第一話 (13) 運命

勘助が森の中を歩き続けていると、やがて、湯煙と灯りが見えてきた。


いよいよになって、勘助は考える。

晴奈とはいかなる人物か。

父である信虎と同じく愚物なのか、噂通りのうつけ娘か、はたまた、相木の言う所の名君か。


勘助は、晴奈という人物に期待していた。

期待すれば、裏切られた時の衝撃も、大きい。が、それでも期待してしまうのは、勘助の真っ直ぐさであるのかもしれない。

それと同時に勘助には、不安もあった。いや、今の勘助にとってそれは、恐怖であった。


(武郷晴奈は、俺の容姿を見たら、どんな反応をするのだろう・・・・・・。怯えるのだろうか。悲鳴を、あげるのだろうか。はたまた、問答無用で斬り殺そうとするだろうか)


どうしてもネガティブな思考が、頭を徘徊する。

はたしてこれは、勘助のせいなのか、周りのせいなのか、そもそも、誰かのせいなのか。

いつも前を見つめ続ける勘助らしくもない思考であった。


無論、姿を見せる気はない。

女が湯に浸かっているのだ。そこに男が乱入すれば、勘助のネガティブ発想は、たとえ相手が勘助でなくとも、実行に移されるだろう。

相手からは見えない位置に着き、問答をするつもりだった。

そこで勘助が気に入れば、後日、自分を売り込みに行くつもりだった。


今川梅岳の時は、勘助がその器を見定めるという事はしなかった。それが勘助に不幸をもたらした要因でもあった。

勘助は夢に向かい、真っ直ぐであった。真っ直ぐであったがゆえに、今川の様な者に平然と媚びへつらい、手痛い失敗をした。

周りが見えていなかったのだ。

自分しか、見えていなかったのだ。

とにかくも仕官できれば、それでいいのか。勘助はそんな事を考えたのかも知れない。


勘助は頭の中で、会話の流れを考える。


(まずは話しかける。晴奈は当然驚くだろう。それを落ち着かせてから、非礼を詫びる。それから・・・・・・)


そうこう考えていると、勘助の右目に、温泉が見えてきた。

勘助は慎重に近づき、木の陰に隠れ、顔を出して様子を伺う。


(見えた!)


勘助に背を向けているが、湯に浸かっている女を発見した。

女の髪は長く、歳は23くらいだろうか。

顔はあまり見えないが、美人そうだった。


(若いな・・・・・・)


勘助は、どんな顔つきなのか、もっと良く確認しようと身を乗り出した。


その時であった。


足元の雪に濡れた落ち葉が滑り、勘助は斜面を滑り落ちてしまった。


「ぬおおおおぉぉぉぉ!?」


勘助は悲鳴をあげ、尻餅をついたような体勢で、温泉の近くに、ドスンッと落ちてしまった。




晴奈は、湯に浸かりながら考え事をしていた。

湯に浸かるのは、晴奈の趣味で、峡間の各地にある温泉を巡るのは、晴奈の楽しみであった。

嫌な思いも、一緒に流せる気がしたのだ。


しかし、最近の晴奈はいつまで湯に浸かっても気分が晴れることはなかった。


おそらく晴奈は、絶望していた。


何に絶望したのか。それが晴奈にもわからなかった。


信虎が、晴奈をいずれ追放するであろう事はわかっていた。むしろ、殺されるよりはマシと言えるかもしれない。

つまり、これに絶望したわけでは、ないはずだった。


ならば、

戦に次ぐ戦により、領民は飢えに苦しみ、家臣達は信虎を諌めることも出来ず、このままでは峡間は、今川や羽柴の侵攻を待つまでもなく、内から壊れるのは明白であった。これに絶望したのだろうか。

峡間に希望を見出せなくなった事に、絶望したのだろうか。


それとも、

前島一族の助命を願い出た晴奈を無視して、遠慮容赦なく自害させた父に、絶望したのだろうか。


分からなかった。分からなかったから、気分も晴れないのだろう。


そんな時である。

晴奈の後方から、男の叫び声と、重いものが落ちた音が聞こえた。


晴奈がゆっくりと振り返ると、そこには片目に眼帯をし、右足が不自由そうな男が、尻餅をついていた。


(片目片足の浪人?板堀が言っていた・・・・・・?恐ろしい顔をしていると聞いていたが、なんとも・・・・・・)


晴奈は、恐ろしい顔などとは思わなかった。

いきなり落ちてきて、驚くのは晴奈であるはずなのに、自分が一番驚いたような顔をしながら腰をおさえ、辺りをキョロキョロと見回している様子は、晴奈にはなんとも愛嬌があるように映ったらしい。


晴奈は思わず、声を出して笑ってしまった。

声を出して笑うなど、本当に久しぶりだった。




勘助は、辺りを見回した。

何が起きたのか、自分でも理解できていなかった。

途端、腰のあたりが痛む。


(くそっ。腰を打った・・・・・・)


すると、女性の笑い声が聞こえる。

勘助がそちらを見ると、武郷晴奈が笑っていた。


(武郷、晴奈っ!?しまった、殺されるッ)


勘助としては、生きた心地がしない。

ただでさえ人を恐れさせるなどと言われてきた容姿だ。それが、湯を覗き、闖入ちんにゅうしたとなれば、殺されても文句は言えなかった。

勘助は覚悟を決めた。

が、笑い終わった晴奈は、特に行動を起こす様子は見せない。

勘助が不思議に思っていると、晴奈は涙を拭いながら、話しかけてきた。


「その目と足は、どうしたんだ?」


勘助は晴奈がなにを言っているのか、思考が追いつかない。

温泉に闖入ちんにゅうした方が驚いて、思考停止に陥っているこの状況は、端的に言って、変だった。


晴奈は、優しく微笑みかける。


「うん?」


勘助はようやく頭が回りだし、慌てて答える。


「い、いえ。目は幼き頃に疱瘡を患い、足は生まれつきでござりまする」


「そうか」


「はい」


そうして沈黙が流れた。

勘助は必死に頭を下げ、晴奈の反応を待っている。


(どうやら、無口は本当らしい)


すると、晴奈が反応を示す。


「湯は・・・・・・」


「は?」


「湯は、体に効くらしいぞ?足だけでも、入れてみてはどうだ?」


勘助は驚いた。

現在晴奈が入浴中の湯に足を入れるなど、無礼にも程があり、とてもそんな事は出来なかった。


「いえ、滅相もござりませぬ!」


「そうか」


再び沈黙が流れた。


(相木殿の言われた通り、本当に不思議なお方だ)


ようやく落ち着いた勘助は、聞いてみたい事を、聞いてみる事にした。

今度は勘助が口を開く。


「質問を、よろしいでしょうか?」


「うん」


「なぜ、馬場様をお呼びになりませぬか」


晴奈は、不思議そうな顔で勘助を見た。

一般的に名将や名君は、打てば響く受け答えをするようなイメージがあるが、どうも晴奈は違った。


「それがしのような得体の知れない者が、入浴中の温泉に闖入ちんにゅうしてきたのですぞ」


「それもそうだな。私以外にはしない方がいい」


「それがしが刺客であれば、どうなさるおつもりかっ!」


「刺客なのか?」


「・・・・・・いえ」


「変わった奴だな」


そう言って、晴奈は笑った。

勘助はなんとも言えない顔をして、更に質問する。


「それがしの顔が、恐ろしくござりませぬか?」


晴奈は、ゆっくりと勘助の顔を見た。


「変なことを聞くな?」


「お願いしまする」


勘助としては、どうしても答えて貰いたかった。

恐ろしい顔と言われても、それは事実だからしょうがない。そう思った。


「恐ろしくなどない」


勘助は驚いた。

恐ろしくないとはっきり断言されたのは、夕希を除き、初めてであった。


「一つ、言っておくぞ。私は、人の良し悪しは顔などでは決まらないと思っている。どれほど真剣に事に向かい、考え抜ける人間かが、重要だと思っている」


勘助は、もはや言葉もなかった。

これ程の事を言ってのける人間は、見た事がない。

晴奈が再び、口を開く


「浪人。名は?」


「はっ。山森、勘助でござりまする」


「そうか。では勘助。私からも一つ。なぜそのようなことを聞く?」


勘助は一瞬、駿城で起こった事を思い出し、顔を歪ませる。


「それは、」


「うん」


「それがし、この容貌を嫌われ、今川様への仕官を断られてござりまする」


「そうか・・・・・・。つらかったな」


「〜ッ」


「だからあんなに、悲しそうな顔をしていたのか」


勘助が温泉に乱入してきたばかりの頃、晴奈が見ても、勘助の顔は痛々しい程に悲しそうだった。

だが、今は違う。

活気が戻ってきていた。


「いえ。それがし、今川様に仕官を断られた事が悲しかったのでは、ありません」


晴奈は再び、不思議そうに勘助を見る。


「夢を、追えなくなった事が、悲しかったのです」


「・・・・・・夢」


「はい。それがしは、今川様に仕官するために頑張って参りました。それが無残にも潰え、夢を諦めかけてしまったのでしょう。自分で諦めておいて、自分で悲しくなっていたようです」


「勘助の夢とは?」


「はっ。それがしの夢とは、この名を天下に轟かせることにござりまする!」


「そうか。良い夢だな」


晴奈は、勘助な笑いかけた。

勘助は、晴奈の顔をじっと見つめ、切り出す。

もはや勘助は、晴奈を主君にしようと決めていたのかもしれない。


「恐れながら、晴奈様は、なぜそのような悲しいお顔をされておられるのですか?」


「ッ!?」


晴奈は驚いた。

先程会ったばかりの勘助でさえ分かる程なのだ。余程なのだろう。


「恐れながら、それがしと晴奈様は、似ておられまする」


「私と、勘助が?」


「はい。才がありながら、誰にも認められず、発揮することもできず、終わろうとしている。

それがしには、分かります。晴奈様は、人をまとめる才も、戦の才もありまする。それがしのような者に優しく語りかけてくれるのです。それがしがいた山ノ口城を落としたのです」


「勘助が、山ノ口城に?」


「はい。それがし、この歳まで諸国を遍歴し、陣取り・城取り・兵法の極意を身につけておりまする。

山ノ口城には、そのそれがしがおりました」


「道理で」


晴奈は、優しい顔をした。

信虎が山ノ口城のような小城であんなに苦戦したのは、敵に兵法の心得がある人間がいると思っていた。


「晴奈様の夢は、なんでござりましょう?」


「夢か・・・・・・」


晴奈もまた、夢を追えなくなる事が悲しかったのだろう。

似た者同士である勘助には、わかった。

晴奈もまた、自分が何に絶望していたのか、今わかった。


晴奈は、ポツリと呟いた。


「私は、天下を取ってみたい」


勘助は、驚きはしなかった。


(これ程のお方だ。天下くらい、望まれるだろう・・・・・・)


「それは、良い夢でござりまするな。天下を統一したならば、争いも無くなるやもしれませぬ」


「フフッ。確かにな。でも、私の夢は、そんなに大層なものじゃない」


「と、言いますれば?」


「ただ、試してみたいんだ。自分を」


勘助は驚き、その右目を見開いた。


(ますます気に入った)


やはり晴奈は、勘助に似ていた。

勘助の夢と晴奈の夢はどちらも、この世に生を受けたからには、自分を試したい。

そういった単純な思いを、具体的に言葉にしたものに過ぎなかった。


「目指せばよいではありませぬか、天下を」


「勘助も知っているだろう?私はこれから、人質になるんだ」


勘助は憤った。


「何を情けのない事を!あなた様ほどのお方が!」


無礼な勘助ではあったが、晴奈はその様子を黙って聞いていた。

やがて落ち着いてきた勘助は、一つ問う。


「・・・・・・・それで、後悔はありませぬか?」


「・・・・・・」


晴奈は、答えなかった。


「お答えになりませぬか。では、それがしが答えましょう」


晴奈は、勘助の顔を見ている。


「このまま追放されれば、晴奈様は必ず後悔なさりましょう。そして、それは生涯、続いていくことになりましょう」


「・・・・・・」


「命を粗末にするというのは、そういうことではありませぬか?」


晴奈は、その通りだ。と思った。

しかし、現実も見なければならなかった。


「では、勘助。勘助であればどうする?」


「父を追放いたしまする」


即答であった。

いくら戦や裏切りが日常であるこの時代であっても、父を追放するなど、前代未聞であった。

が、勘助に言わせれば、子を追放する親はどうなのか。という事だった。


「人を追放しようとしたのです。自分がされる覚悟もできておりましょう」


「その後は?」


「今川に人質を預け、同盟を結んだ後、それがしであれば、中科野を攻めまする」


「東科野では、なくてか?」


「峡間のような小国では、東科野の羽柴とは対等に渡り合えませぬ。さいわい羽柴元吉は、自国を固めるばかり、その隙に中科野を統一し、峡間を一大国家にいたしまする」


「中科野の入り口には、同盟を結んだ白樺頼重がいる。白樺頼重には、私の妹、奈々ななが嫁いでいる」


「同盟など、破ればよろしい。奈々様はなんとしてもお救いしまする。それをなんとかするのが、家臣たちの役目でござりましょう」


「中科野を統一したら、次はどうする?」


「中科野の晴奈様、南科野の今川、東科野の羽柴で、三国同盟を結びまする」


「三国同盟・・・・・・」


「晴奈様は、中科野を侵略しようとする強大な北科野に備え、中科野の防備を固める。と言っておきまする。

羽柴も、東科野を固めるために乗りましょう。

今川はこの同盟を使い、西科野から北科野に北上いたしましょう」


「うん」


「今川が北上したら、すかさず留守の南科野を奪いまする」


「中科野はどうする?北が狙ってくるだろう?」


「あの国は強大ですが、まとまりに欠けまする。どうせ内乱鎮圧に追われている事でしょう」


「中科野、南科野を奪い、次は東か?」


「左様。羽柴元吉もその頃には年老いておりましょう。あの男には、実子がおりませぬ。

跡目で争っている所を、漁夫の利を得まする」


「それで最後に、北か」


「はい」


「同盟を破ってばかりだな」


「兵は詭道なり。でござりまする。これが考えられる限り、最短の道でござりまする。最短という事は、それだけ流れる血の量は少なくなりましょう」


「父を追放し、妹の嫁ぎ先を攻め滅ぼす、か」


「夢ばかり見ていては、夢は叶いませぬ。

信虎様を追放すれば、皆、晴奈様を悪く言いましょう。ですが、信虎様が成し得なかった大事を、晴奈様が成せば、天下は納得致しまする。万人とは、そういうものです」


「さしずめ、私は大悪人。勘助は、”鬼“だな」


「鬼・・・・・・」


鬼。

とても人のする事ではない。と言った所か。


(俺が軍師となれば、さしずめ、“鬼の軍師”か。

悪くはないな)


勘助が考えていると、晴奈が呼んだ。


「勘助」


「はっ」


「私はお前を気に入った。私は父を追放する。そしたら、勘助。お前を知行100貫で召抱え、家臣にする。

私と一緒に、天下を目指さないか?」


100貫とは、金に換算するならば、およそ120万と言った所か。

大した実績も持ち合わせない勘助のような浪人を召抱えるには、いくらなんでも多かった。


「信虎様を追放なされば、矢がつるを離れた事と同義でござりまする。少なくとも信虎様を越えるまでは、止まる事は許されませぬ。止まれば晴奈様は、大悪人の愚か者として、歴史に刻まれまするぞ。

覚悟は、出来ておられまするか?」


晴奈は勘助に微笑みかける


「勘助。覚悟の段階はとうに終わっている。

聞いているのは、私だぞ?」


勘助は額を地面に置き、答えた。


「喜んで、お仕えしとう存じまする!

それがし!晴奈様、いえ、お屋形様に天下を取らせてご覧にいれまする!」


勘助は、遂に仕官の約束を取り付けた事になる。

本当に長かった。が、結果として勘助は、勘助が望む理想の主君に仕える事となった。

泣かずにいられるわけがなかった。

勘助は、地面に額を押し付け、晴奈には見られないよう、涙を流した。

生まれて初めて流した、感涙であった。


「さて、流石に湯に浸かりすぎた。もう出る。勘助、待っているぞ」


そう言うと晴奈は、体を隠す事もなく立ち上がり、出て行ってしまった。



その後勘助は、湯に入る事もなく温泉を出て行った。

既に、馬場も晴奈もいなかったが、相木がいた。


「おつかれ、勘助くん。やってくれたようだね。晴奈様のお顔が見違えたようだったよ」


「相木殿・・・・・・。相木殿のおっしゃられた通りであった。素晴らしいご主君だ」


「でしょう?晴奈様は私が勘助と知り合いだった事を見抜かれ、私に勘助との連絡役を仰せ付かわされたわ」


見抜く、と言う程の事もない。

勘助が山ノ口城での戦いに参戦していたこと、見張りの相木を抜けて、温泉に闖入してきた事を考えれば、大した推理も要らなかった。


勘助は相木に、信虎追放について出来る事、やるべき事を話し、その場は別れた。


勘助の夢は、晴奈と天下を取ることに、変わっていた。

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