第24話
淡い光が僕を包んだ。見えたのはあの部屋だった。床には硬く紅い絨毯が広がっていた。右手にはドアがあって、左手には椅子があった。そして、小さい電球が中央にあるベッドを見つめている。その上では少女が眠っていた。僕は不意に肩を押された。
「何があったの?」と女の声がした。僕は振り向いてその声の主を見た。友瀬レイナだった。
「なにって」と僕は言葉を失った。左腕の感覚も失っていた。
「ようこそ」と女が唐突に現れた。
「アンタだれ?」と友瀬は僕の肩越しで言った。
「コアの管理人です」と女はやわらかく笑った。
「そう、邪魔するの?」と友瀬は言った。硬質な声だった。
「いいえ」
「ならいい。ウチはやりたいことをやる」と友瀬は僕を押しのけて、ベッドに向かった。少女は相変わらず眠っていた。女は身を固まらせた友瀬に声をかけた。
「彼女がコアです」
「コアって、人間じゃない、これ」と友瀬は振り向いて僕を見た。僕はかろうじてうなずくことができた。
「コアは人間でなければなりません。最高の供犠は常にそういうものなのです」と女は歌うように言う。
「まあ、いいわ、ウチはやらなきゃいけないことをやる」と友瀬は手を少女の寝顔の上にかざした。
「ちょっと、待ってくれ」と僕は声を出した。
「なに?」と友瀬は僕を睨んだ。
「いや、どうなってるんだこれは」
「何言ってるの? ここにあるのはコアで、ウチらはコアを破壊しなきゃならない。そうでしょ? だから殺す。何かおかしい所はある?」
「そうじゃない、そうじゃないんだ」と言いながら、僕は足を引きずりながら友瀬に近づいた。
「はあ? アンタ、ビビってるの? コイツの能力でいったいどれだけの仲間が死んだと思ってるの? コイツは人を殺し過ぎた。別に殺したって誰もせめたりしない。殺されて当然な存在だよ。そうでしょ?」
「そうじゃない、そうじゃないよ」と僕は右手で友瀬の手をつかんだ。冷たい手首だった。友瀬は僕を睨みつけた。その灰色い瞳は周囲の光を取り込んで、僕を貫い抜いた。
「アンタ、邪魔するの?」
「そもそも僕は君の仲間じゃないんだ。いや、友瀬の仲間じゃない」と僕は言った。
「何言ってるの?」と友瀬は僕の手を振り払った。
「君を殺そうとしたことは、」と僕は言葉を詰まらせた。友瀬は口を結んだまま、僕に手のひらを向けた。
「アンタは操られてる。そうでしょ? 正気に戻してあげる」
「僕は正気だ」
「狂人はみんなそう言うよ」
「そうかもしれない」
「じゃあね」と友瀬は笑った。それから大きな質量を持った空気が僕に覆いかぶさった。意識が途切れる直前には、四肢のもぎれるような痛みが脳に伝わった。それは死に似た苦痛だった。だが、死ほどではない。
「これで、おあいこ」
僕はベッドの上にいた。一人の少女が傍らに座っていた。彼女はいつでもベッドに腰掛けている。そのか細い指が僕の頬を一筋なでた。
「いつから、気づいてたの?」と少女は言った。
「仲間って言われたときかな。今の僕には仲間はいないんだ」
「あたしが仲間になってあげようか」
「そうしてくれると嬉しいね」と僕は身を起こしながら言った。左腕の感覚があった。
「今日は、拒絶しないんだ」と少女はくすくすと笑った。
「君には助けられたことがある。もう拒絶する理由はないよ」
「さっきは殺そうとしたのに?」と少女は含んだような笑いを込めて、上目づかいで僕を見つめた。僕はため息をついた。
「たしかに僕は君を殺そうとした。けど、」と僕が言うと、少女は僕の言葉を遮った。
「『けど』の後は聞きたくない。もっと違う言葉にして」
「でも」と僕は言った。少女は微かに笑った。
「そんな顔しないで。いいわ、言いたいことがあるなら聞いてあげる。あたしはやさしいから」
「うん、ちょっと言い訳になるよ。いやだいぶ言い訳だな。そう、たしかに僕は君に助けられた。しかしね、君に殺されかけたこともあるんだ。この前本部に侵入しようとして、君の能力で海のど真ん中に飛ばされた。あやうく魚のエサになるところだった。僕がたまたまテレポート系の能力をストックしてたから良かったけど、なにもなかったら今もマグロと一緒に泳いでたよ。うん、そういうこともあったから、なんか頭に来ちゃっててさ、だからすぐに殺そうとしちゃったんだ。けど、今は」と僕が言いよどむと、少女はにこにこと笑って言った。
「その『けど』の後はちゃんと聞きたい」
「今は、そう、悪かったと思ってる。もう君がコアであろうがなかろうが、殺すことはしないし、傷つけることもしない」と僕は少女を見て、言った。少女はその黒々とした瞳で僕の心の底を覗き込んできた。僕の中にある井戸はそこまで深いものではない。簡単に真偽を見分けることができるだろう。少女は首を傾げた。
「ねえ、どうして? あたしがあのとき助けたから? でもあれってあたしに巻き込まれただけじゃない? あなたは別にあのときのことを恩義に感じることはないんじゃない? むしろあたしがいなければあなたはあんな目に合わなかった。あたしのせいであなたは二度も死にかけたって言えるよ。それなのにどうしてあたしを殺さないの?」
「分かんないな。分かんないよ。たしかに、僕は君に巻き込まれてる。それは分かる。だけどまた殺すべきかどうかということは分からない。殺そうとして、殺せなかったからそう思ってるのかもしれない。君のお姉さんと会って、話をしたからかもしれない。君も誰かにとって本当にかけがえのない人間なんだって、分かったからかもしれない」
「ミナがあたしのこと話したの?」と少女は大きな双眸をさらに大きくした。
「話したよ。彼女は自分の名前を言わなかったけど、君の名前は教えてくれた。ここに来れたのも、彼女のおかげだよ」
「そう、そういうことなのね」と少女はうつむいた。
「彼女は君を助けてくれって僕に頼んできた。それで僕はここに来たんだが、正直、どうすればいいのかまったく分からない。どうすれば君を目覚めさせることができる?」と僕が言うと、少女は立ち上がって部屋の中を歩いた。やわらかい日差しが入り込んできている窓の前まで行き、そこで立ち止まり僕を手招きして呼んだ。僕はベッドから降りて、彼女の下へと向かった。窓の外には燈色の街並みが広がっていた。白いドレスを着た少女は窓の枠に手をかけて、その光景を見つめていた。
「あたし、この街が好きなの」
「うん。街の人も君のことを好きそうだった。わがままだけどいい姫だってのが君の評判だ」
「みんな、いい人よ。ねえドラゴンって見たことある?」
「あいにくだけどないよ。でも、その爪と牙は持ってる」
「あの人から貰ったんだ。あのおばあちゃんはべつの国では魔法使いだったんだって。ドラゴンと毎日のように戦ってたらしい。けど、ここじゃドラゴンは毎日遊びに来ないの。あたしがいるからね。だから退屈でしょうがないんだ、あのおばあちゃんは」
「うん、そんなこと言ってた」
「ドラゴンってね、体は恐竜みたいなの。それで背中におっきな翼が生えてて、ばさばさって音立てながら空を駆け抜けていくの。口からいろんなものを出せるのよ。火とか水とか、吹雪とか。それで人の住む街を壊していくの。別に悪気はないみたい。小さい子が砂場の山を踏みつぶすような感じなんだって。あるから潰してみた。暇だったし。それだけなの。だからドラゴンに襲われたくなかったら、ドラゴンに用事を作ってあげるといいわ。世界一周してきてとか、そんなかんじのこと。あたしはいつもそうしてるの。もちろん聞き分けの悪いドラゴンもいるの。そういうときはちゃんと戦う。ここでも歪曲能力は使えるから、負けることはないの。それに、あたしには優秀な執事がいるもの」
「執事ってさっき僕を連れてきた人?」
「そう」
「へえ」
「名前はちゃんとある。けど、教えない」と少女は僕を見て微かに笑った。
「へえ。今度、自分で訊くよ」
「そうして」と少女は視線を窓の向こうに移した。
「君は、ここに住み続けるつもりか?」と僕はその横顔に尋ねていた。
「そうなるかもしれない。もしここからでたとして、つまりあっちで目覚めたとしても、すぐに殺されちゃうもの。あたしの心臓にはそういう機械が埋め込まれてる。コアとしての能力が暴走した時のための防御策として、そういうふうにされちゃったんだ。……、あの後にね」
「だとすれば、僕はどうすればいいんだ」
「そうね。まず、本部を壊せばいいわ。それからあたしの心臓にあるスイッチを取りはずして、またここに来るといい。そしたら安全に目覚めることができる。あたしに目覚める気があるとしたら」と少女は僕を見ずに言った。
「彼女は君のそばで待ってるよ」
「ずっと待たせておけばいい」と少女は素早く言い返してきた。
「もしかしたら、時間がないのかもしれない。なんか外はキナ臭くなってきてるからさ。『彼』ってやつが現れたみたいだ。それで正統派が息を吹き返して、いまは学園をつぶしてる。次にやり始めるのは当然面倒なコアの処理だろうな。実際、正統派の一人が僕と一緒に君のそばにいるし。やろうと思えば仲間を呼んで、君を壊せるだろう。彼女はそんなことしないって言ってたけど」
「レイナならあたしを傷つけることはないよ。あたし、あの子と友だちだもん」
「なるほど。そういうことか」と僕はうなずいていた。
「レイナとはね、よくここに来てもらってお話してた。ふたりでドラゴンの背中に乗って空を駆け廻ったりもしてたの。楽しかったよ。ドラゴンはね、山の頂上を越えるくらいまで高く飛んで、ほっぺたがさけそうな速さで地面に落ちていくの。それを何度も繰り返した。レイナはじぇっとこーすたーみたいだって言ってたけど、外にはそういう乗り物もあるのね。あたしは知らない。でも、すごくドキドキして、急降下するときは思わず目を瞑りたくなるくらいなんだけど、何度もやりたくなっちゃう。あたしたちドラゴンが根を上げるまで何度もやったわ。今でも、やりたくてうずうずするときがあるもの」
「やればいいじゃないか」
「いや。だって、レイナと一緒じゃなきゃつまんないもの」
「なるほど」と僕はうなずいて、窓の外を眺めた。「君はただ捕まってるわけじゃないんだな。体がベッドにあろうとも、心が自由であれば不満の一つも生まれないわけだ。なんとなくわかるよ。君がここから出たがらない理由がね」
少女は声を漏らさずに笑って、窓から離れた。それから、近くの安楽椅子に座った。日は天頂と地平線の狭間にあった。僕の影は長く伸び、安楽椅子に座って揺れている少女の足元にまで達していた。
「座ったら?」と少女は自分の近くにあるソファを指さした。「あなたのためにせっかく用意したんだから」
「なるほど」と僕はソファを見た。家にあったソファと似ていた。僕はそれに座って、ため息をついた。
「どう?」
「まあまあだね。すこしやわらかすぎるかもしれない」
「レイナが跳ねたりしてたからかも」と少女はくすくすと笑った。
「さて、僕はどうすればいいんだろう。君は起きる気なんてなさそうだし、コアとしての役目を放棄する気もなさそうだ。僕がここにいてもやることがないように思えるんだけど」
「そうでもない。あたしと話すことは出来るわ」
「僕の中には君に話せるような、おもしろい体験はないよ」
「そうかな。あたし、気になってるんだけど、どうやってそんな能力を手に入れられたの?」
「猫がくれた。おかげで彼は死んだけど、いい奴だった。いい奴はみんな死んでいく。死なないのは知らない奴らだけだ。まあ、そういうことさ。とにかく猫が僕に影をくれた。それで、僕は旅に出ることになった。ここに来たのはその旅の障害をなくすためだった。それだけだよ」
「詳しく聞きたいな」と少女は目をきらめかせて、僕の方へと身を乗り出してきた。
「何の役にも立たない話だよ」
「いいから、早く物語ってよ。あれから、あの夜から、あなたがどうやってここまで来れたのか。いっぱい時間をかけてもいいわ。あたしは、知りたいの。あなたのことをいっぱい知りたいの」と少女は黒い瞳に僕を映しながら、熱っぽく言った。僕はため息をついた。目を瞑って、脳みそに時間を巻き戻すように命令した。時は渦を巻くようにして、僕の周りを流れて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます