第三話 (17) 立場

 御代田原みよたはら、笠原城での戦さの論功行賞が、峡間はざまやかたで執り行われた。


 戦さに勝利した。というのに、どこか影のある雰囲気ではあったが、それは所謂いわゆる先代信虎時代からの老臣たちがおもで、晴奈が新規登用した家臣や、代を継いだ若い家臣たちは大いに活気付き、晴奈自身も終始満足した表情であった。




 勘助は、館をゆっくりと出た。他の家臣たちは既に自身の屋敷へと帰っている。


「勘助」


 外で控えていた井藤夕希いとう ゆうき諫早助五郎いさはや すけごろうの二人が駆け寄って来た。


「首尾は?」


 勘助は歩きながら聞く。


大仏おさらぎくんと望月もちづきちゃんが、屋敷までの辻々つじつじに家臣たちを隠してる。他には、特に目立った動きはないよ」


「うん」


 夕希の報告に、勘助は頷いた。


「用心しろ。今宵あたり、刺客が斬り込んでくるやもしれぬ」


 諫早いさはやの唾を飲み込む音が聞こえた。


「心得ております、殿。しかし。一体誰が・・・・・・?」


「そうさな。可能性として一番に挙げられるのは、」


 勘助はその男の屋敷の方角に一度、あごを突き出した。


天海あまみ虎泰とらやす殿?まさか・・・・・・。武郷たけごう家の柱石ちゅうせきとも呼ばれるお方が」


「それだけのことをした」


 勘助が言っているのは、笠原城での捕虜たちの処置案のことである。今の今まで、「血を流さずに勝つことこそ、最上の策である」と公言をはばからず、事実その通りに謀略策を巡らせてきたこの男が、突如、まったく正反対の方針転換を行い、重臣たちが止めるのも聞かずに血も涙もない処置案を献策した。


 総大将武郷晴奈は、それを受け入れた。


(なにか裏があるに違いない、と疑うだろう。しかも、俺のもとに監視として付けていた坂西左衛門さかにし さえもんは、都合よくもしている)


 勘助は右眼をぎょろぎょろと動かした。曲がり角があるたび、家屋の隙間があるたびに、こうして動かす。


「しかし、果たして証拠もなしにそこまでするものなのでしょうか。まさか、坂西と私のことが・・・・・・」


「斬り込まれぬに越したことはない。が、それに万事備えて置くのが、武士だ。平素から部屋のぐあいは事細かに調べ、寝るときは必ず左腕を上にして寝る。さすれば、左はやられても利き腕の右は守れる。まだ人を斬れる。そのように、教わらなかったか?」


「いや、いかにも。私は武士の家系ですから」


「ならば黙って刺客に備えろ。来る可能性があるから、こうして俺はお前たちに働いてもらっている」


「はっ」


 勘助と二人の家臣は、角を曲がった。山森屋敷が見えてくる直線に入る。


 道には、普段と特に変わりはなかった。


 勘助の耳に、夕希の息を吐く音が聞こえた。


「緊張しているのか。お前らしくもない」


「いや、敵を斬るのと味方を斬るのとじゃあ、勝手が違うよ」


「斬りかかってくる者は、みな敵だろうに」


 勘助は思わず笑ってしまった。覚悟を決めたと言っても、やはりこの幼馴染みは、どこか垢抜けない。


「しかしまぁ、不思議なもんだ」


「え?」


「天海様は、武郷家のためを想って動いている。それこそ、確証なくとも疑いがあるならば、迷いなく斬れるほどに」


 だが、と勘助。


「それは俺とて同じだ。どうしてこう、同じ所から始まっているのに、道が違ってしまうんだろうな」


「それは、」


 夕希は複雑な顔をした。


「相手に自分の想いを伝えたり、相手の想いをみ取ったりするのって、難しいことなんだって思うよ」


 勘助は予想していなかった答えにやや驚き、思わず夕希の顔を見た。


「すれ違いばかりでさ。人の関係って、大小変わらずに、そんなことばっかりなんだなって」


「・・・・・・」


 目を合わせずにそう呟く夕希に、勘助は申し訳ない気持ちになった。夕希は暗に、勘助のことを心配している。勘助がやっていること、やろうとしていることに、不安や納得しきれない気持ちを抱えているのだろう。勘助の理解者としてその想いを汲み取りたい一方で、勘助が心配な自分の想いもわかって欲しい。本音を言えば、勘助には命を狙われるような危険な橋を渡ってほしくない。しかし、その本音を言うわけにはいかない。そんな葛藤に揺れているのが、情けなく揺れる瞳でわかった。


 が、勘助は、


「俺は、自分を曲げることはできない」


 そう一言で切って捨てた。




 勘助たちが屋敷に近づくと、門前に一人、勘助の帰りを待っているらしき人影が見えた。


「誰か」


 勘助はそれとなく夕希に聞く。


「背格好からして、相木ちゃんだね」


「相木殿か」


 勘助は相木市あいき いちの訪問に得心がいった。

彼女と浅間幸隆あさま ゆきたかの二人は、笠原城戦前に勘助が秘密裏に呼びかけた、いわば同志である。今の武郷家の方針は危険だから、共に止めようと結託していた。それが、勘助は二人に何も言わずに、勝手に方針転換を始め、あまつさえ彼が危険だと言っていたその最たる事をしでかしたのである。


 相木には、勘助を問い詰めるべき理由があった。


(自分の命ばかり考え、相木殿のこと、すっかり忘れていたな。どうすべきか)


 まさか本当のことを言うことは出来ない。天下のため、一度晴奈には敗けてもらうなど、口が裂けても言えない。言えば、勘助は立ちどころに相木に斬られる。そうでなくとも、話は晴奈のもとまで行ってしまうかもしれない。常人には理解されないことを、勘助はやろうとしているのである。彼の企みを知る人間は、彼が最も信頼する家臣の三人のみである。


 いい考えも浮かばぬまま、勘助は相木の顔がしっかりと視認できる位置まで来てしまった。


「相木殿」


 と、呼びかける。


「勘助君・・・・・・」


 相木は微妙な表情をしたが、勘助は平然と続ける。


「さっ、中へ」


 相木は何も言わず、勘助に連れられ屋敷の一室へと案内された。勘助は部屋に入る前、夕希に愛刀を預け、部屋には誰も近づけさせるなと厳命した。相木は刀を持たず、お供すら連れずに勘助の屋敷へと入った。それに対する最低限の礼儀であった。


 勘助は座るなり、


「ここでは、それがしと相木殿の二人しかおりませぬ。ご自由に」


 そう言って相木に喋らせようとした。


「・・・・・・」


 が、相木は深刻な顔で下を向き、黙っている。


「・・・・・・誰か、人がいた方が話しやすいですかな。幸隆殿でも、お呼びしましょうか。彼も相木殿と同じことが聞きたいはずだ」


 相木は首を横に振った。


「もう誘った。幸隆殿は既に、勘助君の思惑に感づいているらしいよ。何も言うことはないって・・・・・・」


「・・・・・・さようか」


「ただ一つ、『常軌を逸してる』って。幸隆殿はそう言った」


 ここに来て、相木は勘助を真正面から見つめた。


「勘助くん。君は一体、何をしようっていうの?」


「ふむ・・・・・・」


 勘助は腕を組むとしばらく宙を見つめると、やがて、


「幸隆殿は・・・・・・」


 そのまま、相木とは視線を合わせず、自分の中で整理をつけるように話し出す。


「人の上に立つ、そういう側の人間ですからな。小さき国とは言え、一国の主人あるじであったし、その矜恃きょうじも郷土愛も強く、才能もある。それがしとは、やはり根本的に考え方が違うのでしょう」


「・・・・・・つまり?」


「それがし・・・・・・ああ、いや。相木殿と腹を割って話すのですから、話し方も砕きますが」


 勘助は相木と目を合わせ、相木が頷くのを見ると、


「俺に出来ることと、幸隆殿に出来ることは違うということですな。立場が違う。自分に出来ないことは、そもそも選択肢には入らない。だから幸隆殿には、俺の行動をそう言わざるを得ない。つまるところ、俺はあくまで、」


 勘助は一拍置くと、


「家臣でしかない」


 そう言って相木をじっと見つめた。勘助としては、これで何かを察して欲しかったのである。


 が、やはりこれで納得できるはずもなく、相木は眉間にしわを寄せて勘助の言葉を待っている。


 勘助は軽くため息を吐くと、


「ただ、それだけのことです。だから何をしようとしているのか、と問われれば、俺は俺に出来ることをやる。自分の信念に基づいて。そう答えるしかない。言えることは、それだけです」


 そう言って口を閉じた。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 相木は難しい顔で腕を組み、しばらく黙ったが、


「ごめん。やっぱり、わからない」


 と言って勘助を見た。


「さようですか」


「勘助君が家臣として何かを考えてるのは、わかったよ。でも、私はその中身を知りたい」


「さぁ」


 勘助はあからさまにとぼけた。勘助としては、これ以上口を滑らすつもりはない。彼の中では、先程の会話で精一杯の誠意は示してある。


「ねぇ、勘助君。君と私は、友、だよね。親友、だよね。それも武郷家以前からの付き合い。私は勘助君の助けになりたい。勘助君がどういう人かは、知ってるつもりだよ。だから、こうして一人で会いに来てる。君のこと、信じてるんだよ」


 相木は、真剣な表情でそう言った。勘助の目にも、彼女が本音でそう言っているのがわかった。


 しかし、勘助は本音を言うわけにはいかない。


「ならば、そのまま信じてもらいたい」


 勘助は頭を軽く下げた。


「・・・・・・」


 相木は目を見開いて黙ったが、やがて、


「勘助君の方は、私のこと、信じてくれないってこと?」


と言って複雑な表情をした。悲しみと怒りが混ざったような、そんな顔である。


「・・・・・・」


「勘助君?」


「・・・・・・友を盾に取るのは、相木殿の卑怯というものでしょう」


 勘助の言葉に、相木は心底驚いた。


「相木殿に話すべきことは、もはやありませぬ。それで友でもなんでもなくなると言うのであれば、そのように。俺はそれだけの覚悟をもってやっている」


「・・・・・・」


 相木の顔は怒りに満ちた。


「私では、力不足ってこと?」


「そうは言っておりませぬ」


「なら、なんで手助けを拒むんだよ!私は君の行動に、納得したいんだよ!君の行為は、はっきりと言って裏切りだ!それでも君を信じたいって、そう思って、」


「裏切ったようになってしまったのは、まことに申し訳なく思っております」


「じゃあ説明してよ!」


「・・・・・・少し、落ち着かれてはいかがでしょうか。さように感情を高められても、俺にはもうこれ以上の話を続ける意思は、」


 ここで、相木の手が出た。握り拳をつくり、勘助の顔面へと叩き込む。


「ッ」


 まともに攻撃を食らった勘助に構わず、相木は彼の胸元を強引に掴み、引き寄せた。


「話す気には?」


 もはや拷問によって無理矢理に口を割らせようという相木に対し、勘助は全く別のことを考えていた。


(しくじったな、ここまで頑固だとは。今宵あたり刺客が来るやもしれぬのに。そのためには準備が必要だし、なにより相木殿がここにいては、彼女自身、俺の仲間だと疑われてしまうだろう)


 早くこの屋敷から出さねばならない。彼はいまだ友だと信じている彼女のため、頭を働かせている。


「勘助!話す気は!」


 そうとは知らない相木は、勘助の顔に唾を飛ばして怒鳴りつける。


「話す気があるかどうかの問題ではない。話すことなどないのだ」


 相木は何も言わず、勘助の顔面を殴った。それが二発三発と続く。


「話す気は!」


「・・・・・・」


 相木は勘助を突き放すとスッと立ち上がり、尻餅をつく彼を黙って見下ろした。


 その視線が、勘助の答えを待っている。


 勘助は、気絶すらできない相木の攻撃が憎らしかった。いっそ気絶が出来れば楽なのに、と考える。


「まぁ、茶でも飲んで、」


 勘助がそう口にした時、相木の表情は一瞬悲しみの色が滲み出た。しかしすぐさまそれを引っ込めると、太い右足を大きく振りかぶった。


 相木の足は鞭のように勘助の頬にぶち当たり、大の男が大きな音を立てて吹き飛ぶ。


「・・・・・・ッ」


 口の中に嫌な感触が広がり吐き出すと、血と共に一本の歯が畳の上に落ちた。


 勘助は腹が立った。なぜこうもわかってくれないのか。


「さ、さように・・・・・・」


 痛む口内に苦しみながら、勘助は声を出す。


「さように頑固だからお前は、戦さが下手なのだ。敵の作戦意図がわからず、動きがさばけず、次こそは上手くいくとひたすらに盲信し、同じ失敗をこれでもかと繰り返す」


 相木は恥辱と怒りのあまり顔を真っ赤にさせ、ついには涙を流して勘助を再び蹴った。


「そ、そんなお前が、どうして今の今まで生きていると思っている。俺が、」


 調略策を使い、お前が実戦に出る必要を無くしたからだ。お前に、実戦以外の役目を与えてやっていたからだ。とは、口にしなかった。言えば、相木の惨めなことはこの上ない。


「〜ッ!!」


 相木はいよいよ悔しいらしく、唇を噛み締めて勘助を睨み据え、再び蹴りを放つ。


 勘助はこれ以上歯を折られては堪らぬと、腰を折って頭を下げ、それを避ける。


 勘助がすかさず顔を上げると、相木の足裏が顔面に飛んで直撃した。


 勘助は鼻血を垂らして吹き飛び、背後の壁に勢いよくぶつかる。


「・・・・・・くッ」


 最も痛みが激しいのは後頭部であった。顔を苦痛に歪ませ頭をさする。血は出ていないようだが、コブは出来るだろう。


 勘助は疲れきった顔で相木を見た。するとそこで、廊下から大きな足音が聞こえてくる。かなりの大股で勘助たちの部屋に近づいてきているらしい。


「チッ」


 勘助は思わず舌打ちするが、戸は乱暴に開かれた。


「勘助!今の音は・・・・・・」


 戸を開いたのは勘助の予想通り。やはり夕希である。相木と二人きりにするよう厳命していたのに、さしもの大きな物音にいても立ってもいられなかったらしい。


「引っ込んでろッ!!」


 勘助は怒鳴った。


「いや、でも・・・・・・。勘助、血が」


 夕希がそう言って指をさすのも無理はない。いまや勘助は鼻から口から、顔面血だらけであった。


「いい!俺は、相木殿と二人で話をするといったはずだ!無礼極まる!」


 今まで、散々夕希の命令違反には目をつぶってきた勘助も、今度ばかりは激怒した。


「もっとも信頼を裏切る行為だ!」


「で、でも勘助」


「俺とお前の信頼ではない!俺と相木殿との信頼をだ!」


 夕希も流石に反省したのか、見るからに肩を落とした。


 が、そこに、場とは不釣り合いにも程がある、なんとも間の抜けた声が響いた。


「へ〜、面白そうなことやってんじゃん」


 勘助が眉根を寄せてその声のぬしを探すと、その女は夕希の背後からひょっこりと現れた。


「あはっ。どうも、勘助くん」


 勘助は嫌なそうな顔を必死に隠した。


野津孫次郎のず まごじろう・・・・・・。面倒な時に、面倒な奴がきやがった)


 野津は短気などという言葉では説明がつきにくい程の沸点の低さがある。あまり勘助とは親しくもなかったが、笠原城で少し話をして以来、なぜか妙に馴れ馴れしい。勘助がここで素直に嫌な表情を見せれば、途端にはらわたを煮えくり返し、この場は荒れに荒れてしまうだろう。


 しかし、そんな勘助の頑張りとは裏腹に、野津の来訪に遠慮なく不快感を表した者がいた。


 夕希である。彼女は振り向くなり野津を見下ろし、


「ちょっと。あんたさぁ、言ったじゃん。勘助忙しいから違う部屋で待っててって。なんであたしの後ついて来てんの?」


「はぁ?」


 野津の眼がギラリと光ると、見下ろす夕希の顔面にその端正な顔をぐっと近づけた。


「誰に口を聞いてるのかなぁ?君は自分の立場ってわかってる?私は武郷家の直臣。君は勘助くんの家臣。つまりは、陪臣ばいしんってやつ。ねぇ?」


「だから何?」


 二人は至近距離で睨み合う。見ている勘助のこの時の気持ちと言えば、まさしく生きている心地がしなかったことであろう。


「あはっ」


 やがて野津がニコッと笑うと、勘助を見た。


「勘助くん。この子、前から面白い子だなーって思ってたけどさ、いよいよ面白いね」


 勘助は愛想笑いを浮かべた。情けないことこの上ない。


 野津は笑ったまま、


「君の家臣じゃなければ、今頃は生首としてその辺に転がってるところだよ」


と言った。


 勘助は冷や汗を背中に感じながら、夕希の手を引いて距離を離した。


「申し訳ありませぬ、孫次郎殿。それがしから言って聞かせますので、このたびはなにとぞ」


 野津は歯を見せて笑顔をつくると、


「一つ借りね」


 と言って満足な表情を見せた。


「ちょっと」


「黙っておれ」


 勘助は食って掛かる夕希を黙らす。


 その場に、今度は野津のお供として同伴した上田友作うえだ ともさくが現れた。


「山森様。失礼します」


 友作は場を見回し、相木がなぜいるのかはともかくとして、夕希と主人の間に何かがあったことを察した。


「孫次郎様。待つようにと言われたら、待たねばなりません。それは、礼儀に反します」


「・・・・・・はぁ?」


 友作は孫次郎に近づくと、勘助たちには聞こえないように小声で呟く。


「ここは穏便に。何かにつけて相手より上に立とうとするのは良くありません。でないと、山森様にも」


 友作は匂わすが、要するに、嫌われてしまうというようなことである。


「・・・・・・」


 孫次郎はしばらく黙り、勘助に視線を合わせた。


「それもそうだねぇ。ごめんね勘助くん。貸し借りはなしでいい?」


 勘助は怪訝に思ったが、ゆっくりと頷いた。


 面倒な話はこうして消えたが、しかし勘助は、ともかくもこの場から一刻も早く客人たちを追い出したい。話を進める。


「それで、孫次郎殿はなにゆえに」


 勘助に言われ、孫次郎もようやく来訪理由を思い出した。


「あぁ。そうそう。今夜あたり、君のところに物騒な連中が忍び寄るんじゃないかなぁと思ってね。警護に来たんだよ。ありがたいでしょ?」


「・・・・・・」


 鋭い。と思った。単なる戦さ馬鹿かとばかり思っていたが、なるほどこの手の話にも勘がまわる。


「勘助くん、この間は随分と思い切っちゃったからねぇ。正直なにを考えてるのか分からないけれど、その手の面倒臭いのは興味がない。君の好きにやればいいよ。私は面白そうだから、君の賭けに乗るんだ♡」


 ニコニコとして言う。


(気味が悪い)


 と、勘助は思った。何をしたいのかわからぬ男に、面白い、という理由だけで手助けするなど、勘助には考えられない。


 事態を見守っていた相木は、野津の話を聞いて驚き、勘助を見る。彼女には勘助がそういう状況に置かれているとは、わからなかった。


 野津は嬉しそうにつづける。


「いや〜、わざわざ来た甲斐があったよ〜。こうして来てみれば、なんとぉ!」


 笑顔のまま相木を見た。


 途端、表情から一切の感情をなくし、


「面白いことやってんじゃん」


 声を低くしてそう言った。


 野津は、相木が勘助の敵対勢力として来たと思っているらしい。勘助の血と荒らされた現場を見れば、何かしら揉めたのは間違いない。間違いないが、野津は大事なところで勘違いをしている。


 勘助は慌てて相木の前に立った。


「孫次郎殿。それは誤解というもの」


「へぇ?」


「相木殿とは、」


 勘助は、ここでどう言おうか迷った。その隙に、野津が勘助の言葉の続きを奪う。


「喧嘩?」


 勘助は黙った。


(まずい・・・・・・!)


 勘助にとって、喧嘩というのはよろしくない。


「あはっ」


 野津が笑う。


「それはいけないよぉ。武士の喧嘩は刀で行うもの。拳での殴り合いじゃあ、そこらの子供や百姓と何ら変わらない。減り張りがない」


 と言う。この辺り、実にこの時代の論理に則っている。特に晴奈は厳しい。ある時、口論のすえに殴り合いに発展した二人の浪人がいた。話をきいた晴奈は、彼ら二人をひっ捕らえると、武郷家の名に傷をつけたとして国外追放に処し、国境を越えるなりその首を斬り落とさせた。


「誰かが間に入って止められる程度の喧嘩は、武士は行わない。勘助くんが一番よく知ってるよね?」


 その通りであった。というのも、上の話で晴奈に命じられ、浪人二人に直接事情聴取を行ったのが、他でもない勘助なのである。


 勘助は口が乾くのを感じた。


「あはっ。だからさぁ、庇うことないよぉ。そいつは勘助くんの命を狙って現れた刺客。馬鹿なことに、刀を忘れたんだよね?」


「・・・・・・」


「そこ、どいて?」


 野津は勘助の真ん前まで歩いて近づくと、その体が道をあけるのを待った。


「・・・・・・いや」


「うん?」


「勘違いですな、孫次郎殿。それがし、相木殿とは組討ちの訓練を行なっておったのです。今日はもうぞろ終わりにしようかと思っておったところ」


 勘助は笑顔を見せた。笑って見せたその口は、歯が一本欠けている。


「なぁ、相木殿」


 勘助は振り返って同意を求めた。


 相木はただただ驚いた顔で、勘助を見ている。


「へぇ〜。じゃあさ、その組討ちの特訓ていうのに、私も混ぜて欲しいなぁ〜」


「あいや、しかし」


「勘助くんはお疲れみたいだからぁ、相木ちゃんとやろうかな。相手は強いほうが特訓になるでしょ〜?ね、相木ちゃん」


 野津は勘助の身体から顔だけ覗かせると、相木に誘いをかけた。


 相木はしばらく考えるように黙りこんでいたが、やがてこっくりと頷いたから、勘助は驚いた。


 気でも狂ったのかとすら思った。


「あはっ。そうでなくちゃ。じゃ、やろ?ほらほら、構えて構えて」


 相木は覚悟を決めた眼で野津を見据え、ゆっくりと腰を下ろして両手を構える。


「待て待て。ここはそれがしの屋敷。勝手は許されぬ」


 勘助は両手のひらを二人に向けて突き出し、なんとか組手を止めようとする。


「じゃ、許して?」


 野津はと言えば、もはや問答無用で、理屈もなにもあったものではない。勘助は思わず、彼女の家老を見た。


「山森様、申し訳ありません。孫次郎様がこうなってしまえば、私などではとても・・・・・・」


 上田友作はなんとも頼りなく、勘助は続いて相木を睨んだ。


(なにを考えている、殺されてしまうぞ)


 視線に目一杯の感情を乗せた。相木は一言、


「どいて、勘助君」


 と言って譲らない。


 こうなっては仕方がなかった。勘助は三歩下がって両者の間から姿を消す。


「あはっ!いいねぇ!」


「待て孫次郎殿。一つ条件を」


 早速始めようとする野津に、勘助が声を低くして鋭く割り込む。


「なに?」


「それがしがめと言えば、その時点で組討ちは終了。もしこれを破ろうものならば、即刻、お二人にはご退去いただく」


「あ〜はいはい」


 野津は面倒くさそうに手を振って応えると、相木に笑いかけた。


「さ、やろう?」


 相木は野津の余裕に一瞬嫌な顔をすると、構えたままじりじりと様子を伺う。


「え?それなにやってんの?早くきてよ〜」


「・・・・・・っ」


 野津の言動に腹を立てた相木は、一歩で踏み込み、右拳で野津の顔面を狙った。


 相木の拳は空を切る。


「!?」


 驚いたのは、相木。野津の姿が視界から消えていると思えば、次の瞬間には首に野津の左腕が差し込まれ、凄まじい衝撃と共に押し倒された。


「・・・・・・ッ〜!ガハッ、ゴホッ」


 片腕だけで強引に押し倒された相木は、組討ちが始まってまだ唯一の被弾箇所である首を抑え、必死に咳き込む。


 野津はその様子を見下ろし、にやにやと笑った。


「あはっ!これが戦場だったら、今さっき君の首に当たっていたのは、私の腕じゃなくて、刃だったよ?つまり、」


 野津は苦しむ相木を指さす。


「死んだんだよ」


 勘助はその光景を黙って見ていた。相木に対する同情より、今はただただ野津の強さに驚いていた。


(一瞬ではないか。ここまでの力量差があるのか・・・・・・)


 勘助には対応できないだろう。そっと隣にいる夕希をうかがった。夕希ならば、野津と対等にやり合えるのだろうか。


 夕希の横顔は驚きに満ちていた。が、やがては真剣な表情に戻る。野津の癖を見て覚えようとしているのが、勘助にもわかった。


(いま一歩及ばず、か。だが、夕希はいずれあの領域に行く。俺のように、はなから諦めてはいない)


 勘助は不思議と、安堵の気持ちが浮かび上がった。彼自身は気づかぬが、彼は夕希に、誰にも負けてほしくない。一番強い女であって欲しいのである。


「も、もう一本」


 相木は声を変にしながら、そう宣言した。


「はぁい」


 野津は間延びした返事を返して、相木が立ちあがるのを待つ。


 相木がようやく立つと、今度は自分から間合いを詰めた。


「ッ!」


「ほぉら、次は私から!」


 野津は相木の左側頭部めがけ、蹴りを放つ。先程まで勘助を蹴っていた相木の愚鈍なそれとは違い、細く長いその足は、鋭く速い。


「くっ」


 相木は間一髪腕を交差させて頭への直撃を防ぐも、その身体は衝撃に耐えきれずに大きく傾く。


「よっこいしょっと」


 野津はそんな掛け声とともに相木の上半身を左脇に抱えると、右腕で下から腰を掴み、雑に放り投げた。


 相木の身体は部屋の中を飛んで戸にぶち当たり、さらにそれを壊して隣の部屋へと転がった。


 勘助は思わず口を開け、うつ伏せで倒れる相木を見ている。


(あの重量のありそうな相木殿を、軽々と・・・・・・!)


 野津は相木に近づくと、腹を蹴って仰向けにさせる。


「ほら、寝てる暇ないよ」


 片腕を掴んで相木をまたぎ、そのまま倒れ込んだ。いわゆる、腕ひしぎという技である。


「あっ、ぐぅああああああああ!」


 相木は何が起こっているのか訳もわからず、ただただ腕の痛みにもがき苦しんだ。


「そんでもってここが戦場だったら〜」


 野津は相木の首を固定している右脚を高々と上げると、それを相木の顔に振り下ろす。


「ッ!!!」


 迫りくる足裏に、相木は思わず目をつぶった。野津は相木の顔面すれすれで足を止め、ゆっくりとその腕を離した。


「あはっ。そんなに驚かないでよ〜。まさか殺すわけないじゃん」


 野津は笑いながら背を向け、相木と距離を取る。


(さてと、散々痛ぶったし、そろそろ殺すか)


 野津の邪悪な頭では、既に相木は敵として認識されていて、勘助を痛ぶった腹いせを行なったのちは、事故に見せかけて首の骨を折ってしまおう、と考えていた。


 相木は身体の痛みに耐えながら、どうにかこうにか立ち上がる。汗が畳に滴り落ち、眼からも涙が溢れた。


「相木殿、無事か」


 勘助が思わず声を掛けるも、相木は無視して構えると、そのまま野津に突進した。


「ぬぁああああああああああああああッ!!!」


 獣のような咆哮ほうこうを発し、身体ごとぶつかる。


「おっと、流石にいい身体してるだけあって、頑丈だね〜」


 が、野津を押し倒すに至らず、そのまま組み合ってしまった。


 野津は脚を振りかぶると、相木の少しばかりふくよかな腹へと容赦なく膝を突き刺す。


「うッ」


「あはっ、もうちょっと腹筋鍛えた方がいいかな〜?」


 身体をくの字に曲げた相木の首を脇で固め、さらに二度三度と強烈な膝を腹部へと突き刺した。相木は思わず組んでいた手を解き、野津が首を解放してやると、ヨロヨロと後退した。


 やがて相木は立っていられなくなったのか、両膝をついて腕の力を抜いた。


「・・・・・・」


 戦闘不能とは、こういう事を言うのだろう。精根ともに尽き果て、完全に沈黙している。


 野津は、ゆっくりと相木に近づく。


め!組手はしまいだ!」


 勘助はすかさず野津の腕を背後から取る。


 野津が振り返ると、その眼はギラギラと妖しく光っていた。


(こいつ、やはり・・・・・・)


 野津はニヤリと笑うと、思いっきり勘助の手を払いのけ、相木へと踏み込んだ。


(しまった!蹴りを・・・・・・!狙いは、首か!)


 手加減なしの野津の鋭い蹴りを、なんの防御もなく首に受けたとなれば、死は免れない。


「夕希!」


 勘助が怒鳴り、その一言で夕希が動いた。


 蹴るために片足立ちとなった野津へと素早く突っ込んで押し倒すと、馬乗りになる。


「大人しく、」


 夕希は野津の両手を掴んで制圧しようとするが、その前に野津が両脚を夕希の両脇へと差し込ませ、そのまま脚の力で夕希を引き剥がした。


 夕希は野津が動く前に素早く起き上がる。


 野津はゆっくりと起き上がると、


「いや〜、思わず熱くなっちゃって。やり過ぎちゃうところだった〜。ありがと〜、夕希ちゃん」


 と言って握手を求めた。


 夕希は野津を睨んだまま、動かない。


「ほら、握手握手〜」


 野津はニコニコと手を振るが、やがて、


「私の誘いを断るなんて、おしおきだよね?」


 と言うなり握手のための手をそのまま夕希の顔面に突き出した。


 夕希は攻撃を手で払うと、野津の胸ぐらに素早く手を伸ばす。


 が、今度は野津がそれを払った。


 すかさず野津の手が夕希へと伸びる。夕希は今度は払わずにそれを掴むと、そのまま背負い投げようとした。


 手足の長い長身の夕希がぐっと野津を引っ張り、背負う。


 しかし野津は、投げられる前に自ら飛ぶと、両脚を夕希の脚に絡ませた。


「なっ!?」


 混乱する夕希から腕を引っこ抜くと、その首に両腕を巻きつける。


 夕希は首を絞められまいと、必死に、絡まる腕と首とに隙間をつくろうとする。


「あはっ」


 必死な夕希に対し、野津はいつものように軽く笑うと、絡めていた両脚を解いて地面に降り立つ。夕希よりも背の低い野津が背後から腕を首に巻きつけたまま畳に降りたのだから、自然、夕希は膝が曲がって背骨が反らされた状態になる。


 夕希は苦しそうに歯を食いしばり、耐えた。


「ね〜?降参する〜?」


「・・・・・・ッ」


「降参するなら〜、ちゃ〜んと、謝ってね?もちろん、土下座で」


 夕希はもちろん諦めるはずもなく、厳しい体勢ながらもひじ打ちを狙う。


「おっと〜」


 野津はそれを察して自ら腕をほどき、距離を取る。


 が、夕希は腕がほどかれたと見るや体勢を立て直し、そのまま回し蹴りを放った。あまりに素早く長い夕希の足から野津は逃げ切ること叶わず、肩に被弾した。


 夕希は確かな感触に満足し、すかさず距離を取る。


「・・・・・・」


 野津はしばらく黙っていたが、やがて、


「あはっ、面白い!やっぱ面白いよ君!でも〜」


 野津は一気に距離を詰めた。


(蹴り!)


 野津の攻撃主体が脚であることがわかった夕希は、それに備えて防御の姿勢を取る。


 しかし、


 野津は夕希の手前で急にしゃがむと、凄まじい脚力で飛び上がった。


「えっ!?」


 見たことのない攻撃に混乱する夕希は、そのまま下から流れるように登ってきた足の甲を顎に喰らった。


 野津はそのまま空中で一回転すると、スタッと着地した。天井に足が当たらないように計算され尽くした動きは、実に見事であった。


 顎への一撃で、夕希は脳を揺さぶられた。一切の体の自由が効かなくなり、なんの抵抗もなく倒れる。


「私の身体に何してくれてるのかな〜?肩、痛いんだけど?」


 野津は動かない夕希を見下ろし、淡々と語りかける。


「ねえ?聞いてんの?」


 野津が夕希を踏みつけようとしたその時、


め!」


 と勘助の声が響いた。


 野津がゆっくりと勘助を見る。


 勘助は事態にオロオロしていた上田友作に相木を任せ、野津に近づく。


「約束通り、今日はもうお帰りいただきたい」


「え〜、でもぉ、勘助くんの護衛が〜」


「何の心配もいりませぬ。これ以上は、迷惑至極」


「え・・・・・・」


 野津は驚いたように勘助を見たが、やがて、


「わかったよ。じゃ、帰るけど、何かあったら知らせてね〜」


 と言ってさっさと帰ってしまった。上田友作が詫びの言葉を口にし、その後をそそくさと追った。




 野津が去った後は、横たわる二人の女と、疲れきった様子の男が一人残っただけだった。野津はまさしく嵐の如く場を破壊し尽くし、勘助の計画はかなりの誤差が出てしまっている。


 相木は満身創痍まんしんそういで満足に動けず、夕希は意識があるものの悔しいのか起きあがろうとしない。


「助五郎!」


 勘助が名を呼ぶと、諫早がすぐに現れた。


「はい、殿」


「準備は」


「山森家家臣、みな揃いましてございます」


「みな刀は大小二振り、服装は俺が用意した例の、」


「はい。問題なく」


 勘助は頷くと、夕希を見やる。


「夕希、いつまでそうやっている。相木殿を送ってきてくれ」


 勘助の言葉に、夕希はゆっくりと身体を起こした。


「助五郎。すまぬが、何人か連れて夕希と相木殿を」


「心得ましてございます」


 勘助はそこで、ちらりと相木と夕希の二人を見ると、助五郎に手招きし、小声で、


「二人きりにしてやってくれ」


 と命じた。


 諫早は快く頷き、すぐに手配にかかる。家臣の幾人かを使い、山森屋敷から相木屋敷までの道の安全を図らねばならない。


 夕希は黙って相木の肩に腕を回すと、ゆっくりと立ち上がった。


「しかとお守りせよ」


 勘助の言葉に夕希は頷き、屋敷を出た。




 道行く二人は、立場は違えど友人である。なのにこの日ばかりは、無言であった。


 が、やがて夕希が切り出す。


「なんで組討ちなんてやったのさ」


「・・・・・・」


「ああいうのは勘助に任せれば良かったんだよ!相木ちゃんに勝てっこないじゃん!」


「・・・・・・手厳しいね。いや、わかってたけどさ」


「殺されるところだったんだよ!?」


「それもわかってた」


 夕希は不思議でしょうがない。なぜ彼女は全てわかった上であんな無謀をしたのか。


「・・・・・・けじめだよ」


「けじめ?」


 相木は頷いた。


「私は勘助君を、これでもかと殴り、蹴った。彼はこんな取るに足らない戦さ下手を、庇ってくれたのに」


「そういえば・・・・・・。なんであんなことに」


 夕希は、相木が勘助を蹴り飛ばした音を聞き、部屋に駆けつけたのを思い出した。


「・・・・・・彼の行動理由が知りたかったんだ。それをはぐらかされて、手が出た」


「それは・・・・・・」


 夕希は知っている。勘助がなぜ笠原城でああいう行動をとったのか。だから、相木を責めることはできなかった。


(相木ちゃんになら・・・・・・)


 とも考えるあたり、よほどのお人好しと言わざるを得ない。


「まさか、こっそり教えようなんて考えてないよね」


「ッ」


「駄目だよ。それは」


 相木は優しく言った。


「・・・・・・」


 苦い顔の夕希に、相木がふふっと笑った。


「話を戻すよ?彼を殴ったのには、他にも理由があった。最初の内はさっき話した通りの理由だったけれど、君が部屋に入ってくるあたりでは、別の理由で彼を蹴っていたんだ」


「え?」


「彼にね、お前は頑固だから戦さが下手なんだって、はっきり言われたよ。なぜ今まで生きてこれたと思ってるってね」


「・・・・・・それは、勘助が悪いんじゃ」


「いいや、正しいんだ。何から何までその通りだった。私はただ、事実を言われて怒っていただけさ。なんの弁解も出来ないし、したくない」


「・・・・・・」


「そんなどうしようもない私を、彼は庇ってくれたんだよ。そのことに対するけじめさ。私も彼と同じように、いや、それ以上に傷を負わなきゃ」


「え、いやなんでそうなるのさ!勘助がそれを望むとでも」


「もちろん、彼は望まない。すまなかった、私を好きなだけ殴ってくれと頭を下げても、彼は出来ないだろう。だから、野津を使った」


「違う違う!なんでそこで相木ちゃんも傷つく必要があるのさって話!」


「それはもちろん、私が私を許せないからだよ。例え私が傷つくことを、他でもない勘助君が望まなかったとしても、それで私は納得ができないからさ」


「・・・・・・」


 夕希は信じられない顔で相木を見た。


「ふっ」


 相木が吹き出す。


「笑っちゃうよね。生きづらい性分しょうぶんだよ」


「・・・・・・全くだよ」


「でもね、例え生きづらくても、私はこういう自分が好きなんだ」


 夕希はこの時、相木という友人を変わっていると思う一方で、どこか尊敬もしていた。勘助は友が少ないが、それは事実、よく選んでいるということになるのだろう。


「それで、まぁ勘助君と夕希ちゃんには迷惑をかけたよ。ごめん」


「・・・・・・」


 たしかに言われてれば、相木個人の勝手なこだわりで、勘助と夕希はこの上ない迷惑をこうむっている。しかしながら、やはり夕希はどうしても、相木を強く責めることができなかった。


 再び二人は、無言で歩く。


 しばらくすると今度は、相木の方から話しかけた。


「・・・・・・一つ、説教をしてもいいかな」


「説教?私に?」


「そう。友として」


 そう言われては頷かないわけにはいかず、夕希は黙って相木の説教を待つ。


「君は、野津が部屋に入った時、噛みついたよね。友である私や、勘助君と話すような口調で」


「そりゃあ、まぁ」


「いくら気に食わない奴が相手だからって、立場を忘れちゃ駄目だよ」


「・・・・・・でも」


「あの時一触即発の空気になって、勘助君は随分と困っただろうね。君の言動はすなわち、山森家の言動だ。山森家の人間であるという立場を忘れちゃいけない。ましてや君は、山森家筆頭家老だろう?」


「自覚が足りないって?」


「そう。人は立場によって生きてる。立場を忘れれば、それは何者でもなくなるんだ。その人間をその人間たらしめてるのは、立場なんだよ」


「・・・・・・」


「野津と勘助君の会話で、喧嘩の話があったろう。あれさ。武士という立場を忘れて子供のように掴み合えば、それはすなわち、死だ」


「それは厳しすぎるんじゃないの?」


「いいや、厳しいからこそ、私たちは武士と名乗って人の上に立てる。なんて、あの時は私も、つい立場を忘れて勘助君を殴ってしまった。未熟もいいところだ」


 相木の屋敷が、夕希の眼に映った。


「反省しなきゃね。互いに」


「・・・・・・」


 夕希は黙って頷いた。勘助は夕希に甘いため、こうして説教してくれる相木は、素直にありがたかった。


「刺客に狙われているんだろう?私も勘助君を手助けしたいけど、野津の助けを拒否したように彼は、私の助けも拒むだろう」


「まぁ、そだね」


「だから、私は今回のこと、何をすることもできない。信じて、静観することしかできない。でも、勘助君に助けが必要な時には、迷うことなく私を頼って欲しい。・・・・・・まぁ、」


 私じゃ、頼りないかもしれないけど。と、相木は少し悲しそうに呟いた。




 ついに二人は、相木の屋敷へとたどり着いた。相木が負傷したという話は、既に諫早によって相木の家臣たちに知らされており、彼らはみな、主人あるじを心配して走り寄って来た。


「殿、どうなされました!詳しい話は殿よりあると言われたきりで、わけがわかりませぬ」

「身体を見せてくだされ!拙者、多少なりとも医術の心得がありまする!」

「なに!そんな話は聞いたことがない!お前は殿のお身体が見たいだけだろう!失せろ!」


「・・・・・・一番面倒なところを、丸投げかぁ」


 相木は一気に疲れがきた気分だった。


 夕希は苦笑しながら相木を彼らに任せると、最後に、


「さっきの話だけど、勘助は最初から、助けが必要な時には、遠慮なく頼るつもりだったと思うよ。相木ちゃんのこと」


と言ってニコっと笑った。


 相木は一瞬目を見開き、やがては笑顔を返した。




 夕希は山森邸に帰った。彼女が帰った時、勘助は家臣の大仏心おさらぎ こころに歯の治療をしてもらっていた。


 この時代の治療と言えば、粗雑で根拠のない迷信にあふれており、例えば戦場で矢が刺さった場合は、身体が動かぬように木に縛り付け、矢を強引に引き抜くだけであったり、腹部に血が溜まれば、馬の糞を水で溶いて薄め、それを飲めば下痢となって血もくだると信じられていた。多くの人間は、その程度の知識しか持ち合わせていなかったのである。


 しかし大仏は医術に明るく、冷静かつ丁寧な仕事で勘助の診察、治療、その他をやってのけた。


「しばらくは痛むし違和感もあると思うけど、自分で触ったりしないように。定期的にボクがてあげるから、それまでは食事もなるべく気をつけて」


「すまんな、大仏」


「いいよ。時には大切だよね、友との喧嘩もさ」


「喧嘩ではない」


 勘助は断じてそこを認めるわけにはいかなかった。

 

 勘助は二、三、口を開けたり閉めたりして様子を確かめると、夕希に視線を合わせた。


「苦労」


「う、うん」


 野津にしてやられた挙句、相木には勘助を困らせるなと説教されたあとなので、夕希は居心地がすこぶる悪く、はたから見てもあからさまにぎこちなく応えた。


 が、勘助は特に気にした様子は見せず、


「よし。では、行くか」


 と立ち上がった。しかし夕希は行き先など知らないし、これから何をするのかもわからない。


「え、えっと?」


「死合いの用意だ」


「ど、どこへ」


「隠し湯」


 勘助は温泉に行く。と言っている。それも家臣を総員させ、殺し合いの用意と称して。


 夕希はわけがわからず、怪訝な顔で大仏おさらぎを見た。


「えっと、大仏クン。歯ってお湯に浸かれば、治るものなの?」


「いいや。幼い歯ならともかく、成人した歯は、抜けたら生えてこない。大人には、やり直しが効かないのさ」


 そんなことは夕希でもわかっていた。勘助にもわかっているはずである。


「歯は関係ない。いいか、これから斬り合いになるやもしれぬとは、この場にいる家臣たち皆に伝えてある。一度向こうがやると決めれば、まず間違いなく厳しい戦いになるだろう。当然、傷も負う。そのため、」


 勘助は手元に着替え用の服を手繰り寄せ、ポンと叩いた。


「身体、着る物は清潔にしておく。傷の化膿かのうを防ぐだろう」


 諫早が、夕希の着る分を渡した。勘助は事前に家臣全員分の服を用意させていたのである。


「でもさ、勘助。戦さも終わったばかりだし、いま隠し湯には、負傷した人たちがいるんじゃない?」


「それでいい。なるべく人を多く見せるのと同時に、いつも通りをよそおえ」


「いつも通り?」


「いつもこうして家臣を引き連れ、気晴らしに湯に行っているという風に思わせる。格別に違うことをすれば、それだけで疑われる。日常茶飯にちじょうさはんを装うのだ」


 要するに勘助は、物々しい雰囲気は隠し、ただの温泉旅行のように振る舞え、と言ったのである。




 勘助一行は屋敷を出た。皆最低限の装備はともかくとして、問題は誰もが誰も、不自然なほどの笑顔を作っていることである。


(下手すぎる。相木と野津のせいで随分と辺りが暗くなってしまったが、むしろ功を奏したな。こいつらの表情を見られれば、たちまちに不自然を悟られてしまっただろう)


 勘助はため息を吐くと、親しい家臣の名を呼んだ。


「夕希、大仏、助五郎、いずみ、浅川」


 五人はぞろぞろと勘助に寄った。主人あるじが親しい人間を近くに呼んだことで、多少は緊張がほぐれたのだろう。他の家臣たちもそれぞれに親しい同僚とくっつき、幾分か自然な格好になった。


 背後からバタバタと走って勘助の前に飛び出たのは、いずみという少女。勘助が占領先で拾ってきた孤児であった。山森家では最年少である。


「やった、やった、やった!山森様と裸のお付き合い、楽しみだなぁ。いひひ」


 歯を見せて笑ういずみの頭を、勘助は撫でた。


「山森さん」


 と、声を掛けたのは、浅川清次あさかわ きよつぐという老人。勘助が晴奈に仕える以前、彼と同じく長年諸国を練り歩き、その途上で知り合った。勘助は武郷家に仕官すると、この老人を探し出し、家臣に加えていた。既に七十を超しているが、勘助とは長い付き合いである。


「湯に浸かってる時に襲われれば、どうする?」


「天海様は左様なことはするまい。相手が裸の時に襲うのは、嫌うだろう。例え夜討ちを仕掛けるにしても、まずは枕を蹴って相手を起こし、そののちに殺す。そういうお人だ」


「あぁ。それは面倒なのに目をつけられましたなぁ」


「全く」


 勘助が頷く傍らで、背の低い諫早助五郎が、後方について来る山森家家臣たちをかえりみ、感嘆の声をあげた。


「しかし随分と大所帯になりましたなぁ」


 勘助もその言葉につられ、振り返った。山森家の人数は、いまや五十人である。


 夕希が嬉しそうに頷いた。


「本当にね。だって確か、勘助が仕官したての頃は・・・・・・」


「二十五人」


 勘助は即答した。勘助が仕官の際、晴奈から許された人数がそれである。当時何者でもなかった勘助に、それだけの人数を指揮させるというのは、やはり異常なことであった。家臣の数は知行の大きさによって変わるが、勘助は見事その期待に応え、出世し続けている。


 諫早がしみじみと呟く。


「随分と城を落としましたからなぁ」


 勘助が生涯で落とした城の数は、九つだったという。家臣の数は、七十五まで増えた。


 が、それはまだ先の話。感慨深い諫早や浅川、夕希とは違い、大仏は全く別の感想を抱いた。


「輝かしい功績の裏で、いなくなった人たちのことを忘れちゃいけないよ。眩しさは、いつだって人の眼を曇らせる」


 当初の二十五人の内、今や残っている人数は九人であった。理由は戦死、戦傷による引退、勘助との反りが合わずに出奔、裏切り、処刑など様々である。


 勘助は鼻で笑った。


「俺のようにあくの強い人間のところには、そうそう人は居付かん。いちいち覚えていられるものか。今と先のみを考えてければ、それでいい」


 勘助はそう言った。目的の隠し湯は、もう目の前であった。




 時はさかのぼる。勘助が丁度相木と話し合いを始めた頃。当の天海虎泰あまみ とらやすの屋敷でのことだった。


 薄暗い部屋には、天海虎泰のほか、板堀信方いたぼり のぶかた児玉虎昌こだま とらまさがいる。


「懐かしいのぉ!こうして三人で集まるのは!」


 と、豪快に笑ったのは児玉であった。


「児玉殿。わしはお二人を、遊びで呼び出したわけではござらぬ」


 苦い顔をする天海に、児玉は笑いかけた。


「なんじゃあ、天海さん。今日は戦勝祝いじゃろうが」


「そのような気分ではない!」


 天海は怒鳴って立ち上がった。


 信方がまぁまぁと座らせると、天海はすっと児玉に顔を近づけた。


「児玉殿。率直にきく。山森の考えがわかるか」


「山森・・・・・・」


「おう。わしは戦さしかわからんが、お主は頭が切れる」


 天海はじっと児玉を見つめ、信方も思案顔で児玉の言葉を待った。


「山森が何を考えておるのか・・・・・・わしにもわからん」


 天海は緊張が解けたように児玉に近づけていた顔を引いた。


「じゃが、」


 再び、天海が身体を強張らせる。


「天海さんが何を考えておるのかは、よぉくわかる」


 児玉が鋭く天海を睨んでいる。


「やるつもりか。山森を」


 児玉の言葉に、信方がジロリと天海を見た。


 天海は、ゆっくりと一度、頷いた。


「お屋形様の命令なしでか」


「お屋形様は山森に執心じゃ。さような命令を出すわけがない」


「・・・・・・」


 児玉は難しい顔で腕を組んだ。


「わしらがやらねば、誰がやる。お屋形様にできぬことを、我ら重臣がやらねば」


「なぜ斬る」


「なぜ?」


 天海は信じられない顔で児玉を見た。


「お主も言うたはずじゃ。山森がなぜ急な方針転換をしたのか、訳がわからぬ。何か裏があるはずじゃ」


「わからぬまま、斬るんか」


「何かあってからでは遅い」


 天海は既に、斬ると決めている様子であった。


「ふむ・・・・・・」


 腕を組んだ児玉は、信方を見た。


「板堀さんは、どう思う」


「わしか」


 天海はすがるような目つきで信方を見た。共に武郷家の両翼と呼ばれた仲である。意見は一致するに違いない。


「わしは反対じゃ」


 天海は驚いた。


「なぜじゃ、板堀殿!いまやあの男は、この国を滅ぼしかねん危険な存在じゃ!奴はお屋形様に取り入っておる!」


「勘助が何を考えているのかはわからぬが、わからぬままに斬ることはならん。さような事がまかり通れば、重臣のわしらが斬られても、誰も文句は言えぬ。たちまちにこの国は滅ぶ」


「左様な事を言うておる場合ではない!敵はすぐそこにあり、既に首元に刃を突き付けておるのじゃ!」


「仮に家老であるお主が、家臣である山森を独断で斬ったとなれば、お屋形様の名に傷がつく。家臣たちは互いに疑心暗鬼に陥り、我ら家老を恐れる一方で、お屋形様を軽んじるだろう」


「山森を斬ったのち、わしが腹を切れば問題ない!」


 信方、児玉は驚いた。天海はもはやそこまでの覚悟を決めている。


「あの男は自分の利のみしか考えておらぬ。わしらは違う。一に国。二に国。三に国じゃ」


 天海は、手を二度打ち鳴らした。信方と天海は怪訝けげんな顔をするが、戸を開けて一人の女が入ってきた。


「失礼します」


 女は武郷家家臣、馬場晴房ばば はるふさ。長身で凹凸おうとつが激しい身体つきながらも、服の上からでもわかるその極限まで絞り込まれた筋肉は、歴戦の信方たちも認めざるを得ない気迫があった。信虎時代、晴奈に見出された彼女は、晴奈の初陣にも参戦し敵将の首を討ち、それ以降も格別な手柄を立てている。


「なんじゃあ。三人ではないんか」


 児玉は非難するように天海を見た。


「馬場殿は、次代を担う家臣じゃ。わしや板堀殿がいなくなった後の武郷家は、馬場殿がまとめていくことになるじゃろう。大事を決めるこの場に相応ふさわしい」


 天海は晴房を近くに座らせた。児玉が思わずため息を漏らすほどの綺麗な正座である。


「馬場殿。率直に聞く。お主は山森勘助と親しいが、斬れるか」


 天海の問いに、晴房は特に驚く様子も見せず冷静に、


「勘助は友であり、師でもあります。ですが、主人あるじに斬れと言われれば、躊躇ためらいなく」


 と言ってのけた。天海は手を叩かんばかりに喜んだ。


「見ろ、板堀殿。児玉殿。次の世代は、頼もしいのぉ」


 二人は頷くが、信方は晴房に聞きたいことがあった。


「馬場。勘助は敵か」


 天海が眉を寄せて信方を見た。


「どうだ」


 信方は構わず、晴房に答えを求めた。晴房は真っ直ぐ信方の眼を見つめ、すらすらと答えた。


「勘助は大変に頼もしい味方です。例え勘助が同じように私を斬るよう命じられれば、彼もまた躊躇ちゅうちょなく、私を斬るでしょう」


 天海は驚き、信方は深々と頷いた。


「何をいうのじゃ!」


 怒鳴る天海に対し、晴房は怪訝そうに顔をかしげた。


「私は聞かれたことに答えただけですが・・・・・・」


「わしと共に勘助を斬る!そういう話じゃ、鈍い奴め!」


「お屋形様がそのように・・・・・・?」


「わしのめいじゃ!」


「申し訳ありません、天海様。私の主人あるじは、後にも先にもお屋形様のみです。主人の命なしに大切な友を、大恩ある師を斬るのは、狂人のすること。私にはできません」


「ば、馬鹿!」


 天海は立ち上がり、顔を真っ赤にして怒鳴った。


「考えが若すぎる!国の大事ぞ!」


 信方は無言で立ち上がると、天海の肩に手を置いた。


「・・・・・・板堀殿」


 天海は荒い呼吸を整え、再び腰を下ろした。

信方は天海の正面に腰を下ろすと、天海と児玉を順に見据え、


「馬場はわしや天海殿、児玉殿よりも勘助について詳しい。責任ある次代の名臣が、勘助は大丈夫だといえば、大丈夫じゃろう」


「しかし、」


「左様に心配なのであれば、わしがその真意を、勘助に直接聞こう。わしも明日には白樺に戻らねばならぬ。白樺に来いと命じれば、勘助は喜んでくるじゃろう。なにせあやつは、凛姫りんひめに夢中じゃ」


 信方は晴奈が「父」と呼ぶほどに信頼が厚く、戦さのみならず統治能力についても格別の素養があった。晴奈による中科野なかしなの侵攻の最重要前線地帯であり、侵略後で統治の難しかった白樺郡代しらかばぐんだいを任されたことが、なによりその証拠である。彼がいなければ、これほど早急に武郷家の領土が増えることはまずありえない。


 その信方が統治する白樺に、勘助が崇拝する凛姫はいるのである。晴奈がほろぼした白樺家の忘れ形見だが、勘助の計らいで今は晴奈の義妹となっている。


「凛姫・・・・・・」


 呟く児玉に、信方は頷いた。要するに信方は、凛姫を人質にとっている、と言っているのである。勘助は孤独者ゆえ晴奈に人質を出せていないが、凛姫がその代わりとなっている。と信方は考えた。


 児玉は大声をあげて笑った。


「わっはははははは!板堀さんがそう言うのなら、万事解決じゃあ!天海さん、なにはともあれ戦さには勝ったのじゃ!かようにめでたい日を、血で汚すことは縁起が悪い!今日は、呑もう!馬場、お前も楽しめ!」


「はい」


 晴房は素直に頷き、児玉はもう話は終わりとばかりに酒をあおった。


「おっ!美味びみじゃのう、とても一杯じゃ足らん!天海さん、悪いが、もう少し持ってきてくれんか」


 部屋には誰も入らないよう命じてあるため、天海がわざわざ台所まで行かねばならない。


 天海は納得いたしかねる顔で立ち上がった。


「天海さん」


 児玉は先ほどまでの陽気な声から一変、ひどく低い声で呼びかけた。


「わしも山森を斬ることは反対じゃ。奴の今までの行動を見れば、やはりお屋形様に刃を向けるとは到底信じられん。天海さんのことじゃ、もう既に刺客の用意もしてあるんじゃろうが・・・・・・」


 児玉は話をそこで止めると、黙って天海を見た。


「わかっておる。家来どもは、解散させる」


 天海はそう言って部屋を出た。そのまま廊下を歩き中庭に出ると、武装した天海家の家臣たちが集まっていた。


「天海さま。先ほど山森勘助の屋敷から野津孫次郎とその家老、手負いの相木市が出て行き、客分は誰も。今は山森家の者どもがこぞって隠し湯に向かいました。帰り道に致しますか、それとも、屋敷へ」


「襲撃はなしじゃ」


 天海の言葉に、彼らは動揺しなかった。


「では、」


 天海が頷く。


「解散!」


 男の声を合図に、家臣たちはたちまちに散って行った。


 が、ただ一人を除いて。


「お前か。いかがした」


 男は、他国から流れ着いた浪人であった。勘助を監視する目的でつかわした坂西左衛門の穴を埋める形で、天海が雇った者である。


「天海様。天海様のいまのお顔は、納得しきれていないお顔です。私にはわかります」


「それが?」


「私にお任せを。山森邸に忍び込み、奴の首を掻き切ってご覧にいれましょう」


「・・・・・・」


 この男、確かに腕は立つ。武郷家にあって武辺一と呼び声が高い天海家においては、そこのみが重要視され、人格などは二の次、三の次であった。この男が他国で仕官出来なかったのは、ひとえにその残忍な性格ゆえである。


「無論、天海様に迷惑は掛けませぬ。ただ、」


 男は周りを窺うようにして天海に近づくと、その足元に平伏した。


「ただ、上手くいった暁には、是非とも武郷家の家臣として、晴奈様にご推薦をお願いしたいのです」


 男の口元が、ニヤリと笑った。


 天海は一言も発せず、一度頷いて見せた。




 勘助一行は、屋敷へと帰った。異形で知られている勘助が、五十人もの家臣を連れて現れたものだから、隠し湯で傷を癒していた者たちは驚き、慌てて湯からあがろうとした。勘助はそれを制し、詫びと言って全員に酒を振る舞った。


 隠し湯での勘助は、いつまでも黙ったきり、ずっと月を眺めていた。家臣たちが何を言っても反応せず、何か考えているに違いないと、いずみや浅川、大仏と助五郎が離れたのを見計らい、夕希に一言、


「次は、敗けるな」


 と言ったのみであった。


 夕希はそれが、たまらなく嬉しかったのだろう。


「絶対!」


 と言うと、満面の笑みを見せた。


 屋敷に戻った勘助は、夕希と三人の家臣に外の見回りを命じ、とっとと寝てしまった。襲撃はないと何とはなしに悟ったのだろう。




 夜中。夕希は屋敷の門前で待機し、巡回報告を待つ。


「特に異常はありません」


 勘助が買い与えた服に身を包んだ家臣が、夕希に報告する。


「了解。ありがとね。しばらく休んで」


「はい」


 四人は二人一組で交代し、夜勤を務めていた。警戒を厳重にして物々しい雰囲気を出すのは良くないと、一見すれば非常に簡素なものである。しかし、屋敷内の家臣たちはみないつでも戦闘できるよう、起きて屋敷内を徘徊し、雨戸の固さや天井のはめ板を幾度も確認して回った。また、屋敷の廊下という廊下には砂がばら撒かれ、いざと戦闘となった時に血で滑らないよう細工してある。


 夕希は自分と組んだ家臣を、一足先に休憩させようとした。


 その時。


 家臣の真後ろで白刃がひらめいた。


「どいて!」


 夕希は家臣を片手で退けさせ、刺客の刃を必死に防ごうと腕をかざす。


 金属音が響いた。夕希の籠手こてと刺客の刀がぶつかった音である。


 夕希は後方に跳躍し、右腕を見た。勘助から貰った服はもちろん破れたが、上手いこと籠手で刃を逸らして肌に傷はついていない。外の見回り組に籠手をつけさせたのは、勘助の命令であった。


 夕希に助けられた家臣はなんとか立ち上がるとすぐさま抜刀し、刺客に向けて怒鳴った。


「誰だ!」


 刺客は鼻でせせら笑うと、


「ただの物盗ものとりだよ!」


 と言って斬りかかった。


 家臣と刺客は一合二合とやり合ったが、やがて家臣が押されはじめた。


「うっ」


 鋭い突きが家臣の肩に突き刺さり、短い悲鳴が漏れた。


「よく避けた。首を狙ったつもりだが、次は外さぬ」


 刺客が刃を引き抜くと、家臣は慌てて距離を取ろうと後ずさった。その拍子に石か何かにつまずき、転んでしまう。


 刺客の攻撃は、その隙を見逃さない。二の太刀、三の太刀が家臣の顔、肩先を切り裂く。


 家臣は真一文字に斬られた顔を押さえ、悲鳴をあげた。


 刺客はとどめを刺そうと刀を振り上げるが、その瞬間、真横から凄まじい太刀風たちかぜを浴びて飛び退いた。


「中へ!」


 夕希は倒れた家臣にそう叫ぶや、続けざま刺客に斬りかかった。


 素早く横薙ぎに払った夕希の一撃は、刀身からは考えられぬほどに伸び、飛び退しさった刺客の腹を切った。


 見れば、払う直前に片手で獲物を振るったらしい。


 刺客は焦らず、しかし積極的に攻めねば勝ち目はないと見て、果敢に攻撃を繰り出す。


 夕希と刺客は、十合ほど打ち合った。


 ビュンっと、音がし、刺客の眉間が斬られた。


「っ!?」


 血潮が両眼に入り、何も見えなくなる。


「もう負けるわけにはいかないんだよ!!」


 夕希は次いで、刺客の両手首、両足首を切った。


 刺客は太刀を落とし、両膝を大地につけた。


「参った。これ程とは・・・・・・」


 完全に無力化された刺客は、ただそれだけを漏らす。




 斬られた家臣の報告により、勘助は叩き起こされ、大仏おさらぎといずみを連れて現場へと走った。


 見れば、決着は既についている。


「夕希、苦労」


「勘助」


 勘助は短くねぎらいの言葉をかけると、刺客に遠慮なく近寄った。


「危ないって!」


「お前が無力化したのだ。危ないことはない」


 勘助は自分の袖で刺客の顔の血を拭うと、その顔を凝視した。


「見ない顔だな。誰だ」


「・・・・・・」


 刺客は勘助を睨み上げると、その顔に唾を吐きかけようとした。


 その様子を見てとったいずみは、無造作に刀を引き抜くと、刺客の口が動く前に首を刎ねた。


「いずみ・・・・・・!」


 驚いた勘助に、いずみは平然と、


「どこの誰だっていいですよ。こんなものは刺客でしかない」


 と吐き捨てるように言った。


 勘助は、それもそうかと思い、大仏に向かって望月を呼ぶように命じた。望月は勘助お抱えの乱破らっぱで、ここ最近は天海家の内情を探らせていた。


 事情を聞いた望月は、眠い目を擦りながら現れるなり、転がる首を両手で掴んで眺めた。


「あぁ。この人は二、三日前に天海家に仕えた浪人者ですよ。まぁ、ただの捨て駒ですね。山森様をやれれば大金星ってところです」


 まったく予想通りの答えに、勘助は自分への襲撃計画が凍結されたことを確信した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鬼の軍師 ロン太 @Rontasan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ