〜。昼間はさ、あの松平とかいうお弟子さんのせいで話す時間もないじゃん?だからぁ、積もった話とかさぁ〜」


夕希は昼間、勘助が小姓と共に出掛けようとすると、付いて来るとわめき散らして大変だった。


「ない。そんなものは」


「・・・・・・」


沈黙が流れた。

やがて夕希は、口を開く。


「じゃあさ、勘助、なんでそんな顔してんの?」


勘助は視線を、本から夕希へと向ける。

夕希は、悲しいような、困ったような、怒ったような顔にも見えた。


「俺の顔は、生まれつきだ」


「そういうこと言ってんじゃなくてさ、勘助。

何があったの?」


「だから何もないと・・・・・・」


「嘘。勘助のことはなんでも分かる。

勘助は昔、苛められたり気味悪がられたりした時、何にも言わなかったけど、そういう悲しそうな顔してた」


どうも女というのは、人の感情の機微や微妙な表情の違いに鋭いらしい。

今回はそれが、勘助をイラつかせた。


「なんでお前になんでも言わなきゃならない!俺が何でもないと言えば、何でもないんだよっ!」


「やっぱり。なんかあったんじゃん」


子供の頃であればこの後、夕希は勘助に理由を聞き出し、勘助を苛めた者の家に殴り込みをかけた。

男の勘助としては、どうだろう。

幼馴染とはいえ、年下の女に守られているようで、惨めな気持ちになったのではないだろうか。

今や勘助は31。夕希は25。


(冗談じゃない)


勘助に何があったのか喋ったとして、夕希はどうするつもりだろうか。

慰めるだろうか。今川相手に殴り込みに行くだろうか。


勘助は段々、頭が痛くなってきた。

頭を抑え始めた勘助を見て、夕希が心配そうに「勘助?」と呼びかけて顔を覗く。


勘助は立ち上がり、下着を持って出て行こうとする。


「勘助?どこ行くの?」


「湯に浸かりに行ってくる」


「え。あっ、じゃああたしも、」


「一人で、行ってくる」


そう言うと勘助は、さっさと出て行ってしまった。



峡間には、温泉がいくつかあった。

傷の手当てや病に効くとされ、重宝されていた。

勘助は、久しぶりに温泉に浸かり、気を休めたくなったのだ。今の勘助は、心身共に平常とは言えず、夕希との会話でさえ億劫であった。


勘助は、近くの温泉へと向かっている。


(久しぶりだ。この坂を登りきった所に・・・・・・うん?)


坂の上、温泉の入り口に、誰か立っている。


(何者だ?)


立っているのは女で、鎧を着用し、腕を組んで仁王立ちである。

前髪は切り揃えられ、髪は後ろで束ねている。

顔は凛々しく、背も高く、胸も尻も大きい。


(誰だ。夕希と同じかそれ以上あるぞ)


勘助が思っているのは、背のことである。


目をつぶっていた女は、勘助の気配に気づき、目を開けて勘助を見る。

勘助の腕に抱えられた下着の類と、足を引きずっている様子を認め、警戒を解いた様子で近寄ってくる。


「この近くの者か?」


「はい。そこの村に住む者でござりまする」


「私は馬場晴房という。貴殿の名は?」


「山森勘助でござりまする」


勘助は、馬場晴房のことを知っていた。

というよりも、諸国を遍歴中に、戦場で見た事があった。

遠目でも分かる程の剛の者で、大槌を軽々と振るうその姿には、魅入ったものであった。


(足軽達の話を聞き、名前だけは知っていたものの、まさか女だったとは。たしか、武郷の誰かに取り立てられたと聞き及んだが・・・・・・)


と、そこまで思い至り、勘助はすぐさま膝をつく。


「こ、これは失礼を。馬場様とは知らなかったもので・・・・・・」


「や、やめてくれ、勘助。私などにいちいち頭を下げるな」


馬場は目線を勘助に合わせて屈み、勘助の肩に手を置いて起き上がらせる。

勘助を立たせた馬場は、軽く咳払いし、本題を切り出す。


「すまないな。勘助。今はあるお方が入浴中でな。その足で悪いが、また出直してくれないか」


勘助の不自由な足を気遣ってくれているのであろう。

勘助は、馬場の一連の態度に好感を抱いていた。


「あるお方?それは、一体・・・・・・」


「すまない。それは言えないんだ。分かってくれ」


そう言って馬場は、身なりの汚い勘助に頭を下げた。

いくら農民出身とはいえ、ここまで出来た人間もなかなかいないだろう。


「おお、それは申し訳ない。それでは、それがしはまた明日、出直すとします」


「ありがとう」


ともかくも、馬場が見張っている以上、温泉には入れない。勘助は馬場に別れを告げ、その場を立ち去る。

が、ここでおとなしく帰る勘助ではない。


(あれ程の将が護衛しているのだ。武郷の重臣に違いない)


勘助は薄ら笑いを浮かべ、誰が入浴しているのか確認する事にした。



勘助は、夜の森を駆ける。


(正面が駄目なら裏からだ)


昔はよく来ていたのだ。明かりなど、月の光だけで十分だった。

その時。


「誰っ!」


勘助は呼び止められた。

呼び止めた相手は、松明を持ち、勘助にゆっくりと近づいてくる。


(くっ。見つかったか・・・・・・)


ゆっくりと近づいた相手は、勘助の顔を照らして、驚く。


「勘助くん!?」


勘助は、松明の眩しさに目を細めながら、自分の名を知る相手を確認し、こちらも驚く。


「相木殿!?」


その相手とは、ぽっちゃりとした体型の女武将で、山ノ口城で勘助と共に戦った、相木 市であった。


二人の時間は止まった。

が、先に時を動かした方は勘助であった。


「山ノ口城は落ちたと聞いておったが、生きておられたか」


思考が追い付いた相木は、素早く刀の柄に手を置き、殺気を放つ。


「こんな所で、何してるの?」


勘助は考える。

相木はおそらく、武郷にくだったのだ。

そして勘助は、山ノ口城の戦いに参戦していたことから、今川の刺客だと思われているのだろう。


勘助は、ゆっくりと刀に手を伸ばす。

馬場が相手では、勘助など一撃の元に葬り去られてしまうだろう。だが、相木であれば、なんとかなるかもしれない。

斬り合いになった場合に備えておきたかった。


「動かないでっ!」


「くっ」


相木は勘助の動きに敏感であった。


「話して。今川の刺客?」


「違う」


「じゃあ、何してたの?」


「湯に浸かりに来た。見ればわかろう」


「嘘だね。それなら正面から入ればいい」


「正面から入らねばならない規則など、」


「いい加減にしてっ!」


相木は誤魔化される程、馬鹿ではないらしい。

そして、逃してくれそうにも無かった。

勘助は、本当の事を話す事にした。


「湯に、浸かりに来たのは本当だ」


「わざわざ峡間で?」


「俺はそもそも峡間の出だ」


「・・・・・・それで?」


「山ノ口城を出た後、結局今川には仕官できなかった。だから戻ってきて、気休めに湯に浸かろうとしたのだ。そしたら、馬場とかいう将が見張りをしていたから、どんな将が湯に浸かっているのかと、気になっただけだ」


「・・・・・・分かった」


あたりに蔓延していた殺気は、落ち着いた。


「相木殿は、武郷に降ったのか?」


「まあね」


「どんな将だ?」


「不思議なお方よ」


「名はなんと言う?」


相木は、遠くを見つめ、一つため息をついた。


「?」


「武郷、晴奈様よ」


「ッ!?」


勘助は驚いた。

ということは、今温泉に入っているのは、勘助が会いたがっていた晴奈という事になる。

相木は続ける。


「本当に、素晴らしい主君だよ。

でも、また失っちゃうんだよね・・・・・・。

晴奈様が峡間を追われるのは知っているでしょ?」


勘助は相木の質問には答えず、相木の両肩を掴み、まくし立てた。


「そんなに素晴らしいご主君か!晴奈様は!」


「えっ。あ、うん」


「そうか・・・・・・。ならばいっそのこと、この目で見極めねば」


そう言って勘助は、再び温泉に向かおうとする。

が、今度は相木が勘助の肩を掴む。


「いや、何言ってんの?勘助くん。

ダメに決まってるでしょ?」


「この目で見なければ分かるまい。人の評価など当てにできん!」


「いや、ダメだから。家臣だから止めるとかそういう事以前に、人間としてダメだから」


「相木殿・・・・・・。頼む!後生だ!どうしてもあの山ノ口城を落とした晴奈という武将を、見てみたいのだ!」


「いや、そうは言ってもね」


「俺が認める程の主君であれば、いずれ天下も取れる!そうであればこの俺が!追放などさせない!

一目見て、そこまでの主君でないと判断すれば、とっとと帰る!だから、頼む!」


「・・・・・・」


相木は考える。

考えさせるに至ったのは、勘助の「追放させない」という言葉であった。

相木が見たところ、晴奈は名君であった。

その晴奈が追放されるなど、あってはならないと思っていた。思っていながら、どうする事も出来なかった。

だが、勘助であればどうか。

相木も、勘助の頭脳は認めている。

勘助ならば、分からない。


「やってみなくちゃ分からない、か。」


「なんと?」


「刀は預かる。それと、体に武器を隠し持ってないか、調べるから」


「恩に着る!相木殿!」


勘助は、喜んでる刀を差し出す。

何事も前しか見ないのは、勘助の昔からの性分であった。

相木は、勘助の体をチェックしていく。


「っ!どこを触っておる!もういいだろ!」


「うん。もう大丈夫だね。それじゃ、行って来なよ」


こうして勘助は、いよいよ、晴奈と会う事となる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る