第5話
僕らは放課後の教室にいた。もちろん教室には僕ら以外に誰もいなかった。互いの机を寄せ合って、今日あったことについてぽつぽつと会話していた。前島さんはまだ制服のままで、少し疲れた様子だった。彼女は机の上にあるスナック菓子をつまんで、口に放り込んだ。その菓子は笹倉がくれたものだった。
「やっぱり、僕たちは囮だったんだ。彼を呼び寄せるためのね」と僕は言った。
前島さんはペットボトルのお茶を手に取り、飲んだ。
「正確には、君が囮だったんだよ。私はそれに巻き込まれたんだ」と彼女はペットボトルにふたをして笑った。
「どうして、彼らは僕にそんな価値を見出してるんだろう」
「君はこれから起こることを知ってるんだろ、実際のところ」と前島さんは僕を見ずに言った。
「どうかな」
「彼らが欲しいのはその情報なんだ」
「どうかな。僕みたいな一般人が知ってるたった三か月の未来なんて、とくに意味のないものに思える。君だって、三か月前に戻ったとしてもとくに有用なことは出来ないはずだよ。せいぜい撮り忘れてたドラマを見るぐらいだね」
「たしかにね。けど、彼らは君を欲している」と彼女は表情を消して、僕を見た。「それがどういうことを意味するのか、分からなくもない」
「どういうこと?」と僕は聞いた。
「つまり、君のような自称一般人でも三か月後には彼らについて何らかのことを知ってるってことさ」
「なるほど。いまいち分からないな」と僕は言った。
「彼らは何か大きなことをやるつもりなんだ。世界を巻き込むくらい大きなことをね。違うかい?」
「どうだろうか」と僕は言った。
前島さんは僕をじっと見つめた。その瞳は黒々としていた。
「君はなかなかのくせ者だな」と前島さんは柔らかく笑った。
「そうかな。ただ、すこしだけ臆病なんだと思う」と僕は言った。
「まあ、いいさ。笹倉さんは君を本部に連れて行くつもりらしい。こってりしぼられてくるといいよ」
「たぶん何も出てこないと思うけど」
「そうなると、とうぶん制服くんは登校できなくなるのか」と前島さんは呟いた。
「一日で終わらないの?」
「いや、君が知らないと言い続けてたら、本部もそれなりの方法を使って君の口を割りに来ると思うよ」
「それなりの方法?」
「専門の歪曲者たちが出てくる。ちょっとした拷問が待ってるかもしれない」と前島さんは笑う。
「ひどい話だな」と僕は笑って、スナック菓子をつまんだ。
「まあ、拷問というほどのことはされないだろう。なんにせよ、君の制服姿を見れなくなるのはさびしいな」
「そうでもないだろ」と僕は笑った。
「まあ、早く帰ってきてね。待ってるからさ」
「うん。僕もさ、今度こそ君と『歪み』との対決を見届けたいから」と僕は言った。「帰ってきたら、一緒に任務に行けるかな?」
「どうだろ。難しいんじゃない? 私が君を守れる保証はないし。実際、今日だって守れてなかった」
「じゃあさ、笹倉さんも一緒に来ればいいんじゃないか?」
「笹倉さんは、忙しい人だよ。強いからね」と彼女は笑った。
「そういえば、笹倉さんとは知り合いだったの?」
「うん。似たような能力だったから、いろいろ教わってたんだ」
「似たような能力?」
「遠隔操作、みたいなものかな。サイコキネシス、念動力って言えばわかりやすいと思うけど」
「なるほど。笹倉さんもそうだったのか」
「ま、簡単に言えば、笹倉さんは私の上位互換だね。私はあんまり制御できない方だから、使い勝手が悪いんだ」と前島さんは照れたように笑った。
「ふうん。なるほどね」
「ちょっと感情が乱されると、簡単に暴発しちゃう」
「ああ、あの時もそうだったのか」と僕は吹き飛ばされた机たちを思い出した。
「まあね。ああいう嘘を聞かされると、嫌な気分になるんだ」と前島さんは顔をしかめた。
「あれって、ウソだったの?」
「だいたいね。彼らはそうだと言ってるけど、根拠は全くないんだ。名称のことだって、そもそも歪曲者は自分たちでそう名乗り出したんだよ。政府はそれを使っただけなんだから」
「国益がどうとかは?」
「ただの陰謀論。私たちの任務はたいてい『歪み』関係だから。なんの利益にもならないよ」
「へえ。じゃあさ、政府が隠したがってるのは、どうしてなんだ?」
「まあ、悪用防止のためかな。色々できるからね、歪曲は。管理しないととんでもないことになりかねない」
「なるほどね。秩序のために隠してるのか」
「まあ、そんな感じかな」と前島さんはスナック菓子を口に放り込んだ。
「こういう学園を運営してるのは、どうして?」
「歪曲能力の制御と管理が、ここの役割。実際、外部に出れないのは私みたいに制御しきれない奴らが多いからなんだと思う」
「なるほど」
「今日はいつになく聞いてくるね」と前島さんは笑った。
「本部に連れてかれる前に復習しておこうと思ってさ」
「ついでに、歪曲者と政府の関係も教えてあげようか?」
「管理される方と、管理する方じゃないの?」
「いや、そうじゃないんだ。歪曲者は政府に管理の一部を委託してるだけなんだ。政府という権威がないと、管理しにくい部分もあるからね。その代償として、歪曲者は政府から任務を受ける。そういう関係性なのさ」
「対等な関係ってことか」
「うん。で、君が呼ばれる本部っていうのは歪曲者の偉い人たちがいる場所。政府はあんまり関係してない場所だよ。それにある種の治外法権も認められてる」
「へえ、詳しいね」
「ま、いちおう私は幹部候補生だからね」と前島さんは胸を張った。
「幹部? 本部の?」
「そういうこと。笹倉さんは本部の偉い人の一人だよ」
「なるほど。そうだと思ったよ。立ち振る舞いが違う」
「笹倉さんは世界中を飛び回ってるからね。分身がいるんじゃないかっていう噂もあるくらい、忙しそうにしてるよ」
「へえ、そんな人が僕のところに来てたのか」
「そういうこと。君は結構な重要人物なんだよ」
「前島さんも、それだから僕の近くにいるの?」と僕は前島さんを見た。
「いや、たまたまだよ。元々、私がここにいたんだ。で、君が来た。それだけのことさ」
「ふうん、なるほどね」
「まあ、初めに声をかけたのは君の歪曲能力が気になってたのもあるけど。今は違うかな。教室にいてくれるだけでも、嬉しいんだ」と前島さんはうつむいて笑った。
「じゃあ、なるべく早く帰ってこれるように努力するさ」
「うん。気を付けて行ってくるんだよ」
「君も教室にいてくれよ。戻ってきて誰もいなかったらさびしいからな」と僕は笑った。
お菓子を食べ終えた僕らが外に出たときにはもう日は暮れていた。周囲は森の静けさの中に沈んでいた。電灯と月が道を照らしていた。
「じゃあね」と僕らは互いに言って、それぞれの方向に歩き出した。
石畳を歩きながら、木々の影を越えていった。寮の明かりが見えた。ロビーには人はいなかった。階段を上って、二階にある自室に向かった。すれ違う人もいなかった。妙に静かだった。
僕は自室の扉を開けた。部屋の明かりが点いていた。短い廊下を抜けて、ベッドのあるリビングに入る。
ベッドの上に少女が座っていた。長い黒髪の少女だった。服装はアンティーク・ドールが着せられているものに似ていた。その少女は僕を見て笑った。
「迎えに来たわ」
「どこから?」と僕は聞いていた。
「あなたが来てほしいと思ったところから」
「僕は誰も求めていない。少なくともここの世界にいる人たちは、誰も」
「『歪み』は見たくないの?」
「君とは見たくない。君は誰だ?」
「あたしは、あなたの恋人」と少女はベッドから降りて、僕に近づいてきた。
「僕は知らない人間の恋人になる気はないんだ」
「これから、イヤでもお互いのことを知れるわ」と少女は僕の前に立った。
僕は少女の瞳を見た。深い井戸の穴を思い起こさせた。
「君は、正統派の人間か?」
「どうかしら。今日はどっちでもいいの。あたしはあたし。好きなところに行って、好きなものを手にするわ」と少女は僕の手を握った。
それから暗闇が僕を襲った。
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