第23話
城へとのびる道の両脇には、家々が軒を連ねていた。その外壁はレンガでできているようだった。おかげで町は燈色であふれていた。夕暮れがずっと続いているようだった。僕はさまざまな生活臭を嗅ぎながら道を歩いて行った。
薬草を煎じたような、そんな匂いがした。横を見ると、老婆が僕と並ぶように歩いていた。老婆は頭巾の奥から暗い瞳を僕に向けていた。僕は立ち止まって老婆に声をかけた。
「どうかしましたか?」
老婆も立ち止まり、周囲をきょろきょろと見て、僕の手を引っ張った。骨ばった手だった。乾燥していて、僕の水分を奪っていきそうな皮膚だった。僕は路地を少し入ったところにある家の軒下に連れ込まれた。湿っていて、うす暗い場所だった。
「アンタ、旅人だろ」と老婆はしゃがれた声で囁くように言った。
「ええ、まあ」
「なんか、もってきたかい?」
「なんか?」
「そう、そうだよ。アンタ、姫に何か持ってきたんだろ。ちょっとでいいんだ、分けておくれよ」と老婆はうつむいたまま言った。
「残念ですが、僕はこの身一つでここまで来たんです。何も持っちゃいないんですよ」
「ほんとかい? あの木偶の門番は恐れなくていいんだよ。アイツは何も出来やしないんだから。口だけさ。……ああ、そうかい。もちろん、ただじゃないよ。交換するものはココにある」と老婆は自身のポケットを叩いた。
「お金ですか?」と僕は訊いた。
「ドラゴンのツメとキバさ。ここじゃない場所で売ると、とんでもない金になるよ」
「ドラゴン」と僕は繰り返した。
「アンタ、知らないのかい。ならますますいいことだ。相当な外から来たみたいだね、アンタ。いいかい、ここ以外のほかの国ではドラゴンはコイツでしか倒せないんだ。コイツを使ってね、ドラゴンの影を作るか、武器を作らないと、奴らは倒せないのさ。あたしゃ、昔ここじゃないとこにいたんだ。この世界の別の国だ。そこでドラゴンの影を作ってた。そこそこ名の知れた魔女だったよ。色々あってここに来たんだが、どうも退屈でね、アンタ、なんでもいいんだ。本当に外から持ってきたものが、あたしゃ欲しいんだよ」と老婆は早口でまくしたてた。
「ドラゴンのキバとツメ」と僕は老婆のポケットを見た。そこだけが大きく膨らんでいた。僕は首を横に振った。「いいですか、僕が帰るところにはドラゴンなんていないんです。いるとしても物語の中にくらいにしかいません。あなたのポケットの中にあるのは僕にとって必要のないものだし、今の僕があなたにあげることができるものなんてないんです」
「アンタ、本当にドラゴンを知らないのかい?」と老婆は顔をあげて頭巾の奥から僕を見た。
「ええ、実際に見たことはないですね」
「へえ、そうかい、そうかい。まだ、終わってない世界なんだねえ。なら、ますますこれが必要になるよ。そういうことなら、この際、アンタの血で良いんだ。それだけでもクスリの足しになる」と老婆は口元を笑わせた。
「血、ですか」
「ああ、何、ちょっとだけだよ。アンタが死ぬほど採るわけじゃないさ。どこぞの燃費の悪い吸血鬼たちとはここが違うんでね」と老婆は自身の側頭部を人差し指で叩いた。
「なるほど」と僕はうなずいていた。
「そうかい、なら貰うよ」と老婆は勝手にうなずいて、どこからか注射器を出してきた。
「え?」と僕が目を丸くしているうちに、老婆は素早く僕の右腕をひっつかみ、静脈へと正確に針を入れて、その空の注射器を僕の血で満たしていった。満杯になると荒々しく針を引き抜いて、キャップをした。僕は眉を顰めながら、出血している部位を左手で抑えた。
「はい、ありがとね。約束通りにこれをやるよ」と老婆はポケットから革袋を出して僕の足元に放った。僕が屈んで拾おうとしている間に、老婆はドアの中へと音を立てて消えて行った。僕はため息をつきながら、ごつごつした革袋を右手に持って、家の前から離れ、路地を出た。
レンガ道に戻ると、人々の往来が多くなっていた。服装はまちまちだった。ある女性はスーツを着込んで、ハイヒールを鳴らしながら歩いていた。その横を甲冑を着込んだ男がすれ違っていった。半袖半ズボンの少年たちがなにやら笑い声を上げながら駆けていき、さえない風貌の行商人は荷馬車をひいてとぼとぼと歩いていた。僕はその積荷であるうず高く積まれたリンゴに目を奪われながら、城への道を再び歩き出した。
町の中心部になるであろう大きな広場にたどり着いた。そこを起点として道は八つに分かれていた。荷馬車は右に曲がった。その奥には市場のような賑わいが見えた。僕はリンゴの山と別れを告げて、行く先に城が見える大通りの方へと進んだ。
城に近づくにつれ、人通りは少なくなっていった。門までたどり着くとなると、周りには僕くらいしかいなかった。今度はちゃんとした鎧を着た門番が僕を見つめていた。
「姫様に会いたいんですが」と僕は門番に訊いた。
「旅の者か?」
「ええ、そうです」
「どこからきた?」
「どこから? ええっと、そうですね、とても遠いところから来ました」
「そうか。そのポケットの中には何が入っている?」
「ポケット? ああ、さっき魔女みたいな人からもらったんです。中は見てないんですが、ドラゴンのツメとキバが入っているらしいです」
「ほおう。あの女に絡まれたのか。大変だったな」と門番は労わるように笑いかけてきた。
「ええ、まあ」
「何を取られた?」
「血を採られました」
「血か」と門番は眉間にしわを寄せて、少し考えるようなしぐさをした。
「なにかいけなかったですか?」
「いや、いけないわけでもない。私の専門外だが、城の魔術師たちに訊いておくことにしよう。それで、君は姫と何をするために来たんだ?」
「たぶん、お話するために来たんだと思います。たぶん」
「そうか。姫はいつでも退屈そうにしておられる。よき話し相手になってくれたまえ。ご老公の苦労も減るだろうから」と門番は言って、片手を上げた。すると門がきりきりと開いて行った。僕は門番に軽く会釈をしてから、門を通った。
門の先には左右対称の庭園が広がっていた。さまざまな彩りの花々が植わっており、ときおり甘い芳香が鼻腔をくすぐった。白い石畳の道を進んでいくと、城内への入り口が見えた。そこには一人の男が立っていた。映画で見るような、あるいは深夜ドラマで見るような執事長の恰好をした初老の男だった。僕を見つけると彼はやわらかい笑みを僕に向けた。
「お待ちしておりました、福屋アキラ様」と彼は低いがよく通る声で言った。僕は立ち止まって、じっとその男を見つめた。
「どうして僕の名前を知ってるんです?」
「それは簡単なことです。姫は貴方様が来ること長い間心待ちにしていたのです」
「へえ、なるほど」と僕はうなずいた。
「名前は、重要なものです。名前がなければ、私どもは時の渦から抜け出すことは出来ないでしょう。それを尊ぶことができないものは、地を這い続けることしかできません。それゆえ、私どもは名前を大切に扱うことにしております。何よりもまず客人の名前を知り、呼びかけることを最優先にしているのです」
「はあ、なるほど」と僕はうなずいた。
「ええ、すこし口数が多過ぎたようですね。さて早速ですが、姫のもとへと案内させていただきます。長い旅でさぞかしお疲れのことかと存じますが、姫は首を長くしてアキラ様をお待ちしておりますゆえ、ご容赦ください。では、こちらへどうぞ」と執事は城の奥へと入っていった。僕は素直にその後ろを付いて行った。
足を取られそうなくらい深い絨毯の上を歩いて、いくども階段を上り、部屋を横切って行くうちに僕は城の最上部に至っていた。風が廊下の奥の方から吹いてきた。窓の外には橙色の城下町が広がっていた。そんな景色を見ながら廊下を進んでいくと、執事はある扉の前で立ち止まった。
「こちらが姫の部屋になります」
「へえ、なるほど」と僕はうなずいた。
「では、姫をよろしくお願いします。私はこれから鹿を調理しなくてはなりませんので、ここで失礼させていただきます」と執事は笑って、僕を置いて廊下の奥へと消えて行った。一人残された僕は、ぼんやりと茶色い扉を眺めていた。野鳥の鳴き声がときおり城内まで届いていた。僕は扉の取っ手に手をかけた。開けようと思ったが、やめてノブから手を放した。それからノックを三度ほど扉にした。部屋の奥から声が返ってきた。
「入りなさい」
そうして僕はようやく扉を開けるのだった。
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