第三話 (5) 相談事
勘助は、四人が待っている部屋の戸を開けた。
中は案の定、綺麗にされてあった部屋は跡形もなく、後列にあった机に至っては脚が折れてしまっている。
部屋の中央には
勘助がもう一人の生徒を探すと、
晴房は勘助が現れたことに気付くと、二人の仲裁を諦め、急いで近寄ってきた。
「すまん勘助!つまらぬことでこの様だ!」
頭を下げる晴房を無視し、勘助は手に持っていた書物を二人に投げつけた。
一冊は黒島の側頭部に命中し、もう一冊は昌景に
昌景は勘助を睨みつけ、不敵に笑った。
「やっと来たか。呼びつけておいて、随分と待たせるじゃねぇか」
昌景の挑戦的な態度に、勘助はゆっくりと頷いた。
「左様。なにぶん、教える相手が自身よりも戦さ経験豊富ゆえ、何を教えられるか、何が出来るのか。
と、勘助は昌景の手にある書物を指差した。
無論、その書物には勘助の知る兵法の内、五割ほどの知識も載っていない。自分の手の内を書物に記して残すなど、危険極まりない。この四人が裏切らないとは、限らないのだ。
勘助は声を張り上げた。
「しかし!」
さしもの昌景も、普段声を荒げるような事のない勘助の怒号に固まった。
勘助は四人の顔を一人一人舐めるように見回した。
「どうやら俺は、各々方の為に無用の時を過ごしたようだ!」
そうして勘助は、手の内にある書物を力の限り床に投げつけた。
「これはまずい」と思った晴房は、慌てて勘助の前に躍り出た。
「勘助、我らが悪かった!落ち着いてくれ!」
晴房は困ったように手をあたふたとさせた。
勘助は無視し、続ける。
「いいか、各々方!俺はお屋形さまの命で各々方に俺の半生をかけた兵法を授けようとした!しかし各々方は、俺を軽んじたのだ!お屋形さまの命を受けた俺を軽んずるということは、お屋形さまを軽んずるという事だ!そう理解するが、よろしいな!」
四人の額に、汗が浮かんだ。
勘助は昌景と黒島に近づき、投げつけた書物を取り上げると、
「よう分かった。もう、帰れ。お屋形さまには、俺から報告しておく」
と言って部屋を出て行った。
残された四人は顔を見合わせ、慌てて勘助を追った。
廊下を歩く勘助に、昌景は走って前へと躍り出ると、その行く手を塞いだ。
昌景はそのまま勘助の手に持つ書物を強引に奪い、その胸に抱くと、目を逸らしながら小声で、
「わ、悪かったよ。勘助」
と謝罪した。
勘助が後ろを振り向くと、他の三人が勘助の様子を心配そうに伺っている。
勘助はやや大げさにため息を吐き、
「分かれば良い。さぁ、部屋に戻りましょう」
と言った。
勘助の言葉を聞き、四人はホッとした顔をした。
その顔を見て、勘助は
(ここまでしてようやく
と、内心で笑った。
授業が始まった。
四人は最初の内こそ黙って聞いていたが、一時間ほど経つといつもの調子に戻った。
が、その様子は先程までとは打って変わり、勘助の話をよく聞き、考え、判からないところがあればすぐさま聞いた。
話題は
「戦さで肝要なのは、
この話を特に興味深そうに、しきりと頷いているのは、工藤昌豊であった。
逆に、黒木昌景はあまり興味を示した様子は見せない。
(致し方あるまい。黒木殿は根っからの武人肌なのだ)
どこまでも児玉殿には似ていない。
と、勘助は思った。
この点、児玉は極めて鋭敏で、戦さの際は兵糧や武器を自ら管理し、贅沢は許さなかった。
「黒木殿はどのように考える?」
と、勘助は聞いてみる事にした。
昌景がどういった思考を持っているのか、知ろうとした。
「昌景でいい」
と、返ってきた。
「・・・・・・」
昌景にしてみれば、親愛の証のつもりなのだろう。が、勘助からすれば、なんだか恥ずかしい。
しかしこのままでは授業が進展しない。
「では昌景殿は、どう思われる?」
昌景は鼻を鳴らし、
「兵糧を前線に送るなんてのは、誰にだってできる。戦さで最も役に立たない無能にやらせればいい」
その発言に、工藤昌豊はムッとした顔をした。
昌豊が振り返り、昌景に何か言う前に、勘助は先を打った。
「では昌景殿は、小荷駄隊を指揮する将は、戦さ場にて戦う将と比べて、劣ると言いたいのか?」
「そりゃあそうだろう。兵を指揮する者は、その場で命のやり取りをしているんだ。当たり前だ」
勘助はゆっくりと首を横に振った。
「それは違う。兵糧の重要性を理解している敵であれば、隙を狙って必ず小荷駄隊を狙ってくるだろう。小荷駄隊には、常にそういった緊張があるのだ。小荷駄も前線で戦う者も、多くの味方の命を互いに預けあっている。ここに優劣の差はない」
「それは・・・・・・」
「武郷軍を代表する家臣である昌景殿が、そういった考え方では困る。小荷駄管理を任された将が腹を立て、昌景殿がいる前線に武器や兵糧を送らねばどうするのだ」
勘助にここまで言われた昌景は、何か言い返さねば、気が済まない。
「兵糧が来なければ、敵方の村を襲って奪えばいいッ!足軽の中には、それを楽しみにしてる奴も多いんだからよ」
そのことを、
確かにこの時代、乱取りは当たり前のように行われていたことであるし、これを目的に参戦する百姓も多い。
更には、褒美として乱取りを行わせる部将もいる。
しかし、勘助の考えは違う。
「あのような野蛮な事、出来る限りは行うべきではない。戦時は敵方の村とて、占領後は我らの村なのだ。人心が離れる」
「出来る限りはってコトは、場合に応じては乱取りをしてもいいのかよ?」
昌景としては勘助に対するちょっとした反抗のつもりだったのだろう。
揚げ足を取ったつもりであった。が、自分で言ってすぐに、
(つまらねぇコトを言った・・・・・・)
と後悔した。
「敗ければ大切なものを失う。敗けるくらいであれば、乱取りでもなんでもすべきであろう」
勘助の予想通りの答えに、昌景は、
「そりゃあそうだ。勘助は正しい」
と言った。
その後、二時間ほどの授業を行い、終了した。
勘助は夕希に用意させた
「本日の講義が時間の無駄であると感じたのであれば、遠慮なく次からは来る必要はない。各々、すべき事をするよう」
と言い含めた。
四人のうち、馬場晴房、黒木昌景、工藤昌豊の三人はすぐに帰った。
一人、黒島淳子は自主的に残り、更なる授業を乞うたため、勘助は更に二時間、授業を行った。
「黒島は勉学熱心だな」
帰り支度をする黒島に、勘助が語りかけた。
「いえ。私は他の三人とは違い実戦経験が浅いですから、少しでも知識を詰め込まねばなりません」
そう言って黒島は、自分の頭をつついた。
その様子を見た勘助は、自分が投げた書物が黒島の頭に命中した事を思い出した。
「黒島。頭は痛まぬか?」
黒島は不思議そうに首を傾げ、やがて思い出したように、
「ああ、いえ。問題ありません」
と言って答えた。
気にした様子を見せない黒島を見た勘助は、ちょっとした軽口を言って場を和ませようとした。
「いくら感情的になったとはいえ、大切な書物を投げるとは、俺も反省しなければな」
この言葉に、黒島は心底驚いたといった顔をした。
「これは、驚きました」
「驚いた?」
勘助は不思議になって黒島を見た。
「いえ、私は書物など所詮は道具としか思っていないので。書物と言っても結局のところ、戦場で役に立つのは頭に入っている知識だけですから、山森さんも、読み終え、研究し終えた書物などただの紙束同然としか思っていないのかと思っていました」
実のところ、勘助とて同じ意見であった。
「山森さんは違うんですか?」
と、黒島が勘助を見上げた。
「いや、その通り」
黒島は勝ち誇ったように
「やっぱり」
と言うと、満足そうな顔で去って行った。
勘助が黒島を見送っていると、奥から夕希が現れた。
「あっ、黒島ちゃんも帰ったんだ」
「夕希か。今日はご苦労だったな」
「いえいえ。勘助こそ、お疲れ~。どうだった?教え子たちは?」
「どの将も凄まじい才を秘めている。が、」
「が?」
「癖が強い」
そう言って勘助は、ため息を漏らした。
その様子を夕希は、苦笑して眺めていた。
それからというもの、四人は暇を見つけては勘助の屋敷に訪れるようになった。
勘助に兵法や城取りなどを学びに来ることもあれば、ただの世間話の為に来る事もあった。
九月。
まだまだ暑いこの日、勘助は晴奈より相談があると呼び出された。
「お屋形様。お具合の方はいかがでありましょう?」
勘助が聞くと、晴奈は、
「最近は良く眠れている。勘助のおかげだな」
と言って微笑んだ。
勘助の星占いによって晴奈の将来に対する不安がやんわりと薄れていったのだろう。最近では頭痛に悩まされる事も少なくなってきたらしい。
「勘助、講義の方はどうだ?」
次は晴奈から聞いた。
「はい。順調に」
勘助は簡潔に答えた。
勘助の講義は次第に有名になり、武郷家中の特に若い世代が訪れるようになった。
講義を聞いた将達は、勘助や晴奈の作戦意図を明確に理解し、行動する事が出来るようになるだろう。
教育とは、言い方を極端に悪くすれば、洗脳である。
特に、自分の意見が無い者ほど、染まりやすい。
勘助は続けた。
「特に、馬場晴房、黒木昌景、黒島淳子、工藤昌豊の四人は逸材で、間違いなく武郷家の中心となる存在でありましょう」
晴奈は満足そうに頷いた。
そこで沈黙が流れる。
勘助は呼ばれた理由を聞くことにした。
「お屋形様。本日はどういったご用件でありましょうや」
「ああ、今日勘助を呼んだのは、」
晴奈がそこまで言った所で、廊下からドタバタと音が聞こえ、無遠慮に戸が開け放たれた。
「見たわよッ!勘助!」
姿を現したのは、晴奈の実妹である信繁であった。
無礼極まる信繁であったが、その様子は悪い事をしたという様子が無い。
「信繁様。いくらなんでも・・・・・・」
「勘助!どういうつもり!」
信繁は断りもなく部屋に入ると、勘助を指差して糾弾した。
「どういう・・・・・・?」
聞きたいのは勘助であった。
「分からない?姉上との密議は無しと決めたはずでしょう!」
「・・・・・・ああ」
この発言で、勘助は信繁の礼儀を無視した行動に納得がいった。
要するに信繁は、目の前で現行犯を発見したような気持ちになったのだろう。人間というのは、悪と決めつけた者を撃退する際は、多少の事は許されるという前提で動く事を勘助は知っている。
勘助は、出されてあった茶を
糾弾されている自分が落ち着いた態度を見せる事で、信繁を冷静にさせようとした。
が、勘助の思惑は失敗した。
「今日が
信繁は勘助の余裕の態度を見て、更に激昂した。
信繁の声を聞きながら、勘助は思う。
(信繁様はお屋形様の為であれば水火も辞すまい。が、頭に血が上り過ぎる。はてさて、どうすべきか・・・・・・)
信繁の剣幕に、晴奈が動いた。
「信繁、落ち着いて、」
が、信繁の怒りは、その姉にも向いた。
「姉上も姉上よ!無防備が過ぎる!」
よほど日頃から勘助と晴奈の関係に
晴奈は困り果て、勘助の方を見た。
「信繁様は、何か勘違いをしてございますな」
「勘違い?」
「左様です。これは密議という程の大層なものではなく、ちょっとした雑談ついでに相談をしていただけのことです」
信繁は晴奈を見た。
晴奈は頷き、
「勘助の言う通りだ」
と言ったから、信繁は難しい顔をした。
勘助は続ける。
「それに、お屋形様はそれがしの為を思って、このような場を設けてくださっておるのです」
「勘助のため?」
勘助は頷いた。
「はい。御家中には、流れ者の身でありながら出世し、知行も増やしているそれがしを
この発言に、信繁は大いに頷いた。
「さすがは姉上だわ。そういった考えが・・・・・・。恐れ入ったわ」
言われた晴奈は、そういった意図が実際にあったのかどうなのか、極めて真面目な顔で頷いた。
信繁は晴奈に羨望の眼差しを向けると、やや間があってから、
「しかし姉上。水くさいですよ?相談というのであれば、私がいるでしょうに」
と言って、やれやれといった風な顔をした。
晴奈は信繁をじっと見つめると、
「それもそうだな。では、二人に相談しよう」
と言って、場を収めた。
相談というのは、問題のある人物が何人かいるというものであった。
主に問題となっているのは、
家臣
近習
の二人である。
岩間大右衛門は、先代の信虎時代からの譜代家臣である父、
大右衛門の問題は、極端な臆病であった。
いざ戦さ、となると戦場に着く前から呼吸が激しく、戦場についたらついたで、眼を回し、挙げ句の果てには気絶をしてしまう程であった。
この様を見た他の家臣達から、
「武郷家にあるまじき臆病者。直ちに改易すべし」
という主張が次から次へと舞い込んだ。
もう一人の問題人物である近習の只来五右衛門は、頭の回転が速く、理財にも長けているため、晴奈が他国から召抱えた。
見兼ねた晴奈が近習達に話を聞くと、どうやら問題は只来にあるらしく、口を開けば他者の批判ばかり口にするという。
晴奈は只来を呼び出し、幾度となく
おおよその話を聞いた勘助は、顎に手を当てて低く唸った。
信繁は眉間にしわを寄せ、
「只来はともかく、岩間は問題ね」
と言った。
勘助は不思議に思い、
「と、言いますれば?」
「只来は所詮、人の批判をするだけでしょう。言わせておけばいい。しかし岩間の臆病は、戦場で他の家臣にも迷惑を掛けるわ。直ちに鍛え上げないと」
なるほど、もっともな意見であった。
が、勘助は首を横に振った。
「それがしは、只来の方が問題があるように思いまする」
信繁は目つき鋭く勘助を見た。
「理由は?」
「はっ。それがしはお屋形様の命で同じく近習の黒島淳子に兵法を教えている身でありまするが、聞く所によれば、只来は戦場に出ても手柄を上げるような素振りも見せず、お味方の窮地にも
「それならば岩間だって同じようなものでしょう。戦場で気絶していれば、味方の救援どころか、足手纏いだわ」
「いえ。心意気に天と地ほどの差がありまする。動きたくても動けないのと、動けるのに動こうとしないのは違いまする。岩間は臆病でありながら戦場まで行き、なんとかしようという頑張りが見えまする。一方、只来は手柄を立てようともしないくせに他人の批判ばかりしており、一向に改善する気配すら見せませぬ。いくら理財に長け頭の回転速くとも、武郷家の和を崩すばかりで役には立ちますまい。直ちに
晴奈と信繁は驚いた。
まさか勘助の口から「放逐」という過激な発言が出るとは思っていなかった。
それを役に立たないから放逐しろというのは、やや配慮に足りないだろう。
信繁は目を吊り上げ、勘助を睨んだ。
「それでは只来があまりに哀れでしょう。誹謗中傷はやめさせればいい」
「問題は只来の誹謗中傷という面だけでなく、やる気にあります。努力しない者ほどよく他人の
「それに?」
「今の時点で放逐するのは、只来の為でありましょう」
そう言って勘助は、これ以上言うことは無いとばかりに、静かに目をつぶった。
晴奈は苦笑し、
「勘助、只来にも良いところはある」
と言って、只来に哀れみをかけるように勘助を諭した。
「誰か
「誰がいいだろう?」
勘助は考え込んだ。
信繁が
「わたしが行くわ。只来の性根を叩き直してやる」
それは良くない、と勘助は思った。
他人の誹謗中傷を日頃から繰り返す只来のような人間は、信繁のような血筋、器量共に完璧な人間を嫌う傾向がある。しかも、信繁が強引に只来を更生しようとすれば、只来の自尊心は酷く傷付き、悪癖が更に悪化する結果になるだろう。
「あいや、お待ちを」
「勘助、わたしでは不服だと?」
「お屋形様の
「姉上は優しすぎたのよ。わたしならはっきりと言うことが出来る!姉上に出来ない事は、わたしが代わる!」
自信満々な顔の信繁は、今直ぐにでも只来の元に行かんばかりの勢いである。
(どこまでも明るいお方だ。その明るさが人を傷つける事もあるというのに)
勘助が晴奈の方を向くと、晴奈は頼もしい信繁に期待しているような顔であった。
「では、信繁に任せよう」
「お任せください!姉上!」
この日の相談事は、これにて終了となった。
帰り際、偶然に勘助は、外で石に座り込み、涼を入れている只来五右衛門に会った。
只来は勘助よりやや若い男であった。
勘助の姿を認めた只来は、挨拶をするわけでもなく、鼻で笑ってそっぽを向いた。
流石にムッときた勘助は、只来を問いただす事にした。
「只来。今、俺のことを笑ったか?」
只来は肩をすくめて見せると、立ち上がり、申し訳程度に会釈し、去っていった。
勘助はしばらくその後ろ姿を眺めていたが、やがて屋敷へと歩き出した。
その三日後。勘助は再び、峡間の館へと向かった。
「勘助。只来のことだ」
晴奈の話を聞き、勘助は、
(やはり・・・・・・)
という感想しかなかった。
しかし驚いたのは、次の晴奈の言葉であった。
「勘助。お前のことだ。誰を説諭に向かわせるか、考えてきていよう」
晴奈は信繁の説諭が失敗し、それを見越した勘助が誰を説諭に向かわせるべきか考えてきている、というところまで見抜いていた。
しかし、なぜ信繁が失敗すると判っていて向かわせたのか。
(二度手間ではないか)
気になる勘助は、
「なぜ、信繁様を?」
と言葉にしてしまった。
晴奈は微笑を浮かべ、
「人のやる気は、簡単に入れたり切ったりは出来ないからだ」
と答えた。
確かに、あれだけのやる気を見せていた信繁に、「お前では力不足だ」と言えば、信繁のやる気は地に堕ち、
やるだけの事をやった上で駄目だったのであれば、本人も納得するであろう。
(やはり、俺とは器が違う)
勘助は膝を叩かんばかりに納得し、
「恐れ入りました」
と、頭を下げた。
「信繁の話では、只来は態度こそ慇懃に反省しているという様子を見せていたものの、話の半分も理解しようとしていない事がわかった。という事であった」
只来は信繁相手に尊敬などという念は抱いた事がない。
血筋のみの生意気な小娘程度にしか思っていなかったのであろう。
それが正論を持ち出して自分に説教をしてきた為、只来の反骨精神はいよいよ昂ぶってしまった。
表向きはわざわざ訪ねてきた信繁を立てる一方、只来はその不服を信繁の家臣である
源之丞の兄である
それを盾に、只来は源之丞の屋敷付近までわざわざ出向くと、近隣で誹謗して回った。
源之丞はそれを不服として信繁に訴え、信繁は只来に呆れ果て、晴奈に相談した。
勘助は難しい顔で話を聞き、一応の案を出した。
「それがし、色々と考えましたが、只来の説諭には、工藤昌豊が適任かと存じまする」
「昌豊?」
「はい。昌豊は器量も十分にあり、また、他国召抱えの只来と、一度は国を離れた昌豊には、話が通ずる所があるやもしれませぬ」
どちらも、あまり人には触れられたくない所がある。
が、この案が一応というのは、勘助は既に只来については更生の余地なしと見ていたからである。
「なるほど」
晴奈が頷くのを見た勘助は、
「明日、昌豊がそれがしの屋敷に来ますので、その時にそれがしの方から言っておきましょう」
と言って、晴奈の了承を得た。
勘助は館を出ると、夕焼けの空を見た。
(今夜はよく星が見えるな)
勘助は、晴奈のため、この日は星を眺めて今後の吉凶を占うことにした。
勘助はゆるりと屋敷に帰ると、内に入ろうともせず、馬に乗り、中にいる夕希に声を掛けた。
「夕希!帰りは遅くなる!」
すると、屋敷内からドタバタと音がなり、呼び掛けられた主がその姿を現した。
「説明不足!」
息を切らして出てきた夕希に、勘助は不足と言われた説明をする事にした。
「星を眺めに行く。
「じゃあ、あたしも行くから、」
「いや。今日は一人でゆく」
それだけ言うと、勘助は馬腹を蹴った。
夕希はそれを死んだ目で眺め、やがて諦めたようにため息を吐いた。
勘助も既に
それがお供の一人も連れないのは、あまりこの時代の一般的では無い。
が、勘助は一人の時間というものを大切にしていた。
静かな時間が好きなのだろう。
勘助は馬を走らせ川まで行くと、適当に馬を休ませ、大の字で土手にごろりと寝転んだ。
目を
後は星が出てくるまで待つだけである。
時は経ち、辺りが暗くなると、よく星が見えるようになった。
勘助はそれを鋭い眼つきで真剣に眺める。
(あまり、よくないな・・・・・・)
勘助の見た所、その星は以前見た時より随分と悪い方向に行っている。
勘助はそれが何を意味するのか、考える。
(春には村島攻めに入る。準備を入念に整えねば・・・・・・)
そこで、勘助の視界の端に灯りがチラついた。
見れば、土手の上で松明が数本、近づいてくる。
勘助は、寝ているふりをしてやり過ごす事にした。
もし仮に、「何者だ」と問われる事があっても、勘助の顔は既に武郷家中に知られている。
(まさかいきなり斬りかかってはこまい)
土手上を通る集団は、騎乗する部将が一人と、二十人ほどの
その足音が、止まった。
(面倒な・・・・・・)
集団は、こちらの様子を伺っているらしい。
すると、馬上の人物が声をあげた。
「参謀長殿ではありませんか!?」
女の声だった。
いずれにせよ、この暗さで勘助と判るとは、よほど夜目がきくらしい。
勘助はそちらを見ようともせず、
「誰だ」
と、大して興味もない様子で言った。
馬上の主は慌てて下馬すると、名を名乗った。
「
勘助はこの工藤昌豊という部将をさほどに好ましく思っていない。
更には、今こうして一人の時間を邪魔され、あまり気分が良くない。
(国抜けか。早く去れ)
と、内心で
しかし昌豊は、勘助の思惑とは逆に、家来達に休んでいるように命じると、一人でとことこと近づいてきた。
昌豊は寝転ぶ勘助を見下ろさないよう微妙に離れた位置まで来ると、
「参謀長殿。このような所で寝ては風邪をひかれますよ?」
と語りかけてきた。
昌豊は既にこの時、勘助の事を「師」として尊敬している。
「寝ているのではない」
勘助は素っ気なく答えた。
「では、何を?」
「星を眺めておる」
「星を!」
昌豊は声を弾ませ、勝手に勘助の隣まで来ると、寝転んでしまった。
眠そうな目をした肌の白い女だった。
(馴れ馴れしい女だ)
勘助の内心など知らず、昌豊は、
「綺麗ですね」
などと言っている。
こうなっては仕方がない。
勘助は、「只来の件もある。丁度良い」と自分を納得させる事にした。
「昌豊殿は、何をしていたのだ?」
「え?あっ、はい!少し、涼むために散歩をしておりました」
と言って、恥ずかしそうに笑った。
「何が可笑しい?」
「いえ、参謀長殿が初めて私に興味を持ってくれたような質問をしてくれたので、つい」
言われてみれば、勘助が昌豊について何かを尋ねたは初めてである。
事実、興味がなかった。
勘助は昌豊の発言に特に反応せず、黙って星を眺めた。
「参謀長殿は、宿曜道の心得があるとか。私などの未来でも、わかるものなのでしょうか?」
「見える」
と、勘助は簡潔に答えた。
昌豊に「占ってくれ」などと言われれば、勘助にとって迷惑至極でしかない。が、ここで「判らぬ」などと言ってしまえば、一体勘助は晴奈に何を吹き込んでいるのか、という事になってしまう。
(まぁ、断ればいい)
勘助はどう断ろうかということを考え始めた。
が、昌豊の次の台詞は、
「そうですか・・・・・・」
というようなものであった。
(まさか、俺が自ら占ってやるなどとでも言うと思っていたのか?)
勘助が昌豊を訝しんで見やると、その少女は複雑な顔で星を眺めていた。
「私も・・・・・・」
「・・・・・・?」
「私も、あと少し未来を見通す力があれば、あのような失敗はしなかったのでしょうか・・・・・・」
「失敗?」
「はい。あと少し、あと少し、あの男の下で我慢していれば、こういった今にはならなかった」
あの男とは、信虎の事であろう。
確かに、あと一年も我慢していれば、昌豊は晴奈の下で輝かしい戦果を発揮し、周囲の家臣達にも羨望の眼差しを向けられる事となっていただろう。
が、現実はそうはならなかった。
昌豊は、「もはや武郷に先は無し」と見て、家来の全てとその家族、家財を荷駄に積みこみ、峡間を離れてしまった。
武郷家中で孤立した昌豊は、ストレスのため不眠症に陥っていた。夜の散歩も今では日課となっている。
「悔しいです」
昌豊は、それだけ言うと、沈黙した。
勘助は、段々とこの少女が哀れに思えてきた。
(哀れみを掛けるというのであれば、只来のような者ではなく、こういった者にこそだろう)
と思った。
勘助は星を眺めながら、
「過ぎた事だ。悔やんでも仕方あるまい。失敗だったというのであれば、それを払拭するために努力するしかないだろう」
そう言って立ち上がった。
昌豊も慌てて立ち上がる。
勘助より頭一つは小さい。
「工藤昌豊。お前の能力は、少なくともお屋形様や俺は認めている。分かる人間には、分かるものだ。それで、良いのだ」
それは、かつてどこにも仕官先がなかった勘助を、晴奈が認めてくれたことに起因した言葉だったのかもしれない。
昌豊はいつもは素っ気ない勘助の激励に驚くと、やがて感極まって涙をぽろぽろと落としてしまった。
勘助は気にせずに只来の件を頼み、昌豊が泣き止むのを待つと、少しばかり雑談を交わした。
「さて、そろそろ俺は帰るが、昌豊殿も一緒にどうだろう」
勘助が帰り道を誘うと、昌豊は首を横に振った。
「いえ、なんだか暖かくなってきたので、もう少し涼みます」
勘助には暖かくなど感じないが、昌豊がそうだというのであれば、そうなのだろうと思った。
「そうか。ではな」
「はい!お気を付けて」
昌豊はいつもの眠そうな目をその夜は輝かせ、手を振って見送った。
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