第三話 (6) 短所

  昌豊まさとよ只来五右衛門ただらい ごえもん説諭せつゆを請け負ってから三週間後。

この日も、勘助は晴奈の元へと向かっている。


 昌豊は、まず只来と信繁の家臣である傘日源之丞かさが げんのじょうの調停に奔走した。


 信繁の説諭に腹を立てた只来は、源之丞の屋敷周辺に出向き、源之丞の誹謗をして回った。

只来としてはちょっとした腹いせ程度の事であったのだろう。しかし噂は立ち所に広がり、更には尾鰭おひれがついた。


 只来が流した誹謗は、元を正せば、源之丞の兄である源一郎が色に狂い、放逐された事件が元であった。

只来はその事実をやや誇張して流したに過ぎない。

が、流れに流れた噂は、弟の源之丞も猥雑わいざつで、女と見れば見境がないというものにまでなっていた。


 それを知った源之丞とその家来たちは憤り、


「おのれ只来!あのように他人を誹謗中傷して回るような不義漢は許しておけぬ!叩き殺してくれる!」


と、合戦準備を始める始末であった。


 信繁としては、源之丞の好きにさせるわけにはいかない。

姉の晴奈の私設秘書官である只来五右衛門と、妹で副将を務める信繁の家臣が合戦沙汰になどなれば、姉妹の意思など関係なしに、再び武郷家は真二つに割れてしまう可能性がある。


 信繁と昌豊は協力し、信繁は源之丞一派の説得を引き受け、昌豊は只来の説得を受け持った。


 信繁は源之丞一派を呼びつけ、


「あなた達の気持ちはよく分かるわ。しかし、よく分かるからといって見て見ぬ振りは出来ない。これ以上、騒ぎを大きくするというのであれば、わたしがあなた達を討たなければならない」


と、源之丞一派の顔を一人一人じっくりと見た。

意思の強い目である。

本気で言っている、というのは、誰しも分かった。

が、源之丞も血の気が多い男だから、


「しかし!」


と、片膝立ちになった。

信繁は顔をキッと怒らせ、


「源之丞!あなたはここまで言って分からないほど愚かな男ではないはずでしょう!あなたは武郷家を瓦解させる気?」


と一喝し、源之丞を黙らせた。


 一方、昌豊の方は難航した。

昌豊が只来に謝るよう諭すと、


「俺はお屋形様の近習だ。まことに戦さを起こせるものか。それに、言葉には言葉で返せばよい。源之丞が言葉で俺を責めぬのは、奴にもやましい事があるからだ」


と、開き直った。


自分で火種を蒔いておきながら、いざ火事寸前となると火種を蒔かれる方も悪いと言って平然としている只来の態度に、さしもの温厚な昌豊も怒りを覚えた。


遂には、


(この男をこの場で斬り殺し、私が腹を斬った方が武郷家の為になるんじゃ・・・・・・)


と思うほどであった。


しかし昌豊も真面目な女で、それからも毎日のように只来の元に訪れ、根気強く諭した。

出来ればおおごとにはしたくない。という思いは、当の只来よりも昌豊のほうが強い。極めて不思議な現状ではあるが、只来のような開き直り主義者は、元来、楽観主義な頭を持っている。


 昌豊が只来の元に訪れておよそ十二日目。

昌豊は、もはや只来に正か邪かで説いてもどうにもならないと思い、只来にとって何が利で、何が害かで説くことにした。


「只来。よく考えてみてください」


「何を」


只来は、十二日間、毎日のように訪れる昌豊に、若干の苛立ちもあらわにしながら聞いた。

お前の顔は見飽きた。という表情である。


「源之丞が今、訴状を出したらどうするのです。どんなに公平に見ても、貴方が敗けることは目に見えています。源之丞が訴状を出す前に、頭を下げた方が身の為でしょう。それに、訴状が出されれば話が公々然としてしまいます。後は、判りますね?」


只来も馬鹿な男ではない。

源之丞達が武装蜂起したというのであればまだしも、訴状沙汰になれば敗ける、ということは目に見えていた。


(くそっ、源之丞の奴、いっそのこと武器をもって屋敷に籠城でもしてくれれば良かったものを・・・・・・)


源之丞が主家である信繁に反抗し、武器を持って何かしらの行動に出たとなれば、裁かれるのは源之丞たちになる。そうすれば自分が火種であることは有耶無耶うやむやになる。

只来の狙いとしてはそんな所であった。殊更に自分が謝罪せずにいれば、頭に血が昇った源之丞が動く。という観測があった。そのために彼はどこまでも楽観的に構えていた。が、源之丞の怒りは信繁が抑え込んでしまった。

信繁の器量を見誤ったと言わざるを得ない。


その信繁は、言うまでもなく源之丞派である。

となれば、


(訴状沙汰はまずい・・・・・・)


只来は敗訴した場合の沙汰について考える。


(ここまでの騒ぎになった以上は、切腹はさすがに無いにしても、蟄居ちっきょもしくは放逐という処置も考えられる)


そこまで考えた只来は、渋々ながら源之丞に謝罪することを受け入れた。


 道理からいえば、謝罪する立場である只来が源之丞の屋敷を訪れるのが通常であろう。

しかし、「只来討つべし」と鼻息を荒くしていた源之丞の屋敷に只来一人を向かわせるのは危険のため、昌豊はわざわざ二人を自邸に招き、そこで仲裁した。


 晴奈は、源之丞に対して、


「只来が迷惑を掛けた。私の監督不行き届きだ」


という旨を告げ、詫びとして脇差と馬を贈った。



 その後の経過は、勘助と信繁、晴奈の三人で話し合う事になっている。


勘助はまず信繁に、源之丞の様子を聞く事にした。


「信繁様。源之丞は落ち着きを見せておりまするか」


信繁は頷き、


「ええ。噂は広がるのも早ければ、消えるのも早い。今は感情に身を任せて武郷家にいらぬ手間を取らせてしまった、という思いがあるみたいね」


信繁は顔を歪め、小声で、


「源之丞には、辛い思いをさせたわ」


と呟き、拳を握った。

信繁は只来に対する怒りよりも、自責の念が強い様子であった。


勘助は晴奈の方に向き直ると、


「只来のことは、昌豊がなんとかしてくれるでしょう。さしもの只来も、今回の件で昌豊に恩を感じているはずです」


と、只来についつは昌豊に一任するように言上ごんじょうした。

勘助はこう思う。


(昌豊でも駄目なら、もはや救いようはあるまい)


勘助の言葉に、隣に座る信繁が同意した。


「そうね。昌豊に任せましょう」


まさか同意されるとは思っていなかった勘助は、信繁が昌豊を認めているという事態にやや驚いた。

信繁とて昌豊の帰参にいい感情は抱いていないはずであった。


「これは、驚きました」


信繁は照れ臭そうに笑い、


「わたしに何かあった時には、あの子がわたしの代わりになってくれるでしょう」


と言ったから、勘助は更に驚いた。

信繁による最大級の褒め言葉であろう。

さしもの勘助も、まさか昌豊が副将格の器量を持ち合わせているとは思っていない。といっても、勘助もつい最近まで昌豊には良い感情を抱いていなかったわけだから、彼女に対する評価が低くなるのは自然のことであった。


目を丸くして驚いている勘助を見た信繁は、クスッと笑い、


「昌豊は律儀だし、頭も回る。更には戦さも上手い。そんなに驚くこともないでしょう」


と言って、更に昌豊を褒めた。

信繁がここまで褒めれば、勘助も昌豊についての認識を見直さざるを得ない。

先日、昌豊からその心中を聞き、彼女に対する嫌悪感のようなものは薄らいでいたとはいえ、そう簡単には好悪が変わるわけではない。

信繁から只来の件で昌豊が必死に奔走しているという話を聞き、勘助は次第に申し訳ない気持ちになった。


 結局、只来についてのその後の経過は、昌豊に一任された。



 後日、勘助は昌豊の屋敷を訪れ、只来の件とは別に、信繁が昌豊を褒めていた事を密かに教えてやった。

勘助は、昌豊がここまで忠実に任務に励むものとは思っていなかった。そのため、信繁の昌豊評を聞いた夜などは、今までの昌豊に対する塩対応の数々を思い出し、ひどく悔いた。


「謝りたい」


と思った。

しかし、いきなりに押しかけてそれを言う勇気が、勘助にはなかった。

考えた勘助は、信繁の昌豊評を教えてやることにした。そのついでに謝ろう。という魂胆である。


 昌豊はいきなりの勘助の来訪を驚いたが、心の底から嬉しそうに歓待してくれた。

信繁の昌豊評を聞いた昌豊は、心底驚き、手にしていた茶碗を落としてしまうほどであった。


 昌豊は勘助の話を聞きながら、不意に自分の目元から涙が溢れそうになったのを感じ、努めて我慢した。


(先日は尊敬する参謀長殿の前でみっともなく泣いてしまった。夜のことだったから、顔は見えなかったと思う・・・・・・。しかし、人前では泣くなどということは、二度としない!するもんか!)


昌豊は、人に簡単に泣く女だと思われることが嫌だった。というより、そういった自分が嫌いであった。

どんなに辛くても常に凛としている自分が好きだった。


 昌豊は涙を堪えるため、一言も喋ることが出来ず、ただただ頷くばかりであった。


 一方、昌豊が涙を堪えていると分からない勘助には、昌豊が顔を強張らせているようにしか見えず、それが勘助の中にある罪悪感と重なり、自分の事を冷遇していた勘助を責めている、というように見えてしまった。しかも、勘助が昌豊にとっては良い話であるはずの信繁による昌豊評を聞かせているのに一言も喋らないのである。


 遂に勘助は、勘助にとっての本題であるはずの謝罪をすることが出来ず、


「その、悪かったな。・・・・・・急に訪ねて」


と、頓珍漢とんちんかんな方向で謝ってしまった。

昌豊は昌豊で、一言も喋らない自分に勘助が気を悪くしたのではないかと不安になり、


「滅相もない!」


と言おうとしたものの、力を抜けば涙が流れてしまうと思い、必死になって首を左右にブンブンと振った。


気まずくなった勘助が、「そろそろ・・・・・・」と立ち上がると、昌豊は勘助を見送り、やがて勘助の姿が見えなくなると、その頰にはとめどなく涙が溢れた。


(こんなに嬉しい日は、生まれてから一度もない・・・・・・。今後、なにがあっても、武郷家を裏切るようなことだけは、しない・・・・・・!)


と、その涙に誓った。



 晴奈の相談内容は、もう一人の問題人物、岩間大右衛門いわま おおえもんの話に進んでいる。


勘助は顎に手を当て、


「御家中は血の気の多い者が多い。それ故に、余計に岩間のような者が浮いてしまうのでありましょう」


と、難しい顔をしてみせた。

信繁は頷き、


「でも、だからと言って戦さ場で気を失っているようでは武士として話にならないわ。兵の士気も落ちる」


信繁にしてみれば、岩間を改易せよ、という他の家臣たちの意見も分からないではなかった。

しかし、岩間大右衛門の父はよく信虎を支え、信繁や晴奈にも優しく接してくれていた。

そう簡単には、割り切れない。


「荒療治にはなるけれど、岩間を名馬に乗せ、くらあぶみくくり付けさせ敵中に放つのはどうかしら。初めての事は誰だって怖いものよ。他の武将にあって岩間に無い物は、その初めの勇気だけで、慣れれば大抵の事には動じなくなると思うわ」


晴奈は頷き、


「勘助、異存はないか」


と聞いた。

勘助は頷き、


「いえ。岩間の臆病を治すというのであれば、それ以外に方法はないかと。異存はありませぬ」


と言って賛成した。

大右衛門の臆病は生まれ持っての気質である。それを後天的に治そうと言うのだから、自然、療法は荒くなるだろう。


晴奈は満足そうに頷いた。



 岩間の出陣はすぐに訪れた。


 元低遠家の家臣で、殿島重雄とのじま しげおという男が武郷家を裏切り、村島義清むらしま よしきよの元に寝返ろうと国抜けの準備を行なっている。という旨が、勘助が監視目的で付けていた家来の者からもたらされたのだ。


 元低遠領の統治を任されている赤山信友あかやま のぶともは、報せを受けるとすぐさま国境の閉鎖を命じた。

裏切りが武郷家に筒抜けになった事を悟った殿島は、国抜けを諦め、急ぎ近くの村々を襲って兵糧をかき集め、殿島城とのしまじょうに籠もった。


 晴奈は殿島重雄の討伐を赤山信友に命じ、岩間大右衛門を援軍として差し向けることにした。

勘助と信繁は、岩間の監視と激励のため、岩間の軍に付いていくことにした。


 出陣の日の早朝、信繁と勘助が岩間大右衛門の元に行くと、大右衛門は既に合戦準備を整え、甲冑姿で現れた。


「の、信繁様。こ、此度は、わ、わ、わたしなどの為に・・・・・・」


大右衛門はひどい訥弁の少女であった。

信繁はつとめて微笑を浮かべ、


「岩間。落ち着きなさい」


と言って、肩をポンポンと叩いた。

それを受けて、大右衛門はホッとした顔をした。

が、次に信繁の背後から勘助がぬっと現れた為、ビクッと体を硬直させてしまった。


「勘助!もう少し愛想よくなさい!岩間が怖がっているでしょう!」


「無茶な・・・・・・。信繁様はそれがしに対していささか手厳しくはありませぬか?」


勘助の言い分は無視し、信繁は岩間の背中をさすっている。


「岩間殿。此度、岩間殿にはお屋形様より預かったこの馬に乗ってもらいまする」


そう言って勘助は、夕希に馬をいてこさせた。

馬は体躯がよく、綺麗な栗毛で、見るからにそこらの馬とは違って見える。


「この馬は恐れを知りませぬ。また、馬上の人をいざという時には守ってくれるでありましょう。さ、お乗りくだされ」


 勘助に勧められ、大右衛門はビクビクと馬に近づいていくと、なんとも鈍臭どんくさい動きで馬に乗ろうとした。

しかし、片足をあぶみに乗せ、もう一方の足を上げると、そこでがっしりと馬にしがみ付いて動きを止めてしまった。


「ひっ!?こ、この馬は大きすぎませんか!?う、動けません!お、お、お助けを!お助けをぉぉお!」


目一杯に騒ぐ大右衛門は、そのまま泣き出してしまった。

信繁は急いで大右衛門に近づくと、尻を押し上げてなんとか馬に乗せようとした。


「勘助!あなたは足を!」


勘助も慌てて近づき、ひたすらに屈伸運動を繰り返す右足を掴み、手伝おうとした。

しかし勘助は、恐怖で凄まじい力を発揮した大右衛門に顔面を蹴り上げられ、尻餅をついてしまう。


「す、す、すみません!」


主君の様子をハラハラと眺めていた大右衛門の家臣たちも慌てて駆けつけ、たちまちに馬と大右衛門の周りには人だかりができてしまった。

二十分ほど掛かり、信繁たちはどうにかこうにか大右衛門を乗馬させることに成功した。


 時が経ち、行軍中の大右衛門は先程までと打って変わり、ご機嫌に勘助や信繁と馬を並べている。


「み、見事な馬ですね。この私が乗っているのに、まったく動じない」


大右衛門の場合、乗り手の臆病に当てられ、大抵の馬が動かなくなってしまうか、座り込んでしまうのだ。

しかし今、大右衛門はなんの問題もなく馬に揺られている。


 勘助達は、そうして赤山信友に合流するため、低遠城に入った。


信友は勘助達を歓待した。


「岩間殿。此度は援軍、感謝致しますぞ」


と、慇懃に頭を下げる信友は、晴奈からこの度の岩間の援軍が臆病を治療する為だと聞いている。聞いていながらそれを知らないふりをするところが、この青年の優しさであり、家中で人気の理由であった。


「い、いえ。こ、こちらこそ、その、よ、よろしくお願い致します!」


岩間はおどおどと頭を下げた。

信友は、別段この少女に対して嫌悪感などは示さず、むしろその礼儀正しさに好感を抱いた。


「信繁様、岩間殿、山森殿には、軍議の前に私の策を聞いておいてもらいたいのですが、宜しゅうございますか?」


信友は軍議の前にしっかりと準備を整え、自分の中でしっかりとした結論を持って臨む男であった。

なにか自分の策に不備があれば、聞いておきたかったのだろう。


しかし信繁は、


「岩間はともかく、此度、わたしと勘助は岩間の激励のために付いてきたに過ぎないわ。総大将はあなたよ。わたし達に構わずに軍議を行いなさい」


と言って断った。

今回の討伐軍の指揮官は信友であり、信繁と勘助は大右衛門に付いてきただけである。

いくら信繁が晴奈の妹で副将とは言え、信友の作戦に口を出せる権限はなかった。勘助も同様である。

そのため、軍議への出席もするつもりはない。


これに信友は慌てて、


「いえいえ!私個人が尊敬する御二方のご意見を頂きたいのです!どうか、ご助力いただけませぬか」


こう言われれば、信繁と勘助も協力はやぶさかではない。

信友に二人の方から意見する事は出来なくとも、信友が二人に協力を求めたならば、話は別であった。


 信繁と勘助は了承し、三人は茶室で信友の作戦を聞くことになった。


「殿島が籠城したのは、恐らく単に意地の問題でありましょう。敵中で孤立しているのです。どう考えても勝ち目などない。此度は敵に強烈な一撃を与え、その意地を叩き折り、降伏させようと思います」


三人は頷き、信繁が「具体的には?」と、先を促す。


「殿島の家臣に見知った者がおります。その者に呼び掛け、城門を開けさせます。まさか家臣達も亡命先であった村島義清がわざわざ援軍に来るとは思っていないはず。つまり、負け戦と知りながら殿島の意地に渋々付き合わされているに過ぎません。負け戦に付き合うのは馬鹿らしいと説得すれば、必ず寝返りましょう」


信友は、殿島の家臣の名を数人挙げた。


「城が開けば後は攻め入るだけです。その時には、真っ先に岩間殿に突入していただきたいと考えております」


それから、信友は作戦の細部を語り、最後に、


「ニの丸の占拠、その一勝をもって、殿島に降伏勧告の使者を送ります。如何でありましょう?」


と言って三人を見た。


信繁は、


「妙案ね。勘助、意見は?」


勘助は頷き、


「いや、お見事。それがしであっても左様に致します」


と言って頷いた。

二人の賛同を得た信友は、少年のように目を輝かせた。


(この愛想の良さが、好かれる理由であろう。俺には出来ぬ)


と、勘助は思った。


大右衛門は既に目を回している様子で、


「じ、城門が開いたら、と、と、突入・・・・・・?血と硝煙が渦巻く、げ、激戦地に・・・・・・?うっ、気持ち悪い・・・・・・」


と言って口元を押さえた。


信繁が困り顔でその背をさすっている。


(こんなことで大丈夫なのか?この娘は・・・・・・)


と、勘助は思わざるを得ない。


 その後、すぐさま軍議が行われ、その日の夜八時には出陣した。

松明の灯りが、行軍して行く。その兵力は、三千五百。


 赤山軍が殿島城大手門前面に到着し、布陣が完了したのは、翌未明の四時であった。そこで夜明けを待つ。


待っている間、大右衛門はひたすら震え、勘助はなんだかこの娘が哀れに思えてきた。


「や、や、山森殿。か、代わってくれませんか?」


「それでは意味がないでしょう。覚悟を決めなされ」


「か、覚悟・・・・・・?死ぬ、覚悟?」


「違う!戦う覚悟!」


勘助はため息を吐きたい気分になった。

遠くで夕希がニヤニヤとしているのが見える。


そこで、城の様子を見に行っていた信繁が帰ってきた。


「信繁様。敵方の様子は如何いかに?」


「慌ただしく動き回っているみたいね。準備不足が目に見えるわ」


大右衛門が信繁に上目遣いで尋ねる。


「へ、へ、兵力は?」


「詳しくは分からないけれど、一千といったところかしらね」


と、信繁は大右衛門が怖がらないよう、見立てよりも少ない数を教えた。


「い、い、一千?す、す、少ない。という事は、しょ、少数精鋭・・・・・・?」


大右衛門の頭は、臆病者特有の、敵を過大評価するようにできている。

そうこうしていると、赤山信友の本陣より陣貝が鳴り響き、一斉にその麾下きかの兵力が前進を始めた。


「あわわわわわ!は、は、始まった!?」


と、大右衛門は立ち上がって慌てふためいた。


「落ち着きなさい!あなたの出番はまだよ!」


信繁と勘助が大右衛門をあやす。



 殿島城は巨大な方形の本丸を中心として二重三重の堀と土塁があり、それを更に巨大な二の丸が囲っている。漢字の「回」という形が想像しやすいだろうか。

午前中の攻撃は、堀を挟んで鉄砲・弓矢の撃ち合いに終始した。

この戦い方では、敵味方ともにさほどの被害は出ない。

しかしそれこそが信友の狙いであった。


 赤山信友は、あらかじめに用意してあった文を矢に括り付けさせ、それを射かけるように命じた。

矢文には、軍議で信友が名を挙げた殿島の家来宛に、


「城に籠もっていても援軍は見込めず勝ち目はない。無駄に死ぬばかりである。しかし、内応するというのであれば、なんじらの功を厚く賞してやる」


という意味の事が書かれている。

矢文を拾った足軽は、すぐさま文に書かれてある将の元に行き、その矢文を渡した。


 矢文を受け取った将は赤坂清玄あかさか せんげんという者であった。

歴戦の赤坂は、この戦さに勝ち目などないという事も分かっていたし、なによりも主君である殿島重雄よりも敵である赤山信友の方に好感を持っていた為、直ぐに決行する事を決めた。


 赤坂清玄は矢文に書かれていた他の将にもすぐさま密使を送り、更には、今回の国抜けや籠城で不平や不満を漏らしていた同僚達にも密使を送り、同志を作り上げた。


 彼らはすぐさま一致団結し、その日の午後二時にはニの丸のあちこちにに火を放たせ、城壁を破壊させ、やがては城門をひらかせしめた。


 火が上がるのを見た寄せ手の戦意は高揚し、銃撃戦をやめ、勇んで堀を渡って城壁に取り付き始めた。


 勘助と信繁は、馬が怖いと叫ぶ大右衛門を見て味方の士気が下がらないよう、幔幕まんまくの中で急ぎ大右衛門を例の馬に乗せると、鞍と鐙に括り付けた。


「でぇえ!?本当に!?本当に括り付けてあの中に行かせるんですか!?無理!無理無理無理無理!」


パニックを起こしてしまった大右衛門を見た信繁は、


「ここまで来て何を言っているの!その臆病を治して今までに馬鹿にしてきた連中を見返してやりなさいッ!」


と怒鳴ったが、大右衛門は一向におさまる気配がない。

夕希は幔幕に入ってくると、困りきった様子の勘助の肩を叩いた。


「勘助。士気が・・・・・・」


夕希の困りきった顔を見た勘助は、慌てて外に出た。

勘助が外に出て見れば、岩間の隊の士卒は動揺しきり、士気は見るも無残な状態になっている。


しかも、幔幕の外には赤山信友と諸将達からの使者が次から次へと現れて、


「今が好機!急ぎ攻め入ってもらいたい!」

「開城した際の一番槍は岩間殿と軍議で決めたはず!岩間殿が攻め入らなければ、他の隊が動けませぬ!」

「岩間殿は何をやっているのか!早う攻め入りなされ!」


と騒ぎ、遂には返答をもらおうと無理矢理に幔幕の中に入ろうとして、岩間の家臣達と揉み合いになってしまっている。


(これでは戦さにならぬ・・・・・・)


勘助はため息を吐いた。

まさかここまでの臆病とは思わなかったのである。

勘助は気持ちを切り替え、急いで幔幕に入ると、


「信繁様!ここはひとまず兵の士気を上げねば、戦さになりませぬぞ!」


馬上の大右衛門と揉み合っていた信繁は勘助の方を向くと、次第に顔を怒らせた。


「勘助!わたしが兵を率いて士気を回復させるから、機を見て岩間を突っ込ませなさい!」


「はっ!」


「岩間!兵を三百、借りるわよ!」


「ひっ!?ど、ど、どうぞ!」


「馬!兜!」


「「はっ!!」」


信繁の家来がそれぞれに馬と兜を持ってくる。

信繁は兜を被ると、軽々と跳躍し、馬に乗った。


「岩間!わたしの戦いをよく見ていなさい!」


それだけ言って信繁は、出陣の準備を整え待機している兵を三百人ほどまとめあげると、それを引き連れ、開け放たれた大手門に突撃した。


 城内は、搦手門より攻め入った隊と、赤坂清玄ら裏切りの隊、更には武功を挙げようとして岩間を待てず、城壁を登った隊などが敵の守備隊と激しい戦闘を繰り広げている。


 勘助と大右衛門は、信繁の勇姿を見ようと幔幕の外に出た。

信繁が士卒を率いて城門に近づくと、付近の敵が弓矢を浴びせかけた。

信繁は弓矢を叩き折りながら突き進み、右に左にと刀を振るい、敵の首を刎ねた。

城内に入った信繁は、その場で指揮をとる。

目立つ赤甲冑の信繁の姿を見た敵兵が、「あれが大将ぞ!」と叫び殺到しようとしたが、信繁の見事な指揮でなかなか近づく事が出来ない。

辛うじて信繁に挑む者があっても、すぐさま馬上からの攻撃でその命を落とす。


 信繁の右手から、徒歩かちの武者が「名うての将と見た!いざ勝負!」と、槍を構えて突きかかって来た。


信繁は突き出された槍を弾き、輪乗りをして馬を立て直すと、馬上より刀を振り下ろして猛撃を加え、遂にはその首を跳ね飛ばした。


武者を討ち取った信繁は、その首を家来に持たせ、


「信繁の一番首よ!大右衛門の元に持って行きなさい!」


と命じた。

その信繁に、不意をついて左手から槍を突き刺そうとする者がいた。


「ッ!?」


信繁は辛うじてそれを避けると、徒歩かちになってその全身黒甲冑の武者と対峙した。


「よう避けた!千久頼康ちひさ よりやす!槍合わせ願おう!」


頼康はニヤリと笑うと、続けざまに槍を突き出す。

信繁は何度か攻撃を受け、やがては攻撃を避ける為に後方に跳躍した。


大きく跳躍した信繁は、着地ざまに反転し、敵兵を斬り殺した。更に近くにいる敵に一気に近づき、振り上げの一太刀でその息の根を止めた。


千久頼康が信繁に迫る。


信繁は刀のつか目釘めくぎがゆるんで刀身が抜けないよう、唾で湿しめらせると、ゆっくりと刀を構えた。


信繁の鋭い視線と闘気に当てられ、頼康の槍はやや鈍り、それを逃さず信繁は、突き出された槍の柄を叩き斬った。

頼康はすぐさまに槍を捨て、刀を抜こうとした。

が、既に信繁は頼康に肉薄していた。

頼康はこの時、はじめて信繁の顔を見た。


(武郷信繁ではないか!)


と思った時には、既に刀を抜こうと開ききった右脇下に信繁の刀が突き刺さり、頼康は落命した。

信繁は頼康の首を掻き取り、鞍に結び付けようとしていると、信繁の背後から刀を抜き鬼気迫る顔をした女武将が声を張り上げた。


「兄上の首を、持っていかせるものか!勝負!」


女は頼康の妹で頼氏よりうじという。

信繁は、


「不足なし!」


というと、頼氏に襲いかかった。

頼氏はニ度、三度と信繁の刀を受けたが、やがて討ち取られた。


信繁の奮戦はたちまち周りの将兵の士気を上げた。


 勘助の右眼には、信繁の戦さぶりがよく見えた。

自分もあの場に駆けつけ、同じように戦いたい。そういった思いにおちいる。


勘助は思わず、


「俺もああなりたかった・・・・・・」


と漏らした。


信繁に見惚れる勘助の眼を覚まさせたのは、夕希であった。


「勘助!集中して!今は戦場!」


夕希の声で我に返った勘助は、急いで大右衛門を発進させようとした。


「ま、待って!怖い怖い怖い!の、信繁様に任せておけばいいではないですか!ねぇ!」


勘助は構わずに馬を走らせようとする。


「お、お、鬼ィ!」


「行かねば信繁様が血糊ちのりを付けた刀を持って岩間殿を斬ろうと致しますぞ」


「ひぃ!?」


「それッ!武功を挙げて来なされ!」


勘助は大右衛門が乗る馬をけしかけると、大右衛門は凄まじい勢いで飛び出した。


「ぎょええええええッ!」


大右衛門の家臣が味方を鼓舞してそれに続いた。


 一仕事終えた勘助は、床几を持って来させると、腰を下ろし、水を飲んで涼を入れた。


「勘助、お疲れちゃ~ん」


と、勘助が一人になれば、夕希が笑い掛けながら近寄ってくる。


「おお、夕希」


「はい、兜。危ないからちゃんと被っときなよ」


勘助は嫌そうな顔をしたが、善意で行なっている夕希に強いことは言えず、渋々といった様子で被った。

緒を締めずに単に被るだけな所が、勘助らしい。


勘助は殿島城の方を指差し、


「夕希。お前も信繁様の如く次から次へと襲ってくる敵を斃すことが出来るのか?」


と聞いた。


「え~?う~ん、いや、やってみないと分かんないね~」


常人であれば、即答で「出来ぬ」と返すであろう。

事実、勘助であればそう答える。

やってみなければ分からないという事は、つまるところ、出来るかもしれないという自信があるからそう言った答えが出来るのである。


勘助はのほほんとして言ってのける夕希に、苦笑せざるを得ない。


「頼もしい女だ」


「お?もっと頼ってくれてもいいんだぜ?」


と、夕希は嬉しそうに顔を輝かせた。


「調子にのるな」


そう言った主従水入らず、もしくは幼馴染みの間柄で雑談に興じていると、城の方から見慣れた騎馬武者が近づいてくるのが見えた。


勘助は驚きのあまり、文字通りに跳び上がってしまった。


見れば騎馬武者は、先程戦場に向かわせた岩間大右衛門その人である。


馬は勘助の元まで来ると、勝手に座り込んでしまった。

見れば、その体は震えている。


「ば、馬鹿な!何度も戦さを経験している名馬だぞ!」


馬上には、恐怖のあまり失禁した大右衛門が気を失っている。


夕希が大右衛門を馬から下ろしている間、勘助はこの度の失敗を振り返る。

が、この失敗ばかりは勘助にも信繁にも非はなく、悪いのは大右衛門の臆病であると結論せざるを得なかった。


「いや。ここまでの臆病はもはや才能か・・・・・・」


とまとめていると、前線より信繁が馬に乗って帰ってきた。

鞍に結んである首級は三つにもなっている。


「勘助!大右衛門の姿が見えなかったけど・・・・・・」


信繁は、大右衛門の姿を見ておおよそを察した様子であったが、勘助はひとまず説明をすることにした。


「馬が乗り手の恐怖心に当てられ、帰ってきてしまったようです。もはや戦場では使い物にならないやもしれませぬな」


「それは、馬の事?それとも、大右衛門の事?」


「どちらも」


「・・・・・・」


信繁は苦い顔をした。



 戦さ自体は赤山信友の作戦通りに事が進み、二の丸占拠後の降伏勧告を、殿島重雄は受け入れた。

開城後、殿島の扱いについては、


「切腹せしめられよ」


という主張が諸将から出たが、信友が晴奈に助命を願い出た為、命だけは助けられた。

信友は相対した者に対しての礼儀を怠らない。それは彼の生まれ持っての優しさもあるだろうが、若い頃から奉行、つまりは文官の職についていたことも関係しているかもしれない。武郷家中においても教養高い信友は、無用の殺生を好まない。若いころからの戦場育ちが多い武郷家中には、珍しい類の武将であった。


 一方、岩間大右衛門の臆病治療は失敗に終わった。


勘助と信繁は、晴奈に報告するため、峡間の館に参上した。


「姉上。結局、岩間は戦場で太刀の一振りもする事が出来ず、気を失っていただけだったわ」


信繁は事実を淡々と述べた。

晴奈は黙ってそれを聞いている。

信繁は最後、一瞬の躊躇の後、結論をまとめた。


「もはや岩間には、部将として多くは期待出来ないわ。放逐も、止む無しかと」


部屋には沈黙が流れた。

やがて晴奈が口を開く。


「勘助。お前はどう思う」


晴奈に真っ直ぐ見つめられた勘助は、ゆっくりと答えた。


「同じく。岩間大右衛門は戦場では何の役にも立ちませぬ」


晴奈の相談に乗った二人が同じ結論を下し、もはや晴奈の決断を待つのみであった。


しかし、


「信繁。勘助。果たして・・・・・・」


と晴奈は続けた。


「「・・・・・・?」」


「臆病であることは、短所なのだろうか?」


信繁は眉を寄せた。

勘助が先を促す。


「と、申されまするのは?」


「うん。要するに短所と長所は、表裏一体のものだ。大右衛門が小心なのは、その心が繊細ゆえであろう。それを無理に変えさせるより、活かしてやる事が、大将である私のではないだろうか」


信繁は晴奈に対してひたすらに羨望の眼差しを送り、勘助は、「この人ほどの大将は他にいない」と、自らの主君との巡り合い、運命に感謝する思いであった。

勘助は心の底から感服し、声を弾ませた。


「いやぁ、まことに。感服つかまつりました」


勘助の感嘆の声を聞き、晴奈は珍しく照れっぽい笑顔を作った。

信繁は思わず、「か、可愛い」と漏らした。

晴奈はそれを無視して続ける。


「岩間には、目付をやらせようと思うが、どうだろう」


信繁はもはや恋する乙女の顔のため、勘助が話しを進める。


「いや、よろしいかと。御家中では血の気の多い者が多く、その為に独断専行なども多い。岩間という監視役の存在が良い意味で緊張感を与え、御家中の結束を固める結果となりましょう」


晴奈は満足そうに頷いた。

勘助には晴奈のような高次元、多面的な物の見方をする能力はない。が、一度ひとたび晴奈よりヒントを与えられれば、すぐさまその活用方法を編み出してみせた。


「その際は、『どんな些細な悪事、不正も逐一報告せよ。隠し事が発覚した時には死罪に処す』と言い含めなさいませ。さすれば、大右衛門は死ぬ気になって勤めましょう」


 晴奈は翌日、大右衛門を呼び出した。

大方の者は大右衛門は放逐されるであろうと思っていたし、更に言えば期待をしていた。

当事者である大右衛門自身、放逐を覚悟し、その後の身の振り方を懸命に考えてこの場に望んでいる。


大右衛門はビクビクと晴奈の一言一言に震え、やがて晴奈から目付の任を言い渡されると、ポカンとした顔をして、その任を承った。が、先述した勘助の言葉を晴奈が言うと、途端に青ざめ、館を出るとすぐさま目付の仕事に取り掛かった。


 岩間は後に、「名目付」と家中で評されている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る