第三話 (4) 勘助塾

捕らえられた低遠頼継ひくとう よりつぐは、児玉虎昌こだま とらまさのもとで丁重に持て成された。持て成されたと言うよりも、扱われたと言った方が正しい。敗者である頼継を丁重に扱うことで、武郷家の襟度きんど、戦火を交えた者への礼儀を世間へと示すという政治的な狙いがあった。


 頼継はそれを知ってか知らずか、敗者である自分を丁重に持て成してくれる児玉家の者に次から次へと、あれが欲しい、これが欲しいと要求を繰り返した。

酷い時には夜中にも関わらず、


「おい!誰かおらんのか!わしが呼んでおるんだぞ!すぐに来るのが礼儀であろう!」


と、騒ぎ、何事かと急いで駆けつけた者に「腹が減ったから夜食を持ってこい」と命じた。


 また、朝、昼、夕の食事においても、児玉家の出来うる限りの馳走ちそうに毎回文句を言いつつ平らげ、終わると、必ずと言っていいほどに、


「足らん。代わりを所望する」


と、食事を要求した。


 余りに迷惑な頼継に、頼継の世話を命じられていた虎昌の娘、稲蔵とうぞうは遂に激怒し、父虎昌に相談する事にした。


「父上!」


と、食事中に突然怒鳴り込んできた娘を、虎昌は横目で確認し、再び食事を開始しながら応対する事にした。


「なんじゃあ、稲蔵とうぞう。騒がしい。父娘水入らずで飯でも食いたいんか」


「あの男、もう限界よ!」


「ほれ。この山菜、美味いぞ?」


虎昌は自分の山菜を皿に取り分け、稲蔵に差し出した。

稲蔵はそれを黙って受け取り、自分の体の後ろに隠すと、


「違う違う違う違う違う違〜う!」


と、騒いだ。


「なんじゃこの娘は」


「敗者でありながら太々しい!こちらが下手したてに出るほど傲慢になっていく!今朝なんて、『わしは朝は沢山食べねば満足できぬ』とか言うからわざわざ量を多くして持っていけば、どれも一口だけ手をつけて残し、『やはり朝は食えぬなぁ』などと!」


「ワハハハハハ!いっそ潔いではないか」


 話せば話すほど感情がたかぶっていく稲蔵は、遂に決定的な言葉を発した。


「父上、どうせ奴を生かすつもりなどないはず!ですから、」


そこで虎昌は持っていた箸ごと手を机に叩きつけ、稲蔵をぎょろりと睨んだ。


「言葉を慎まんか、稲蔵!お前の発言一つで、どれだけの人間に迷惑が掛かるか、よく考えろ!」


稲蔵はビクッと肩を震わせ、やがて反省したようにうな垂れた。


 その様子を見て、虎昌は溜め息をついた。

こうして怒鳴り声を上げてしまえば、結局のところ稲蔵とやった事と大差がない。

感情が昂ぶると我慢できない。それが自分の欠点である事は自他共に認める事実であるが、改善できるとも思えない。


(娘も、その気質を受け継いだようだ。しかも、娘はわしよりも武人的な性質が強い)


 稲蔵はあまり政治事や策謀に興味を示さず、戦場では猪突猛進の将であった。

どちらかといえば、稲蔵は彼女の父である虎昌より、虎昌の年の離れた種違いの妹である黒木昌景くろき まさかげに似た性格をしている。しかし昌景ほどの器量はない。


 虎昌は、自分の死後は児玉家が没落するであろう事を予感している。自分の死後、自分の立場は別の者に代わられ、昌景が台頭する事で児玉家はいよいよ影が薄くなるだろう。


それでもいい。と、虎昌自身は思う。

しかし問題は、この勝気な馬鹿娘である稲蔵がそれで満足するのか、というのが問題であった。


武郷家での出世に見切りをつけ、謀反を画策する。とまではさすがに話を飛躍しすぎにしても、自分が既にそう若くはない以上、心配が拭えない。


(稲蔵は家を存続させるのがやっとじゃろう。そのこと、わしが死ぬまでには・・・・・・)


虎昌が稲蔵を見れば、俯いて表情は見えないものの、涙を流している事が分かった。


虎昌は苦笑し、


「頼継が好きなだけ贅沢をさせてやれ。どうせ、あと数日じゃ」


と言って、稲蔵に湯漬けを分けて与えた。




 この日、頼継と晴奈の対面が行われる。


 頼継が大広間に通されると、上座に座った晴奈と、さがって児玉が一人いるのみであった。

頼継ははるか下座にどかっと座ると、晴奈を睨みつけた。

普通、敗者というのは痩せ細り疲れ果てたような顔をしていそうなものだが、頼継はむしろ児玉家での贅沢三昧の生活で太ったようであった。


 勘助は隣の部屋にあって、刀を抱き、対面の様子を伺っている。

もしも頼継がなんらかの行動に移ろうという気配を感じれば、扉を蹴破って押し入り、頼継の息の根を止める役目であった。その際、勘助は必要以上に頼継の顔を斬りつけ、友人である相木への仕打ちの仕返しをしてやろう、と子供じみた考えを持っている。


そうした場合、勘助は内外から非難されるであろう。が、それほどに勘助の内心はいきどおっている。


 勘助以外にも、広間近くには腕利きの者が伏せてある。大抵の者は武闘派家老の天海家の者であった。


広間の声は普通の会話程度の音量では聞き取れないが、頼継は開口一番、怒声を張り上げたため、勘助にもよく聞こえた。


「このっ、卑怯者がぁ!」


頼継の唾を飛ばした威嚇に、児玉が眉をひそめた。


「卑怯?」


「そうじゃ!武士ならば戦さ場にて刀を合わせ決着をつけるのが正道!それを晴奈殿は、人の心を弄び、裏切りを仕向けるとは、卑怯千万!恥を知れ!鬼じゃ!このような策、誰が考えたのか知らんが、その者の心の醜さが透けて見えるようじゃ!さぞかし醜悪な姿をしているのであろうよ!でなければ、このように醜い策、思いつかぬわ!」


 罵倒の嵐を大声で喚く頼継に、勘助は呆れ果てた。


(裏切られたのは自分の器量が足らぬからだ。それを敵の所為せいにするなど。この世の苦労を何も知らないような男だとは思っていたが、ここまでか)


それからも頼継の罵声は続いた。


「このような人の道を外れた策を用いる以上、例え晴奈殿が天下を取ったとしても、その天下には永劫、暗い影が潜み続けるであろうよ!人を裏切り、騙すような者の元には、そういった者しか集まらんからなぁ!」


晴奈も児玉も、黙ってそれを聞いている。


「見ておれよ?これから先、晴奈殿の軍門に降った者達は、裏切りによる勝利の安易さに惚れ、常に裏切りのことばかり考えるようになる!主君を裏切るだけで、多大な恩賞を貰えるのだからなぁ!ハハハハハッ!一度裏切った者は、二度も三度も裏切るぞ?そうして武郷家は、内側から崩壊するであろうよ!」


晴奈も児玉も、一言も喋らない。普通、これだけ対談中の相手が喋らなければ話は続かないものだが、頼継は何者かに取り憑かれているように、ますます饒舌になった。


「聞けば、先の白樺侵略で奈々殿が亡くなられたとか。ハハハハハッ!いい気味じゃあ。そうして晴奈殿は、領土と引き換えに家族を亡くしていくのだ!峡間を奪い取る為に父親を、白樺を奪い取る為に妹を、そうして生け贄を捧げ続けて、最後は裏切り者しか残らぬ、そういった展望が、よう見えるわ!」


 頼継の話を聞き続けていた晴奈は、段々と頭が痛くなってきた。それは延々と大声を聞き続けていた為か、はたまた彼女が密かに気にしていた父信虎と妹奈々の話を持ち出された為か。いずれにせよ、晴奈はそれを悟らせまいと、顔色を変えずに頼継の話を聞き続けた。


 やがて、頼継は喉を枯らせ、肩を上下させて息を吐いた。


児玉は無表情のまま、


「低遠殿。もう、満足か?」


と、聞いた。

頼継はニヤリと醜く笑い、


「ああ。満足いったわ。泉下でこれからの武郷を肴に、酒を楽しむとするか」


と言った。


 晴奈は立ち上がり、広間を出る最後、児玉に向かって、


「斬れ」


と、短く命じた。

児玉は頭を下げ、対面は終わった。


 翌日。

頼継は切腹を命じられ、首を落とされた。



 頼継が斬られ、一週間ほど経過した。

この日、勘助は晴奈に呼び出されている為、峡間の館へと向かっている。


(お屋形様が、おれを呼び出すとは。はて、何事だろう)


 中科野の残す敵は、村島義清むらしま よしきよのみである。

白樺領、低遠領を奪った武郷家と現在の中科野を二分する大勢力である。

おそらく村島との戦さは凄まじい戦いになるであろう。出陣は来年の春と決めた。

勘助はその為の調略を進めている。そのことだろうか。


 はたまた、支配した低遠領に関する事であろうか。

低遠頼継の本城であった低遠城には、赤山 信友あかやま のぶともという将が郡代として派遣されている。信友は若い頃から政治感覚が優れており、晴奈により奉行ぶぎょう(政務を執り行う役職)に任命されていた。人柄も実直で人当たりが良く、誰も信友の郡代任命に意を唱える者はいなかった。

また、低遠領の大鹿城おおしかじょうという城には、老臣の泉虎定いずみ とらさだが入っている。

二人は低遠領の支配とは別に、隣接する今川家の情勢を探るという任務も与えられている。


 現在、元白樺領と元低遠領では、勘助の進言により軍用道路の整備が行われている。

川には橋を掛け、城と城との間の道路は整備し、軍隊輸送と兵糧輸送の機動性を持たせるのが目的であった。通常、敵に攻められる事を考えるのであれば、道路開発とは逆に、敵の進軍を遅らせる為に道路を壊すという作業が必要になる。

勘助と晴奈の作戦思想。つまりは、攻めの姿勢の表れであった。


 勘助は色々と考えつつ、案内された一室に入り、晴奈を待った。


やがて晴奈が現れると、勘助はその顔のやつれ具合に気がついた。


晴奈は勘助を見ると微笑を浮かべた。


「勘助。こうして二人で会うのは久しいな」


「はっ」


満足そうに晴奈は頷き、部屋には沈黙が流れた。

勘助が参謀長となってから、二人で会う機会がなくなっていた為、勘助は久し振りに、この晴奈との会話独特の沈黙を受け、妙に慌てた。


「お、お屋形様。どこか、具合が悪いので?」


言った後、勘助は「しまった」と思った。あまりに不躾と言えばそうだろう。

が、晴奈は特に気にした様子を見せず、続けた。


「勘助、分かるか」


「は、はい。お顔がいくらかやつれたように思いまする」


晴奈は自分の顔に手を当て、「そうか・・・・・・」と、つぶやいた。


「今日呼んだのは、そのことだ。勘助」


「は、はあ」


そのこと。と言われても、いくら勘助でも医学的な事は分からない。


「最近、頭痛が酷くてな。医者を呼び薬を処方してもらったが、効き目がない。勘助、良い医者を知らないか?」


勘助はようやく自分が呼ばれた理由が分かった。武郷家に来る前にそこら中を旅して回っていた勘助に、医者を紹介してもらいたかったという事だろう。


「左様な事で。しかし、心当たりが無いわけではありませぬが、薬も効かぬとなると、どの医者でも同じかと」


「そうか・・・・・・」


「薬も効かぬという事であれば、心の病やもしれませぬ」


「心の・・・・・・」


「はい。如何いかがでありましょう。それがし、宿曜道すくようどうの心得がありまする。宜しければ、それがしが」


 宿曜とは、星占いの事である。

勘助は女性にょしょうがこういった占いのたぐいが好きな事を知っている。勘助は占いを使って、晴奈の心理カウンセリングを行おうと考えた。


晴奈は微笑し、


「では、お願いするか」


と、勘助の星占いを聞いた。

晴奈は別段、占いを信じていた訳ではなかったが、横になりながら勘助の話を聞いていると、不思議と気が楽になり、痛みを忘れる事が出来た。


 以後、勘助の星占いは二人の週に一回ほどの習慣となった。


 勘助の占いを聞き終わった晴奈は、勘助に、もう一つ依頼を出した。


「養成?」


晴奈はゆっくりと頷いた。


「後進の育成と、現状の戦力向上を図るためといのは分かりましたが、なぜ、それがしに?」


「勘助は各地を回り、様々な兵法や戦を見聞きしてきた。勘助ほど、この任の適材はいないだろう」


こうまで言われれば、仕方がない。

勘助としては、自分で求め、調べた知識こそ身につくもので、他人に強要される知識など時間の無駄になる可能性があった。その為、あまり気が進まない任務であったが、引き受けることにした。


 勘助は晴奈と共に生徒となる見込みある若い将の名を出し合い、晴奈からの命令という形でそれぞれに書状を出した。


 館を出ると、すでに日が沈んでいた。

勘助は屋敷に急ぎ足で戻った。


「帰ったぞ。夕希」


勘助が草履ぞうりを脱ぎながら言うと、夕希が奥から出迎えに現れた。


「おっ、遅かったねー、勘助」


「助五郎は帰っているか?」


「うん。ずっと勘助を待ってるよ。早く行ってあげて」


勘助は足早に助五郎に会った。

勘助の家臣である諫早助五郎いさはや すけごろうは、勘助の命令で任務に出ていた。


「すまぬな、助五郎。遅くなった」


「いえいえ。山森様も忙しいのは分かっておりますから」


「正座では疲れよう。足を崩せ」


「は、はい」


小柄な助五郎は律儀にもずっと部屋で正座をして待っていたらしい。足が痺れてどうにもならないといった様子でビクビクと動いた。


勘助は苦笑しながら助五郎が落ち着くのを待った。


「俺相手にそのように礼儀正しくする必要はない。俺の右足のように、動かなくなってしまうぞ?」


助五郎は照れ臭そうに笑い、ようやく落ち着きを取り戻した。


「それで、どうであった?」


「はい」


 勘助は助五郎に、先の低遠合戦で武郷家に内通した春日正樹かすが まさきの監視を命じていた。

勘助は裏切り者は裏切り癖がつく傾向がある、と考えている。まして春日正樹は低遠軍の参謀を務めた男で、頼継を見事に騙した男でもある。常に見張りをつけておくべき存在であった。

勘助は旧知の茶人さじんを春日城に送り込み、助五郎はその茶坊主から城内の様子を聞いた。また、助五郎は町人に扮して宿を借り、情勢を探った。


「特に何か事を起こそうという気配は見えませんが、春日殿は最近、酒浸りの毎日のようです」


「ほう」


「先の戦で戦死された有賀東美あるが とうみ殿や、低遠頼継殿の誹謗ひぼうをされているようで」


有賀東美は、低遠軍において春日正樹と二分した派閥で、先の戦いで信繁の待ち伏せに遭い戦死している。


「そうか。どのような誹謗か、分かるか?」


「はい。有賀殿の事は『私を政敵と見なしながら、訴状等を出して私を陥れる程の度胸がなかった!噛み付く癖に度胸のない!だから死ぬことになったのだ!』と。低遠殿の事は、しきりに『裏切られる方が悪い!』と、家来衆を呼んで毎日のように大声で。時には涙を流しているとか」


「・・・・・・よう分かった。よくやってくれたな。引き続き宜しく頼む」


「はい!」


 助五郎が下がると、勘助は一人、顎に手を当てて考えた。

どうやら春日は裏切りが良心の呵責に耐えきれず、心が壊れかけているらしい。

結果、酒に頼り、すでに故人である元主君と元同僚に自らの下した決断の責任を転嫁している。ということだろう。


 勘助は同じく内通した浅田信守あさだ のぶもりにも監視を付けているが、春日とは違い、浅田はサバサバしたものである。


(要するに、春日殿は覚悟が足らなかったのだ。一度自分がこうすると決めれば、後は迷わず突き進む。そういった覚悟が)


と、勘助はまとめたが、実際に春日を苦しめているのは他にも要因がある。

それは、彼の目の前で低遠頼継に最期まで受けた恩義を返そうとした藤沢幸朝ふじさわ ゆきともの存在であった。

こうなりたいという春日の願望を絵にしたような最期を遂げた幸朝の存在が、夜な夜な彼を苦しめた。

が、勘助はその事実を知らない。藤沢幸朝は自害してしまったというしか、勘助は知らないのだ。


 自分の中で考えをまとめ、勘助はようやく立ち上がり、夕希や助五郎とともに夕食をとることにした。


 夕食中、勘助は明日から屋敷に部将達を招き、講座を設けるというむねを話した。


助五郎は我が事のように喜び、夕希は露骨に顔をしかめた。


「なんだ?致し方あるまい。主命だ」


「いや、分かるけどさ〜。誰を呼ぶのよ?」


「明日は馬場晴房ばば はるふさ黒木昌景くろき まさかげ黒島淳子くろしま じゅんこ工藤 昌豊くどう まさとよの四人だ」


「うっわ〜。全員女だ。いつからそんな女たらしに・・・・・・」


「才ある者に性別は関係あるまい」


「いや、まぁ、そうだけどさ〜」


そう言われればなんともならない夕希は、拗ねたように唇を尖らせた。


「終わったら素麺そうめんを振舞ってやりたい。頼めるか?」


夕希の様子には気付かず、勘助は話を続け、夕希はため息をついて、


「はいはい」


と、了承した。



 翌日。勘助の屋敷には、例の四人が集まり、勘助が現れるのを待っている。


 机が四つ用意され、二列に並べられている。

後列には最も背の高い馬場晴房と、彼女と仲が良い小柄な黒木昌景が座っている。

前列には最も若手で戦場での経験が薄い黒島淳子と、最も遅れて山森邸に参上した工藤昌豊が座っている。


 後世で武郷家の四天王と言われた彼女たちは、いずれも勘助の教え子である。が、この頃の四人の仲と言えば、後列の二人と、前列の二人の間には、どことなく居心地の悪さが漂っていた。


 馬場晴房は、礼儀正しく正座で、背筋を伸ばして目を瞑り、静かに勘助を待っている。

彼女は四人の中で一、二を争うほどの高名であるが、彼女は後年、周りにこう述懐じゅっかいしていた。


「私の師は、山森勘助と野津虎盛のず とらもりの二人である」


 野津虎盛とは、信虎時代に武郷家存亡の今川家との大決戦で獅子奮迅の働きをし、一躍いちやく勇名を轟かした老臣である。

馬場晴房は彼を尊敬し、戦場での心構えや駆け引きの極意を学びに屋敷に通い詰めた。彼の口癖である「よく身の程を知れ」は、晴房の戦場での極意である「相色あいいろ」にも通ずるところがあるように思う。


 その信虎時代からの老臣である野津と、晴奈が君主となってからいきなり現れた流れ者の勘助を同列に「師」と語っている点、晴房の勘助への尊敬がいかほどのものか分かるだろう。


 晴房は勘助から、城取しろどり(築城術)を良く学び、少人数でも守り易く、敵に取られても奪い返し易いように工夫して設計したという。


 晴房の隣では、真っ赤な服を着込んだ黒木昌景が、胡座あぐらをかいて退屈そうにしている。


昌景は足裏をボリボリと掻き、


「くそっ!蚊か?面倒なところに刺された」


と、苛々とした様子を見せている。

その様子を見た晴房が、


「昌景。下品だぞ?我々は教えを乞う立場なのだ。礼儀正しくしないか」


「へっ。なんで俺が。勘助よりよほど戦を経験してるってのによ!」


 晴房とは違い、昌景は勘助から教えを乞うというのに納得がいかない。晴奈からの書状が来なければ絶対に現れることはなかったであろう。


昌景は、「それによぉ」と続けた。


「こんな女ばっかり集めて、本当は別の目的があるんじゃねぇのか?」


「別の目的?」


意味が分からないといった様子の晴房に、昌景は、


「まったく、相変わらずだなぁ、晴房は。いいか?勘助だって男なんだぜ?」


「男といっても、勘助はお前が言うような事はあるまい」


「甘い甘い!男はみんな野獣だぜ!」


言い切った昌景に、晴房は驚いた。


「や、野獣だと?昌景、そういった経験が?」


今度は昌景が驚いた。


「け、経験?お、おうよ!あたぼうよ!」


昌景は腕を組んだものの、顔が赤い。


「以外だ。早いな」


「だ、だろう?この前だってなぁ、勘助が俺の胸に触ってきて、大変だったぜ!」


昌景は自分の中で最もそれに近い経験を必死に探し、宮原の戦い後の勘助とのやり取りを例として持ち出し、脚色した。


「なに!?勘助とお前が!?」


「そ、そんなに驚くことはねぇだろ!」


「そ、そんなに小さい胸で、興奮するものなのか?」


「ば、ばっかおめぇ!愛さえあれば、大きさは関係ねぇーんだよ!好きな女のことなら、なんだって興奮するもんなんだよ!勘助は他にも・・・・・・そう!俺の汗の匂いに興奮してたしな!」


「あ、汗の匂い?」


晴房はいよいよ訳がわからないといった様子で狼狽ろうばいした。


 そこで、前列に座る黒島淳子から、どこか馬鹿にしたような笑い声が聞こえた。


「な、何がおかしい!」


昌景は机に片足を乗せ、黒島を指差した。

黒島は馬鹿にした顔で口元を手でおおい、振り返った。


「いや、気を悪くしたなら申し訳ありません。あまりにせん無い話を大声で騒いでいるものですから・・・・・・。しかも、愛などと宗教者が好みそうな言葉を持ち出したものですから・・・・・・、つい」


「せ、詮無いだとぉ!失礼だろ!」


「いや、黒木殿、馬場殿ともあろうお方がと思い、そのう・・・・・・可愛くて。ククッ」


「ぶっ殺す!」


飛びかからんばかりの昌景に、晴房が止めに入る。


「落ち着け昌景。事実だ」


「事実とは何事だ!晴房ァ!」


遂にドタバタと騒ぎ出した三人をよそに、工藤昌豊くどう まさとよは静かに待ちながら、一言。


「帰りたい・・・・・・」


と、漏らした。


 彼女の経歴はやや異質である。

彼女の父は信虎の家臣であったが、信虎に諫言かんげんしたために信虎自らの手で殺されている。

彼女は信虎を嫌い、峡間を出ていた。が、国主が晴奈に代わったと聞くや、直ぐさま帰参した。


 そういった経歴のため、彼女は武郷家の家臣達とあまり上手くいっていない。

家臣達を統括する家老職の板堀信方と天海虎泰は、彼女の立場に同情こそしたが「致し方ない」という決論に至った。

信虎時代、誰もが逃げたいと思いながらも国の為に我慢していた。そんな中、昌豊は逃げたのだ。言わば国を捨てたのも同じであろう。今更どのツラを下げて、という思いがないと言えば、嘘になるだろう。


 実のところ、勘助も同意見であった。

晴奈が工藤昌豊の名を挙げた時、勘助は、


「あの者は国を捨てた者です。確かに、その境遇を考えれば逃げたくなる気持ちも分かりますが、誠に国を想うのであれば、いかに辛くても国に留まり、己の責任を全うするべきでありましょう。お屋形さまが君主となられたからといって、直ぐに帰参するのも、浅ましい」


と、辛辣しんらつな言葉を言った。

しかし晴奈は、昌豊の良さを勘助に語った。


 昌豊は宮原の合戦に参陣した際、敵将の首を九つ討ち取るという大戦果を残した。


その報告を聞いた晴奈が、昌豊に感状を贈ろうとしたところ、先んじて昌豊から書状が送られてきた。

その書状には、


「この程度の武功は人並みのことで、名誉でも何でもない。感状は無用です」


と、書かれていた。

昌豊にも国を捨てたという後ろめたさがあったのか、はたまたただの奇人変人の類だったのか。

いずれにせよ、晴奈は昌豊の事が大層気に入ったらしい。


 彼女の存在、役回りは極めて地味で、また、感状をあえて貰わなかった事からも、後世においても知る人ぞ知る存在となってしまった。

が、彼女なくして武郷家は成り立たなかったであろう。そういった役回りを自らにし、演じていたのかも知れない。


 話は戻る。

勘助は四人が待つ部屋へと向かっている。

部屋に近づくにつれ、その騒ぎようが眼に浮かぶような騒音が聞こえてきた。


勘助はため息を一つし、


「帰ってくれないかな・・・・・・」


と、漏らした。


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